プライズ ~秘密と嘘がくれたもの~ [DVD]/ラウラ・アゴレカ,パウラ・ガリネッリ・エルツォク
¥4,320
Amazon.co.jp


現在はメキシコを拠点に活動する女性監督のP・マルコヴィッチが、自らの記憶と体験をもとに作り上げた半自伝的ドラマ。

反政権的な活動をした1~3万人が殺されたといわれる1970年代、軍事独裁政権下のアルゼンチン。世間から身を隠すように、海辺のボロ屋で1組の母子がひっそりと暮らしていました。7歳の娘、セシリアは、身を隠す必要性は教えられているものの、事の重大性は十分理解できていません。ある日、作文に従兄弟が軍に殺されたことを書いてしまい、それを知った母親は、担任のところに行き、書き直させて欲しいと訴えます。ところが、書き直した作文が最優秀賞を獲得してしまい...。

身を隠さねばならない、けれど、セシリアの成長を考えれば学校には行かせたい。学校へ行くということは社会生活に参加するということ。そこから身に危険が及ぶ可能性は十分にあるわけです。

セシリアの安全を考えるが故の母の心配は、セシリアの言動を制限するものともなり、セシリアにとっては受け入れがたいものとなったりもします。そして、そのことは、セシリアの友人との関係にも影響を及ぼします。理解を超える母親の態度に理不尽さを感じつつも、母を求めるセシリアのやるせない気持ちが繊細に表現されて心に沁みました。

母の不安な心情を反映するようなどんよりとして風の吹きすさぶ荒涼とした海辺の光景が、この作品を包み込む暗さ、重さを伝えながらも、妙に美しくて印象的でした。

授賞式への出席について母に許しを請うセシリア。本来なら娘を誉め、ともに喜び合う状況であるにも拘らず、それができないばかりか、娘が許しを請わざるを得ないような状況になってしまっていることは、母にとっても大きな心の負担だったことでしょう。

子どもが子どもらしい率直さ一生懸命さで自分の能力を十分に発揮し、その成果を子どもも大人も素直に喜び合える幸せな社会を失わないようにしたいものです。

登場人物を取り巻く状況についても最低限の情報しか与えられず、どうやって生活費を得てどうやって日常的な生活を成り立たせているのかといった部分も省かれ生活臭がほとんど感じられません。子どもがうかがい知れない部分の描写を排除し、セシリアの視点に立った描写が心がけられているということなのでしょう。

セシリアを演じたラウラ・アゴレカの演技が実に自然な感じで秀逸。軍事政権下の社会の理不尽さ、その中で生きていくしかない人々の辛さを切々と伝えています。授賞式に出るかどうかで母と娘が揉める場面など、やや長さを感じるシーンもあったりはしましたが、人の心に訴える力を持つ佳作でした。


人気ブログランキング
AD

聖者たちの食卓

テーマ:
インド北西部の都市、アムリトサルにあるシク教徒にとって最も神聖とされる"黄金寺院(ハリマンディル・サーヒブ)"。そこでは、毎日、参拝者や観光客に無料で食事が提供されています。異なるカーストの者が食卓を同じにすることも、同じ鍋で調理されたものを口にすることもなかったインド社会で、宗教も人種も階級も職業も関係なく皆が公平に食事をとれる"無料食堂(ランガル)"は、500年以上もの間受け継がれています。その"無料食堂"と10万食の豆カレーを賄う"聖なるキッチン"に密着したドキュメンタリー作品。

10万食!!!想像を絶する量です。1人前200gとして、20000000g=20000kg=20tです。それだけのものを用意するために必要な道具、エネルギー、手間暇を考えるとクラクラしてきます。そんな奇跡のような営みが500年以上も受け継がれているということがどれ程尊いことか!!

1度に食事をとれる人数は5000人程度とのことですから、それが、1日に20回繰り返されることになります。

食材としては、小麦粉2300kg、豆830kg、米644kg、茶葉50kg、砂糖360kg、牛乳322l他、燃料としてはガスボンベ100本、薪5tが使われているとのこと。そして、そこに携わるボランティアが約300人。それだけの規模の物と人が実に効率よく動いています。それは、まるで、蜜蜂の社会のよう。

ジャガイモを切る、玉ねぎを切る、ニンニクの皮をむく、豆を鞘から出す、ルーを作る、煮込む、小麦をこねる、麺棒でのばす、焼く、食器の用意をする、食べる場所を用意する、食事を供する、食器を洗う、調理器具を洗う、食堂を掃除する...。膨大な作業が人の手で行われています。気の遠くなるような営みです。それが延々と繰り返されていく...。

これだけのものが無料で提供されているということは、食材を提供する人がいて、労働力を提供する人がいて、光熱費などを提供する人がいるということ。その現場で働いている人だけでなく、どれ程の人々が、その背景でこのシステムを支えているのか...。そこに参加することが、より善き来世を手に入れるための道だとしても、画面に登場する人の表情には単なる打算ではないものが浮かんでいました。

食事を用意する側の人々も、ある者は黙々と、ある者たちはお喋りなどしながら楽しそうに、ステンレスの食器はガチャガチャと大きな音を立て、掃除の旅に大量の水が流され、聖なる寺院は、喧騒に染まっています。けれど、騒々しく慌ただしい中にも、不思議と神聖さが感じられます。

単に、カレーを作って客に振舞う、それだけのことが、10万食という規模になり、毎日、繰り返される営みとなった時、そこに荘厳な空気が生まれるものなのかもしれません。食事を供する側の営みも、それを受ける側の営みも、そのものが祈りのように感じられました。

食事を用意するということ、食べるということ、人間が生き延びていくために欠かせない営みの原点を見せてくれるような作品です。一度は観ておきたい作品だと思います。

もう少し、このシステムを成り立たせている背景についても伝えて欲しかった感じもしますが、まぁ、あまり欲張らず、ポイントとなる部分だけをシンプルにまとめたということなのかもしれません。ヘンに欲張って映画作品としてツマラナイものになるよりはこの方が良かったのかもしれませんが、興味深い内容なだけに、もっといろいろと深く知りたくなりました。


公式サイト
http://www.uplink.co.jp/seijya/



人気ブログランキング
AD

永遠の0

テーマ:
永遠の0 DVD通常版/岡田准一,三浦春馬,井上真央
¥4,104
Amazon.co.jp


百田尚樹の同名小説を映画化した作品。原作は未読です。

祖母、松乃の葬儀の際、健太郎は、祖父が祖母の再婚相手で、自分とは血が繋がっていないということを知らされます。司法試験を4度、落ち続け、進路に迷いを感じていた健太郎でしたが、ジャーナリスト志望の姉とともに、生前の祖父を知る人を訪ね歩き、祖父のことについて調べることになります。ところが、誰を訪ねても、祖父が臆病者であったという話を聞かされるばかりで...。

"国のために死ぬ"ことが国民に強いられた時代。けれど、本来、国家には"国民を守る義務"があるはず。本当は、国民を守ることができなくなった時点で、国家としては終わっているということなるのだと思います。そして、軍隊にとって戦い続けるために大事な存在であるはずの兵士が粗末にされているというのも、軍隊として末期症状というべきでしょう。軍隊として戦い、勝つためには、兵士と武器を戦える状態にしておかなければなりません。ところが、第二次世界大戦における日本軍では相当数の餓死者や病死者を出しています。要するに、そもそも軍隊として体を為していなかったということ。

で、"特攻"というのは、その最たるもので、こんなことやっていたら敗けるに決まっているというレベルの"作戦"(というより、"狂気")。本作に、特攻を美化しようという明確な意図があるとは感じられなかったのですが、この無謀な"作戦"に振り回され無駄死にした個々の人間の悲劇の物語を大切にしようとし過ぎてバランスを崩してしまったのではないかと思います。

合コンで"特攻と自爆テロ"の話題が出て、健太郎がキレる場面があるのですが、あれは、いくら何でも大人げないというか、マナー違反というか...。確かに健太郎の中には様々な想いが入り混じり、友人たちの無理解に苛立つ気持ちがあったことは理解できるのですが、そこで、そんな感情のぶつけ方をされても、周囲は困惑するしかないでしょう。折角の楽しい合コンの雰囲気をあそこまで壊されたらたまったものではないでしょうし...。

それに、確かに"特攻"は自爆テロとは異質のものかもしれませんが、テロ集団ではない国家の正規軍が公式な作戦として兵士に"特攻"を命じるというのは、相当に大きく間違った行為であったことは確かなのです。世界の歴史を持ても、ほとんど異常事態と言ってよいレベルのことしょう。

特に近しい人間の死が無駄な作戦の結果であったと考えざるを得ない状況を受け入れるのは誰にとっても難しいことです。けれど、その感情のために、歴史を見誤ってはならないのだと思います。本作では、宮部久蔵という人物について描こうとしたあまりに"特攻"が個人の問題であったかのような印象を与えてしまっているのだと思います。

歴史を振り返る時、特に、負の歴史を顧みる時、そこに感情を交えてしまうと変な方向に走って行ってしまいがちなもの。特に本作は"泣かせよう"という意図が強く感じられ、少々、辟易しました。問題は、あれ程までに生き残ることの尊さを痛感していたはずの宮部が、何故、あのような選択をしたのかなのです。本当の意味で家族を国を守ろうとするならば生きなければならない。生きることから逃げて、何かを守ることなどできるものではない。生きようと最大限の努力をしてそれでも命を失ってしまうことはあるかもしれません。けれど、それは、死を覚悟しての出撃とは違うのだと思います。

あれだけの非難を浴びながらも生き続けるための努力を続けていた宮部が、何故、あの選択をしたのかをもっと丁寧に描くべきだったし、それが何故"変説"してしまったのかはもっとしっかりと描くべきでした。本当は、そこをきちんと描いてこそ、結局は時勢に飲み込まれてしまった宮部の弱さを描いてこそ、"反戦"を訴えることができる映画になるのではないでしょうか。

そう遠くない負の歴史を冷静に振り返ることの難しさがそこにあるのだと思います。けれど、同じ過ちを繰り返さないために、私たちにとって学ばなければならない歴史であることも確か。歴史から何を学び、そこからどんな未来を描くのか...。

あれだけ"臆病者"のレッテルを張られていた宮部が何故小隊長になれたのかとか、説明的なセリフや語りが多すぎるのも気になりましたが、それでも、いろいろと考えさせられる作品であったことは確かです。そうした意味からは、一度は観ておきたい作品と言えるでしょう。


人気ブログランキング
AD

トリック劇場版 ラストステージ

テーマ:
トリック劇場版 ラストステージ(本編DVD1枚組)/仲間由紀恵,阿部 寛,生瀬勝久
¥4,104
Amazon.co.jp


2000年に深夜TVドラマとしてスタートした自称天才美人マジシャンと天才物理学者を主人公とするトリックシリーズ。14年間で、連続TVドラマ3シリーズ、スペシャルTVドラマ3作品、劇場版3作品、スピンオフTVドラマ2シリーズが制作されてきた大人気シリーズのラストとなる劇場版第4弾。過去の劇場版は観ていませんが、TVドラマシリーズはところどころ観ています。

レアアースを採掘のため、海外の秘境の採掘権を獲得したものの、現地の呪術師に土地買収を拒否されて困っている企業から協力を依頼された天才物理学者、上田次郎。しかし、採掘権は獲得してあるものの、そこに住む部族が立ち退きを拒否。上田は自称天才マジシャン、山田奈緒子(仲間由紀恵)のを連れて現地に赴き、部族が信奉する呪術師のトリックを見破ろうとしますが...。

イマドキの環境問題とか、開発の問題とか、その辺りが自然な形で取り込まれ、まぁ、ありきたりな感じもしますが、ストーリーの流れに無理がなく、良くも悪くも安心して観られる作品でした。

ただ、単体の映画作品として楽しめるというよりは、あくまで、シリーズの締めくくりとして意味を持てる作品ではあると思います。

それにしても"自称天才美人マジシャン"の発見が"1年後"というのは、やはり、無理があるような気がします。確かに、場所は"秘境"ですが、それでも、定住している人がいるところ。そこに、現地の人たちとは明らかに違う民族に属する様子の変な女性が現れたら、情報が伝わっていくのに1年もかかるのは変なのではないかと...。現れるタイミングが1年後になったところが"マジック"ってことなのでしょうか...。

何度も"これが最後詐欺"を繰り返しているシリーズですが、本作も続編制作が可能なラストとなっています。さて、どうなることやら...。私としては、詐欺でもOKと思っていますが...。

特に傑作というか、特別に面白いとか印象的というレベルでもないと思いますし、"トリック"らしいトリックがなかったのは残念(もしかして、生き残ったことがトリック?)、それでも、人気シリーズのラストとしては、無難な纏まりの良い作品になっていると思います。


人気ブログランキング

狩人

テーマ:
狩人 [DVD]/ヴァンゲリス・カザン,マリー・クロノプロス,エヴァ・コタマニドゥ
¥5,940
Amazon.co.jp


"現代史三部作"の第三作となる作品。

1976年の大晦日、狩りに出た六人の男たちは、イオアニナ湖の近くでパルチザンの死体を発見します。その死体は、30年近く前の内戦時代のものにもかかわらず、まだ血が生温かいままでした。彼らは、ホテルに死体を持ち帰りますが...。

憲兵の質問に対する6人の答えの中に歴史が甦ってきます。時代が激しく変化していく時、その波の中で翻弄される人、上手く乗っていく人、飲み込まれた人、利益を得た人...。誰にとっても幸せな体制などというものがあるわけもなく、笑う者がいれば泣く者もいるのが世の常。力を得る者、力を失う者、それぞれの立場は、一瞬にして入れ替わることさえあり...。

重厚な感じがするものが多いアンゲロプロス監督作品ですが、本作は軽妙な場面が所々に散りばめられ、不思議な可笑しさが加えられています。

"狩人"である6人は、愛国者だったり、体制派だったり、ファシストだったり、いずれも、1949年の内戦に勝利した側の人々。それに対し、発見された遺体は敗北した革命軍の兵士。体制内で恩恵に浴してきた者たちにすれば、"その存在は歴史の誤り"だったワケです。そう、彼らにとっては、とっくの昔に葬り去ったはずの過去。

彼らは、最終的に、その"過去"を埋め戻します。けれど、やがて、春になり、雪が解ければ、再び、"過去"は表に現れるかもしれません。彼らが、きちんと歴史に向き合い弔うことができたのだとしたら、遺体も成仏し再びこの世に現れることはないかもしれません。けれど、臭いものに蓋をしたのだとすれば、いつかまた、発酵しガスがたまり表面に噴出するかもしれません。さて、彼らはなかったことにするために遺体を埋め戻したのか、きちんと弔ったのか...。前者のような気がしてならないのですが...。そのために、同じ過ちを繰り返すことになるような気がしてならないのですが...。

本作は、人が歴史と向き合うことの難しさを伝えているようにも思えます。同じ歴史を経験していても、その立場により、置かれた状況により、捉え方は変わってきますし、受ける影響も違ってきます。歴史を語る時、そこには、現在置かれた状況や今の立場により、違う彩が加えられるもの。そして、歴史を振り返る地点が変われば、違う景色が見えてくるもの。本作の"現在"である1977年から見た1949年と、2014年の今から見た1949年も同じものではないでしょう。

現在が過去の歴史の積み重ねの上にある以上、私たちは歴史と無関係ではいられません。それでいながら、冷静に歴史と向き合うのは簡単なことではありません。臭いものに蓋をするのか、きちんと落とし前をつけて弔うのか...。これは、今の私たちに問いかけられている問題でもあります。


人気ブログランキング

シテール島への船出

テーマ:
シテール島への船出 [DVD]/マノス・カトラキス,マリー・クロノプロス,デュオニュシス・パパヤノプロス
¥5,940
Amazon.co.jp


"歴史の沈黙四部作"の第一作。32年間、ソ連で亡命生活を送っていたパルチザン闘士スピロがギリシャに戻ってきます。彼はかつて自分が守った土地がスキー場開発業者に売却されようとしているのを知り、これを阻止しようとします。一方、映画監督であるアレクサンドロスは父の物語を映画にしようとしていました。アレクサンドロスは、スピロに父の姿を重ね...。

本作の時代は、ギリシャに史上初めての左派政権が誕生した1981年の少し後。スピロが亡命していたソ連の社会主義体制には綻びが目立つようになっていた頃。スピロがソ連に亡命したのは、恐らく1950年より少し前のこと。第二次世界大戦でのドイツの敗北により内戦が始まったギリシャでレジスタンスの主力だった社会主義勢力が敗北し、国外へ退去した頃ということになるのでしょう。社会主義革命が、腐敗した資本主義社会を善き社会に変革する手段として信じられていた時代です。

基本的に私有財産を認めない社会主義の考え方に傾倒していたはずのスピロが、故郷に戻って"自分の土地"に拘るところに人間の難しさがあるのかもしれません。何かを所有したいと思うのは、人間にとって本能的な欲望。そして、所有への欲望が労働意欲を書き立てるという面もあります。それをコントロールするのは非常に難しい。だから、結局は、階級のないはずの社会主義社会においても、"赤い貴族"を生み出してしまう...。

本作はスピロの故郷と理想の喪失の物語であり、アレクサンドロスが父を探す物語ともなっています。スピロの物語という"実"とアレクサンドロスの撮る映画という"虚"が入り混じり、現実と物語の世界の境が曖昧になっていきます。

タイトルにあるシテール島は、ギリシャ神話においては、海の泡から生まれたアフロディテが西風によって打ち寄せられた島とされています。このアフロディテと同一視されたローマ神話の愛と美の女神ヴィーナスと結び付けられ、シテール島は"愛の島"ということになっているようです。

故国も、かつては夢があると信じられたい場所も、信じていた理想も失ったスピロに残された一つのものは、故国に残していた妻、カテリーナの愛でした。けれど、スピロとカテリーナの愛はどこへ流れていくのか...。果たして、どこかへ辿り着くことができるのか...。アレクサンドロスは、"父"を見つけることができたのか...。シテール島も、アレクサンドロスが追い求める父の物語も、現実には得られないもの...なのかもしれません。

息をのむように美しいシーンが散りばめられ、実に印象的な作品です。まぁ、相変わらず長くて静かで、正直、集中しきれない部分もありまし、カテリーナがあまりにもスピロにとって"都合のいい女"なのは気になりますが、アンゲロプロス監督ならではの見事な映像を堪能できました。


人気ブログランキング
オール・イズ・ロスト ~最後の手紙~ [DVD]/ロバート・レッドフォード
¥4,104
Amazon.co.jp


インド洋をヨットで単独航海中の男は水の音で目をさまし、船室への浸水に気付きます。海上を漂流していたコンテナが当り、ヨットに横穴が開いてしまったようです。航法装置は故障し、無線もラップトップも水浸しで使い物になりません。そんな中、暴風雨に襲われ、ヨットは大きなダメージを受け、浸水はますます酷くなります。男は食糧とサバイバルキットを持って救命ボートに避難しますが、サメに襲われ、飲み水や食糧は底をつき...。

かなり厳しい状況に置かれていますが、男は、淡々と生きるための努力を続けます。泣き叫ぶこともなく、喚き散らすこともなく、実に冷静に、その時々の状況に合わせた対処をしていきます。かなり知識も経験もあるベテランのヨットマンなのでしょう。運命を呪って右往左往して体力を無駄にするよりも、ひたすら生きるための手段を講じる方を選ぶという冷静な判断を下せるのは、年の功かもしれません。その辺りは、男を演じるロバート・レッドフォードの存在そのもので、説得力が感じられます。

で、ただただロバート・レッドフォードを見るための作品です。ほとんどセリフもなく、ただ一人、ロバート・レッドフォードが動く映像が流れます。死を覚悟しながらも、航海に出る前を振り返る映像を流すこともなく、彼を待つ人を登場させることもなく、ただ、ひたすらに海上での危機だけが描かれます。延々と一人だけのほとんど言葉もない映像が続きます。それでも、それなりに観られるのは、間違いなく、ロバート・レッドフォードの俳優としての力があるからこそ...ということも確かでしょう。

ラストは素直に受け取ればハッピーエンドですが、考え方によっては"幻想"とも解釈できるような...。明確な答えを見せることなく、終わってしまうので、"正解"は分かりませんが、そんなところも含めて、潔い作品です。作中で描かれていることも、作り自体も、"余計なものを全て手放してこそ、得られるものがある"ってことでしょうか...。

これだけのヨットを買ったのでしょうし、時間的にもゆとりがありそうだし、かなり経済的なゆとりを持ちながら悠々自適な日々を送っている人なのでしょう。そして、基本的に冷静沈着でサバイバル経験が豊かだし、単独で海に出るだけ自信を持っている人なのでしょう。手紙の内容からして彼には家族がいたのでしょうけれど、そんな彼は、家族にとっては善き夫、善き父ではなかったかもしれません。結構、ワンマンで強引なところのある人だったかもしれません。もしかしたら、彼の手紙は、人生初の家族への想いを披露する文章だったのではないか、最初の感謝の言葉ではなかったのか...。

説明的な要素が徹底的に削がれているだけに、あれこれと思いを巡らせたくもなり、いろいろと想像したくもなります。そんな観る者の思考を引き出す力を持った作品でもありました。

それにしても、ヨットに乗るなら、ライブジャケットくらい身につけなきゃね...。とも思いましたが...。


人気ブログランキング

昔々、アナトリアで

テーマ:
昔々、アナトリアで [DVD]/ムハンメト・ウズンエル
¥5,184
Amazon.co.jp


2011年にカンヌ映画祭でグランプリを取っているのですが、日本では、映画祭などでの上映以外には、劇場公開はされていないようです。

ある夜、殺人容疑者を連れた警官たちが、死体の捜索を始めます。容疑者の曖昧な記憶に草原を転々と移動させられ、彼らは疲労と苛立ちを募らせていき...。

本作で描かれるのは、警察官、検察官、検死外科医、殺人容疑者、部下の警官と発掘作業員たちクルーが、死体放棄場所であるアナトリアで過ごした一夜とその翌日の検死。

時間外の勤務への手当てがどうなるのか気にしたり、プライベートについての話題が出たり、警察と軍の縄張りの問題が登場したり、"市民の安全を守る正義の味方"な警察官も、ごく普通のオヤジさんたちで、それぞれに普通の生活があり、悩みがあり...といった部分に焦点が当てられ、死体の捜索をしている現場にしては、まったりとした空気が流れます。

まぁ、どんなに正義の仕事であっても、それを生業としていれば、ごくごく普通の日常となり、特別なことではなくなる...ってことでしょう。警察官や検事なら、殺人事件も、左程、特別なこととは言えません。まぁ、平和な国の市井の人々にとっては、殺人はインパクトのある出来事かもしれませんが、一人前の警官たるもの、そんなことでオタオタしていたら、捜査になりません。時には、何年、何十年と年月をかけることになる捜査ですから、ごく普通の日常生活に支えられた安定した職業生活がなければ継続できるものではありません。

ある意味、リアルなのですが、殺人事件の捜索現場であるにしては、今一つ、緊迫感には欠けるし、スリルもサスペンスも薄まった感じになってしまっています。まぁ、一種の"謎解き"でもあるのですが、単なる殺人事件の推理というよりは、個々の登場人物、それぞれの心中にあるものを探り出していきながらそれぞれの人生を感じていく作品のような感じがします。

捜索が始まるのが、暗くなってからなので、ずっと夜の風景が続きます。けれど、闇を映し出しているというよりは、光の輝きをより強調するために光を描くキャンパスを暗い色にしたという感じがしました。本作に登場する、どこか家庭に問題を抱えているオジサンたち。まぁ、この年頃のオジサンたちなら、子どもは思春期だったり、妻とは倦怠期だったり...。何らかの問題を抱えている方が普通なのかもしれません。悩みながらも、心を痛めながらも、頑張って夜を徹して働くオジサンたち。中年の悲哀とプロとしての誇りと...。作中を虚無感が漂うのですが、それでも、彼らは、淡々と職務をこなしていきます。

そして、その仕事の中で、彼らは、彼らの人生を見せてくれています。殺人事件についても、登場人物たちのこれまでのことについても、彼らが抱える悩みについても、その詳細が明らかにされることも、何らかの解決が見られることもありません。そこはかとないヒントは散りばめられていますが、ほとんどのことが曖昧なままに物語は突然幕を閉じます。

人の一生は、せいぜい100年。殺人事件の被害者となったヤシャルも、やがて、跡形もなくこの世から消えていきます。もちろん、私たちも。悩み、苦しみ、働いく人生もいつかこの世から消え去ります。その空しさと、その中にある深い世界を見せてくれるような作品です。美しい映像に独特な空気感が漂い、印象的な作品になっています。

まぁ、司法解剖をする部屋にあの服装で入るのか?とか、血が飛んでもきちんと消毒しようとはしないのか?とか、気になるところもありました。まぁ、それでOKということなら、あれこれ言うべきところではないのですが...。日本のドラマなどで見られる解剖の様子とはかなり違っていてビックリ。

本作もそうですが、監督のヌリ・エルゲ・ジェイランは、カンヌでは本作以外でもグランプリを取っているようですし、それ以外でも、高く評価される作品を何本も撮っているようですが、日本では、なかなか劇場公開されていないようです。その背景には、私ナゾが窺いしれないような"大人の事情"があるのかもしれませんが、他の作品も観てみたいです。今からでも劇場公開してくれる映画館があるとよいのですが...。



人気ブログランキング

フランキー&アリス

テーマ:
実話をもとにした作品。

1970年代のアメリカ。黒人ストリッパーのフランキーは、ある男性と一夜を共にしようというときに態度が急変し、相手を怪我させてしまい、警察に連行されます。そこで精神科医、オズワルドの診察を受けますが、すぐに退院。けれど、フランキーは、時々、記憶が飛んでいることがあるのを自覚していました。その後、また異常な行動があり、警察に連れていかれたフランキーは、逮捕を免れるためオズワルドの診察を受けることを希望します。やがて、オズワルドは、フランキーの中に、子どもの人格と人種差別主義の白人女性の人格が存在することを知り...。

この手の物語として古典と言うべきスティーブンソンの小説「ジキル博士とハイド氏」が書かれたのが1886年。セグペンとクレックレーにより有名な三重人格の症例「イブの3つの顔」の症例報告が最初に行われたのが1955年。(1957年に本として出版され、映画化もされて大ヒット。)精神医学ジャーナリスト、フローラ・シュライバーが、精神分析医コーネリア・ウィルバーの患者の治療記録「シビル」(邦題「失われた私」)を著したのが1973年。(本はベストセラーとなり、1976年にテレビ映画化されエミー賞を受ける。この本は解離性人格障害が児童虐待と結び付けてイメージされるようになった始まりでもある。)ということで、ちょうど、多重人格の症例が多く報告されるようになったのが1970年代半ばからということになります。

つまり、本作の時代設定が1970年代ということは、解離性人格障害に関する知識は玉石混交だったかもしれないけれど、そこそこ一般の人の中にも出回っていて、少なくとも一部の専門家は解離性人格障害に関する知識は持っていたであろう頃...ということになるのだと思います。

なので、オズワルドにとって、あまり馴染のない興味を惹かれる対象ではあったけれど、全く知識のない未知の病気ではなかったということなのでしょう。彼女の中に他の人格が存在すること自体へはそれ程の驚きはなかった様子ですし、他の人格を呼び出す手段も知っていた様子だし、個々の人格と治療契約を結ぼうとする辺りも解離性人格障害の治療の基本的な手順を踏んだものだし、未知の病を前に慌てふためくといった雰囲気はありませんでした。

本作のフランキーの場合、彼女以外に、"天才"とアリスの2人の人格が存在したワケですが、1人はIQが150を超える天才で子ども。1人は人種差別主義者の白人女性で知的には平均レベル。血圧も視力も利き手も知能指数も筆跡も年齢も人種まで、人格によって異なるというのが不思議なところ。フランキーは、他の人格について知らないようですが、他の2人は、3人の関係について理解している様子。"天才"はフランキーに同情的、アリスは、フランキーを乗っ取ろうとしているといったところでしょうか。こうした症状などを見ていると、人間というものの複雑さ、幅の広さを実感させられます。

一人の人間が、過去の自分も現在の自分とつながっていて、自分が自分であるということを認識するために、記憶は大きな役割を果たしているわけで、一定の時間、その記憶が抜けるということは、その間の自分がどこかへ行ってしまっているということでもあるのでしょう。そして、基本的には、別の人格は、その人にとって思い出したくない記憶を引き受けるために現れるもの。治療は、基本的に、一人の人間としての記憶を連続したものにしていくことを目指すわけですが、他の人格の存在を認識し、それを受け入れるためには、自身の心身を護るためには別人格を作ってまで忘れたかった辛い出来事を思い出さなければなりません。その困難な作業を成し遂げるために何より必要なのは、"支えてくれる人の存在"なのかもしれません。

2人の関係が、救う者と救われる者という一方的な関係になっていない辺りも好感を持てました。フランキーがオズワルドの治療により救われたことは確かでしょうけれど、オズワルドにとっても精神科医としての好奇心や向上心を刺激してくれる症例だったことでしょうし、精神科医としてのキャリアとしても大きな意味を持つ出会いだったことでしょう。そして、フランキーとの出会いを通して変化していくオズワルドを見ていると、彼もこの治療を通して多くの物を得たことがうかがわれます。win-winな関係となっていることが、2人が良い関係を維持でき、治療の成果が上がった背景にあったのかもしれません。

フランキーの過去の傷は人によって刻まれたものだけれど、それを癒すのもまた人の存在。フランキーが傷を負った背景に人種問題と女性であるがゆえに味わわなければならなかった哀しさが絡められ、物語に深みが出ています。

何といっても、3役を演じたハル・ベリーが圧巻。その表情だけで、今、どの人格が表面に出ているのかを伝えています。人格が入れ替わる場面はもちろん素晴らしかったのですが、自分の身に何かが起きていることを予感しながらもその原因が分からずに困惑する表情が秀逸でした。そして、オズワルドを演じたステラン・スカルスガルドが適度に力の抜けた感じがする安定した演技でハル・ベリーの熱演を引き立てています。

本作のモデルについて検索してみたのですが、実在のモデルがいるということ以上の情報を探すことができませんでした。ですから、どこからどこまでが事実を描いたのか、どこからがフィクションなのか、その辺りも分かりませんでした。モデルとなった人物は、本作の試写を見て、"事実に忠実な作品"との感想を漏らしたようですが...。プライバシーの問題などもあってこの状況になっているのかもしれませんが、モデルとなった人物についても知りたくなりました。

観て良かったです。お勧め。


公式サイト
http://frankie-alice.jp/



人気ブログランキング

柘榴坂の仇討

テーマ:
浅田次郎の短編集「五郎治伝始末」の中の一編を映画化した作品。原作は未読です。

安政7年、彦根藩士、志村金吾は大老、井伊直弼に仕えていましたが、登城途中の桜田門外で井伊は暗殺されます。その後、仇討ちの密命を受けた金吾は敵を捜します。13年が経過した明治6年、時代は変わり、明治政府は仇討ちを禁止。そんな中、金吾は、最後の敵である佐橋十兵衛を捜し出し...。

大きく時代が変わり、それまで尊ばれていたものが一気に価値のないものとなり、全く新しいものに価値が見出され...。その波に巧く乗る者がいれば、飲み込まれる者もいる。

金吾を動かしたものは、直弼への忠誠なのか、かつて自分が信じたものへの郷愁なのか。金吾の心情が丁寧に描写され、理不尽な運命に見舞われ、大きな時代の流れに翻弄されながらも、自分の信じたものを護ろうとする姿が胸に沁みます。明治になった街で、侍たちが次々に名乗りを上げる場面など、時代の波にもまれ新しい生き方を模索しながらもかつての自身への誇りを蘇らせていく場面は印象的でした。

それにしても...と思われる部分もあります。屋敷を出る直弼を警護する金吾たちの刀の柄に袋をかけさせたこと。警告文が投げ入れられたにも拘らずあれはないのではないかと...。それを命じた者の責任問題について全く触れられていないところも???でした。いくら"徳川家から拝領の槍"を追いかけるためだからとはいえ、護るべき主君の元を離れるというのは、護衛役としてはどうかと...。仇討のために奔走する金吾にしても、多少は、働くとか収入を得るとかいうことを考えても良かったような...。それこそ、警察官とかになれば、効率よく敵探しができたかもしれないのだし...。まぁ、ここは、"自分を心底愛してくれる女性の献身"というオジサンのファンタジーが欲しかった...ということなのかもしれませんが...。

"仇討"にしても、本作に登場する井伊直弼を見る限り、彼が金吾に仇討を望むとは思えません。金吾にしても、直弼の言動を思い出せば、それが直弼の考え方とは反するものであることに思い至るのではないかと...。仇討を命じられた後の金吾が、一心に仇討を目指すのではなく、直弼の言動との矛盾についての悩みを見せてくれたら、もっと物語に深みが出たと思うのですが...。

2人が巡り合う過程にしても、何だかあっけなく、もっとドキドキ感を持たせて欲しかったです。金吾の探し方もどうかという感じがしましたし、最後は人頼み、それも、権力頼みっていうのも...。

歴史的事実である"桜田門外の変"を題材にしていますが、かなり史実とは違う内容(彦根藩側は直弼のほか8名が死亡、13名が負傷。生き残った重傷者は減知の上流罪、軽傷者は切腹、無傷の者は斬首とか、彦根藩邸では仇討すべきとの声も上がったが、家老、岡本半介が阻止したとか、襲撃の16名のうち、1名は襲撃中に死亡、4名は直後に自死、8名は自訴し病死や斬首、1名は後日切腹、2名は明治まで生き延びたとか)になっています。けれど、史実を出してきている以上、もっとそれらしく作って欲しかったですし、フィクションにするなら、何も"桜田門外の変"とか"井伊直弼"とか史実を持ち出さなくても良かったような...。

金吾を演じた中井貴一はまさに侍。今の時代、時代劇にはまる数少ない俳優の一人と考えて間違いないでしょう。井伊直弼を演じた中村吉右衛門もさすがに着物姿が決まっています。これからの時代劇は、数少なくなってきたきちんと侍を演じる訓練を受けている役者と歌舞伎の人々が支えるということになるのでしょうか。阿部寛もさすがの演技力を見せてくれるのですが、それでも、"武士"というのとはちょっと違うような...。車夫姿は良しとしても、武士の姿は今一つな感じが否めませんでした。侍より古代ローマ人の方が似合う日本人っていうのもスゴイですが...。

物語自体は変に無理するところがなく、シンプルで分かりやすく、悪くなかったと思います。もう少し、描き方に工夫があれば、フィクションだか史実だかどっちつかずの中途半端感がなければ、もっとずっと見応えのある面白い作品になっただろうと思われるだけに残念でした。それでも、全体として悪くはなかったと思うのですが...。


公式サイト
http://zakurozaka.com/



人気ブログランキング