2005-01-30 20:28:43

WSF

テーマ:ブログ
第四回World Social Forumがブラジルのポルト・アレグロで行われている.
WSFは,スイスのダボスで行われる先進国の首脳やビジネス界のリーダー達が集まるWorld Economic Forum(だったかな)に対抗してはじまった.傲慢なネオリベラリズムや自由貿易に反対する,オルタナティブ・グローバリゼーションを標榜している.毎年開催のフォーラムを重ねるたびに参加者・参加団体が増え,なかなかの盛り上がりを見せている.ガーディアンとかでも取り上げられているけど,どうなってるんでしょう.とちょっと思っていたので,別件で論文検索していたときに目についたものを読んでみる.

Geoffrey Pleyers. 2004. The Social Forums as an ideal model of convergence. UNESCO.

前半は,「多様性を尊ぶ」ことの重要性がSocial Forumの肝みたいなことが書いてある.でも,一番目にとまったのは,SFは'non-deliberative' space(非審議空間とでも訳せるか)だといっているところ.私なりに,要約すると「フォーラムは,しょせんいろいろ議論しているだけなんですよ,なにを決めるってわけではないんですよ,とりあえず誰でもきていいですよ(inclusive),ってところが重要なんですよ」という主張だ.ちょうど,社会理論とか政治理論の世界でいわれている「deliberative democracy」とか「public deliberation」とかを読んでいて「そうですか,考えるってことが大切なんですね」って思っていたところだったので,ちょっと面食らってしまう.

でも,常識的に考えても何千の団体がいろんなこと(いくつか大きなテーマはあるものの)を主張しているのをまとめるっていうのは,はっきりいってムリがあるだろう.Deliberative democracyとかは,結局は政府がどうあるべきかみたいな議論だから「次元」が違うのかもしれないし.だから,convergence(集中,一点に集まること,収斂)なのね.

あと,WSFが大きくなることで,まとまりがなくなってきていることとか,運営が難しくなってきていることとかも指摘されていた.多様性を標榜した集まりっていうのも難しいものなんだろうなぁ.でも,論文が「living together with our differences」で締められているいるように,多様な中でどういっしょに生きていくのかということは,身近な人とだって遠い国の人とだって,そう変わらない.そう思うと,とりあえず一緒にすごすっていう方針は間違ってない気がしてくる.

たんなる洒落だけど,WSF,菅平にある「ダボスの丘」でやってみるっていう企画はどうでしょう?
いや,もうやってる人がいるかもしれない...
2005-01-27 21:45:57

首大と大学

テーマ:ブログ
もう数日たってしまっているのだが、いつも楽しく拝見している内田先生のブログへ初トラックバック。首都大学東京(通称「くびだい」)について。

内田先生は、都知事と新学長の発言を引いて、歯切れの良い批判を敢行されている。自分も首大のいきさつについては「なんとなくいやだなぁ」とは感じてはいたものの、引用部分を読んでいたら、嫌悪感を通り越して愕然としてしまった。

いろんな意味で、首大の行く末が面白くなっていく(自分も含めた、ほとんど野次馬の立場の人たちにとってはいっそうのこと)のだと思うが、その他の大学の大学生や大学人にとって、そして人生の一時期を大学で過ごす人間が多いこの社会にとって、この問題は対岸の火とばかりもいえなくなる可能性が高い。そういう意味では、内田先生が講演された「文部科学省の高等教育再編構想と大学の機能分化について」の方がもっと気になってしまう。

ちなみに、イギリスでも高等教育改革はかまびすしい議論が展開されている。もしかしたら、いろいろと閉塞感の高い先進国の為政者たちは「市場化の最後の砦である大学(Fuller)」をいじくることで、ひょっとしたら何とかなるんじゃないか、みたいな考え(というよりも祈り?)をもっているのかもしれない。大学は変わっていくべきだとは思うけど、どんどん悪くなって行くような気がしてならない。

ああ、ここでも「自己成就的予言」がひそかに進行してしまっている。
2005-01-25 22:53:24

過去の社会学博士論文をいくつか

テーマ:まなび
午前中、大学の論文が保管してあるところで過ごした。
過去の論文は、図書館ではないレコード・センターにおいてあり、いちいち申請しなくてはならないのだ。

社会学部のD論を適当にしらべて、目についた三つを持ってきてもらう。
手にとった一つめは、香港の中学校におけるcitizenship教育について。
返還の前に書かれているから、かなりホットだったのだろう。先生とか生徒とか、たくさんインタビューしている(42人)のを見て、かってに焦る。結論までは、読まず。

二つめは、civil disobedienceについてのとっても理論的な論文。
ロールズとか、ハーバマスとか、ドゥオーキンとか。
ちょっと、自分のとは方向性が違うみたいだけど、気になる文献をメモ。
ある状況下においてはcivil disobedienceが社会の権利だといえる、という主張は、なんとなくうなずける。こないだみた映画のは、行きすぎだったけど、「なんか変!」と声を上げようとするのは、当然のことだと思う。でも、ちょっと声を上げようとすると、「何やってんの?」っていう圧力がかかるんだよなぁ(日本語でいうところの「世間」)、たぶん。だから、なんか意固地になって過激な方、怪しげな方、にいっちゃったりするんじゃないだろうか。

そして、三つめは、genetic informationと生命保険の関係についての論文。去年書かれたばかりの新しい論文。これが、一番役に立ちそうなので、とくにResearch questionsとMethodologyのところをしっかり読む。体裁がしっかりしていれば、結構言いたい放題できるのだということに気づく。自分のデータのまとめりのなさが、気になるものの、自分もなんとかいけるんじゃないかと感じ、明るくなる。でも、最後にcitizen's juryを持ってきて終わらせちゃうのは、いかがなものか・・・。いや、自分も最後になにか持ってきて、まとまらせればいいのか!(とまなぶ)。

ここ二週間ぐらい、「書くの、絶対ムリ」って思ってたから、早くここに来ればよかった。と、とりあえず気もちは上向き。
2005-01-24 23:45:37

Good Morning Night ★★★

テーマ:映画
1978年のイタリアで、赤い旅団(Brigate Rosse)といわれる過激派によって大統領が誘拐された実話にもとづいた映画。ストーリーは、主に過激派メンバー4人の中の女性の視点を中心に、メンバーそれぞれの思いや葛藤、恐怖、戸惑いが描かれていく。派手なシーンはなく、淡々と進んでいくのだが、緊張感が途切れることがなく、最後まで見入ってしまった。また、安易な対立軸を設定せず、細かい心理描写や挿話など丁寧につくっているところも良かった。それによって、この映画の訴えたいことがより普遍的になっている気がする。

日本だって、同じような境遇になった人たちがいた。二年前くらいに、元日本赤軍メンバーの獄中手記のようなものを読んだことがある。こんなにも社会を思っている若者がどうしてそんなことになってしまったのだろうか、と読んでいる自分も書いているその人といっしょに思い悩んでしまうような内容だった。 私は、コミュニズム=ソ連=暗いという安直な等式を持っていた(刷り込まれていた?)ので、この文章の衝撃は大きかった。

ほんの数十年前に、赤だの何だのといって多くの人の血と涙が流れたことについては、なんで自分はこんなに知らなかったのだろう。知らなかったのは自分だけなのかもしれないが、イタリアにしろ、日本にしろ「どうしてああなってしまったのか?」ということをもっと省みられるべきなんだろう。だって、「わたしはこっち、あなたはそっち」っていう線引きの思想は、ほぼ同じ構造で続いているような気がするから。
2005-01-21 23:05:09

科学コミュニケーションのまとめ

テーマ:まなび
今日は、Science communicationについて、主に英語の文献を参考にしつつまとめてみた。友人が企画した、あるミーティングで使ってもらおうかと思って作成したのだ。結局うまくまとめられたとはいえず、いくつかの文献という感じになってしまった。ミーティングの導入として使えるかどうか?あとは、ファシリテーターの友人に一任。ボツになるかもなぁ。でも、参考にはなるハズ。

いまになって気がついたことでもないのだが、あらてめてScience communicationが謳われている文献をならべてみると、どの文献もthe public(公衆と訳されることが多い)が重要なポイントになっていることがわかる。(自分の関心や資料の集め方が影響しているともいえるが)

このことは、もしかしたら科学コミュニケーションとして日本語に訳されてしまうと、抜け落ちていってしまうところかもしれない。もともと、パブリックという概念をどう訳していいものか、そして自分ですらこの概念を理解しているのかと不安になってしまうくらい、日本語にない考え方なのだから、無理もないかもしれない。

公衆といわれてすぐ思いつくものは、公衆電話と公衆便所だし・・・。

とにかく、「科学」も「コミュニケーション」も「パブリック」も、よく使われる言葉だけど、なんとなくしっくりこない。どう表現したらいいかわからないけど、どうしてもこういう言葉は、それを使う人たちの心がこもらないというか、責任が感じられない気がする。

それは、輸入言葉を使っている日本語の問題なのか、もっと普遍的な問題なのか。

おそらく、後者のような気がする。
そして、ここでは「ヘゲモニー」がなんとなく重要な気がする。
グラムシを近々、読まねば。



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