どら平太

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どら平太 [DVD]/役所広司,浅野ゆう子,片岡鶴太郎
¥3,024
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原作は山本周五郎の「町奉行日記」。1959年に勝新太郎主演で「町奉行日記 鉄火牡丹」として映画化もされています。原作は未読、映画も未見です。

或る小藩。書役たちが未だ出仕しない新任の町奉行について噂話をしていました。新任は江戸から来る望月小平太。ふるまいは放埒を極め、"どら平太"というあだ名がついているとか。この藩の壕外(ほりそと)と呼ばれる一画では、密貿易、売春、賭博、殺傷が横行。三人の親分が権力を握り、藩の城代家老たちとも長年結託して、不当な利益を得ていました。どら平太に与えられた任務は、このすべての腐敗を正すことでした。すでに濠外に潜入していたどら平太は独自で調べを進めていました。どら平太は、"飲む・打つ・買う"で、次第に敵の懐に入り込み」...。

まぁ、面白いと言えば面白いのですが...。何だか、こじんまりとまとまり過ぎた感じがしました。そして、新任の町奉行が"どら平太"と綽名を付けられ...という"遠山の金さん"とか"暴れん坊将軍"といった流れの物語にしては、映像の雰囲気があまりに本格時代劇的で、違和感ありました。もっと、コミカルな路線ではっちゃけても良かったような...。そうすれば、もっと本作の面白さを味わえたのではないかと...。

で、小平太があまりに無敵なので、ドキドキハラハラはなし...というのは、寂しかったような...。尾行されても、斬りつけられても、呼び出されても、全然、危ない感じがしない完全無欠振りは、興醒めレベル。

さらに、敵役の大親分が、意外に男気のある良い奴で、小平太と"兄弟分"になってしまう親分たちも、どこか人の好い感じがあって、おまけに、敵方と内通する仙波がどっちつかず。この敵方のキャラクターが曖昧になってしまっている辺りが、本作の最大の欠点だろうと思います。

このストーリーだと雰囲気は痛快娯楽大活劇。もっとコミカルに、映像の雰囲気を明るく軽く、その路線をまっしぐらに目指して欲しかったです。小平太を演じた役所広司は、そんな雰囲気を出していただけに、勿体ない感じがしました。
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真夜中のカーボーイ

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真夜中のカーボーイ [DVD]/ダスティン・ホフマン,ジョン・ボイト
¥1,533
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大都会ニューヨークで金持ちの女性の相手をして、大金を稼ごうとテキサスからやって来たジョー。けれど、現実は厳しく、夢は遠のいていくばかり。そんな中、彼はラッツォと呼ばれる小男と出会います。肺を病み、片足が不自由なリコの夢は太陽が輝くマイアミに行くこと。やがて奇妙な友情で結ばれた2人は、大都会の底辺から必死で這い上がろうとしますが...。

タイトルの"カーボーイ"には違和感あります。作中のセリフの字幕の表記は"カウボーイ"なのに...。"カーボーイ"では、cowでなく、carのような...。全然、違ったイメージになってしまうのですが...。まぁ、定着してしまった表記をいまさら変えるワケにもいかないのかもしれませんけれど...。

それはさておき...。

ジョーがニューヨークへやってきたのは、一旗揚げたいということもあったのでしょうけれど、回想シーンで描かれる辛い体験をした場所から離れたいという気持ちもあったのかもしれません。けれど、居場所を移しても、自分の中に居ついてしまった記憶を引き離すことは難しいもの。思い描いていたものとはかけ離れた夢の大都会での日々は、ジョーの心を癒してはくれません。

いや、そもそも「都会の女が自分を買ってくれる」という発想はどうなのかと...。当時のアメリカ(テキサス?)的には無理のない発想だったのでしょうか...。オジサンたちが、大枚はたいて若い女子を買うのだから、オバサンも男を買うに違いないってことなのでしょうか...。この辺りの感覚はちょっとよく分かりませんでした。

大都会の片隅で、寄り添うジョーとリコ。ビッグアップルを味わい損ねた者同士の結び付きの深さが感じられます。憧れの大都会に裏切られたジョーと夢のフロリダにあと一歩、辿り着けなかったリコ。"ここではないどこか"を追い求めたところも似た者同士。けれど、"ここではないどこか"は、逃げ水のように近づいた分だけ遠ざかってしまうもの。人は、結局、"今ここで"生きていくことしかできないものなのでしょう。憧れの場所も辿り着いてしまえば、"ここ"になってしまうのですから...。

リコは、フロリダ行きのバスが目的地に到着する寸前、息を引き取ります。結局、夢見た場所に辿り着けなかったリコですが、それは、幸せな最期だったのかもしれません。太陽が燦々と輝く"夢のカリフォルニア"にも、厳しい現実があるわけで、2人も、カリフォルニアでの生活を始めれば、そこで生きていくことの大変さを実感することになるのでしょう。リコは、夢が醒める時の苦しみを味わわずに済んだのです。

ジョーは、この先、どうするのか。リコのために、折角、掴みかけた収入源を放棄したジョー。それは、リコとの友情という夢への賭けだったのかもしれません。そして、それは裏切られないままに終わります。だとすれば、リコとの出会いと別れは、ジョーに深い幸せをもたらしたことになります。

仕事を探すといったジョー。ニューヨークで皿洗いの求人の貼り紙を見た時のジョーの表情。今度は、あの時入れなかった調理場に入ることができるのか...。ニューヨークでガラス越しに調理場を眺めるジョーの表情が印象的です。その時、仕事を探すというジョーの言葉が、かつて彼が忌避したものを受け入れる決意の現れなのだとしたら、そこに希望があるわけですが...。

リコを演じたダスティン・ホフマンは、落ちぶれたカッコ悪い役をカッコよく演じきっていて印象的ですし、ジョー役のジョン・ボイドもしょうもないおのぼりさんを見事に表現していました。2人の名演に支えられた作品です。いろいろな意味で古さが感じられる部分はありますが、ダスティン・ホフマンのこの演技を観られるというだけでも一見の価値ありだと思います。
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ぼくたちの家族

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早見和真が、脳腫瘍で余命5年を宣告された実母の闘病生活を基に描いた小説を映画化した作品。原作は未読です。

郊外の一戸建てに住む父、克明と母、玲子。そして、結婚し別世帯になっている長男の浩介、下宿をして大学に通っている次男の俊平の4人家族。浩介の妻、みゆきの妊娠が分かり、孫ができると喜ぶ克明と玲子でしたが、玲子の重度の物忘れと異様な言動が目立つようになります。心配した克明は、浩介とともに玲子を病院に連れて行きます。検査を受けたところ、担当の医師に脳に腫瘍があること、余命が1週間程度であることを告げられます。やがて、克明と玲子が抱える莫大な借金も発覚し...。

克明は大黒柱としてはあまりに頼りなく、浩介は元ひきこもり、俊平はモラトリアムまっしぐらのスネカジリ大学生。それでも、この家族が壊れず、比較的、スムーズに建て直されていったのは何故か...。鎹となっていたのは、夫にいろいろと不満はあっても、夫が大好きで、2人の息子が大好きな玲子の存在でした。そして、その玲子の愛が、イザという時に頼れる息子2人を育てたのでしょう。

あまりに青臭い感じもしますが、けれど、やはり、危機を救うのは愛...なのでしょう。その基盤に愛がある限り、危機に見舞われても、そこから這い上がる力を持てるのだと思います。そして、その愛情をもって育てられた浩介とその妻の間にも確かな愛がありました。きちんと愛情をもって、愛する人との間に生まれてきた子どもを育てるということの意義が感じられます。

玲子の病が"腫瘍"ではなく"悪性リンパ腫"だったとしても、玲子が重い病気であることは変わりないし、残された時間が少し長くなるとしても、天寿を全うできる可能性はかなり低いことでしょう。浩介のこれからにしても、外資系への転職にはリスクもあります。成果を出せば大幅に収入を増やせるけれど、結果を残せなければ簡単に切られてしまいます。(ただ、仕事の内容もよく分からない外資っていうのは疑問です。求人をしている仕事の内容に適した能力があると判断できない人を簡単に雇い入れたりはしないでしょうから...。普通、面接などの段階で、その辺り、しっかり確認されるわけで、そうすれば、応募する側もどのような仕事をさせられることになるのか十分に分かるはずで...。)克明の会社にしても、大きな負債を抱えて、この先業績を伸ばせる保障はありません。玲子の治療費もかなりの額になることでしょう。

けれど、これまで蓋をしてきた問題に目を向け、しっかりと取り組むための体制を整えられたこと。その経験は、若菜家にとって大きな宝だったのだと思います。問題の解決までの道のりはまだまだ遠いけれど、少なくとも、解決へ向って歩みだすことができました。何はともあれ、大きな"最初の一歩"を踏み出した家族の清々しい姿が印象的でした。

一家を覆う重く暗い現実を描きながら、全体としては軽さが感じられ、ところどころに笑いが散りばめられ、ヘンに理想の家族を追うことをせず、必要以上にドラマチックな仕立てにしていない点にも好感が持てました。

少々、甘い感じがする部分もありましたが、力のある出演陣の好演と巧みな演出で、自分自身の家族について、家族の中の自分についてあれこれ考えたくなる見応えのある作品になっています。


公式サイト
http://bokutachi-kazoku.com/
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わたしはロランス

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わたしはロランス(特典DVD1枚付き2枚組)/メルヴィル・プポー,スザンヌ・クレマン,ナタリー・バイ
¥5,832
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モントリオール在住の国語教師ロランスは、ある日、恋人のフレッドに「これまでの自分は偽りだった。女になりたい。」と打ち明けます。フレッドは、ロランスを厳しく非難しますが、彼の最大の理解者になろうと決意します。周囲の偏見や社会の拒否反応の中、あらゆる反対を押し切り、自分たちの迷いさえもふり切り、2人の人生を歩もうとしますが...。

本作の描き方が、主人公のロランスの側に寄り添おうとしすぎているのかもしれませんが、あまりに身勝手で自己中心的に見えました。ロランスが大きな悩みを抱えていたことは分かるのですが、だからフレッドや母親や新たな恋人に対して八つ当たりしても仕方ないということにはならないワケで...。恋人の選び方もあっちと巧くいかなければこっち、こっちとトラブればあっち...という感じで、どちらに対しても誠意が感じられません。

ロランス自身についても、「自分は女」だと言っていながら、恋人として選ぶのは女性だったり、何だかよく分かりません。自分の性を女と定義している割には、女装も中途半端で、一目見て中身は男だとわかるレベル。仕草も女であろうとしている気配が感じられません。女装が好きで、自分を女性だと思っていて、レズビアンってことなのでしょうか...。まぁ、そんなことどうでもよくて、自分の見た目の性がどうだとか、どんなふうに装うのかとか、どちらの性の人を好きになるかとか、そんなことで、人を区分けすること自体間違っているということなのかもしれません。

自分の欲望に対して、どこまでも正直にあろうとするロランス。そんなロランスを精一杯理解し、寄り添おうとするフレッド。そのフレッドあめの悩みをロランスがどの程度理解していたのか、自分の告白がフレッドを悩ますことに対しロランスがどの程度苦悩したのか、その辺りが、今一つ見えてこなかったことも、ロランスが身勝手に見える一因のような気がします。自分の欲望を押し通そうとするなら、様々な壁に突き当たるのはやむを得ないこと。ロランスに、自分の欲望を通すためにリスクを引き受けようとする覚悟が見えてこないところが、本作を観ていての最大の違和感だったような気がします。ロランスにすれば、自分のやりたいようにできる社会であるべきで、そのためにリスクを負わなければならない状況がおかしい...ということになるのかもしれませんが...。けれど、それにしても、せめて、理解者であろうと努力している恋人に対しては、それなりの歩み寄りがあってもよかったのではないかと...。

愛する人がいる、けれど、その大切な相手のためであっても譲れない部分もあるということは理解できます。けれど、別の人格である誰かとともに人生を歩むためには、何らかの折り合いをつけるための努力も必要不可欠。ある程度は相手に合わせるか、相手と別の人生を選ぶのか、互いに譲り合いながら、新たな関係性を模索するのか...。

「愛はすべてをかなえる」のか「愛はすべてを奪う」のか...。ロランスが、愛がすべてをかなえることを期待していたのだとすれば、あまりにピュアであり過ぎたというべきか、あまりに子どもっぽかったというべきか...。どちらかというと、そのためならすべてを奪われても惜しくはないと思えるレベルの愛こそが本物、ということなのではないかと思うのですが...。

結局、ロランスの「女でありたい」という気持ちが真摯なものに感じられず、それにも拘わらず、その想いを押し通すために周囲を巻き込み、振り回すような部分が、観ていて受け入れられなかったのだろうと思います。

"普通"に捉われず、自分らしく生きていく。そのこと自体は素晴らしことだと思います。けれど、自分らしく生きていくためには、もっと自分自身に真正面から向き合い、自分の我の強さが周囲を戸惑わせたり傷つけたりすることに意識的になるべきではなかったかと...。周囲を優先させて自分が折れることを良しとすべきとは考えていないのですが、ただ、そのことをきちんと認識する必要はあると思うのですが...。

映像の美しさや音楽のはまり感など、印象に残る部分もあるのですが、作品の根幹のところで合わないものを感じてしまいました。

四十九日のレシピ

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四十九日のレシピ [DVD]/永作博美,石橋蓮司,岡田将生
¥4,860
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伊吹有喜の同名小説を映画化した作品。2011年にNHKでテレビドラマとしても放映されています。原作は未読、テレビドラマも未見です。

熱田乙美の突然の死に、夫の良平は何ひとつ感謝を伝えられず、悩める娘百合子は女として聞きたいことがあったのに、聞けないままになってしまいました。そんな折、熱田家に、生前の乙美に遺された家族の面倒を見るよう頼まれたという派手な服装の少女、イモが現れます。イモによれば、乙美は、ある「レシピ」を書き遺しているとのこと。それは、自分がいなくなっても、残された家族がちゃんと毎日を暮らしていけるようにと、料理や掃除など日々の家事にまつわる知恵や、健康や美容に関するアドバイスが、楽しいイラスト付きで描かれた手作りの<暮らしのレシピカード>でした。レシピに従って、少しずつ暮らしを立て直し始める父と娘は、その中の1ページに"自分の四十九日には大宴会をして欲しい"という、乙美の願いを見つけます。イモに続いてやってきた日系ブラジル人の青年ハルも含めた4人で、"四十九日の大宴会"の準備を始めますが...。

子どもを産めなかった女の人生...が一つのテーマになっているようにも思えました。ただ、一方で、出産はしなかったとはいえ、乙美には、百合子という娘がいたわけで、もっと、年表を埋めることはできたのではないかと...。良平や乙美と出会う前のことにしても、元々がお見合いの縁であれば、乙美のそれまでの人生についてそれなりの情報は得ているのだろうし、空白ばかりとは考えにくいです。確かに、四十九日でいろいろな人が来て空白が埋まっていくという展開は心に沁みるのですが、それにしても、それまでは白いところばかりというのは違和感ありました。

身内の突然の死を受け入れることで、自分自身の人生を整理し、新たな日々に向かっていく力を得ていくという基本線は良かったと思いますし、そこに関わってくる乙美やハルが魅力的で、良平と百合子だけでなく、乙美に関わった様々な人々がそれぞれの形で、乙美を心の中に宿しながら新たな道を歩んでいくであろうことを実感できましたし、乙美が後の世に遺したものの大きさを感じ取ることができました。

血の繋がり云々でなく、古い世代から新しい世代へ受け継がれていくものがあることが丁寧に描かれ、そこに人と人の繋がりの温もりと有難さが感じられました。

良平を演じた石橋蓮司、百合子を演じた永作博美、いずれも力のある演技で魅せてくれていますが、そんなベテランの中、イモを演じた二階堂ふみが存在感を出しています。良平に対するきめ細やかな心遣いが表情に現れていて印象的でした。

ただ、あの嫌味なおばさんが豹変してフラダンスというのは、どうにもいただけません。反省して謝罪レベルなら納得も行くのですが、いくらなんでも手のひら返し過ぎ。もう少し、現実的な範囲にしてほしかったです。ラストの展開もがっかり。あれで百合子が納得というのは違和感あります。イモと良平や百合子の距離が埋まっていく過程とか、白かった年表が埋まっていく場面など、印象に残る部分も少なくなかっただけに勿体ない感じがしました。

フラダンスを抜いて、ラストの展開を変えれば、グッと味わい深い作品になるのではないかと思うのですが...。それがあっても、決して、悪い作品ではないだけに、それでも、観てよかったと思える作品なだけに、残念です。
素敵な相棒 フランクじいさんとロボットヘルパー [DVD]/フランク・ランジェラ,スーザン・サランドン,ジェームズ・マースデン
¥4,104
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舞台は近い将来。かつて宝石泥棒で、服役の経験もあるフランクは最近物忘れがひどく、子どものハンターとマディソンは、父の世話に手を焼きつつ、父の今後を案じていました。ある日、ハンターは、フランクの元へやってきたのは、健康を改善するためにプログラムされた、歩いて話せる超高性能ロボットを持ち込みます。この新しいロボットのヘルパーを気に入らないフランクでしたが、ロボットのおかげでフランクの体調は日々改善していきます。フランクは、いろいろなことに意欲的になっていくのですが...。

舞台設定は、"近い未来"のようですが、ロボットは結構な未来、携帯電話も割と未来的、けれど、ロボットと携帯電話以外の家電はあまり未来っぽくないし、自動車は未来っぽいのもありましたが、今どきの普通の自動車("クラシックカー設定"ではないようだし...)も走っていたり...。現代と未来がヘンに入り混じっていて違和感がありました。もう少し、細かいところまで気を配って、舞台を作り上げて欲しかったです。

フランクを中心とした家族関係もよく分からないところがあり、最後で、急に仲良く団らんになってしまうあたりも???です。要するに、フランクが施設に入って大人しく"痴呆老人"をやっていてくれれば全てが丸く収まるってことなのでしょうか...。

で、重要な登場人物であるロボットも、登場場面で、ハンターに車のトランクから軽々と持ち上げられてしまうとか、重量感に欠ける部分が気になりました。あれだけ、何でも自分で考え、判断して動けるロボットが、法を守るようプログラムされていないというのも違和感あります。これだけ、自律し、状況に合わせて臨機応変に動けるロボットを作れる未来なのですから、普通に考えて、そこは、きちんとするのではないかと...。

フランクに対する想いが強くなっていく中、どうにもならなくなって法を犯してしまう...という流れなら分かる気がするのですが、ただ単なる"泥棒フランク"の復活では何だか納得できないものが残ります。

着想自体は悪くないと思うのですが、一つの世界をきちんと作り上げることに失敗してしまっている感が否めません。

何故、息子が父を超えたという結論が出てくるのかも、???。これは、フランクが認知症だという証拠ってワケでもなさそうだし...。ちょっと思いやりにかける部分はあるにせよ、根本的に間違ったことを言っているわけではない、新しい図書館を目指すお兄さんが悪者扱いなのもあまりに可哀そうな気がするし...。

相棒とまで感じたロボットに名前を付けない...というのも違和感がありました。フランクが通っていた図書館のロボットには名前が付いていたので、余計に気になりました。

フランクが、最初、拒否していたロボットを受け入れ、"相棒"と思えるようになるまでの過程の描き方や、フランクとロボットの遣り取りなど、面白い部分もあっただけに残念です。フランクを演じたフランク・ランジェラの痴呆なのか、はっきりしているのか微妙な感じを出している辺りも良かったのですが、それも、活かせておらず、それも、残念でした。
劇場版 あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。(通常版) [DVD]/入野自由,茅野愛衣
¥4,212
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2011年4月から6月にかけてフジテレビで放映されたアニメーションの劇場版として製作された映画。アニメは未見です。

"超平和バスターズ"というグループを作って、"秘密基地"で遊ぶ仲良し6人組、宿海仁太(じんたん)、本間芽衣子(めんま)、安城鳴子(あなる)、松雪集(ゆきあつ)、鶴見知利子(つるこ)、久川鉄道(ぽっぽ)。ところが、事故で"めんま"が亡くなってしまったことがきっかけで、互いの間に距離ができてしまっていました。夏のある日、"めんま"が"じんたん"の前に姿を現します。どうやら、彼女は、何か願いをかなえて欲しくて"じんたん"の前に姿を見せたらしいのですが、彼女自身、何故自分が"じんたん"の元にやってきたのか分かっていませんでした。"超平和バスターズ"の面々は、その理由を探すために再会することにします。それぞれの"めんま"への想いを手紙にしたため、彼らの"秘密基地"に集まり...。

内容的には、大人向きなのだと思いますが、大人向けとしては、相当にピュアな感じがしました。

人は、大人になっていく過程の中で、様々な間違いを犯したり、傷ついたり、傷つけたりするもの。その中には、取り返しのつかないこともあるでしょうし、やり直せないこともあるもの。そして、取り戻せない過去は、現在に濃い影を落とすことにもなります。特に、亡くなってしまった人に対する後悔は、なかなか拭えないもの。こちらの問いに相手が答えてくれないからこそ、問や悩みは行き場を失い、いつまでも自分の中を漂い続けます。そのやるせなさと折り合いをつけながら、人は大人になっていくのかもしれません。

そんな、子どもから大人への過程が描かれますが、どうも薄味で、それぞれが過去と折り合いをつけていく過程にも深みが感じられません。"関係のある人物の不慮の死、それも、自分の言動が影響を与えている可能性のある死"は、その相手との対話が不可能だからこそ難しいわけで、その相手を蘇らせるという"禁じ手"を使う以上、それなりの理屈付けが必要だと思うのですが、その辺りも不十分な感じがします。

どうやら、総集編的な作りになっているようで、個々のエピソードを継ぎはぎした感じがあるし、全体に、薄っぺらな印象も受けます。いろいろある物語を駆け足で一通り提示したという感じ。アニメを観ていないからなのでしょうけれど、一つのエピソードで描かれている状況が理解できそうになる頃に"ハイ、次"という感じで、ところどころで集中力を削がれます。

アニメのファンが、全編を見直したいけれどあまりに時間がないという時、アニメを観た時の記憶を蘇らせながら観るための作品としては手頃なものになっているのではないかと思いますが...。

47 RONIN

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47RONIN (「47RONIN」メインキャスト・ポストカードセット(6枚セット)付き) [.../出演者不明



¥3,672

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徳川綱吉が将軍職にあった日本。鎖国で海外と隔絶されていた当時、魑魅魍魎の跋扈していた諸国も、武家の支配の下、一応の安寧を保っていました。そんな諸国のひとつに、名君浅野内匠頭(田中泯)を領主とする播州赤穂があり、一方では、吉良上野介(浅野忠信)が、ひそかに赤穂を併呑する機会を狙っていました。吉良は、側室の座に納まっている謎の女、ミヅキ(菊地凜子)と共に、ゆくゆくは徳川家をも滅ぼして天下を取ろうとまで目論んでいたのです。カイ(キアヌ・リーブス)は、少年の頃、どこからとも知れず赤穂に流れてきた異端児で、殺されかけたところを、領主浅野の温情で助けられ、浅野の娘ミカ(柴咲コウ)にも愛されて、郊外の小屋でひとり暮らしを続けながら、成長していました。カイには、浅野父娘のためなら命に替えても、その恩と愛に報いたいという気持ちが根付いていました。しかし、綱吉が赤穂を訪れていたある夜、城内でミヅキに妖術をかけられ我を失った浅野は、寝所の吉良に切りかかって疵を負わせるという事件を起こし、綱吉にその現場を目撃されてしまいます。これに怒った綱吉は浅野に切腹を命じ浅野家は取り潰され、一連の出来事を吉良の謀略と訝っていた家老、大石内蔵助(真田広之)始め家臣たちは禄を失い浪人へと身を落とします。赤穂は吉良の領地となり、ミカは1年の喪明けに吉良との婚儀を約束させられます。その場で復讐をと猛り立つ家臣達を、今はその時期ではないと抑えた大石は吉良によって地下牢に押し込められ、家臣たちは所払いを食らって四散、そしてカイは、出島のオランダ人に奴隷として売られてしまいました。一年後、牢から出された大石は、今は百姓家に棲む妻りくや息子・主税(赤西仁)と再会、今も亡き主君を慕う家臣達と、仇討に立ち上がることを決断し...。



もう、冒頭から最後まで、ぶっ飛んでいます。この髪形は何?、この装束は何処の人々?、武道の試合の場の設定の仕方はどうしちゃったの?と、次々、頭の中には?が湧きだしてきます。これ程の"トンデモ"作品も珍しいというレベルの作品でした。ここまで、"トンデモ"チックな味付けにするなら、赤穂浪士を持ち出さない方が良かったのではないかと...。こんな使われ方をされたら忠臣蔵が泣くのではないかと...。そもそも、これでは、忠臣蔵のメインテーマである"仇討"の必然性が見えてきません。



日本人の名のある俳優が何人も出演してもいて、本作が日本で多くの人に見られることになるのは想定済みというより、当然のことと予測されていたはずなのですから、日本の歴史や文化をもう少し大切にして映画作りをしてくれても良かったのではないかと...。



ここまでするのなら、忠臣蔵を持ち出さず、日本を持ち出さず、どこかにあったのかなかったのか分からない東洋の国の設定にしていれば、まだ、観られる作品になったのではないかと...。



そして、物語の作り方についても、粗さが気になります。ミズキが何者だかよく分かりませんが、あれ程の力があるなら、赤穂藩の一つや二つ簡単に壊滅させられたのではないかと...。わざわざ、大石たちが勢力を盛り返すのを待つ理由が、映画を盛り上げるということ以外に見えてこないことは、やはり、気になります。大石が死ななかったことに気付かないのも、彼らが結婚式の場に忍び込んできたことに気付かないのもあまりにヘンだし...。



カイが、ミズキを最初に見た時、彼女の正体に薄々気づきながらも、その後、彼女を放置した理由もよく分かりませんでした。本当に妖しいと思えば、彼を信じるであろうミカに伝え、ミカから巧く内匠の頭に危機を伝えてもらう方法はあったはず。



真田広之は、所作や殺陣もそれらしく、ハリウッド作品への出演に馴れていると言うこともあるのかもしれませんが、魅せてくれていたと思います。菊地凜子は、かなりのトンデモな役どころでしたが、精一杯の説得力を持たせていたのではないかと思います。ただ、それだけ...かなぁ...。



"47人の浪人"という一点について、忠臣蔵をモチーフにするのは仕方ないとしても、日本が舞台というのはやめて欲しかったし、そこについては10000歩譲ったとしても、ラストの"今の日本人に受け継がれている"っていうのは、やめて欲しかったです。



まぁ、今の時代になっても、ハリウッドから見える日本は、こんな姿だってことなのでしょうか...。ビックリと、疑問に溢れた作品でした。何とも残念です。

あの頃、君を追いかけた

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あの頃、君を追いかけた[DVD]/クー・チェンドン,ミシェル・チェン,スティーブン・ハオ
¥5,184
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台湾の人気作家、ギデンズ・コーが自身の自伝的小説を映画化した作品。原作は未読です。

台湾中西部の町・彰化(しょうか)に住むコートンは、同級生である4人の仲間たちと馬鹿なことばかりして、お気楽な高校生活を楽しんでいました。ある日、コートンたちの度が過ぎた悪ふざけがもとで授業が中断。激怒した担任は、彼と仲間たちにとって中学時代から憧れの的だったクラス一の優等生、チアイーをコートンのお目付け役に任命します。チアイーを疎ましく思う反面、胸がざわつき始めるコートン。ある日、教科書を忘れたチアイーのピンチをコートンが救ったことで、2人の距離は一気に縮まり...。

コートンとその仲間4人の男子5人、チーアイと彼女の友だちの女子生徒。1994年の高校の同級生男女7人の10年間にわたる物語が描かれています。

まだ、携帯電話が普及していなかった時期に始まった恋愛というところで、じんわりと懐かしさが胸に拡がります。携帯電話がなかった時代、相手の家の固定電話に、本人が出ることを祈りながら電話を掛けたり、親が出てドギマギしたりという経験がある世代なら、ツボにはまるのではないでしょうか。

微妙にすれ違う愛情。同い年同士の恋愛だと、この男女の成長の差というものが大きな障害になる...というのも頷けるところ。

まぁ、基本的には、ありがちな青春ラブロマンス路線の作品ではありますが、クライマックスが良かったです。冒頭でのコートンの仲間とのやり取りから、誰と誰が結婚するのか想像させておいて、実は...という流れ。なかなか巧くできていたと思います。

少々、お下劣な場面が多い感じはしましたが、適度なほろ苦さと甘酸っぱさ、愚かさ、爽やかさがバランスよく組み合わされていて、特に、青春時代から遠ざかった年代の人々には心の奥底に眠っているものが揺さぶられるような作品。暫くすると、また観たくなるような作品だと思います。お勧め。

人類資金

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人類資金 [DVD]/佐藤浩市,香取慎吾,森山未來
¥4,536
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福井晴敏の同名原作を映画化した作品。原作は未読です。

戦後、ひそかに回収されたといわれている旧日本軍の秘密資金、"M資金"専門の詐欺師だった父が謀殺される間際に遺した「M資金は、本当にあった」とう言葉を聞いた真舟雄一は、父の跡を継ぐようにM資金詐欺に手を染めます。父を殺したのは誰か、戦後日本を裏から支配してきたM資金は実在するのかという疑問を抱き続ける彼の前に、"財団"の使者と名乗る男、石が現れます。"財団"とは、M資金を管理運営する日米秘密機関の俗称。初めは取り合わなかった真舟ですが、異常事態に巻き込まれ、M資金をめぐる争いに宿命的に引き寄せられていきます。資金の秘密を守るためには武力行使も厭わない防衛省の工作員たち、彼らと敵対し、「M資金を"財団"から盗み出してもらいたい」と真舟に依頼する謎の男"M"。幻の資金を盗み出す計画は、世界を支配するグローバル・キャピタリズムを向こうに回した壮大な戦いへと発展し...。

映画で物語るには、入り組み過ぎているストーリーなのでしょう。よくありがちな"隠された財宝もの"なのですが、話の組み立て自体は面白いし、個々の登場人物が抱えている物語もそれぞれに奥行きがあって興味深いものとなっています。

けれど、長くてもせいぜい150分という映画の枠組みの中でこれを説得力を持たせて描ききるというのは、やはり、難しいのでしょう。スケールの大きさと奥行きの狭さがアンバランスで、薄っぺらな印象が残ります。

物語そのものは、"大人のファンタジー"なので、リアリティを追及する方向ではなく、ファンタジックな方向を目指せば、もう少し、映画作品としての面白さは出たのかも知れません。ヘンにリアリティを出そうとし、シリアスな路線で突っ走ろうとしたところに無理があったのかもしれません。まぁ、元々、M資金レベルの規模の資金で世界を変えようとすること自体に無理があるわけですから、もう少し、スケールダウンして、思いっきりファンタジーにすれば、物語として処理しやすかったと思います。

M資金を持ち出すより、日銀やらFRBやら、先進国の中央銀行のシステムに侵入して資金を調達するという方が、現代的だし、リアリティを感じられる展開に作り上げることができたのではないかと...。まぁ、これは、原作の問題なので仕方ありませんが...。

サンダーバードとか、仮面ライダーとか、マジンガーZ的な小規模の集団が地球を守る系のオハナシと同様の仕上げ方をすれば、それなりに映画作品として成立し得たのではないかと思うのですが...。

クライマックスでの森山未來が演じた石の国連での演説は見応えありました。まぁ、青臭いと言えば青臭いですし、正直、考え方としては甘いと思いますが、それでも、ストレートに響いてくるものがありました。

主演の佐藤浩市もさすがの演技でしたし、出演陣は豪華なのに、それが活かせていないのは、何とも、残念。