故郷

テーマ:

思うに希望とは、もともとあるものともいえぬし、ないものともいえない。


それは地上の道のようなものである。


もともと地上には道はない。


歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。









「希望」を「地上の道」にたとえた、魯迅作『故郷』の一節です。


『故郷』は、辛亥革命の時代、国内が混乱し、人々が苦しい生活を強いられていたとき、「希望をもって新しい生活を目指そう」と呼びかける思いで魯迅が書いた作品です。


そして、『故郷』の最後を締めるのが上記の一節です。


もともと道などなかったこの地上に道ができるのは、たくさんの人が同じ場所を歩くから。


希望は地上の道のようなもので、多くの人が同じ場所を歩いたとき道ができるように、多くの人が同じ希望をもって歩んだときその希望は実現する。


だから、私達1人1人が希望をもって立ち上がらねば。


…そんな思いが込められているのだと思います。


JYJの置かれた苦しい状況…胸が痛く悲しくなる日々がたくさんありました。


でも、今たくさんのJYJファンがJYJの幸せを願って活動しています。


より多くの人が同じ希望をもって進めば、いつかはその希望が実現するかもしれない…とも思います。


しかし、私は『故郷』のこの一節についてこんな意見も聞きました。


「たしかに、たくさんの人が同じ場所を歩けば早く道ができるかもしれない。


でも、1人が何度も同じ場所を往復し、繰り返し繰り返し歩けば、時間はかかってもいつかは道ができる。


だから、多くの人が同じ希望を抱かなければ希望は実現しないという考え方には賛成しない。


たとえ1人であっても、その希望を抱いたときに実現の可能性は生まれているのだ」






…前ブログの記事なんですけど…相当古いし、下書きから起こしたので微妙に違うと思いますけれど…。


JYJのために何かしたいと思いながら何もできることがなくて、泣くしかできなかった頃に、日本でも他国でもさまざまな応援企画が持ち上がって自分もそれに参加することで何かできるような気持ちになって嬉しくて…そして、思い出した魯迅の『故郷』でした。


今読み返してみても、この頃と気持ちはおんなじです。


この頃は自分をJYJファンだと思っていたので一生懸命JYJ応援ブログを書いていましたが、だんだん「JYJ」があればそれでいいというのではなく「ジェジュンがいるからこそJYJを応援しているのであって、自分にとってジェジュンがナンバーワン」ということに気づき、「JYJファンブログ」はやめた方がいいと思ったのでした…。


今の自分の気持ちは、上記の記事の「JYJ」の部分を「ジェジュン」に置き換えるとそのままあてはまる気がします。


ジェジュンのことを思うと胸が苦しくなることもあるけれど、たくさんのジェジュンファンがジェジュンの幸せを願って活動しています。


より多くの人が同じ希望をもって進めば、いつかはその希望が実現するかもしれません。


でも、多くの人の賛同がなかったとしても、たとえたった1人でもその希望を抱いたときに実現の可能性は生まれているんですよね。


最近、完全にジェジュンブログではなく読書ブログになっていますが、お付き合いくださっている方…本当にありがとうございます…。


ここしばらくの記事タイトルを上からずーっと眺めたら、どう見てもジェジュンブログではありません。


ドラマが終わってから魂が抜けたっていうか抜け殻っていうか、なんだかぼんやりしてしまって…1枚の画像も動画もないまま、趣味に走って暴走していますあせ




AD