ローマ法王の休日

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ローマ法王の休日 [DVD]/ナンニ・モレッティ,ミシェル・ピッコリ,イエルジー・スチュエル
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ローマ法王死去を受けヴァチカンで開催される法王選挙(コンクラーヴェ)。聖ペドロ広場には、新法王誕生を祝福しようと民衆が集まり、世紀の瞬間を心待ちにしています。そんな中、投票会場のシスティーナ礼拝堂に集められた各国の枢機卿たちは、全員が必死に祈っていました。「神様、一生のお願いです。どうか私が選ばれませんように」と。祈りも空しく新法王に選ばれてしまったのは、ダークホースのメルヴィル。彼は早速バルコニーにて大観衆を前に演説をしなければならないのですが、あまりのプレッシャーから信者たちの前にでることができません。法王の気持ちを奮い立たせるため、精神分析医まで呼ばれたり、大騒ぎになる枢機卿たちを尻目に、法王はローマの街に逃げ出してしまいます。慌てた事務局広報は、なんとかコトが外界にバレないよう画策。街中に捜索の網を張ります。一方メルヴィルは街の人々との触れ合いを通し、人生とは、人の信仰心や真心とは、そして法王の存在意義とは何かを見つめ直していきますが...。


それにしても、本作の制作や公開を特に目くじら立てたりしなかったヴァチカンは懐の深さはなかなかのもの。ヴァチカンが本気で阻止しようとしたら、映画の制作や公開を止めることなどワケなかったでしょうに...。まぁ、これくらいのことで、権威が揺らぐほどカトリックは弱くないってことなのかもしれませんが...。もしかしたら、"高位の聖職者たちも、結局はただの人"であることを描き出した本作に一番共感したのは枢機卿たちやヴァチカンの首脳部だったのかもしれません。


必死になって法王が姿を消したことを隠そうとするヴァチカン首脳部の右往左往。そして、外出はもちろん、外部と連絡を取ることも許されずにいる枢機卿たちの戸惑いや苛立ち、"暇つぶし"。バレーボールの試合の様子などを見ていても、何だか、普通の"可愛いおじいちゃん"たちという感じです。何だか微笑ましい感じなのですが、カトリックの信者から見たら...どうなのでしょう...。相当に複雑なものがあるのではないかと思うのですが...。それとも、法王庁同様、こんな映画ごときで何かが揺るぐわけもない...ということなのでしょうか...。


「ローマの休日」のアン王女は本来の役目に戻ります。そこに、与えられた役割を果たそうとするその責任感と覚悟に清々しさを感じたりするわけですが、本作の場合、呆気なくはぐらかされます。ただ、王女として生まれ王女として育てられてきたアン王女と元々はごく普通の人として生まれ育てられたであろう枢機卿。戻る場所が違うのは当然なのかもしれません。アン王女が新聞記者の妻となって普通の人のように生活しようとしても、実際には、いろいろと無理や乗り越えなければならない違いがあるでしょうし...。


そして、うつ病が社会問題となって久しい今だからこそ、本作の結末は"勇気ある決断"として評価すべきなのかもしれません。できないことはできないと宣言するのも一つの"責任感"なのかもしれませんし...。"引き受ける勇気"は確かに素晴らしいですが、時には"投げ出す勇気"、"逃げる勇気"も必要なのかもしれません。


前半は、ストーリーのテンポも良かったし、法王となることに対する重圧感、その責務の大きさ、枢機卿たちの人間的な一面が温かくコミカルな視線をもって描かれ、その後の展開への期待が高まるのですが、同じような種類の笑いが繰り返され、段々、飽きが出てきて作品に集中しきれなくなる...というのが正直なところ。


取り上げているテーマは興味深いですし、もっと面白い映画にすることはできたような気がしてなりません。法王を含め、枢機卿たちもそれぞれ個性的で、巧く各人の個性を絡み合わせれば、楽しい展開にすることもできたでしょうし...。


2月11日、現法王、ベネディクト16世が2月28日をもって引退することを発表したとのニュースを耳にしました。法王は生涯、その任に就くことが通例で、"法王が存命中に退位する"というのは、約600年振りの出来事となるようです。現法王は、御年85歳。確かに、法王として十分に活動するのは厳しいでしょうけれど...。

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刑事ベラミー 殺人単独捜査

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刑事ベラミー [DVD]/ジェラール・ドパルデュー,クロヴィス・コルニヤック,ジャック・ガンブラン
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ポール・ベラミー警視は、妻、フランソワーズとともに、彼女の故郷である南仏のニームでヴァカンスを過ごしている時、TVで保険金詐欺事件について知ります。そこへ怪しげな男がやって来て、電話番号だけを伝えて帰って行きます。その日の夜、ベラミーは、ノエル・ジャンティと名乗るその男から呼び出されます。彼は、ベラミーに向かって殺人を犯したと告白します。一方、前科があるベラミーの異父弟、ジャックが、ベラミーとフランスワーズが過ごす家を訪ねてきますが...。


酒に酔って飛行機内の通路で放尿したり、最近ではフランス、オルランド政権の富裕層への増税を嫌いフランスのパスポートと社会保障を返上すると宣言し、その後、ロシア国籍を取得したり、何かとお騒がせなジェラール・ドバリュデューが主演しています。


若かりし頃のプロポーションは跡形もなく崩れてしまったドバリュデューの巨漢には、目が点でしたが、ストーリーの展開も、後半に入ると?に?が重なり、それがどんどん膨らんで、不思議さが増大していきます。事件が法廷に辿り着く頃には、もう、何が何だかわからない不思議ワールドにどっぷり侵食されています。


例え奇妙な世界に入り込んでも、それはそれで一つのしっかりとした世界が構築されていたり、それがあまりに突き抜けていたりすれば、それなりに楽しめると思うのですが、この変に奇妙な感じには、どうにもついて行けませんでした。


ベラミーとフランソワーズ、そして、そこに絡むジャック。ベラミーとジャックの確執、絡み合う感情、そしてベラミーとフランスワーズ、ジャンティと妻の夫婦愛、ジャンティと愛人の関係...。愛を求め、愛に溺れ、愛を失い...。やはり、ここは、愛の国、フランス...。


冒頭部分とラストの関係とか、キラリと印象付けられる部分もあるのですが、保険金殺人事件の解決に関する滅茶苦茶な部分をリカバリーできるほどのプラスにはなっていないような気がします。


体型だけでなく、演技でもしっかり存在感を出しているドバリュデューはさすがだし、他の出演陣もそれぞれの役柄をきちんと表現して、なかなか良かったのですが、その辺りが、活かせていないのは何とも残念。

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ロック・オブ・エイジズ

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ロック・オブ・エイジズ ブルーレイ&DVDセット(2枚組)(初回限定生産) [Blu-ray]/ジュリアン・ハフ
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1980年代。とてつもないサクセスストーリーとスキャンダルがあふれ返る黄金時代のハリウッド。一度は夢を叶え、人気の絶頂を極めたロックスターも、そんな崖っぷちに立つ一人。夢を見失い落ちぶれかけた彼は、目の前の現実に挫けそうになりながらも諦めない若者たちの姿に、もう一度自分の夢を取り戻そうとするのですが...。


ミュージカルにありがちなことですが、どうってことのない感じのストーリーで、苦もなく先々まで読める展開す。崖っぷちに立つロックスターの物語と田舎から出てきたお姉ちゃんとお兄ちゃんが、挫折を経て成功を収めるというどこにでもあるようなサクセス・ストーリー。そこに絡む"守旧派VS革新派"な構図。


それを当たり前な形で見せているだけ。どうせなら、もっと大袈裟に観ていて恥ずかしくなるくらいに仰々しくやってくれれば、それなりに面白かったのだろうと思うのですが...。


ただ、音楽は良いです。80年代の名曲をずらりと並べて聴かせてくれます。音楽の使い方はオーソドックスで面白みはありませんでしたが、この時代のロックを知っている人にとっては懐かしさが溢れてくる作品だと思います。


まぁ、それだけといえば、それだけ...ではありますが、少なくともその一点だけは楽しめます。

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三人の女

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三人の女 [DVD]/シェリー・デュヴァル,シシー・スペイセク,ジャニス・ルール
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カリフォルニア州のパーム・スプリングスの砂漠の中にある老人患者専門のリハビリテーション・センターで看護の仕事をするミリー・ラモローは、ある日、新人のピンキー・ローズの指導を担当することになります。孤独なビンキーは、ミリーを慕い、彼女の後を追うようになります。一方のミリーは、見栄っぱりの気どり屋で、周囲には敬遠されているのですが、そのことに気付いていない様子。ミリーが、ルームシェアしていた友人の引越しに伴い新しい同居人を求める告知を掲示板に出すと、早速、ピンキーがやって来て、2人は同居生活を始めます。ある夜、ミリーは友人を家に招待しますがドタキャンされ、アパートのオーナー、エドガーを部屋にひきずり込んで、ピンキーを邪魔者扱いし追い出してしまいます。ピンキーは絶望して、プールに飛び込みますが、病院に運ばれ、数日後、意識を取り戻します。全快しアパートに戻りますが、すっかり性格が変わって、ミリーに対して女王のように振るまうようになり...。


ピンキーが何を考えているか分からず、時に、悪魔のような一面を見せています。無邪気で子どもっぽい感じを漂わせつつ、社会のルールに囚われない雰囲気を持っている。最初の大人しい気配を見せている時も、ストローでコップの中の飲み物を泡立たせたり、ミリーのものを断りもなく"借り"たり...。作為的なのか、無意識になのか分からないようなピンキーの"悪行"が不気味です。


そのピンキーに次第に生活を侵されていくミリー。いつの間にか名前まで取られたようで...。ピンキーの中にある黒い部分に気付きながらも離れられず、恐怖に囚われていくミリーですが、すっかり取り込まれた感じのラストでは、むしろ、安定した穏やかさが感じられます。外から迫ってくる不気味な悪は恐ろしくても、いっそのことそこに取り込まれてしまえば、一定の落ち着きが得られるということなのかもしれません。


ミリーを象徴する黄色とピンキーのピンク。そして、生成りのウィリー。それぞれの人物造形と色使いが妙に合っていて実に印象的です。


そして、三人目のウィリー。妊娠していた彼女のお産に立ち会うことになったのがミリーとピンキーですが、ミリーに医者を呼びに行くように言われたピンキーは動こうとしません。それが原因というワケでもないのでしょうけれど、ウィリーは死産します。これも、純粋にピンキーの対応能力を超えたできごとに立ちすくんでしまっているのか、意図的に動こうとしなかったのか、その辺りが微妙な感じです。


ピンキーがミリーのルームメイトとなってすぐ、ケチャップをこぼし胸に大きな赤いシミを付けます。ウィリーのお産に立ち会ったミリーはその血で胸の辺りを汚します。胸に広がる赤いシミは、それぞれが人格を変化させる前兆だったのかもしれません。後から振り返ると意味あり気な描写がところどころに散りばめられ作品に漂う謎めいた雰囲気を盛り上げています。


ラストで、新たな三人の関係が描かれます。ピンキーはミリー、それも、子ども時代のミリーになっています。そのピンキーに"ママ"と呼ばれるウィリー。そして、ウィリーは...?ウィリーの夫でミリーともピンキーとも関係を持っていた三人を繋ぐ位置にあったエドガーは不審な銃の暴発事故で死亡。


分かりにくく何通りかに解釈できるストーリー。面白い作品とも言い切れない...というより、どちらかというとつまらない作品だったような感じさえします。けれど、妙に印象に残り、できれば、この作品を観た人とあれこれ語り合いたくなるような作品です。


観ている間にいつの間にか魔法にかけられている...そんな感覚がありました。

OUT

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OUT [DVD]/原田美枝子,倍賞美津子,室井滋
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桐野夏生の同名小説を映画化した作品。原作は読んだこと があります。


東京郊外の深夜の弁当工場で働く雅子、ヨシエ、邦子、弥生。家庭崩壊、老人介護、カード破産、夫の暴力など、それぞれに問題を抱える彼女たちに大きな事件が起こる。弥生の夫殺しに巻き込まれ、隠ぺい工作のため死体の解体作業をすることになる女たち。事件の秘密を知ったやくざと警察の執拗な追及が迫る中、彼女たちは、最悪の状況から抜け出すために、それぞれの人生への闘いを強いられていく


原作は4人の女性の心の闇を描き、読んでいて怖い感じがしました。深夜の弁当工場で働く主婦、4人。次々に弁当箱が流れてくるラインでの作業についていくには、それなりのスピードが必要で、しかも、ミスは許されません。多くのコンビニにとって売り上げの相当な部分を占める商品。工場に弁当を作らせる側も必死なのです。商品に問題が出れば、注文を受けている工場にとっても死活問題。正確さも能率も求められ、だからといって、大きく稼げるわけではありません。そんな状況の中、深夜に働く主婦4人は、それぞれにワケありです。で、皆、他に多くの選択肢を持っているわけではありません。そんな状況の中で押しつぶされ、追い詰められた女たちがどうなっていくのか...。


原作は、それなりの長さがある小説なので、映画としてまとめるには、かなり思い切った取捨選択が必要です。何を切り捨て、何を残し、何を描くか...。映画化された作品の価値を"原作に忠実であること"に求めるべきではないことなど百も承知...なのですが...。


それにしてもです。原作のグロくて恐ろしい感じは随分薄められ、マイルド...というより、コミカルな雰囲気になってしまっています。そして、ラストの改変。原作とは誰が生き残るか死ぬかも違っているし、主要な人物の設定もいろいろ変えられているような...。で、骨抜きにされてしまっているという印象を受けてしまいます。


原作を読んだ作品の映画を観る場合、ほとんどガッカリさせられるわけですが、それもある程度はやむを得ないとも思っています。けれど、それにしても...です。


世にバラバラ殺人を扱った小説や映画がかなりある中、原作小説では、"死体を運ぶことの大変さ"や"死体をバラバラにすることの大変さ"をリアルに描いていると思います。映画も多少は頑張っていますが、これも、原作に比べるとお手軽な印象になっていることは否めません。


で、原作を忘れて観れば楽しめそうなのかといえば、それも難しいような...。"バラバラ死体製造"を稼業とするまでになる程、4人の中にある闇は深かったわけです。特に、犯罪に手を染める度に生き生きとしていっている雅子。こうした形でしか、自分を解放できない程に追い詰められている状況が描けておらず、全体に底の浅い薄味仕上げになってしまっています。


4人を演じた女優陣の力量の差も問題かもしれません。やはり、倍賞美津子が出色。原田美枝子も熱演。室井滋もギリギリ何とか頑張っています。けれど、西田尚美は、やはり、このメンバーの中では力不足。これは、やはり、キャスティングの問題でしょう。4人のバランスには、もっと、気を使ってほしかったです。


細かい部分も結構雑で気になります。お腹の子どもを大切にしようとしているのか無事に生まれなくても仕方ないと思っているのかよく分からない弥生。夫がお腹を蹴っていてもあまりお腹を庇おうとしないのは何故なのか...。


"神は細部にこそ宿りたまう"とも言われますが、やはり、細かいところで違和感を覚えてしまうと、なかなか、作品の世界に入り込めません。


折角、相当に印象的な原作があり、それなりの出演者を揃えているのに、残念です。

海燕ホテル・ブルー

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海燕ホテル・ブルー [DVD]/片山瞳,地曵豪,井浦新(ARATA)
¥4,935
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船戸与一の同名小説を映画化した作品。原作は未読です。


刑務所を出所した幸男は、彼が収監される原因となった現金輸送車強奪事件の立案者でありながら彼を裏切った洋次の元を訪ねます。洋次は、ホテルのバーを営んでいて、そのカウンターには白いドレスを着た梨花がいました。洋次は、幸男を裏切ったのは、梨花のためのようで、彼は、幸男に500万円を渡すことで、幸男の復讐から逃れようとしますが...。


洋次は梨花のために幸男を裏切り、幸男も同じような経緯で梨花のために和正を裏切ります。梨花のところに集まってくる男たちが同じ道を歩み、同じ場所に行きつき...。梨花は、特に、自分から男たちに何かをするというワケではないのですが、男たちは、まるで蟻地獄の底に引き摺り込まれる蟻のように、奈落の底に導かれていきます。行き着く先は荒野の"墓場"。死者と生者が触れ合う場。


梨花が、相当、長い間に亘ってこのような存在であり続けていることは、彼女の"正体"が映し出されることで推察されます。


結局、男たちは、勝手にオンナに振り回されて自滅していく存在ってことなのでしょうか。だとしたら、確かに"愚か"です。


けれど、自滅していく男たちは不幸だったのでしょうか。そこまで想いをかけられる相手と出会えたならそれだけでも幸せともいえるのではないでしょうか。死に場所を見つけることもできたわけですし...。破滅に向かう絶望と同時にそこに入り混じっていたであろう恍惚感と幸福感がもっと描かれていれば、作品の味わいにもっと深みが出たのではないかと思うのですが...。


原発反対を叫ぶ若者が登場したり、刑務所内で刑務官により受刑者が虐待される場面があったり、警察官がやたらと発砲するシーンがあったり社会的な問題も登場したりします。政府や権力に立ち向かおうとする者の声はかき消されます。本作で、ただ一人、権力を振りかざすものを倒したのが梨花だったのですが、それは、男たちにできることではないってことなのでしょうか...。


ただ、何とも残念なのは、梨花が男たちを狂わせる絶世の美女には見えないこと。まぁ、絶世の美女に見せようとして努力した気配もあまり感じられないので、絶世の美女ではない謎の女に振り回されるという設定なのでしょう。確かに謎めいている部分はあり、そこが男たちを惹きつける一因ではあると思うのですが、それだけでここまでっていうのは、弱いような...。


ホテル周辺の風景とかはいかにもな雰囲気があってよかったと思うのですが...。

カリーナの林檎~チェルノブイリの森~メモリアルエディション [DVD]/ナスチャ・セリョギナ,タチアナ・マルヘリ,リュディミラ・シドルケヴィッチ
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チェルノブイリ原発事故が発生したウクライナ。その隣国ベラルーシ。カリーナの母親は放射能の影響で病気になり入院、父はモスクワに出稼ぎ、カリーナは母の兄の家庭に引き取られ、家族はバラバラになっていました。カリーナが大好きなおばあちゃんの家は居住禁止区域のすぐ隣の村にあり、あまり頻繁には遊びに行かせてもらえません。カリーナを引き取った叔父の家も経済的な厳しさもあるようで、叔母にとってはカリーナを受け入れることに抵抗もあるようで...。


原発事故がその周囲の人々の生活を大きく変えていきます。放射線が目に見えないだけに危険性について客観的に把握しにくくなりがちだったりするのでしょう。危険性に対して無頓着な人々がいる一方で、極度に恐れる人たちがいる。同じような状況は、福島後の今の日本でも起こっているわけですが...。


今も高レベルの放射線を出し続けているといわれているチェルノブイリ原発。福島は本当に大丈夫なのか。と不安になると同時に、過剰に放射能を恐れることで無関係な人々に害を及ぼしていないか気になるところでもあります。


原発は悪魔ではありません。人間が、自分たちの生活をより良いものにするためのエネルギーを得ようとして作り出したものです。本来、人間が、きちんとコントロールすべきものなのです。けれど、人間の欲望は、自分たちの手ではコントロールし切れないものを生み出してしまいました。原発の制御自体にも難しさがあり、発電によって生み出される廃棄物の処理は途方もない年月をかけて行わなければなりません。人間が責任を持てる範囲には全くおさまっていない"悪魔"は、今この世界にかなりの数が既に作られてしまっています。そして、これからも作られることでしょう。その現実にどう向き合い、どう変えていくべきなのか、きちんと考えなければならないのです。


お涙頂戴的に悲劇的な面をことさら強調するわけでもなく、淡々と静かに、直接健康被害を受けた人もそうでない人も否応なく巻き込まれ、それまでの生活を変えられていく現実が描かれていて人々の哀しさが胸に沁みてきます。そして、声高に訴える姿勢がないだけに、観る側も素直に問題について考えることができるような気がします。


悪役的な描かれ方のカリーナの叔母にしても、特に悪人だというよりも、突然の生活の変化への戸惑いが大きいのでしょう。彼女も、悪影響を被った側の一人なのです。


本作が実は、福島原発事故前に制作されていたことを考えると、本作の作成に当たってはチェルノブイリが"最後の原発事故"となることへの願いも込められていたことと推察されますが、福島の事故があり、この先も事故が起きない保証はありません。日本でも、今後、原発が再稼働される方向になるようですし、現在は安全と考えられている原発でも事故が起こる可能性は否定しきれません。


私たちは、この現実に対しどう対処するのか...。もし、万が一にも、同様の事故が起こった場合、私たちの子孫に対し"想定外だった"という言い訳は通用しないと思うのですが...。

グスコーブドリの伝記

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グスコーブドリの伝記 [DVD]/小栗旬,忽那汐里,佐々木蔵之助
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宮沢賢治の同名童話を映画化した作品です。原作は以前読んでいます。


とても短い短編ですぐ読むことができます。ネットでも全文を読めるサイトがあって、気軽に読めるので、本作と合わせて詠んでみることをお勧めです。


美しいイーハトーヴの森で、ブドリは家族と幸せに暮らしていました。しかし冷害が森を襲い、食料も乏しくなって両親は家を出、妹のネリは"コトリ"という謎の男にさらわれて、ブドリはひとりぼっちになってしまいます。力尽きて倒れたブドリは、"てぐす"工場の工場主に救われ、彼の元で働き仕事を覚えていきます。仕事が終わり、ブドリは里へ下り、赤ひげの"オリザ"畑で働きます。けれど、寒さと干ばつのために赤ひげの畑は大きな被害を受け人が雇えなくなり、ブドリはイーハトーヴ市に向かいます。そこでクーボー博士と知り合ったブドリは火山局に勤めることになります。ブドリは、所長のペンネンナームの指導のもと、局員として成長していきます。しかし再び大きな冷害がおこり...。


原作がかなり短い作品なので、長さ的には映画化しやすい作品だと思います。原作のストーリーや設定をそのまま忠実に表現しても、十分2時間に収まる作品にすることはできたでしょう。


けれど、本作の場合、結構、大きなところで変更が加えられています。そして、その変更があるために、原作とはかなり印象の違った作品になっています。原作を読んでから本作を観る場合に本作を面白いと思えるかどうかは、その変更点を受け入れられるかどうかで変わってくるのだろうと思います。


一番、気になったのは、ネリとの再会がないこと。ネリと再会し、ネリとの幸せな月日を過ごしたからこそ、そのネリたちを守るために自分を犠牲にした...というのが原作の物語のキモだったような気がするのですが、その点が弱く、ブドリが命を懸ける対象がぼんやりとしてしまった感じがします。


この"自己犠牲"という考え方は、基本的にあまり好きではないのですが、本作の場合、"ネリと過ごした日々で大きな幸せを感じたからこそ、ネリの今後を守るために命を懸ける決意をした"というところが抜けてしまうと、"ネリを救えなかった罪の清算"という印象が付きまとってしまい、何だかとても後ろ向きな感じがしてしまいます。


かなり感じな部分の変更なので、そこに製作者側の思い入れがあったということなのでしょうけれど、何を想ってこの変更を加えたのか、そこのところが作品を通じて見えてこなかったのが残念です。


もう一点は"コトリ"。原作ではネリをさらった人物が登場するわけですが、本作の"コトリ"とは、かなり趣が異なります。ネリがさらわれることなく、2人の生活が続いていたら、2人とも生き残ることはできなかったことでしょう。ネリと離されたことで、ブドリは自力で生活する方法を掴むことができたわけで、ブドリにとって悲しい事件ではあったけれど、ブドリに生き残る道を与えたできごとでもあったわけです。で、原作では、その後、再開することで、ブドリは救われるワケですが...。


何故か、イーハトーブは、摩天楼の林の中を飛行船が飛び交うような未来都市になっていて、そんなにテクノロジーが発展したのなら、火山を爆発させたりしなくても食料は何とかできたような気もします。人間の生活を脅かしてきた自然をコントロールして人間の生活を守るという発想は、それはそれでアリなのでしょうけれど、"火山活動のコントロール"よりも、"気候に左右されずに確保できる栄養源の確保"の方が、解決しやすい課題のような気がしてなりません。まぁ、この辺りは、原作の問題なので仕方ありませんが...。それに、原作が書かれた時代は、まだまだ自然が圧倒的な力を持ち、人間にとって闘う相手であっても保護する対象ではなかったのでしょうから。


登場人物がネコになる辺りも気にならないではありませんでしたが、ファンタジックな世界だし、宮沢賢治独特の言葉の使い方などをかんがえると人間として描くより、原作の雰囲気に馴染みやすかったのかもしれません。


ということで、ネリとの再会が削られたこと、何故、そうなったのかが見えてこなかったこと、そこが残念でした。イーハトーヴ市の造形とか、どことなくジブリっぽさを感じてしまったのは気のせいでしょうか。まぁ、アニメ作品を作る以上、ジブリを意識しないというのは無理なのでしょうけれど...。

11.25 自決の日 三島由紀夫と若者たち [DVD]/井浦新
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「仮面の告白」「潮騒」「金閣寺」「サド公爵夫人」「憂国」...数々の名作を著し、三島由紀夫はノーベル賞候補と目される文豪になっていました。その一方で、学生運動全盛期の1968年、三島は民族派の学生らとともに"楯の会"を結成。有事の際には自衛隊とともに出動し、命を賭す覚悟でした。けれど、学生運動などで暴動が起きても機動隊がこれを治め、自衛隊の出る幕はなく、三島と楯の会の面々は悔しさを募らせます。1970年11月25日、三島は楯の会の精鋭4人と共に、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地へと向かい...。


三島由紀夫が憂えた国とは何だったのか...。"国のため"は、恐らく、三島の心の中にだけあったものではなかったでしょう。三島とは真逆にいたサヨクな人々だって、多分、彼らなりの"国のため"だったはず。この日本という国をより良いものにしたいと願ったのは、どちらも同じだったのではないかと思います。三島の"日本"の中心には"天皇"がいて、サヨクの"日本"の中心には"人民"がいたことが両者の違いということになるのでしょうか...。どちらでもないごく普通の"ノンポリ"な人々の心の中にも愛国はあったかもしれないのです。ただ、理想を実現することより、当たり前の生活が当たり前にできる状況を維持することを好んでいるだけで。


三島は、国に殉じたというよりは、自らの美意識に殉じたという印象を受けます。究極に美を求めれば、その方向性によっては、行き着く先は"死"。生きることは必ずしも美しくありません。生きる限りは新陳代謝が起こり、エネルギーが消費され...、疲れもすれば、患うこともあり、そして、老いていく...。汚れや醜さと無関係ではいられないのです。そして、"最後まで美しくありたい"と願えば、"自決"という手段を選ぶことになるのでしょう。自分が思うような"美しい死に方"を目指すのであれば、死を自分の力でコントロールすることになるわけで...。国を憂うかどうかということとは関係なく、"美しく散りたい"と願った瞬間に、"自決"への道が敷かれたのではないでしょうか。


とことん美しさを追求していき、あまりに先鋭化してしまった結果、彼が頼んだ自衛隊からも共感を得ることができなかった...のかもしれません。その濁りのない純粋さは、普通の人々にとっては、刺激が強すぎたのかもしれません。自衛隊の隊員だって、もちろん、国を護ろうという使命に燃えていた人も少なからずいたことでしょうけれど、"一介のサラリーマン"として自衛隊に勤務していただけの人も相当多数いたことでしょうし、そんな普通の勤め人にとって、暑すぎる理想は鬱陶しいものでしかない...。


三島役の井浦新はなかなかの好演だったと思います。けれど、自らの美意識に殉じ、肉体を鍛え上げた三島のイメージとは、合わないような...。やはり、割腹する場面で、腹筋が割れた身体が観られないというのは、三島のイメージとずれてしまっている気がしました。三島が美しい肉体を手に入れるために鍛錬に励んでいたというのはあまりに有名な史実であり、それを知らないはずのない監督が井浦新を三島役に起用したということを考えると何らかの意図があっての確信犯的配役なのだろうとも思いますが、その意図が見えてきませんでした。かなりのこだわりがあって作り上げたはずの肉体美を感じさせない身体をわざわざ見せているのですから、それなりの理屈を示して欲しかった気がします。"美に殉じた"という側面よりも、"憂国に殉じた"という側面をより強調したかったということなのでしょうか...。


ドキュメンタリータッチの作品でありながら、ところどころに1970年頃にはないはずの"現在"の風景が入ってしまっている辺り、気になりました。これも、簡単に見逃すほど小さいものではなかったので、何か意図があるのだろうとも思いましたが、やはり、その意図がよく分かりませんでした。


ラスト。事件の5年後、居酒屋で隣り合わせて座る三島の妻、瑤子と古賀。瑤子が古賀に呟きます。「5年前のあの日、夫の身体を残して部屋を出た時、どんな気持だった?」そして、「何を残したの?」。何も答えずじっと手を古賀。その古賀の手が映し出されて本作は終わります。まぁ、ありきたりなセリフとラストシーンという感じもしますが、この重い感じのエンディングは悪くなかったと思います。ただ、そこに至るまでの描写が、全体に薄めで淡々としていて、このラストの重さとのバランスが取れていなかった感じがしました。その点も残念。


全体に、ドキュメンタリーとしてもノンフィクションとしても中途半端な感じがしましたし、三島の描き方にしても薄い感じがしました。楯の会についても、三島視点か森田視点かどっちつかずの印象を受けました。


もっと面白くできるはずのテーマなだけに残念な気がします。

続・菩提樹

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続・菩提樹 [DVD]/ルート・ロイヴェリック,ハンス・ホルト,ミヒャエル・アンデ
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祖国オーストリアを追われアメリカに渡ったトラップ男爵一家は、代理業者ザーミッシュと契約して地方巡業を行うことになります。しかし、歌の先生であるヴァスナー神父が古典的な聖歌のみを歌わせたことから、音楽会はいずれも失敗し、ザーミッシュに契約を解消されてしまいます。ニューヨークに帰った一家の財産は、僅か3ドル76セントしかありませんでした。けれど、酔った水兵にあわせて子供たちが美しい声で「オールド・ブラック・ジョー」を歌ったことから、隣人の元歌手、ブロンクス・リリーが、一家をハリスという大代理業者に紹介してくれます。しかしこのテストも、神父の命による聖歌で失敗。けれどこのテストがきっかけとなり、実業家のパーティの余興に招かれます。パーティでの成功によりハリスは一家と契約。地方巡業は満員になりますが、聴衆は評判のトラップ一家の顔を見にくるだけで、あまり歌には興味をもってはくれず...。


「サウンド・オブ・ミュージック」で有名なトラップ一家を題材にした「菩提樹 」の続編で、「菩提樹」でアメリカに渡った後のトラップ一家を描いています。


「菩提樹」以上にマリアが大活躍です。でも、その分、ゲオルクが精彩を欠いてしまっています。マリアやトラップ家の子どもたちは映画で描かれているゲオルク像に不満を持っていたようですが、確かに、本作のゲオルクは、マリアに振り回されるだけで、子守くらいしか活躍の場を与えられていません。仮にも海軍時代にはUボートの館長を務め、英雄的な活躍をし、数々の栄誉にも輝き、退役後も勢いを増していくナチスに抵抗するなど、なかなかの気骨の人なのです。もうちょっといろいろな面で役割を果たしていても良かったような...。


一応、マネージメントをする会社がついていたのに、聖歌ではなく世俗的な歌を歌うようにアドバイスするというようなことはなかったのでしょうか。ちょっとした偶然から、聖歌だらけのプログラムを変更する場面がありますが、もっと早い段階で、聴衆に受けなかった理由を分析し、売れるための戦略を練ってもよかったような...。昔は、マーケティングとか、あまり考えていなかったのでしょうか。


修道院で育ち、修道院を出てからはトラップ家での生活しか知らない世間知らずのマリア。聴衆受けしない原因が"セックスアピールがないから"だと指摘され、"セックスアピール"が何かを探る場面など、なかなかユーモラスで面白かったのですが、本来、マネージメントする側が助言すべきことだったような...。


ラストが、何だかミュージカル的になっています。将来、本作がミュージカルになることが予見されている...ってことではないのでしょうけれど、歌う一家を描く作品の締めくくりとしては良かったのではないでしょうか。「菩提樹」よりもそれぞれの個性が輝く子どもたちと数々の名唱が印象的です。