いよいよ待ちに待った立替が始まりリアルで動くことになりますので、更新する時間が無くなると感じています。
今までありがとうございました。
今の世の中は、欲ばかり。
アセンションしたい。
宇宙人に会いたい。
フリーエネルギーがほしい。
救われたい。
幸せになりたい。
お金が欲しい。
仕事が欲しい。
かわいい彼女が欲しい。
おいしいものを食べたい。
いい服を着たい。
人を支配したい。
日本を守りたい。
英雄になりたい。
立派な人に思われたい。
地震を無効化したい。
津波を止めたい。
大難を小難にしたい。
平和にしたい。
争いたい。
火山を噴火させたくない。
光側になりたい。闇に勝ちたい。
闇側になりたい。光に勝ちたい。
あっちが悪い、こっちが悪い。
世界を救いたい。
他人を救いたい。
生きたい。
死にたい。
すべて欲(自我)よ。
すべて、魔釣りよ。
自我から真我に至るまでが修行である。
真我になって初めて、心のままに行動ができる。
自分の天命をまっとうできる。
実存Ωの領域になって初めて、神々の意図がわかる。
エネルギーを止めたり、曲げたりする行為が、我欲よ。
喜怒哀楽もあって良いのよ。
それが自然。
すべてをあるがままに、エネルギーの流れるがままに。
真我に至れ。(7センシズに目覚めよ)
あなたの外に救世主はなく、あなたを救うものはあなた自身であるのです。
ここでは何度もいいますが、よく勘違いされているのは「世界を救う」「他人を救う」というとんでもない欲望を持ってしまうことです。
そんなことは不可能なのですが、エゴは自らを省みることから目を背けるために「世界」や「他人」を救うという行動、姿勢で満足しようとします。
それがほとんどの精神世界にある方たちの有り様なのですが、そこに気付くにはとても強い精神力が求められます。
ただ人を導けるとしたら、その方が(高度な)覚醒しているときだけです。
そこに至らずに「世界を救う」などと思っているうちは、勘違いも甚だしいということです。
そもそも覚醒した方は「世界を救う」「他人を救う」などという了見を持ちません。
戦士への道へ導けるのはナワールという莫大なエネルギーを備えた、一定の段階の覚醒状態にある存在だけです。
しかもその教えを受けられるのは、自ら志願してではなく「永遠(もしくは無限)・あるいは大いなる存在」に導かれた(選抜された)者だけなのです。
そしてその「永遠」に導かれるためには、あなたにその準備が出来ていて、しかもその時にタイミングがあっていなければならないのです。
この記事は過去に載せた内容ですが、
今でも人気があるので、再投稿します。
若干つけたしました。
『毎日新聞』(1944年2月23日付)の記事
新名の執筆記事は「勝利か滅亡か 戦局はここまで来た」「竹槍では間に合わぬ 飛行機だ、海洋航空機だ」と題して、1944年(昭和19年)2月23日付の『毎日新聞』朝刊に掲載された。
「勝利か滅亡か 戦局はここまで来た」
「日本は建国以来最大の難局を迎えており、大和民族は存亡の危機に立たされている。大東亜戦争の勝敗は太平洋上で決せられるものであり、敵が日本本土沿岸に侵攻して来てからでは手遅れである」
「竹槍では間に合わぬ 飛行機だ、海洋航空機だ」
「大東亜戦争の勝敗は海洋航空兵力の増強にかかっており、敵の航空兵力に対して竹槍で対抗することはできない」
新名は開戦時から海軍を担当、18年1月から約半年間はガダルカナルで従軍して前線の惨状をつぶさに見聞きし、日本の窮状と大本営作戦の内容を把握していた。 この記事に東條は激怒。
陸軍報道部は、毎日新聞に処分を要求。更に内務省は掲載新聞朝刊の発売・頒布禁止と差し押さえ処分を通達した(ただし、この時点で問題の朝刊は配達を終えていた)。
そこへ火に油を注ぐように、同日夕刊トップでは「いまや一歩も後退許されず、即時敵前行動へ」と題する記事が掲載された。記事中で
日本の抹殺、世界制圧を企てた敵アングロサクソンの野望に対しわれわれは日本の存亡を賭して決起したのである。敵が万が一にもわが神州の地に来襲し来らんにはわれらは囚虜の辱めを受けんよりは肉親相刺して互に祖先の血を守つて皇土に殉ぜんのみである。しかも敵はいまわが本土防衛の重大陣地に侵攻し来つてその暴威を揮ひつつある。われらの骨、われらの血を以てわが光輝ある歴史と伝統のある皇土を守るべき秋は来たのだ。
と述べており、記事の趣旨は戦争自体を肯定した上で戦況が悪化している現状を伝え、その打開策を提言したものである[が、東條は「統帥権干犯だ」として怒った。夕刊記事の執筆は新名ではなく清水武雄記者によるものだったが、この責も新名が引き受けた[14]。
新名は責任を感じ、上司の吉岡文六編集局長に進退伺いを提出したが、吉岡はこれを受理せず、3月1日、自身が加茂勝雄編集局次長兼整理部長とともに引責辞任した。
東條の怒りはおさまらず、内閣情報局次長村田五郎に対して「竹槍作戦は陸軍の根本作戦ではないか。毎日を廃刊にしろ」と命令した。村田は「紙の配給を停止すれば廃刊は容易」とした上で「日本の世論を代表している新聞のひとつが“あのくらいの記事”を書いたことで廃刊になれば、世論の物議を醸し、外国からも笑われます」と述べ、東條を諫めた。
高松宮側近の細川護貞は東條批判を日記に綴ることが多かったが、この件に関しては東條の怒りに理解を示し「是は記者の非常識にして、東条の激怒も亦宜なり」としている。
新名の「懲罰召集」
毎日新聞は、責任者は処分したが新名は退社させず、逆に編集局長が賞を与えるなどした。記事執筆から8日後、この新名に召集令状が届き、新名も周囲も、この「指名召集」を東條首相による「懲罰召集だ」と受け止めた。新名は郷里、高松に行き二等兵として丸亀の重機関銃中隊にひとりで入営する。中央からは、激戦地となることが予想される硫黄島の「球」部隊へ転属させるよう指令が届いていた。これに対し、新名が黒潮会(海軍省記者クラブ)の主任記者であったことから、海軍が召集に抗議した。そのため、新名は海軍の庇護と支那事変当時に善通寺師団の 従軍記者をしていたこともあり、連隊内で特別待遇を受けて3ヵ月で召集解除になった。その際に連隊の将校から近いうちに再招集の命が下るだろうから、内地にいないほうがよい との注意をしてくれた。
その後、陸軍が再召集しようとしたが、その前に海軍が海軍報道班員として外地、フィリピンに新名を送り、新名は再召集を逃れる。
新名が徴兵検査を受けたのは大正時代のことで、その世代は1人も召集されていなかった。そのため、海軍は「大正の兵隊をたった1人取るのはどういうわけか」と陸軍を批判した。それに対し陸軍は、新名と同世代で大正時代に徴兵検査を受けた人間を250人召集し、丸亀連隊に入営させて辻褄を合わせた。その30代後半の老兵達は、全員が硫黄島の戦いで玉砕・戦死した。
海軍側の反応
事件の対応をめぐり、陸軍と海軍が対立する一幕もあった。陸軍悪玉論の根拠として取り上げられる場合がある。当時の海軍報道部長であった栗原悦蔵少将は、「もう太平洋の東の制空権はほとんど失ってしまったと」「海軍としては国民全体に知らせたいと思って、私もずいぶんその黒潮会にもお願いいたしましたけれども、なかなかそれを書く人がない、そこを大胆に新名さんが書いてくださいましたので、われわれとしては、たいへん喜んで絶賛したわけですね」と証言している。
(2)阿倍と岸は根本に於いて全く違い、阿倍は感情に流されているから東条と同じタイプ。