希望の国

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舞台は東日本大震災から数年後の20XX年、日本、"長島県"。酪農を営む小野泰彦は、妻の智恵子、息子の洋一、その妻のいずみと満ち足りた日々を送っていました。ある日、長島県東方沖を襲ったマグニチュード8.3の地震と、それに続く原発事故は、人々の生活をたちまち一変させます。原から半径20キロ圏内が警戒区域に指定さ、隣の鈴木家は避難区域に入り、家を追われますが、小野家は、道路ひとつ隔てただけで避難区域外となります。けれど、泰彦はかつてこの国で起きた未曾有の事態を忘れていませんでした。国家はあてにならないと言い、自主的に洋一夫婦を避難させ、自らはそこに留まります。一方、妊娠がわかったいずみは、子を守りたい一心から、放射能への恐怖を募らせていきます。その頃、避難所で暮らす鈴木家の息子、ミツルと恋人のヨーコは、消息のつかめないヨーコの家族を探して、瓦礫に埋もれた海沿いの町を一歩一歩と歩き続けていて...。


福島での原発事故の処理をきちんとしないまま、今のままで放置すればどうなるのか?その一つの答えがここに示されているのでしょう。そして、事故の原因究明や対策の立案がこれ以上進まなければ、本作のような状況が生まれる可能性は低くなく、原因の究明が不十分なままに放置され、有効な対策がたてられないまま終わってしまう可能性は高いのでしょう。


それが、日本のお役所や政府の現実。まだまだ事故のあった原発の処理も済んでいないどころ、いつ処理を終えられるのか、その目処もたっていないというのに、政府は事態が終息したことにしようとしています。


ただでさえ狭い日本の国土。同じような事故がまた起きたらどんなに大きなダメージを被ることか。原発を推進したい勢力はまだまだ生き延びていて、虎視眈々とその機会を狙っています。けれど、今の状態で、本当に"同じ過ちを繰り返さない"と言えるのか...実に心許ないのです。


事故について真実を伝えようとせず、真剣に被災者を守ろうとも、その心情を斟酌しようともしない政府、自治体、マスコミ...。理不尽に生活を奪われる被災者。被災者たちに偏見をぶつける人々。被害を受けていながらその現実を忘れていく被災者。忘却の流れに乗れない者を弾き出そうとする人々。そこには、この国を覆う様々な問題が炙り出されています。


広島も長崎も記憶の遥か彼方に消え、福島でさえ、忘れようとしている今、私たちは、"歴史から学ぶ"ということの大切さを思い出さなければならないのではないでしょうか。広島で、長崎で、どれ程の人が犠牲になったか、福島で、どれ程の人が住む場所を奪われ、故郷を奪われ、この先も奪われ続けることになるのか、そして、これからどこまで被害が拡がっていくのか。そこから目をそ背けてはならないのです。


「これは見えない戦争なの。弾もミサイルも見えないけど、そこいらじゅう飛び交ってるの、見えない弾が!」そう、どこがどの程度、放射能に汚染されているのか、肉眼で確認することも、触れることも、臭いや重さや質感を感じ取ることもできません。それだけに、その存在を実感し辛く、忘れてしまいやすいもの。そして、例え、そのために癌になったとしても、それまでにはそれなりの年月がかかるわけで、その原因が放射能汚染にあったのかどうか決めることができず、それだけに害を実感しにくいことも確かです。それでも、問題は、確かにそこに存在するのです。広島や長崎の原爆が、福島の原発事故が今も確かにその証を残しているように。少し目を凝らせば、感覚を研ぎ澄ますことができれば、感じることができるはずのものなのです。


大切なことは、感覚を働かせ、考えることを諦めず、歩みを止めないことなのです。その先には、必ず光が射すはず。その光を見るためには何よりも生きていることが大切。


けれど、どんな絶望的な状況にあっても、生きていれば何とかなる...かもしれません。瓦礫の山の上でも、一歩一歩、小さな歩みを続けていけば希望も見えてくる...かもしれません。生きて、小さな一歩を重ねていく、その先にこそ希望がある...のかもしれません。その歩みの先に帰る場所があることを信じたい...そんな気持ちになることができる作品です。

少々、盛りだくさんになり過ぎて、焦点がぼけた感じもしなくもありませんが、今の、そして、これからの私たちが生きる世の中について考えさせられる作品でした。重い作品ではありますが、一度は観ておきたい作品だと思います。



公式サイト

http://www.kibounokuni.jp/

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アルゴ

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1979年11月4日、テヘラン。独裁者、パーレビ国王を倒し、ホメイニ政権を樹立したイラン。前政権が行ってきた圧政への報復が激しくなるなどの混乱の中、アメリカはがん治療を名目にパーレビ国王をアメリカ国内に保護します。それにイラン国民は激しく反発。アメリカ大使館を過激派グループが占拠し、52人もの人質を取るという事件が起きます。パニックの中、アメリカ人6名が大使館から逃げ出してカナダ大使の私邸に匿われます。救出作戦のエキスパートとして名をはせるCIAエージェントのトニー・メンデスは、6名の救出計画立案を命じられますが...。


サラッとではありましたが、そもそもは、米欧が、イランに誕生した民主的な政権を倒し、自分たちに都合の良い政府を作り上げ、石油の利権をほしいままにしようとしたことが事件の原因であることが描かれていた点に好感を持てました。そして、大使館員6人の脱出を助けたイラン人もいたこと。単純な"アメリカ人=善、イラン人=悪"という図式に陥っていなかったところは良かったと思います。


それでも、この事件は一部の過激派が起こしたというよりは、間違いなく、一般国民の怒りがそこにはあったわけですし、実際には、6人が救出された後も、1年もの間、大使館で人質になったアメリカ人たちは囚われていたわけで、6人が助けられて万歳っていう単純な話ではないわけですし...。その辺りの描き方は、やはり、浅かったような気もします。


米欧の支援を受けて首長となったパーレビ国王は、国民の窮状も考えず贅沢三昧、圧政を行い、多くの国民がその犠牲になりました。けれど、そんなパーレビ国王を米欧は支援したのです。奢れるもの久しからず...どんなに盤石と考えられた独裁政権もいつか倒されるもの。そして、積もり積もった恨みから報復が行われ、当然のことながら、パーレビ国王を支援していた米欧にも恨みは向けられます。


もちろん、だからといって、大使館員を人質にしたことが正当化されるわけではありませんが、それ程までの怒りが湧き起こった背景を考えれば、事件を起こした過激派グループの心情は理解できるような気がします。


まぁ、冷静に考えれば、イランを混乱に陥れた責任の大きな一端はCIAにあり、その犠牲にさせられそうになっていたアメリカ大使館員たちを救出するのは、ある意味、自分たちのやったことの結果に対する落とし前をつけたってところでしょうか。それでも、同じような状況になれば自国民を見捨てかねない日本政府に比べればはるかに立派ってところでしょうか。


実際、この事件の6年後、フセイン大統領が、、「1985年3月19日20時以降、イラン領空を通過する航空機は民間機といえども安全を保障しない」と警告を出した時、イラクに取り残された日本人の救出のために航空機を出すことができませんでした。幸い、トルコ政府が救援機を出してくれ、日本人は無事救出されたわけですが、本作で描かれた事件程、厳しい状況に置かれていたとはとても思えないのですが...。指定された時刻前なら飛行機を着陸させることも離陸させることも、国外に出ることも認められていたわけですから...。


それはともかく、実話でなければ"リアリティがない"と断ぜざるを得ないような、冗談のような、オハナシでした。6人の命を救うためとはいえ、ここまでやるかという内容。その面白さにも興味を惹かれましたし、実際のできごととして結果を知っていながらもハラハラドキドキする展開にも引き付けられました。もっとも、ラストの脱出に至るハラハラ場面は、実話に倣った展開ではなく、ほとんど創作のようです。このラストの部分は、少々、煽り過ぎな感じもしましたが、観る者の多くが結末を知っている以上、これくらいの緊迫感は出したかった...ということなのかもしれません。


行き場を失い命が危険にさらされているアメリカ大使館員6人と彼らを匿っていることで危ない状況に置かれたカナダ大使夫妻とメイド。作戦を計画し遂行しようとするCIAとハリウッドの協力者。ハリウッドの面々と在アメリカのCIA関係者は、まぁ、安全圏に身を置いているものの、イラクにいる人々は、下手すれば...というより、奇跡的にうまくいかなければ、命を奪われる可能性大な状況。


直接的に暴力を描いたり、残虐な描写が使われていたりするわけではありません。描かれている状況を考えれば、むしろ大人しい描写といってもいいかもしれません。それでも、確実に危機が迫るっていることを丁寧に描きつつ、6人の状況を十分理解しないままでいるアメリカ政府高官の様子をそこに重ねられ、切迫感が伝わってきます。


シリアスな事件を題材にしつつ、ハリウッドの内幕も出してみたり、ユーモラスな場面も散りばめられたり、オチャメな味わいも付け加えられています。偽映画の制作という作戦を映画で描くという仕掛けにも面白さがあったりしますが...。


オバマ大統領の劣勢が伝えられるこの時期。本作の当時の大統領は民主党のカーター大統領。オバマ大統領も民主党。それとなく、民主党の宣伝...というのは考え過ぎ?


それはともかく、娯楽作品として楽しむことができ、歴史の一コマを知るドキュメンタリー的な楽しみ方もでるバランスの良い作品になっていたと思います。


一度は観ておきたい作品だと思います。お勧めです。



公式サイト

http://wwws.warnerbros.co.jp/argo/

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アジアの嵐

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アジアの嵐 [DVD]/ワレリー・インキジノフ
¥3,990
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イワン・ノヴォクショーノフ原作を映画化。1920年代のモンゴルを舞台に、イギリス軍によってジンギスカンの末裔に祭り上げられた男が、パルチザンの長になっていく様を描いた作品


原作はシベリアの作家イワン・ノヴォクショーノフの「ジンギス汗の末喬」。モンゴルを占領したイギリス軍とソビエト・パルチザンとの闘いを通して民族解放闘争の黎明を描いています。


本作は、1928年に製作されたサイレント作品に1949年に吹き替えによるセリフとサウンドが加えられたトーキー版。


1920年代。モンゴルの荒漠たる広野に育った猟師パイルは、病床の父親から渡された珍しい銀狐の毛皮を売りに町の市場へ行きます。けれど、白人の商人に不当に安く買いたたかれることが多く、パイルは、猛抗議。軍隊が出動する騒ぎとなります。山中に逃げこんだパイルはソビエトのパルチザン部隊とめぐり会い、部隊の一員に加えられます。機会あればモンゴルの地を侵略しようとしていたイギリス軍と戦闘になり、パイルは捉捕えられます。イギリス軍はパイルの持物から、彼がジンギス汗の末喬であることの確証を見つけます。イギリス軍はパイルをモンゴルのかいらい王にまつりあげますが、彼は、イギリス側の陰謀を見破り、宮廷を飛びだし、モンゴル人の部落へと馬を走らせます。そして、彼はモンゴル人の先頭に立って、民族解放の闘いの火ぶたを切ります。


ソビエト目線の作品で、資本主義の権化であるアメリカやイギリスが徹底的に悪く描かれています。資本主義者は、それぞれの民族の文化を尊重しようとはせず、搾取し支配しようとするという主張が強烈に見て取れます。そして、そこから脱するには、甘言に弄されず、本質を見抜き、民族のために戦うこと。


ソビエトは自分たちをアジアに位置付けているというのは、少々、意外な感じもしますが、確かに、世界地図や地球儀をみてみれば、ヨーロッパから見れば中心部から随分と離れた外れた場所に位置し、その広大な土地の多くは、アジア大陸に広がっています。


ただ、これは、だからこそ、腐った欧米に対抗するためには、先進的な政治体制である共産主義国家を実現したソビエトの元にアジア諸国が統合されるべきという考え方に繋がりやすく、ソビエト連邦にアジア民族を併合することを正当化する方向に流れる危険性を秘めているわけですが...。


世界においてその存在感を強めていっていたアメリカが巨大な悪として描いたソビエトも、その後、周辺に社会主義国家を作り、実質的に支配するようになります。ひとたび、権力を手中にしてしまうと、その権力を行使したくなってしまうのは、資本主義国家であっても共産主義国家であっても何ら変わりはしないということ。


多くの社会主義国家が社会主義を捨てた今の私たちの目から見れば、新しい社会を築こうという意気込みと理想の国家建設に燃える姿には、ソビエト連邦が崩壊し、痛々しさ、切なさが重なりもします。


理想を実現させ、その理想を美しい形のままで維持することがいかに難しいかを実感させられる作品にもなっています。


サイレント作品に吹き替えのセリフと音声が加えられていますが、音楽や効果音はヨシとしても、セリフは無音のままで良かったような気もします。やはり、サイレントの演技と音声セリフ付の演技の在り様は違うような...。

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エクスペンダブルズ2

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エクスペンダブルズ 」の続編。前作も観ています。


バーニーは、東欧バルカン山脈の山岳地帯に墜落した輸送機からデータボックスを回収する仕事を引き受け、彼のチーム"エクスペンタブルズ"の面々とともに現地に向かいます。けれど、ヴィランをリーダーとする武装グループの襲撃を受け、データボックスを奪われた上、メンバーの1人を殺されてしまいます。ヴィランたちが、ボックスに収められたデータから旧ソ連軍の埋蔵プルトニウムを見つけ出し、他国に売ろうとしていることを知ったエクスペンタブルズは、仲間の復讐のため、ヴィランを追い...。


前作に続き、またまた派手におジイちゃんをオジサンたちが頑張っています。前作では、あまり活躍する場面がなかったアーノルド・シュワルツネッガー、ブルース・ウィリスもその分を穴埋めするかのようにアクションしています。


前作のメンバー、ジェット・リーが開始早々で姿を消してしまうのは残念でしたし、本作初登場の若手が、すぐに想像できる結末を迎えて消えてしまう辺りもあまりに予測通りで笑ってしまいますが、そんなことはどうでもよくなる作品です。そう、ストーリーなんて気にしていたらはじまりません。戦闘場面を作ることが目的のお話なのですから。でなかったら、ヴィランは、"ケース"を奪う場面でバーニーたちを放置したのはあまりに不自然...。


豪華キャストで徹底的に遊んだB級映画といったところでしょうか。ほとんど究極の無駄遣いのようにも思えますが、どうせ遊ぶなら、このくらい徹底的にやって欲しいものです。


銃を撃ちまくり、爆薬を使いまくり、マニアックな銃器がいろいろと登場させ、その見事な筋肉の活躍の場である肉弾戦も忘れず、とにかく、持っているものをみんな見せてくれている感じがしました。出血大サービス。お約束通りの物語をたっぷりの銃弾とアクションで彩った"祭り"なのです。


味方の銃弾は確実に評定に当たって、多くの敵をなぎ倒し、敵の銃弾は味方の身体をかすめるだけで、ほとんどダメージを与えない辺りもお約束通り。そして、見所の肉弾戦場面では、必要に応じて敵の攻撃が善玉に適度なダメージを与えます。何も考えず派手にドンパチしているようで、決して、大人のお約束を忘れないところなど、なかなかスマートです。


若い頃から大活躍していたアクション・スターたちが、今も元気で、しっかり身体のメンテナンスも怠っておらず、きちんと動けることを世間に知らしめるための"近況報告"作品。それ以上ではありませんが、それ未満でもなく、本当にそれだけの作品です。


悪役で登場のジャン=クロード・ヴァン・ダムも良かったです。このあまりにシンプルで捻りのないストーリーでも映画作品として成り立ったのは、しっかりとした存在感の敵役がいたからともいえるでしょう。


次回作もあるようですが、さて、どうなるか...。観たいような観たくないような...。



公式サイト

http://www.expendables2.jp/

ヒューゴの不思議な発明

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ヒューゴの不思議な発明 [DVD]/エイサ・バターフィールド,クロエ・グレース・モレッツ,ベン・キングズレー
¥4,179
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ブライアン・セルズニックの小説「ユゴーの不思議な発明」を映画化した作品。原作は未読です。


1930年代のパリ。時計職人の父と2人で生活していた少年、ヒューゴ。2人の楽しみは、父が見つけてきた壊れた機械人形を修理し、動かすこと。けれど、火事で父が亡くなり、ヒューゴは駅の時計台の管理をする叔父の元に引き取られ、駅で暮らすようになります。叔父の仕事を肩代わりさせられ、学校にも行かせてもらえないヒューゴでしたが、亡き父が遺した機械人形を動かす夢は忘れていませんでした。ある日、以前から出入りしていた玩具店の老店主、ジョルジュの娘、イザベルと友人になります。彼女が人形を動かすために必要な"ハートの鍵"を持っていることを知ます。ヒューゴは、ついに、人形を動かすことに成功し...。


このヒューゴが結構なワルなのです。まぁ、両親がいなかったり、引き取ってくれた叔父には学校に行かせてもらえないわ働かされるわ、厳しい状況に置かれているのは確かなのですが、それにしてもドロボーです。で、人のモノを平気で盗むくせに自分のものを取り上げられると逆切れ。ドロボーと罵倒され、泥棒ではないと反論しますが、その直後にもパンを盗んでいるし...。


ヒューゴを追い回す役柄で何だか悪役チックな扱いの公安官なのですが、彼は、職務に忠実な真面目な公安官。それに、我が身の危険を顧みず、ワルなヒューゴの命を救っちゃったりまでするし...。孤児院育ちの恵まれない子どもだったらしいことを考えると、ヒューゴの境遇を彼がドロボーをしている言い訳にはできないような...。


ジョルジュが映画製作を辞めた理由もどうも、今一つ、しっくりきません。それで、やめたりするのでしょうか、フツ~。確かに、映画を楽しむ余裕すら失った時代もあったかもしれませんが、だからといって、戦意高揚のための作品を作る気にはなれなかったのかもしれませんが、娯楽作品を作ることに後ろめたさを感じずにはいられない時代だったかもしれませんが、その後、平和が訪れてもなお、映画を作ろうとしなかったのは何故なのか...。別に、ジョルジュ自身の作風が飽きられたとか、彼の映画そのものが嫌われたということではなく、単に、時代の流れが、世の人の趣向を変えてしまっただけなわけですから。この辺り、どうも、腑に落ちませんでした。


ヒューゴが何も発明していないじゃないかというのは、邦題の問題なので、作品自体に文句をいっても仕方ないのでしょう。もっとも、原作は、「The Invention of Hugo Cabret」なのですから、邦題がダメとも言えないですね...。


映画の歴史が始まった頃の映像を登場させ、"世界初の職業映画監督"と言われるジョルジュ・メリエスを主要人物に配し、映画の創世記の代表的作品ともいえる「月世界旅行」を登場させた本作が3Dで公開されたというのは、そこに、映画の歴史を凝縮させたということなのでしょうか...。


時代を感じさせる衣装とか、映画制作の場面とか、機械人形をはじめとする機械類、歯車類の造形とか、心惹かれる部分もところどころに散りばめられているのですが、ストーリーが足を引っ張ってしまっている感じがして残念。


ジョルジュの「月世界旅行」は、全編しっかり観てみたい...と思ったら、You Tubu にありますね...。

http://www.youtube.com/watch?v=uMBkDT_eG5g

ラブ・アゲイン

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ラブ・アゲイン [DVD]/ワーナー・ホーム・ビデオ
¥1,500
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まじめを絵に描いたような40代のキャル・ウィーバーは理想的な人生を送っていました。安定した職に就き、マイホームを手に入れ、高校時代の恋人だった妻との間にはかわいい子どもたち。しかし、ある夜、妻のエミリーから、突然、離婚を切り出されます。ショックを受けたキャルは、地元のバーで1人で飲みながら周囲に愚痴をこぼす日々。そんなキャルに興味を持ったバーの常連の遊び人、ジェイコブ・パーマーに声をかけられ、彼をモテる男に変身させますが...。


最初、タイトルを見て、あまり観る気にならなかったのですが、これが意外に一筋縄ではいかない面白さがありました。


軽い雰囲気のラブ・コメディといった空気を漂わせながら、捻りの効いた巧い構成の作品になっています。


主人公でもあるキャルの物語。キャルとエミリーの関係とエミリーの物語。そして、キャルが"新境地"へ導くジェイコブ。キャルとエミリーの息子であるロビーのジェシカへの片思い物語。そして、ジェシカはキャルに片思い。そんなキャルを中心とする人々が織りなすストーリーに添え物のように描かれるハンナですが、その存在がクライマックスで効いてくる辺りはお見事。まぁ、ジェイコブにいろいろ自分のことを語ったキャルがハンナのことについてコメントしなかったのは不自然な感じもしますし、無理矢理感が全くないわけではないのですが、許せる範囲でしょう。


オムニバス的な流れかと思っていたら、様々なエピソードが一つの流れにまとまっていく辺り、いい意味で予想を裏切られました。


笑える部分もしっかりあって、意外にもしんみりさせられたりする部分もあり、基本的には、最初から最後まで面白く観ることができました。お勧めです。


ただ、"魂の伴侶"を一途に求める男たちの物語で、勝手に"魂の伴侶"にされても困る女たちの都合があまり考慮されていない辺りは気にはなりました。本作を参考にモテる男に変身しようとする男性諸氏、「自分のことではなく相手に関する話をする」などはヨシとしても、「諦めるな」は時と場合をしっかり考慮すべきでしょう。そこを間違えてしまうと、下手すれば犯罪者ですから...。

サルトルとボーヴォワール 哲学と愛 [DVD]/アナ・ムグラリス,ロラン・ドイチェ,クレマンス・ポエジー
¥5,040
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哲学者ジャン=ポール・サルトルとシモーヌ・ド・ボーヴォワールの物語。


1929年、パリ。大学で天才と噂されるサルトルは、ボーヴォワールと出会い、その美しさ、聡明さに心を奪われます。卒業後、共同生活を始めますが、サルトルは、「作家には刺激が必要だ」と、互いに愛し合いながらも、他の関係も認め合う自由恋愛を提案します。"小市民的な結婚ではない契約結婚"と説得され、女性に生まれたら結婚か独身しか選択肢がない社会の伝統に疑問を抱いていたボーヴォワールは、それを受け入れることにするのですが...。


なかなかに意気込んでいる2人です。新しい時代を築こうという意欲に溢れ、社会を変革する可能性に胸躍らせる様子が伝わってきます。共産主義が、特に若者たちの大きな夢であった事実にも触れられ、社会を自分たちの手で変革しようとする者たちの意気込みと自信が伝わってきました。そして、それこそが、サルトルやボーヴォワールが"小市民"的な生き方に抵抗した背景なのでしょう。


ただ、"小市民"になることに激しく抵抗している2人が、結局、小市民である辺りは皮肉でしょうか。叔父さんの遺産で生活するサルトルといかにも小市民は両親のもとで育ち、ごくたり前の小市民的な家で暮らすボーヴォワールです。


とはいえ、そう簡単に理想を実現できないのが人間。サルトルは、屁理屈を都合よく捏ね回しながら女たらしの本性を野放しにする理由を探しているようにしか見えないし、ボーヴォワールは、理想についていけない気持ちを持て余している様子。


ボーヴォワールが親友のローラの母親に「私の階級の女性は働かないもの」という内容のことを言われますが、ボーヴォワールは、職業を持ち自力で自活する道が非常に狭かった当時のある程度以上の階級の女性にとって、かなりリスクの高い選択をしたのです。それを考えると、サルトルの身勝手さに苛立ちも覚えました。まぁ、もっとも、そんなサルトルのお蔭もあって、ボーヴォワールは「第二の性」を書くことができ、そのために後世に名を遺すことになったわけですが...。


そう、いろいろあっても、すれ違っても、対立しても、互いに相手の存在を必要としている関係。"魂の片割れ"同士なのでしょう。


一つ一つのエピソードの繋ぎ方が悪いのか、途中でブツブツ切れるような感じがして、集中力を削がれる感じがあったのは残念。主人公2人の周囲に集まるポール・ニザン、ティッセン、カミュといった当時を代表する著名人たちの登場のさせ方も全体に中途半端だったり、サルトルの人物像に違和感があったり、若干不満の残る部分もありましたが、当時の時代の息吹が感じられる部分もあって、それなりに楽しめました。


レンタルのDVDで十分かとも思いますが...。

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母 [DVD]/アイ・ヴィ・シー
¥3,990
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マクシム・ゴーリキー原作を映画化した作品。原作は未読です。1926年にサイレント映画として製作され、1968年に音楽などが追加されています。


20世紀初頭、革命前のロシア。貧しく苛酷な労働を強いられていた父、ミハイルは、酒びたりの荒んだ生活をしていました。虐げられ続ける現状を改革しようと共産主義指導に傾倒する息子、パーヴェルは、工場でストライキをしようとした際、ミハイルも参加していたスト破りの右翼暴力団と衝突。乱闘の中でミハイルは死んでしまいます。一方、パーヴェルの元には警察がやってきて武器の捜索を開始。真相を白状すれば逮捕はしないという言葉に騙され、母親のニーロヴナが武器の在りかをばらしてしまったために、パーヴェルは逮捕され、懲役刑を言い渡されます。騙されていたことを知り、悲しみとみじめさに打ちひしがれていたニーロヴナは、揺れ動く現実のなかで眼を覚まさせられ、生活が一変。一歩一歩息子と同じ戦列を歩み始めます。そして、メーデーの日。街の隅々から労働者たちがデモの隊列に加わります。パーヴェルたち監獄の囚人たちも反抗に起き上り...。


世界初の共産主義国家、ソビエト連邦が誕生したのが、1922年。第一次五ヶ年計画が開始されたのが1928年で、農業の集団化が強行され、結果的に500万人とも1000万人とも言われる死者を出した大飢饉を引き起こしたのが、1932年から1933年にかけて。スターリンによる大粛清が行われたのが1930年代で、そのピークが1936年から1938年。


ですから、本作が製作された1926年は、まだ、ソビエト連邦が建国の理想に燃え、共産主義国家における様々な問題点が表面化する前の時期、ということになります。すでにソビエト連邦が消滅して久しい今、この作品を観ると、時代の変遷に感慨深いものを感じますが、本作は、当時の若々しい理想に燃える人々の姿を伝えています。そして、その共産主義万歳的な空気感に溢れた作品となっています。


夫の横暴に耐えるほか、なすすべもない様子の弱々しいニーロヴナが、ラストで見せる決意を込めた凛々しさを感じさせる表情。その表情の変化が見事で、印象的でした。


ただ、一方で、本作は共産主義の非人間的な一端を表現してもいます。ある意味、革命に命を落とした人々の精神を賛美する内容となっており、それは時として、一人一人の人間の命よりも共産主義の推進に重きを置く考え方に繋がります。そして、息子の死を嘆くことよりも赤旗を振り前進することを母親に選ばせる体質。


結局、皇帝の奴隷であったロシア国民が、赤い貴族の奴隷になっただけ...という感じすらしてきます。多くの犠牲を払って、革命を成し遂げたはずなのに、それでも、その犠牲に報いるということは相当に難しいことなのでしょう。


まぁ、わが日本も、第二次世界大戦での夥しい犠牲者の命に報いることができているのか、東日本大震災の多数の犠牲者が出たことを甚大な被害を受けたことを教訓とできているのか...甚だ疑問ではあります。のど元過ぎても熱さを忘れずにいるのは至難の技。だから、人は何度も悲劇の歴史を繰り返すのでしょう。


そして、本作の見所となっているのは、白黒であることも無声であることも忘れさせるような迫力の映像。さらに、その後の経過を知っているから雑念も持ってしまうのですが、当時は、世界中で多くの人々が共産主義に夢を見ていた時代。そんな時代に理想を成し遂げた者の誇りが感じられる作品でもあります。


プロパガンダ作品としての力は失われてしまっているわけですが、むしろ、それだけの時代の波に現れた今だからこそ、純粋に本作の映画作品としての面白さを楽しめるのかもしれません。


一度は観ておきたい映画史に残る名作とされていることも納得の一本。

WIN WIN/ウィン・ウィン ダメ男とダメ少年の最高の日々(特別編) [DVD]/ポール・ジアマッティ,アレックス・シェイファー,エイミー・ライアン
¥3,990
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さえない弁護士のマイクは、仕事に行き詰まり、事務所の家賃やコピー機のレンタル費用などの必要経費の支払いにも困っています。ある日、レオという老人と知り合い、彼の後見人となって報酬を得ることを計画します。レオを彼の自宅で世話をすると判事に約束して後見人になることを認められたにもかかわらず、レオを施設に入れ、後見料をせしめます。ひょんなことから、家出をしてきたレオの孫のカイルを家に居候させることになります。高校のレスリングチームのコーチもしているマイクは、カイルを練習に連れて行きます。実は、カイルはレスリングの元スター選手で、カイルの加入をきっかけにチームの士気は高まります。マイクの家族もカイルと打ち解けていきますが...。


完全な善人もいないけれど、全くの悪人もいない。良い方向にも悪い方向にも"完璧"になれるほど人間は強くはなれないのでしょう。


邦題の副題にある「ダメ男」「ダメ少年」は、完全にミスリードするタイトルとなっています。マイクは、確かにしてはならないことをしてしまいましたが、基本的にダメ男ではありませんし、カイルも家庭に恵まれずに育ちましたが、決してダメ少年ではありません。マイクは、むしろ、人の良いオジサンだし、カイルも推測される生育環境から考えればかなり良く育った青年です。それぞれ、ちょっと"魔が差してしまったこと"はあったにせよ、それは、程度の差はあれ、誰にでもあること。むしろ、どうしても完璧になれない自分を知るからこそ、他人の過ちを赦すこともできるわけで...。


一番の悪役はカイルの母親かもしれませんが、結局、彼女もお金に困っているだけなワケで...。同じくお金に困っていたマイクは、弁護士だったために、スマートに"詐欺"をハタラクという手段を取ることができたワケですが、カイルの母親はその困り感をストレートに表現しただけで、何としてもお金を得たいという気持ちはどちらも同じなのです。


単純に善悪に分けられない世の中を冷静に描きながらも、人間ならではの哀しさが感じられる過ちに対して注がれる視線が温かく、観終えてホッコリした気持ちになることができました。ほろ苦さがあるからこそ、甘さを楽しめるってことなのでしょう。甘い和菓子に苦い抹茶が合うように。お汁粉の箸休めに塩昆布が相応しいように。


様々なできごとを通して、誰かが画期的に成長するというワケでもありませんが、欠点や弱さを抱えながらも、それなりの誠実さや愛情も持ち合わせている普通の人々のリアルな人生が詰まった作品になっています。


マイクは弁護士資格を剥奪されますし、カイルは大会で結果を残せず奨学金を得るチャンスをフイにします。決して、手放しのハッピーエンドではありませんが、それぞれが自分の中の何かを清算して新しい未来に向かっていくラストで、清々しさが残りました。


レスリングの試合で逃げ回るステムラーはやり過ぎ感がありましたし、全体に、できごとの背景の描き方は薄めで物足りなさも感じますが、腹七分目...といったところでしょうか。


地味ですが、ジンワリと心に沁みてくる作品です。観ておいて損はないと思います。

思秋期

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失業中のジョセフは、酒浸りの上に感情の抑制が利かず、ちょっとしたことで暴れる中年男。酒に酔っては周囲の人々とトラブルを起こすという、怒りと暴力の日々に精神を疲弊させていました。そんなある日、ひょんなことから彼はチャリティー・ショップに入り込み、そこの店員、ハンナと知り合います。ジョセフを優しく受け入れる彼女と接することで、穏やかな気持ちを持てるようになるジョセフ。次第に心を通い合わせるようになる2人でしたが、ハンナもある問題を抱えていて...。


カトリックの信者、それも、かなり熱心な信者だから、離婚など絶対にできないのでしょう。そして、誰かに助けを求めることもできないままの状態。できるのは、祈ることだけですが、神が手を出してくれるわけでもなく...。本当は、誰かに救いを求めるべきだったのでしょう。DVに関して相談できる公的機関もあるでしょうし...。


夫との生活からの逃げ場所として滅多に客のこない店をやるくらいなら、きちんと賃金を稼げる仕事につくべき出ったような気もします。離婚はできなくても、別居はできたかもしれないワケで...。まぁ、そんな逃げ道を探すこともできないような状況に追い込まれてしまっていたのかもしれませんが...。


抑えきれない衝動を自身の中に抱え込みながらも、ジョセフがそれなりに生きてこれたのは、そんなジョセフの特性を知りながら、時には愛想を尽かしながらも最終的には受け入れてくれる仲間がいたから。穏やかにいられる時は、良き夫であり、良き友であり、他の人に誠意を尽くせる人であったから。そして、不器用な形ではあっても、自分から誰かに助けを求められる人であったから。


そして、ジョセフは、意外に綺麗で片付いた家の中の様子からも見てとれるように、心に嵐が吹き荒れる瞬間以外は、それなりにきちんとした生活をしている人なのです。まぁ、それだからこそ、彼自身が持て余している衝動性は彼にとって悩みの種ともなったのでしょうけれど...。


ジョセフが人としての落ち着きを取り戻していく一方で、ハンナの顔には痣が増えていきます。ジョセフを救ったハンナが、ジョセフが穏やかになっていく反面、追い込まれていきます。ここには、"人を救う"ということの本質が見えてくるような感じもしました。誰かを救うためには、それなりの犠牲を払う必要がある...のかもしれません。それでも、人を救うことは自分の救済に繋がるかもしれない...。いえ、ハンナが深い深い闇を抱えていたからこそ、ハンナの祈りがジョセフに届いたのかもしれません。


ジョセフは、「動物は過度に虐待されれば反撃に出る」と言います。それは、世間に押さえつけられているジョセフや夫に虐げられているハンナの置かれた状況かもしれません。けれど、ジョセフもハンナも人間です。人間らしい知恵をもって、新たな出発をしてくれるのだと祈りたい気持ちになります。


どんなに闇に覆われても、人は光に向かって歩みだすことができるのです。そして、それは、人に支えられればこそ。


それぞれが大きな波を越えてきた後だけに、その抱えてきたものの深刻さが丁寧に描写されていただけに、シミジミとしたものが感じられる味わい深いラストになっています。


一度は観ておきたい作品だと思います。



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