龍馬と大沢くんとSMAPと。

ようこそ。妄想の世界へ。


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基本的におひとり様が苦手なので、

飲食店、映画、旅行などは1人で出来ません ジーッ

喫茶店は場所によっては入れますあせる

自意識過剰なのかもしれませんががっかり

1人でいると常に誰かに見られている様で(笑)

落ち着かないんですほろり

展覧会も1人で行く事はほぼないですねあせ

楽しい事は誰かと共有したいという気持ちも強いですからニコ

って、その時思った事を誰かにしゃべりたいだけかも?ダンス

1人だと間が持たないのよ いえー akn

買い物位かな?

1人で行っても苦じゃないのは?あせる

おひとり様出来る大人の女になりたいもんです好



*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆



少し前の話題ですが、

遂に出ましたねぇうれしい

この龍馬伝の放送に乗っかって(?)

こういう新発見物キラキラ出て来ると思ってました(笑)



今回新発見となったのはこちら↓


坂本龍馬:142通目の手紙 
二戸の女性所有、県内初の確認 
/岩手


新発見の龍馬の手紙
毎日新聞 9月19日(日)11時3分配信
=写真。二戸市在住の70歳代女性が所有していた。
龍馬の手紙としては142通目で、
写しは19日から盛岡市の石川啄木記念館で展示する。



◇石川啄木記念館、きょうから写し展示

幕末の志士坂本龍馬の直筆手紙が18日、

県内で初めて確認された

手紙は、下関の豪商、伊藤助太夫あてで、

和紙(縦24・6センチ、横33・2センチ)に墨で書かれている。

所有者の夫が下関出身で、

先祖代々家宝として保管していた。

高知市の県立坂本龍馬記念館主任学芸員の三浦夏樹さんが

18日、所有者の自宅を訪れ、

最後に「龍」と書かれた筆跡などから本物と認定した。

内容は、下関に連れて来た「野村老次子」の宿泊先を教えている。

日付は「十三日」と書かれ年月は不明。

下関で発見されている伊藤あての別の手紙などから、

三浦さんは1867(慶応3)年3月と推測する。

当時龍馬は鬱陵島(うつりょうとう)(韓国)の開拓を計画しており、

伊藤は支援者だった。

伊藤あての手紙はこれまで14通発見されており、

三浦さんは

「今後、関連の手紙と一緒に調べ、

当時の龍馬の行動を明らかにしていきたい」

と話す。




まだまだあるとこにはあるんですねぇうれしい

ちなみに伊藤助太夫とは

左=伊藤家使用人、中=坂本龍馬、右=伊藤助太夫 

右の方です(笑)

真ん中は我らが龍馬龍馬ぜよもへ~

左は伊藤家の使用人らしいです。

(何故に使用人が一緒に写真に写ってるんだろうね?)

撮影場所は長崎。

撮影者は上野彦馬ことテリー伊藤ですね(笑)



伊藤助太夫は豪商で尊攘志士のパトロンとしても有名な人物です。

伊藤邸には吉田松陰、高杉晋作も訪れています。

龍馬には屋敷の離れの

「自然堂」

を提供し、

そこに龍馬はお龍と住んでいたそうです。

お龍が龍馬の訃報を聞いたのもここです。



下関のHPにこの様な↓説明が載ってました。


伊藤助太夫(九三)
〔いとうすけだゆう(きゅうぞう)〕

・長府藩領下関の本陣主で大年寄。(経済的支援者) 

・政財界に顔が広く、龍馬の様々な依頼に応えた。

(土佐商会の馬関交易にも関与)

・伊藤家は、江戸時代を通じてオランダ商館長が逗留し、

 対馬藩を介しての朝鮮交易にも関わりがあったといわれ、

 海外情報や交易についても、精通していたと推測。

・龍馬の勧めで「助太夫」から「九三」に名前を変える。

 (時代遅れだから・歌舞伎役者のようだから。)

・慶応元年(1865)以来、龍馬の止宿先。

・慶応3年(1867)の春には、

 下関居住を決めた龍馬に、自宅の一室「自然堂」を提供した。



なかなか龍馬とは密接に関わってた人物の様ですね好

自分の奥さんを預ける位ですから、

龍馬は伊藤さんに絶大な信頼を寄せていたと思われますキラキラ



そんな伊藤さん宛ての手紙が

今回新発見として見つかりました。

岩手県で見つかったっていうのが

興味深いですね苦笑

日本中どこにお宝が眠っているか分かりませんよラブゥ

蔵をお持ちのお宅は

この機会に資料、荷物の確認&整理をされてはどうでしょう?(笑)

龍馬の手紙ってまだまだありそうな気がするんだけどなぁかお











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