ひだの神社-飛騨東照宮 1


(この項は、飛騨神職会発行「飛騨の神社」を参考にしています。)

飛騨東照宮

鎮座地 高山市西之一色町3-1004番地
銀幣社 (旧社格 郷社)

1.祭神
みなもとのあそん
源朝臣徳川家康公

おおやまくい おうじん
配祀 大山咋神・応神天皇

けつみこの はやたまおの
家津御子神・速玉男神

くまのすみの けしみけぬの
熊野久須美神 (櫛御気野命)
(以上明治四十一年、当地区無格社合祀分)

くくりひめの いざなぎの
菊理姫命・伊邪那岐命

いざなみの
伊邪那美命 (以上昭和四十年、清見村森茂白山神社合祀分)

うかのみたまの
境内社 朝日稲荷神社 祭神 倉稲魂神

すがわらみちざね
菅原道真公

金龍神社 祭神 高山市始祖 金森長近公

2.由緒
東照神君徳川家康公没後三年の元和五年(西暦1916)、時の高山藩主金森三代重頼は高山城内に奉祀したが、寛永五年に至り、城に西面する当地区鴻巣山を卜して、新たに東照権権社を建立したのが、当宮の創始とされている。

金森六代頼旹の延宝八年には山麓清鏡寺廃跡に、東耀山松泰寺を建てて別当とした。

その後元禄五年金森氏出羽の国上ノ山に移封後、元禄検地による除地に、「境内一反七畝・山林二町九反三畝十歩松泰寺内」とある。安永・天明の大飢饉以後祭祀は絶えて荒廃し、「御宮跡」とのみ呼ばれて久しかった。
文化十二年当地別当を兼帯していた桜山長久寺良賢法印の奔走と、江戸にあった金森家後裔等によって、再建の運びとなった。また、郡代芝与市右衛門正盛の釆配と、内山氏をはじめ高山町民の財政援助を得て、名工水問相模を棟梁とし、中川吉兵衛の彫刻によって、文化十五年現在の社殿・境内の結構が成った。

維新後徳川幕府の崩壊と、さらには廃仏棄釈令によって、別当松泰寺も廃寺となった。

神社は明治二年高山町方より西之一色の村方へ移管されたが明治四年には村社に列せられ、当地区の氏神として徐々に興隆した。

明治四十一年に、神饌幣帛料供進神社に指定され、地区内の無格社、山王洞の日枝神社・八幡洞の八幡神社・森下の熊野神社を合祀し、併せて会計規定適用指定神社となった。

大正十二年に郷社に列したが、戦後は銀幣社として今日に至っている。

昭和二十四年国有境内地五、九六〇坪の無償譲與を受けた。

昭和六十一年八月三十一日高山市始祖、金森長近公領国四百年にあたり、金龍神社において記念大祭を斎行した。

3.祭祀
祭祀例 祭四月十四・五日。
祈年祭 三月二十一日。
新嘗祭 十一月二十三日。
月次祭毎月旬月 十七日
例祭は、戦前は四月十七日に斎行され、「松泰寺のおかめ踊り」として知られ、町衆の参詣・山生きが盛んであった。
江戸期には代官以下諸吏の参拝があった。

境内社 倉稲魂神・菅原道真公を祭神とする朝日稲荷荷神社、高山市市和金森長近公を祭神とする金龍神社があり、九月一日に例祭が斎行。夜は盆踊りがある。

4.建造物
本殿 (権現造二・三坪)
中門 (唐破風 七尺に八尺)
透塀 (延長 三四・五間)
拝殿 (入母屋造 妻入 九坪神楽殿として便用)
鳥居 (明神形 高二・五間 間口二間)
社務所 (平棟造一二〇坪)
神庫 (土蔵 一二坪)
稲荷堂・金龍神社・神楽庫



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ひだの神社-飛騨東照宮 2




ひだの神社-飛騨東照宮 3




ひだの神社-飛騨東照宮 4




金龍神社


ひだの神社-金龍神社 1




ひだの神社-金龍神社 2




朝日稲荷神社


ひだの神社-朝日稲荷神社 1



ひだの神社-朝日稲荷神社 2



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