今回は、三等級制度下での一等寝台車のラストを飾り、その後の優等寝台車に多大な影響を与えた、進駐軍肝煎りのプルマン式寝台車、マロネ41についてかいてみる。
1.マロネ41の概要
マロネ41は昭和23年に紆余曲折を経て誕生したマイネ40の増備車として、昭和25年に進駐軍の要望により特別寝台車マイネ41として製造された、二等B寝台(→一等B寝台→A寝台)車である。
元々先輩格のマイネ40が製造された背景には、進駐軍の主体となった身体の大きなアメリカ人がゆったり使えるような寝台車を作れとの進駐軍の命令があった訳だが、当時の一等寝台車は区分室式が主であり、進駐軍自体の要望もあってマイネ40でも車両の半分を区分室・半分を開放型のプルマン式としていた。
しかし、区分室はあくまでバラ売りであり、区分室で見知らぬ人と相部屋になることも多々あった。
利用者の主体は個々のプライバシーを尊重するアメリカ人であり、いざ運用してみると区分室は不評だったのである。
そこで、マイネ41では全室を開放型のプルマン方式としている。
後に20系客車のナロネ21ではこれをベースに設計され、24系客車まで続く優等寝台車の基本形となった。
車体構造は製造の簡素化を狙い完全切妻構造としているが、デッキ側は従来の思想を受け継いで、ドア部分だけ狭いキノコ状のスタイルとしている。
床下に冷房装置を搭載し、風洞を通すためにマイネ40同様深い円柱状の高屋根となり、ユニットの出し入れをしやすい様に屋上にハッチが備えられている。
台車はスハ42から採用されている乗り心地の良いウイングバネ式のTR40Aを履く。
窓は寝台車としては初の1200mm幅の広い窓を採用。非常にゆったりとした雰囲気となった。
デッキドアは木製ながら従来に比べて大きな一枚窓で、デッキに立つ人の視線を考慮したものとなっている。
直後に鋼製のプレスドアが開発されたことから、このタイプのドアは同時期に登場したスロ60やスロ50、マロネ39のみに見られる珍しいタイプとなっている。
以上から趣味的分類上はスハ43系にカテゴリされる事が多いが、基幹形式であるスハ43より早い登場であることや、デッキ側妻板の形状がスハ42とスハ43の間の過渡的な形状となっているため、どの系列にも属さない独立した形式と捉える場合もある様だ。
設備は前述のとおりプルマン式寝台となっており、寝台は幅が約900mm、長さが1900mmの二段寝台である。下段は昼間は大形のボックスシートになり、上段は伝統的な舟形寝台である。
これが片側6区画あり、定員は24名と少なめである。
これは女性用と男性用に洗面所・トイレを分け、それぞれにゆったりとスペースを取っているからで(特に女性用洗面所は更衣室も兼ねた広いものになっている)、アメリカ人の思想を強く反映している。
ちなみにトイレは一般の客車では初の洋式となり、ここも進駐軍オーダーらしい仕様だ。
また、ほぼ同時期に同じく進駐軍の指示で誕生したスロ60と同様にデッキを一ヵ所としているが、デッキ反対側の車端部分は機器室と物置になっていて、機器室より内側に仕切り扉があるためか、貫通扉が存在しないのがマイネ41独特の構造である。
他に特筆すべきは、これまでの客車は内装の木の部分はニス塗りだったが、マイネ41では淡緑色のペンキ塗りを初めて採用。
これも進駐軍の指示に拠るものだったが、明るい車内になることから後に特別二等車を始めとして多くの客車に採用され、やがてそれが標準となっている。
ただし、マイネ40では室内照明が蛍光灯だったが、技術的に未熟でトラブルが多かったため、マイネ41では白熱灯になっている。
マイネ40に続いて冷房装置が搭載されているが、マイネ41では従来車軸の回転力をそのまま利用する直接駆動方式でなく、大容量の発電機を取付け、バッテリーを介して冷房装置自体の動力を電気とする方式となった。
ところが、国内に前例がなく、終戦直後で材料や技術が粗悪だったこともあり、初期には発電機のトラブルが多発したそうである。
製造数はマイネ40の増備車扱いだったこともあり、総勢12両の小世帯だった。
さて、登場直後は日本人が限定的にしか使用できない特別寝台車として軍用列車や東海道夜行の「銀河」「彗星」に連結された。程なくして日本人に名目上使用制限のない一等寝台車となっている。
以降マイネ40と共に「月光」を加えた東海道夜行で使用されるが、一等寝台車は高額故に利用が低迷した事を受け、昭和30年7月に設備そのままに二等寝台へ格下げされ、マイネ41からマロネ41となり、冷房車ということで二等B寝台車となった。
なお、一等寝台車を表すイネとして誕生した客車はこの時点マイネ41が最新であり、この事はマイネ41が最後の「イネ」となった事を意味する。
さて、マロネ41となった元マイネ41だが、この改正と同時に東京~博多間の急行「筑紫」に抜擢。マイネ時代から通して初の定期列車での九州乗り入れとなった。
ところが、初の長距離運転で冷房用の車軸発電機の故障が多発し、結局冷房シーズンが終わるまでマロネ40が代役を勤め、マロネ41は代わりに東海道夜行へ回されたのだった。
昭和31年の夏もマロネ40が代役を果たし、その秋の昭和31系11月には正式に「筑紫」はマロネ40が所定となったため、再び東海道夜行専業になった。
さらに昭和32年10月には急行「彗星」に3両も連結される事になり、予備を含めて2/3にあたる8両が「彗星」用となったため、ますます東海道夜行専業になった。
なお、この頃にマロネ41の特徴の一つだった男女別の洗面所と洋式トイレは、一般的な和式トイレとなり、洗面所も合わせて共用になっている。
さて、冷房付きの二等寝台としては最新鋭のマロネ41に転機がやってくる。
昭和33年に「あさかぜ」用として固定編成用客車20系が誕生し、マロネ41をベースにしたナロネ21が誕生する。
深い丸屋根に電動式の空調、全室プルマン式寝台等が受け継がれたが、特急用として製造されたため、直接的な影響は少なかった。
しかしながら、その翌年にナロネ21を急行用に一般型客車と連結できるようにアレンジしたオロネ10が誕生したのである。
オロネ10の第一陣が8両宮原客車区に投入されると、「彗星」のマロネ41を置換えた。
予備を含めて一気に8両が押出されて品川に移り、「銀河」や「月光」に使用の他、東京と浜田・大社を結ぶ「出雲」にも使用される。
ただし、マロネ41は大阪で切り離しとなり、やはり東海道限定の状態は変わらなかった。
昭和34年9月の改正で呉線経由で東京~広島を結ぶ急行「安芸」に就任。久々に山陽区間への進出となったが、車軸発電機の地道な改良のおかげでトラブルなく運用され、ようやく東海道限定の汚名返上となった。
それ以降、東海道夜行メインで微妙に連結両数や列車の変更はあったものの、大きな変化はない状態が続く。
昭和35年6月には二等級制へ移行。名目上従来の二等車が一等車となり、マロネ41も一等寝台となったがあくまで旧一等がクラス廃止となったものであるため、料金は変らず形式もマロネのままである。
さて、後輩のオロネ10が採用した、小型ディーゼル発電機で発電した電気で駆動する冷房機が安定してきたこともあり、昭和37年夏よりマロネ41もオロネ10の冷房装置をアレンジしたものを使用。電力も安定し、冷房装置のトラブルも格段に減少した。
また、時を前後してマロネ29を置換える形で大阪発都城行きの急行「日向」に投入され、数年ぶりの九州乗り入れとなった。
さて、この昭和37年から昭和39年にかけて、オロネ10と設備レベルを合わせるため近代化改造工事が行われる。
具体的には内装の更新、照明の蛍光灯化等だが、特筆すべきは台車の枕バネを空気バネへ交換してTR40Dとしたことだろう。
また昭和38年度から半数にあたる6両が窓のHゴム固定化・トイレ窓小型化等を行い、20番台となった事も特筆すべきである。この20番台はこの改造により新旧入り交じった不思議なスタイルとなった。
また、20番台の一部にはスロ60近代化改造車同様に雨樋を妻面に移したものも存在する。
さて、昭和39年10月。新幹線が開業し、マロネ41がメインで活躍してきた東海道夜行に激震が走った。
「彗星」を始めとした東海道夜行急行が順次姿を消し、「明星」と「銀河」が残るのみとなった。
夜行区間を東海道本線とする他の列車は残ったが、その運用はオロネ10に置換えられた。
一方で新幹線に連絡して九州方面に行く山陽夜行は活気をみせ、「夕月」や「海星」「音戸」など、マロネ41もそちらに活躍の場を移すのだった。
なお、東海道に残った「明星」「銀河」にはマロネ41が引続き使用された。
しかしながら、最後のイネとして頑張ってきたマロネ41も老朽化は避けられず、昭和45年に先輩格のマロネ40が引退。
そして昭和47年3月15日の改正でマロネ40の後を追う様にマロネ41も全ての定期運用から外れ、昭和49年に全車廃車。
三等級制で最後の一等寝台車を名乗ったマロネ41は22年間の波乱の歴史に終止符を打ったのだった。
2.我が家のマロネ41
我が家のマロネ41はキングスホビー製のキットを組んだものである。
細い事は組み立て記事を参照して頂くとして、ディテールはさすがのキングスホビーと言えるもので、真鍮製ながらプラ製の完成品に見劣りしないものとなっている。
内装は、寝台はキングスホビー製の大形クロスシートを使用。仕切りはデッキ仕切りを除いて自作である。
昭和30年代前半をモデルとしており、塗装はいつもどおりブドウ色1号の代わりにブドウ色2号。等級帯は青で、等級表示が帯に付き、所属表記は形式の上にあるタイプだ。
空調用の蓋を塗り分けているが実車を見ると昭和30年代前半頃は蒸気機関車の煙で屋根とほぼ同色になっているものも見られ、塗り分けしなくてもよかったかもしれない。
我が家への導入目的は東海道夜行全般で、主に「銀河」「彗星」「月光」を予定しているが、昭和34年からの「安芸」や昭和31年頃の「早鞆」「筑紫」にも使用できる。
マロネ41は東海道夜行を組成する上でなくてはならないアイテムなのである。
なお、将来的には青15になり窓をHゴムとした20番台や一等寝台時代のマイネ41のほか、今回組んだのと同仕様のものを2両追加する予定だ。
悩ましいのが昭和34年後期から昭和39年にかけてで、この5年間は目まぐるしく形態が変わる(
昭和34年6月~ブドウ色2号・青帯・等級表記なし。
昭和36年7月~淡緑帯化。
昭和37年夏~冷房装置ディーゼル発電機化。
昭和37年~39年、近代化改造(空気バネ化)。昭和38年から一部20番台に。
昭和39年秋~青15号化。
)ため、どうしたものか悩みどころである。
また、昭和44年以降の等級帯なしA寝台表記も気になるが、ここまでくるとキリがないか。
3.マロネ41つれづれ
マロネ41の特徴と言えば、深い丸屋根にゆったり並ぶ広い窓。どこか現代のブルトレ用客車の原形を思わせる風貌で、現代の客車ファンにも取っ付き易いスタイルではないだろうか。
実は「マロネ」と言う存在を初めて知ったのは高校時代にとある本で見たイラストのマロネ41の20番台で、そこにはシル・ヘッダーの間にHゴム固定窓をはめ込んだ独特の姿が書かれていた。
ずいぶん珍妙なスタイルに見えたがインパクトは強く、「マロネ」と言えば連想するのが暫くはこれだった。
後に静態保存のマロネ40を見ているのだが、依然マロネ41が私の中の旧型寝台車の代名詞だったのである。
それが崩れたのは夜汽車の世界に足を突っ込んだ2年ほど前で、その頃に初めて実車の原形窓車の写真を見てスマートな姿に感心したものだった。
そのスマートさ故に灰汁の強い戦前形の寝台車にはインパクトでは一歩譲るものの、我が家では編成を引き立てるアイテムとして活躍していく事だろう。
写真1枚目:いかにも寝台車然としたスタイルのマロネ41。
旧客の寝台車といえばこれを思い出す人も多いのではなかろうか。大きなドア窓とキノコ状の妻板も特徴的だ。
写真2枚目:手前側は男性用トイレと洗面所である。緑色の仕切りが目立つ。
写真3枚目:女性用洗面所はこちら側。広いスペースが取られているのが判る。