1984

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1984 [DVD]/エドモンド・オブライエン,ドナルド・プレザンス,マイケル・レッドグレーヴ
¥2,940
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ジョージ・オーウェルの世界的ロングセラー「1984」を映画化した作品。この「1984」は村上春樹の愛読書でもあり、現在、ベストセラーとなっている「1Q84」は、「1984」の内容を踏まえて書かれています。原作小説も「1Q84」も未読です。


世界規模での核戦争の後、世界は、オセアニア、ユーラシア、イースタシアの三大国に大別され、常に戦争状態にありました。その一つ、オセアニアは、偉大なる指導者、"ビッグ・ブラザー"に支配される抑圧的な全体主義国家でした。その首都、ロンドンの"真理省"に勤務する下級役人、ウィンストン・スミスは、家の中でも外でも、常に"テレスクリーン"と呼ばれる双方向テレビジョンにより監視される生活や、次々に変わる党の方針に従い過去の全ての文書や記録を、印刷物を書き換え、歴史を改変する仕事に嫌気がさしていました。そんな時、ジュリアという女性と恋に落ちますが、党の指示に依らない恋愛やセックスが反逆罪とみなされる社会においては、禁断の恋でした。しかし、2人は、秘密の逢瀬を重ねます。ある日、2人は、ウィンストンの所属部署のトップである党幹部のオコーナーから、彼が実は反政府組織の一員であることを打ち明けられ、組織のために働くように要請されます。やがて、反政府活動にのめりこんでいくウィンストンでしたが...。


原作小説の初版が1949年、実際に執筆されたのが1948年。作品で描かれた1984年の36年前です。その映画化作品である本作の製作が1956年。1984年の28年前。そして、今年、2010年は1984年の26年後。小説が出版された年代は、現在よりも、1984年との距離が遠かったわけです。


映画の冒頭でも述べられますが、35年というと、それほど遠い未来ではありません。今より、平均寿命が短かった頃とはいえ、40歳位までの人であれば、"生きている間にやってくる年代"として意識されたことでしょう。


"核戦争後の世界"というテーマは、原作小説が描かれた頃からのものなのでしょうか。


1945年に広島と長崎で、初めて、原子爆弾が兵器として使用され数多の人々が犠牲になり、1954年にアメリカによるビキニ環礁における水爆実験で第五福竜丸が被爆。核兵器がどれ程の被害を与えるかということが、世界的に知られるようになり、同時に、各国で原子爆弾の開発が盛んに行われていた時期。


その頃から、人類は、"核戦争によって世界が滅びる"不安から逃れられなくなったのでしょう。


そして、"全体主義"。一人の独裁者の下、一つの思想の元に社会全体が支配される世の中。その恐ろしさも、ナチスや"ビッグ・ブラザー"のモデルとなったスターリン、ポルポト...、様々な歴史的事実によって、人類は学んでいるはず。


けれど、核廃絶に向けての取り組みは中途半端なままだし、独裁者が地球上から消えることもない。本作で描かれる世界に、今の私たちはおぞましさを感じますが、それは、私たちと永遠に無関係な世界の話ではありません。今の私たちが生きている間に経験する可能性さえある世界なのです。


人は弱い。確かだと信じていた記憶も、視聴覚といった感覚も、外圧により、案外簡単に、捻じ曲げられます。そして、何よりも大切だと感じ、永遠だと信じていた愛でさえ裏切ることになります。


「打倒!ビッグ・ブラザー」と「ビッグ・ブラザー万歳」の間に横たわる溝は、深く広いものなはずですが、それを人は案外簡単に超えてしまう。そのことの恐ろしさと哀しさ。


全体主義の支配の怖さは、それが、人を支配する力にあるのではなく、個々人が案外簡単に権力に迎合してしまうことにあるのかもしれません。


体制側が、ウィンストンを洗脳するのに、相当な手間隙を掛けているようですが、何故、体制側は、ここまでウィンストンにこだわったのか、その辺りは、少々、分かりにくかったです。彼とは違い、簡単に消される人もいたようですし...。


左程、手間隙掛けず、簡単にウィンストンが洗脳された方が、本作の"怖さ"が強く印象付けられたかもしれません。


やや、古臭さが感じられる部分もありましたし、1984年が過去となっている現代から見れば、本作の時代設定はもっと古くも感じられますが、本作の不気味さを強調するモノクロの映像は印象的です。


演技陣にも力が感じられ、作品の世界に惹き込まれました。一度は観ておきたい作品といえるでしょう。なかなかオススメです。

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なくもんか

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なくもんか 通常版 [DVD]/阿部サダヲ,瑛太,竹内結子
¥3,675
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祐太の子どもの頃、父とお腹に祐太の弟を宿した母は離婚します。その後、祐太は、父に捨てられますが、総菜屋の店主に育てられます。総菜屋の一人娘、徹子は失踪。祐太が、立派に店を切り盛りしていました。一方、祐太の別れた母のお腹にいた子ども、弟の祐介は、赤の他人である金城大介とペアを組み、兄弟漫才師"金城ブラザース"として人気を博していました。ある日、10年以上も音沙汰のなかった総菜屋の娘、徹子が、娘と息子を連れて戻ってきて...。


祐太の突き抜けた人の良さの、スゴ過ぎて、尊敬の対象というよりも、笑いの対象になってしまっている辺り、面白かったです。彼が世話を焼いていた老人たちの家に泥棒が入った時、そんなことをするはずもない祐太が周囲から疑いの目を向けられる場面も、ある種の現実を巧く救い上げた場面で、可笑しさの中に、怖さを滲ませる印象的な場面だったと思います。家族愛を描いているような本作で、人間など信じるに値しない存在だと訴えているようなエピソード。このエピソードが作品全体のテーマと巧く絡まると、もっと、面白くなったと思うのですが...。


そして、祐太が毎週日曜に変身していた店「ゆうこ」。これは、彼の母の名前も祐子。彼は、結局、母を追い求めていた...ということなのでしょうか。この辺りの祐太の心の内も、もっと、丁寧に描いて欲しかった気がします。


主演の阿部サダヲは、サスガの好演だったと思いますし、その妻、徹子役の竹内結子も弾けた感じが良かったです。そして、徹子の母、安江役のいしだあゆみ。最初の頃のボケっぷりなど本物と見紛うばかり。この3人の演技に支えられている部分の大きい作品だと思います。


対して、祐介役の瑛太。今ひとつ弾け方が足りないというか、もう一歩のところで腰が引けてしまった感じがします。お笑い芸人なのですから、もっと、思いっきり弾けて新境地を拓いて欲しかったところ。


祐介の相方、大介の言動は説得力に欠けるし、沖縄での父と子どもたちの対面も不自然。徹子も過去の恋を自慢げに語っていましたが、それもどうかと...。


何より残念なのはラスト。どうも最後が失速気味です。漫才の場面も、漫才自体がたいして笑えず、作品の展開についていけませんでした。祐太の舞台での最後の方の一言は良かったのですけど。


そして、全体に、個々のエピソードが整理されていない感じで、細切れな印象が拭えません。それぞれの終り方も中途半端で、はぐらかされたような感じがしました。冒頭の人物照会の部分も、未整理で冗長な印象を受けました。もっと、コンパクトにまとめた方が、テンポが出て、違和感なく作品の流れに乗っかることができたのではないかと思います。


面白い要素が、数々、詰め込まれて、もう一歩で、かなり、面白い作品になったと思うのですが、とても残念。特に悪い作品でもツマラナイ作品でもないので、期待せずに観れば、それなりに楽しめると思いますが、レンタルのDVDで十分かと...。



なくもんか@ぴあ映画生活

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ザ・ロード

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アメリカ人作家、コーマック・マッカーシーのピューリッツァー賞受賞小説を映画化した作品。原作は未読です。


終末を迎えた世界。空は曇り、荒涼とした世界で父と息子は旅を続けています。少しずつ、冬が忍び寄り、このままでは冬を越せないと判断した彼らは、南へと向かいます。廃屋に僅かに残された食料などを手に入れながら、持てるもの全てを詰め込んだショッピング・カートを押しながら歩き続けますが...。


終末を思わせる地球。そこでは、僅かに残された人間以外のほとんど全ての生命が絶滅。って、そんなのアリ?という感じもしますが...。人間は、僅かながらにも生きているのに、人間よりもずっと生命力のありそうな生き物もいなくなってしまうなんて...。苛酷な環境で生き延びることが難しそうな妊婦や乳幼児が生き延びているし...。2人の家は、余程、生存に適していたのか...。


まぁ、これだけの何もない絶望的な状況を作りたかったら、ある程度、無理してしまうことは仕方ないでしょう。それにしてもねぇ...。


絶海の孤島で秘密裏に行われていた核実験が失敗。すべての生命が死滅したところに、難破した船が漂着。船に詰まれた食料が底をつけば、何も食べるものがなくなる...ナンテいう方が、まだ、あり得るかも...。


食料は底をついても、武器は豊富。人間は、左程まで、武器を貯め込んできたのか...。そして、父の持つライターは、いつまでも彼らに火を提供し続ける。ライターの燃料は大量に確保できたのか...。


兎に角、食料となるものが、人間以外にほとんどなくなってしまった時、人間を食べて生きることを選択するか、人間を食べないことを選ぶか...という極限の状況を作りたかったということは理解できるのですが、もう少し、その世界をしっかりと作り込んで欲しかった気がします。


まぁ、それも良いとして、この極限の状況で、限られた食べ物を他人に分け与えようとする息子は、やはり、天使なのでしょう。自らを"善き人"と定義する父、それなら、いくら、自分たちのものを盗もうとしたからといって、息子を傷つけることはしなかった他人の身ぐるみはぐことはしないで欲しかったです。それは、間違いなく、彼を死に至らしめる行為なのですから。


ストーリーは平坦で、似たようなエピソードが繰り返されます。まぁ、多くのものが滅び去った後の地球ですから、ツマラナイのは当然かもしれませんし、そのツマラナサこそが、ほとんどの生命が滅んだ世界を表現しているのかもしれませんが...。


ただ、人間を食べない="善き人"、人間を食べる="悪者"という単純な分け方もどうかと...。食べることを選択した"悪者"にも、少なくとも、最初は、それなりの逡巡があったはず。その部分が描けていなかったために、物語が薄っぺらくなってしまった感じがします。


人間しか食べるものがないという状況に置かれて食べることを選択した人々の物語として、「アライブ-生還者- 」「生きてこそ 」(どちらも、同じ史実を扱ったものですが...)があります。そちらの場合は、生きている人間を食べるために狩るのではなく、死んでしまった人の肉を食べるかどうかということなので、全く同じ状況とはいえないのですが、極限の選択を迫られた人々の心情が伝わってきて、本作より、はるかに重みが感じられました。


で、ラスト。2人の後を追っていたという家族が登場。少なくとも、息子が「子どもの姿を見た」と言った時には、近くに居たのでしょう。それなら、もっと、早く声を掛けてもよかったような...。父親の死を待っていた?


最後まで納得できない部分の多い作品でした。題材は良いと思いますし、出演陣はそれぞれ見せてくれていたので、工夫次第で、もっとずっと面白くなる作品だったと思うのですが、残念です。



公式サイト

http://www.theroad-movie.jp/index.html



ザ・ロード@ぴあ映画生活

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闇の列車、光の旅

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ホンジュラスに住むサイラは、父、叔父、兄とともに、普通に生きていくことすら難しい状況にある故郷での生活に見切りをつけ、アメリカに向かうことになります。国境を越えるため、列車の屋根に乗り、危険な旅を続けているうちに、カスペルという青年に出会います。彼は、ギャング団に属し、列車強盗をするためにこの列車に乗り込んでいましたが、サイラに暴行しようとしたボスを殺してしまいギャングの組織から命を狙われるようになり...。


命を賭けた密入国の旅。作中でも「半分は目的地に辿り着けない」と述べられていますが、4人で旅立ったサイラたちも、1人は途中で命を落とし、1人は強制送還されます。列車の屋根に乗っての旅。落ちて命を落としても、何事もなく列車は走り続けます。危険は乗り物にあるだけではありません。不法な移民を取り締まる警察、国境警備隊も彼らにとっては大きな敵。そして、彼らが命を落としたところで、家族でもなければ、気にかけることありません。例え、家族であっても、自分の命を守るには、遺体を放置して旅を進めなければならないのです。


作品の中で、結構、中心的な位置を占める人物すら、アッサリ命を落としていきます。重要な人物だからといって、死ぬ瞬間が引き伸ばされることもなく、あれこれ言葉を残すわけでもなく、実にアッサリと物語から退場していきます。観ていて、呆気にとられる場面もありますが、そうした描写が、本作のリアリティに繋がるのでしょう。


列車に乗り込んでいるのは移民をもくろむ人々だけではありません。彼らのような貧しい人々からも容赦なく金品を奪っていくギャングたち。もちろん、このギャングたちとて、貧しさの中で、他に生きていく術を持てなかった者たち。それくらいしか、生活の糧を得る道を見出せない貧困層の若者たちの現実があります。貧富の差があり、富む者が貧しい者を搾取するということだけでなく、貧しい者がより弱く貧しい者を搾取するという現実に酷さが実感されます。


ギャングのリーダーが幼い我が子を慈しむ姿には、彼も、当たり前の感情を持った人間であることが示されます。社会が"人を傷つけて生きていくか"、"搾り取られて死ぬか"の二者択一しか許さない状況にある中で、生きる選択をした結果としてギャングになってしまっただけなのでしょう。多分、普通に生きるに足る収入を得られる数少ない選択肢の一つがギャングになることなのでしょう。


カスペルの首にも「許せ、かあさん」の文字が彫り込まれていました。彼にも、家族や恋人への想いを抱えながら、不法行為に手を染めざるを得なかったのでしょう。ギャングの不法行為を取り締まれば、ギャングによる犯罪が減るという問題でもないということなのでしょう。


闇に包まれた厳しい旅が描かれますが、ラストには、一筋の光が射します。途中での彼女の相当に緊迫した状況の中で無茶する様子には、愚かさも感じられ、その傍迷惑振りには違和感もありましたが、意志の強さが感じられるサイラの表情が印象的でしたし、前を向いて生きていこうとする姿には清々しさも感じられました。


そして、一般の貧しき人々も、ギャングの少年たちも、過酷な中でも、時に笑顔を見せ、笑い声を上げる姿には、厳しい環境に置かれた彼らも、結局は、フツ~の人間であることが感じられます。


サイラが、やけに、簡単に、カスペルに着いて行くことを決めた感じもしますが、何の見返りも要求せず、彼女を助け、そのために命を狙われるハメになったカスペルは、彼女にとっては、相当に輝かしい存在だったということなのかもしれません。そして、カスペルが唯一無二な存在と感じてしまうほどに、過酷な中で生まれ育ってきたということなのかもしれません。


命懸けで不法移民せざるを得ないほどに追い詰められた人々。私たちから見れば、過酷な現実ですが、世界的に見れば、様々な地域にこうした立場に置かれた人々が存在し、多少の危険はあっても逃げる先があるだけ彼らは運が良かったとすらいえるのかもしれません。


ドキュメンタリーのような臨場感があり、作品の世界に引き込まれます。重く濃密な作品で、96分間という、やや、短めの作品ではありますが、観終えて充実した感じが残ります。上映館も少なく、地味な企画の一環として、上映された作品ですが、内容の濃い、重量感のある作品に仕上がっています。


力のある作品。一度は観ておきたい作品だと思います。なかなか、オススメ。



公式サイト

http://yami-hikari.com/



闇の列車、光の旅@ぴあ映画生活

サテリコン

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サテリコン [DVD]/マーチン・ポター,ハイラム・ケラー,サルボ・ランドーネ
¥995
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古代ローマの詩人、ペトロニウスの原作を映画化した作品。


キリスト教が浸透する以前のローマは、退廃の極に達し、人々は快楽を追い求める生活に明け暮れていました。学生のエンコルピオとアシルトは、美少年、ジトンを奪い合う恋仇同士。ジトンは、アシルトを選び、恋に破れたエンコルピオは、トルマルキオの宴に出かけ、狂乱する人々を目にしますが、その中から、詩人のエモルポを救い出します。翌朝、エンコルピオは、貴族、リーカの少年狩りに捕まり、軍船の中でアシルトと再会します。リーカに気に入られたエンコルピオはリーカと結婚。その頃、若き皇帝が殺害され、貴族たちが襲われ、リーカも殺されます。その後、エンコルピオとアシルトは釈放されます。やがて、爛熟したローマも崩壊の兆しを見せ始めますが...。


ある文化が栄え、行くところまで行きつくと、結局、"酒池肉林"になるのは、洋の東西や時代を問わない人間の性なのでしょうか。贅沢三昧というのは、つまるところ、どれだけ、無駄なことをするかということなのかもしれません。カネを浪費し、食べ物を無駄にし、人間の命まで粗末にする。同性愛というのも、"子孫を残し、種の保存を図る"という意味からいえば、無駄な行為、ある種の贅沢といえるのかもしれません。


爛熟という言葉がぴったりの退廃振り。熟しきり、腐敗が始まる一歩手前。まさに頂点を極めた瞬間の最高の輝きが本作には描かれています。けれど、ひとたび頂点に辿り着いたら、後は、転げ落ちるしかありません。腐り始める一歩手前の熟した果実のとろけるような味わい。美も突き抜ければ、醜と紙一重。醜も極めれば美に近付く。そんなギリギリのところにある映像美が印象に残ります。


かなりエログロな部分もありますが、目を背けたくなるような場面は明示されず、卑しく酷くおぞましい内容を色彩豊かな美しい映像で切り取っています。


特に興味を惹かれるようなストーリーがあるわけではありません。けれど、圧倒的な映像の力が観る者をその世界に引き摺り入れます。2時間を超える豪華絢爛な映像、その濃さに生気が吸い取られるような気さえしてきます。


それでありながら、不思議と気持ちよく観終えることができるのは、やはり、映像の美しさと絶妙に合わされている音楽のなせる技でしょうか。


舞台は古代ローマになっていますが、現代の前衛芸術を思わせるような部分もあり、背景に、ケチャ、ガムラン、般若心経など、さまざまな国のものが登場し、ある特定の文化の中にいる人々の物語というより、もっと普遍的な人類の物語となっています。


好き嫌いは別れる作品かもしれませんが、一度は観ておきたい作品だと思います。この濃縮された豪華な映像は、できるなら、映画館の大きなスクリーンで観たいものです。



サテリコン@ぴあ映画生活

ベジャール、そしてバレエはつづく [DVD]/ジル・ロマン
¥5,040
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「ボレロ」「春の祭典」など数々の名作を生み、バレエの世界だけでなく、様々な分野の芸術に大きな影響を与えた振付師、モーリス・ベジャール。1970年代に亡くなったベジャールの遺志を受け継ぐモーリス・ベジャール・バレエ団に所属するダンサーたちの姿を追ったドキュメンタリー作品。


モーリス・ベジャールの亡き後、新しい芸術監督にジル・ロマンを迎え、彼の初振付作品「アリア」のワールド・プレミアを行うまでの日々を中心にバレエ団の面々の奮闘を描きます。


バレエの歴史だけでなく、それ以上にずっと幅広い分野に得今日を与えた天才振付師、モーリス・ベジャール。特に「ボレロ」は有名で、ほとんどバレエのことなど知らなくても、「ボレロ」の印象的なリズムに合わせ踊る上半身裸の男性の姿をどこかで目にしてる人は多いはず。


ジョルル・ドンが踊るボレロは、映画、「愛と哀しみのボレロ 」の中でも、非常な重要な部分を占めています。確かに、あのリズムとメロディー、そして、人間の身体が渾然となって一つの表現が出来上がってくる感じがあり、何かを観る者の身体の中に湧き上がらせるような力を持っていると思いますし、他の作品を観ても、確かに"ベジャール"が感じられるそのオリジナリティは傑出したものだと思います。


天才の偉大さ、そして、天才を継ぐことの難しさ、伝統の継承と時代に寄り添う変化。それは、バレエだけでなく、様々な分野に共通することでしょう。


その大きな課題を背負うジル・ロマンの苦悩の大きさは想像を絶するものなのでしょうし、一方、他の誰にも許されなかった高みに上る権利を獲得した誇りも果てしなく大きなものなのでしょう。彼の苦悩とベジャールへの強い想いが伝わってきます。


特に前半は、あまりにベジャール万歳になりすぎた感じは否めません。正直、少々、引いてしまった部分もありました。それに、ベジャールの天才振りについての言及も、ある程度、バレエについての知識がないと分かりにくいのではないでしょうか。まぁ、バレエを題材にした作品なのですから、基本は、ある程度、バレエを知っている人向け、ということなのでしょうけれど...。


いずれにしても、ベジャールの主だった作品のハイライトシーンがいろいろと登場しますので、ベジャールの作品の魅力を垣間見るには良い作品だと思います。



ベジャール、そしてバレエはつづく@ぴあ映画生活

かいじゅうたちのいるところ

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かいじゅうたちのいるところ Blu-ray&DVDセット(初回限定生産)/マックス・レコーズ,キャサリン・キーナー,マーク・ラファロ
¥3,980
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1963年に出版され、世界的なロングセラーとなっているモーリス・センダックの同名絵本を映画化した作品。


8歳になるマックスは、母と姉との3人で暮らしているやんちゃな男の子。姉は、マックスの遊びに付き合うより、ボーイフレンドとのデートが大事。母も恋人に夢中で、マックスに十分に構ってくれず、マックスは不満を募らせます。ある日、その不満が爆発。母親と大喧嘩して家を飛び出したマックスは、船に乗り、怪獣たちがいる不思議な島に辿り着きます。マックスは、怪獣たちに嘘をつき、王様となりますが...。

マックスがいい味出しています。我が儘で暴れん坊の寂しがり屋。怪獣たちを支配するために、2グループに分けて戦わせるなど、なかなかの"王様"振りです。


マックスが辿り着いた島にいるかいじゅうたちは、いずれも、マックスの断片。それぞれが、マックスの心の欠片やマックスの周囲の人々の一部を投影しています。マックスも8歳。自分の心の中でぶつかりあう対立した感情の処理や、力を得てきた身体が引き起こす暴力のコントロールに戸惑う時期なのでしょう。


世界中が自分を中心に回っていると信じることができ、周囲は自分を確かに護ってくれると信じることができた赤ちゃん時代を卒業し、意外に、自分の足元が不安定であることを知る時期。本作では、太陽もいつか滅びるものであることが学校の授業で教えられる場面が登場しますが、マックスが、永遠と信じていたものもいつか滅びていく運命にあることを知る時期にいることが巧く表現されている場面だと思います。


様々な感情を持つようになり、けれど、それを言語化したり、自分の中で適切な形で処理したりということがなかなかできない年代。やり場のない混沌とした感情の渦に翻弄されるマックスの姿は、大人になっている多くの人々にとって、懐かしさと気恥ずかしさを呼び起こすものかもしれません。


怪獣たちの造形も良かったと思います。フカフカした感じが、何とも心地よさ気で、愛嬌があり、立ち居振る舞いの人間っぽさが親しみやすかったです。もうちょっと、怪獣らしさを感じさせる言動があっても良かった感じがしますが、むしろ、"怪獣らしい"のは、マックスだったということのかもしれません。


ただ、全体に、こじんまりと纏まりすぎた感じもします。登場人物も少なく、舞台も狭い世界に限定されているからかもしれませんが、地味でやや単調な感じもしました。


自分の中に吹き荒れる暴風雨を鎮め、母親の元に返ったマックス。ラストの穏やかな表情が印象的です。やはり、このマックスのキャスティングと怪獣の造形が、本作の魅力といえるでしょう。


子どもが抱えた闇に目を向けながらも、子どもの存在自体には温かな視線が注がれています。ただ、絵本を映画化した作品ではありますが、あまり、子ども向けではないかもしれません。特に、後半部分、少々、いろいろな要素を取り込みすぎたかも...。原作の絵本よりも、ずっと、"大人仕様"になっているように思うのですが、その"大人化"が、やや、中途半端だったかもしれません。もっと子ども寄りか、徹底的に大人向けにするか、方向性をキッチリとさせたほうが、面白いものになったのではないかと思います。


それでも、主人公を演じたマックス・レコーズの豊かな表情の魅力、怪獣たちの姿かたち、動きの可愛らしさ、美しい映像は、一見の価値があると思います。観て置いて損はないでしょう。



かいじゅうたちのいるところ@ぴあ映画生活

火天の城

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火天の城 [DVD]/西田敏行,福田沙紀,椎名桔平
¥3,990
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第11回松本清長賞を受賞した山本兼一の同名小説を映画化した作品。原作は未読です。


1575年、長篠の戦いで甲斐の武田勢を破った織田信長は、1576年、琵琶湖を臨む安土の地に居城を築城することを決めます。その才能をかっていた熱田の宮大工、岡部又右衛門に、設計と総棟梁を任せます。次々に襲いかかる様々な困難の中、妻の田鶴、娘の凛、門下の大工たちに支えながら、着々と築城を進めていきますが...。


当時の日本に来ていたポルトガル人のイエズス会宣教師、ルイス・フロイスは、彼の著書、「日本史」の中に伊かのように書き記しています。


中心には、彼らがテンシュと呼ぶ一種の塔があり、私たちの塔より気品があり壮大な建築である。この塔は七重からなり、内外共に建築の妙技を尽くして造営された。事実、内部にあっては、四方に色彩豊かに描かれた肖像たちが壁全面を覆い尽くしている。外部は、これらの階層ごとに色が分かれている。あるものはこの日本で用いられている黒い漆塗りの窓が配された白壁であり、これが絶妙な美しさを持っている。ある階層は紅く、またある階層は青く、最上階は全て金色である。このテンシュは、その他の邸宅と同様に我らの知る限りの最も華美な瓦で覆われている。それらは、青に見え、前列の瓦には丸い頭が付いている。屋根にはとても気品のある技巧を凝らした形の雄大な怪人面が付けられている。


壮麗なカテドラルを目にしたことがあったであろう宣教師が「私たちの塔より気品があり壮大」と表現するのだから、相当に凄いものだったのでしょう。


今の価値で1000億円という莫大な費用を投じた大事業の果てにできあがった歴史に名を遺すべき名城。けれど、呆気ないほどに短命でした。


1576年1月:築城開始

1579年5月:完成した天主に織田信長が移り住む

1582年  :本能寺の変の後、天主とその周辺の建物を焼失


天主が失われた後も、城としての機能が全く失われたわけではなく、しばらくは城として存在していたようですが、やがて、左程、間をおかずに廃城となっています。安土城跡は、史跡として保存されていますが、まさに、つわものともが夢の跡。当時の世界において、傑出した建物であった世紀の大建造物も、僅か6年で地上からその姿を消してしまいます。


歴史に残る大事業に関わる人々。そこにあるのは、まさに"プロジェクトX"を地でいく数多の物語があったことでしょう。様々な創意工夫があり、乗り越えてきた多くの困難があり、犠牲となった多くの命があり...。現在、当たり前のように使われているデジタルな道具も重機もない中で、人々の手により造りあげられていく巨大な建造物。


考えただけでワクワクして来ます。で、その期待は...見事に裏切られます。


最後まで観て、「今のは何だったのだろう」という疑問が残ります。安土城築城に絡まる男同士の命を賭けた友情、夫婦、親子の物語、職人としての誇り、大プロジェクト...、様々な要素が盛り込まれ、いろいろなエピソードに彩られているのですが、それぞれがバラバラで、全体として一つの流れになっていないような感じがします。


安土城には、敵地まで乗り込んでやっと得た見事な大木を使った柱がありましたが、本作には、その柱が見えてきません。題材は良く、出演陣もそれぞれに芸達者で良かったのですが、そうしたものが活かせていません。非常に勿体ない感じがします。


特に、一つの大きな核となり得るエピソードである大柱にするための大木探しに関する木曽の杣人、甚兵衛が命を賭けて神木を又右衛門に与える話。何故、甚兵衛の想いが今ひとつ弱く、エピソード自体が薄っぺらい感じになってしまっています。まぁ、そもそも、又右衛門が、そこまで必死に安土城建築に向き合おうとするのか...。単に命惜しさではないはず。信長のため?という程、素直な人材とも思えません。そこには、職人としての意地や誇りのようなものがあったことでしょう。その辺りの又右衛門の想いの描かれ方も、どうも、中途半端。全体に、個々のエピソードが、突然始まり、突然終わり、パッと消えていく感じで、中途半端な印象が否めません。


肝心な城を建てる過程も、いくつかのエピソード以外はアッサリと流され、あっという間に簡単に建てられてしまったかのような印象を受けてしまいます。


築城に焦点を絞り、プロジェクトX風に関係者の想いをしっかり炙り出していれば、もっと、ずっと面白いものになったと思うのですが...。


何とも残念な作品。期待していたことが間違っていたのかもしれませんが...。



火天の城@ぴあ映画生活

ハワード・ザ・ダック 暗黒魔王の陰謀 [DVD]/リー・トンプソン,ジェフリー・ジョーンズ,ティム・ロビンス
¥3,990
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はるか宇宙の彼方、2つの月を持つある惑星は、アヒルが支配する、地球とほぼ同じ文化を持つ星。そこには、27歳の独身アヒル、ハワードが住んでました。ある日、遠くの天体を観測するために開発された高エネルギー砲により、ハワードは、地球に呼び寄せられてしまいます。彼は、チンピラに絡まれる場末のバーで唄う女性ロック・グループのヴォーカリスト、ビバリーを助けます。最初は、アヒルの姿のハワードに驚いた ビバリーでしたが、やがて、彼はアヒルなりに紳士であることを知り、2人は心を通わせあうようになります。故郷へ帰りたいハワードは、やがて、自分が地球にやって来たのは、ジェニングス博士の実験のためだということを知り、ジェニング博士に故郷に送り返してもらうことになります。しかし、機械の操作ミスにより、宇宙に棲む暗黒魔王の1人が地球に乗り込んできて、博士に乗り移ってしまい...。


何ともチープな空気に満ちたB級映画。着ぐるみそのもののアヒルは、背も低く、全然、カッコ良くないのに、ダック・フー(アヒル流カン・フー)の名人。外見がアヒルな以外は、フツ~の地球人(というか、アメリカ人)とほとんど同じ文化風習の中で育ち、同じ価値観を共有しています。


まぁ、この果てしなく広い宇宙。数限りなくある星々。その中には、そんな星があってもおかしくないということなのでしょう(なんてワケもありませんが...)。ハワードの故郷にある彼の部屋の細部までの凝り方などは、かなり、見応えがありました。ハワードの造形も、夢の国のヤンチャなあひるを思わせるものがありますが、着ぐるみとしては上出来で、独特の味わいも感じられました。(まぁ、そのどこかの夢の国も、日本の漫画の神様が生み出したキャラクターを思わせる動物を主人公にした物語を作り上げ、話題になりましたが...。)


一方、敵役の暗黒魔王。こちらが、イマイチでした。キャラクターも、安っぽくてテキト~な感じだし、暗黒魔王とハワードが必死になって戦わなければならない理由も今ひとつ、説得力ありません。そして、この暗黒魔王が登場する辺りから、作品全体を微妙な空気が覆い始めます。ただ、ひたすら、無意味なアクションが繰り広げられる感じで、観ていても、集中し切れません。


前半部分が、チープでテキト~ながら、それなりに楽しめただけに、後半部分の失速が残念。


映画として特に面白いというわけでもない突っ込みどころ満載の作品ですが、一度観たら忘れられない類の作品であることは間違いありません。子ども騙し...といっては、子どもに失礼な気さえする作品ですが、ここまで徹すれば、これはこれでアリかとも思えます。大人だからこそ騙されて楽しめる作品かもしれません。ワザワザ観る価値があるとも思えませんが、余裕のある時の暇つぶしには悪くないかもしれません。



ハワード・ザ・ダック 暗黒魔王の陰謀@ぴあ映画生活

クレイジー・ハート

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過去に4度も結婚したものの、いずれも破綻。かつては人気を博したものの、落ちぶれてドサ回りを続けるカントリー歌手、バッド。新曲を書くよう所属会社からも勧められますが、そんな言葉にも耳を貸さず、酒に溺れる日々を送っていました。ある日、シングルマザーである記者のインタビューを受けて...。


ジェフ・ブリッジスが演じるバッドのうらぶれた哀しさが印象的です。まぁ、自業自得なしょ~もないオヤジなのですが、どこか、可愛らしさ、歌への熱意が感じられ、見捨てられなき持ちにさせられます。


マネージャーも、かつての弟子で今は彼を凌駕する第一人者となったトミーも、付き合いの長いバーのマスターも、何とか、彼を立ち直らせようとし、支えていきます。彼と出会ったジーンも親子ほどにも歳の離れた彼と恋に落ちます。


そうしたこともあり得るだろうと納得させられるバッドの魅力を名優、ジェフ・ブリッジスがしっかりと表現しています。酒に溺れても、ステージをドタキャンすることもなく(途中で中抜けてしまったことはあったようですが)、過去の栄光に固執し拘ることなく、場末のステージでの演奏も、こなしたバッドの音楽に対しては誠実であり続けた姿勢も、周囲の心を惹き付けたのかもしれません。


まぁ、そういう意味では、”落ちるところまで落ちた”ワケではないバッド。ジーンの息子を迷子にしてしまったとはいえ、彼は、無事に見つかりますし...。


ありがちな、今は落ちぶれた過去には大きな栄光を味わった人物の再生物語の中でも、比較的、起伏のない平板な物語になっていますし、再生の部分もやけにアッサリで、成功を手にしたときのエクスタシーにも欠けます。


ジェフ・ブリッジスの演技と音楽の魅力に支えられた作品といえるでしょう。それにしても、ジェフ・ブリッジスの歌、良かったです。"伝説の歌手"という割には力不足だったとも思うのですが、アルコールで崩れかけてはいるものの過去の名残りは感じさせる歌声には、十分になっていたと思いますし、そういうことであれば、彼の"新しい傑作"が彼自身ではなく、トミーが歌うことになるという流れにも納得できます。歌については、トミーを演じたコリン・ファレルが見事。ジェフ・ブリッジスを超える出来栄えで、この"世代交代"を納得させられます。


落ちぶれて、お腹ブヨブヨのオジサンになっても、娘のような年齢の優しく優秀な女性に愛され、新しい人生を切り開く...。くたびれたオジサンに優しい作品かもしれません。


ジェフ・ブリッジスの演技とコリン・ファレルの歌声と音楽。そこだけに依存し過ぎてしまっている感はありますが、その3点については、間違いありません。そこに魅力が感じられるかどうかで、評価が分かれる作品だと思います。


上映館も少なく、地味な扱いをされていますが、チャンスがあれば観ておいても損はないかと思います。



公式サイト

http://movies.foxjapan.com/crazyheart/



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