大統領の執事の涙

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大統領の執事の涙 [DVD]/フォレスト・ウィテカー,オプラ・ウィンフリー,ジョン・キューザック
¥4,104
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綿花畑の奴隷の子孫として生まれたセシル・ゲインズ。彼の父は農場主の白人に殺され、母も暴行を受け精神を病んでいました。彼を憐れんだ農場主の母が、彼を屋敷内の下働きにします。成長し、農場を出たセシルは、飢えからレストランで盗みを働いてしまいますが、その盗みを見つけた黒人の給仕頭の元で見習いとして働くようになり、ホテルのボーイとなり、遂には、ホワイトハウスの執事にスカウトされます。セシルは忠実に働き続け、妻もそのことに理解を示しますが、長男のルイスは、白人に仕える父の仕事を恥じ、公民権運動に身を投じ、反政府運動を行うようになります。一方、次男のチャールズは、国のために戦う道を選び、ベトナムへ志願。キューバ危機、ケネディ暗殺、ベトナム戦争...。アメリカが大きく揺れ動いていた時代。セシルは、歴史が動く瞬間を、最前で見続けながら、忠実に働き続け...。

ホワイトハウスで約30年間執事として働き続けたユージン・アレンの実話をもとに作られた物語。小さくない部分で史実とは変えられているところもあるようで、基本、フィクションと受け止めた方が良いのかもしれません。

セシルとルイスの父と息子が物語の一つの軸となっています。白人社会の中で白人に認められることで一定の地位を築き、家族を支え、護ったセシル。白人の思惑とは別に、黒人として白人と同等の権利を得るために、時として家族や自分の命を危険にさらしてまでも社会を変えようとしたルイス。反対の動きをしているようにも見えますが、それぞれがそれぞれの"黒人としての戦い"だったのだろうと思います。けれど、元々、差別の激しい南部の綿花農場で生まれ、圧倒的な白人の支配のもとに生活することを余儀なくされ、学校に行くこともなく奴隷として働かされていたセシルと、それなりの経済的基盤を持ち、直接的には白人に支配されない日常生活を営み、きちんと学校教育を受けた息子たちでは、何を黒人としての誇りと受けとめ、白人との関係をどう築くかという点で、大きく違っていくのも当然のこと。そもそも、セシルにとっては、白人の下に置かれるということ自体は疑う余地もないほど当たり前の日常だったことでしょうし...。

息子2人の志向が180度違うのが気になりましたが、実話では、息子は1人で、ベトナム戦争に行き、帰還したのちは国務省に勤務したのだとか。で、実際にはデモには参加していないし、彼をホワイトハウスに引き抜いたのは白人ではなく、一介の執事から執事長になった黒人執事だとか...。つまり、彼がホワイトハウスで働きだしした時には、ヒラではない黒人の従業員がいたようで...。

まぁ、ルイスを創作したことで、公民権運動の歴史を分かりやすく物語に盛り込めたのは確かで、彼と父親のセシルが対比されることで、黒人たちの意識の変化が示されてもいて、そういう意味では、ルイスを作り出したことには意味があったと思うのですが、セシルをスカウトした人物は史実通りで良かったのではないかと...。

人権とか、平等というものが、人間にとっていかに実現しにくいものであるかを示してくれる作品でもあると思います。本作で示されている通り、差別の中で、公民権運動の中で、多くの血が流され、命が奪われています。人権を勝ち取るには、平等を実現させるには、命を懸けた長いが戦いが必要とされることが多く、現在のこの世界においても、未だに人権や平等を求めて闘い、命を落としている人はいるのです。生まれながらにして当然のように得られるものではなく、獲得するのは大変で、失うのは容易なものなのだということを私たちは認識しなければならないことを示している作品のようにも感じられました。

国家運営の一番の基礎となるべき存在でありながら、本来これを率先して守るべき首相や閣僚たちにまで無視されようとしている日本国憲法の第11条にも、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」と書かれていて、権利というものは守るために努力を要するものであることが示されているのですが...。

考えてみれば、白人社会の中で認められるために努力を重ねたセシルのような存在は、"黒人であっても努力をすれば一定の地位を得られる"(例え白人の何倍もの努力を強いられ、得られる地位も白人より低いものであったとしても)ことを示している存在にもなっているわけで、その社会が大きな変革を必要としない良き社会である証拠にもなるわけで、ルイスのような存在は、"だから黒人は危険である"ことを裏付ける証拠ともなったことでしょう。それぞれに、今の社会をそのままの形で存続させるための理由とされてしまう危険性があるのです。

定着してしまった差別がなかなか解消されない背景には、差別される側の分断があります。白人社会の中で認められる黒人と認められない黒人に分かれることで、差別される側の団結が弱められてしまう...。それぞれ、立場が違えど、善き方へ向かうべく為している努力が、逆方向に利用されてしまう理不尽。差別の問題の根深さには暗澹とした気持ちにさせられてしまいますが、一方で、確実に変化も起きています。ラストでのオバマ大統領の登場が、本来、その"大きな光"となるべきところなのですが、今日この頃の現実のオバマ大統領を見ると、その明るさがあまり感じられず...。(これは、本作の責任ではありませんが...。)

セシルが執事としてホワイトハウスで働き始めた時のアイゼンハワー大統領をロビン・ウィリアムスが演じています。本作が遺作となってしまったのは何とも残念です。大統領役、大統領夫人役は、他もビッグ・ネーム揃い。そして、それぞれの役柄の特徴をしっかりと出していて、各々、短い登場で存在感を出しています。そして、何より、セシルを演じたフォレスト・ウィテカー、その妻を演じたオプラ・ウィンフリー、長男のルイスを演じたデヴィッド・オイェロウォがそれぞれに好演しています。全体に、公民権運動の歴史のお勉強的な要素が強く、その分、エンターテイメント作品としての面白さは薄まってしまっている感じがしますが、中心的な3人の存在がしっかり出され、脇も実力派で固められ、演技陣の力で魅せてくれています。

これからの社会を生きる私たちにとって大切な"お勉強"のためにも、一度は観ておきたい作品だと思います。



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FORMA

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化粧品会社に勤める綾子は、中学と高校で同級生だった由香里と再会します。綾子は、工事現場で警備員のアルバイトをしていた由香里を自分が働く会社に誘い、2人は同じ会社で働くようになりますが、綾子の由香里に対する振る舞いは次第に冷淡になっていき...。

音楽がないことも影響しているのだと思いますが、隠しカメラで映し出されているリアルタイムの映像を観ているような感じもします。登場人物たちの言葉もセリフというよりもずっと日常的で、"演じている"感じが薄く、その辺りに普通にいるOLの日常がそこにあるようなナチュラルな雰囲気。登場人物たちの会話の上に、彼らよりも手前にいるその他大勢の声が重ねられたりするところも、作り物っぽさを薄めています。

その当たり前の日常の中に潜むものが徐々に浮かび上がってきます。由香里に声をかけた綾子。早く綾子に立ち去って欲しいという由香里の思いを無視するように語りかける綾子。その裏に悪意があったのか、単に"空気を読めない"お節介だったのか...。卒業後、音信不通だった由香里を自分の会社へと誘うというのは、不自然のようにも思えるし、単に綾子のお節介な性格ゆえのようにも見えるし...。父に綾子の話をあれこれするのも、意味ありげなような、単なる日常会話でもあるような...。その綾子に引っ張られていくような由香里の言動にも、どこか、不可解な感じが漂います。

映像はドキュメンタリーと見紛うほどにリアルで自然なのですが、綾子も、由香里も、少しずつ不自然さ、不可解さを帯びていきます。ストーリーの進行とともに、徐々に、綾子の中に、そして、由香里の中に隠されていたものが顔を出しています。そして、それにつれて、その背景に何があるのか、疑問が湧いていき、その謎が、観る者を映像に引き込んでいきます。

ただ、惜しむらくは、その過程の不気味さが、ちょっと物足りませんでした。"種明かし"まで、結構、引っ張られる感じもあって、原因はともかく、何があったのかは想像がついてしまいますし、明らかにさせる綾子の"動機"も、あまりに強引。何だか、本作の良い部分が、このクライマックスに明かされる"動機"により薄められてしまった感じがして残念でした。そして、由香里が、クライマックスで綾子に対していろいろと気持ちをぶつける割には、最初の段階での綾子への疑惑の向け方が足りないような...。普通だったら、もっと、綾子に対して警戒心を持っていても良かったような...。まぁ、由香里は、全体的に無防備な感じもするので、それが由香里なのかもしれませんが...。

由香里の彼氏にしても、綾子にいろいろ言われても由香里への気持ちは変わらなかったようですが、それなら、綾子に対し不審を抱くのではないかと...。綾子と会った後の由香里との食事の時、綾子の言葉を100%信じてはいないような感じなのにやけに綾子の肩を持つのは不自然な感じを受けました。

綾子も、計画的なようでいて、アナも目立ちます。まぁ、由香里の性格を読んだ上での計画ということでもあったのでしょうけれど、クライマックスの場面など、あまりに不用心。確かに、綾子にとってあまりに予想外の出来事があったにせよ、それがなくても、危険なことが起こる可能性のある状況ではあったわけで、何らかの対策を講じておく必要があったような...。

クライマックスで起こった事実を綾子の父親が知るところからラストにかけては、光石研の演技が見事。最後の最後でしっかりと作品の世界に浸ることができました。

もっと、ごく当たり前のできごとから深い恨みつらみが生まれるという設定だったら、そして、それは、綾子の側にも、由香里の側にもあった...という描き方になっていれば、もっと、人間の心の奥底の闇といったものが不気味に感じられたような気がするのですが...。

とはいえ、145分、それなりに楽しめました。ところどころ"アレッ"と感じる部分が、その先への伏線になっていて、その辺りの構成も見事でした。お勧めです。


公式サイト
http://forma-movie.com/



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楽園からの旅人

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楽園からの旅人 [DVD]/マイケル・ロンズデール,ルトガー・ハウアー,アレッサンドロ・アベル
¥5,184
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イタリアのある街で、教会堂が取り壊されようとしていました。長い年月、老司祭は神の愛を唱えてきましたが、最近では、人が集まることもなくなり...。取り壊しが始まった日の夜、アフリカから来た難民たちが教会堂にやってきて...。

教会堂に集まったアフリカ人たちの中には、出産の時期が近付いている妊婦もいましたし、この世界を良くするためには暴力しかないと主張するリーダーが率いるイスラム原理主義者のグループもいました。そして、どこから現れたのか通訳の役割を担う技師、そこに巻き込まれた娼婦とその客。そんな人々と、長年、この教会堂を護ってきた司祭や彼らのために呼ばれた医師。そして、彼らを取り締まるためにやって来た保安委員たち。

こうした様々な立場の人々が同じ空間で過ごす2夜が描かれます。全体に静かな作品で、セリフも最小限に抑えられていますが、一つ一つの言葉が重く伝わってきます。禅問答のような感じもして、決して分かりやすい会話ではないのですが、心の奥底に沁み込んでくるような印象的な言葉が重ねられていきます。

「慈善を施すのが危険なら、その時こそ、慈善を施すべき時だ。」
(司祭に信仰を捨てたのに祈ることがあるのはなぜかを問われた医師の答え)「多分、子供時代の名残りか本能かもしれない。」その答え引き継いだ司祭のセリフ「または、孤独でないと感じるために...。」
「神は他の神と競わない。人間とは違うのだ。」
「君は言うべきことを言ったのだから、すべきことを実行せよ。」
「私が司祭になったのは善を行うためだ。しかし、善を行うのに信仰は必要ない。」

旅の途中の貧しい宿で生まれた父親のはっきりしない赤子は、イエスを思わせます。保安委員たちに密告に行く者も登場しますが、彼は、ユダということになるのでしょうか。マグダラのマリアを思わせる娼婦も登場します。全部をきちんと理解できているどうかは不安だったりしますが、キリスト教的な暗喩が、ところどころに見られます。舞台が教会堂になっていること、司祭が中心的な存在となっていることもあり、宗教的な味わいが感じられる重厚な作品になっています。

信仰の対象となるキリスト像は降ろされ、取り壊しが始まった教会堂は、その最後に大きな役割を与えられ、老いて死の足音が聞こえ始め、迷いの中にいた司祭も使命を与えられます。もう何もかも失ったと絶望に取り込まれそうになった瞬間、最大の、そして、真の力を発揮する機会を与えられる教会堂と司祭。恐らく、この先、教会堂は取り壊され、司祭は人生を終え、難民たちの多くは捕えられるのでしょう。多分、そこに奇跡が起こることはないのでしょう。けれど、キリスト教が力を失っても、それでも、そこに希望を見出すことができる。「善行は信仰に勝る。」信仰の上に善行が存在するなら、宗教の枠組みを超えて善をなすことができるはず。それは、未来への希望を示すセリフでもあったのだろうと思います。

87分という短い作品ですが、そこには濃密な時間が流れています。

かつて、ヨーロッパ社会で大きな力を持っていたキリスト教の力はすっかり衰えてしまい、高き所からキリスト像が引き下ろされる事態になっても何も起こらず、キリスト像は空しく空中を開店するばかり。作業員たちにも畏れの表情は見受けられず、教会の解体に向けての作業は淡々と進められます。それでも、人の中に善を見出すことはでき、違う宗教を信仰する人たちにも善行を為せるのだと、明確な信仰を持たない人の中にも善は存在するのだと、そこに希望があるのだと訴えてきているようでもあります。

美しい映像が、困難な長い旅の果てにやつれ果てているであろう難民たちの姿さえ美しく映し出しています。警察車両に取り囲まれていることが示されるラストの映像は、彼らの先の厳しさを示しているようでもありますが、車両のヘッドライトの前に真っ直ぐ立つ男の姿は、一縷の希望を表しているようでもあります。

一度観て、立て続けに2度観てしまいました。繰り返し観たくなる作品です。今回はレンタルでの視聴でしたが、買おうかと...。



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あかぼし

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あかぼし [DVD]/朴ろ美
¥4,104
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東京郊外に暮らす母、佳子と小学5年生の息子、保。半年前に夫が姿を消して以来、心のバランスを崩していた佳子は、新興宗教"しるべの星"に入信。一方、保は宗教活動を理由に壮絶ないじめを受けるようになります。そんな中、佳子はトラブルを起こして教団から追放されます。再び精神的に不安定になった母に寄り添う保でしたが、教団で知り合った少女に家出しようと誘われ...。

心の隙間に入り込んでいく新興宗教...とはいえ、本作の"しるべの星"は、所謂カルトというのとは違っているようです。"伝道"に力を入れてはいるようですが、お金を要求するという感じはなく、信者の生活を丸ごと奪うという感じでもなく...。まぁ、他の宗教が関連するイベントなどには出ないとかはあるようですが、何だか全体に緩い感じがして、"怖いカルト"という雰囲気が感じられず、そのために、佳子が壊れていく背景が薄くなってしまった感じがします。

"天は自ら助くる者を助く"。神に救われようとしても人は救われない。"しるべの星"に、というよりは、"しるべの星"という集団の中で自分に与えられる評価に依存する佳子の心が救われる方向に向かないのは仕方のないことなのかもしれません。入り込んでしまった負のスパイラルの中でもがいてもがいて、ますます深みにはまっていく姿は実に痛々しかったです。佳子を演じた朴璐美が、佳子のどうしようもなく壊れていく哀しい姿を熱演していて、佳子のヒリヒリするような痛みが伝わってきました。

そんな佳子の異常さを感じつつも、その異常さを支えてしまう保。その保の佳子を思い遣るが故の自己犠牲的な行為が、ますます佳子の精神の崩壊を助長させてしまう酷さ。保も、そのことを分かりつつも母から離れることができません。まさに、"共依存"。

宗教の恐ろしさというよりも、佳子と保の離れられない関係の恐ろしさが前面に出ている作品です。そんな2人が救われるかもしれないチャンスが訪れます。救いの神は、"しるべの星"で知り合ったカノン。けれど、保は、折角、握りかけたカノンの手を放し、再び、佳子の元へ。もちろん、カノンと行動をともにしたところで、その先に明るい幸せが待つ保障は全くありません。けれど、佳子との共依存の中に生きるよりは可能性に満ちた道のりだったのだろうと思います。それを断ち切った彼の選択は、抜き差しならない不幸の始まりのように思えてなりません。バッドエンドにも、ハッピーエンドにも受け取れる曖昧なラストですが、観終えて作品を振り返る時、このラストの恐ろしさがジワジワと感じられます。

親が精神的に子どもに依存するということ自体はそう珍しいものではないのでしょう。自分の果たせなかった夢を子どもに託して、子どもの教育に必死になる...というのも、本作で描かれる佳子と保の関係と大きく変わらないのかもしれません。自分がなりたくてなれなかったスポーツ選手や音楽家、アイドルなどにするために熱心になる、身につけられなくて悔しい思いをした英語を学ばせる...。子どもの好き嫌いと一致すれば、それはそれで良いのかもしれませんが、子どもの希望と一致しなければ、佳子と保の関係と似たものが生じていく可能性は大きいのだと思います。

親が子どものことを考える時、自分の歩んできた道のりやその中で育まれた想いと切り離して考えることは至難の業。悪意のないところにも、親の子どもへの押し付けは生まれます。例え、所謂カルトではなく、善意の宗教であったとしても、むしろその善意ゆえに人の心を追い詰めてしまうこともあるのと同じように...。

子どもに親の心を支える責任を負わせないためには、親が一人の大人として自立しなければならない...ということなのかもしれません。そして、自分の心を絡め取られないためには、"地獄への道は善意で舗装されている"ことを肝に銘じておくべきなのかもしれません。本作で、カノンが方向転換できたのは、"悪の手段"によってなのですから...。

地味ですし、全般的にはやや一本調子な上に薄味で盛り上がりに欠ける感じはしますが、振り返っていろいろと考えさせられる味わい深い作品だったと思います。そして、主演の存在感が、その味わいを見事に引き立てています。

観ておきたい作品だと思います。



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ジョバンニの島

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ジョバンニの島 DVD/市村正親,仲間由紀恵,柳原可奈子
¥5,076
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1945年、自然豊かな色丹島。10歳の純平と7歳になる弟の寛太は父の辰夫、祖父の源三と楽しく暮らしていました。けれど、敗戦後、島を占拠したソ連軍によって、島の人々の住み家は奪われます。それでも、両国の子どもたちは心を開きあうようになり、純平は、ロシア人の少女、ターニャに淡い恋心を抱きます。けれど、島の防衛隊長である父はシベリアの収容所に送られます。兄弟は父に会いたい一心で、極寒の地、樺太を目指しますが...。

ソ連軍の侵入の後に訪れる不思議な平和。例え、敵味方という立場にあっても、同じ土地で生活をともにすれば、特に子どもたちの間には、何らかの交流が生まれていくもの。敵味方といっても、当人同士の間に個人的な恨み辛みがあったところから発した戦いではありません。国と国との問題の中で起きた戦いです。憎しみを抱きあう異民族同士の間にも個人のレベルで見れば、友情が生まれたり、恋愛感情が育まれたりするというのは、ままあること。そこに、人間の可能性があるのかもしれません。

戦争を描きながら残虐な場面はありませんし、極悪非道な人間も登場しません。戦争の悲劇を静かに美しく描いた作品になっています。戦争の非道さや酷さを描くのではなく、悲惨な状況の中にある人間の強さと美しさを描いた...ということになるのでしょうか...。画も綺麗でした。島の自然が実に美しく描かれていましたし、特に銀河鉄道の画は幻想的で印象的でした。そして、その美しさが却って兄弟の哀しさを伝えていて、胸に沁みました。

ただ、残念ながら物語には、ところどころ引っかかるものを感じました。何といっても、厳冬の原野を歩いて父に会いに行こうとする少年2人を結局、行かせてしまう大人たち。いくらなんでもあれはないでしょう。ロクに食べ物も持っていなかったようだし...。行かせるなら、せめて、きちんとした準備をさせないと...。特に、英夫伯父さんを犠牲にしてしまった(とその時点では思ったはず)ことについて何の想いもない様子で迷いもなく前を目指そうとする辺りとか、その伯父さんが生きていたことを知った時のアッサリとした対応とか...。寛太の死についてあんなに嘆くくらいなら無茶なことするなよと突っ込みたくなりますし...。

幼い時の体験から50年以上の時を経て、純平は島を訪れます。その50年の時が純平に何を与えたのか、かつての体験をどのように捉えているのか、その辺りの描写が薄かったのも気になります。

ソ連軍の侵攻は日ソ不可侵条約に違反しているし、シベリア抑留は国際法違反だし、まぁ、普通に考えてソ連はかなり"悪"なのですが、捕虜の抑留の裏に日本政府との密約があったという説もあったり、本来、捕虜たちの所属国である日本政府が支払うべきシベリアでの労働の賃金がきちんと支払われていない(2010年6月16日時点での生存者に対しては25万円から100万円という微々たる額が給付金として支払われましたが)とか、日本側も"完全な被害者"ではなかったりして、その辺りの状況をもっときちんと描いた方が物語に深みが出たと思うのですが...。

全体をオブラートに包んだ意図も分かる気はするのですが、戦争を描き、北方領土を描く以上、この辺りは、もう少し言及して欲しかったです。"お子ちゃま向け戦争映画入門編"といったところでしょうか...。それでも、私たちが知っておくべき歴史が描かれている作品だということも確かですが...。



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地中海式人生のレシピ

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地中海式人生のレシピ [DVD]/オリビア・モリーナ,パコ・レオン,アルフォンソ・バッサベ
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地中海に面したバルセロナの小さな港町。ケネディ暗殺の日に生まれたソフィアは、子どもの頃から、海岸近くで食堂を営む両親を手伝っていました。そんな中、一流のシェフになることを夢見るようになったソフィアは、"普通の仕事"に就くことを勧める母に反発していました。そんなソフィアのそばには、散髪屋の息子で堅実なトニ、孤独で奔放なプレイボーイのフランクという2人の幼馴染がいました。不動産事業で成功を収めたトニはソフィアにプロポーズし、フランクはシェフの修行に出ようとソフィアを誘います。トニと婚約しつつも、夢を諦められないソフィアは、シェフの修行のために町を出ることを決意しますが...。

おおらかというか何というか...。幸せの形は人それぞれ。一夫一婦制だけが正解だとは思いませんし、当事者たちが納得ならそれで良いわけです。とはいえ、嫉妬という感情は根深いもの。ソフィアを巡るトニとフランクの関係も、互いに割り切った部分もあるとはいえ、当然のことながら、複雑な感情も拭えきれない様子。

けれど、そんな2人の想いを超えたところで、トニもフランクも...というより、母として妻として幸せな家庭を築くことも、シェフとして成功することも、どちらの幸せも諦めないソフィアのエネルギーが物語を動かします。

相反する2つのものが目の前にある時、どちらを選ぶかで迷い悩む必要なんてないのかもしれません。複数の選択肢がある時に、考えるべきは"どちらを選ぶか"だけではなく、もう一つ、"両方を手に入れる、全てを手に入れる"という選択肢もあることを考えるべきなのでしょう。甘い、塩辛い、酸っぱい、辛い、旨い...。料理の味も一つの要素で成り立つのではなく、複数の要素が絡み合うことで深みのある味わいが出るのですから。

まぁ、あまりに開けっぴろげな感じは、少々、気になりましたが、これだけおおらかだと、不倫のドロドロや嫌らしさは吹っ飛んでしまう感じ。この辺り、ラテンのノリなのでしょうか...。なんだかんだ言って、キリスト教的道徳観に支配されるアメリカ映画とは違った幸せの描き方だと思います。まぁ、基本的に、幸せというものは、とても個別性の高いもので、"普通かどうか"では測れないものだと思いますが...。

修行に行ったフランスでソフィアがフランス語の勉強のために観ていた映画がトリュフォーの"突然炎のごとく"。本作同様、女1人と男2人の愛を描いた作品です。本作とはなかり趣を異にする悲劇的な結末にある作品ですが、時代の違いを反映している部分もあるのでしょう。どちらの時代を好むかも人それぞれなのでしょうけれど、女性の立場から考えれば、良い時代になったのではないかと...。女1人に男2人だから、少々、奇異な感じを受けてしまうのでしょうけれど、ちょっと昔なら、男1人に女2人(正妻と妾とか)はあり得たわけで...。

最後の最後にも、ソフィアの覚悟(?)というか根性(?)というか、ソフィアならではの底力を見せつけてくれる告白があったりして、全体としては、そこそこ楽しめました。ただ、料理に関係する人たちが厨房でタバコを吸うっていうのは、かなり気になりました。まぁ、これもラテン的おおらかさ...というワケでもないですよね...。

そして、もう一つ...。本作の語り手は、ソフィアの娘。この母の破天荒さが娘にどう影響したのかといった辺りをもっと見せてくれているともう少し味わいが出たような気がするのですが...。



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ローマで30年以上もの間、高校の教師をしていた作家、マルコ・ロドリのエッセー「赤と青 ローマの教室でぼくらは」を原案とした作品。原案となったエッセーは未読です。

ローマの公立高校。校長をつとめるジュリアーナは、"教師は学校内の教育だけすればいい"が持論。朝は一番に出勤し、トイレや校内を点検する熱心な校長ではありますが、生徒の家庭の問題などには立ち入るべきでないと考えていました。ベテラン教師で美術史担当のフィオリートは、教育への情熱を失い"生徒はみんな頭が空っぽ"と嘆き、他の教員とも交流を持たずに孤立していました。そんなところに、若き熱血教師、ジョヴァンニが国語の補助教員としてやってきます。彼は4年F組を受け持つことにまります。クラスには、お調子者のチャッカや、授業中でもイヤホンをはずさないシルヴァーナ、どこか挑戦的なサフィラ、ルーマニアからの移民でクラス一番の優等生アダムなど個性豊かな生徒が揃っていました。中でも素行不良の女子生徒アンジェラに、ジョヴァンニは手を焼きます。アンジェラの無関心や授業放棄は、最近父親が失業し、母親も亡くなったことが原因しているということを知ったジョヴァンニは、なんとかして彼女を支えようとしますが...。

ローマの教育事情がよく分からないので、感覚的に理解しにくい部分はあったと思います。本作で描かれている高校は、公立高校とのこと。いろいろな生徒がいて、ただでさえ難しいお年頃ということもあるのでしょうけれど、教師に従順というワケではありません。けれど、授業が大きく荒れるわけでもなさそうです。関係ない音楽を聴いている生徒はいても、歩き回ったり、周囲の邪魔になるようなお喋りをしたり、そういうのは基本的にない様子。生徒の携帯が鳴る場面もありましたが、そんなに大騒ぎになることなく収められていますし...。

日本でいえば、特に進学校ではないけれど、底辺校でもない、ほどほどのレベルの学校といったところでしょうか。

欠席が続き、久し振りに登校してきた生徒の椅子がない、ということで、椅子探しをする場面があるのですが、予備の椅子のようなものはないようで、やっと見つけたのば別の教室の欠席している生徒の椅子。その教室にいた教師の弁によると、椅子ひとつを新しく買うにも2カ月かかるのだとか...。ローマの学校事情が垣間見えたりもします。(他にも、トイレットペーパーを買う費用の節約のためか、校長が家から持ってきていたりとか...。)学校に十分な予算が充てられていないということなのでしょうか...。

ジョヴァンニとアンジェラ、ジュリアーナとエンリコ、フィオリートとエレナ、3組の教師と生徒の物語を中心に学校の様子が描かれていきます。それぞれの関係の中には、同情があったり、心配があったり、喜びがあったり、諦めがあったり、疑いがあったり...。巧く関係を築けていくケースもあれば、どうもしっくりこなかったり、イザというところで信頼を持てなかったりするケースもあります。けれど、時に疑いが生まれたり、傷つけ合ったりするのも互いの中に相手と関係しようという意思があるからこそ。それぞれ教師と生徒がハグする場面があるのですが、その温もりが、その後のそれぞれの人生のなんらかの支えになっていくのかもしれません。

そして、教師と生徒の関係は、教え導く者と教えられ従う者という一方的な関係ではなく、互いの関係の中でそれぞれが成長し合えるものだということ。フィオリートの年齢になってもなお成長することができる。ここに、人間の大きな可能性を見ることができるのだと思います。

教育とはと理想論を振りかざすこともなく、野暮なお説教をするわけでもなく、何らかの答えを示そうとすることもなく、物語は終わります。教師が情熱をもって生徒のために何かをしようとしても限界はあります。そして、その"できる範囲"はかなり狭いものかもしれません。1人の教師に対し、生徒の人数は少なくありません。学校の中では問題のない生徒でも心の中に深い闇を抱えていることがあります。高校生というのは、そんな脆く危うい時期だったりもします。

老教師、フィオリートを訪ねてくるかつての教え子、エレナ。彼女の人生に与えた影響こそ、高校教育の力なのかもしれません。その真っ只中にいる時は、その意義にも、効果にも気づかないけれど、過ぎてみて、ふとした時に振り返って、その意味を感じ取る...ということもあるわけで...。

そして、必ずしも、授業の内容自体がその後の人生に有意義なものではなかったとしても、教師が情熱をもって語りかける言葉は生徒に伝わるもの。"一つのことに熱意を持って取り組み、それを必死に伝えようとする姿"自体が、優れた教材になるのだろうと思います。

正直、コレで???という感じの終り方で、熱血教師もの学園ドラマに馴れてしまっていると肩透かし感がありますが、教師と生徒のここで終わりではない人生を感じさせてくれるラストなのだとも思えます。


公式サイト
http://www.roma-kyoshitsu.com/



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ここで、最後に三信ビルについて書いてから、随分、経っています。その後、ビルの跡地が更地になってからも、何度か近くを通ったのですが、ちょっとしたテント風のものが置かれ、カフェになっていたり、イベントが行われていたり、期間限定のお店的なものが並んでいたりで、一向に、新しい建物が建てられるという雰囲気ではありませんでした。

それなら、もう少し解体を待っても良かったのでは...などと思っていたのですが、先日、久し振りに近くを通って、そういえばと思いだし、ビル跡地を見てみたら、工事中でした。看板を確認すると、地下の解体工事だとか、三信ビルだけでなく、隣接していた日比谷三井ビルの地下も一緒に解体されているようです。

帰ってから、ネットで確認すると、昨年12月6日に都市計画決定の発表がされていたようです。「(仮称)新日比谷プロジェクト」なるものが進められているようで、2017年に地上35階、地下4階のビルを竣工予定なのだとか。

最後のテナント、New World Serviceが営業を終え、三信ビルが完全に閉鎖されたのが2007年3月30日、地上部分の解体が終ったのが同年10月末、開発計画に着手するまでの間、2年間程度、暫定的な跡地利用として、イベントスペース"日比谷パティオ"がオープンしたのが2008年12月5日、閉園が2011年6月30日、地上37階のビルを建てるという"環境影響評価書案"が提出されたのが2012年12月14日。

その後、計画通りにビルが建てられると総務省のヘリポートが使えなくなることが発覚して紆余曲折あったようですが、ついに、新しいビルの建設に向けての工事が始まったようです。

三信ビルが、ところどころに遊び心を感じさせられるお洒落なビルだっただけに、新しいビルにもその精神が受け継がれていて欲しいと思うのですが...。せめで、そのビルの一角にでも、三信ビルの模型や写真を展示する場所を作るとか、何か、その面影を偲ばせてくれるようなスペースを作ってもらえたら...。

2017年ということになると3年後です。さて、その頃、あの辺りはどうなっているのか...。



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はじまりは5つ星ホテルから

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はじまりは5つ星ホテルから [DVD]/マルゲリータ・ブイ,ステファノ・アコルシ,レスリー・マンヴィル
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職場は世界中のラグジュアリーな5つ星ホテル。ホテルの従業員に"ミステリーゲスト"と呼ばれ恐れられる"覆面調査員"。5つ星を掲げるホテルが適切なサービスを提供しているかどうかをチェックする仕事をしているイレーネは40歳の独身女性。ローマの自宅に帰るとひとり冷凍食品を温めて食べるような生活ではあるものの、自由な生活を楽しんで謳歌していました。そんな中、別れてからも親友のような存在だった元婚約者、アンドレアに若い彼女ができ、さらにその彼女が妊娠していると打ち明けられます。さらに夫と二人の子供に囲まれている専業主婦の妹ともささいなことから大ゲンカをしてしまい、自身の人生について悩み始めるイレーネでしたが...。

バリバリ働く生活をしているにしても、夫と子どもたちに囲まれて幸せでいるにしても、40歳位のオンナというのは、何かと迷い悩むものなのかもしれません。"不惑の年"とは言え、それは、今よりもずっと寿命が短かった時代のオハナシ。今の世の中、40歳の女というのは、ギリギリ出産が考えられる年齢であり、ギリギリ生活を大きく変えられるお年頃なのかもしれません。

40も半ばになってしまうと、ある意味、諦めがつくというか、選択肢もグッと限られてくるというか...。

仕事と家庭。仕事より家庭の方が、より強く人を束縛するもの。仕事はその気になれば辞められますが、妻や夫、特に親という立場はそう簡単に投げ捨てられるものではありません。経済的な基盤を与え、社会的な立場を与えて、自由も与えてくれる仕事。時に人を縛り付け、身体的にも精神的にも経済的にも疲弊させるけれど、時に無上の幸せを与えてくれる家庭。仕事があるからこそ家庭を支えることができ、家庭があるからこそ仕事に力を注げる...という面もあるわけで、仕事と家庭は必ずしも相反するものではないはずなのですが、特に女性の場合、2者択一を迫られることもありがち。

仕事か家庭かを自分の意思で選んだのなら、どちらでも受け入れるしかないのでしょうけれど、選ばなかった人生に想いを残してしまうのも人の常。今の生活に幸福を感じてはいても、過去の選択を受け入れてはいても、あり得たかもしれないもう一つの人生を完全に頭の中から払拭することも難しいものでしょう。

イレーネの惑い、悩みには共感できるものがあり、切実に胸に迫ってきました。

で、物語の特性上、豪華なホテルを巡るわけですが、それぞれのホテルの魅力をもっと見せて欲しかった気がします。5つ星ホテルなんて、そうそうお世話になることもできない私としては、せめて、映画の世界で超一流ホテルを堪能したかったです。まぁ、主人公が、ホテルの豪華さにはしゃいでいるようでは仕事にならないわけで、調査員目線の主人公がいれば、ホテルの魅力を伝えることに力を注ぐ映像満載...というワケにもいかないのかもしれませんが...。

ともあれ、庶民には敷居の高すぎる5つ星ホテル。それでも、精一杯背伸びして宿泊している庶民に対してもきちんとしたおもてなしをするのが本当に優れたホテルとのこと。ならば、一度くらい、泊まってみたくもなるもの。頑張って"5つ星ホテル貯金"などしてみようかとも思ったり...。

ちょっとした後悔を抱え、寂しさを感じたり、悩んだりしながらも、個々の幸せを噛みしめて生きていく、それが人間...ということなのかもしれません。

イレーネが安易に人生を変える結末にならなかったことには好感を持てました。



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イタリア。ローマを取り巻く環状線、GRA。全長約70kmのその道路の周辺に暮らす人々。2人暮らしの認知症の母を介護しながら、怪我や事故、急病で運び込まれる人たちを病院に搬送する救急隊員。ヤシの木にマイクを刺し、木を食い荒らす昆虫の鳴き声を聞く植物学者。テヴェレ川でウナギを釣る漁師。元貴族の豪邸を管理し、貸しスペースとして営業している男。「アレキサンドリア四重奏」で有名な、ロレンス・ダレルの小説について話す父と娘。キャンピング・カーで生活し、女装している街娼。主に6組の人々の暮らしを描くドキュメンタリー。

ナレーションも入れられず、市井の人々、それぞれの暮らしが映像で語られていきます。まぁ、この素っ気ない感じは、それだけ、映像が、個々の人々に寄り添っている感じにも繋がっている気がして、それはそれで悪くなかったのですが、違う文化圏で生きている観客にとっては、少々、ハードルが高かった気がします。一番、分かりにくかったのは、コインロッカー状の墓の中から棺を引っ張り出し、遺体を取出し、棺を別の場所に移送し、土の墓場に埋めるシーン。どんな背景があって何を目的に行っている作業なのか、全く分かりませんでした。(無縁仏をまとめて埋葬するとか、そういうことなのかとも思いましたが、お墓には古くはなさそうな花が供えられていたりもしましたし...。)

予告編の作りの問題もあるのかもしれません。消防士に関してはネタバレし過ぎだし、没落貴族については、予告編情報がないと???だったであろうレベルだし...。"大都市からこぼれ落ちた愛しい人々"という宣伝文句がありますが、登場する人々が必ずしも"こぼれ落ちている"とも"愛しい"とも思えなくて...。("愛しい"と思わせることを狙った演出でもなかったような気がするのですが...。)

予告編を観ていなければ、宣伝文句を聞いていなければ、純粋に映画を楽しめたのかもしれませんが、予告編を観たりしていたからこそ、映画館まで観に行ったという面もあるワケで...。

まぁ、世界的にもその名を知られた大都市であるローマで、羊が飼われていたり、ウナギ漁が行われていたり...というのは、面白かったです。考えてみれば、東京だって23区の内の11の区に農地があるということだし...。練馬区には牧場(小泉牧場)があり、約40頭の牛が飼われて、搾乳もされているし...。ところどころに大きな公園があって、意外に豊かな自然があって、クワガタだっているし...。ということではあるのですが...。

それでも、かつては世界の中心だったこともある長い歴史を持つローマ。現在でも、それなりに大きな都市として名が知れているその街を支えている市井の人々の姿。環状線を行きかう沢山の自動車の映像が挿まれることで、何でもないような些細な出来事の繰り返しこそが、人間の大きな集団を支え、人類の歴史を紡いでいることを示しているように思え、そこに、それなりの感慨が湧きあがったりもしました。

これまで様々な形で取り上げられてきた歴史の街、ローマ。世界中から観光客をひきつけてやまない側面とは違った表情を見ることができたという点では、確かに興味を惹かれるものがありました。

本作で観られる映像は、世界のそこそこ豊かな大都市の周辺を探せば、どこにでもある光景のようにも思えます。ここに登場する人物たちの人生は、ちょっと変わっているけれど、どこにでも居そうな感じもして、私たちが身近な人の上にその姿を重ねることができそうでもあります。

淡々と静かな描き方で、その意図も分かる気はするのですが、睡魔との戦いになってしまった部分もありますし、正直、ところどころその戦いに負けてしまいました。もう一つ何か、本作ならではの味わいとか、インパクトを感じさせる部分が欲しかった気がします。魅力的な部分も散見されるだけに残念。


公式サイト
http://www.roma-movie.com/



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