2010-09-17 20:40:31

夜汽車の客車たち(その34-2)

テーマ:夜汽車シリーズ
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今回は戦前製食堂車の代表選手でスシ37一族である、マシ29形100番台について書いてみる。
なお、不可分な関係であるスシ28形100番台や、スシ48・マシ49、同じスシ37一族であるマシ29形0番台についても一部記述する。

1.マシ29形100番台の概要
マシ29形100番台は、スシ37740形の増備車として、昭和8年から10年にかけてスシ37800形として製造された食堂車である。
詳しい解説はスシ37800の記事を読んでいただくとして、ここでは主にマシ29時代について書く事にする。

称号改正でマシ29となった昭和28年現在、マシ29形100番台はその大部分が品川客車区に配備され、駐留軍からの返還後は東京~九州を結ぶいわゆる九州急行と、東京~青森を結ぶ特殊列車(後の「十和田」)に使用された。他に昭和28年新設の特急「かもめ」にも使用された。
また、特急「つばめ」「はと」にピンチヒッターとして使用されることもあった様だ。

昭和29年には特急「かもめ」にスシ48を冷房改造して充てる事になったが、自ら冷房装置を用意する程の体力は当時の国鉄になかったことから、マシ29 102~104の冷房装置を供出している。
これにより上記3両はスシ28に編入され、スシ28 103~105となった。
なお、冷房装置を得たスシ48 13~15はマシ49 1~3となった。
またこの結果、昭和8年製のリベット付きマシ29はマシ29 101のみとなっている。
なお、これをもってマシ29は「かもめ」を外れ、定期特急運用は消滅した。
また、同じ昭和29年に元軍用列車だった特殊列車が普通急行列車となり、当時残っていた3本のうち東京~佐世保間の「西海」と東京~青森間の「十和田」に引続き使用される。
この「十和田」は0番台と共にマシ29にとって唯一の東北方面の運用だったが、昭和31年11月の改正で「十和田」から全室食堂車が外されたためマシ29は撤退。同時に東京以北での運用はこれを以てなくなった。

以降は主に九州急行の「さつま」「筑紫」「雲仙」「西海」「阿蘇」と東海道の昼行急行「なにわ」に使用された。
特筆すべきは、昭和32年10月改正で臨時特急「さくら」に宮原のスハ44を使用することになり、マシ35の予備車としてマシ29 101と107が宮原へ移り淡い緑色の「青大将」塗装となった事だろう。
この青大将色のマシ29は東京~大阪の昼行急行「なにわ」の定期運用も持っており、茶色い客車に挟まれて文字通り異彩を放っていた。
なお、この青大将マシ29は電車特急「こだま」の登場で「さくら」が廃止されたため、僅か一年余りで消滅している。

なお、昭和33年中に室内の配置が異なるマシ29 201はオリジナルの配置に戻され、100番台車との差異はなくなっている。


さて、昭和31年にデビューして特急列車を中心に軽量車体のオシ17が配備されてきたが、特急列車の電車化や20系化、さらにオシ17自体の増備に伴い、昭和36年3月にマシ29は二重屋根の0番台を含めて一気に所定運用を失ってしまう。

しかし、マシ29は冷房付きかつ、戦前製ならではの豪華な意匠が買われたのか、昭和36年10月の改正で東京~宇野を結ぶ四国連絡急行「瀬戸」と、京都~博多を結ぶ急行「玄海」で定期運用復活を果たす。
また、マシ29 101は予備ながらも同じ元スシ37800であるマシ49と組んで「阿蘇」のローテーションに入っていた様だ。

一方で運用のなくなった105、106、108は昭和38年から106、108、105の順で廃車となり、106はマシ29形100番台としては廃車第一号となった。

昭和38年の改正で「瀬戸」はオシ17に置換わり、いよいよ定期運用は「玄海」のみとなった。
なお、「阿蘇」については昭和39年10月改正で「さつま」(名古屋~鹿児島)の昼行区間(名古屋~博多)にマシ49共々担当が変わったが、僅か一年後の昭和40年に電車化されて撤退している。

さて、残る定期運用の「玄海」は0番台を含む4両で運用されたが、100番台を対象に室内灯の蛍光灯化が実施され、さらに110と201は規定外ながら青15号に塗装された。
当時優等列車用車両を対象に青15号化が進んでおり、大阪鉄道管理局が青い客車の真ん中に茶色の客車が混じるのを嫌ったからだという説があるが、真相は不明である。
折角「近代化改造」されたマシ29形100番台の3両だったが、いよいよ終わりの時を迎える事になる。

その発端となったのは、昭和42年に同じ戦前型で「安芸」に使用されて頑張っていたマシ38が石炭レンジの火の不始末により車両火災となり、生の火を使う石炭レンジと、可燃性の木材を内装に持つ食堂車の安全性が問題となったのである。
国鉄内部でレンジの電化改装等が計画された様だが、理由は不明だが結局実施されなかった。おそらく特急列車増発と急行列車縮小の方針や、戦前製食堂車自体の老朽化もあり改修計画は消滅したのだろう。昭和43年10月にマシ29形100番台を含む戦前製の食堂車は運用停止となった。

「近代化改造」されたマシ29形100番台は、改造後僅か3年で全車廃車となり、35年の歴史に終止符を打ったのだった。

なお、交通科学館に保存されたマシ29 107だったが、後年ブルートレイン客車の食堂車ナシ20が展示されることになり入れ替わりで解体され、残念ながら現存していない。

2.我が家のマシ29
組み立て記事に書いたとおり、我が家のマシ29形100番台はキングスホビー製のキットを組み立てたものである。
素人組み立てならではの粗さはあるが、キット自体はプラ製に負けないディテールを誇る。
室内は仕切りとテーブル以外は自作である。今回は厨房部分を作り込んでいないが、これは室内灯点灯化時に合わせて作ろうかと考えている。

導入目的は九州急行の黄金期である、昭和30~33年頃の「筑紫」「さつま」「雲仙(S31~32)」「西海(S30・S32~)」と昭和31年11月までの「十和田」に使用するためである。このため、表記類は昭和34年頃までのものとし、所属は東シナ、番号は105番とした。

使用予定は上記のとおりだが、当面は昭和34年以降の列車やマシ29形0番台、スシ28の代用としても使う予定である。


3.マシ29形100番台つれづれ
昭和30年代前半の夜行急行を語るのに欠かせないのが、このマシ29形100番台を含むスシ37一族である。
戦前最後のマシ38や戦後生まれのマシ35が少数派だったこともあり、新型のオシ17が台頭するまでは食堂車の主力であった。
そんな訳で0番台を含めたマシ29は前から欲しかったのだが、ようやく念願叶ったと言ったところである。

上にも書いたとおりその運用範囲は広く、コレ1両で色々な列車を再現できる。
裏を返せば、マロネ29と同様、昭和30年代前半の急行列車を再現するのに壁となる1両だ。
一応プラの完成品自体は存在し、マイクロエース製の臨時特急「さくら」セットに入っているが、結局セットを買う必要があり簡単に入手できる物ではない。
他はコンバージョンキットを組むか、私の様に高価なキングスホビーのキットを組むしかない。
キングスホビーには完成品もあるが、値段もキングスだ(笑)

ちなみに我が家には昭和34年6月以前の表記の食堂車は既にいるのだが、マシ35とオシ17で、いずれも当時特急用であり、マシ38は使用する列車の兼合いで昭和34年以降の表記としたため、実はこの時代の純正な急行用食堂車は我が家初となる。

さて、マシ29形100番台の魅力と言えばやはりそのスタイルや仕様はもちろん、複雑な歴史もあるだろう。
先輩格の元スシ37700やスシ37740を含むスシ37一族は旧型客車を知る上で、その複雑な車歴は寝台車と並んで難関となっている。
元スシ37800だけを見ても元は一つの形式だったのが6つもの形式番台区分になっただけでなく、他の形式と同一形式になってるのだから、知的探求心を満たすのに十分な題材と言えるだろう。
しかも、荷物車や郵便車、戦災復旧車程混沌ではなく、落ち着いて追って行けば系統だてて紐解く事ができる。
さて、マシ29は一見複雑な様で、実に整ったスタイルをしている。
食堂部分は当時の優等車の標準とも言える、700mm幅の2枚組の窓が整然と並ぶ。
このあたりは大形クロスシートを持つ二等車スロ33やツーリスト式の二等寝台車マロネ29ともイメージが似ている。

スシ28 151やマシ38ではこの2枚組の窓が1枚の広窓となっていて洗練されたイメージだが、マシ29では狭い窓の2枚組みというのがいかにも古風でスハ32系らしく、戦前形らしい魅力がある。

それに加えてやはり一等車と同じ3軸ボギー台車だろう。
戦前の優等車両の証であり、独特の威厳を感じる。


ところで、マシ29形100番台はスシ37800時代まで含めると食堂車としては長寿である。
一番の長寿は先輩格のスシ37740→マシ29形0番台に譲るが、戦後生まれの食堂車は総じて短命だったからである。
(ただし、例外として現在「北斗星」や「トワイライトエクスプレス」で活躍するスシ24形は長寿で、電車時代を含めるとおそらく歴代一位となる。)
その背景として、戦後まもなくは車両が足りなかった事と、客車の特急がブルートレインに移行し、オシ17の増備が戦前形を全て置換える程には製造されなかったことである。
新幹線開通前夜までは夜行急行列車が長距離移動の主役であり、オシ17で置換え切れない程の列車があり、加えて速度は遅く距離が長いので、1運用あたりの拘束時間が長く、予備含めて1列車に4~5両必要なことが多かったのだ。また、非冷房のスシ28が先に置換えられたこともあるだろう。
そんな事情もあり昭和36年3月には一旦所定運用がなくなりつつも、結局昭和43年10月まで生き延びた訳だ。

マシ38の火災の件がなければもっと長生きしていたかもしれないが、根底には急行列車の縮小と特急格上げの方針があったわけで、生き延びたのが時代の都合なら消滅したのも時代の都合である。

そう言う意味でも、マシ29は時代に翻弄され続けた食堂車と言って良いのかもしれない。

次回は兄弟形式となるマシ49を紹介する予定です。

写真1枚目:いかにも戦前派らしい硬派なスタイルのマシ29形100番台。
クラシックな窓まわりと対照的なスッキリした屋根が印象的だ。

写真2枚目:クリーム色の仕切りが目立つ厨房部分の廊下側。不等間隔に並ぶ狭窓がいかにも食堂車らしい風貌だ。

写真3枚目:2段窓の厨房部分。火力の十分な石炭レンジで質の高いメニューが提供されたという。この厨房で作られた料理を食べてみたかった。

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