2011-01-20 22:06:28

夜汽車の客車たち(その35-2)

テーマ:夜汽車シリーズ
夜汽車の汽笛への憧情-DSC_0061.JPG

夜汽車の汽笛への憧情-DSC_0048.JPG

夜汽車の汽笛への憧情-DSC_0043.JPG

前回に引き続き、マロネフ38形10番台について書いてみる。

2.我が家のマロネフ38形10番台
我が家のマロネフ38形10番台はキングスホビー製のキットを組み立てた物である。
実はマロネフ38形10番台キットはキングスホビーから発売されたばかりの新製品で、旧仕様の製品はあったものの、リニューアルされずに永らく残っていたのが去年の11月にようやく新仕様で発売された。
新仕様は床板と妻板がプラスチックとなっているほか、区分室仕切りなどが充実している上安価となっている。
密かにリニューアルするのを待っていたところで発売されたので飛び付いたと言うわけだ。
ディテールは流石と言うべきもので、私のような未熟者が組んでも見栄えのするものになっている。
特に縦リベット表現が素晴らしい。
太い柱の部分はちゃんと二列になっている。


外装についてはほぼ素組だが、内装の一部を自作した。

導入目的は第一部で書いたとおり、マロネフ38となってから唯一の定期運用である急行「能登」用である。そのため、「能登」用として一番長い期間であった三等級制度が廃止となった昭和35年6月からの装いとし、ぶどう色2号にライトブルーの帯ながら、等級表示はデッキ横に大きな数字とし、一等車である事を示す1の文字を付けている。なお、昭和36年7月に塗装規定が改正されて、規定上は帯が淡緑帯となったが、実車は急行「能登」で使われている間は青帯のままだった様だ。
番号はマロネフ38 11とした。インレタはキングスホビーとグリーンマックスの組合せである。
所属表記は現代と同じくデッキ横の下部に付くものとなるが、インレタが未入手のためついていない。
追って入手次第取り付ける予定である。

ちなみに区分室は洗面台は撤去されたものの旧一等寝台でありながら、優等寝台としては安価な一等C寝台として利用できるお得な車両だったそうだ。
既出ではあるが、急行「能登」時代の特徴として最後部となる貫通路に蓋が付いていた事が挙げられるだろう。
他に例のない特殊な形で、マロネフ38形10番台の個性的な姿をさらに際立たせている。車体に直接取り付けられたものではなく貫通幌に着いており、脱着可能な簡易な物ながら、覗き窓が付いていたのも面白い。
なお、戦前製客車で貫通路に扉や蓋が取り付けられた例は郵便車や荷物車を除くと少なく、定期列車では急行「能登」のマロネフ38以外では特別急行「あさかぜ」用のマロネフ29のみである。他に駐留軍貸し渡し用の特殊車両に取り付けられた例がある。この中でも幌蓋はマロネフ38のみとなっていて、他は観音開き式の貫通扉が車体に直接取り付けられている。

実車の使用範囲が狭かったので我が家での用途、出番も限られてはくるが、屈指の個性派として活躍することになるだろう。


3.マロネフ38つれづれ
マロネフ38は後にマロネフ58となった0番台も含め、面白い存在である。
マイロネフ37とマイネロフ37が結果的に同じ形式になったというのも興味深いが、定期列車として同じ運用を持ったことがないというのもなにやら因縁めいてて面白い。
車両の生い立ちもなかなか対照的である。

それにしても、二等室の窓配置を残したまま寝台に改造するというのは面白い。というか、空前絶後ではないだろうか。
北斗星用客車の中にも座席車改造の寝台車は存在するが、車体は作り替えられており、座席車の面影は全くない。

区分室と解放寝台の合造車と言うのも今となっては面白い組合せだが、こちらは木造客車から比較的よくみられたスタイルで、鋼製客車では以下のものがある。
マイロネフ37280(→マイロネフ37→マロネフ38→マロネフ58)
マロネ37480(→マロネ38)
マイロネフ37290(→マイロネフ38→スイロネ38→マロネ58・マロネフ59・14号御料車)
マイネ40(→マロネ40)
ナロネ22
これに後天的に改造されたマロネフ38-10が加わった形となる。

どれも個性的な窓配置で見た目に面白い客車だが、軽量客車のナロネ22と皇族用のマイロネフ37290は別格として、窓配置がそれぞれバラバラなのも面白いが、区分室部分の通路側にどれも三連窓があるのが面白い。

さすがに現代の北斗星用客車やカシオペア、トワイライトエクスプレスに比べたらおとなしいものだが、いわゆる旧形客車の中では食堂車と並んで窓配置を楽しめる部類だろう。

それにしても、マロネフ38 11は見飽きることのない客車だ。
ダブルルーフに縦リベットボディー、三軸ボギー台車という、威厳たっぷりの組合せに加え、どこかユーモラスな貫通幌蓋、窓から覗く区分室仕切り、旧二等座席部分の等間隔に並ぶ小窓など、見ていて楽しいのだ。
そして、近代史にリンクした激動の歴史があり、それを追う楽しさがある。
こんな客車がいるから旧形客車は面白い。

写真1枚目:急行「能登」の最後尾を勤めるマロネフ38。
二重屋根が歴史を感じさせる。
奥のスロ53やナハネ11とは歳の差20年以上。車両構造の世代でいくと2~3世代の差がある。
こんな組合せも旧客急行の面白さだ。
流山のぴょん太鉄道にて撮影。

写真2枚目:窓からみえる区分室仕切り。ニス塗りの廊下はヨーロッパの客車の様であり、一種のあこがれである。
こんな客車に乗ってみたかった。

写真3枚目:この客車の「顔」。
貫通幌蓋はこの客車独自のもの。
他に電車で非貫通の運転台との連結面で類似のものが見られたが、編成端で見られるのは「能登」使用時のマロネフ38形10番台のみだった。
東海道経由時代の「能登」のキャラクターにもなっている。

2011-01-11 08:47:28

夜汽車の客車たち(その35-1)

テーマ:夜汽車シリーズ
夜汽車の汽笛への憧情-DSC_0047.JPG

夜汽車の汽笛への憧情-DSC_0044.JPG

夜汽車の汽笛への憧情-DSC_0049.JPG

今回は波乱の運命をたどった珍車マロネフ38形10番台について書いてみる。
不可分の存在であるマヤ38や、マイフ29。また、類似の設備であるマロネフ58についても軽くふれることにする。

1.マロネフ38形10番台の概要
マロネフ38形は区分室と開放式の寝台を持つ二等C寝台緩急車である。
この形式自体が生まれたのは昭和29年の事であるが、車両自体は昭和5年生まれの戦前派である。
車体構造は当時標準であった車端部に絞りのあるもので、屋根は明かり採り窓の付いた二重屋根構造である。
溶接技術が未発達であるためリベットが多用されており、柱部分と車体裾、窓上下の補強帯にリベットがズラリと並び、鎧武者を思わせる厳つい外観となっている。
窓の天地サイズは735mm。幅は700mmの小窓である。

台車は当時の優等車標準のペンシルバニア型軸バネ式三軸ボギー台車のTR73を履く。

以上から、趣味的分類上はスハ32系にカテゴリされている。

さて、室内レイアウトは車体前後にデッキがあり、前からトイレ・洗面所。ツーリスト式の開放寝台が左右に3区画ずつ。給仕室と喫煙所、二人用区分室寝台が4室、洗面所、トイレ、車掌室となっている。
このような設備のため窓配置はバラバラであるのだが、特筆すべきは開放寝台部分の窓配置だ。
ツーリスト式の寝台車に見られるような二枚組の窓が並んでいるのではなく、まるで転換クロスシートの二等座席車の様に小窓が一枚ずつ等間隔に六つ並んでいるのだ。
ここで寝台車としては変わった窓配置の謎を解き明かすべく、この車両の歴史を追って行くことにしよう。

さて、この客車が誕生した昭和5年。
北海道の旭川には帝国陸軍の鎮守府が置かれていた。
鎮守府の司令官は親任官待遇のいわゆるVIPであるが、当時は航空機は一般的ではなく、所謂貴賓層は急行列車で移動していたのである。
そのため、セキュリティを考慮して主要な急行列車には区分室式の一等寝台車が連結されていた。
一方で、北海道の函館から旭川の間には大都市がほとんどないため、高価な一等寝台を利用する客が旭川の鎮守府の将校位しかおらず、1両でも供給過剰となることから、車両の半分だけ一等寝台とする客車が使用されたが、当時とある事故で在来の木造客車の安全性が疑問視され、優等車から鋼製化を進めており、函館と旭川を結ぶ急行列車にも鋼製の一等寝台車が製造されることになった。
そこで誕生したのが後にマロネフ38形10番台となるマイネロ37260である。
ここで注目すべきはマイロネではなく、マイネロ、つまり、一等寝台と二等座席の合造車という、珍しい組み合わせの設備を持つことであろう。等級の違う寝台同士や、逆に等級の同じ寝台と座席の組み合わせはそれほど珍しいものではなかったが、この組み合わせは当時としても異例であり、後にも同様の組み合わせは発生していない。
このため大変珍しい窓配置となったのである。
つまり、マロネフ38形10番台の開放寝台部分には元々二等座席が配置されていたのだ。
二等座席部分は当時スロ32と同様の転換クロスシートであった。

さて、誕生後のマイネロ37260は総勢4両が製造され、目的どおり函館~旭川の急行列車に使用されたが、昭和9年に利用の低迷していた一等寝台を、原則的に東海道・山陽本線以外は不連結とすることになった。そこで旭川鎮守府の高官向けに二等ながら区分室を設けて特別室としたマロネ37480(→マロネ38)が登場し、これに置き換えられてマイネロ37260は運用を離脱したのだった。

運用を離れたマイネロ37260は4両中3両が本州へ転属し、緩急設備を取り付けてマイネロフ37260となる。
たった4両の仲間は離ればなれとなり、団体・臨時用として車庫の片隅で休んでいることが多かった。

昭和10年に特別急行「不定期燕」が運転開始となった。「不定期燕」は昼間の列車であるが、特別急行には要人を運ぶため区分室を付ける事になっていた。
しかし、当時区分室付きの一等展望車が足りず、その代打としてマイネロフ37260が起用されることになった。
これに際して散らばっていたマイネロフ37260は名門品川客車区に集められ、天下の東海道本線の特別急行列車の殿を務めた訳である。
「不定期燕」は昭和15年に定期に格上げされ「鴎」となり、マイネロフ37260も定期特別急行の運用をこなすという栄誉を与えられたが、やがて区分室付きの一等展望車スイテ37050が登場するとお役御免となった。
そして再び車庫の片隅でのんびり過ごす毎日へ逆戻りとなったのである。

昭和16年の称号改正でマイネロ及びマイネロフ37260はマイネロ及びマイネロフ37となった。
余談だが国際航路連絡用として製造された一二等寝台車にマイロネフ37(元は37280)という形式があり、この称号改正によって混同しやすくなった。

さて、第二次対戦が始まるもマイネロフ37260には大きな動きはなかったが、終戦と共にたった4両の小世帯には波乱の運命が訪れる事となった。
マイネロフ、マイネロ37は進駐軍に接収され、車両の半分が区分室寝台という特徴を生かして、主に高級将校の巡察用に使用されることとなる。
転換クロスシートの二等室部分はラウンジ等に改造された。
唯一緩急設備のなかったマイネロ37はデッキを片方潰して密閉式の展望室とされ、昭和25年の返還時にも特別職用車マヤ57となった。
国鉄幹部の巡察用や外国人団体用として利用されたが、貧しい国内事情に配慮してか、試験車両マヤ37となった。後に称号改正でマヤ38 51となり、特別職用車の面影を残しつつ昭和45年に廃車となった。
一方で、他の3両はサンフランシスコ条約締結により優等車両の返還が行われるなか引き続き駐留軍貸渡し車両として使用され、そのまま昭和28年の称号改正を迎えてマイネロフ29となったが、昭和29年に2両、昭和30年に1両がようやく返還された。
このうちマイネロフ29 3は昭和30年7月の一等寝台廃止に伴い、二等室がラウンジに改造されたままであるこから一等車扱いとなってマイフ29になった。昭和30年11月になってようやく返還されるが、設備を復旧することも改造することもなくそのまま外国団体貸し切り用となるがほとんど使われる事もなく、昭和31年には台枠や機器の一部を新型の食堂車オシ17に提供して車生を閉じることとなった。
さて、残りは今回の主役となる2両である。
昭和29年に駐留軍より返還されるが、ラウンジとなっていた元二等室はツーリスト式の寝台を設けて二等寝室とし、既に利用の低迷していた一等寝台は室内の洗面台を撤去して折り畳み式テーブルを設置、二等寝室特別室として格下げ改造された。また、元給仕室を車掌室とし、代わりに車体中央に給仕室を新設。これに伴い唯一の四人用区分室は半分の二人用に変更され、更に喫煙所も設置した。
この結果、先に元マイロネフ37を格下げしたマロネフ38と類似の設備となったため、マロネフ38形に編入されてマロネフ38形10番台となった。
なお、マロネフ38形の基本番台である元マイロネフ37は二人用区分室を2つ、4人用区分室を一つもち、車両半分は元からツーリスト式の二等寝室で、戦前のマイロネフ37280時代は国際航路連絡列車として東京~敦賀港で使用された。
形式名も設備も似ているが、生い立ちは全くの別物で、同じマロネフ38になってからも同一運用とはならなかった。
また、こちらは格下げ時に洗面台を撤去せずそのままの設備となっていて、一等寝台廃止時には旧一等寝台扱いの二等A寝室とされ、形式もマロネフ58に変更された。

さて、格下げ改造を行ったためマロネフ38のまま残った10番台だが、設備が特殊であるためか団体臨時用となり、再び車庫の片隅で居眠りをする日々を送る事になる。
昭和31年にはマロネフ38 11は品川に、38 12は宮原に配置され、まさしく一族離散の状態となった。
なお、この期間に国際使節団の輸送列車に起用されている記録があり、さすがは元一等寝台というところだろうか。
さて、昭和32年から昭和34年にかけて旧一等寝台車が相次いで第一線を離脱し、団体臨時用になって隠居していくなか、昭和34年9月改正で突如としてマロネフ38にスポットが当たる事になる。
経緯は不明だが、東京から東海道線を通り、米原経由で金沢に向かう新設の急行「能登」に起用される事になったのである。
このため宮原にいたマロネフ38 12は品川に戻り、予備なしのフル稼働で定期運用に就くことになった。
特別急行「鴎」以来18年ぶり、マロネフ38となって以来最初にして最後の定期運用である。
なお、急行「能登」は「伊勢」「那智」と名古屋まで連結する珍しい三層建て列車で、編成の三ヵ所に優等車が散らばり、珍車マロネロ38も連結されるなどユニークな編成だった。また、マロネフ38が検査等で運用を離脱した場合は予備が無いことから全室ツーリスト式寝台のマロネフ29が代走したようだ。
なお、昭和35年6月に三等級制度が廃止となり、旧一等を廃止して等級を繰り上げたため、形式、設備そのままに名目上は一等寝台車となった。

さて、奇跡的な定期列車復帰を果たしたマロネフ38だが、既に軽量客車の10系が登場した後となっては二世代以上前の車体構造や設備ではさすがに古さは否めず、昭和36年10月改正でいよいよ後身に道を譲る事になった。後釜は走るホテルで名高い20系客車並みの設備を誇るオロネ10である。しかしながら実際にはオロネ10の製造が間に合わず、置き換わったのは昭和37年1月23日の事であった。

その後は再び団体臨時用として隠居生活となるが、他の旧一等寝台車が相次いで鬼籍入りするも生き延び続け、戦後うまれのマロネ40の半分以上が廃車になった昭和42年に2両とも廃車となり、波乱に満ちた歴史と共に戦前製の旧一等寝台車として最後の現役生活に終止符を打ったのだった。

予備の期間が長かったものの、北海道用として生まれながら天下の東海道で長く使用され、その歴史は栄華のあるものだったと言えるのではないだろうか。

続きます。

写真1枚目:開放寝室側のマロネフ38 11。
均等に並ぶ小窓は元二等室の名残であり、この車両の大きな特徴となっている。
二枚おきに見える室内の仕切りが寝台車である事を物語っている。

写真2枚目:区分室側。疎らに並ぶ小窓は区分室寝台の証し。一等寝台として生まれながら格下げ改造された珍しい存在である。
貫通路の蓋は急行「能登」時代のみに取り付けられていたものだが、戦後唯一の定期運用での姿を特徴付けるものとなっている。

写真3枚目:区分室の通路側の窓配置も旧形寝台車を楽しむポイントの一つ。
三連窓と二連窓が並ぶ姿はマロネ38やマロネ40にも通じる部分がある。
ドア横には一等車である事を示す大きな1の文字。昭和35年以降はC寝台ながら一等寝台として復帰という形になった。

Amebaおすすめキーワード

    アメーバに会員登録して、ブログをつくろう! powered by Ameba (アメーバ)|ブログを中心とした登録無料サイト