テーマ:
恥 (特別編) [DVD]/リヴ・ウルマン,マックス・フォン・シドー,G・ビヨルンストランド
¥3,990
Amazon.co.jp


結婚8年目の夫婦、ヤーンとエーヴァ。2人はオーケストラでバイオリンを弾いていましたが、戦争のため、オーケストラは活動を休止。2人は戦火を避けて街の中心地から離れた小島にやってきます。菜園の手入れをしながら静かに暮らしていましたが、何かと喧嘩することが多くなっていました。そんな中、戦いは激しさを増し、敵軍が島へ侵攻してきます。2人は解放軍にインタビューをエーヴァを受けます。その際、話した内容が全く違うものに置き換えられ、後にやってきた政府軍側から裏切り者扱いされますが、懇意にしている市長(グンナー・ビョルンストランド)の証言により救われます。ところが、その後、再び解放軍がやってきて市長を捕らえ...。

食用にするための鶏を殺すこともできなかったヤーンが、人間を、それも、(理由はどうあれ)自分たちを救ってくれた恩人を殺すようになります。戦争がヤーンを別の人間に変えたのか、ヤーンの奥底に眠っていたものを引き出してしまったのか...。戦争そのものがどうこうというより、危機的な状況におかれた人間がどうなっていくのかが描かれます。

そして、その影響は、特にヤーンの方に大きく現れます。危機におかれオロオロし、命が危険に晒される中、人間としての醜さをさらけ出していくヤーンに対する軽蔑を隠せないエーヴァ。けれど、否応なく戦いに巻き込まれていく中、エーヴァも清廉潔白ではいられません。

簡単に入れ替わる敵味方の立場。それぞれに主義主張があり、正義があるのでしょうけれど、その辺りについては作中では触れられません。どういう立場の人たちが戦っているのかも分かりません。戦争というものは、それぞれの言い分や理想はどうあれ、結局は、人間と人間との殺し合い。どんなに美しい理想や正義を掲げたとしても、現実の戦場で行われる行為の醜さには変わりはないということなのかもしれません。そして、現実の世界では、何のための戦いなのか、何故、自分たちがまきこまれなければならないのかすら分からないまま命を奪われていく人も多いことでしょう。

平和な生活をしている分には、余裕をもって自分の中にある醜さや残虐さに蓋をすることができます。けれど、命が危険に晒される状況では、自分の中の醜悪さを覆い隠すだけの余裕は持てません。そして、人の住まいに押し入り、焼き払い、財産を奪い、命を奪い...。平和時には犯罪とされることが、戦いの中では、"称賛されるべき活躍"となるのです。相手を"敵"とすることで、犯罪は正義にさえなり得るのです。

冒頭ではヤーンが自分の見た夢を語り、ラストではエーヴァが自分の見た夢の話をします。ヤーンの夢は幸せだった過去に戻る夢で、エーヴァの夢は新しい幸福を得る夢。この辺りにもヤーンの弱さとエーヴァの逞しさが表されているのかもしれません。

ヤーンはエーヴァに戦争について「自分のせいじゃない」と言います。確かに、個人の力ではどうにもならない面はあると思います。けれど、少なくとも、"民主主義"な国に生活している現在の私たちの場合、ただの1国民だから全く責任がないと言えるのか...。何らかの形で、政権にNoを突きつけることはできるのではないか...。

船に逃れたヤーンとエーヴァ。その船上で、人々は少ない食料を分かち合っています。その平和はいつまで続くのか...。食料が尽きた時、食べるものを求めて争うことになるのか、それとも...。

その先に絶望を見るのか、希望を見るのか、結局は、私たち次第なのかもしれません。

↓よろしければ、ポチッとお願いします。
人気ブログランキング
AD

悪党に粛清を

テーマ:
1864年、デンマークで兵士として勇敢に戦ったジョン(マッツ・ミケルセン)と兄のピーター(ミカエル・パーシュブラント)。2人は、敗戦後の荒れたデンマークから、新天地を求め、アメリカに移住します。7年後の1871年、生活も安定し、ジョンは妻子を呼び寄せます。駅で再会を喜び、駅馬車で家に向かいますが、その駅馬車でならず者と同乗することになってしまい、ジョンは妻子を殺されてしまいます。ジョンは、怒りのあまり、妻子を殺した男たちを射殺しますが、その1人は、その辺り一帯を支配する悪名高いデラルー大佐の弟だったため、大佐の怒りをかってしまい...。

"妻子の復讐"自体は、かなり早い段階であっけなく完了します。けれど、その"復讐"が新たな"復讐"を呼び、さらに、"復讐"が行われ...と連鎖していきます。

久し振りに妻に会い、成長した息子の姿を見て喜ぶ、ごく当たり前の夫であり父であったジョン。けれど、無残にも妻子を殺されたジョンは、復讐せずにはいられませんでした。再会の喜びも、愛する者たちの死に際しての悲しみも、加害者たちへの怒りも、全体に控えめです。あまり感情を爆発させたりすることはなく、登場人物たちは全体に寡黙です。けれど、それぞれの瞳がその想いを伝えていて、それぞれの気持ちが観る者の胸に沁みてきて、その後の展開に説得力を持たせています。そして、ジョンがデラルー一味を倒していく過程では、彼が兵士だったという設定が生かされていて、その辺りも丁寧に作られた作品という感じを受けました。

デラルーがあまりに明確に悪で、議論の余地なしの分かりやすさです。で、デラルーに牛耳られる街の保安官たちは平和主義というか、事なかれ主義というか、ジョンの復讐をたしなめてしまったりもします。デラルーに脅されればジョンを突き出すし、ジョンがデラルー一味に勝利すれば、ジョンになびくというのも、分かりやすいことこの上なしです。そもそも、愛する者たちを殺されて復讐に走るジョンも分かりやすいワケですが...。

その中で、やや異色なのがマデリン。話すことができないという設定になっていて、一切、セリフがない役どころということもあるのでしょうけれど、何を考えているのか、ちょっと分かりにくい感じがあり、作中の程よいスパイスになっていました。夫との関係性が良く分からなかったので、ジョンへの復讐の気持ちがどの程度のものだったのか、その辺りについては、もっと触れられていれば、ラストの彼女の行動にもっと重みが出たような気がします。まぁ、デラルーへの感情などはそれなりに見せてくれてたので、その後の行動に納得はできましたが...。

妻子を殺されたジョンによる復讐。弟を殺されたデラルー大佐による復讐。デラルー大佐に祖母を殺された青年による復讐。兄を殺されたジョンによる復讐。ジョンによる自分たちを裏切った町長に対する復讐。ジョンに夫を殺されたマデリンによる復讐。6件の復讐が描かれ、その内の3件はジョンによる復讐で、2件はジョンに対する復讐。そして、残りの1件は、ジョンも共闘しているので、ジョンは全ての復讐と関係しているということになります。

デラルーに夫殺された女性は復讐をしようとはせず、住んでいた土地を離れます。マデリンは、ジョンに銃口を向けますが、撃ちませんでした。復讐を成し遂げたジョンに満足感や達成感が浮かばなかったことを見ると、そして、デラルーが"先住民を殺し過ぎたために悪くなった人物"とされていることを考えると、理由はどうあれ、人を殺せば、無傷ではいられないということなのだと思います。だとしたら、少なくとも、夫を殺された女性とマデリンは救われたということなのでしょうか。そして、マデリンに赦されたことで、ジョンも救われたということなのでしょうか。

基本的には王道の西部劇でありながら、"悪を倒して万々歳"ではないところには好感を持てました。復讐をしても、失われた者は取り戻せませんし、スッキリ気分爽快になれるワケでもありません。そして、デラルーや町長を殺したからメデタシメデタシという単純な問題でもないでしょう。デラルーは相当の悪ですし、町長もその協力者なのですから、この2人を排除すれば解決される問題もあるのでしょうけれど、どうやら、彼らの背景には、もっと大きな悪がいる様子です。デラルーと町長が排除されても、彼らのような役割を担う新たな者が登場するだけのこと。

デラルーと町長の背景にいた者たちが無傷で残されたことを考えると、続編があるということなのでしょうか...。

それはともかく、アクションは地味目ながら西部劇らしさは出ていたと思いますし、本作ならではの味わいも感じられて、なかなか面白かったです。


公式サイト
http://akutou-shukusei.com


↓よろしければ、ポチッとお願いします。
人気ブログランキング
AD

アリスのままで

テーマ:
リサ・ジェノヴァの小説、「静かなアリス」を映画化した作品。原作は未読です。

言語学者として認められ、コロンビア大学で教鞭をとるアリスは、50歳の誕生日を迎えました。夫との関係も良好で、2人の娘と1人の息子に恵まれ、プライベートも充実。順風満帆に思える人生を歩んできた彼女ですが、大学での講義中に言葉が思い出せなくなったり、キャンパスをジョギングしていた時に自分がどこにいるのか分からなくなるなどの異変が見られるようになります。神経科を受診したところ、若年性アルツハイマー病と診断された彼女は、大学を退職し、家族からサポートを受けながら日々を過ごしますが、病状は徐々に進行し、記憶が薄れていきます。ある日、アリスは、診断を受けて間もない頃にパソコンに保存していたビデオメッセージを見つけ...。

病気の進行と、それに伴って変化していく彼女の表情がとてもリアルで、心に沁みました。記憶というものは、1人の人を他の誰でもないその人として意味づけるために重要なもの。記憶があるからこそ、人は自分が自分であると認識できるのですから、それを失うということは自分が自分でなくなることにも繋がります。完全に記憶が失われれば、そのことを悲しむ能力すら失うことになるのかもしれませんが、その過程では、自分を失っていく恐怖と不安を味わうことになるワケで、それは、生半可なものではないでしょう。ジュリアン・ムーアが、その辺りのアリスの心情を微妙な表情の変化で見事に表現しています。

特に、スピーチの場面は圧巻。自分の状況を理解しながら、それに対して有効な手立てを打てずにいる焦燥感や将来への不安、病気の進行を恐れる気持ち、そんな状況にあっても懸命に自分自身の人生を生きようとする1人の人間としてのプライドが感じられました。

ただ、全体としては綺麗に描かれすぎている感じはします。まぁ、夫のジョンは医師で、長男は医学生で、それぞれ知的水準が高く、経済的に豊かだということもあるのでしょう。この手のストーリーにありがちな修羅場はほとんど見られません。ただ、悲惨さを強調するだけのお涙頂戴作品になることを避けたのかもしれませんが、もう少し、現実に踏み込んでも良かったような...。

家族は、それぞれのできることをしてアリスを支えようとします。誰も、アリスを見捨てて逃げたりはしません。ジョンは、どこか腰が引けた感じで家を離れますが、それも仕事のため。アリスの医療や介護にかかる費用のことを考えたら、よい報酬を得られる仕事を逃すわけにはいかないという言い訳にももっともなところはあります。それまであまり折り合いのよくなかった次女のリディアは、人生をかけていた夢を中断させてアリスの介護を担う決意をします。家族が介護を押し付けあう様子は見られません。

アリスも、いろいろなことができなくなり、失禁してしまう場面もありますが、よく言われる"壁に自分の便を塗る"といったレベルには遠いもの。それでも、周囲の人間を泥棒呼ばわりしたりする程、猜疑心が深くなったり、暴れたりすることまではなく、比較的、平穏に日々を過ごしています。

高いと評判のアメリカで、それ程経済的な心配をせずに医療を受けられる様子なので、かなり豊かな家庭ということになるのでしょう。もちろん、アリスとその家族が、あまり悲惨な状態に陥らずにいられるのは、家族を繋ぐ深い愛情があるからなのでしょうけれど、それも、それを支える経済的な基盤があるからこそのこと。

...などと考えてしまうと、素直に感動できないところもありますが、親世代がいつ(若年性ではない)アルツハイマーを発症してもおかしくない年代だったり、自分自身がアリスと同年だったりということもあり、アルツハイマーになる側と介護する側の双方に身を置きながら観ることになり、身につまされるものがありました。他人事ではありません。


公式サイト
http://alice-movie.com/


↓よろしければ、ポチッとお願いします。
人気ブログランキング
AD

絶歌

テーマ:
話題の一冊です。かつて酒鬼薔薇聖斗と名乗った"元少年A"の手記です。

基本的に、読みたい本は買って読んでいます。返す期限など気にせず自分のペースで読みたいという気持ちもありますし、気に入れば繰り返し読みたくなったりもします。本作についても、とても興味がありました。けれど、本作の場合、著者に印税が入ることを考えるととても買う気持ちにはなれず、立ち読みしました。本屋さんごめんなさい、ですが...。

それにしても、売れているようです。本屋に行ったのは土曜日だったのですが、立ち読みしている間にも、平積みされている本作を手に取ってレジに向かう人が続々。平積みされているところには「おひとり5冊まで」なんていう注意書きまで出されてたりして...。転売目的で何冊も買う人がいるってことでしょうか。結局、読みたいう気持ちを抑えることができなかった私があれこれ言える立場でないことは百も承知なのですが、その辺り、引っ掛かりました。

読んだ感想を一言でいえば、人はそう簡単に変わらないものだと言うこと。当時、世間を騒がせた酒鬼薔薇聖斗の署名があった犯行声明文を髣髴とさせるような文章が並びます。当時、あの犯行声明文の内容を知った時に受けた印象が蘇ってくるような気がしました。結局、その時のまま、彼は年齢を重ねてきたと言うことなのでしょうか。1997年の事件から18年。彼にとって、この18年は何だったのか...。

やたらと飾り立てた表現。難し気な言葉で空虚に飾られた薄い心情描写。自己陶酔の臭いが鼻に衝く空虚な物語。多分、彼の「本作を書かないではいられなかった」という気持ちは本当だったのだと思いますし、本作で語られているのは、彼にしてみれば彼の中にある真実で、心の底からの反省なのかもしれません。そして、本作を世に出すことが、どれ程、被害を受けた側を傷つけるかということには思い至らなかったのかもしれませんし、本作が彼の反省のなさの証と受け取られる可能性があるということも予測できなかったのかもしれません。そして、そのことこそが、彼の異常性なのかもしれません。

あとがきに、2004年に社会復帰したとの記述がありました。事件から僅かに7年です。あまりに短期間の社会復帰だったことに驚きました。たったの7年だったとは...。そして、"更生"の後に社会に出てから11年。名前も変え、新しい戸籍と経歴を手に入れているとのことですが、その中身は、相変わらず酒鬼薔薇聖斗。まぁ、人間というのは、そんなものなのかもしれませんが...。

私は、基本的に、感情的な意味で加害者を許すかどうかということについて決定権を持つのは被害者やそのごく身近にいる人であって、第三者ではないと考えています。なので、直接の被害を受けていない私たちが、勝手に被害者の代弁者のような顔をして許すの許さないの言うことは控えたほうが良いと思っています。さらに、加害者が再び社会に出てきている以上、あまり追い詰めるべきではないとも思います。出所した人間を社会が認めず追い詰めれば、やがて、その者が"窮鼠猫を噛んで"、社会に刃を向け新たな被害者を生み出すことになる可能性は低くありません。社会で普通に生活する人々を守るためには、処罰を受け終わった者がそれなりに生きられる道を作らざるを得ないのだと思います。

ということで、私に、この出版について、"元少年A"を許すとか許さないと言う権利があるとは思いませんし、この出版が被害者に与える影響について云々するつもりもありません。けれど、犯行声明文の頃と変わっていない自分語りには辟易しました。

そして、少年犯罪史上に残ると思われるような大きな罪を犯したにも関わらず、"元少年A"は、自己中で身勝手ではあるけれど、基本的には平凡な人間であること。そこには、特別な存在になろうと必死に足掻きながらも平凡であることから抜け出せない哀しさが溢れています。"ビッグ"になりたくて、世間に注目されたい未熟なオコチャマの姿が炙り出されています。さして珍しくもないような彼が、どうして、これ程までに大きな罪を犯したのか...。

本作の著者の場合、話題性の高かった事件の犯人と言うこともあり、最高のスタッフが集められ、最高レベルの矯正教育が施されたはず。その結果がこれ...。少なくとも、当時、彼の教育に当たったスタッフ、関係者、そして、矯正教育に関わる人たちにとっては、読んでおくべき文章だと思いました。事件当時の彼と何がどう変わったのか、変わらなかったのか、そして、彼の18年間に矯正教育がどう影響したのか...。この先、"矯正教育"というものをどう考えればよいのか...。

もし、本作が、こうした彼の自己陶酔の自分語りに終始したファンタジーではなく、第三者の視点も入れて彼の18年間を振り返りながら、この先同じような犯罪を起こさないために何ができるのか、大きな罪を犯してしまったものと社会はどう向き合えばよいのか、自分や自分たちの身内が、こうした犯罪の被害者、加害者にならないために何ができるのか...といった視点で語られていたら、もっと多くの人が出版の意義を感じられるものとなっていたのかもしれませんし、矯正教育の成果を社会が信じることができるようになったのかもしれません。

そして、彼が本当に反省していて、出版社がこの文章を世に出すことに意義があると考えたのだとしたら、出版社のサイトから誰でも自由に無料で読める形にして発表するというような方法もあったのではないかと...。そうではなく、著者に印税が入るような形で出版されているのですから、"元少年A"が経済的にも精神的にも自己救済することが目的だったのだと解釈せざるを得ないような...。まぁ、反省が本物なら、出版するにしても、遺族に事前の許可を取るくらいのことはするのでしょうけれど...。

矯正教育関係者の皆様、是非、本作をよく読み込んで、今後の犯罪者の更生に生かしていただきたいです。刑務所を出る人たちの再犯率を低くすることは、私たちが安心して住める社会を作るためにも大切なことなのですから。


↓よろしければ、ポチッとお願いします。
人気ブログランキング

トム・アット・ザ・ファーム

テーマ:
トム・アット・ザ・ファーム [DVD]/グザヴィエ・ドラン,ピエール=イヴ・カルディナル,リズ・ロワ
¥4,104
Amazon.co.jp


現代カナダ演劇界を代表する劇作家、ミシェル・マルク・ブシャールの同名戯曲を映画化した作品。

カナダ。モントリオールの広告代理店で働くトムは、交通事故で死んだ恋人のギョームの葬儀に出席するために、ギョームの実家であるケベック州の農場に向かいます。そこには、ギョームの母親アガットと、ギョームの兄フランシスが2人で暮らしていました。恋人を救えなかった罪悪感から、次第にトムは自らを農場に幽閉するかのように、フランシスの暴力と不寛容に服していき...。

大切な人の死によりもたらされる傷の大きさを描いた物語なのかもしれません。トムが、フランシスに屈したのは、やはり、その傷の深さ、大きさゆえなのでしょう。それが、彼の自尊心を奪い、判断力を狂わせたのでしょう。

そして、トムを追い詰めたフランシスの異常性も、ギョームの死による喪失感に原因しているのかもしれません。そして、さらに、トムへの嫉妬。

トムがフランシスに従ったのも、フランシスがトムを追い詰めたのも、そのことでギョームと繋がろうとしたなのかもしれません。そして、その異常な関係から脱却するには、そんな方法でギョームに繋がることなどできないのだと悟るしかないのだと思います。本作の中でほとんど描かれないギョームが、3人の中心にしっかりと存在しています。

フランシスのギョームへの想い。その裏には、ゲイとして男性の恋人を得たギョームへの妬みもあったのではないかと...。恐らく、フランシスは、ゲイ、ないしはバイで、けれど、それに気づかない振りをして、本心を押し隠してきたのではないかと思います。だからこそ、ギョームが羨ましく、ギョームの恋人であったトムを自分のものにしたかったのではないかと...。そして、ギョームがゲイで、フランシスにもその傾向があることを感じていたであろうアガット。土地柄もあり、彼女は、気付いていながらもそこから目を背けていたのだと思います。

フランシスよりもギョームへ愛情を注いでいたであろうアガット。フランシスはその母に反発を感じながらも恋い焦がれ、ギョームへの嫉妬も感じていたでしょう。アガットは、ギョームの同性愛から目を背けようとし、それを意識させるトムの存在に苛立ち、サラに期待をかけていたことでしょう。トムは、フランシスやアガットの中にギョームを見たのかもしれません。

ギョームの死により、そんな、それぞれが心の奥に押し込めていたものに対して、目を向けざるを得なくなったのかもしれません。当然、それぞれの心はざわつき、気持ちは揺れます。その揺らぎの中に、異常な関係が築かれていったのかもしれません。トムとフランシスが2人だけでタンゴを踊るシーンが印象的。

ラスト。フランシスが着る革ジャンの背にある"USA"の文字。エンディングに流れる曲のアメリカを非難するような歌詞。暴力で他者を支配し、甘い態度で他者の気持ちを絡めとるフランシスのやり方は、アメリカ的だということか...。その辺り、やり過ぎ感も否めませんし、ところどころ、描写にあざとさが感じられる部分も目につきましたが、まぁ、悪くなかったと思います。


↓よろしければ、ポチッとお願いします
人気ブログランキング

幸せのバランス

テーマ:
幸せのバランス [DVD]/ヴァレリオ・マスタンドレア,バルボラ・ボブローヴァ,ロザベル・ラウレンティ・セラーズ
¥4,320
Amazon.co.jp


ローマ市の職員で福祉課に勤め、妻のエレナと2人の子どもと穏やかな生活を送っていた40歳のジュリオ。ふとしたはずみで、同僚の女性に送ったメールから、彼女との浮気をエレナに知られ、夫婦仲は険悪になります。2人は、子どものために、仲の良い夫婦を装う努力すると決めます。ところが、ある日、注文を間違った50代のピザ配達員に同情したジュリオがエレナの嫌いなアンチョビ・ピザを受け取ってしまいます。そのことにエレナが激怒し、子どもたちの前で大喧嘩をしてしまいます。「もう繕うことはできない」と言うエレナ。それに対してジュリオは、「君が正しい。私が家を出る」と宣言します。思春期の娘カミラは、不器用な父親が心配でならず、部屋探しを手伝い、頻繁に連絡して、つながりを保とうとします。けれど、限度を超えた借金をし、夜のバイトをしても支払いが追いつかない、ギリギリの二重生活の中で、ジュリオは疲弊し、次第に無口になっていき...。

ホンの些細なこと...なのかもしれません。ジュリオは"女性を見て声をかけないなんて失礼"というようなイタリアの男(というのは、偏見でしょうか)ですから、なおさらのこと。けれど、些細なことでも重なると妻にとっては耐え難いことになり得るワケで...。

ジュリオの"転落"も、かなりの部分は、彼の"プライドや見栄"が原因となっています。エレナに自分の窮状を訴えることができれば、エレナも、そこまでジュリオに要求しなかったかもしれません。それに、ここまですることは、本当の意味で、エレナや子どもたちのためになったのかという問題もあります。エレナにしても、子どもたちにしても、ジュリオがホームレスでは、浮かばれないのではないかと...。事実を知れば、それを隠していたジュリオを責めたくすらなるのではないかと...。

"夫たるもの、妻を支えなければならない"、"父親たるもの子どもたちに責任を持たなければならない"という思考の硬さ、夫として父として大きな存在でありたいというプライド。けれど、本当の意味で妻や子どもたちを守りたいのなら、無理は禁物であることなど分かっていたことなはず。先は長いのですし...。特にジュリオは福祉課で働いていたのですから、ジュリオの歩んだような"転落"への道筋を辿った人を見てきたのではないかと...。そして、経済的な困窮がどれ程、人の気持ちを荒ませ、心身を疲弊させるかということも知っていたはずなのではないかと...。仕事で知識はあったとはいえ、自分の身に降りかかるとなかなか巧く対処できないということなのでしょうか...。

妻や子どもを守ろうとする姿勢は、カッコ良いものでもあるのですが、ここまで妻や子どもに弱みを見せたがらない、頼ろうとしないというのは、ある意味、妻や子を自分より下に見ているからでもあるのではないかと...。そんな感じすらしてきます。

エレナが、完全にジュリオへの未練を断っていたのではないことは、エレナの態度から伝わってきていたのですが、ジュリオにはそれを受け止める余裕すらなかったのでしょうか...。

"ごく普通の勤め人かと思われた人が、実は、離婚した結果、車で寝泊まりするようになっていた"という新聞記事から着想を得た作品とのことですが、南欧の経済状況が厳しい中、イタリアが抱える問題を浮き彫りにしているということなのでしょうけれど、ジュリオの場合、社会的な背景がどうこうとか、経済状況が何だとかということが問題だったのではなく、下手なプライドを無理に引き摺り、エレナや子どもたちの本当の気持ちを思いやる余裕すら失ってしまったことが何よりの原因だったのではないかと...。

ラストは希望が感じられて良かったです。娘に感謝ですね。まぁ、そんな良い娘に育てたのは、ジュリオの力でもありますが...。


↓よろしければ、ポチッとお願いします
人気ブログランキング

あん

テーマ:
([と]1-2)あん (ポプラ文庫)/ドリアン助川
¥648
Amazon.co.jp


先日、観た映画"あん"の原作となったドリアン助川の小説です。映画を観て、原作に興味が湧き、読んでみました。

線路沿いから一本路地を抜けたところにある小さなどら焼き店。千太郎が鉄板に向かう店先に、バイトの求人をみてやってきたのは70歳を過ぎた手の不自由な女性、吉井徳江でした。徳江の作る粒あんの旨さに驚いた千太郎は、彼女を雇い、店は繁盛し始めますが...。

小説としては、決して長い感じがするものではありませんが、何もせずそのまま映画にするには長すぎる作品だと思います。その割には、かなり原作に忠実に作られ、それでいて、一つの作品としてまとまった作品になっていたのだと思いました。もちろん、いくつかの変更は加えられています。最初の段階に千太郎が徳江の指のことを気にする様子がなかったこととか、千太郎が世間に出られずにいた理由とか、あまり必然性の感じられない変更点があったことには引っかかりましたが、それでも、原作の雰囲気を巧く表現していたと思います。本作を読んでいても、映像が頭の中に浮かんできました。

映画がどうこうということとは別に、読み応えのある小説でした。

徳江はもちろんですが、千太郎も、ワカナも、辛さを抱えながら生きています。千太郎を追い込んでいく店のオーナーも、ワカナをないがしろにする母親も、幸せではないのでしょう、それぞれに満たされない想いを引き摺っていることが伝わってきます。(まぁ、そのことが、彼らの言動の言い訳になるとも思えませんが...。)

バランス良く塩を加えることであんの甘さが引き立てられ、その味わいに深みが加えられるように、苦悩の歩みはその人生をより豊かなものにすることがあるのだと思います。そのことを他人に不当な苦痛を与えた側の言い訳にしてはならないワケですが、厳しさを乗り越えることでこそ得られる輝きというものは確かに存在するのだと思います。徳江はそれを獲得しましたし、千太郎もその途上にあるのでしょうし、ワカナも2人に続く道を歩んでいくのでしょう。

千太郎は、徳江の指に違和感を覚えました。そこで、その違和感に拘れば、指の変形の原因にも行きあたったことでしょう。けれど、千太郎は、彼の中にあった法外に安い賃金で美味しいあんを作ってくれる徳江との出会いを自身のチャンスと捉えた"身勝手さ"故に、偏見に捉われることなく徳江に働く場を提供します。徳江の願いを叶えようとか、徳江に社会参加の場を提供しようとか、そんな"思い遣り"も、徳江への同情も微塵もなかったのです。けれど、だからこそ、千太郎の評価は徳江の自信となったのかもしれません。千太郎の徳江への評価には、決して、"可哀想な"徳江への労りや慰めの気持ちは入っていませんでしたから。

徳江がそれなりの満足感を得て人生を終えていったのであろうことが想像でき、その点も、本作の温かく穏やかな雰囲気を作り上げる要素の一つのなっていると思います。

当然のことながら、本に書かれた文字を読んでいく小説ですから、映画とは違って映像はないのですが、それでも、徳江の作る粒あんの美味しさが伝わってきて、そのことも、本作を読む者に幸せを感じさせているのだと思います。

全体に先が読めるストーリー。千太郎と徳江の出会いと交流の過程にも、特段の目新しさはありませんが、気を衒わない自然な物語になっていて、それはそれで良かったと思います。素直な文章でサラッと読むことができました。この重いテーマを穏やかな物語の中で描き切るというのは簡単なことではないと思うのですが、成功していると思います。まぁ、反面、重いテーマを口当たりの良いものにし過ぎた感じもしないではありませんが...。この辺りのバランスをどう取るかというのは難しいところなのでしょう。

とはいえ、読みやすい平易な文章で、軽妙な雰囲気を醸し出しながらも、濃厚な死の臭いを漂わせ、生きる意味を問いかける作品となっていて、頭でっかちでないところは、やはり本作の最大の魅力といえるでしょう。

一度は読んでおきたい本だと思います。お勧めです。


↓よろしければ、ポチッとお願いします。
人気ブログランキング

0.5ミリ

テーマ:
0.5ミリ [DVD]/安藤サクラ
¥4,104
Amazon.co.jp


映画監督、安藤桃子が自身の小説を映画化した作品。原作は未読です。

ヘルパーの山岸サワは、派遣先の片岡家で昭三の介護をしていました。ある日、昭三の娘、雪子に「冥途の土産におじいちゃんと寝て欲しい」と頼まれます。さすがに断りますが、結局、"添い寝するだけ"という条件で引き受けます。昭三が顔を舐めてきたことに驚いたサワは、とっさに昭三をはねのけてしまいます。その拍子にストーブを倒してしまい火事になってしまい、サワは雪子に助けを求めますが、雪子は首をつっており、その傍ではぶら下がっている雪子を呆然と眺めている雪子の息子、マコトの姿がありました。この事件で、サワは、ヘルパーをクビになり、会社の寮を追い出され、あげくに財布をなくし、仕事も住まいもお金も失ってしまいます。サワはカラオケ店でトラブっていた老人を助け一晩の居場所を確保したことから、街で何か問題を抱えた老人を見つけ"押しかけヘルパー"をするようになりますが...。

駐輪場で自転車をパンクさせまくる茂、女子高生の写真集を万引きしようとする義男、大きな問題を抱える片岡家。主人公という位置づけながら、サワ自身の生い立ちはや心情についてはほとんど深められることなく、サワを狂言回しに、様々なエピソードが紡がれていきます。

映画としては、正直、長かったです。何たって196分です。たっぷり3時間を超えています。DVDで観たので、途中で止めることもできましたが、公開時はインターミッションもなかったようで...。かなりキツかったのではないかと...。どうしてもこの長さが必要な作品だったかというとそうでもないような...。もうちょっとコンパクトにすることはできたのではないかと...。特に、義男の"演説"は、もうちょっと描き方があったような気がします。日々の生活における言動に思想信条を投影させることもできたでしょうし...。あの同じことを繰り返す話し方は認知症の表現としてはリアルだったと思うのですが、"演説"にするなら、"授業をする教師"的な描き方をした方が自然だったような...。

出演陣はさすがです。サワを演じた安藤サクラは、変に力の入らないフワフワした感じが良かったです。この柔らかな雰囲気があるから、サワが"迷惑な不法侵入者"としてイメージされずにすんでいるのでしょう。義男を演じた津川雅彦、マコトの父、佐々木健を演じた柄本明は想像の範囲内とはいえ安定した演技で物語を支えています。そんな中、茂を演じた坂田利夫が"アホ"を封印した演技で印象的でした。

ちょっと強引だけれど、それでも、人と人の関係は出会いがなければ始まらないし、人は人との関係の中でしか豊かな人生を紡ぎだすことはできないのだと思います。出会いにより、老人たちの人生に彩が添えられ、サワも成長していきます。老人たちとの出会いの中で得たものを未来に向かっていくマコトとの関係の中で生かしていくといった辺りは、未来につながる感じが良かったと思います。

ただ、料理が上手く、家事能力全般に高く、介護もしっかりできるサワが、人材不足の介護業界でそう簡単に職を失うとも思えません。所属した会社で仕事を継続するのは難しくても、他のところで仕事を見つけることもできたのではないかと...。ヘルパーとして行き過ぎな行為があったことは確かですが、犯罪ではないのだし...。茂の入所した施設、一生、面倒を見てもらうとなれば1000万円では到底無理でしょう。サワにあれだけ渡す余裕があったとも思えません。基本、あり得ないオハナシなので、そうした細部はリアリティを追及して欲しかったような...。その辺りは少々残念でした。


↓よろしければ、ポチッとお願いします。
人気ブログランキング

コングレス未来学会議

テーマ:
スタニスワフ・レムのSF小説「泰平ヨンの未来学会議」を基にした映画作品。原作は未読です。

2014年、俳優の絶頂期の容姿をスキャンし、そのデジタルデータを映画会社が好きなように使って映像を作り出すというビジネスが誕生。40歳を超え、女優としてのピークが過ぎたロビン・ライトは、子どもたちのために大金を得ようと、最後の仕事として新ビジネスの申し出を受けますが...。

本作で語られていることは、既に事実となっている部分もあるのだとか。アクション映画などで、俳優の全身写真をコンピューターで作った人型に貼り付けて動かして映像を作り上げるなんてことが、既に、行われているのだそうです。「ウォンテッド」で走る列車の上でアクションするアンジェリーナ・ジョリーとか、スパイダーマンシリーズのビルの間を飛んでいくスパイダーマンとか、この方法で撮影されていて、俳優本人はもちろん、スタントマンも使っていないとこのと。まぁ、生身の人間を使わなくて済むなら、かなり無理難題なアクション映像も作り上げることができるわけで、アクションシーンはますます派手に大掛かりになっていくのでしょう。

で、冒頭のシーンでの「フォレスト・ガンプ」でヒロインを演じ、大スターになる可能性を持ちながら、結婚、出産をして、あまり映画に出ることもなくなったのは、リアルなロビン・ライトその人の歩んだ道。子どもに障害があってという辺りはフィクション。「選ぶ男も全部だめ」と言われている彼女ですが、確かに、ショーン・ペンとの結婚は、彼のDVにより破たんしています。ロビン・ライトと契約する映画会社は"ミラマウント"で、これは、"ミラマックス"と"パラマウント"を合わせて作った名称。虚実が織り込まれ、観ているうちに、徐々に、現実と非現実の境目がなくなっていくような感覚に陥ります。

アニメーションの世界になる"20年後"。そこでは、製作者の意図により作られた映画を楽しむ世界ではなく、思う人物になりきっての疑似体験を楽しむ世界。真実の中で辛い現実を生きて死ぬか、妄想の中で快楽に生きるか...。アニメーションの世界には、既に亡くなった有名人も多数姿を見せ、若々しい絶頂期の姿で弾けています。一方、ロビン・ライトは、アニメーションの世界に入っても60代のまま。何故か、若く生まれ変わろうとはしていません。そして、その60代の姿のままで"Forever Young"を歌うのですが、そのシーンが印象的でした。そして、この"60代のままでいる理由"も泣かせます。

実写映像とアニメとで、現実と幻覚の世界が描かれています。幻覚から醒めたかと思ったら、その醒めた後の世界もまだ幻覚の中だったり。作品世界での現実には、私たちがいる世界の現実も取り入れられています。虚実が混じり、徐々に、何がロビンの作り出した幻覚なのか、ロビンの目は醒めているのかどうか、現実と非現実の境が曖昧になっていきます。モノクロがカラーになり、2Dが3Dになり...、どんどん多くの感覚に訴えるようになってきた映画はどこまでリアルに近づいていくのか...。ただ、表現の技術が向上したからと言って、映画作品としてより面白く、より印象的に、より感動的になるかというと、そうとも言い切れません。古い無声のモノクロ映画でも、現代の私たちを感動させる作品はあるのですから。

色彩鮮やかなアニメーションは、映画館の大きなスクリーンで見たい映像でもあるのですが、かなり情報量の多い映像がどんどん流れて行ってしまうので、細かいところまでしっかりと観るには、DVDでところどころ止めたり戻したりしながら観る方が楽しめる映像かもしれません。DVDが出たら、また、観たいです。

ハリウッドに対する強烈な批判に溢れる本作の製作国は、イスラエル、ドイツ、ポーランド、ルクセンブルク、フランス、ベルギーとなっていて、アメリカは入っていません。それも、当然のことだとは思うのですが、ロビン・ライトが自分の名前の役で出演し、こうした役どころをこなしていることを思えば、ハリウッドも、こうした作品にも参加する度量を持って欲しかった気もしますが...。

この技術を進歩させれば、過去の大スターについても、映像が多く残されていれば、その映像からデータを取り、"再生"させることもできるようになるのではないかと...。いつか、マリリン・モンローやオードリー・ヘップバーンの新作映画を観られる日が来るのでしょうか...。


公式サイト
http://www.thecongress-movie.jp/


↓よろしければ、ポチッとお願いします。
人気ブログランキング

愛を積むひと

テーマ:
エドワード・ムーニー・Jrの小説「石を積む人」を基にした映画作品。原作は未読です。

篤史と良子の夫婦は、東京の下町で営んでいた工場を閉鎖し、残りの人生を北海道で過ごそうと決意。かつて外国人が生活していた家を手に入れ、新しい生活をスタートさせますが、仕事一筋だった篤史は、手持無沙汰で、時間を持て余します。そんな篤史に、良子は、家を囲む石垣作りを頼みますが...。

仲睦まじい篤史と良子。懸命に夫を支える妻とその掌で気持ち踊らされる篤史という、いかにも昭和な雰囲気の夫婦でした。篤史がどうなるか、全てお見通しの良子の包容力が人間離れしています。良子が「ああ見えて気が小さい」と評する篤史ですが、家で良子が倒れそうになった時の心細そうな表情に良子が話す通りの篤史の性格が現れていて印象的でした。篤史が振り返る蒲田時代の2人の雰囲気と美瑛での2人の雰囲気が違って見えるのは、篤史自身の反省があったからか、他に知る人もいない新しい土地での生活になったからか...。

そして、2人の生活に入って来る石垣作りを手伝う青年、徹とその恋人である紗英。最初の方で徹が篤史や良子に見せる姿と、紗英に見せる表情とがあまりに違いすぎて違和感ありました。少なくとも、紗英とあんな風な関係を築ける徹なら、しかも、親方の下でそれなりに石垣作りの技能を身に付けた様子な徹なら、もう少し、篤史や良子とコミュニケーションできるはずなのではないかと...。

まぁ、原作のある作品ですから、これが原作の設定なのであれば仕方ないのですが、物語的には悪くないのですが、あまりに美しく予定調和でアッサリ流れすぎて、手応えが感じられないというか...。どこかにもう少し、スパイスが欲しい感じはしました。

とても不思議な感じがしたのは、2人の経済的基盤。蒲田の工場と土地を売ったということですが、跡地がコインパーキングになったということですから、機械類は多少お金になったとしても、工場自体の価値はなかったのでしょう。暴力団っぽい人が登場するくらいですから、借金の金額はかなりのものだったことでしょう。少なくとも社長時代は、それなりに頑固一徹だったと思われる篤史ですから、借金が嵩んでもかなりギリギリまで頑張ろうとしたはずですし...。土地を売ったお金で借金を完済し、美瑛に土地を買い、家を建て、2人が悠々自適というのは現実的でないような...。良子の医療費もそれなりに掛かっていたでしょう。石垣作りの費用もバカになりません。あれだけの石を揃える費用と、徹の労働への支払い。クビになる前は親方から徹に給料が出ていたはずで、あの様子では他の石垣に専念な様子ですから、彼の給料分は篤史たちが支払っていないと親方は赤字です。おまけに空き巣に入られてお金を盗られて、それでも、慌てることなく余裕でいられる程のお金が蒲田の土地を売っただけで得られるものなのでしょうか...。自営業ですから、年金が出ていたとしても、頼れるほどの収入ではなかったでしょうし...。

自家用車を置く場所も気になりました。冬の厳しい土地柄。かなり雪が積もることも分かっていたはず。そんなところで車を外に放置するものなのでしょうか。あれでは、車に乗るたびに雪下ろしをしなければなりません。屋根と壁のある車庫を作るのが普通なのではないかと思うのですが...。違うのでしょうか...。

かなり蒲田とは気候が違う美瑛での生活に、篤史も良子も簡単に馴染んでいるのも不思議といえば不思議。少なくとも篤史に雪国での生活の経験があったようには見えませんでした。その篤史が、一人残され、あの環境の中でどう生きていくのか、とても用意周到にあちこちに手紙を遺していた良子が、その辺りのことについて無頓着なように見受けられるのも???でした。

それでも、キャストは実力派が揃えられています。特に、篤史を演じた佐藤浩市、良子を演じた樋口可南子、熊二を演じた柄本明、ベテラン陣がさすがの演技を見せてくれています。多少、難があっても、出演陣に力があって、それなりに楽しむことができました。確かな演技で、泣かされましたし...。


公式サイト
http://ai-tsumu.jp/


↓よろしければ、ポチッとお願いします。
人気ブログランキング