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2008-04-05 17:34:49

hillbridge's monocle

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なんどかトライしつつ、失敗したりしているのですが、ブログ移転します。
また失敗したらもどってきますが、今回は結構まじめです。

hillbridgeで検索したら、こっちのほうがでてくるようにがんばります。
http://d.hatena.ne.jp/hillbridge/

よろしくお願いします!

2008-02-21 23:51:38

ボストンから帰ってきた勢いで・・・

テーマ:ブログ
今晩、ボストンから帰ってきました。ボストンの友人宅から札幌の自宅まで、何時間かかったのでしょうか。一日がかりの帰国でした。いまは身体が時差にとまどいつつ、ほっとしている状態です。早く寝れるといいですね。(他人事のような気分なので)

さて、今回ボストンに行ったのはアメリカ科学振興協会の年会に出展する仕事をするためです。久々のボストン(前に訪れたのは2年前)でしたが、相変わらず知的な磁力を持った魅力的な場所でした。怒濤の3日間の展示の他にも、北大卒のMITの先生に会って叱咤激励をいただいたり、ハーバード大学のNPO研究をしているハウザーセンターのセミナーに出席したり、MIT PressやHarvard Coopの本屋さんに入り浸ったり、つかの間のボストン生活も堪能しました。実は、ボストン滞在を予定より2日間延ばしたのですが、心良く泊めてくれたボストン大学に留学中のTに感謝!!

ちなみにボストンでの仕事の話はここ で読めます。あと、個人的に感じたこと触れたこと買った本などについても紹介していきたいなぁと思っていますが、あまりやりそうにないので、帰りの飛行機で読んでいた本を紹介します。タイトルが、The 4-Hour Workwekという本。週4時間だけ働いて暮らしていける、という怪しい感じのセルフヘルプ本の一種なのですが、不思議と読ませます。ウェブ社会を生きるの梅田さん、フリーエージェント社会の到来のダニエル・ピンクなど、自由に生きようよ、とささやいてくる本に眼がいってしまう今日この頃ですが (すでに自由に生きてるって?)、この本も方向性は一緒です。類似本にもでてくるような、時間の使い方とかビジネスの進め方がテンポ良く紹介されているのですが、どんどん稼ごうというより、どれだけ仕事の時間を減らしてお金を生み出していくか、ということに主眼が置かれているまとまり良さが肝のようです。仕事をインドの会社にアウトソースしよう、という章があるのですが、調査やスケジュール管理だけじゃなくて、妻へのごめんねメールもアウトソースというところはどこまで本当なんだろうかと思いますが、わらかせてくれます。そういえば、この本そのもの、そしてこのウェブページもアウトソースしていたりするのでしょうか。
http://fourhourworkweek.com/index.htm

それと。
トランジットの前に買ったニューヨーク・タイムズの小特集(薄っぺらい差し込みの新聞)記事 で、Co-workingっていうフリーランスのひとたちが、事務所をシェアしながら使う(シェアしていないひとも出入り可だったりする)仕組みの話が紹介されてました。こんな感じの自由に使える、使い勝手のいい事務所があったら私も借りたい!!無線が飛んでて、おもしろいひとたちと情報が集まってる。それでいて、それぞれの仕事に集中できる、みたいな。

日本語でも紹介されてますね。
http://blog.pasonatech.co.jp/hibi/105/6257.html


札幌(北大周辺)で、Coworkingできないかなぁ。興味&あて(場所、資金など)がある方は連絡いただけると幸です。日本初のCoworkingになりますよ!
2008-02-11 00:53:09

茂木健

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茂木健の新刊新書がいつもと違う雰囲気なので購入してしまった。「思考の補助線」。いつもの新書よりも読みにくい。対談じゃないってこともある。でも、いっき読みしてしまった。こういう一見誰に向けて書いているのかわからない文章って、自分のために書かれたものじゃないかっていう感覚に陥る。日本中にそう思っているひとたちがが少なからずいるのかな。わからないからこそみえてくる世界がある。そこからなにかが生まれていると僕は信じる。そんでもって、彼をかう。

茂木健の活発な活動の根底にあるのが、悩みとか絶望とかデッドエンドみたいなことらしい。本物の絶望とか怒りが思考の糧になるのだ。それは、明示的で綺麗な物語を求めようとする近代論者(信奉者)にも、細かい話に終始して戯れるだけのポスト・モダン論者にもない哲学である。しかし、結構そうした悩める人間みたいなモデルのほうが、古典的だし、今の世には通用するのだと茂木健はいっているようだ。文系と理系を超えるとか、領域横断とかいう薄っぺらいかけ声にはない、肉声が聞こえてくる。

ビジネス書みたいなお得感はまったくないけど、そんな本たちよりよっぽど元気になれる。でも、売れないんじゃないかなぁ、この本。わかりにくさを標榜してるんだもん。(敬称略)
2008-01-29 13:35:03

monocle February 2008

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e通勤時間に少しずつ読んでいる洋雑誌のモノクル。今月もすごい。
http://www.monocle.com/

年明けにモノクルの編集長が日本贔屓としてテレビにとりあげられていたらしいけれど、モノクルのすごさは積極的に日本を紹介しているところだけじゃない。その日本の紹介の仕方からしても普通でない。だって、モノクル創刊号の表紙は自衛隊ですよ。(モノクルのウェブサイトでみれる自衛隊員の生活を映すフォトシネマも淡々としたものながら衝撃的だった)今月は、沖縄の特集記事もあったし、なんとガス・油田開発で変化がおきつつあるサハリンの記事まであった。北海道にいたって入ってこない情報だ。 そのほかにも、世界のニュースだってひねりがきいている。テルアビブでイスラエル寄りの報道をしない出版者の記事。政治批判をいとわない「Report」っていう番組の女性ディレクターの話。イギリスの実直なサーフグッズのブランドの話。アメリカの州別の外国とのつながりの特集(間接的に選挙特集になっている)。環境やフェアートレードの意識が高く、スイスでは2番目のリテール・グループになっている生協(COOP)の話。インテリア・コンサルタントが50年かけて建てている別荘の話。などなど、なかなか得られない情報がコンパクトにしかもデザインされて提供されている。

ウェブサイトでもいろいろ読めるし見ることができるけど、やっぱり雑誌としてのモノクルが完成度が高くってほれぼれする。日本語版作るなら、お手伝いさせていただきたいくらい。でも、なんでこういうメディアが自分の国では出てこないんだってくやしくなるのも本音。かっこいい雑誌はいくらでもあるけど、ここまでエッジが効いている雑誌はない。え?自分で作れって?
2008-01-27 00:51:51

Science Cafe on Wired

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サンフランシスコのサイエンス・カフェについての記事を教えてもらった
(Yさん、ありがとう!)。

(原文)
Science Cafes Tap the Nation's Fascination With Research and Discoveries
http://www.wired.com/science/discoveries/news/2007/12/science_cafe

(日本語版)
世界各地で人気を集める「サイエンスカフェ」 | WIRED VISION
http://wiredvision.jp/news/200801/2008012523.html

この記事にも書いてあるように、サイエンスカフェの良さは、飲みながらちょっと非日常なサイエンスの話ができるところ。カフェというとコーヒーだと思われちゃうけれど、夜のカフェは、お酒がないとはじまらない(西洋人はお酒に弱いということがあまりないからというのもある)。自分もかかわっている、札幌のサイエンスカフェは、場所のかっこよさは折り紙付きだけど、オープンな場所すぎてお酒が入りにくいところだ。

それなりに大きくて、お酒が飲めて、アクセスがいい。
そんな場所、札幌にないっすかね。

最新のサイエンスカフェのお話がラジオでもアップされていまーす。ほんとに多くの方に来ていただいた人気イベントでした。改めて、「不安」って日常的なものなのだなぁと。自分も含めて。
http://costep.hucc.hokudai.ac.jp/project/radio/detail.php?id=118

2008-01-17 02:03:52

Sustainability and Openness

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http://www.icomm.lu.se/summerschool/index.html

毎年スウェーデンで行われているサマースクールの2008年の情報がでている。これに参加したのはもう3年も前になるけれど、これだけお手軽で、楽しくて、深くて、トレンディなサマースクールもないかもしれない。どんな分野のひとでも、英語と哲学にあまり抵抗がなければオススメ。しかも、テーマがサステナビリティと公開性。よく使われるようになってきた言葉だけど、そういう言葉に限って専門家がいなかったりする。もちろん、講師の知識人たちにとっても新しい。でも、新しいことに必死に取り組んでいるひとたちだと思う(形而上的すぎるとか、歴史ばかりみてるとか言われることがあるとしても)。そして、そういう人たちに出会えることが、かけがえのない経験になる。
2007-12-20 23:18:12

砂丘の砂シンドローム

テーマ:ブログ
今日は、ガ島通信 の藤代さんのセミナーがあった。

2004年からブログを書きはじめた。JFL時代から日本のサッカーを知っている。新聞の内容がおもしろいと思えない。など、藤代さんといくつかの共通点もあったので、楽しく話をきくことができた。パワポのタイトルは「民主化するジャーナリズム」。

たしかにウェブとかブログとかジャーナリズムの機能を持つようになったよなぁと話を聞きながら考えていたのは、ここ数年どうして自分がブログに書く気持ちにならないでいるのかということ。書かない理由は、それこそ自己弁護的なものならいくらでも思いつくのだけど、あまり自覚的に考えたことはなかった。藤代さんが、ご自身の経験、ボトムアップのジャーナリズムの事例や可能性について語ってくださっているのを聞いているうちに、自分が「砂丘の砂シンドローム」に知らず知らずのうちにはまっているのかもしれないと思うようになった。砂丘の砂シンドロームとは、自分の書いているブログが砂丘な砂のようにとるりたらないもので、誰も読んでやしないんだという感覚に陥ってしまうことだ。

もちろん、私には今回のセミナーで一緒に話しにきていただいた五号館のつぶやき さんや藤代さんのように、たくさんの読み手にアピールするテーマ選びもできていないし、文章力もないのだけれど、自分は書くことが嫌いなわけじゃないし、新聞にでてこないような情報を伝えたい(ほとんどの場合は英語ソースの情報だけど)という気持ちもある。実際、数年前のエントリーをみてみても、それなりにコメントをもらったりして、一応ブロガーのような活動をしているようにみえる。しかし、時間がないだとか、いろいろ自分で言い訳して書かなくなっていた気がするのだ。グーグル時代のウェブでは、自分でも考えていなかったひとが自分の記事にたどりついてくれる可能性がある。そんなことは頭ではわかっているのだけれど、感覚として理解できない。だから、だんだん書いているうちにテニスの壁打ちをしているような感覚になってくる。でも、そろそろこの砂丘の砂シンドローム、あるいは大海の滴シンドロームから解放されてもいいのではないかと思うようになった。(手始めに、なかのひと でも取り入れてみよう)まあ、つまらない私のブログ自分史はどうでもいいっちゃどうでもいい。

藤代さんのお話のなかで特に印象に残っているのは「書くことをもっとみんなのものにしたい」(言い方は違ったと思う)と言っていたところだった。この思いが彼のジャーナリズム改革論やボトムアップのジャーナリズムを盛り上げていくドライブになっているのだろうと思った。大卒で新聞社に入ったからというだけで記者を名乗り、おもしろくもない記事を書いているのはおかしい。いい書き手がジャーナリズムを担うようになり、それをひとびとが期待し、かつそれぞれのレベルで書きたいこと書ける書き手(ジャーナリスト)がたくさんいるような社会。そんな理想をサッカーになぞらえて語ってくれた。つまり、W杯で戦えるような代表チームがあり、こどもから大人までそれぞれのレベルでサッカーをたのしむひとがいて、相応のトレーニングの機会とピッチが整備されている。そういうことを書くことでも実現したいということだ。Jリーグの百年構想 をジャーナリズム、あるいは「書く」という行為(スポーツ)で構想するのだ。一昔前のサッカーのことを考えれば、その気になれば、そんなに大変じゃないような気がしてくる。要は、問題の構造を理解し、適切な道筋を構想し、地道に実行していくこと。

書くことも生涯スポーツ。私も、マイナーブロガーとして、ちょっとずつトレーニングを積んでいこうと思う。

<追記>
ガ島通信さん、つぶやきさんにトラックバック(トラックバックのやりかた、これであっているのかしらん。。。もう長いことしていないから忘れているのだ。)
2007-11-09 18:18:01

アクション・ネットワーク

テーマ:ブログ
身の回りから何かを変えていく。誰にだって、できることはあるはず。

そんな発想で、BBCが作ったサイト。
http://www.bbc.co.uk/dna/actionnetwork/
セレブを取り込むにはどうするか?なんて説明がまとめてあったりする。 http://www.bbc.co.uk/dna/actionnetwork/A4289628

同じく、環境活動グループのSTEP IT UPも、同じような発想のようだ。
http://stepitup2007.org/index.php

どの活動も興味深い。
こうした活動が、MITにNight Bridge Foundationの寄付で先ごろできた、Center for Future Civic Mediaのサイトで紹介されている。
http://civic.mit.edu/

こういうムーブメントが起こるのは、Civic Mediaがあるからなのか、それとも必要とされているからなのか。
2007-09-07 01:06:04

対話について

テーマ:ブログ

対話について、昔しゃべったときの原稿をみつけたので、一部掲載。あまり厳密ではないし、このまましゃべったわけじゃないですが、結構よくまとまってるなと。


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対話は一対一のコミュニケーションだけではない

まず、「へぇ」という話からはじめたいと思います。対話とは、1対1でのコミュニケーションだと思われている方が多いと思いますが、実は、そうでは ないのです。少なくとも、英語の語源的には、1対1という意味にはならないそうです。英語圏の人でも、dialogueのダイは、diという言葉に、二つ の、とか二重の、という語源もあるので、という意味だと思っている人が多いようなのですが、実は、dialogueのdiというのはthrough=つま り、なになにを通して、という意味なのです。logueというのは、logosですから、言葉という意味です。つまり、言葉を通したコミュニケーションが dialogueの語源です。もう少し、語源の話をすると、logosというのは、関係性という意味もあるそうです。なので、関係性を通したという意味に もなりますね。それじゃあ、コミュニケーションっていう意味ではないか、と思われるかもしれませんが、この語源の話をしましたの、単なる一対一の対応では なく、一体多数なり、多数対多数であっても、対話=ダイアローグだという考え方を共有したいということです。

対話はディベートではない

そして、わかりやすい比較として言われるのが、対話というのは、ディベートではない。ということです。ディベートは、ある課題について、賛成側と反 対側にわかれて討論しあうというものですね。一種のスポーツにもなっていますね。早稲田大学の弁論部とかも有名ですし、私の出身校にもディベーティング・ ソサエティなる部活がありました。

でも、ディベートは対話じゃないそうなんです。なぜなら、ディベートはある意見に固執します。ある意見を主張することが重要です。しかし、対話は、 それじゃだめなんです。たとえば、今は論文提出の季節ですが、いわゆる口頭試問のことを、英語ではディフェンスといいます。サッカーのディフェンスといっ しょです。動詞だとディフェンドですよね。でも、対話はディフェンスではなくて、サスペンドだそうです。サスペンドは、これもスポーツの例で恐縮ですが、 ウィンブルドンテニスで雨がふると途中でサスペンドになりますよね。自分と違う意見に遭遇したり対立したりしたときに、それぞれがディフェンドするのでは なく、サスペンドする。つまり、ちょっと待てよ、と立ち止まって考えてみる、ということです。どちらとも意見の違いに注目することは同じなのですが、違う から違いをさらに際立たせるのではなく、どうして違うのだろうかとか、どこか妥協点はないだろうか、新しい考えかたはできないだろうか、と持っていくのが 対話だというのです。

では、ここで話し合うという意味での対話ということから離れて、私たちがどのようにして本を読むのか、もう少し気取って言うならば、テキストの解釈 をするのだろうか、ということを考えて見ましょう。解釈学とか言われたりもします。1967年に「解釈の妥当性」という本を書いたハーシュという人は、 「テキストの意味は、すなわち著者が意味していることだ」と言いました。がんばって、テキストの意味することを解読するのが私たちの役割という考え方で す。しかし、もう少し新しい文学理論によりますと、テキストの解釈じたいも対話だというのです。大体において、テキストを読むとき、私たちはそれに対して ある程度の考え方をもって望んでいます。ある意味、偏見をもって読み始めるのだと思います。そこから、テキストの意味することを、自分の意味の構造つまり 理解の構造と対話させながら、理解の幅を広げていくのです。「地平の融合」とか言われたりしますが、そこで起こっていることはある種の創造=クリエイショ ンですね。

対話は、状況の変化である 

クリエイションというか、状況の変化です。これも対話の一つの特徴です。変化するというのは、理解が深まったりするだけでなく、自分の考えが変わっ たり、相手の考えがかわったりするということも含まれます。自分の誤りを認めることもあるでしょう。でも、この自分の誤りを認める可能性を残すってこと は、なかなか難しいですが、対話的なコミュニケーションをするためには、すごく大切なことらしいのです。コミュニケーションというのは、自分の主張を通し たり、ある一つの合意に向かって突き進むというだけのことじゃなく、お互いの主張や立場がそのつど変わっていくところにも大きな意味があるのだ、というこ とを対話論者は教えてくれていると思います。

しかし、他者とそういう変化力のある想像的な関係になるのって難しいですよね。私たちは、大体において他人と関わる、とくに自分と違うなぁと思うひ ととは関わらないようにしますし、あのひとはこういう人だからと単純化して、しまいにはそのひとがやることなすことをネガティブに捉えようとしますよね。 さまざまな価値観が支持されるようになってきているなかで、他者と関わる、他者と対話するというのは、なかなか難しくなってきていると思います。しかし、 対話とは、他者を完全に理解しなさい、どんな他者にもやさしくしなさい、ということではないと思います。理解できない、対立せざるをえない、というなかで もなんとか関係性を保ち、未来に向かっていこうとするときに役立つのではないかなぁというのが、対話だと思います。

対話はクリエイションである 

対話の現場では、これまで考えていなかったことが生まれたり、新しいアイデアが生まれたりします。対話の研究者というか実践家のひとりは、cross-pollinationといったりするのですが、日本語だと相互受粉とか、他花受粉とか訳されるそうです。

先日、クリエイティヴィティとは何か、という論文を読んだのですが、対話についての議論と非常によく似通っていると感じました。クリエイティヴィ ティとは、アイデアをつなげることだとか、同じことと違いをみつめることだとか、オーソドックスではないとか、興味深く直感的だとか、新しいクエスチョン に移行させる能力だ、と言われていました。


その論文では、クリティカル・シンキングとクリエイティブ・シンキングを比べていましたが、クリティカル・シンキングは、分析的で、客観的で、集約 的で、答えを求め、仮説検証で、論理的である一方、クリエイティブ・シンキングは、生成的で、可能性を重視して、仮説を作り出すほうで、答えはあるひとつ の答えでしかなく、つながり重視で、主観的で直感的であるといっていました。まあ、これはひとつの分類の仕方なので、このわけ方ですべてを論じるのは危険 性があると思いますが、クリエイティヴィティというものをどう考えるのか、ということは、特に科学の話をするときには、結構大きな問題になると思うので す。この点については、あとでちょっと触れるかもしれません。

対話は平等でなくては成立しない

もうひとつ大事な条件として、対話は、参加した人たちが平等に発言できるようでなければならないと言います。立場が対等であれば、どちらかが一方的 に話込むこともありませんし、同じような問題に関して、一緒に考えていけますよね。でも、いくら平等だといわれても、なかなか平等な関係になるのってむず かしいですよね。たとえば、質問はどんな状況でもしにくいものです。質問にきっちり答えないで、全然違う話をしはじめるひともいますし。だから、どんな相 手のどんな質問も疑問もしっかり受け止めて、しっかり答えようとする努力はするというルールが必要になってくるかもしれません。

実は、平等であるというのは、対話だけの問題だけではなく、政治理論のなかでも対等な議論が必要だ、もっと他人を尊重しながら対話を進めていけるような仕組みが必要だという意見があります。

ザ・ワールド・カフェの紹介 

こうした対話についての特徴をまとめて、実際に実行に移しているひとたちがいます。ザ・ワールド・カフェという名前がついた実践なのですが、ワール ド・カフェは、私がこれまで話してきたような対話についての基本的な考え方を踏まえて、対話的なコミュニケーションが生まれるためのルールのようなものを 設定して、企業やコミュニティで、実践活動を進めています。中心となっている人たちは、MITの組織的学習センターで、対話の研究をしていたこともある大 学の教授であり、対話の理論を使って、企業や対話についてのコンサルタントをしているひとたちです。

では、ワールド・カフェの7つの原理を紹介して、対話とは何か、ということのまとめにしましょう。

  • 文脈をつくる
  • 目的や基準を定める
  • 気持ちの良い歓待の空間をつくる(安心とお互いの尊重ができるような)
  • 意義のあるクエスチョンを探求する
  • 共に参加できるようにすべての人の貢献を後押しする
  • meとweの行き来:お互いに刺激(受粉)しあい、多様なパースペクティヴを結び付けるパターンや洞察、より深い質問はないかに耳を傾ける
  • 共に発見したことを収穫し、共有する
2007-09-06 00:10:03

鳥の目、虫の目

テーマ:ブログ
メディアリテラシー関係のウェブサイトを集めていたら、こんな時間に・・・。どうしても、こどものためのメディアリテラシーというものが多いなか、大学生とか大人向けのメディアリテラシーの情報も少しはあることがみえてきた。情報収集がグーグル頼みなのが気になるが、本でもそんなにある領域じゃないからいいだろう。明後日から札幌ではじまる市民メディアサミットでは、教育関連の話はどのくらい聞けるのだろうか。運動関係(G8とか)はそれなりに充実してそうだけど。かといって、メディア・リテラシー・サミットとか開いても学校関係者ばかりになるのだろうなぁ。

さて、今日のお題は、鳥の目、虫の目。
もう寝ようと思うので、短く。例えば、上記のメディアリテラシー教育は、だいたい個人の能力を想定している(学習論では、コミュニティだのコラボレーションだのという議論も盛んのようですが)ので、虫の目になる。けれど、教育の問題となると、いくら予算をどこにかけるのかという非常にマクロで政治的な話になる(参考:「教育」広田照幸)。これが、鳥の目。この二極を、上手い具合にブレンドしながら議論するのは難しいのかなぁという感想を持ったということが、今日のお題にしたゆえん。以上。


今日もSpecial Others

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