スティーグ・ラーソンの世界的ベストセラー・シリーズ、「ミレニアム」を3部作として映画化した第1弾。原作は未読です。


雑誌「ミレニアム」の記者、ミカエルは、大企業ヴァンゲルの会長から40年前、ヴァンゲル一族が住む島から、兄、の孫で、当時16歳だったヘリエットが失踪した事件の調査を依頼されます。ミカエルは、調査を開始し、ヘリエットの日記に書き込まれた謎の文字と数字を見つけます。その謎を解くための重要な手がかりとなるメールが届きます。その送り主は、天才ハッカーで、ヴァンゲルの会長がミカエルに調査を依頼するに当って、ミカエルの身元を調べることを依頼されたリスベット。ミカエルとリスベットは、協力して調査に当りますが...。


なかなか良く練られた作品だとは思います。2時間を超える作品ですが、テンポも悪くなく、作品の世界に引きずり込まれます。


40年前に失踪したヘリエットを巡る謎。彼女は、何故、姿を隠したのか。その背景にあったものが少しずつ明らかになり、彼女が何らかの問題に巻き込まれたことが示唆されます。本作は、ヘリオット失踪事件の調査を軸にしながら、その背景に、過去からのナチスドイツとの繋がり、少女への性的虐待といった社会的な問題が抉り出されていきます。そして、そこに重なっていく、ヘリオットとリスベットのそれぞれの人生。さらに、ミカエルの人生。


ミカエルとリスベット、そして、ヘリオット。この3人のそれぞれを中心に置いたそれぞれのストーリーが共通点を持ちながら、触れ合ったり離れたりしながら、進んで行きます。その3つのストーリーが収束していく際の爽快感は、なかなかのもの。もっとも、リスベットについては、謎のまま残される部分も少なくありませんが、それは、次回作への布石となるのでしょう。


ミカエルとリスベットの交流が描かれる部分の比重が大きくなり過ぎた感じは否めません。その分、事件そのものに関する部分が薄れ、ミステリーの謎解きの面白さを犠牲にしてしまった感じもします。ヴァンゲル一族のメンバー個々の描写がやや薄く、そのために、真犯人を巡る謎解きに唐突な印象を受けてしまいました。


それでも、リスベットを演じたノオミ・ラパスの存在感は見事だし、映像も"北欧"のイメージそのままの雰囲気を湛えて印象的。長時間、飽きずに観られるのは、作品の力ゆえでしょう。


事件の解明が進むに従い、残虐な事件の場面が登場します。かなり、グロテスクなエグイ映像も目立ちますが、その点は覚悟して、それでも、観て置いて損はないと思います。


本作の続編となる「ミレニアム2 火と戯れる女 の公開を楽しみに待ちたいと思います。



公式サイト

http://millennium.gaga.ne.jp/



ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女@ぴあ映画生活

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Dr.パルナサスの鏡

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ヒース・レジャーが亡くなったことで、製作の続行が危ぶまれていましたが、彼の代役をジョニー・デップ、ジュード・ロウ、コリン・ファレルの3人が演じ、完成にこぎつけた作品。


現代のロンドン。大きな馬車が停まり、奇妙な舞台が現れます。そこに登場した一座のメンバーが、年齢が1000歳を超えるというパルナサス博士、その娘のヴァレンシア、曲芸師のアントン、小人のパーシー。博士の瞑想に導かれて舞台の鏡に入ると、客は、自分の欲望を形にした幻想世界を体験することになり、その中で、ある選択を迫れれることになるのですが...。


正直、ワケがわかりません。一応、ストーリーはあるのですが、全体としてきちんと流れていないというか、纏まりがないというか...。個々の場面を観ると、それなりに面白かったり、印象的な部分もあったりしますし、心に引っ掛かる映像も随所に散りばめられています。けれど、あっち行ったりこっち行ったりしているうちに焦点がぼけてしまっているし、個々の場面の繋がりやバランスが悪く作り込みが足りない感じが否めません。ヒース・レジャーが亡くなったことや、その役柄が三人に引き継がれ、計4人により演じられることになったという事情によるところも大きいのでしょうけれど...。


悪魔が、あまりに普通の人間っぽかったり、賭け事が大好きだったり...といった部分は面白かったです。ごく普通の人間こそ、最も悪魔に違い存在なのかもしれません。"死んだ人間が神になる"的発言もなされていて、これだけ大胆に一神教を否定するセリフをあっさりと登場させる辺り、大胆さも感じさせられました。他にも意味ありげだったり、奥深そうであったりする部分もあったりするのですが、どれも、処理のされ方が中途半端な感じがしてなりませんでした。


提示されながら放りっぱなしになってしまった部分もありましたし...。それにしても、トニーの額の印には、一体、何の意味があったのか...これは、明らかにして欲しかったです。


さて、三人の代役。何と言っても、ジョニー・デップが際立っていたと思います。このテの役どころは、やはり、ジョニー・デップの独壇場といったところでしょうか。ヒース・レジャーは、やはり、本調子ではなかったのでしょうか、今ひとつ、精彩に欠けます。こうした形で、"完成させた"ことが本当に良かったのかどうか、疑問も残りました。


面白かったかどうかというと、甚だ疑問なのですが、それでも、シュールな美しさを味わえる映像は見応えありました。何も考えず、半分ウトウトしながら眺める分には悪くない作品だと思います。そして、この映像を堪能するには、大きなスクリーンで観るべきなのでしょう。


好き嫌いは大きく分かれる作品。シュールな映像世界がお好きな方には映画館での鑑賞をオススメ。



公式サイト

http://www.parnassus.jp/index.html



Dr.パルナサスの鏡@ぴあ映画生活

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ハードエイト

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ハードエイト(コレクターズ・エディション)/ジョン・C・ライリー,フィリップ・ベイカー・ホール
¥3,990
Amazon.co.jp


母親の葬式代を稼ごうとラスベガスに行ったものの見事にスッテしまたジョンは、国道沿いのダイナーの前で悄然と座り込んでいました。その時、シドニーと名乗る初老の男性に声を掛けられ、カジノに連れて行かれ、スロットの必勝法を伝授され、元手を大きく増やします。2年後、プロのギャンブラーとして頭角をあらわし始めているジョンとシドニーが再会し...。


"ハードエイトと"は、4のゾロ目ということだそう。作中で、登場人物がサイコロ賭博をやり、"ハードエイト"に賭ける場面が出てきます。


主な登場人物は4人。シドニー、ジョン、ジョンの恋人のクレメンタイン、ラスベガスでできたジョンの友人でシドニーの過去を知るジミー。


ジョンに対し罪の意識を持つとともに、彼に対し父親のような気持ちを抱くようになるシドニー。実の娘と息子の父親であることに失敗したらしきシドニーは、ジョンに出会い、愛する対象としての息子を得た想いだったのでしょう。ラスト近くのジョンからの電話での遣り取りが胸に沁みてきました。


わけの分からないままにシドニーに助けられ、最初は疑念を抱きながらも徐々に尊敬するようになるジョン。父も母も喪い、天涯孤独な様子のジョン。


ジョンの愛情とシドニーの助けにより荒んだ生活から抜け出すクレメンタイン。


シドニーを陥れようとして破滅するジミー。


ジョンは、そして、クレメンタインも、シドニーとの出会いにより、真っ当に生きる道を見出すことができました。けれど、ジミーは、そうした出会いを得られず、シドニーを脅迫するしかなくなります。ジョンも、クレメンタインも、間違いを犯しますが、そこで、心から後悔し反省することができた。けれど、ジミーは...。そこに、明暗を分ける分岐点があったということなのかもしれません。


サイコロの4の目。そして、4人の登場人物。2つのサイコロを投げて4のゾロ目が出る確率は36分の1。2.8%弱。ものすごく低いというわけではありません。ジョンとシドニーの出会い、それは、全くの偶然なのか、シドニーがジョンの動向を探っていたのか、その辺りはよく分かりませんでしたが、これが偶然なのだとしたら、"ハードエイト"どころの確率ではないわけですが...。


ジョンは、すべてを失ったと思った絶望の後に幸運を得ました。クレメンタインも落ちるところまで落ちたかに見えたその後に底から抜け出します。シドニーは、どうだったのか?彼が自分の罪をジョンに隠し続ける限り、彼が本当に贖罪を果たすことはできません。シドニーは、この先、ジョンとの関係をどうするのか。


ラストはシドニーの映像。冒頭でジョンにコーヒーをご馳走したダイナーで一人、コーヒーを飲みます。最初の方では、片手でカップを持っていたシドニーは、両手でカップを持っていました。老いを感じさせる動作と寂しげな表情。この先にあるものを想像させる余韻のあるラストになっていて印象的でした。


フィリップ・ベイカー・ホイル、ジョン・C・ライリー、確かな演技力のある俳優二人の演技にも支えられ、味わい深いを感じさせるハードボイルドな雰囲気の作品に仕上がっています。一見の価値ありです。

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いけちゃんとぼく

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いけちゃんとぼく [DVD]/蒼井 優,深澤 嵐,ともさかりえ
¥4,935
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西原理恵子が2006年に発表した初の絵本を実写映画化した作品。原作は未読です。


ヨシオは、小学校で、イジメッ子の標的になっていました。何度、殴られたり蹴られたりしても、逃げず抵抗するヨシオでしたが、いつも、やられっ放し。友だちも、イジメッ子たちを恐れ、ヨシオを助けようとはしません。そんなヨシオといつも一緒にいてくれる"いけちゃん"は、不思議ないきもの。いつの頃からずっとヨシオのそばにいて、ヨシオを慰めてくれたり、励ましてくれたりして、支えてくれていました。けれど、ヨシオの成長にともない、いけちゃんの姿が、段々、見えなくなってきて...。


イジメッ子は、2人でいつも一緒。彼らの方が体格的にも圧倒的に大きく、いつも、負けています。圧倒的な力の差の前に、ヨシオの友人たちは、最初から闘う意欲を失っています。けれど、ヨシオは、必死に抗います。空手を身につけようともしますが、けれど、暴力では敵いません。


大きな敵、有力な味方もいない、でも、負けっぱなしでは悔しい。では、どうするか...。やられても、やられても、立ち向かっていく。それは、カッコ良いかもしれないけれど、愚かな無謀さでもあるわけです。ヨシオも、少しずつ、"勝つ方法"を考えるようになります。


その過程においても、ヨシオは厳しい現実を知らされます。どうしようもなく強いと思っていたイジメッ子たちがコテンパにやっつけられている場面を見てしまいます。上には上がいて、その上にもまたその上がいる。ヨシオは暴力による解決の無意味さを知ったのでしょう。そこで思いついた別の戦い方。そこにヨシオの大きな成長が見られ、さらに、その後、もう一歩、成長を遂げます。


少年が青年になっていく過程。一人で無謀な抵抗を繰り返していたヨシオが、仲間を得て、暴力に依らない解決方法を見出し、ケンカ相手も取り込む余裕を見せた時。そこにいたのは、いけちゃんがいないと生きていけない子どもではなく、自分の足で自分の人生を歩むことができる一人の青年になっていました。その成長が清々しく、ほのぼのと感じられました。


そして、子どもが成長と引き替えに失っていくものへの郷愁。いけちゃんとともに存在した妖怪たちの世界。それは、渦中にある子どもにとって、必ずしも、あり難い存在ではないでしょうけれど、大人の目から子どもの世界を見てみれば、懐かしいもの。


子どもが自分にしか見えない空想の友だち(イマジナリーフレンド)を持つということは、珍しいことでも、異常なことでもありません。誰にでも見えるぬいぐるみや人形が、意思を持って現れる場合もあるでしょう。けれど、本作のミソは、このいけちゃんが単なるイマジナリーフレンドではないところ。そのタネ明しが最後のほうで為されますが、その"いけちゃんの正体"には、違和感を覚えました。


ある意味、いけちゃんは、"ヨシオのドラえもん"だったわけですが、あののんびりとしたのび太ですら、「ドラえもんの登場により、自分の人生が変わったら、(ドラえもんを彼の元によこした孫の孫の)セワシは、存在しなくなるかもしれない」と心配したように、これでは、いけちゃんの登場のために、ヨシオの人生が変わり、大人になったヨシオの人生からいけちゃんが消える心配もあるわけで...。過去を操作してしまったら、ややこしくなんですよね...。


いけちゃんの造形は、ほのぼのしていて、大きなつぶらな瞳が、弱ったり傷付いたりした心を温かく包み込んでくれる感じがして良かったと思います。その声の蒼井優も見事でした。日本の田舎の良さを堪能できる映像も綺麗でした。


もうちょっと、ヨシオの少年時代のマドンナの大変身の背景とか、母親の彼への想いとか、イジメッ子から逃げる子どもたちの背景とか、そして、何より、晩年のヨシオといけちゃんの付き合いといったものが描きこまれていると、ヨシオ以外の視点がバランスよく入って、もっと、物語に深みが出たのではないかと思います。


決して、ツマラナイ作品ではないのですが、今一歩感が拭えません。いけちゃんの正体を受け入れられるかどうかが、ポイントだったのでしょう。私は、そこで、引っ掛かってしまいました。



いけちゃんとぼく@ぴあ映画生活

映画 クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲 [DVD]/矢島晶子,ならはしみき,藤原啓治
¥3,990
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臼井儀人原作のTVアニメ、「クレヨンしんちゃん」の劇場版第9作。2001年公開の作品です。


突如、出現し、瞬く間にオトナたちの人気スポットとなった「20世紀博」。そこには、懐かしの昭和の時代を体験できる空間が広がり、オトナたちは童心に返って楽しんでいました。やがて、オトナたちは現実の生活を投げ出してしまいます。その裏には、絶望の21世紀を捨て、希望に満ち溢れていた20世紀を永遠に存続させようとする、秘密結社イエスタデイ・ワンスモアの計画がありました。未来を守り、21世紀を生きるためにしんのすけたちが立ち上がり...。


過去は現在より輝いて見えるもの。特に、大人になって子ども時代を振り返れば、そこに見えるのは、甘美な懐かしい想い出。本当は、左程、良いことばかりではなく、傷も受け、苦しみも味わい、闇に涙も流したはずなのに、そうしたものは、記憶から消え去り、楽しさばかりが甦る。そして、何も知らなかった過去から見た未来がどんなに輝いていたか。あの時、夢見た未来に比べ、現在の何とくすんでしまっていることか。


現在から振り返った過去は、甘く、懐かしく、楽しかった。その居心地のよさに逃げ込んでしまったオトナたち。一方、その子どもたちにすれば、現在こそが生きる世界。この現在が、いかに、問題のあるものだとしても、子どもたちに逃げ込める過去があるわけもなく、子どもたちは、この今の時代に生きていくしかないのです。


私自身も、大阪万博の時代が記憶にありますが、それは、経済的にも産業的にも右肩上がりに成長していた時代、環境問題などもほとんど気にしていなかった時代、マイナスの面を見据える力を持たず、より良い方向への変化ばかりに目を奪われていた時代でした。


懐かしい過去の想い出はオトナにとって大きな癒しとなるもの。けれど、底に逃げ込んでしまった時、オトナは大人でいられなくなるのかもしれません。子どもを守り育てなければならないはずのオトナたちが過去に逃げ込んでコドモに戻ってしまえば、子どもたちは頼るべき相手を失ってしまいます。


さて、子どもたちにとって、大迷惑なこの状態。現在からこの先に未来に生きていかなければならない子どもたちは大人を取り戻さなければならない。冷静に"必要度"を考えれば、オトナがコドモを"必要"とする度合いよりも、コドモがオトナを"必要"とする度合いの方が遥かにに高いことでしょう。やはり、コドモは保護される側で、オトナは守り育てなければならない側だから。


しんのすけたちが立ち上がり必死にオトナたちを取り戻そうとする姿に、コドモという存在の愛しさが感じられ、切なくも温かいものが胸に沁みてきます。


それにしても、懐かしさ満載の映像ではあります。「20世紀博」にハマッてしまうオトナたちの気持ちも分かってしまう自分を感じます。そう、あの時、確かに未来は輝いていたのです。本作は、巧く懐かしさを呼び起こす素材を集め、郷愁を感じさせれれます。万博、"ウルトラマン"、"サリーちゃん"などの子ども番組、時代に寄り添った数々の歌...。そして、その過去を振り返り、あの頃に夢見た未来がどこに行ってしまったかを考えるとやるせなくもなります。


けれど、本当は、現在も、そんなに悪いものではないのです。過去は過去で素晴らしかったけれど、現在は、確かにその過去の積み重ねにより生まれてきたもの。悪い方向に変わってきた部分もあるかもしれないけれど、確実に良くなった部分もあった。何事にもプラスな面とマイナスな面があり、同じものでも、見方や立ち居地を変えればプラスにも見え、マイナスにも見えるもの。その辺りを懐かしさに支配されず、冷静に見ていかないと、過去から学ぶべきことを学べなくなるのかもしれません。


世代間の違いの問題もあるのでしょう。僅かな間にあまりに社会環境や人々の生活が変化して、親と子が似たような過去を懐かしめる時代ではなくなってしまった。そして、そんな違いを超えるものが"家族愛"...なのかもしれません。


この先に築いていくべき未来のあり方、家族愛、子どもたちの逞しさ...。実写では、少々、気恥ずかしさが感じられてしまう内容にも思えますが、アニメという手法、そして、しんちゃんというキャラクターを配することで、作品に込められた想いがストレートに伝わってきたのかもしれません。


なかなか面白かったです。観ておいて損はないと思います。



クレヨンしんちゃん/嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲@ぴあ映画生活

世界で起きている"水利権"の現状に迫ったドキュメンタリー作品。モード・バーロウとトニー・クラークの共著、「『水』戦争の世紀」を元に製作されています。


都市化、人口の増大、温暖化などの問題により、水不足が深刻化していくことが危惧されています。そんな中、ボトル・ウォーター・ビジネスで巨額の利権を得ようとする企業の暗躍が始まります。開発途上国に水道事業の民営化を促し、そこに投資して水資源を独占しようとする企業の思惑、ウォールストリートの水利権への投資など、世界規模で起きている"水戦争"の現状をリポートします。


水は天からの授かりもの。天から地上に舞い降りてくるわけですし。


水だけであるはずがなく、様々なものが偏在しています。強いものが全てを奪い、弱いものは何もかも奪われていく。富も、資源も、食べ物も...。世界中に存在するものの大半を、一部の人間が消費してしまう。そして、弱者は搾取され、私たちが生きるこの地球さえ、痛めつけられていきます。


その仕組みと過程が、分かりやすく纏められ、水に関する問題が、経済格差の問題であると同時に環境問題でもあり、人間の生存権に関わる問題であることが示されています。


そして、すべてが金銭に置き換えられ、投資の対象にされるという世の中の仕組みの問題。製品の品質も、サービスの水準も、人の能力も、あらゆる価値が貨幣で図られるようになれば、多くの金銭を手に入れた者がすべてを独占するのは必定。


「より多くを手に入れたい」「より良い物やサービスを利用をしたい」「より良い生活をしたい」。人の欲求は果てしないもの。かつては、宗教や社会の規範がその欲望の歯止めとなっていたわけですが、もう随分前から少なからぬ宗教が人目を憚らず贅沢を求めるようになり、社会も富を持つ者を賞賛するようになります。イエス・キリストは、「金持ちが天国に行くのは、らくだが針の穴を通り抜けることより難しい」といったものですが...。


先日、「キャピタリズム」を観ました。本作で取り上げられているのも、まさに、資本主義の一面です。人間の生存に不可欠な水さえも、資本主義が支配しようとしている現実の恐ろしさが実感できます。そう遠くない将来、安全な空気を吸う権利さえ投資の対象にされ、売買されるようになるのではないか...そんなことを想像してしまいました。本作に、人類が滅亡への歩みを速めている証拠が示されているようにも感じられました。


夏には水不足がニュースになっても、秋には台風が大量の水をもたらし、水に困っていたことなど忘れてしまう日本にいて観ているせいか、やや、恐ろしさの部分を強調しすぎているようにも感じられます。もっとも、あまり知られていない現実を世に知らしめるという目的のためには、多少、テーマを強調する傾向になるのはやむを得ないのでしょう。


もう少し、「水と人類の歴史」「あるべき水と人間の関わり」といった部分にも焦点が当てられれば、私たちが失おうとしているものの価値が際立った気もしました。水を巡る大企業の暗躍について描かれた部分が大きすぎた感じがしなくもありません。


いずれにしても、私たちが無関心でいてはならない事実が描かれている作品であることは確かです。最近は、水を買うという行為が普通のこととなりましたが、少なくとも20年位前までは、「水はタダ」という感覚が主流だったような気がします。そう、私たちの社会も、確実に"水が売買される社会"に変わってきているのですから。決して、他人事ではないのですから。



公式サイト

http://www.uplink.co.jp/bluegold/



ブルー・ゴールド 狙われた水の真実@ぴあ映画生活

アフター・ザ・レイン

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1991年にアメリカのアイオワ大学で実際に起こった中国人留学生、盧剛(ルー・ガン)による銃乱射事件を元に製作された作品。


中国からの留学生、リウは、優秀な成績で人気の研究室に入り、教授にも認められ、大きな期待をかけられます。研究を進めるうちに、教授の理論の矛盾に気付き、さらに、その欠点を補う新しい理論を発見します。自分の理論の欠点を指摘された教授は、リウを認めようとしません。教授の期待は、リウに遅れて中国から来た留学生、ローレンスに移っていきます。リウは、研究者としての道を断たれ...。



優秀な学生として受け入れられ、期待をかけられ、輝いていたリウ。その彼が、新しい発見をし、一番の輝きを手に入れられたかに思えた次の瞬間から、運命の歯車が狂ってくる。その闇に向かう一歩一歩が、丁寧に描かれます。


リウは、どこで間違ったのか?彼は、確かに、理不尽な扱いを受けたわけですが、そんな彼を支えようとする人もいました。友人からの助言にあったように、中国に帰るという選択肢もあったわけだし、彼の学説に正当な興味を持つ人もいました。彼は、教授の元を離れることもできたし、アメリカを離れることもできたはずなのです。けれど、その道を選ぶことはできませんでした。それは、プライドなのか、意地なのか、自らが描いてきた夢への執着なのか...。


リウの過ちは、アメリカを自由で公正な国だと信じたことにあったのかもしれません。だから、ボスである教授の学説に反するような説を主張しても、そこに正しさがあれば認めてもらえるに違いないと考えたのでしょう。けれど、下にいる者が自分に刃向かうことを受け入れられないのは、洋の東西を問わず共通する人の心情。名前も変え、アメリカナイズされた生活をするライバルのローレンスが、教授との関係においては、中国における習慣を踏襲したところが興味深かったです。


研究に一途で、異文化の世界に適応するということの意味を、あまり考えていなかったリウと、そこをしっかり見据えていたローレンス。アメリカという社会に理想を見ようとしたリウは現実を見失い、現実をきちんと見据えて生き方を決めたローレンス。その辺りが2人の明暗を分けたのかもしれません。


個々の場面が、どれも、今ひとつ物足りないというか、中途半端な描写が多かった気がしますし、余計な感じの部分があったり、全体の構成としては、今一歩感が目立ちました。


それでも、真面目で優秀な学生が落ちていく悲哀が丁寧に描かれ、印象的でした。そして、リウを演じたリウ・イエと、最後までリウの理解者であり、中国人留学生たちの後援者であるジョアンナを演じたメリル・ストリープの好演が目を引きます。特に、ラスト前、研究者としての道を断たれ、化粧品のセールスを始めたリウがジョアンナを訪ねるシーン。そこでの2人の遣り取りは、切なく、哀しく、胸に沁みました。メリル・ストリープは勿論ですが、かの大女優に引けをとらないリウ・イエが見事です。


原題はDARK MATTER(暗黒物質)。それが、何故、「アフター・ザ・レイン」なのか?理解できませんでした。


DVDはレンタル専用で、販売はされていないようですね。地味~な扱いの作品ですが、悪くなかったです。

ブロウ

テーマ:
ブロウ [DVD]/ジョニー・デップ,ペネロペ・クルス
¥2,625
Amazon.co.jp


アメリカのドラッグ・ディーラーとしてトップに立った実在の人物、ジョージ・ユングの半生を描きます。


貧乏な生活から抜け出すことを夢見て、ジョージは、マサチューセッツからカリフォルニアに移ります。最初は、小規模の小売から始めますが、ドラッグの売人としてめきめきと頭角を現します。やがて、まだ、上質のドラッグが流通していなかった東部にも販売ルートを開拓し、大成功を収めます。麻薬の売人として不動の地位を確立し、得意の絶頂にありましたが...。


幼い頃に貧しさの辛さを経験し、手段を選ばず、法を犯しても金儲けに手を染める者。けれど、貧しさが全ての者を犯罪に駆り立てるわけではありません。もちろん、貧しさは犯罪の温床となるもの。しかし、だからと言って、貧困を理由に犯罪を正当化できるわけではありません。


破産して、妻に責められる。同じ体験をジョージも、その父もしています。けれど、その後のジョージと父の行動は違いました。ジョージの父は、貧しい中でも犯罪に手を染めようとはしませんでした。それでも、その生き方を息子であるジョージに伝え、ジョージの犯罪を止めることはできませんでした。父親がジョージに愛情を抱いていることは確かなのに。父と息子が向き合うシーンが何度か挿入されますが、そこで交わされる言葉の一つ一つが胸に沁みます。


ジョージも、麻薬の売買から足を洗い、酒もやめ、一度は立ち直りかけます。それでも、彼らの生活は、相変わらず、犯罪で得たお金で支えられていました。本当に足を洗う覚悟があるなら、犯罪と関係のないところで生活費を得るべきだったのでしょう。そして、自分の罪に対し、社会的に"落とし前"をつけるべきだったのでしょう。


真っ当に"勤労する"生活を経験してこなかったジョージには、思いも及ばない選択肢だったのかもしれません。けれど、妻と娘との生活を大切にしようとした時、罪を清算し、真っ当に生活費を得る道に向かうことができていたら、彼のその後は大きく変わったことでしょう。


ラストに近付き、お腹周辺のたるみが目立ち始める姿。ジョニー・ディップにあの"メタボ腹"は違和感がありましたが、ジョージの生活や心の荒廃を表すようで、哀しさも感じました。刑務所で服役するジョージが見る幻想と父への言葉が胸に沁みます。


もっと早い時期にこの心境に達していれば、彼の悲劇はここまで大きなものにならなかったのでしょう。人は、遅くなってからしか本当には気付けないことが多いものなのかもしれません。


裏切り、裏切られる犯罪者の世界。その中で、ジョージは、好人物にさえ思えてきますが、これは、やはり、ジョニー・ディップの好演の故でしょう。特にラストで登場する"ご本人"の素顔を見るとそのことを実感します。


ただ、この点については、全体に麻薬のもたらす悲劇的な面があまり描かれず、そのために、ジョージの犯罪自体が実際より軽いものに感じられてしまうせいもあるのかもしれません。本作全体の流れを考えるとそうした部分に拘泥すべきないのだろうとも思いますが、それでも、もう少し、工夫の余地はあったかもしれません。


実在の人物を描いた作品として成功しているのではないでしょうか。全体のバランスも良く、一人の人物の人生をきちんと浮かび上がらせていて見事。彼らの時代のファッションなどの風俗も丁寧に描かれていて、時代の雰囲気も実感できる作品になっていました。


観ておいて損はない作品だと思います。



ブロウ@ぴあ映画生活

映画 クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦 [DVD]/出演者不明
¥3,990
Amazon.co.jp


「クレヨンしんちゃん」シリーズ劇場版の第10作。


ある日の朝、庭を掘り返した飼い犬のシロが、古い文箱を発見します。中を見ると、下手な字で「おひめさまはちょーびいんだぞ...」と書いてあります。それは、しんのすけには書いた覚えのないしんのすけの手紙でした。その日に見た夢に出てきた"きれいなおねいさん"が「おひめさま」なんだと思った瞬間、しんのすけは戦国時代にタイムスリップしていました。そこで、春日家の家臣、井尻又兵衛と出会い...。


しんちゃんは、どこでもしんちゃんでした。子どもらしいそのマイペースさが、武士や姫が縛られる"常識"の不条理を浮き彫りにしていきます。そう、彼が、現代の社会で、大人たちの痛いところを鋭く突いているように。武士であるために、姫であるために、自分らしく自然であることを押さえ込む。そうした言動こそが、"正しい"とされていた時代。今の"自由な"時代から比較すると、とんでもなく不自由で縛られた時代。しんちゃんの5歳児らしい囚われない視線が、彼らの時代の不条理を抉り出し、彼らの目に新しいものを映します。


自分らしさを失わず、戦国時代においても、マイペースを貫くしんのすけ。けれど、そんなしんのすけも、又兵衛や廉姫との交流の中で、彼なりに、戦国時代の武士や姫の生き方を理解するようになります。違う時代に生き、違う価値観の中で生活するもの同士。そこに交流が生まれ、互いを受け容れることで、成長することができる。しんちゃんも、この経験で、随分、オトナになった様子。いつものオチャラケタ姿とは違った真剣に物事に向き合う姿を見せてくれます。


しんちゃんの爽やかな成長物語に、廉姫と又兵衛の恋物語、野原一家の家族愛がバランスよく絡まり、戦争の愚かさ、平和の有り難さ、自由の尊さが謳われます。


戦国時代の人々がしんのすけを受け入れていく過程も違和感なく描かれています。"春日城"の造りや戦国時代の人々の生活や戦場の様子など、細部まで丁寧に描かれ、作品の世界が、隙なく組み立てられています。


廉姫と又兵衛の恋は成就しません。そこには、哀しい結末が待っていました。けれど、又兵衛は、しんのすけが戦国時代にやって来た時、死ぬ運命にあったわけです。そのことを考えれば、しんのすけが戦国時代にやって来たことにより、寿命が少し延びて、その間に、自分を大きく変えるような体験をしました。そう考えれば、又兵衛は、しんのすけの登場により、"より良い形で人生を終えることができた"というべきなのかもしれません。


今の私たちの社会は、人類の歴史の中で、多くの人々が生きて死んできたその積み重ねの上にあります。その夥しい数の失われてきた命のほとんどは、今の時代の私たちが感じ取れるような痕跡を残すこともなく、悠久の時の流れに消えていきました。現代の春日部に"春日"の痕跡が見れらないように。けれど、よくよく目をこらせば、今に至る長く大きな流れの中に、様々な営みがあったことに気付けるかもしれません。


又兵衛の死は、しんのすけに、人の生の儚さと大切さを教えことでしょう。そして、又兵衛がしんのすけに"しんのすけたちは役目を終えたから元の世界に戻れるだろう"という意味の言葉をかけます。"役目を終える"、"役目を果たす"ということの重さ。役目を負うということは、不自由なことでもあり、縛られることでもあるけれど、だからこそ、それを全うすることは大きな意味を持ちうる。そのことに向き合った時、しんのすけは、少しオトナになれたはず。そう、又兵衛には又兵衛の、廉姫には廉姫の、そして、しんのすけにはしんのすけの果たすべき役割があり、背負うものがあるのです。そこに目を向け、与えられた役割に向き合うことができるようになった時、人は大人になれるのでしょう。


そこから、ラストの廉姫のセリフに至る過程は、しんのすけの確かな成長を感じさせてくれます。悲劇があり、哀しい結末だけれど、だからこそ、しんのすけは成長したのでしょう。そして、廉姫も...。悲劇は起こっても、人はそこから学び、乗り越え、希望に向かっていける。そんな光が感じられました。


評判を聞いていて、見たいと思っていたのですが、なかなかチャンスがなく、見逃していました。観て良かったです。一度は観ておきたい作品だと思います。



クレヨンしんちゃん/嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦@ぴあ映画生活

夏時間の庭

テーマ:
夏時間の庭 [DVD]/ジュリエット・ビノシュ,シャルル・ベルリング,ジェレミー・レニエ
¥5,040
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オルセー美術館20周年企画として同館が全面協力して製作された映画作品。


パリ郊外、画家であった大叔父ポールの死後、彼の遺した邸宅で、一人暮らしをしていた母のエレーヌの元に、久し振りに家族が集まり、エレーヌの75歳の誕生日が祝われます。夏のその日、エレーヌは、長男のフレデリックに、自分が死んだら家も大叔父の美術品コレクションもすべて処分するよう遺言します。その一年後、エレーヌは急逝。3人の子どもに、広大な家と庭、貴重な美術品の数々が遺され...。


娘のアドリエンヌが高島屋向けの商品を扱い、次男ジェレミーは上海で仕事をし、家族とともに生活。こんなところに、今の世界を取り巻く状況が表現されていて面白かったです。


喪われていくものと新ししく変化していくもの。冒頭とラストが同じ家が登場します。同じ場所でありながら、集まる面々とその雰囲気は全く違っています。そう、時代は変化していくのです。エレーヌは、それをしっかりと見通して、財産の処分を決めます。けれど、だからといって、すべてが消え去るわけでもありません。


長男のコローへの想いはありますが、基本的には、皆、新しい生活への変化を望み、そのために古いものを手放すことを静かに受け入れています。


時代が変わり、失われていくものも多いけれど、受け継がれていくものもあります。フレデリックの涙、孫娘の涙、失われていくものに対する想いが静かに伝わってきます。相続を巡る話でありながら、ドロドロしたものはなく、それぞれの母への想いと自分の生活に向ける目線のバランスが程よく、ほんのりとした温かさが感じられます。


美術館で展示されたエレーヌの遺産の前をアッサリと過ぎていく見学の学生の集団の様子、長年働いていた家政婦が、思い出に一品持ち帰るように言われ、「(高そうでない)平凡なもの」として、実は高価な花瓶を持ち帰るシーンなど、"骨董品の価値"についての皮肉が感じられ、この辺りも面白かったです。


そして、やはり、見所は、オルセー美術館が全面的に協力した美術品の数々。絵画以外は本物を使ったのだとか。家具や調度品など、本来の目的のために使われている姿を見られることは嬉しいです。美術品として大切に収納されたり、展示され"仮死状態"にあったものがその生気を取り戻しているような感じがしました。それを見られるだけでも、一見の価値ある作品といえるでしょう。


それにしても、美術館の20周年記念としてこうした作品を制作しようという企画が素晴らしい。今は"美術品"として鑑賞や保存の対象となってしまったものが、かつて、実用品として生かされていた頃の息吹を実感することができました。



夏時間の庭@ぴあ映画生活