眠れる美女

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眠れる美女 [DVD]/イザベル・ユペール,トニ・セルヴィッロ,アルバ・ロルヴァケル
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17年間植物状態でいる娘の尊厳死を求める両親に対し、延命処置続行の暫定法案を強行しようとするベルルスコーニ首相。議員のウリアーノは自身の愛妻の延命装置を停止させた過去を持ち、そのことで愛娘との間に溝が生まれていました。彼は法案に賛成するか、反対表明するか決断を迫られていました。また、昏睡状態の娘ローザを抱える伝説の女優の家では、仕事も家事も放棄した放棄した元女優によって毎日執拗に祈りが捧げられています。そして薬物中毒の女ロッサは、自殺未遂を繰り返しているところを、医師のパッリドに出会い、阻止されますが...。

2008年11月、イタリアの司法機関は、17年間昏睡状態にあった女性、エルアーナ・エングラーロの延命装置を停止することを認めます。命は神に授かったものであって人間の自由にしてよいものはないという考え方から自殺を認めないカトリックの信者が多いイタリア社会は、その裁定に激しく反発。当時のベルルスコーニ率いる内閣は真っ向から対立。尊厳死を認めない法案を通そうとします。その問題に着想を得て、3つの物語が描かれた作品です。

ウリアーノの物語、ローザを巡る物語、ロッサの物語、その3つは、互いに交わることなく、関わり合うことなく、バラバラに進んでいきますが、本作が生み出される基となったエルアーナの尊厳死を巡る問題がニュースで流され、作品の軸となっています。どの物語にも人が人の生き死にの問題が出てきます。けれど、尊厳死の是非を問うというよりは、人の死を巡る様々な問題が中心になっているような印象を受けました。

どこまで、人は自分の命を思い通りにできるのかという問題も絡んでくるのかもしれません。例外が多少はあるにしても、本来、命あるものは、必死に生きようとするもの。けれど、特に人間の場合、自ら命を絶つということはままあることです。自殺を禁じている宗教や文化が少なからずあるということは、それなりの圧力を持って制しないと人々の間に蔓延しかねない行為だからなのかもしれません。けれど、一方で、医学の進歩により、"死んではいないけれど何の活動もできず、思考もできない(と考えられる)状態"が何年にもわたってしまい、そこからの回復が見込めないという状況が生まれています。どこまでの状態が生きていると言えるのか、相当に不自然な形であっても最後まで死に対して抵抗をすべきなのか...。生命が維持される道が開かれたことで、今まで人類が体験しなかった新たな問題が生じています。

そんな状況の中、宗教はどこまで役割を果たせるのか、医療はどこまで生命に関与できるのか...。そして、人は、どこまで自分の命を自分のものにできるのか、愛する者の命に対してどこまで関われるのか...。そして、そういった問題には、その問題を取り巻く社会の姿が反映されます。本作は、3つの生命にかかわる物語を描きながら、今のイタリア社会を描いているのかもしれません。

エルアーナの尊厳死を巡る問題も、元々は、愛する娘のために最大限のことをしようとした両親の想いから生まれたもの。けれど、そこに生まれるぶつかり合いが、周囲に伝播していく中で、人々の心の中に波風を立てていきます。生死の問題は、なかなか、他人事として冷静に片付けることができないものなのでしょう。

一見、無力で何もできない"眠り続ける人"の存在に、周囲は掻き乱されます。愛しているから生きていてもらいたい、奇跡的な回復を祈らずにはいられないというのも愛する者としての真実なら、無用な苦しみを味わわせたくない、不自然な生を強要したくないというのも、愛すればこその想い。双方の主張の底に愛があるからこそ、互いに譲れない激しい争いが生まれるのかもしれません。

盛り込み過ぎた感じもしますし、広げ過ぎた感じもします。全体のバランスも良いとは言えません。けれど、そのゴチャゴチャした感じや、明確な収束点を見出しにくい感じは、本作のテーマに見合ったものだったと思います。

自分だったらどうするか、どうして欲しいか、家族だったらどうするか...。簡単に答えを出せない問いが頭の中を駆け巡ります。



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推手

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推手 [DVD]/ラン・シャン,ワン・ボー・チャオ,ワン・ライ
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北京で太極拳を教えていた朱老人が、アメリカ人と結婚した息子、アレックスとともに生活するため、ニューヨークへとやって来ます。けれど、嫁のマーサとは言葉が通じず、彼女が作る料理にも馴染めません。そんなある日、朱老人がチャイナタウンで太極拳を教えた際にある女性と出会い...。

アメリカに来てもアメリカの生活を受け入れようという気持ちにはなれない朱老人。いきなり異文化からやってきた老人の理解できない言動に苛立ちを隠せないマーサ。どちらかというとマーサが敵役的な描かれ方になっていますが、マーサにしてみれば、生活の場であり、仕事の場でもある家庭に、ワケのわからない言葉を話し、何だかよく分からない字を書き、ヘンなダンス(太極拳)をする老人が侵入してきたわけで、そんな状況を受け入れられないのも当然と言えば当然。

で、この2人の対立は、間に入って苦悩するアレックスが沸点に達したところで転換期を迎えます。互いに相手に対して良い感情を持てないでいる朱老人とマーサですが、どちらにとってもアレックスは大切な息子であり、愛する夫なのです。そして、この先、互いに仲良くなりメデタシメデタシという安易な流れにならないところが見事だと思います。相容れないもの同士が平和に共存するにはどうすればよいか、本作の結論は寂しい形ではあるかもしれないけれど、最善の選択ではあるのだと思います。

人は、誰かと一緒にいても、どこかで孤独を感じてしまうもの。反発し合う相手と無理に折り合いを付けようとすれば、却って、孤独を募らせてしまうことも多いもの。その孤独を受け入れ、程よい距離を保つことが、結局は、平和に共存できる唯一の道なのでしょう。そして、その孤独を受け入れることで、新しい道が開かれることもある...かもしれないのです。

ラスト。温かな陽射しに包まれる朱老人と陳さんの柔らかな表情が印象に残りました。

全体に地味な印象の作品ではありますが、家族の難しさや老いることの寂しさ、哀しさを感じさせながらも、ほんのりと心温まる感覚を残してくれる作品になっています。




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フェイス/オフ

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フェイス/オフ 特別版 [DVD]/ジョン・トラボルタ,ニコラス・ケイジ,ジョアン・アレン
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FBI捜査官のショーン・アーチャーは、息子の敵でもある凶悪テロリスト、キャスター・トロイを逮捕します。これで決着かと思いきや、トロイがLAのどこかに最近爆弾を仕掛けていることが判明。逮捕の際の銃撃戦で負傷し、意識不明の状態にあるトロイから爆弾のありかを聞き出すことはできず、FBIは、唯一、トロイから爆弾の仕掛けられた場所を聞いているかもしれない弟から情報を得ようとします。アーチャーにトロイの顔を移植し、刑務所にいる弟の元に送り込んで、情報を聞き出そうとしますが、今度は、意識を回復させたトロイが、アーチャーの顔を移植させ逃走。2人は、互いに顔を入れ替えた状態で対決することになり...。

血液型の違う相手の顔を移植し、その表情を自由に作る...、しかも、ほんの短期間の間に...。どうにもこうにもあり得ない設定ですが、観せ方が巧いのか、不思議とできそうなことのような気になって観ることができました。

恨み骨髄の相手の顔を自分の顔とする心境たるや如何...。 鏡に映る憎き相手の顔を毎日、見続けるというのは、想像を絶するものがあります。

そして、2人とも、相手の家族との生活を経験します。凶悪なテロリストが妻を思い遣る善き夫、善き父となり、仕事を理由に家庭を顧みない多忙な刑事が子煩悩な父となり...。それぞれに悟られてはならない秘密を抱えていること、あわよくば相手の弱みや自分に必要な情報を握ろうという下心があること、などが、それぞれの行動を慎重にさせているのかもしれませんが、自分がその死に関わった男の子の墓参りに父親として行くトロイ、敵の息子に自分の息子の面影を重ねるアーチャー...。双方の家族が、彼らの変化に気付きながらも、その変化を歓迎しているという皮肉...。この辺りの描写が、本作の物語に深みを加えています。

そして、アクション。中でも、鏡を使った対決シーンは、"顔を入れ替えた"という設定を実に効果的に活かしていて印象的でした。

ラスト。妻と娘の元に帰ったアーチャーともう一人の"息子"。問題は、この少年が、アーチャーをどう受け止めているか。何といっても、彼は、アーチャーの顔をした男に母親を殺されているわけで、彼にしてみれば、アーチャーは"敵の皮をかぶった男"。アーチャーと妻、娘にとってはハッピーエンドだったこの結末。果たして、この男の子にとってもハッピーだったのか...。ここは、ちょっと微妙な感じがしました。

それぞれに悪と善の二面を演じ分けたニコラス・ケイジとジョン・トラボルタが見事。この2人の熱演だけでも観る価値ありだと思います。
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猛暑に一句(?)

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確か、以前聞いた予報では、今年の夏は冷夏のはずだったような...。
グチグチ言っても仕方のないことですが、暑いです...。

こんな時、ずっと前、中学か高校の頃、数学の授業で印象に残っている一句(?)を思い出します。

You might think but today's hot fish!

アルファベットで書いてありますが、そして、英単語が並べられていますが、すぐお分かりかとは
思いますが、英語として通用する言葉ではありません。

You:日本語的に音を取って「ゆう」→【いう(言う)】
might:ここも日本語的に音を取って【まいと】
think but:think=「思う」、but=「しかし」→「思う、しかし」→【思えど】
today's:todayが何故か所有格になり【今日の】
hot fish:hot=「暑い」、fish=「さかな」→「暑い」+「さかな」で【暑さかな】

上の【 】の中を繋げると

言うまいと思えど今日の暑さかな!

で、それで、暑さが凌ぎやすくなるとか、爽やかさが感じられるとか、そういうわけではないので
すが...。ただ、それだけのことです...。

昔は、こんなに暑くなかったはずなのですが...。(30度超えると凄い暑い日のように思ってい
た記憶があるのですが...。)一体、どうなってしまっているのでしょう...。(「昔はエアコンな
どに頼らずに夏を乗り切っていた」などと、今どきの人間は軟弱だというニュアンスたっぷりに仰
る高齢の方々を目にすると、昔とは暑さが違う!!!!!ってイラッとしたりして...。)

ペコロスの母に会いに行く

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ペコロスの母に会いに行く 通常版 [DVD]/岩松 了,赤木春恵,原田貴和子
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岡野雄一が自身の経験をもとに描いた同名漫画を映画化した作品。原作は未読です。

長崎で生まれ育った団塊世代のサラリーマン、ゆういちは、ちいさな玉ねぎ"ペコロス"のようなハゲ頭を光らせながら、漫画を描いたり、音楽活動をしています。男やもめのゆういちは、夫の死を契機に認知症の症状がみられるようになっている母、みつえの面倒を見ていました。けれど、認知症が進行し、迷子になったり、汚れたままの下着をタンスにしまったりするようになり、断腸の思いで介護施設に預けることになります。苦労した少女時代や、幼なじみとの辛い別れ、神経症だった亡夫との生活といった過去へと意識がさかのぼることの増えたみつえ。ゆういちは、その姿を見守る日々を過ごし...。

深刻な社会問題となってきている老人介護の問題。人間、年齢を重ねれば、どこか、不調をきたすもの。かなり個人差が大きいので、全く年齢を感じさせない人がいる一方、様々な場面に他人の助けが必要な状態になる人もいるわけで...。みつえも、かなり危ないレベルに到達します。で、ゆういちも、どこか罪悪感を引き摺りながらも、みつえを施設に入所させることにします。

なかなか重い話ですが、全体に明るく軽く描かれ、むしろ、笑わせてくれます。みつえのオレオレ詐欺への対応を見ても、老いは、必ずしもハンディとなるだけでなく、時には、危機を切り抜けるための武器にもなることを示してくれます。この調子では、話が進んで振込を約束したところで、銀行に辿り着くまでに何もなかったことになるのではないかと...。

ゆういちの何ごとに対しても泰然自若としたどこか鈍いような、どこか器の大きいような柔らかな雰囲気も影響しているのでしょうけれど、深刻になり過ぎず、暗くなり過ぎず、悲観的になり過ぎず、介護の問題、認知症の問題がユーモラスに描かれていて、肩肘張らず、しみじみと味わうことができました。
母の若かりし時代を辿りながら、絆を深めていくゆういちとみつえ。同じ記憶を共有することは、人に人との繋がりを認識させるものなのでしょう。特に親の帰し方は、自分のルーツにも重なるもの。生活の場を別つことになったゆういちとみつえですが、2人の間に流れる穏やかな時間が、ゆういちの選択が正解だったことを示しているようでもあります。

全体に描写が楽観的すぎる感じがしなくもないですが、そして、"特別協賛"の某生命保険会社の宣伝が悪目立ちしている部分が残念だったりもしますが、温かな愛に包まれた心地の良い作品で、気持ちよく観終えることができました。

なかなかお勧めです。原作も読んでみたくなりました。

ファザー、サン

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ファザー、サン [DVD]/アンドレイ・シチェチーニン,アレクセイ・ネイムィシェフ,アレクサンドル・ラズバシュ
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父と息子が古びたアパートの屋根裏部屋で暮らしています。父は軍人でしたが、トラブルに巻き込まれたために現役を退いて予備役となっています。息子は、幼い頃に母を亡くし、父に男手ひとつで育てられました。亡き妻の面影が重なる息子を心の底から愛し、手放したくない父と、愛する父のいない暮らしなど想像することもできない息子。けれど、息子は20歳を迎え、軍人養成学校を卒業して社会へ出て行く時が迫り...。

冒頭、何かを恐れて父に縋り付く息子と、その息子を慰める父なのですが、どちらも、かなり筋肉質で、鍛え上げられた感じの身体つきなため、親子の愛情とか、同性愛というより、格闘技的な印象さえ受けました。息子に妻の姿を見る父と父への憧れを抱く息子。2人の間にあるのは、夫婦の愛と1人の女性を巡る闘いだったのかもしれません。互いの視線は、真正面からお互いを捉えあうというよりは、微妙にずれた方向に向けられながら絡み合っていく感じです。互いに視線の先に見ているのは、息子そのものではなく、父そのものではなく、息子の姿をした妻であり、親というより母の愛する男の姿なのかもしれません。

父と息子との関係は、父が息子を庇護しようとしているように見えて、実は、息子がリードしているようにも思えます。息子に会う前の幸せそうな笑顔。息子の父に対するつれない態度とそれに対する父の拗ねた素振り。自分に対する父の気持ちを知りながらそれを弄ぶような息子の言動。それは、親の元を旅立つ時を迎えようとしていることの証なのかも知れません。

息子の恋人の美しさ、軍人養成学校に息子を尋ねた父を見る視線に絡む微妙な嫉妬と哀しさ。軍人養成学校での硝子を間に挟んだ微妙な距離感での会話、ベランダ越しの会話...。父との間にはない微妙な距離の描き方が見事です。

物語が流れていく方向は明確なのですが、けれど、分かりやすいストーリーがあるわけではありません。一つのまとまった作品として印象を残すというよりは、ところどころに心に引っかかる場面や映像がありました。登場人物の誰をも否定することなく温かく見つめる視線が心地よく、穏やで柔らかい黄色っぽい光に包み込まれる街の美しさが眼に残りました。

静かだけれど力強さが感じられる味わい深い作品でした。じっくりと噛みしめながら観たい作品です。"ながら鑑賞"では勿体ない感じがしますし、映像が実に美しい作品なので、できれば、家庭でのDVD鑑賞より、映画館で観たいものですが...。
キック・アス ジャスティス・フォーエバー [DVD]/アーロン・テイラー=ジョンソン,クロエ・グレース・モレッツ,クリストファー・ミンツ=プラッセ
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オタクな少年がヒーローに憧れ、コスプレで正義の味方になろうとするストーリーを描いた2010年の映画"キック・アス"の続編として作られた作品。前作もここに感想をアップしています。

前作から3年後、キック・アスことデイヴは高校生に、ヒットガールことミンディは亡き父の親友マーカスに引き取られていました。デイヴは普通の高校生活に飽き足らず、再びヒーローとして活動しようと、ミンディに指導を受けます。けれど、実地訓練の場で危険な目に遭ったデイヴはミンディとケンカしてしまいます。そして、SNSを通じて知り合ったスターズ・アンド・ストライプス大佐が率いる自警団組織"ジャスティス・フォーエバー"の一員となり、彼らとともに売春組織を壊滅させるなど街で活躍します。一方、キック・アスに父を殺されたと逆恨みするレッド・ミストは、母を事故死させてしまったのをきっかけにマザー・ファッカーの名で新たな悪の組織を作り、凶悪なマザー・ロシアを初めとする悪人を集め、強盗や警官殺害など悪事を重ねます。ミンディはマーカスに禁止されていたヒーロー活動をしていることがばれてしまい、普通の女子高生として生活するよう言い含められ、ヒットガールとしての自分を封印します。そしてマーカスに紹介された学園の"女王蜂"、ブルックのグループに入り、アイドルグループにときめく普通の女子としての生活に適応しようとしますが...。

前作の後日談ということになるのですが、前作が思いの外ヒットしたからなのでしょう、全体に、仕掛けが大掛かりになって、お金がかかっている感じがします。そして、アクションも派手になっているのですが、そのために、前作程のグロさがないにもかかわらず、前作以上よりもバイオレンスな印象を受けてしまいました

そして、登場人物が多すぎてゴチャゴチャして、その分、人物描写が平板になっているし、スピード感も薄れた感じがします。ミンディの葛藤も、あまりに簡単に方向性を転換してしまっていて、底が浅い感じで、今一つ深刻さが伝わってきません。

ミンディを演じたクロエ・グレース・モレッツの成長の問題もあるのでしょう。前作では、まだまだ子どもな彼女が"正義の味方"として大活躍するという意外性の面白さがあったのですが、本作ではすっかり大人になって、その分、前作の一番の魅力だった部分が損なわれてしまった感じがします。成長期にある俳優が主人公を演じた作品の続編にありがちな難しさだと思いますが、本作も、そこに無理があったのではないかと...。

デイヴがしっかりと逞しく成長していき、その点では、それなりの爽快感もあるのですが、前作でのオタッキーな雰囲気が薄れてしまった分(というより、すっかり"リア充"になってしまった分)、作品としての面白さは減ってしまっています。前作のようなコミカルな雰囲気や非現実的な空気感を大切にしてほしかった感じがします。

やはり、続編って難しい...ってことを証明してしまった作品...ということになるのでしょう。

ソウルガールズ

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ソウルガールズ [DVD]/デボラ・メイルマン,ジェシカ・マーボイ,ミランダ・タプセル
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オーストラリアの先住民族、アボリジニの女性ボーカルグループ、"サファイアズ"をモデルに、実話に基づいて作られた映画。

1968年、オーストラリア。アボリジニの居住区に暮らすゲイル、シンシア、ジュリーの三姉妹と従姉妹のケイは幼い頃から歌が好きで、カントリー音楽を歌いながらスター歌手になることを夢見ていました。けれど、コンテストに出場しても、人種差別のため、実力を過小評価され、落選させられてばかり。そんな状況から抜け出したいと思っていた矢先、自称ミュージシャンでソウル好きのデイヴと出会い...。

オーストラリアが最初に、西欧に"発見"されたのは1606年、オランダ人によってでしたが、赤道付近の熱帯の北部地域に上陸し、その周辺しか探索しなかったため植民地には適さないと判断し、オランダ人は入植しませんでした。その後、1770年にスコットランド人のジェームズ・クックがシドニーのボタニー湾に上陸して領有を宣言し、本格的な入植が始まります。その過程で、先住民は動物のように狩りの対象とまでされ、駆逐されていきます。その迫害のすさまじさは、先住民の人口が10分の1にまで減少したといわれる程。1967年にやっと市民権を得たのですが、人種差別が法的に禁止されるのが1975年ですから、"サファイアズ"が世に出た頃は、人種差別が違法ともされていなかった時代...ということになります。

で、彼女たちはベトナムに兵士の慰問に行くわけですが、当時、ベトナムには、オーストラリアからも5万人弱の兵士が派遣されていました。このベトナム戦争への積極的な参加の背景には、白豪主義を捨て"多文化主義"への移行という政治的意図があったようで、ベトナム戦争終結後には、多数のベトナム難民の受け入れも行っています。

というわけで、コアラがのんびりとユーカリを食べ、人口を遥かに上回る羊たちが暮らし、美しいサンゴ礁の島に囲まれた平和なイメージがあるオーストラリアの歴史には、思いの外、多くの血が流されているわけで、彼女たちは、そんな中で、闘わざるを得なかったのでしょう。

アメリカで人種差別と闘い、その戦いの中で命を奪われたキング牧師の映像も挿まれますが、その命を懸けた闘いが、アメリカだけでなく、オーストラリアに住む彼女たちの闘いに繋がっていることが伝わってきて、キング牧師の演説がますます重みを伴って胸に沁みてきました。

そして、何といっても、見事な歌声。しっかりと聴かせてくれます。

4人にソウルを歌わせ、スターに仕立て上げるのは、デイヴですが、4人が、決して、デイヴの言いなりというわけではない辺り、好感が持てました。ぶつかり合いながら、互いに欲しいものを手に入れていく、その辺りのwin-winな感じが良かったです。デイヴが、白人の中では最下層に置かれがちなアイルランド系というところもミソだったかもしれません。作中でも、自分について"肌は白いが血は黒い"というセリフがありますし...。

社会問題を扱いながら、名曲を聴かせ、ロマンスや成長物語も盛り込むという盛沢山な内容ですが、個々の要素がバランスよく組み込まれ纏まった作品になっています。

ベタな印象も受けてしまう作品ですが、それでも、聴き応え、見応えある作品でした。純粋に歌の力、魅力を楽しむことができました。
2年前に公開されたアルツハイマーと診断された関口監督と母、ひろこさんとの2年間を描いた"毎日がアルツハイマー"の続編。前作も公開時に映画館で観ました。

母、ひろこさんの認知症の症状は進行していますが、一方で、閉じこもり生活が、少しずつ変化してきます。デイ・サービスに通えるようになり、嫌がっていた洗髪もするようになり、娘である関口監督と外出もできるようになり...。そんな中、関口監督は、"パーソン・センタード・ケア(P.C.C.=認知症の本人を尊重するケア)"という考え方に出会い、認知症介護最先端のイギリスへ向かい...。

介護する側が状況への適応力を高めてきているということもあるのでしょう。アルツハイマーという問題に直面したばかりの驚きや戸惑いが薄れ、自然な日常がそこにあることが、前作に比べてより強く感じられました。

特に、イギリスの介護施設で、看護師と会話を交わす場面。認知症の母がいて、その母を介護施設に入所させているというその看護師は、専門職であるだけに、"母を自分だけでは介護できない現実を認め、施設に入所されること"への抵抗は大きかったと語ります。

介護というのは、専門的な知識を必要とする仕事。それが、多くの場合、素人である家族が担うことが基本とされてしまえば、追い詰められる家族が増えるのも尤もなこと。そして、家族の疲弊が、介護される側への虐待という形になってしまうのも分かる気がします。もちろん、いくら追い詰められたからと言って、自分よりさらに弱い立場にある者を虐待して良いことにはなりません。けれど、それを抑え続けられる程、強い人間ばかりではないというのも事実。本作でも、家族や介護職による虐待の問題にも触れられていて、印象に残りました。

家族の介護には、基本的に専門知識や経験を持たない者による介護となる問題以外にも、そこに至るまでに積み上げてきた様々な感情のもつれや諍いが表面化することがあるのだと思います。子として血の繋がる親が置いて行く姿を見るのは辛いし、その状態を冷静に受け止めて適切な対処をすることは難しいものです。そこに、長い月日の中で醸成されてきたものが絡んでくれば、虐待の問題がなくならないでしょう。

前作同様、ユーモアを交えた温かな視線に救われる思いがする作品でした。ユーモアとか、笑いというものの効能を目の当たりにできる作品ともなっています。笑いは人の心にゆとりを与え、人生と闘う力を与えるのだと思います。

さらに、経済的な問題にも触れられています。監督自身について、"貧乏監督"と表現されていますが、映像に示された請求書。結構な費用が掛かっていることは伝わってきます。それが、関口監督が得ている収入でどの程度の負担になるかは分かりませんが、それでも、結構、厳しい状況であることは想像できます。あまりに経済状況が逼迫すれば、介護する側はさらに追い詰められ、虐待の可能性を高めてしまうことでしょう。働き盛りの男性が介護のために退職するケースも目立ってきているとも聞いたことがあります。介護費用の問題はもちろんですが、介護が終ったのちの生活の問題を考えると、かなり深刻な問題と言わざるを得ません。

51分というかなり短めの作品問うこともあり、様々な問題が提示されながらも、一つ一つに深く切り込むことはされていませんが、介護にまつわる現状と問題をバランスよく描いて、いろいろと考えさせられる作品となっています。

堅苦しく真面目に難しい局面と闘うのではなく、適度な笑いとユーモアで飄々と乗り切っていく感覚が清々しかったです。この先の"大介護時代"への心構えを作るためにも、一度は観ておきたい作品です。お勧め。


公式サイト
http://www.maiaru2.com/

マダム・イン・ニューヨーク

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ビジネスマンの夫サティシュ、進学校に通う成績優秀な娘サプナ、息子ザガルのため、日々家事をこなす専業主婦シャシは、家族の中で1人だけ英語ができないことが悩みでした。サプナには英語ができないことを馬鹿にされ、サティシュも、料理の腕以外には彼女の能力を認めてくれず、シャシの自尊心は傷つけられてきました。ニューヨークにいる姪ミーラの結婚式の手伝いを頼まれて、単身渡米し、姉マヌともう一人の姪ラーダが暮らす家に滞在しますが、マヌとラーダが仕事や学校で家を留守にする間は1人で外出しても、英語が話せないため辛い思いをすることもありました。そんな時、"4週間で英語が話せる"という英会話学校の広告が出ているのを知り、身内には黙って学校に通い始めますが...。

シャシと夫の関係、息子や娘との関係、英会話学校の様子...、いろいろな場面が、いかにもな"あるある"で、共感しながら観ることができました。全体に、あまり感情に走ることなく、ユーモラスに描かれていることもあり、身につまされる感じが強くなり過ぎず、純粋に楽しむことができました。

けれど、一方で、インドが英語を公用語としていることの意味を考えると複雑な思いもします。英語が公用語となる理由の一つは、かつてイギリスの植民地だったことがあり、様々な言語を持つ民族が暮らすインドで独自の共通言語を持てなかったことがあります。"英語もできるインド人が多い"のは良いことだとしても、"民族固有の言語"を苦手とする人が増えるのはどうなのか...。民族の言語を手放すということは、その民族が背負ってきた歴史や文化を手放すことに繋がります。日本語を使い続けている私たちですら、万葉仮名で書かれた昔の文章を読むには専門知識を必要としますし、もっと現代に近い江戸時代、それどころか、昭和初期の文章でさえ、読みやすいものとは言えません。それが、人々が日常的に使う言葉が、単なる時代の流れでの変化という以上に、全く違う言語に置き換えられてしまったとしたら、過去の文章と巧く付き合えるのかどうか...。

いろいろな背景があって、今の世の中、"英語帝国主義"が罷り通っていますが、本作は、英語ネイティブの人間がほとんど登場しない物語でもありますし、その辺りへの視点があっても良かったのではないかと思います。登場人物たちが、敢えて共通語である英語ではなく、個々の母国語を使って会話をする場面が何度か登場します。互いに相手の言葉を理解できないはずなのに、何となく互いの気持ちを分かりあえている。そして、互いに、英語を使う時より自分の気持ちをスムーズに表現できている。この辺りの部分にもう少し重きを置いても良かったのではないかと...。そんな感じもしました。

ニューヨークへ来てからのシャシが、英語を話せないことにコンプレックスを感じる...というのは、仕方ないかもしれませんが、インド人としてインドで生活をしながら、英語を話せないことに引け目を感じなければならないっていう状況には、違和感があります。まぁ、これは、私があまりに日本人で、日本ローカルな生活に埋没しているゆえかもしれませんが...。西洋文明を受け入れた時期、必死になって西洋の概念を表現するための言葉を作り出し、日本語で西洋の知識を学べるようになった日本と違い母国語で西洋の学問ができない国も多いワケで、そうした国々では、英語ができない=高度な学問を理解できないということになってしまう...という状況を考えれば、エリート層にいて英語ができないというのは、結構なハンディなのかもしれませんが...。

そして、インドでは、結構、素敵な家に住み、それなりに"エリートの夫を持つ奥様"な雰囲気のシャシですが、それならば、メイドの1人や2人は雇っているのが普通なのではないかとか...。私のイメージが現実と合っていないのでしょうか...。IT関係で低いカーストから成り上がった一家...という設定なのでしょうか...。

それはともかく、映画としては面白かったです。ところどころ挟み込まれるユーモラスな場面も素直に笑えましたし、シャシの家族に認められない辛さがしっかりと伝わってきましたし、シャシの成長も清々しかったですし、シャシの家族の変化も良かったですし、何より、クライマックスのシャシのスピーチが見事で泣けました。言葉が説得力を持てるかどうかは、その言語を操るテクニックの問題なのではなく、その言葉に込められた想い、その人の人間性の問題なのだということを実感させられます。

舞台をニューヨークに移しても、インド映画お約束の歌と踊りは忘れられていませんでした。コテコテのインド映画に比べれば、かなり控えめで、唐突さもなく、自然な流れの中で登場してはいますが、やはり、歌って踊っての場面があって、インド映画を観たという実感が湧きます。

共感できて、笑えて、泣けて...。いろいろと楽しめる作品です。お勧め。


公式サイト
http://madame.ayapro.ne.jp/