2006-01-29 21:12:04
縦から横へ、機械から身体へ
テーマ:知識政治
glocomの試みは、InterCommunicationの特集「情報社会の変貌:その可能性と不可能性」でも知っていたのだが、ほとんど読まずにほっぽっていたが、昨日、ウェブ上にも膨大な資料がアップされていることを知った。
ised@glocom
今日は、久しぶりにスカイプで話した友人と、民だの官だのという話もしたりしていたのもあって、経産省の村上さんのお話 をささっと読んでみた。(雪かきの筋肉痛をかかえつつ・・・)
もともと小難しい話をする人たちの集まりだから、しょうがないのではあるが、村上さんのお話も斜め読みではよくわからない。でも、無理やり感想を書いてみる。
まずは、内容のクオリティはともかく、官僚のスーパーマンさを思いしった。村上さんがそこまで考えることなのかな?とも思った。それこそ、彼自身が主張するように、縦割りではなく、もっと横のつながりをもって設計していれば、もっとわかりやすいモデルが作れたのではないかと思った。それでも、前にどこかの学会で聞いたOO省の発表よりは、面白かった。
一番面白かったのは、村上さんだけではなく、討論に加わっている人たちが、横につながる「企業」のあり方から、社会における個人のあり方まで、その新しい像をなんとか描こうと苦心しているところであった。
よく引用されるのが、飛ぶ鳥を落とす勢いの「Google」や「はてな」(はてなの近藤さんは議論にも参加)。
これらに関連して面白かった例が「情報財の再生産のコストが低くなった」ということ。東さんがたとえていたのは、昔は大金持ちしか全巻買うことができなかったブリタニカ百科事典は年間6千円くらいで手にはいるということ。当たり前のことなのだけど、「情報財」という言葉に置き換えてもらっただけですっきりする。
自分なりに言い換えてみると、智へのアクセスへの垣根が低くなった。ということだろうか。
智を独占することでパワーを持っていた企業や個人のパワーが相対的に小さくなったり、独占しない形で智を提供できる(サービス化と呼ばれたりしていた)企業やグループが影響力を持ちはじめているし、その傾向は進むのではないか、ということで話が進んでいたと思う。
たしかに、いろんな技術や商売(広告の話もあった)の傾向は、オープンでより良い社会の実現へ向かっていくような雰囲気で語られることが多い。しかし、そうした傾向が実現化していくとして、その中で市場が指し示すだけではない「目的」(「欲望」という言葉もつかっていたと思う)は何なのか?どこにあるのか?ということを考えるべきではないか、という東さんの指摘は刺激的であった。(その後、あまりこの問いには進んでいかず)
討議の中ではプラットフォームという言葉が使われていたけれど、コミュニティでもなく企業でもない、拠り所みたいなものをうまく創造することがポイントだと思った。と、書いてみて、東さんが「固有名」にこだわって議論していたのがなんとなくわかってきた。
情報社会のなかに「リアル」さ(固有名、ブランド、・・・)をどう演出するか。情報社会の問題は、かつての機械的な問題ではなく、とても生々しい身体的なレベルの問題になっているのかもしれないと思った。逆に、そうだからこそ、身体的な感度の高いサービスがもとめられるようになっていくのかもしれない。でも、それって何だろう?(ブログはそうかも)
この設計研のシリーズは、これをネタにいろいろ話し合ったらもっと面白いかもしれない。設計研プチ研に興味のある方はご一報を。
ised@glocom
今日は、久しぶりにスカイプで話した友人と、民だの官だのという話もしたりしていたのもあって、経産省の村上さんのお話 をささっと読んでみた。(雪かきの筋肉痛をかかえつつ・・・)
もともと小難しい話をする人たちの集まりだから、しょうがないのではあるが、村上さんのお話も斜め読みではよくわからない。でも、無理やり感想を書いてみる。
まずは、内容のクオリティはともかく、官僚のスーパーマンさを思いしった。村上さんがそこまで考えることなのかな?とも思った。それこそ、彼自身が主張するように、縦割りではなく、もっと横のつながりをもって設計していれば、もっとわかりやすいモデルが作れたのではないかと思った。それでも、前にどこかの学会で聞いたOO省の発表よりは、面白かった。
一番面白かったのは、村上さんだけではなく、討論に加わっている人たちが、横につながる「企業」のあり方から、社会における個人のあり方まで、その新しい像をなんとか描こうと苦心しているところであった。
よく引用されるのが、飛ぶ鳥を落とす勢いの「Google」や「はてな」(はてなの近藤さんは議論にも参加)。
これらに関連して面白かった例が「情報財の再生産のコストが低くなった」ということ。東さんがたとえていたのは、昔は大金持ちしか全巻買うことができなかったブリタニカ百科事典は年間6千円くらいで手にはいるということ。当たり前のことなのだけど、「情報財」という言葉に置き換えてもらっただけですっきりする。
自分なりに言い換えてみると、智へのアクセスへの垣根が低くなった。ということだろうか。
智を独占することでパワーを持っていた企業や個人のパワーが相対的に小さくなったり、独占しない形で智を提供できる(サービス化と呼ばれたりしていた)企業やグループが影響力を持ちはじめているし、その傾向は進むのではないか、ということで話が進んでいたと思う。
たしかに、いろんな技術や商売(広告の話もあった)の傾向は、オープンでより良い社会の実現へ向かっていくような雰囲気で語られることが多い。しかし、そうした傾向が実現化していくとして、その中で市場が指し示すだけではない「目的」(「欲望」という言葉もつかっていたと思う)は何なのか?どこにあるのか?ということを考えるべきではないか、という東さんの指摘は刺激的であった。(その後、あまりこの問いには進んでいかず)
討議の中ではプラットフォームという言葉が使われていたけれど、コミュニティでもなく企業でもない、拠り所みたいなものをうまく創造することがポイントだと思った。と、書いてみて、東さんが「固有名」にこだわって議論していたのがなんとなくわかってきた。
情報社会のなかに「リアル」さ(固有名、ブランド、・・・)をどう演出するか。情報社会の問題は、かつての機械的な問題ではなく、とても生々しい身体的なレベルの問題になっているのかもしれないと思った。逆に、そうだからこそ、身体的な感度の高いサービスがもとめられるようになっていくのかもしれない。でも、それって何だろう?(ブログはそうかも)
この設計研のシリーズは、これをネタにいろいろ話し合ったらもっと面白いかもしれない。設計研プチ研に興味のある方はご一報を。






