デリンジャー

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デリンジャー [DVD]/ウォーレン・オーツ,ベン・ジョンソン,ミシェル・フィリップス
¥3,990
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大恐慌の嵐いまだ吹き止まぬ1933年のアメリカ中西部では、銀行強盗が頻発していました。その中で、紳士的ないでたちで銀行の窓口に並び、順番になると銃を突きつけ札束を奪って車で逃走する強盗がいました。彼の名はジョン・デリンジャー。ホーマー、ハリーら4人の仲間と銀行強盗を繰り返すデリンジャーは、ある日酒場でインディアンとの混血の娘ビリーと知り合い、仲間に引き入れます。そんな頃、後にFBIとなる捜査局のフーバー長官はデリンジャーを撲滅するため、パーヴィスをシカゴの責任者に据えます。恐るべき執念で銀行強盗狩りを始めるパーヴィス。次々とギャングたちが血祭りにあげられ、デリンジャーも銃撃戦で仲間を失います。アリゾナでビリーとダンスをしていて警察の急襲を受けたデリンジャーは、ついに逮捕され投獄されますが、すぐに脱獄。新しい仲間を加えて新たな銀行強盗行脚を始め...。


本作のタイトルになっているのは、「パブリック・エネミーズ 」では、ジョニー・デップが演じたデリンジャー。この人が本作の主人公...だと思っていたのですけれど、むしろ、彼を追う側のパーヴィスの視点が強く感じられる作品になっています。タイトルロールにやけに"道徳的"なナレーションも被せられますし...。


そして、実際は、銀行を襲っても客の金には一切手を出さなかったことから義賊的な人気を博したデリンジャーですので、本作のデリンジャーは、実際よりも悪く描かれているということになるのでしょう。そう、デリンジャー氏、なかなかカッコ良いのです。逮捕されても、サッサと脱獄してしまう。それも、木に靴墨を塗った偽装拳銃を使って。なかなか爽快なのですよね...。人を1人殺してもいますが、関係ない一般人を意図的に殺したのではなく、シカゴの銀行を襲った際に警官を撃ったということのようで...。対して、FBIは、デリンジャー一味と見誤って3人の無関係の一般市民を銃撃し、その内の1人を殺しています。多分、「パブリック・エネミーズ」の方が史実に寄り添っているのでしょうね...。


デリンジャー側が悪で、捜査側が善とも決め付けられないのです。パーヴィスの視点を取り入れながら、必死にデリンジャーを悪く描こうとしているのに、捜査側の悪と"盗人にも三分の理"を感じさせてくれるデリンジャーの矜持がにじみ出てきてしまう感じ。これが、製作者側が意図したものなのかどうか...。


汚職が頻発する弱小組織だったBOI(捜査局)を大きな力を持つFBI(連邦捜査局)に変革させたのは1935年のこと。1933年から34年にかけて銀行を荒らしていたデリンジャーたちを取り上げ、「社会の敵(パブリック・エネミー)No.1」と名付けて社会の治安に対する不安感を煽り、強権を持つ捜査組織の必要性を訴え、デリンジャーを倒したことで名を馳せ、FBIの設置を認めさせたフーヴァーなのですから、実のところ、デリンジャーさまさまといって良いでしょう。


その後、歴代大統領や自分に都合の悪い人々を盗聴などで掴んだ情報を基に脅しながら力を集めていったフーヴァーこそが、巨悪だったと言うべきなのだと思うのですが...。


デリンジャー一味は、終盤、次々に殺されていくワケですが、そんな場面でも、それぞれの人間性や殺す側の理不尽が現れていました。


それぞれの人生のクライマックスを彩る派手な銃撃戦も見所と言えるでしょう。


主人公を演じた生前のデリンジャーの写真によく似た風貌のウォーレン・オーツの存在感がよかったです。オシャレ感漂うジョニー・デップより、泥臭い感じにリアリティがありました。あまりに捜査側の視点に偏った部分は気になりましたし、デリンジャー一味の人間関係など、少々、分かりにくい部分もありましたが(もしかしたら、平均的アメリカ人にとっては言わずもがなの常識なのかもしれませんが)、それなりに楽しむことができました。


レンタルのDVDで良いかとは思いますが...。

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ガール

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ガール DVD カジュアルスタイル (通常版)/香里奈,麻生久美子,吉瀬美智子
¥3,990
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奥田英朗の小説「ガール」を映画化した作品。原作は未読です。


由紀子、聖子、容子、孝子は勤め先も年齢も違いますが、何故か気の合う仲間同士。由紀子は大手広告代理店に勤めるファッション大好きな29歳。恋人、蒼太ともしっくりいかず30歳を前に苛立ちを感じる日々。聖子は会社で女性としては珍しく管理職に抜擢されますが、年上の男性部下、今井に嫉妬され、嫌がらせをされます。一方、夫の博樹は、自分より妻である聖子の方がキャリアも収入も上なのを一切気にしない様子。容子は文具メーカーに勤め、30歳をとっくにに越え、恋愛もオシャレも諦めかけていましたが、そんな時に、一回りも年下のイケメン新入社員の教育担当となります。孝子はシングルマザーで、息子と2人での生活。仕事と子育てに奮闘しているのですが、自分の頑張りが空回りしていっていることを感じるようになり...。


SACTの日本版...にしては、かなり庶民的な雰囲気だし、パワーダウンしている感じも否めませんが、そこが日米での女性の置かれた位置の違い...ということでしょうか...。というより、アメリカの金持ちと日本の庶民の違い...かもしれませんが...


それぞれが直面した問題や、抱えている悩みについては、成程、イマドキの女性たちが背負っているものとして実感できるものでしたし、そこで悩み、狼狽え、戸惑う彼女たちに共感できる部分もありました。


作中でも語られますが、選択肢の広さがイマドキの女性たちの迷いの一因となっていることは間違いないでしょう。社会の中心で力を振るっていた男性諸氏の方が「男子たる者・・・」という固定観念に縛られやすいもの。外れる側にいた女性たちこそ、「どうせ、女の子なのだから・・・」と、期待されない分、見逃してももらえるもの。まだまだ専業主夫として生きるには偏見と闘わなければならない男性とは違い、バリバリのキャリアウーマンになることも、専業主婦として良き妻、良き母を目指すことも、どちらでも、普通に受け入れられる女性たち。それだけに、「どう生きるか」を意識し、考えなければならないワケです。


そんな中で、悩み、迷い、苛立ち...。少々、ステレオタイプに描き過ぎている感じもしましたが、違ったタイプの4人を登場させることで、イマドキの女性たちの状況を捉えているとは思います。


ただ、一方で、4人の物語の入れ替りが目まぐるしくて、それぞれの物語に入り込みにくい感じがありました。折角、それなりに豪華なキャストを揃えているのだし、ちょっと、勿体なかったような...。


そして、対処方法には、疑問も...。特に聖子です。自分に嫌がらせをした相手にあんな謝り方をさせたところで、後腐れなく解決できるのでしょうか。謝らせて、気持ちの上では、若干溜飲を下げたところもあったのでしょうけれど、それで、本当に解決になったのかは疑問。却って、今井やその上司の復讐心を煽ってしまったかもしれません。相手をギャフンと言わせながらも、どこか、プライドをくすぐることを考える必要なあったような...。


何が正解か、何が幸せか分からないけれど、何が普通なのかも分からなくなってきているけれど、選択肢も多いようで、意外と思うように選べなかったりするけれど、それでも、それぞれの人生の中に納得と幸せが得られるのだと想いたいものです。

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EDEN

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船戸与一の短編小説「夏の渦」を映画化した作品。原作は未読です。


新宿二丁目のショーパブ"エデン"。雇われ店長でショーの演出もしているミロ。ある日の晩に店で酔っ払って寝込んでしまった客、"のりピー"を自宅に連れて帰ったミロでしたが、その翌日、42歳の誕生日の朝、ミロは、のりピーがベッドの上で死んでいることに気付きます。警察による調査が行われ、死因が心不全だったと分かり、一度は疑われたミロも無罪放免となります。遺体の確認に呼ばれたのりピーの父と兄は、男として生まれながら性転換し女性の身体になったのりピーの遺体を引き取ろうとはしませんでした。その夜、エデンでは、ミロの誕生日パーティ兼のりピーの追悼式が行われていましたが、その最中、引き取り手のいないのりピーの遺体が警察官によって運び込まれ...。


生来の性と心の性が違うということ、それが、実際どういうことなのか、私にとって実感し辛いことは事実です。体と心とが違う...ということ自体は、分かる気もするのです。けれど、その際に、疑いもなく(実際はあるのかもしれませんが...)、心を体に合わせるのではなく、身体を心に合わせるという方向性に行ってしまうのはどうしてなのか...。そんなに心は身体よりエライのか...。そもそも、心と体が違うままでは本当にダメなのか...。そこまで、外見の"男らしさ"、"女らしさ"に拘るのは何故か...。ただ、私自身が実感できない世界ではあっても、自分自身が生きる社会が、その"性へのこだわり"の中に生きる人々をそのこだわり故に排斥するような窮屈な社会であって欲しくないと思うのです。十人十色の社会の方が、一色に染まった世界より豊かだし、楽しいはず。自分の理解がとても及ばないような異色な人と共存する方が、好奇心を刺激されながら面白く生活することができるはず。


まぁ、いずれにせよ、本作では、心と体の性の不一致のために悩み、自分の心に正直に生きるために家族や周囲との軋轢を抱えた人々が中心に置かれています。


ただ、本作の舞台は、新宿二丁目。ここでは、むしろマジョリティーな彼ら。故郷ではマイノリティーとして排斥されることの多い彼らも、ここでは、生きる場所を得られるのでしょう。ミロが住むアパートも、マイノリティーな人たちが多い様子。差別や偏見の対象となりやすい少数派の集団だからこそ、いろいろあってもどこかで支え合い、助け合っている温かさが感じられます。そして、団結するマイノリティーたちのパワー。


派手で煌びやかでありながら、安っぽさといかがわしさが漂い、パワフルな存在感の一方で疎外された者たちの切なさ哀しさも描かれ、全体に深みが感じられる味わい深い作品になっています。


例外もありますが、彼らの多くは、帰れない故郷や家族への切なる想いを抱えています。


死後も家族から拒絶されたのりピーですが、ミロが効いたのりピーの最後の言葉は「お母さんに会いたい」。そう、彼らの故郷は、つまり、母なのです。どんな姿になっても母ならば受け入れてくれる...。そこには、かなり、世の男性たちの願望というか、幻想というか、ファンタジーというか...が反映されているような気もしますが...。故郷に運ばれたのりピーの遺体に母親が縋りつくシーン、クライマックスでミロが故郷の母に電話するシーンも印象的に残ります。


ミロの電話のシーン、結構、泣けちゃいました。


EDENの面々やミロと同じアパートの住人たちの描かれ方が、少々、ステレオタイプな感じはしましたし、「死亡~検視~司法解剖~身元確認~遺体引き取り拒否」の流れが速すぎる感じがあったり(のりピーの実家、かなり田舎なようですし、遺族が東京に来るだけでも相当な時間かかりますよね...)、突っ込みたくなる部分もありましたが、そこを差し引いても十分に面白く楽しめる作品でした。


完全にTVの世界からは干されてしまった感のある山本太郎ですが、本作は、少なくとも現段階での彼の代表作と言って良いのではないかと思います。



公式サイト

http://sumomo.co.jp/eden/

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人生の特等席

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大リーグの伝説的なスカウトのガスも、歳を重ね、最近では視界がボケてきて選手の動きを十分に見極めることもできなくなってきていますが、きちんと治療を受けようとしません。ガスの友人は、そんなガスを心配し、弁護士をしている娘のミッキーに、ガスのスカウト旅行に同行するよう頼み込みます。6歳の頃に、母を亡くしてから、親戚の家に預けられ育てられたミッキーは、ガスに捨てられたという思いを抱えていて、一方、ミッキーが自分とは違う道で成功することを望んでいるガスは、ミッキーが自分のそばにいることを嫌がります。互いに相手を想いながらもすれ違う2人ですが...。


まぁ、ありがちな父と娘の物語です。


実にシンプルな分かりやすいストーリーで、展開に意外性もなく、予想通りに予定調和な場所に落ち着いていきます。


本作の魅力は、主演のクリント・イーストウッドの存在感と娘を演じたエイミー・アダムスの可愛らしさ。いや、まさに、世のお父さんたちにとって、夢のような理想の娘でしょう。父に対してちょっとした恨みの気持ちを持っていても、それは父への愛情の裏返し。しっかりと愛情を持っていて、父を心配し、何かと世話を焼いてくれ、父の夢を受け継いでもくれる。それで、父の性格をしっかり受け継いだ上にこんなに可愛かったら、もう、何も言うことなどないはず。


良く似た頑固者同士の父と娘。この"似た者同士"という部分が、反発しあいながらも相手を断ち切れずにいる要因の最たるものだったのかもしれません。


ただ、不思議なのは、ガスがミッキーに連絡を取らなかったと言うこと。確かに、ガスの仕事のためにあちこちミッキーを連れ歩くという生活がミッキーのために良いとは思えません。親戚に預けたくなることは理解できます。でも、一度も連絡を取らないというのはどうなのか...。ミッキーが親戚の家での生活に馴染めなくなることを心配して?でも、学校の寄宿舎に入っている時なら、その問題もなかったような...。長い休みもあるはずだし、一度も会うことも、連絡を取ることもしないというのは、今一つ、腑に落ちませんでした。


そして、6歳で別れて以来、ミッキーが成長するまで、ほとんど接触がないにも拘らず、ミッキーがあんなに野球に詳しいというのも、少々、不思議な気が...。ガスでない誰かから、野球についてかなりしっかり学んだということなのでしょうか。その辺りの描写は欲しかった気がします。仮にも高校野球のスターで、各球団のスカウトたちから注目を浴び、その年のドラフトの目玉となるような選手にバンバン空振りさせるピッチャーの投げるボールを受けられるのですから、ミッキーは、相当に練習を積んできているということなのですよね?只者でないレベルで野球に関する知識を持ち、選手の能力を見分ける眼を持ち、プレーすることもできる。さらにその上に、弁護士として一流レベルの活躍をしている...となると、どこまで、スーパーウーマンなんだか...。さすがに、少々、やり過ぎのような...。


野球好きなオジサンたちのファンタジーなのかもしれません。自分が人生を賭けた野球。仕事で忙しく十分に面倒を見ることはできなかったけれど愛情を感じていた娘。自分に反発する様子を見せながらも、決して見放すことはせず、賭けてきた仕事で成功するチャンスをふいにしてしまうかもしれない状況にも拘らず、何かと世話を焼いてくれる。そして、同じことに興味を持ち、学び、同等レベルのものを身に付けてくれて、同じ道を歩むようになってくれる。


他球団のベテランスカウトたちと昔の映画や俳優たちの話をする場面、なかなか面白かったです。そんな小ネタを巧く挟み込んだところなど、本筋とは直接関係ありませんがにやりとさせてくれる部分もあったり、それなりに楽しめる作品にはなっていたと思います。



公式サイト

http://wwws.warnerbros.co.jp/troublewiththecurve/

レンタネコ

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レンタネコ[DVD]/市川実日子
¥5,040
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都会の片隅にある平屋の日本家屋でネコに囲まれながら育ってきたサヨコは、「寂しいヒトに、猫、貸します」と呼びかける"レンタネコ屋"。そんなサヨコから猫を借りるのは年齢も境遇も異なる人々。 夫と愛猫に先立たれた老婦人、単身赴任中の中年男性、自分の存在意義に疑問を感じるレンタカー屋の受付嬢、サヨコと中学時代に同級生だった男...。


ネコが心の穴を埋める...猫派ではない私ですが、そのこと自体には納得できるような気がします。柔らかい感触の身体、変に人間におもねるでもなく、でも、人間と関わろうとする部分もありなネコ。日中のほとんどを寝て過ごすその寝姿を見ているだけでもホッコリしたりする気持ちも分かります。


ただ、本作でとても残念なのは、ネコが心の穴を埋める様子があまりきちんと描かれていないこと。ネコを貸すまでのいきさつとネコが穴ぼこを埋めた結果は描かれるのですが、途中経過がほとんど端折られていて、そこがないために、描写が全体に浅い感じになってしまっているような...。


そして、何故、ネコである必要があるのか、借りられたネコと借主の関わりがあまり表現されていないので、ネコではなくてイヌであっても、生きているネコではなくぬいぐるみであっても何の問題はなかったような感じがしてしまうのです。


レンタカー屋の受付嬢が"ドーナツの穴を食べる"シーンは印象的でした。その時を振り返り、穴は食べるものではなく埋めるものだというサヨコ。この2つのシーンは良かったと思います。この辺りが、もう少し掘り下げられていると面白かったかもしれません。


河川敷を歩くネンタネコ屋。何故、住宅地を歩かないのかというのも疑問。普通、流しで商売するなら、人が住んでいるところを歩くのではないかと...。客層を河川敷の住人な皆様に設定しているわけでもないようですし...。それに夏の炎天下、毛皮を着たネコを連れ出すというのもどうかと...。一応、傘をさしてはいますが、あんなに高いところに傘を置いても、全く意味ないような...。大体、日傘ですらないようだし...。レンタルする際に、ネコにとって良い環境で飼える人かどうか審査するなどとエラそうなこと言っている割には、ネコのことを考えていないような...。


小林克也演じる隣のオバチャンは良かったです。この人の存在があることで、足元が浮いてしまっているようなフワフワとした本作が、辛うじて世の中との接点を持てているような気がします。

さよなら。いつかわかること

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さよなら。いつかわかること [DVD]/ジョン・キューザック
¥3,990
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シカゴのホームセンターで働くスタンレーの家族は、12歳とは思えない程しっかりとしている長女、ハイディ、8歳の次女、ドーン、陸軍の軍曹でイラクに派遣されている妻、グレイス。スタンレーがいない時にこっそり戦争のニュースを見るハイディと、毎日、母親と同じ時刻に互いのことを想うという約束を守るドーン。母親を恋しがる2人の娘となかなか巧く接することができないスタンレーは、ぎこちなく日常を過ごしていました。ある日、グレイスが戦死したという報せが届きます。突然の訃報に戸惑うスタンレーは、娘たちに伝えられないまま、グレイスの出征前に家族で遊びに行った遊園地に行くことにします。スタンレーの突然の行動を訝しがるハイディと遊園地行きを無邪気に喜ぶドーン、そして、夜中にこっそり自宅に電話し、グレイスの声で録音されている留守番電話の応答メッセージを聞くスタンレー。最初は、ぎくしゃくしていた3人でしたが、徐々に、関係がほぐれていき...。


アメリカ軍兵士の15%位は女性なのだとか。兵士の妻の会はあっても、夫の会はない辺り、まだまだ少数派であることを実感させられますが、女性兵士も前線に送られるようになれば、"銃後の夫"の物語も紡がれていくことになるのでしょう。


戦場に行くのですから、予想の範囲であるはずの結末とはいえ、やはり、遺された家族の驚きも喪失感は相当に大きいことでしょう。いくら戦地に派遣されるとはいえ、無事に帰還する兵士の方が多いのですから。自分の家族は無事に帰ってくるものと信じて...信じようとしながら送り出すのでしょうから。


で、スタンレーも戸惑います。そして、問題は2人の娘にどう真実を伝えるか。2人の子どもたちが大きなショックを受けるのは間違いありません。けれど、隠し通せることでもありません。そう遠くない時期...というより、近日中に伝えなければならない、でも、娘たちを傷つけたくはない...。


スタンレーにとっても受け入れたくはない事実だったことでしょう。それを娘たちに受け止められるように話さなければならない。これは、かなりの難題です。


とっさに取った行動が"遊園地に娘たちを連れていく"。ハイディは、何かを察します。成程、しっかりした賢い女の子です。子どもらしい喜びを見せるドーンとスタンレーの言動に不審を覚えるハイディ。この2人の対比があることで、スタンレーとの親子関係に深みが出ているのでしょう。


スタンレーにすれば、まだまだ幼く弱々しい存在なハイディは、異変を感じスタンレーが何かを隠していることを悟ります。けれど、スタンレーを直接問い詰めることもできないのも、ハイディが子ども時代を脱しつつあることの証左なのでしょう。時として子どもは親が考える以上に成長するもの。ただでさえ、微妙な父親と年頃の娘の関係。そこに、グレイスの問題が絡んでいるから、ますますややこしくなるわけで...。ハイディの成長をつかみ損ねていることが、スタンレーの戸惑いの一因ともなっているのでしょう。互いに相手への愛や思いやりがあっても、どこか奥歯に物が挟まったようなぎこちない感じ。そんな微妙な感じが、時にユーモラスに描かれます。


変にお涙頂戴な方向に走らず、実力派のキャストにも支えられ、淡々と静かに丁寧に描かれた良作だと思います。


「自分とは異なる意見でも、それが真実ならばそれを受け止めること」という意味のセリフが印象的でした。これは、この戦争を始めた者たちに受け止めてもらいたい言葉であり、それができれば、多くの戦争や紛争を防ぐことができたかもしれません。さらに言えば、「例え、自分の真実と相手の真実に違いがあっても、どちらかが間違っているとは限らない」...ということなのでしょう。

ロボット

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ロボット [DVD]/ラジニカーント,アイシュワリヤー・ラーイ,ダニー・デンゾンパ
¥3,990
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天才科学者バシー博士は、二足歩行型の高性能ロボットを創り出し、チッティと名付けます。あらゆる知識を吸収して応用するスキルを備え、人類の未来を切り開く偉大な発明となるはずでした。バシー博士がチッティを狙う悪徳科学者の計略にはまり、当初、感情を持たなかったチッティを、感情を持つよう作り変えたところ、チッティは、バシー博士の恋人、サナに恋をするようになりますが、拒絶されます。失意のチッティは、悪徳理工学者の手によって殺人兵器に変身してしまい...。


これは、かなり"正しいインド映画"です。予告編を観た時は、斬新なインド映画が誕生したのかと思いましたが、むしろ、由緒正しき伝統的ないかにもなテイストを感じさせてくれる作品でした。で、ちょっとガッカリしたような、安心したような...。ギャクのセンスの古さも、残念なような、嬉しいような...。


インド映画なら、ロボットも当然のように踊る。何があっても踊らなければインドではありませんから。インド映画にしては、"いきなり群舞"の場面が少ないとは思いましたが、ダンスシーンはお約束通り、用意されています。


妙に科学的でリアルな部分も挟み込まれますが、基本的にはあり得ないことだらけ。そんなところも実にインド映画です。


ただ、「ムトゥ 踊るマハラジャ 」のような派手で煌びやかな極彩色な雰囲気には欠けます。まぁ、未来チックな雰囲気を持つ作品なので、その辺りは致し方ないのかもしれませんが、研究室も極彩色だったりすると、さらにインド映画っぽさが感じられたかしれません。近未来的な雰囲気を強調した点が、洗練に繋がったのか、パワーダウンになってしまったのか、その辺りは微妙な感じがします。


もし、これがインド映画でなければ、面白いと思えなかったかもしれません。インドならアリな感じで、思いの外、楽しめます。これだけ馬鹿げた作品のために37億円の巨費を投じたという辺りも実にインドな感じ。それができるエネルギーには本当に頭が下がる想いです。


全編に溢れるパワー、強引さ、ハチャメチャさ、豪華さ...といったものが、観る者の中の何かを動かすのでしょう。


今回、観たのは短縮版ですが、それでさえ239分という長さ。完全版は177分とのこと。パワフルな作品は、観る側にも力を要求するということでしょうか...。ほとんど3時間もの間、この雰囲気の作品を観たりしたら、何かを吸い取られてしまうような気もします。完全版も観てみたいような、みたくないような...。

オー!ゴッド

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オー!ゴッド [VHS]/ワーナー・ホーム・ビデオ
¥15,750
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最近、DVDが出たようですね。


ジェリーは、さほど裕福ではないけれど、スーパーマーケットの売り場主任をしていて、妻のボビーと息子のアレン、娘のベッキーの4人家族で、平凡ながらも幸せに過ごしていました。そんなある日、日時、場所、時間が指定してあり、そこに来るように、と書いてある手紙が届きます。差出人はGOD。ただのいたずらだと思ったジェリーはそれをゴミ箱へ。しかし、真夜中に目をさますと、捨てたはずの招待状を枕もとで発見。不思議に思いながらも今度は破って捨てなおします。ところが、翌日、職場でレタスの葉をむいたジェリーはそこに神からの招待状が入っているのに気づきます。ジェリーは神が指定したビルの27階の2700号の部屋にを訪ねます。その部屋は、イスとインターホーンがあるだけの真白な部屋で、そのインターホーンから、神の声が聞こえて来ます。どこかに誰かが隠れているに違いないと思ったジェリーは、あちこち捜しますが、誰もいません。しかもこのビルは17階建てで27階などあるはずがないのです。意を決したジェリーは神の声に耳を傾けます。「最近人間は私を信じず、破滅への道を歩きはじめている。さらには、私が死んだなどと言いだすものもいる。私は正直者で善人のお前が好きだ。だから私の助手として、私がまだ生きていて、人間を見すててないことを示してくれ。」と告げ、さらに、まずはマスコミを利用しろ、とジェリーに名刺を渡します。ジェリーは神の言葉に従い、新聞社などに行きますが...。


ジェリー自身の心配通り、狂人扱いされるジェリー。マスコミからは、面白おかしく取り上げられ、騒がれ、職場からも追われ...。特に信じているわけでもなかった神のために酷い目に遭います。それは、彼自身予測し、心配していたことなわけですが、それでも、依頼を引き受けてしまうのは、ジェリーの人の良いところ。神もそこに目を付けたということでしょう。


現に起こっている出来事についても、この先起こりうる出来事に対しても、責任を取る気などさらさらない神様。どうやら、彼の役割は創ることであって、創ったものがどうなるかということは、範囲外のようです。いや、これまでの宗教の歴史を見れば分かることなのですけどね...。


実際、今まで、神様が、人を救うために直接的に何か手を出してくれたことなどないのですから。そういう意味では、ジェリーに対してはかなり特別扱いです。彼が窮地に追い込まれた時、神は姿を現します。それだけでなく、奇蹟まで見せてくれちゃったりします。これは、かなりすごいことです。


イエスは、人類の罪を贖うために磔刑になるという役割を背負っていたので、その任務を全うするためにも神が出てきて救い出すというわけにはいかなかったのでしょうし、復活をさせてくれているわけですから、それなりに神様も何とかしてくれたということなのでしょう。けれど、その後の長い歴史の中で、数々の殉教者が生まれ、犠牲者が出ても、神が姿を現して、誰かを救うために、直接、手を出してくれる...ということはないようです。


きちんとした形で確かめることができないからこそ、信じるか信じないかの問題になるワケで、"信じる"という行為そのものを重視するのであれば、やたらと"証拠"を見せるものではないということなのでしょう。客観的、科学的な証明ができるのなら、それは、もはや、信じるかどうかという問題ではなくなりますから...。


創ることが役割であって、創り出したもののその後には責任を持つ気もなく、未来についても関知しないのが、神だそうで...。一見、かなりいい加減な神様ですが、これこそが本当の神様なのだろうと思わせてくれる"GOD"でした。そう、神様に創造物のその後についての意識があるなら、世の中こんな風にはならないでしょう。


基本的に、創ること、見ていること、聞いていることが神の役割で、創ったものを動かすことも願いや祈りを叶えることも神のすべきことではないのです。


けれど、明確な証拠があるワケでもない存在を信じ、その相手に向かって祈りをささげる行為の中でこそ、人の心は救われるのかもしれません。絶対的な存在に見守られているという安心感を得られたら、人は平穏のうちに生きることができるのかもしれません。


ジェリーが、様々な妨害にあっても負けないのは、彼の中にある信じる心のためなのでしょう。まぁ、もっとも、ジェリーは、確かな証拠を見せつけられているわけですが...。


神様ご光臨で、ジェリーは救われます。奇蹟を実際に見せることで解決...というのは、やや、安易に流れてしまっている感じもしますが、それ以外の方法となると、実際には難しいのでしょう。それでも、ここは、もうひと捻りあると、さらに面白くなったような気がします。


ポイントは、「キリストも、モーゼも、ムハンマドもワシの子」というGODの言葉でしょうか。神が絶対的な唯一神で、世界を創造したのなら、人類は全て兄弟...のはず。その人間同士の間に起こる紛争は同じ親からの愛を奪い合う兄弟喧嘩ってことなのかもしれませんが、いい加減にしろよってことなのでしょうね。


神は大仰に祀り上げて奉る存在ではなく、もっと身近にいて語りかけるような存在で、神や信仰のために大金を使って大事業をする必要もなく、教会や宗教団体に貢ぎ、奉仕する必要もない...ってことなのでしょう。一人で神に向かい合うには、あまりにか弱い存在である人間にとって、簡単なことではありませんが...。


宗教や神といったものを、ユーモラスに、けれど、しっかりとその本質を捉えながら巧く描いている作品だと思います。なかなか面白かったです。


ジェリーを演じるのはジョン・デンバー。そう、"カントリー・ロード"や"太陽を背に受けて"、"悲しみのジェット・プレーン"などの大ヒットで知られるシンガーソングライターです。1997年10月12日、カリフォルニアで休日を過ごしていた時、自分で操縦する飛行機の事故で亡くなっています。本作が撮られた1977年の20年後、53歳でした。

ラスト・タイクーン

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ラスト・タイクーン [DVD]/ロバート・デ・ニーロ,トニー・カーティス,ジャンヌ・モロー
¥1,500
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メトロ・ゴールドウィン・メイヤー(現MGM)の創設者、アーヴィン・タルバーグをモデルにした作品で、原作は未完のままとなったF・スコット・フィッツジェラルド最後の長編小説「ラスト・タイクーン」。


スターは、ビジネスマンとしても芸術的センスという面でも優れた才能を持っており、若くして、ハリウッドの大手映画会社、インターナショナル・ワールドの若手製作部長に抜擢され、ハリウッドにおいても大きな力を持っていました。新作を撮影中のスタジオで、大物男優とフランスから来た大女優、監督の間に発生したトラブルの処理もこなす彼は、上司である撮影所長ブラディに妬まれてもいました。そんなある日、カリフォルニア沿岸が大地震に襲われ、撮影所でも貯水タンクが壊れるなどの被害が出ます。そして、その混乱の中で、スターは今は亡き妻に生き写しの女性を見つけます。スターは、早速、その女性を探させます。その女性はキャスリン。当初はつれないキャスリンでしたが、なんとかデートの約束をとりつけたスター。マリべ海岸に建設中の家を案内しますが、キャスリンは、「結婚を約束した人がいます。もう2度とお会いしません」という手紙を残してその場を去ります。一方、ブラディの娘は、スターのことを密かに想っていて...。


MGMは今やラスヴェガスのホテルの方が有名になってしまっていますが、1920年代から50年代まではハリウッドに帝王として君臨していました。そして、その中心にいたのがルイ・B・メイヤーとあ本作のスターのモデルであるサルバーグでした。


今以上に、映画が重要な娯楽で、世の中に大きな影響をもっていた頃のハリウッドに君臨していたのですから、なかなかのもの。作中では"1000万ドルの男"と言われていますが、本作が制作された1976年は1ドル=300円前後だったのですから、今とは随分違います。お金の価値自体もかなり変わっていますし...。大卒初任給が10万円に満たなかった時代です。


かなりぶっ飛んだ大物なのですが、何だか、その大物感が、今一つ伝わってこない感じがします。だから、ラストで落ちる部分も落差が十分に感じられないというか...。


原作者も、スタッフも、出演陣も、それぞれ、大物が揃えられ、実に豪華です。それなのに、その豪華さをほとんど実感できないというか、楽しめないというか、観ていて、相当数の大物たちによって支えられている作品であることを忘れてしまうような...。


そう、豪華な面々の実力が生かされていないのです。


スターが、何故、それ程、キャスリンに執着するのか、愛しくてたまらない亡き妻に瓜二つだからというだけではどうにも弱いのです。大体、亡き妻との関係がどうだったのか、その辺りもどうも伝わってきません。今を時めくスターが、どうして、キャスリンに素っ気なくされても、つれなくされても、夢中になるのか...。どうも、この女性なら、スターがメロメロになるのも納得!と思えるほどのものが感じられないのです。華やかな世界で、いくらでも魅力的な女性たちはいたでしょうに、何故、彼女だったのか...。何と言っても飛ぶ鳥を落とす勢いのスターですから、その彼が仕事を二の次、三の次にしてまで追いかける相手なら、もっと、魅力的な女性でないと...。最愛の人に顔が似ていただけって、ちょっと違うような...。


キャスリンの言動も実に不思議。ハリウッドで生活し、ちょこちょことイベントに顔を出しているにもかかわらず、映画には興味がない様子。スターと踊ったパーティも、何のために出席したのか、彼女のスターへの言い訳と行動が合わず、なんだかよく分かりません。


最終的に、スターは、築いた地位を追われるワケですが、何故か、ほとんど悲壮感がありません。稼げるだけ稼いだのだからもういいということなのでしょうか。試写会も成功したから、もう、十分ってことでもないですよね...。


ハリウッドの内幕もの的な面白さもあることはあるのですが、その辺りも、やや中途半端。折角、勢ぞろいした実力派たちの力をもっと生かせていれば、かなり面白い作品になったのではないかと思うのですが...。残念です。

SHAME -シェイム-

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SHAME -シェイム- スペシャル・エディション [DVD]/マイケル・ファスベンダー,キャリー・マリガン,ジェームズ・バッジ・デール
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NYに住み、仕事もスマートでソツのない独身男性、ブランドン。彼は、行きずりの女性やプロの女性との一夜限りの情事、シャワールームやオフィスのトイレでのマスターベーション、ネットのポルノ動画の収集...、性欲を処理する行為に依存する日々を過ごしていました。そんなブランドンがシングルライフを謳歌するアパートに、妹のシシーが転がり込んできて...。


かなり痛いです。ヒリヒリとした切なさが全編を覆っています。


ブランドンは、愛を考えないために、愛から逃げるために、愛から自分を守るためにセックスに没頭し、そのために女性を求めます。というより、セックスせずにいることが辛い様子。シシーは、愛が欲しくて男性を求めます。2人に何があったのか、特に説明はされません。


シシーの腕に残る数々の傷。そして、ブランドンのセックス。シシーが腕に刃物を当てる行為とブランドンのセックスは、同じような意味を持った行為なのかもしれません。


ブランドンの自分の住まいに転がり込んできたシシーへの態度やシシーの言動に対する反応を見ると、シシーへの複雑な愛憎が感じられます。


同じ問題を抱えた者同士。けれど、その問題が表出される方向性は全く逆で相容れない部分があって。同類項のような水と油のように反発しあうような微妙な関係。そして、2人でいることで、益々、孤独になり、闇を深めていくブランドンとシシー。この2人にも、仲の良い兄妹として生きていける可能性は皆無ではなかったのではないかと...。


クライマックスのある事件により、ブランドンとシシーの関係は未来を失います。ラストのブランドンが向かう先は、観る者の想像に委ねられていますが、私は、それまでの彼と同様な行動をとるのではないかと思いました。シシーとの関係が終ってしまったことで、ブランドンは、変化するチャンスを失ってしまったのではないかと...。あるいは、ブランドンは、とことんまで堕ちることを受け入れたのかもしれません。シシーが落ちた地獄に堕ちることで、彼は、シシーへの償おうとしたのかもしれません。


やたらとセックスシーンだらけなのですが、不思議と色っぽさやエロティックな感じはありません。淡々とノルマをこなすために励んでいるという感じさえします。


シシーを演じたキャリー・マリガンが、ナイトクラブで歌うシーンがあるのですが、見事な歌いっぷりで印象的でした。


そして、ブランドンの職場のPC。まぁ、チェックした上司もかなりしょうもないのですが、職場のPCなら、どこのサイトにアクセスしたか割り出すことはたやすいこと。当然、クビになりますよね...。そこのところ巧くやれるだけのIT関係の技術を持っていたってことなのでしょうか...。


特に面白い作品とも思えませんでしたし、正直、溢れんばかりのセックスシーンには辟易しましたが、いろいろと考えさせられる作品ではありました。