ダーウィンの悪魔
テーマ:映画シアター・キノまで家から30分以内で着くことを知った.
話題の映画だが,映画としてみるのではなく,この現実を切り取ったことを評価するべきなのだろうと思った.登場人物から発せられた言葉よりも,彼らがその時々でみせる表情のほうが多くのことを語っていたと思う.欲を言えば,現地の言葉でも取材してほしかった.
最後のエンディング・ロールがキツかった.
家まで歩いて帰った.
もうひとつ、下村さんのHPより。
下村健一の「目のツケドコロ」
●同時出版!ドキュメンタリーの「力」と「嘘」
http://www.tbs.co.jp/radio/np/eye/050416.html
ドキュメンタリーについては、前にも書いたことがあったが、「ドキュメンタリーの力」と「ドキュメンタリーは嘘をつく」という本を書いたお二人の話を聞いていて、「映像の観劇化」がすすんでいるのではないかということを思いついた。ただの思いつきなので、映像の観劇化というわかりにくい表現を使っているけれど、ドキュメンタリーにしろニュースにしろ、映像を演劇とかある種のパフォーマンスとしてみるという意識が高まっているのではないか、というぐらいの意味である。
それこそ、現在、多くの人たちは映像に「編集」や「やらせ」が介在しているだろうことをしっている。しかし、このドキュメンタリーの作り手たちは、映像に作り手の意図や意識が組み込まれてしまうことにもっと積極的な意味を見出そうしているように思う。そのために、あえて偽善的なそぶり(ドキュメンタリーの「力」)をみせたり、偽悪的なそぶり(ドキュメンタリーの「嘘」)をみせたりしているのだろう。 しかし、「うそ」も「ほんと」もまざりあいながら、作り手と受け手の想像力がぶつかりあう装置として、古来から受け継がれてきたものに、演劇やダンスなどの「パフォーマンス」がある。とくに、演劇は「昔ながらのドキュメンタリー」という事ができるかもしれない。
もちろん、例えばテレビや映画などで視る「映像」と劇場で観る「演劇」は、コミュニケーションの仕方が根本的に異なる。しかし、この二つを並べて考えることは、後者の特に西洋社会での実践と批評の歴史が長く、そして深いだけに、多くのヒントと考えるための枠組みを提供してくれると思う。もちろん、日本の演劇や古典芸能にも多くのヒントが隠されているはずだ(平田オリザ「リアルだけが生き延びる」とか、中沢新一「精霊の王」なんかはその例にあたるかもしれない)。
一例をあげるのならば、演劇論にはブレヒトのいう「異化効果」というものがある。「異化」という言葉は、それこそ現在大学でドキュメンタリーのつくり方などを教えているSさんの話ではじめて意識したのだが、私はブレヒトの「異化効果Verfremdungseffekt;alienation; estrangement)」からきているのではないかと勝手に思っている。
ブレヒトは、演劇におけるいわゆる「リアリズム演劇」を否定したといわれている。彼の舞台では、演劇の作り出す意味と演じる役者を完全には一致させず、「異化効果」を仕込むことによって、役者自身(actor)と役柄(character)とそれをあわせた舞台(staging)間に楔を打ち込み、意識化させていたという(異化効果はV-effectともいわれる)。演劇でなくとも、この手法はマンガでも多用されていると思う(漫画家がでてきちゃったりするやつ)。 これは、ドキュメンタリーでも同じことである。森さんは「フィクショナライズ」という言葉を使っていたが(演劇論の専門用語だと思ってた!)、その過程をより意識するために、作り手の意図をはっきり見せたり、作り手を映像に登場させるといったところは、まさに「異化効果」ということができると思う。
おもしろいのは、ブレヒトは、この「異化効果」を中国の役者(Mei Lanfang)を観たときに思いついたという話。「演劇=現実」という方程式を解体している、Meiのパフォーマンスを観て、ブレヒトは「非幻想的な演劇」の重要性に気づいたのだという。East meets Westがこんなところにあるのですね。そして、この「異化効果」を少し乱暴にまとめると、リアリズムにあえてヒビを入れることによって、より「リアル」さが際立ってくるということだと思う。演劇にしろ、ドキュメンタリーにしろ、その他、日常にあふれれさまざまなリアルの演出にしろ、リアリズムとフィクションの間の曖昧模糊とした何か(それは「力」でもあり「嘘」でもある)、私達を惹きつけるものがあるのだろう。そのとき、私達はたんなる観客になる以上のものになる(ボールは、SpectatorからSpect-actorという)のだろう。
*平田オリザ「演技と演出」にリアリズム演劇のグルであるスタニスラフスキーとブレヒトについてのわかりやすい記述がある。同著者による「リアルだけが生き延びる」も好著。
*David Boyle "Authenticity: Brnds, fakes, spin and the lust for real life"が、リアルとフェイクについてさまざまな例を引いて説明している。学術書ではないが、かなりおもしろい(日本語訳もでてほしい)。最後に「わび-さび文化」がこれからのニュー・リアリストの基本になってきているといっているところが、日本人としては嬉しい(という私は、わび・さびの意味についてこの本ではじめて知った・・・)。
下村さんの「目のツケドコロ」で『Littel Birds』という映画が紹介されていた。
GW必見!イラク映画『Little Birds』上映中
http://www.tbs.co.jp/radio/np/eye/050430.html
かなり観たい。(けど、いまは無理・・・)
渋谷のUplinkでこのお二人のトークイベントもあるらしいです。Uplinkは、「うたかた」を観にいったことがありますが、小さいけれど、かなりくつろいだ感じの映画館でした。いろんなデザイン・チェアーがありました。イベントも盛り上がりそう。下村さんとお話ししたいなぁ。
『Little Birds 公開記念トークイベント~インディペンデント・ジャーナリズムの未来~』
http://www.uplink.co.jp/factory/log/000462.html
*自主映画会のために英語版もあるということなので、うちの大学のアーツ・センターで上映できないかメールしてみようかな。英国だと難しいかもしれないけど、アーツ・センターは「In this World」とか、「Osama」とかの映画も上映しているから、もしかしたら反応してくれるかもしれない。ものは試し。
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