知識人論① 知識人って・・・
テーマ:知識政治知識人論①とあるが、今後どれだけ続くかわからない。コレっきりで終わる可能性もある。
Fuller, S. 2005. The Intellectual. Cambridge: Icon Bookd Ltd.
フラーの本の中では、例外的に読みやすい本なのだが、正直、私はこの知識人論をもてあましている。本は読んだし、サマースクールで話は聴いてきたし、準備は万全で、かついろいろと重要な点を取り上げて勝手に議論してみたい気にもなっているはずなのだが・・・。
まず、果たして自分は「知識人」という属性についてどんなスタンスをとるのか?というところからして未だ定まらない身分であることがある。サマースクールの参加者の若い学生達もそのへんでとまどっていた様子であった。彼らの多くは、社会学とか哲学とか心理学とかを大学院レベルまでやってきてしまった人たちであり、彼らにとって学問とは「専門知識」なるものを身につけて、知識の「蓄積」に貢献するぞ、という意気込みを持っていると思う。しかし、フラーはどうやらそういうアカデミックは、浮世離れしてしまって役に立たないのだから、知識の「蓄積」ではなくを「流通」させることのできる知識人が必要である、という主張のようだから、「これから修行だ」と構えている若きアカデミックたちにとっては少し拍子抜けしてしまうのかもしれない。
彼によると、知識人は、さまざまなメディアを使い、さまざまなオーディエンスを相手に自分のアイデアを流通させていかなければいけないという。例えば、サルトルはただ哲学をしていただけではなく、雑誌を立ち上げたり、小説を書いたりしてたよね、というのが証拠として挙げられたりする。また、仲間内の評価や大学のポスト(テニュア)にこだわるアカデミックが多いみたいだけど、歴代の思想家でアカデミズムと折り合いが悪かった人たちはたくさんいるじゃないか、といったりもする(例えば、マルクス)。
だから、フラーの知識人論を聞いていると、現在のフレームワークでこれから競おうと思っている若きアカデミック志望者にとっては、「そうかもしれないなぁ」という同意と、「じゃあ、どうすればいいのよ」という疑問がないまぜになって、落としどころがわからなくなってしまうということになってしまう。
しかし、まわりを見回してみると、学位がなくたって、大学の外にだって、社会に大きなインパクトを与えている知識人はたくさんいることがわかってくる。というのも、フラーの主張の一つである。そうして、知識人になるための戦略を学ぶことによって、知識人の裾野を広くしていこうということなのだろうか?
フラーのいう知識人は、なにもテレビによくでてくる評論家だけではなく、政治家やジャーナリストやライターやテレビ番組制作者・・・などなどいろんな人たちを含んでいる。いま注目をあびつつある(?)科学コミュニケーターならぬ、知識コミュニケーターなんて言い方のほうがしっくりくるのではないか。実際、いまだ何者なのかよくわからない科学コミュニケーターもこの知識人論に照らし合わせて考えてみると結構しっくりくるのではないかと思っている。特に、これから大学院で教育される予定の未来の科学コミュニケーターたちにとって、科学技術コミュニケーターになるのだというよりも、新しい時代の知識人になるのだ、といわれたほうがモチベーションも誇りも高くなるような気がする(その分、薄給でも働くようになるかもしれないという問題もある)。もしかすると、科学技術コミュニケーターの隠れバイブルとして、この本を位置づけられるかもしれない。
つづく(予定)。






