ブルジョワジーの秘かな愉しみ

テーマ:
ブルジョワジーの密かな愉しみ 【ベスト・ライブラリー 1500円:隠れた名作特集】 [DVD]/ジャン=ピエール・カッセル,デルフィーヌ・セイリグ,フェルナンド・レイ
¥1,500
Amazon.co.jp


パリに赴任してきた南米ミランダ国の駐仏大使、ラファエルは、ある日、ディナーに招かれ、友人であるデブノ夫妻、デブノ夫人の妹、フローランスとセネシャル邸を訪れます。ところが、ホストである友人、アンリの姿はなく、何の準備もされていない様子。彼の妻、アリスは、約束は明日だと主張。ラファエルたちは、仕方なく、アリスも連れてレストランに行きますが、店主が突然死したとのこと。彼らは、日を改めることにしますが...。


ブルジョワな人々の食欲と性欲。食欲は生きるための糧を得ようという欲望だし、性欲は種の維持に繋がっていく欲望。どちらも生きとし生けるものにとって、根源的な欲求と言えるでしょう。


さて、本作に登場するブルジョワな人々、世間体や常識、体面といったものを気にする一方で、自分たちの欲望に対しては正直というか、抗わないというか...。


けれど、彼らの食欲は、なかなか、満たされることはありません。食事会の約束は日を間違え、レストランでは店主が死んでいて、喫茶店では何もかもが売り切れ。折角、豪勢な料理が並ぶ食卓に着けたと思ったら...。


食事ができない理由が、どんどんあり得ないものになって行きます。約束の日を勘違いした...というのは、まぁ、あるかもしれません。店主の突然死...も絶対にあり得ないとは言えないでしょう。でも、ねぇ...。喫茶店で、紅茶もコーヒーも売り切れ?


その辺りから、どんどんあり得ない話しになって行き、同時に現実と非現実が交錯していきます。


上等兵や警察官の想い出話が挿入され、描かれた出来事が誰かの夢という形で処理されたり...と、現実と回想と夢が入り混じっていきます。


この辺りの展開は、バカバカしくありながら、観る者を飽きさせません。人間の虚飾を剥しながらその愚かさを焙り出す意地悪な視線が、ちょっと心地よかったりして...。そう、これは、ブルジョワな人たちだけの問題ではないワケで...。


庭師志望の司教が登場する場面など、一休さんの頓智話(みすぼらしい姿で登場し追い返された後、立派な衣装で現れたら丁寧に扱われ、その衣装を置いて立ち去ろうとしたといヤツですね)が思い出されるようなエピソードもあり、こんなところは、洋の東西を問わないということなのでしょう。


登場人物たちは、決してお上品とは言えませんが、映像はなかなかお洒落な雰囲気。ところどころに挿入されるブルジョワジーたちが田舎の一本道を歩く映像。彼らは、どこから来て、どこに行くのか...。


クセのある作品ですし、好き嫌いは別れると思いますが、なかなか面白かったです。



ブルジョワジーの秘かな愉しみ@ぴあ映画生活

AD

木洩れ日の家

テーマ:

ワルシャワ郊外の森の中にある木造の家に愛犬のフィラと住むアニェラ。彼女は、美しい記憶の数々に慰められながら、隣人を双眼鏡で観察するという趣味を楽しみながら日々を過ごしていました。けれど、彼女にとっては、生まれた時からずっと暮らしてきた大事な家を目当てに彼女の元を訪れる者もいて...。


緑が溢れる自然の美と古い館の佇まい。瑞々しさを感じさせるモノクロームの映像が、木立の匂いたつような緑を感じさせます。


ほとんど、主人公であるアニェラの独り言で占められますが、その彼女の言葉も、彼女が家を離れた時は聞こえなくなります。そう、本作では、彼女の家にいる人物の声しか聞こえてこないのです。彼女の家こそが本作の舞台であり、本作が描き出す中心になっているものなのでしょう。


趣のある古い家とその女主人。どちらにも長い歴史が刻まれています。本当の意味でアニェラと運命をともにしているのは、フィラではなく、この家そのものだったのでしょう。その深く愛した家の行く末を決めてから人生を終えるアニェラ。


人間である以上、生き物である以上、いつか死ぬという運命から逃れられないワケですが、いつか死ぬなら、こんな風に、自分の手で人生の決着を付けて逝きたいものだと思います。その潔い身の処し方と満足感が浮かぶ最期の表情に静かな幸福感が漂っていました。


御年91歳で本作に主演し、悠々とブランコをこいだアニェラ役のダヌタ・シャフラルスカが見事。その顔に刻まれたシワに、彼女自身の、アニェラの舞台となった館の歴史が重なります。彼女の生きた人生の長さ、重さ、豊かさが感じられます。


そして、愛犬のフィラが素晴らしい名演技。本当な雄な彼が、雌のフィラを演じているのだそうです。もちろん、撮り方や編集の問題もあるのでしょうけれど、台本をしっかり読み込んで演技しているかのように思えるその演技力に脱帽です。



公式サイト

http://www.pioniwa.com/nowshowing/komorebi



木洩れ日の家で@ぴあ映画生活

AD

ソウル・パワー

テーマ:
ソウル・パワー [DVD]/ジェームス・ブラウン,ビル・ウィザース,B.B.キング
¥3,990
Amazon.co.jp


1974年、ザイール(現在のコンゴ民主共和国)で、モハメド・アリがジョージ・フォアマンと世界ヘビー級のタイトルをかけた一戦、"キンシャサの奇跡"。


その前夜、"ブラック・ウッドストック"とも呼ばれる大規模な音楽祭が開かれました。アメリカで活躍していたアフリカ系アメリカ人のミュージシャンと解放運動のために戦い続けてきたアフリカのミュージシャンたちが同じステージに立ち、それぞれの音楽を披露します。映画、「モハメド・アリ かけがえのない日々」の製作に当たって撮られていたものの映画の中では使われず、お蔵入りしていた映像を基に製作されています。


そして、強烈なのは、本作で取り上げられている音楽祭に続いて行なわれたボクシングのタイトルマッチに出場するモハメド・アリの異様なまでの激しい闘争心。その傲慢とも思える言動に、彼の背負っていたものの重さや、黒人たちが置かれていた状況の酷さが実感されます。彼は、本来ならとても一人の人間が背負いきれないような大きなものを引き受けようとしていて、しかも、その責任を果たしたわけで...。


この音楽祭が開かれたのは、ザイール(当時)にフランスの飛行機で乗り込んだアリは、そのパイロットが黒人だったと語ります。黒人だって大きな飛行機を操縦するパイロットとして働くことができるのだと。そんな今では当たり前になったことすら、こうして力を込めて主張したくなってしまう時代だったのです。


そして、アメリカから乗り込んできた黒人ミュージシャンがアフリカを故郷だと感じていた時代。それは、奴隷にされていた時代を忘れていなかったからというより、まだアメリカ社会の中に居場所を得られなかったから...なのではないか...。


アメリカで、アフリカで、黒人たちが、どれ程、抑圧され、その尊厳を奪われてきたのか...。そして、そうした支配に抗おうとした時、どれだけのエネルギーが放出され、それが、どれだけ見事に人の胸をうつ音楽として昇華されたのか...。


まだすべての問題が解決されたわけではないとはいえ、黒人であることの社会的な不利が、当時よりは、はるかに減った今、アフリカを故郷だと感じるアフリカ系アメリカ人がそれ程多いとは思えないわけで、地理的に遠く隔てられた彼らを結んだ力の背景にあったものについて考えさせられます。


折角、今の時代に当時を振り返って映像を編集するのですから、今の状況も織り交ぜながら、彼らがたどったその後の道のり、音楽祭や"キンシャサの奇跡"が当時のそして、後の社会に与えた影響なども含めて描いていたら、もっと興味深い作品になったような気がするのですが...。


一流どころが、誠心誠意、力を込めてパフォーマンスしているのですから、ステージの場面は迫力満点。最後のジェームス・ブラウンなど鳥肌ものです。



ソウル・パワー@ぴあ映画生活

AD

クリミナル

テーマ:
クリミナル [DVD]/ジョン・C・ライリー,ディエゴ・ルナ,マギー・ギレンホール
¥1,500
Amazon.co.jp


アルゼンチンの犯罪映画、「Nine Queens」(2000年)をリメークした作品。オリジナルは観ていません。


リチャード・ガディスは、カジノで、ロドリゴがウェイトレスからはした金を騙し取ろうとしているところに出くわし、ロドリゴなら自分の相棒に相応しいと考え、彼に近付きます。そんなところに、偽造紙幣を巡る大掛かりな詐欺の話が転がり込んできて、2人は一儲けを企みますが...。


相棒となるリチャードとロドリゴ。けれど、ロドリゴはリチャードを信用し切れていないし、それも尤もだと思われるような言動がリチャードには垣間見られます。リチャードの妹、ヴァレリーも怪しい。兄に対し反発を見せる割には、結果としては、確実に何度かリチャードの犯罪に手を貸しているわけで...。彼らにカモにされようとしているハニガンにしても、変にしっかりと裏の裏を読んでいるかと思えば、意外に抜けているところがあったり...。


登場人物のほとんどが怪しく、様々な出来事の多くに裏がありそうで...。で、いろいろに疑りながら観ていると、「そうきたか!」というラスト。


リチャードのあまりにあっけらかんとした罪悪感のない騙しっぷりには、疑問も感じますが、このラストにもっていくためには、そういう人物設定にしておいた方が良いということなのでしょう。じゃなかったら、スカッと観終えることはできなかったかもしれませんし...。


それなりの演技陣が揃えられている割には地味な雰囲気だし、特別に目新しさを感じられないし、騙される快感を味わう...には力不足な感じがする作品ですが、全体に破綻なくそこそこ巧くまとめられていますし、軽く楽しめる作品にはなっていると思います。


リチャードを演じたジョン・C・ライリーは、犯罪者としての仁義も守れない(守る気もない)しょ~もない詐欺師にぴったりな感じです。しかし、あれでは、犯罪者仲間にも受け入れられないでしょうし、刑務所にでも入れられたら生きてはいけないかも...。


ロドリゴを演じたディエゴ・ルナは、ポッと出の青年詐欺師といった初心者マークな感じから、ストーリーの進行にともなって、どんどん犯罪者な感じになっていって見事。


繰り返し観たいと思えるような作品でもありませんでしたが、レンタルで軽く楽しむには悪くないと思います。



クリミナル(劇場未公開)@ぴあ映画生活

ソルジャー・ブルー

テーマ:
DVD名画劇場 ソルジャー・ブルー<HDリマスター版>/キャンディス・バーゲン,ピーター・ストラウス,ドナルド・プレザンス
¥3,990
Amazon.co.jp


1864年、コロラド州、サンドクリークで600人のシャイアン族が騎兵隊(ソルジャー・ブルー)によって虐殺された史実を映画化した作品。


兵隊の給与を輸送する馬車とそれを護衛する兵士たちが、インディアンに襲われ金庫を奪われます。その中で、ホーナス二等兵と婚約者のもとへ行くため馬車に同乗していた女性、クレスタは難を逃れます。2人は騎兵隊がいる砦に向かうことになりますが、インディアンと生活をともにした時期があり、彼らの置かれた状況に同情するクレスタとインディアンとの戦いで父を殺されたホーナスとでは、インディアンの捉え方も違い、ことごとく対立。ぶつかり合いながらの旅路となりますが...。


本作が制作されたのは、ベトナム戦争の頃。正義の国であったはずのアメリカが行なう戦争が正義の戦いではないことが指摘さるようになった頃。本作が公開される少し前くらいにベトナムでの"ソンミ村の虐殺"の件が明らかにされます。


本作で取り上げられるサンドクリークの虐殺が行なわれる前年である1863年の1月1日に奴隷解放宣言が出され、その後、長い年月をかけて黒人奴隷が自由になっていくわけですが、先住民でアメリカ大陸を生活の場としていたインディアンたちは、自分たちの土地を追われ続けていたのです。


"野蛮なインディアンに脅かされている白人が自分たちの身を護るためにインディアンたちに戦いを挑む"というそれまでの西部劇の虚飾を離れ、実態に近い描き方をしたという点で画期的だと言われる作品です。シャイアン族と生活した経験があり、彼らの素晴らしさを知るクレスタが、インディアンたちに偏見を抱くホーナス(=アメリカ社会の一般的なインディアンに対する見方を代表する存在)にインディアンたちのことを説いていく過程。この中に、情報操作的な部分も含めてアメリカ社会が、インディアンに何をしてきたかが描かれます。


実際には、インディアンたちの平和な生活と広大で豊かな土地を一方的に奪ってきた白人たち。それにも関わらず、白人たちは、インディアンたちに被害者意識を持ち続けてきています。"自分たちの土地を奪おうと狙っているに違いない"と。そして、"土地を与えたやったのに感謝もしない"と。実に盗人猛々しいのですが...。


ラスト15分の生々しく酷い虐殺のシーン。事実はこれ以上に残酷だったのかもしれません。そして、その"戦闘"というよりは戦う意思も力もない女たちや子どもたちが多くを占める集団の虐殺の後に連帯の指揮者である大佐がぶち上げる演説。そこに、彼らの"戦い"の愚かさが浮かび上がります。


ラスト、罰せられることになったホーナスの、それでも良心に従った満足感を得た者の笑顔が印象的です。シャイアン族に共感を抱きながらも、彼らと同じにはなれない寂しさを抱えていた様子のクレスタも一つの大きな決意をし、吹っ切れたような笑顔を見せます。虐殺の場面の後味の悪さが残りますが、この2人の新たな人生に希望へ向かう祈りを捧げたくなるようなラストでした。



ソルジャー・ブルー@ぴあ映画生活

彼女が消えた浜辺

テーマ:
彼女が消えた浜辺 [DVD]/ゴルシフテェ・ファラハニー,タラネ・アリシュスティ,シャハブ・ホセイニ
¥4,935
Amazon.co.jp


一見、部外者なエリが旅行に参加した本当の理由。それは、一緒に旅行した仲間たちにさせ伏せられていました。でも、もし、それが、イランでなかったなら、宗教的戒律や道徳的な戒めの厳しい国でなかったら、彼女の"理由"が伏せられることもなかったのでしょう。


旅行仲間たちは、大学で知り合った者同士。いわゆるインテリ層で、宗教的な面でも、ガチガチではない様子。独身の男女同士であるエリとアーマドを2人だけで買い物に行かせてしまうし、イスラム教徒にとって大きな義務である礼拝すらしている様子は見えませんでしたし...。でも、エリに婚約者がいるとわかった途端、エリへの視線は厳しくなります。不道徳な行為だと。


冒頭の女性陣を含めて楽しいバカンスに弾けている様子が映し出されますが、その開放された雰囲気とエリに対する感情の変化に見えてくるズレ。そこにも社会的な背景が映し出されているのかもしれません。


エリは、子どもを助けるため海に飛び込んで溺れたのか、自分の意思で誰にも何も言わずその場から消えたのか。エリに対する人物評価とエリの行動が取り沙汰される様子にイランという社会にあるものが浮かび上がってきます。女性陣も元気で、はっきり主張し、車も運転する、そんな彼らでさえ...ということなのですから。


このエリが消えた背景を探る展開の描き方も良かったと思います。それ以前に、繰り返されるワケありげな携帯での遣り取り。エリが何かを抱えていることは示され、それが、その後の展開に生かされてたと思います。


婚約者との関係を終わらせたいという気持ちを抱えているエリは、一方で、この旅行に参加したことに後ろめたさも感じています。エリの複雑な表情。特に、管理人が布団を運んできたときの表情、そして、彼女の居心地悪そうな雰囲気に、彼女を取り巻く状況が見えてくるようです。


エリを旅行に誘ったセピデー。彼女がエリに紹介しようとしたのがドイツに住む友人で、離婚暦もあるアーマド。エリと引き合わせようとした相手が、イランにどっぷりの相手ではなく、ドイツ在住の男性だったということころもミソだったのかもしれません。西欧文化に触れている人の方が、エリを取り巻く状況を理解しやすいでしょうし...。


エリが消えた理由があれこれ取り沙汰され、最後に明らかになります。そして、エリのその後が示されます。そこに関わってくる彼女の婚約者の存在。


もし、エリがこの結末によってしか婚約者と離れられないのだとしたら、そこに、イラン社会で生きる辛さがあるような気がします。今ひとつ冴えない表情で旅行に参加するエリが、子どもたちと凧揚げする時に見せた表情が印象的でした。大空に舞う凧。一見、自由に爽やかに舞っているようでありながら、地上から紐で繋がれている凧。その時、彼女は何を感じていたのか...。


少々、終わり方が中途半端な感じもしましたが、その後を突っ込んでいく難しさもあったのかもしれません。宗教的、道徳的な問題に安易に触れることはできないでしょうし。地味な作品ですし、表現が抑制されているような歯痒さが感じられる場面もありましたが、なかなか味わい深く、見応えありました。



彼女が消えた浜辺@ぴあ映画生活

終着駅 トルストイ最後の旅

テーマ:
終着駅 トルストイ最後の旅 [DVD]/ヘレン・ミレン,クリストファー・プラマー,ジェームズ・マカヴォイ
¥3,990
Amazon.co.jp


ロシアの文豪、トルストイ。晩年、彼が作り上げた原始キリスト教的な教義を信奉する信者たちと妻、ソフィアが財産分与などを巡って激しく対立していることに悩まされていました。トルストイの弟子、チェルトコフが、彼の著作に関する権利を家族ではなくロシア国民に与えるとする遺書に署名するよう説得したことを知り、ソフィアはチェルトコフと激しく対立。そんな時に若き理想主義者ワレンチンが新たな秘書としてやってきます。ソフィアと彼の信奉者との争いに疲れた82歳のトルストイは、家出をしてしまい...。


ソフィアは、ソクラテスの妻クサンティッペ、モーツァルトの妻コンスタンツェと並び、世界三大悪妻と言われている程の有名な悪妻。


崇高な理想に燃える清廉潔白な人というのは、離れたところから接するには、素晴らしく見えるものなのかもしれませんが、近くにいて、まして、生活をともにするのは、大変なことでしょう。理想に生きる人を現実の生活に引き戻しつつ、他の家族との生活を成り立たせていかなければならないのですから。理想の中に埋没している人を現実の中で生きられるようにするのは、並大抵なことではないでしょう。


トルストイが、世界文学史に残る傑作と言われる「戦争と平和」「アンナ・カレーニナ」を書いたのは、ソフィアと幸せな生活をしていた頃。彼が、人生の無意味さに苦しむようになるのは「アンナ・カレーニナ」を書き終えるころと言われ、原始キリスト教的な教義を作りあげるのはその後で、ソフィアとの関係が悪くなるのも、その辺りが原因ということなのでしょう。


そりゃあねぇ。大勢の子どもがいて、印税収入がなくなるとなれば、それを必死に護ろうとするのは、子どもを抱えた母親としては、一家の主婦としては当然のこと。実際、子どもだけでなく、その配偶者や孫、大勢の使用人たちがいたわけで、それを養っていくというのは、生半可なことではありません。本作では、そのソフィアの気持ちに寄り添いながら、夫婦の絆が描かれます。


そして、ソフィアが印税収入を護ろうとした動機だったかもしれないもうひとつのこと。彼女は、「戦争と平和」が書かれた際の裏話を語る場面があります。あの長編は6回も書き直されたのだと。彼女はその清書をしたのだと。彼女にしてみれば、この「戦争と平和」も2人の間に生まれた大事な子どもで、その印税を赤の他人に渡すなど許しがたいことだったのかもしれません。


本作で描かれるトルストイは、ソフィアとの幸せだった時期を忘れておらず、ソフィアの気持ちに対し理解がないわけでもない。けれど、彼を信奉する人々を捨てることもできず、板ばさみ状態。トルストイはトルストイで、なかなか、厳しい状況に追い込まれています。


トルストイが子どものようにソフィアと戯れる場面もありますが、彼を神格化する人々の前では出せないそんな姿を唯一見せられる相手がソフィアだったのかもしれません。怒りに身を任せる激しい姿を見せるソフィアも、トルストイとの2人の時間は穏やかで幸せそうな表情に包まれます。


その大きく隔たる2つの表情を無理なく1人の人物の中に融合させたヘレン・ミレンが説得力のある演技でソフィアの人物像を浮かび上がらせます。


そして、このトルストイとソフィアの愛と合わせて、新しく来た秘書、ワレンティン・ブルガコフとマーシャの愛が描かれます。この2つの愛が対比して描かれることで、愛の形について、より深く考えさせられるようになっています。トルストイ夫妻との触れ合いの中で成長していくワレンティンとマーシャの関係。


ソフィアが印税収入に固執する背景の描き方はやや弱く、彼女の経済的な部分へのこだわりの理由が弱くなってしまった嫌いはありますが、やはり、本作で特筆すべきはヘレン・ミレンを中心とする演技陣の力。


地味な扱いの作品ではありますが、なかなか見応えありました。



終着駅-トルストイ最後の旅-@ぴあ映画生活

nude

テーマ:
nude [DVD]/渡辺奈緒子,佐津川愛美,永山たかし
¥3,990
Amazon.co.jp


元AV女優のみひろの自叙伝「nude」を映画化した作品。原作は未読です。


田舎町で生まれ育った山瀬ひろみは高校卒業ととも空港関係の企業に就職し、上京します。彼女が東京に来た本当の目的は、芸能人になること。渋谷でスカウトされ、AVには出演しないことを条件に、ヌードモデルをすることになります。次第に仕事も増えていくのですが、親友のさやかからは猛反対され、絶交されてしまいます。恋人の英介も彼女の仕事に良い顔はせず、だんだんと孤立していきます。事務所からの勧めで、絶対に出ないと決意していたAVにも出るようになり...。


この、みひろという人について、特に知識はなかったのですが、2002年にヘアヌード写真集「夢」でデビュー。2005年AVに進出し、2007年MOODYZ年末大感謝祭2007で主演作品が最優秀作品に選ばれるなどトップAV女優として活躍した人だそうです。入江悠監督の『SRサイタマノラッパー』でヒロインを演じて評価を受け、2010年6月に惜しまれつつもAVを引退したとのこと。


と、こうしてみると、決して、中途半端な人ではないのだろうと思うのですが、本作を観る限りでは、作中でも指摘されているようにとっても中途半端なんです。何だかフラフラしていて、誘われるままに、流されるままに、ヌードになり、AVに出て...、その過程で、親友も恋人も失って...。


これが、実話なワケですが、イマドキの女の子を取り巻く現実のひとつがここにあるのでしょうか。ヌードになったのも、AVやったのも、事務所の強引さゆえ。自分のせいじゃない。それでも、親友も捨て、恋人も捨て、大きな犠牲を払ってやってきた...という言い訳をしているようにしか見えないのです。


脚本とか演出のせいなんでしょうか。みひろを演じた渡辺奈緒子は、なかなか頑張っていたと思います。この中途半端さは、彼女の演技のせいではないような気がするのですが...。


AV業界の裏側を描き出す的な部分も、さして衝撃的な感じではありませんでしたし、基本的になるようになっていった感じで、目新しさも感じられませんでした。


肝心のみひろの女優へのこだわりも、あまりよく分かりませんでした。作中で、「どんな女優になりたいのか」と尋ねられる場面があるのですが、女優になりたいという彼女は何も答えられません。彼女の中途半端さが見事に表現されているシーンです。そう問いかけられたことが、彼女にどのように影響し、その言葉によりどんな変化があったのか...。その辺りが描かれていれば、そこに、彼女の成長なども見えてきたのではないかと思うのですが...。


そして、口では「女優になりたい」と言いながら、演技の勉強をするわけでも他人の演技を研究するわけでも、芝居やドラマが好きそうなわけでもないみひろ。本当に、何がやりたいんだか、どんな人生を生きていきたいんだか...。


何だか、中途半端なまま、生煮えなまま、終わってしまった感じです。もっと見せ方に工夫があれば、面白い映画になったのではないかと思うのですが、残念です。



nude@ぴあ映画生活

アルゼンチンタンゴ 伝説のマエストロたち [DVD]/オラシオ・サルガン,レオポルド・フェデリコ,マリアーノ・モーレス
¥5,040
Amazon.co.jp


アルゼンチンタンゴのマエストロたちを撮った音楽ドキュメンタリー。



ブエノスアイレスのスタジオに、アルゼンチンタンゴの黄金期を築いたスターたちが集まります。目的は、アルバム「CAFE DE LOS MAESTROS」収録。2006年に完成されたこのアルバム収録の様子と世界3大劇場のひとつと言われるコロン劇場での一夜限りのステージの様子を描きます。


1940年から50年頃にタンゴの黄金期を築いたというのですから、マエストロたちは、皆様、かなりのご高齢。けれど、その演奏には切れがあり、歌声には張りと艶があります。ベテランの深い味わいを感じさせながらも、衰えが感じられない音。


アルゼンチンタンゴで用いられる小型のアコーディオンといった雰囲気の独特の楽器、バンドネオンとギターの音。そして、歌声。これまた独特のリズムで哀愁のあるメロディーが刻まれます。


何といっても、演奏者たちが素晴らしいです。さすがに国宝級と言われるマエストロたち。


重ねてきた人生の重みや経験の豊かさを感じさせながらも老いを感じさせない歌声、楽器捌きが見事。経験を積み重ね、熟練しながらも、音に若さとエネルギーを表現し続ける力こそが、マエストロとなる条件なのかもしれません。


特にアルゼンチンタンゴに詳しいわけでも強い興味を持っていたわけでもありませんが、楽しめました。ホンの少しだけですが、女性歌手、ビルヒニア・ルーケが「百万本のバラ」を加藤登紀子が歌った日本語の歌詞で歌ったのはご愛嬌。


公開時、観ようと思いながら機会を逃してしまっていたのですが、劇場で観ておきたかったです。



アルゼンチンタンゴ 伝説のマエストロたち@ぴあ映画生活

交響曲第九番 合唱付 Beethoven

テーマ:

実に26年振りにベートーヴェンの交響曲第九番「合唱付」を歌うこととなりました。年の瀬もおしに押し迫り、仕事納めも終えた後の12月29日、第九の合唱に参加することになりました。


26年前に第九の合唱に初めて参加して、練習など、結構大変だったのですが、気持ちよく歌えて、また参加したいと思いながら、ズルズルと四半世紀。ついに機会が巡り、二度目の第九です。


何といっても、日本では、年末といえば第九、そして、第九と言えば、ベートーヴェン。他にも九番目の交響曲を書いた(つまり、9曲以上の交響曲を作った)作曲家はいるのに、そもそも"第九"なのは交響曲に限らないのに、第九=ベートーヴェンが作曲した9番目の交響曲と決まっています。そして、その第九が演奏される時期も、ほとんど年末。別に、それ以外の季節に相応しい曲でないというわけではないのですが...。


その背景については、オーケストラが年末に収支の帳尻を合わせるためといった説もあるようですが、友情と連帯、神への想いと未来に向けた希望を歌い上げるこの曲は、新しい年へ向かおうとしている時期に相応しいものだとは言えるでしょう。


特に、この大震災に見舞われ、まだまだ、膨大な数の人々が苦しみの中に置かれているこの年だからこそ、一年の終わりを迎えるにあたって歌い、そして、聞きたい曲だと思います。


まだ、8カ月以上も先の話です。振り返ってみれば、8カ月前には、こんな事態が起こるとは露ほども思っていなかったワケで、それを考えると、今年の年末がどうなっているのかなんて想像もできないのですが、それでも、折角のチャンス。


腹筋や背筋、呼吸のトレーニング等を続け、少しでも、良く声を出せる状態を整えていきたいと思います。この先、何度か練習にも参加することになりますので、時々、その話題についても触れていきたいと思います。