対話について
テーマ:ブログ対話について、昔しゃべったときの原稿をみつけたので、一部掲載。あまり厳密ではないし、このまましゃべったわけじゃないですが、結構よくまとまってるなと。
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対話は一対一のコミュニケーションだけではない
まず、「へぇ」という話からはじめたいと思います。対話とは、1対1でのコミュニケーションだと思われている方が多いと思いますが、実は、そうでは ないのです。少なくとも、英語の語源的には、1対1という意味にはならないそうです。英語圏の人でも、dialogueのダイは、diという言葉に、二つ の、とか二重の、という語源もあるので、という意味だと思っている人が多いようなのですが、実は、dialogueのdiというのはthrough=つま り、なになにを通して、という意味なのです。logueというのは、logosですから、言葉という意味です。つまり、言葉を通したコミュニケーションが dialogueの語源です。もう少し、語源の話をすると、logosというのは、関係性という意味もあるそうです。なので、関係性を通したという意味に もなりますね。それじゃあ、コミュニケーションっていう意味ではないか、と思われるかもしれませんが、この語源の話をしましたの、単なる一対一の対応では なく、一体多数なり、多数対多数であっても、対話=ダイアローグだという考え方を共有したいということです。
対話はディベートではない
そして、わかりやすい比較として言われるのが、対話というのは、ディベートではない。ということです。ディベートは、ある課題について、賛成側と反
対側にわかれて討論しあうというものですね。一種のスポーツにもなっていますね。早稲田大学の弁論部とかも有名ですし、私の出身校にもディベーティング・
ソサエティなる部活がありました。
でも、ディベートは対話じゃないそうなんです。なぜなら、ディベートはある意見に固執します。ある意見を主張することが重要です。しかし、対話は、
それじゃだめなんです。たとえば、今は論文提出の季節ですが、いわゆる口頭試問のことを、英語ではディフェンスといいます。サッカーのディフェンスといっ
しょです。動詞だとディフェンドですよね。でも、対話はディフェンスではなくて、サスペンドだそうです。サスペンドは、これもスポーツの例で恐縮ですが、
ウィンブルドンテニスで雨がふると途中でサスペンドになりますよね。自分と違う意見に遭遇したり対立したりしたときに、それぞれがディフェンドするのでは
なく、サスペンドする。つまり、ちょっと待てよ、と立ち止まって考えてみる、ということです。どちらとも意見の違いに注目することは同じなのですが、違う
から違いをさらに際立たせるのではなく、どうして違うのだろうかとか、どこか妥協点はないだろうか、新しい考えかたはできないだろうか、と持っていくのが
対話だというのです。
では、ここで話し合うという意味での対話ということから離れて、私たちがどのようにして本を読むのか、もう少し気取って言うならば、テキストの解釈 をするのだろうか、ということを考えて見ましょう。解釈学とか言われたりもします。1967年に「解釈の妥当性」という本を書いたハーシュという人は、 「テキストの意味は、すなわち著者が意味していることだ」と言いました。がんばって、テキストの意味することを解読するのが私たちの役割という考え方で す。しかし、もう少し新しい文学理論によりますと、テキストの解釈じたいも対話だというのです。大体において、テキストを読むとき、私たちはそれに対して ある程度の考え方をもって望んでいます。ある意味、偏見をもって読み始めるのだと思います。そこから、テキストの意味することを、自分の意味の構造つまり 理解の構造と対話させながら、理解の幅を広げていくのです。「地平の融合」とか言われたりしますが、そこで起こっていることはある種の創造=クリエイショ ンですね。
対話は、状況の変化である
クリエイションというか、状況の変化です。これも対話の一つの特徴です。変化するというのは、理解が深まったりするだけでなく、自分の考えが変わっ
たり、相手の考えがかわったりするということも含まれます。自分の誤りを認めることもあるでしょう。でも、この自分の誤りを認める可能性を残すってこと
は、なかなか難しいですが、対話的なコミュニケーションをするためには、すごく大切なことらしいのです。コミュニケーションというのは、自分の主張を通し
たり、ある一つの合意に向かって突き進むというだけのことじゃなく、お互いの主張や立場がそのつど変わっていくところにも大きな意味があるのだ、というこ
とを対話論者は教えてくれていると思います。
しかし、他者とそういう変化力のある想像的な関係になるのって難しいですよね。私たちは、大体において他人と関わる、とくに自分と違うなぁと思うひ ととは関わらないようにしますし、あのひとはこういう人だからと単純化して、しまいにはそのひとがやることなすことをネガティブに捉えようとしますよね。 さまざまな価値観が支持されるようになってきているなかで、他者と関わる、他者と対話するというのは、なかなか難しくなってきていると思います。しかし、 対話とは、他者を完全に理解しなさい、どんな他者にもやさしくしなさい、ということではないと思います。理解できない、対立せざるをえない、というなかで もなんとか関係性を保ち、未来に向かっていこうとするときに役立つのではないかなぁというのが、対話だと思います。
対話はクリエイションである
対話の現場では、これまで考えていなかったことが生まれたり、新しいアイデアが生まれたりします。対話の研究者というか実践家のひとりは、cross-pollinationといったりするのですが、日本語だと相互受粉とか、他花受粉とか訳されるそうです。
先日、クリエイティヴィティとは何か、という論文を読んだのですが、対話についての議論と非常によく似通っていると感じました。クリエイティヴィ ティとは、アイデアをつなげることだとか、同じことと違いをみつめることだとか、オーソドックスではないとか、興味深く直感的だとか、新しいクエスチョン に移行させる能力だ、と言われていました。
その論文では、クリティカル・シンキングとクリエイティブ・シンキングを比べていましたが、クリティカル・シンキングは、分析的で、客観的で、集約 的で、答えを求め、仮説検証で、論理的である一方、クリエイティブ・シンキングは、生成的で、可能性を重視して、仮説を作り出すほうで、答えはあるひとつ の答えでしかなく、つながり重視で、主観的で直感的であるといっていました。まあ、これはひとつの分類の仕方なので、このわけ方ですべてを論じるのは危険 性があると思いますが、クリエイティヴィティというものをどう考えるのか、ということは、特に科学の話をするときには、結構大きな問題になると思うので す。この点については、あとでちょっと触れるかもしれません。
対話は平等でなくては成立しない
もうひとつ大事な条件として、対話は、参加した人たちが平等に発言できるようでなければならないと言います。立場が対等であれば、どちらかが一方的 に話込むこともありませんし、同じような問題に関して、一緒に考えていけますよね。でも、いくら平等だといわれても、なかなか平等な関係になるのってむず かしいですよね。たとえば、質問はどんな状況でもしにくいものです。質問にきっちり答えないで、全然違う話をしはじめるひともいますし。だから、どんな相 手のどんな質問も疑問もしっかり受け止めて、しっかり答えようとする努力はするというルールが必要になってくるかもしれません。
実は、平等であるというのは、対話だけの問題だけではなく、政治理論のなかでも対等な議論が必要だ、もっと他人を尊重しながら対話を進めていけるような仕組みが必要だという意見があります。
ザ・ワールド・カフェの紹介
こうした対話についての特徴をまとめて、実際に実行に移しているひとたちがいます。ザ・ワールド・カフェという名前がついた実践なのですが、ワール ド・カフェは、私がこれまで話してきたような対話についての基本的な考え方を踏まえて、対話的なコミュニケーションが生まれるためのルールのようなものを 設定して、企業やコミュニティで、実践活動を進めています。中心となっている人たちは、MITの組織的学習センターで、対話の研究をしていたこともある大 学の教授であり、対話の理論を使って、企業や対話についてのコンサルタントをしているひとたちです。
では、ワールド・カフェの7つの原理を紹介して、対話とは何か、ということのまとめにしましょう。
- 文脈をつくる
- 目的や基準を定める
- 気持ちの良い歓待の空間をつくる(安心とお互いの尊重ができるような)
- 意義のあるクエスチョンを探求する
- 共に参加できるようにすべての人の貢献を後押しする
- meとweの行き来:お互いに刺激(受粉)しあい、多様なパースペクティヴを結び付けるパターンや洞察、より深い質問はないかに耳を傾ける
- 共に発見したことを収穫し、共有する






