2010-05-24 08:35:09

昭和3年称号改正

テーマ:夜汽車シリーズ
鋼製客車の量産に伴い、昭和3年10月に称号改正が行われた。
従来は鋼製車も木造車の続番だったが、木造車を29999以下にまとめ、鋼製車は二軸ボギーが30000~36999、三軸ボギーが37000~となった。

2010-05-19 21:24:24

夜汽車の客車たち(その33)

テーマ:夜汽車シリーズ
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今回は、三等級制度下での一等寝台車のラストを飾り、その後の優等寝台車に多大な影響を与えた、進駐軍肝煎りのプルマン式寝台車、マロネ41についてかいてみる。

1.マロネ41の概要
マロネ41は昭和23年に紆余曲折を経て誕生したマイネ40の増備車として、昭和25年に進駐軍の要望により特別寝台車マイネ41として製造された、二等B寝台(→一等B寝台→A寝台)車である。
元々先輩格のマイネ40が製造された背景には、進駐軍の主体となった身体の大きなアメリカ人がゆったり使えるような寝台車を作れとの進駐軍の命令があった訳だが、当時の一等寝台車は区分室式が主であり、進駐軍自体の要望もあってマイネ40でも車両の半分を区分室・半分を開放型のプルマン式としていた。
しかし、区分室はあくまでバラ売りであり、区分室で見知らぬ人と相部屋になることも多々あった。
利用者の主体は個々のプライバシーを尊重するアメリカ人であり、いざ運用してみると区分室は不評だったのである。
そこで、マイネ41では全室を開放型のプルマン方式としている。
後に20系客車のナロネ21ではこれをベースに設計され、24系客車まで続く優等寝台車の基本形となった。

車体構造は製造の簡素化を狙い完全切妻構造としているが、デッキ側は従来の思想を受け継いで、ドア部分だけ狭いキノコ状のスタイルとしている。
床下に冷房装置を搭載し、風洞を通すためにマイネ40同様深い円柱状の高屋根となり、ユニットの出し入れをしやすい様に屋上にハッチが備えられている。
台車はスハ42から採用されている乗り心地の良いウイングバネ式のTR40Aを履く。
窓は寝台車としては初の1200mm幅の広い窓を採用。非常にゆったりとした雰囲気となった。
デッキドアは木製ながら従来に比べて大きな一枚窓で、デッキに立つ人の視線を考慮したものとなっている。
直後に鋼製のプレスドアが開発されたことから、このタイプのドアは同時期に登場したスロ60やスロ50、マロネ39のみに見られる珍しいタイプとなっている。

以上から趣味的分類上はスハ43系にカテゴリされる事が多いが、基幹形式であるスハ43より早い登場であることや、デッキ側妻板の形状がスハ42とスハ43の間の過渡的な形状となっているため、どの系列にも属さない独立した形式と捉える場合もある様だ。

設備は前述のとおりプルマン式寝台となっており、寝台は幅が約900mm、長さが1900mmの二段寝台である。下段は昼間は大形のボックスシートになり、上段は伝統的な舟形寝台である。
これが片側6区画あり、定員は24名と少なめである。
これは女性用と男性用に洗面所・トイレを分け、それぞれにゆったりとスペースを取っているからで(特に女性用洗面所は更衣室も兼ねた広いものになっている)、アメリカ人の思想を強く反映している。
ちなみにトイレは一般の客車では初の洋式となり、ここも進駐軍オーダーらしい仕様だ。
また、ほぼ同時期に同じく進駐軍の指示で誕生したスロ60と同様にデッキを一ヵ所としているが、デッキ反対側の車端部分は機器室と物置になっていて、機器室より内側に仕切り扉があるためか、貫通扉が存在しないのがマイネ41独特の構造である。

他に特筆すべきは、これまでの客車は内装の木の部分はニス塗りだったが、マイネ41では淡緑色のペンキ塗りを初めて採用。
これも進駐軍の指示に拠るものだったが、明るい車内になることから後に特別二等車を始めとして多くの客車に採用され、やがてそれが標準となっている。
ただし、マイネ40では室内照明が蛍光灯だったが、技術的に未熟でトラブルが多かったため、マイネ41では白熱灯になっている。

マイネ40に続いて冷房装置が搭載されているが、マイネ41では従来車軸の回転力をそのまま利用する直接駆動方式でなく、大容量の発電機を取付け、バッテリーを介して冷房装置自体の動力を電気とする方式となった。
ところが、国内に前例がなく、終戦直後で材料や技術が粗悪だったこともあり、初期には発電機のトラブルが多発したそうである。

製造数はマイネ40の増備車扱いだったこともあり、総勢12両の小世帯だった。

さて、登場直後は日本人が限定的にしか使用できない特別寝台車として軍用列車や東海道夜行の「銀河」「彗星」に連結された。程なくして日本人に名目上使用制限のない一等寝台車となっている。
以降マイネ40と共に「月光」を加えた東海道夜行で使用されるが、一等寝台車は高額故に利用が低迷した事を受け、昭和30年7月に設備そのままに二等寝台へ格下げされ、マイネ41からマロネ41となり、冷房車ということで二等B寝台車となった。
なお、一等寝台車を表すイネとして誕生した客車はこの時点マイネ41が最新であり、この事はマイネ41が最後の「イネ」となった事を意味する。

さて、マロネ41となった元マイネ41だが、この改正と同時に東京~博多間の急行「筑紫」に抜擢。マイネ時代から通して初の定期列車での九州乗り入れとなった。
ところが、初の長距離運転で冷房用の車軸発電機の故障が多発し、結局冷房シーズンが終わるまでマロネ40が代役を勤め、マロネ41は代わりに東海道夜行へ回されたのだった。

昭和31年の夏もマロネ40が代役を果たし、その秋の昭和31系11月には正式に「筑紫」はマロネ40が所定となったため、再び東海道夜行専業になった。
さらに昭和32年10月には急行「彗星」に3両も連結される事になり、予備を含めて2/3にあたる8両が「彗星」用となったため、ますます東海道夜行専業になった。
なお、この頃にマロネ41の特徴の一つだった男女別の洗面所と洋式トイレは、一般的な和式トイレとなり、洗面所も合わせて共用になっている。

さて、冷房付きの二等寝台としては最新鋭のマロネ41に転機がやってくる。
昭和33年に「あさかぜ」用として固定編成用客車20系が誕生し、マロネ41をベースにしたナロネ21が誕生する。
深い丸屋根に電動式の空調、全室プルマン式寝台等が受け継がれたが、特急用として製造されたため、直接的な影響は少なかった。
しかしながら、その翌年にナロネ21を急行用に一般型客車と連結できるようにアレンジしたオロネ10が誕生したのである。
オロネ10の第一陣が8両宮原客車区に投入されると、「彗星」のマロネ41を置換えた。
予備を含めて一気に8両が押出されて品川に移り、「銀河」や「月光」に使用の他、東京と浜田・大社を結ぶ「出雲」にも使用される。
ただし、マロネ41は大阪で切り離しとなり、やはり東海道限定の状態は変わらなかった。
昭和34年9月の改正で呉線経由で東京~広島を結ぶ急行「安芸」に就任。久々に山陽区間への進出となったが、車軸発電機の地道な改良のおかげでトラブルなく運用され、ようやく東海道限定の汚名返上となった。

それ以降、東海道夜行メインで微妙に連結両数や列車の変更はあったものの、大きな変化はない状態が続く。
昭和35年6月には二等級制へ移行。名目上従来の二等車が一等車となり、マロネ41も一等寝台となったがあくまで旧一等がクラス廃止となったものであるため、料金は変らず形式もマロネのままである。

さて、後輩のオロネ10が採用した、小型ディーゼル発電機で発電した電気で駆動する冷房機が安定してきたこともあり、昭和37年夏よりマロネ41もオロネ10の冷房装置をアレンジしたものを使用。電力も安定し、冷房装置のトラブルも格段に減少した。
また、時を前後してマロネ29を置換える形で大阪発都城行きの急行「日向」に投入され、数年ぶりの九州乗り入れとなった。

さて、この昭和37年から昭和39年にかけて、オロネ10と設備レベルを合わせるため近代化改造工事が行われる。
具体的には内装の更新、照明の蛍光灯化等だが、特筆すべきは台車の枕バネを空気バネへ交換してTR40Dとしたことだろう。
また昭和38年度から半数にあたる6両が窓のHゴム固定化・トイレ窓小型化等を行い、20番台となった事も特筆すべきである。この20番台はこの改造により新旧入り交じった不思議なスタイルとなった。
また、20番台の一部にはスロ60近代化改造車同様に雨樋を妻面に移したものも存在する。

さて、昭和39年10月。新幹線が開業し、マロネ41がメインで活躍してきた東海道夜行に激震が走った。
「彗星」を始めとした東海道夜行急行が順次姿を消し、「明星」と「銀河」が残るのみとなった。
夜行区間を東海道本線とする他の列車は残ったが、その運用はオロネ10に置換えられた。
一方で新幹線に連絡して九州方面に行く山陽夜行は活気をみせ、「夕月」や「海星」「音戸」など、マロネ41もそちらに活躍の場を移すのだった。
なお、東海道に残った「明星」「銀河」にはマロネ41が引続き使用された。

しかしながら、最後のイネとして頑張ってきたマロネ41も老朽化は避けられず、昭和45年に先輩格のマロネ40が引退。
そして昭和47年3月15日の改正でマロネ40の後を追う様にマロネ41も全ての定期運用から外れ、昭和49年に全車廃車。
三等級制で最後の一等寝台車を名乗ったマロネ41は22年間の波乱の歴史に終止符を打ったのだった。


2.我が家のマロネ41
我が家のマロネ41はキングスホビー製のキットを組んだものである。
細い事は組み立て記事を参照して頂くとして、ディテールはさすがのキングスホビーと言えるもので、真鍮製ながらプラ製の完成品に見劣りしないものとなっている。
内装は、寝台はキングスホビー製の大形クロスシートを使用。仕切りはデッキ仕切りを除いて自作である。
昭和30年代前半をモデルとしており、塗装はいつもどおりブドウ色1号の代わりにブドウ色2号。等級帯は青で、等級表示が帯に付き、所属表記は形式の上にあるタイプだ。

空調用の蓋を塗り分けているが実車を見ると昭和30年代前半頃は蒸気機関車の煙で屋根とほぼ同色になっているものも見られ、塗り分けしなくてもよかったかもしれない。

我が家への導入目的は東海道夜行全般で、主に「銀河」「彗星」「月光」を予定しているが、昭和34年からの「安芸」や昭和31年頃の「早鞆」「筑紫」にも使用できる。
マロネ41は東海道夜行を組成する上でなくてはならないアイテムなのである。

なお、将来的には青15になり窓をHゴムとした20番台や一等寝台時代のマイネ41のほか、今回組んだのと同仕様のものを2両追加する予定だ。
悩ましいのが昭和34年後期から昭和39年にかけてで、この5年間は目まぐるしく形態が変わる(
昭和34年6月~ブドウ色2号・青帯・等級表記なし。
昭和36年7月~淡緑帯化。
昭和37年夏~冷房装置ディーゼル発電機化。
昭和37年~39年、近代化改造(空気バネ化)。昭和38年から一部20番台に。
昭和39年秋~青15号化。
)ため、どうしたものか悩みどころである。
また、昭和44年以降の等級帯なしA寝台表記も気になるが、ここまでくるとキリがないか。

3.マロネ41つれづれ
マロネ41の特徴と言えば、深い丸屋根にゆったり並ぶ広い窓。どこか現代のブルトレ用客車の原形を思わせる風貌で、現代の客車ファンにも取っ付き易いスタイルではないだろうか。
実は「マロネ」と言う存在を初めて知ったのは高校時代にとある本で見たイラストのマロネ41の20番台で、そこにはシル・ヘッダーの間にHゴム固定窓をはめ込んだ独特の姿が書かれていた。
ずいぶん珍妙なスタイルに見えたがインパクトは強く、「マロネ」と言えば連想するのが暫くはこれだった。
後に静態保存のマロネ40を見ているのだが、依然マロネ41が私の中の旧型寝台車の代名詞だったのである。
それが崩れたのは夜汽車の世界に足を突っ込んだ2年ほど前で、その頃に初めて実車の原形窓車の写真を見てスマートな姿に感心したものだった。

そのスマートさ故に灰汁の強い戦前形の寝台車にはインパクトでは一歩譲るものの、我が家では編成を引き立てるアイテムとして活躍していく事だろう。

写真1枚目:いかにも寝台車然としたスタイルのマロネ41。
旧客の寝台車といえばこれを思い出す人も多いのではなかろうか。大きなドア窓とキノコ状の妻板も特徴的だ。

写真2枚目:手前側は男性用トイレと洗面所である。緑色の仕切りが目立つ。

写真3枚目:女性用洗面所はこちら側。広いスペースが取られているのが判る。
2010-05-18 23:20:35

マロネ41を組み立てる。

テーマ:夜汽車シリーズ
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前回紹介したマロネ48と一緒にマロネ41のキットも買ってきて組み立てた。

マロネ41について軽く解説すると、昭和25年に進駐軍の要請により一等寝台車マイネ41として製造された客車で、寝台は鋼製の一等寝台としては初の全室プルマン式となっている。
冷房装置を最初から装備しているため、現代の寝台車の様な円柱状の高屋根が特徴である。
また、寝台車としては初めて1200mm幅の広い窓を採用し、従来の寝台車よりスッキリした外観になっている。

さて、マロネ41は時代によって細く形態をかえているが、今回組むのは比較的原形に近い昭和30年前後である。
この時代のマロネ41は東海道夜行中心に活躍しており、再現に必要な編成も多い。

さて、キットは屋根折り曲げ済みの一体型ボディーとなっていて、例によって雨樋は別に貼る方式。
雨樋はいままで板の端を合わせてクリップで位置決めしていたが、その方法が使えない。つまり、シビアな位置決めをする必要がある事を意味する。
しかしながら、瞬間接着剤は文字通り瞬時に固まってしまうので位置決めは不可能に近い。やや先行で組んだマロネ48で痛い目にあったばかりである。
そこでどうしたものかと悩んでいたら、「黒い瞬間接着剤」に行き着いた。
これは硬化開始が従来の接着剤並の余裕時間があり、硬化後には瞬間接着剤並の接着強度があるすぐれもの。
しかも可塑性が高いので食み出しても削るのが楽で、はがし液でも綺麗に拭き取れるすぐれものだ。
早速雨樋張りに使ってみたが、従来より遥かに楽に取り付けることができた。
少々高価たがメリットは絶大だ。
さらに嬉しいのが、位置決めをできるので少し多めに塗って強度を確保できるのと、粘性があるため流れすぎることもない。
おそらくだが耐衝撃性もあるのではないかと思う。

さて、難関の雨樋をクリアすると、内張りを入れた後例によってドア作りがある。
今回は原形の木製大窓を選択。
キットには晩年のマロネ41 5に付いていたと言う木製高窓パーツも付いている。

マロネ41は車体側面に縦樋があるのも特徴。
デッキ側はキノコの傘になる部分に縦樋が斜めに浮いて走っているが、キットではそれもきちんと表現している。
こればかりはプラにはできない芸当だろう。無論、慎重な折り曲げ作業が必要である。

ドアを差し込んで真鍮製の妻板を車体に接着すれば箱のできあがり。
瞬間接着剤がはみ出した部分は接着剤はがしを使って拭き取ってやる。
これが普通の瞬間接着剤だとガム状になってなかなかとれないのだが、「黒い瞬間接着剤」はスッキリと取れてくれる。
これは本当に助かる。

お次は床下の組み立てだ。

マロネ41は床板も真鍮製である。
折り曲げて淵を作り、床下機器を接着する。
床下機器はプラ製のものと真鍮製のものがあり、電池箱と冷房装置、車軸発電機は真鍮製になっている。
また、ボルスタも真鍮製パーツを畳んで取り付ける形となっている。
通常は床下はさほど手間と言う訳でもないのだが、これは結構手間がかかる。

ここまで組み上がったら今度は塗装だ。

まずはプライマーを塗り、そのつぎはサーフェイサーを吹く。

その後はまず車体をマスキングして屋根を塗る。
空調蓋を塗り分けるため、いったんダーググレーを塗った後、空調蓋以外をマスキングしてネズミ色1号で空調蓋を塗装。

あとはそのまま空調蓋をマスキングして今度は車体の塗装である。
いつもどおりハワイアンブルーを塗った後、1mm幅のマスキングテープで帯のマスキングを行い、ブドウ色2号を吹く。
じっくり乾かした後にゆっくりとマスキングテープを剥せば、いよいよ客車らしい風貌になる。
ちなみに、メタルプライマーが不十分だったせいか、屋根の一部の塗装がはがれてしまった。
メタルプライマーは透明なので、十分に塗れたかどうか判りにくい。
後でブドウ色の部分もはがれてタッチアップするハメになったので、ちゃんと塗れたと思っても手抜きをせずに二度塗りしたほうが良さそうだ。

ちなみに先行着手ながら余分な接着剤剥がしに時間がかかり、塗装は後になったマロネ48ではこの反省を行かして二度塗りを行ったおかげか、塗装の剥がれは発生していない。

床下はプライマーの後黒で塗装である。

デッキ仕切りは構造上スプレーにするとマスキングが面倒なため筆塗りである。

塗装が終わったら窓の取り付けだ。
トイレ・洗面所の窓はヤスリを使ってスリガラスとして貼り付け。
マロネ41は窓間隔が非常に広いので、取り付けも楽である。

窓を貼ったら今度はいよいよインレタを付けてる。
二等表記と所属表記はレボリューションファクトリー製。他はグリーンマックス製のものを組み合わせて使う。
あとは床板に台車を付けてやればこれでキットとしては完成である。

が、それで終わらないのが私流。ここからお楽しみの内装作りだ。
キングスホビーの大形クロスシートを使うのだが、説明書に椅子は2.2mm嵩上げする旨書いてある。
そこで、2mmのプラ角棒に0.3mmのプラシートを貼って椅子板を作り、その上にいつもの要領で椅子や仕切りを乗せて行く。
マロネ41は昼間には区画の仕切り板が座席に収納される構造になっているが、寝台車らしい雰囲気を出すためプラ板で仕切り板を作る事にした。
仕切り板は薄緑色に塗られるので結構目立ち、視覚効果もバッチリである。
他の仕切り類も薄緑に塗装する。
椅子は赤2号とした。
ロングシート状の喫煙室座席と給仕室の座席は三等カラーの緑で塗るが、実際の色は不明である。

客室仕切りと区分室仕切りはいつもの方法で作製。これが一番手間の掛かる作業だ。
給仕室にはドア横に小さな棚があるのでそれも作ってみた。

あとはそれぞれを現物の窓配置に合わせて椅子板に接着。
内装を入れると模型の客車が生き生きして来る様に感じるから面白い。

という訳で、晴れて完成である。

マロネ48に比べたらずいぶんあっさりと完成した様に思える。
接着剤もそうだが、元々キット自体もマロネ48に比べれば単純な構成と言うこともあろう。

とにかく楽しみな車両が増えたことには間違いない。


写真1枚目:組み立て中のマロネ41。
内張りを入れただけの状態である。一体型ボディーというのがよく判る。

写真2枚目:外装が終わった状態。
車内はガランドウだ。
写真3枚目:完成した姿。車内仕切りが大きな窓からよく見える。
2010-05-13 23:40:48

夜汽車の客車たち(その32)

テーマ:夜汽車シリーズ
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久々の今回は鋼製の一等寝台車のトップバッターであるマロネ48について書いてみる。

1.マロネ48の概要
マロネ48は昭和3年に一等寝台車マイネ48120形として誕生した寝台車である。
全長は20m、明かり取り窓を屋根に持つ二重屋根であり、車端には絞りがある。
鋼製客車としては最初のグループであるため木造客車の設計思想を色濃く残しており、台枠は頑丈な魚腹構造。車体は溶接技術が未発達であるため窓柱毎に縦リベットが並び、さらに車体裾とシル・ヘッダーにもリベットが並ぶ鎧武者の様な出立ちである。
窓の天地幅は660mmで、台車は釣合い梁式で乗り心地の良いとされる三軸ボギー台車のTR-71を履く。
以上から趣味的分類上はオハ31系に属している。

室内は全区分室となっていて、4人用区分室が3つ、2人用区分室が4つの定員20名となっている。
この他にデッキとトイレが2箇所づつあり、さらに給仕室・喫煙室・物置があるが、洗面所はない。
これは、昭和初期の時代背景として、一等寝台車自体が最上級グレードの車両であり、諸侯や華族、代議士、上級将校、企業の役員などの上流層に事実上限られていた事による。
そしてこれら一等客のTPOとして、公の場で洗面等の私的な姿を見せるのははしたないと言うのがあり、一等区分室内には必ず折畳み式の洗面台が用意されていたのである。

なお、需要の関係で一等寝台車が使用できる線区や列車が限られることから、総勢は僅か8両だった。

さて、登場後は東京~神戸間の急行15,16列車や上野~青森の北海道連絡急行201,202列車に使用された。

誕生後僅か約半年の昭和3年10月に鋼製客車に対応するための称号改正があり、マイネ48120からマイネ37100に形式が変更されている。
また、ほぼ同時期から昭和6年頃にかけてブレーキが真空式からAV式に変わり、これに伴い屋根にあった水タンクを床下に移設し、圧縮空気で揚水するように改められた。

昭和9年に一等車を東海道・山陽本線以外不連結としたことから、優等車両ばかりの連結で名士列車の異名を持つ東京~神戸間の一二等夜行急行17,18列車にメインで使用されるようになった他、特別急行「富士」に増結車として使用されたりした様だ。
なお、この他に東京~下関の急行7,8列車にも使用したとの説もある。

さて、鋼製客車の形式増加で番号に余裕がなくなったことから、昭和16年にはまたもや称号改正があり、マイネ37に名称変更している。

この頃から世の中が戦時体制となり、輸送力強化のため優等車両の運行を順次とりやめ三等車への改造も行われるなか、マイネ37も全車が格下げ対象となりマイネ37 2,4が改造されてマハ37となったものの、他については結局改造を行うことなく戦争が終了した。
結局6両が戦火を逃れて一等寝台車のまま生き延びたのである。
当然の事ながら全車が進駐軍に接収されて、軍の将校等の輸送に使われる事になった。
接収時代の動きについて詳細は不明であるが、その後の特殊列車1005,1006列車に使われている事から、おそらく東京~下関間(後に佐世保まで延長)の軍専用列車「Allied limited(連合軍特急)」に使ったものと推測する。

さて、講話条約により接収された客車は順次返還されるが、マイネ37の返還時期は不明である。
上でも書いたとおり、「Allied limited」が昭和27年10月から日本人も限定的ながら使用できる特殊列車1005,1006列車になると同時に使用されていることから、それに合わせて返還されたと推測している。

さて、昭和16年の称号改正以降、形式番号の下一桁が7~9については三軸ボギー車を割り当てていたが、戦後に技術の進展で二軸ボギー台車でも三軸ボギー台車並の乗り心地が確保できる様になり三軸ボギー車が打ち止めとなった。その一方で二軸ボギー車は増加の一途であったことから、昭和28年に形式の下一桁の7を二軸ボギー車に明け渡すための称号改正が行われた。
マイネ37も改形式の対象となり、マイネ29に変更された。
これで誕生してから大きな変更もなく3度の形式変更を経験したことになる。

昭和29年10月に特殊列車1005,1006列車は列車番号そのままに、日本人が制限なく利用できる急行「早鞆」となり、運転区間も博多までとなるが、マイネ29は引続き使用された。
ちなみにこの急行「早鞆」は特殊列車の面影を色濃く残した豪華編成で、一等車と二等車だけで構成されていた。まるで戦前の名士列車の様である。

さて、三等車の6倍の運賃とそれに加えた料金が必要な一等寝台車の利用率は高価故に思わしくない一方で、徐々に所得水準が上がってきたこともあり二等寝台車は大盛況だった。そこで、昭和30年7月に一等寝台を廃止し、設備そのままに二等寝台へ編入することになった。つまり値下げなのだが、客車は設備そのままに格下げされ、最高ステータスを誇るイネからロネになり、マイネ29からマロネ48と生涯四度目の改形式となった。
なお、旧一等寝台のうち、洗面台を持つ区分室寝台を二等A寝台、開放式で冷房付きのものを二等B寝台、洗面台のない区分室式を含めたその他を二等C寝台とランクされ、設備の差による「格の違い」は保持されることになった。

さて、マロネ48になった時点で「早鞆」から外れ、定期運用がなくなったものの、昭和30年冬頃からマロネ40の改造のため代走として「早鞆」に復帰している。
余談だが、この時の「早鞆」は三等車も連結した名実共に普通の急行列車になっていたが、二等寝台が4両連結される等、軍専用列車の面影は残していた。
冷房使用シーズン前に本来のマロネ40に戻って運用がなくなったが、昭和31年11月の改正で急行「早鞆」が経由変更して「筑紫」になったと同時に、今度は定期運用として復帰。
車齢28年にして第一線へ復帰である。
戦後製の冷房車マロネ40やマロネ41や、新型の軽量客車10系に伍して「筑紫」運用を約2年勤めたが、昭和33年10月改正で永年働いた「Allied limited」をルーツとする「早鞆」→「筑紫」から外れ、東京~大阪間の急行「月光」に使用された。
ある意味戦前の急行15,16列車時代の原点に戻ったと言えるだろうか。
華の東海道夜行で老骨に鞭を振って頑張っていたが、約半年後の昭和34年4月に、新製された新型のオロネ10により「彗星」から追い出されたマロネ41に道を譲り、ついに定期運用から退く事になった。
なお、この間に当時大評判の九州特急「平和」にもイレギュラーながらマロネ40の代走として登板したのは特筆すべきであろう。
特急列車とは縁の薄い同形式だが、こんな晴れ舞台もあったのである。

さて、定期運用を失ったマロネ48は団体・臨時用として余生を過ごすことになった。

昭和35年6月の二等級制移行に伴い、名目上一等寝台車に復帰するが、形式はそのままだった。

誕生から住み慣れた品川客車区の片隅で後輩達の活躍を見守っていたが、いよいよ昭和36年に廃車が始まり、昭和37年9月までに6両全てが廃車となって、当時の優等用客車としては長寿の34年間の歴史に幕を閉じたのだった。
ほとんど急行用ながらも東海道の上級グレード車として長く君臨し、その歴史は輝かしいものだったと言って良いだろう。

余談だが、マハ37に改造された2両のうち1両は戦災で廃車になったが、もう一両は称号改正でマハ29となり普通列車で活躍。晩年は清水港線で過ごし、マロネ48より遅い昭和39年まで生き延びたそうだ。


2.我が家のマロネ48
我が家のマロネ48はキングスホビー製のキットを組み立てたものである。詳しくは組み立て記事を見ていただくとして、天地幅の狭い窓、ビッシリ並ぶリベットなど、威厳に満ちたスタイルをよく表現している。
組み立て時にミスして通路側の側板に歪みがでてしまったのが残念。
(車齢27年以上たった姿なのであるいみリアルとも言えるがw)

表記・帯は昭和30年7月から昭和34年までの様式で、本来ブドウ色1号のところを例によってブドウ色2号で代用している。

ナンバーはマロネ48のラストとなる6番とした。
マロネ48は昭和20年代後半から30年代頭にかけてドアを交換しており、半数の2,3,6はマロネ40に使用されたような桟のない高窓のドアとなっている。

なお、実車は昭和20年代の入場の際に車体裾のリベットが消えているが、キットは原形のままでリベットが存在している。削ることも考えたが、上手い工法が思い付かなかったため見送った。

室内はキット附属の区分室仕切りと自作の寝台の組み合わせでマロネ48の特徴である区分室を再現。木製の仕切りが車内全体に渡り、通路側から見ると茶色の仕切りがチラチラと見えるのがヨーロッパの寝台車の様な風情をだしている。

さて、我が家のマロネ48は実物同様、九州急行の「早鞆」「筑紫」、東海道夜行の「月光」に使用する予定。
もちろん夜行特急「平和」のイレギュラー編成も再現してみたいと思う。

余談ながら、元々このマロネ48は購入リストでも優先順位が低かったのだが、増備の結果「筑紫」及び「月光」の編成がこのマロネ48を入れることで組む事ができる様になったことから大幅に順位を繰り上げる事になったものだ。それに、オール二等A寝台というのは、やはり漢のロマンを感じるのである。

余談たが、マロネ48は昭和3年製。実車レベル見ると我が家では昭和5年製のマロネフ49を抜いて最長老である。


3.マロネ48つれづれ
マロネ48を初めて知ったのは、旧一等寝台の動きについて解説したサイトである。
車齢が高いにもかかわらず定期列車、しかも東京~博多間の列車に現役復帰を果たし、その後3年半も活躍したという文章を見て興味が湧いたのだが、その時点では写真等を見た訳ではなかった。
その後とあるサイトでマロネ48の写真を見るのだが、その渋さに思わず見入ってしまった。
それまでオハ31系と言うと、津軽鉄道のストーブ列車や小振りな車体でC11等に牽かれたローカル用の客車と言う、まさにオハ31自体の印象が非常に強かったのだが、20mの大形車体に3軸ボギー台車を履き、おびただしいリベットに小さな窓が疎らに並ぶ姿は威厳に満ちてかつ装甲車のような物々しい雰囲気があり、何とも形容しがたい強いインパクトだったのである。
ただ、マロネ49等のスハ32系グループに比べてやはり窓の天地幅が小さくどこか垢抜けない雰囲気で、さほど惚れ込んだという訳でもなかった。
しかしながら、これが見れば見るほど味わいがある様に感じるから不思議なもので、スハ32系グループほど洗練されていないが、かえってその武骨な感じが素晴らしく思える様になった。

我が家には全室区分室の旧一等寝台車としてはマロネフ49が既に存在するが、製造年が2年違うだけでコンセプトが色々異なっていて、その対比もなかなか面白い。
通路側の窓はマロネフ49は区分室に合わせて3連窓が並び、明るい雰囲気だが、マロネ48は2連窓がほぼ等間隔でならび、ぱっと見るとツーリスト式寝台車のマロネ29のような雰囲気だ。
そんな所もこの客車を見る上での楽しさである。
ちなみにマロネフ49はかつて名士列車で隣りに連結された仲である。

これからはマロネフ49やマロネ40と共に我が家の客車列車のフラグシップとして活躍することになろう。

次回は一等寝台の最後を飾ったマロネ41について書く予定です。

写真1枚目:通路側から見たマロネ48。
茶色の仕切りが窓越しによく見える。
2連窓がゆったり並び、マロネ29等に似た雰囲気である。

写真2枚目:逆サイドからみた通路側。こちらは二人用区分室が並び、やや窓配置が不規則になっている。
車内の仕切りの窓越しに緑色のシートモケットや白のヘッドカバーが見える。

写真3枚目:客室側のマロネ48。不規則に並ぶ窓が最高級グレードである区分室式寝台車の証しである。
オハ31系の特徴であるおびただしい数のリベットに小さな窓が、こちらのサイドだとより強調されて見える。
2010-05-08 23:07:06

マロネ48を組み立てる

テーマ:夜汽車シリーズ
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財政事情も少し良くなってきたことから、模型の組み立てを再開。
キングスホビー製のマロネ48を組み立ててみることにした。

ここでマロネ48について軽く解説すると、オハ31系に属する昭和3年製の寝台車で、2人用区分室4つと4人用の区分室3つを持つ二等A寝台車である。
各区分室には折畳み式の洗面台が備え付けられていた。

一等寝台車マイネ48120として誕生した後、3回の称号改正(マイネ48120→マイネ37100→マイネ37→マイネ29)と一等寝台廃止による格下げで、4回名前が変わった後にマロネ48となっている。
激動の時代を生き抜いた証拠とも言えようか。

戦前製の旧一等寝台車としては長寿で、昭和34年まで定期運用を持ち、昭和37年まで存在していた。

さて、キングスホビー製のキットはマロネ38を組んで以来だが、写真1枚目を見てのとおり、金属パーツの多さに圧倒されるのは相変わらずである。
しかし、このパーツの多さが最終的にプラ完成品を上回るディテールを再現するのだ。
無論、その域に達するにはそれなりの組み立てスキルは要求される。

まず最初に、車体に雨樋を張り付ける作業から始まる。
真鍮製で柔らかいこともあり、ステンレス製のレボリューションファクトリー製よりも簡単に曲がってしまい、位置決めが難しい。
本来ならばハンダでやるべき作業を、強度上の都合でシビアな瞬間接着剤を使わねばならないためだ。だから余計にシビアな作業となる。
久々の作業のためかなり四苦八苦したものの、なんとか接着できた。
もっとも、よく見ないと判らないが、微妙に雨樋が下がっている箇所があり、やや不満が残る仕上がりとなった。
今後をかんがえると、硬化時間に余裕のある瞬間接着剤の導入を検討したほうが良さそうだ。

つぎは側面板の貼り合わせ。
ハンダ前提であることもあり、接着剤を流し込む箇所が少ない。
このあたりが接着剤前提のレボリューションファクトリー製キットとの大きな違いだ。
そしてここで大失敗をしてしまう。
うっかり内板と外板がずれた状態で貼り合わせてしまったのだ。
大急ぎでカッターを突っ込んで剥したが、当然ながら板が曲がってしまった。
泣きたくなった。

しかし、オハ31系だった事が幸いした。
窓柱が太いおかげで窓が歪むことなくはがすことができ、接着剤剥しを兼ねて板を平らなところでこすった結果、目立たない程度まで復旧させることに成功したのである。(といっても歪みは残ってしまったが。)

高価なキットが無駄にならず、ホッとした。

反対側の側板は慎重にやる。
こちらは大きな失敗もなく接着できた。

ここまでできるととりあえず第一関門を超えたというところだ。

次にデッキ仕切り板を接着する。コンバージョンキットであれば自作するパーツだが、キングスのキットには最初から付いているのだ。
その次はドアの組み立て。
マロネ48のキットには2種類のドアパーツが付属しており、ノーマルな窓桟があり2段窓になった木製ドアと、マロネ40等の主に優等車に見られた桟のない高窓タイプの木製ドアだ。
マロネ48はこの高窓ドアに交換されたものが多く、今回は木製高窓ドアになったラストナンバーのマロネ48 6にする予定なのでこの高窓を利用することにする。

ドアはステップと一体になっていて、さらにドア自体も薄いパーツを折畳んで作る構成になっている。
これにより木製ドアの窪みを表現している訳だが、なるほどモールドでの表現にくらべて実感的である。
そのため、パーツの切り離しには慎重さが必要になる。

下部を折り曲げてステップを作り、さらに折畳んでドアになると、思わずニヤリとしたくディテールになる。

妻板はプラ製で、幌釣りが別パーツになっている。
これが非常に細くて接着が難しい。
ピンセットでも思う様につまめず、取付けには苦労した。
あとはドアを仕切り板に差し込み、妻板をガイドに沿って接着。

これでだいぶ客車らしくなってきた。

お次は屋根。
オハ31系は鋼製最初期の客車で、屋根は室内灯が無かった頃の名残が残る、明かり取り窓が付いた二重屋根だ。(なお、オハ31系自体は最初から室内灯装備である。)

さて、二重屋根の車両を自分で組み立てるのは初めてである。
屋根は肩の低屋根部分と中央の高屋根部分のパーツに分かれており、さらにモニタ部分は金属パーツとなっている。
二つのプラ部品を合わせた後、金属のモニタ部分をはめ込む様になっている。金属部品にはベンチレータの差し込み穴が付いているのだが、実車は移設されたものや撤去されたものが存在する。
今回組む予定のマロネ48も多分に漏れずで、マロネ48 6に関しては2箇所ほど移設されている。
説明書には別キットに付いている塞ぎ用パーツをハメてハンダ付けするように書いてあったが、高価なキットでもあり、それはあんまりではないだろうか。
ベンチレータはプラ用接着剤が使えるのだから、位置決めも苦労することはないので取付け穴自体要らないのではないかと思う。

とりあえず自分は瞬間接着剤を固める事で塞いでみたが、これが上手くいってるかどうかは塗装してみないと判らない。
ベンチレータはスハ32系タイプの大きな物に交換されていたとの事で、グリーンマックスの半ガラベンを使ってみた。が、ややオーバースケールになってしまった様だ。
次回以降は大人しくキングスホビー製を買った方が良さそうだ。

屋根の次は床下。
これはグリーンマックスのキットと似た様な要領だが、オハ31系らしく魚腹式台枠パーツが付いているのが特徴だ。
これを付けてやると、なるほど昔の客車らしい魅惑的な床下の表情になる。

さて、いつもはここで内装作りになるが、今回は塗装を先行することに。

サンポールで酸洗いをした後、メタルプライマーを塗り、さらにさーフェイサーを吹いて下地処理とする。
今回は床下・屋根とも真鍮製部品があるため一緒に処理した他、附属の真鍮製内装パーツもついでに行う。

この後は屋根はダーググレーで単色塗りだ。
これは実車のマロネ48がほぼ単色となっているからである。

他はいつものように、床下は黒で塗装。
車体は先にハワイアンブルーを吹いた後にマスキングをしてブドウ色2号を吹く。
正確には昭和34年まではブドウ色1号だが、代用である。

レタリングは車番はグリーンマックスのものを組み合わせて使用。2等表記と大きめの「東シナ」はレボリューションファクトリー製だ。

床板にはキングスホビー製の台車TR-71を付ける。TR-71にはカプラーと車軸が付いていないので、車軸はキングスホビーの店で売っていたGM台車からのバラし車軸。カプラーは103系をカトーカプラに交換して捻出した物を使用。

デッキ仕切りは構造上スプレー困難なため、クリーム1号で筆塗り。
塗装が乾いたらいよいよ窓を貼る。
曇りガラスはいつもどおりヤスリで作り、ゴム系接着剤で貼り付け。普通のガラスは窓柱が太いおかげで十分な接着強度が確保できそうだ。
さて、先にも書いたとおりマロネ48は二重屋根である。屋根に明かり取り窓がある訳だが、説明書には特に窓セルを貼る記述がない。
公式サイト上でも完成例を見ると特に貼っていない様だが実物にはガラスが存在する。
折角窓があいているので、透明プラ板を幅約2mmに切り出し、ゴム系接着剤で貼り付ける。

ここまでできると外装は終わり。とりあえず運転可能な状態になった。

お次はお楽しみの内装作りだ。
マロネ48の特徴は何と言っても全室区分室であることだ。
車体全体にかかる木製の区分室仕切りは最高級グレードならではの風格がある。
キングスホビーのキットにはそれを再現するためのパーツが最初から付いている。
この時代の仕切りは扉の他に窓があり、さらに額縁のような出っ張りがある。
これをプラ板で自作しようと思ったらかなり大変なことで、本当にありがたい。

寝台パーツも発売しているのだが、旧仕様の床板に合わせてあるため削る必要があり、かなり面倒な上、2セット必要になるので、経費節減も兼ねて自作をすることにした。
0.3mm厚のプラ板からパテーションを切りだし、1.2mm厚プラ板を切り出して下段寝台兼座席を作る。さらに、0.5mm厚と0.3mm厚のプラ板を重ねて背ずりを作る。
ちなみにこの背ずりは夜に上段寝台となる。
喫煙室座席には余っていた10系用寝台を使い、給仕室座席はいつもの如くプラ板自作だ。
仕切りの都合上、椅子板は3分割。
喫煙室・4人用区分室×3・2人用区分室で一つ。真鍮製仕切りで仕切られる2人用区分室×2で一つ。2人用区分室と給仕室で一つである。
真鍮製の仕切りと、自作寝台をウッドブラウンで塗り、さらに寝台のモケットはオリーブグリーンで塗る。これにはクレオスのオリーブドラブを使用してみた。
実際の色調が判らないので想像である。
喫煙室座席と給仕室座席はいつもどおり緑2号を筆塗りである
これらを椅子板に貼り付けて、床板に両面テープで固定するとひとまず形となる。

とりあえず現状はここまで。

備品室の仕切りと給仕室の棚を作り、寝台にヘッドカバーの白を入れれば完成だ。

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