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2009-11-30 22:02:38

TR40、TR47台車

テーマ:夜汽車の用語集
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乗り心地の向上を狙って戦後製の客車に使用された、ウイングバネ式台車である。

主にオハ35系最後期(スハ42のグループ)、スハ43系(およびマロネ41等の端境期のグループ)、スロ50、スロ60に使用された。

枕バネは当初のTR40では4連板バネ式だったが、TR40Bでは2連となり、さらにブレーキユニットを電車と同等としてTR47となった。
なお、スロ53とスロ54はTR47登場後の形式だが、TR40Bを履いている。

安定した乗り心地には定評があったが、鋳造品であることから重量がかさみ、冷房改造や電気暖房装置設置に伴う重量ランクを維持するため、軽量なTR23へ置き換えられる事例や、逆に重量に余裕がある場合は優等車両の乗り心地改善のためにTR23等からTR40やTR47に履き替えられる事例も発生している。
また、TR47自身もオハ46等に使用された後期製造のものは肉抜きなどを行って軽量化されている。
なお、マロネ41を近代化改装する際に乗り心地をオロネ並に向上するため、TR40の枕バネを板バネから空気バネに変更し、TR40Dとしている。

余談だが、1988年にオリエント急行用客車が来日して国内を走った際に、本来の台車は標準軌用でJR線内で使用できないことから、このTR47をバネ調整のうえ履かせている。

写真はスハフ42が履くTR47
2009-11-30 22:01:43

TR11台車

テーマ:夜汽車の用語集
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釣合い梁式台車の一種。
国鉄客車では主にオハ31系までの客車と、木造客車を鋼体化したオハ60系に使用された。
木造客車や17m級の客車までに使用することを前提に作られたため、20m級の大型鋼製車体をもつオハ60系では高速域でひどい揺れになった様だ。

写真はスユニ61のもの
2009-11-30 22:01:22

ウイングバネ式台車

テーマ:夜汽車の用語集
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軸箱守の両側にコイルバネを配した台車。
軸受けから羽が生えた様にバネを配置していることからこの名前が付いている。
派生形として、バネの中心に円筒形の案内軸を設けたシュリーレン式台車がある。

総じて乗り心地がよいが、機構が複雑になり重量がかさみやすいためか、機関車や電車・ディーゼルカーでは広く使用されたものの、客車ではスハ43系以降採用されていない。

代表的な台車形式
・TR40
・TR47
・DT21(電車)
・DT22(ディーゼルカー)


写真はスハフ42のTR47
2009-11-30 22:00:49

シュリーレン式台車

テーマ:夜汽車の用語集
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ウイングバネ式台車の一種で、軸箱守と台車枠の間にダンパ機能を円筒形の案内軸とコイルバネを用いて軸受けを支えているもの。
乗り心地は良好だが機構が複雑で保守の手間がかかる。
近畿車両で主に製造され、近鉄電車を中心とした電車に広く採用されているが、国鉄客車ではオシ17に使用したTR53とTR57のみである。

写真はオシ17のTR53

2009-11-30 22:00:32

軸バネ式台車

テーマ:夜汽車の用語集
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昭和初期から現在に至るまで広く使われている台車。
車軸の上にバネがあり、通常は車軸を支えるすり板(ペデスタル)がある。

代表的な台車形式
・TR23
・TR50
・TR73(三軸)



写真1枚目はオハ35が履く戦前型の軸バネ式台車の代表選手TR23。

写真2枚目は戦後型客車のオハニ36が履くTR52。軽量客車用のTR50を在来型車体用にアレンジしたもの。

写真3枚目はマロネ29のTR73。3軸台車とはいえ軸受け部分はTR23と同じ様な形をしている。
2009-11-30 22:00:00

TR23(TR34)台車

テーマ:夜汽車の用語集
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昭和初期から戦後にかけて製造されたスハ32系・オハ35系客車に広く用いられた、ペンシルバニア型の軸バネ式台車。
枕バネには従来どおり板バネを使っている。
製造期間が長期に渡ったため様々なタイプがあるが、初期のものは軸受けが平軸受け、後期のものはコロ軸受けとなっており、戦後に軸受けの形状が改良されたTR34となっている。
また改造も多く、優等車両(二等車や寝台車など)用に揺れ枕釣りの長さを延長して乗り心地改善したものや、軸受けを平軸受けからコロ軸受けに変更したものもある。

比較的軽量で保守も容易であることから長く使用され、重量ランクを下げるためにこの台車を履いた例も存在する。


写真1枚目:戦前型オハ35が履くTR23。オリジナルの平軸受けタイプ。

写真2枚目:オハ35戦後型が履くTR34。軸受けがコロ軸受けになっている。

写真3枚目:昭和30年代に改造してコロ軸受けとなったTR23H。技術の進展によりTR34よりコンパクトなものとなった。写真はオハ47のもの。
2009-11-30 21:59:39

TR73台車

テーマ:夜汽車の用語集
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昭和初期に製造された優等車両向けに使用されたペンシルバニア型の軸バネ式3軸ボギー台車である。

スハ32系とオハ35系の優等車両(御料車、供奉車、一等車、一等寝台車、二等寝台車、食堂車および上記との合造車)に使用された。
軸重を減らすことによる乗り心地改善のための3軸構造だが、戦後になり技術の進展で2軸でも同等以上の乗り心地を確保できるようになったことから、このTR73が最後の3軸台車となっている。

なお、お召し列車用の客車には軸受けをコロ軸受けに改造したものが存在する。

写真はマロネ29が履くTR73。
2009-11-18 09:13:44

夜汽車の客車たち(その27)

テーマ:夜汽車シリーズ
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今回は急行用の特別二等車スロ51について書いてみる。

1.スロ51概要
スロ51は昭和25年に進駐軍の命令で誕生した特別二等車の好評を受けて、増備用として同年中に登場した特別二等車である。
車体は完全切妻構造で、台車はTR40Bを履く。
スロ60等と同じく縦の雨樋は車体側面の車端に付く。
室内はデッキが一ヵ所で、給仕室と荷物保管室があり、デッキ横とデッキのない方の車端にトイレと洗面所がそれぞれ付いている。
客室にはリクライニングシートが並ぶ。シートピッチは急行用ということで定員を稼ぐため1100mmとし、荷物保管室と給仕室を狭くして客室面積を稼ぐ事で13列並べて定員は52名となった。
このため、側面の窓は車体強度を確保するため1000mm幅は使えず、並二等車のオロ35等と同様に700mm幅の狭窓が並ぶことになった。
なお、ドアにはおそらく初となる鋼板プレスドアを用いている。
ドアの鴨居部分には等級表示灯が付いているが、スロ60と違いドア幅いっぱいのサイズとなった。
以上から、スハ43より先の登場であるが、ほぼ同様の車体構造であることから趣味的分類上スハ43系にカテゴリされている。
なお、普通急行に原則として1両特別二等車を連結する方針だったことから、総勢60両となった。
このうち12両は北海道対応(二重窓化など)のためスロ52とされた。

さて、スロ51は登場後四国を除く全国の急行列車で幅広く使用された。
登場翌年の昭和26年にはシートピッチを広げて1000mm幅の窓に改良されたスロ53が登場しており、結局昭和25年製の60両で打ち止めになっている。
スロ53やさらにその改良版であるスロ54に東海道夜行はとって代わられて、主に九州急行や山陽急行、東北・上越方面で使用された。
昭和32年から昭和33年にかけて、後発のスロ54やナロ10に比べて設備が見劣りすることから、近代化改造が行われた。
主な改造内容は、
・窓のアルミサッシ化
・ドアの交換(プレスドアから1枚鋼板ドアへ交換。)
・室内の塗装変更(ベージュ系から薄緑色へ)
である。

なお、これにあわせて縦雨樋を車体側面から一般的な妻面へ移動している。

昭和33年10月になると、ナロ10の増備によりスロ54に余裕がでたこともあり、一部の列車で自由席二等車として転換クロスシートの並二等車に代わって使われる様になる。
同時に従来の特別二等車は二等車指定席となり、事実上特別二等制度が廃止となった。
なお、名称としての特別二等車が廃止になったのは昭和34年6月である。
この時塗装がぶどう色1号から少し明るいぶどう色2号となり、帯からローマ数字の等級表示が消えている。

その後、オハ61の改造でシートピッチが広いオロ61が大量増備されると、シートピッチの狭いスロ51は指定席二等車の座を追われ、準急列車や長距離普通列車にも使用されるようになる。
昭和35年6月には三等級制度が廃止となり、二等級制となったのに伴い、一等車を名乗る様になった。
昭和36年7月にはまたまた塗装規定が代わり、帯の色が淡緑色に変わっている。
オロ61が増えるに従って比較的重いスロ51はスロ54と共に勾配の多い東北地区や上越線の急行からは徐々に撤退し、以降は東京以西で使用されるようになる。

昭和39年から優等列車に使用する車を対象に青15に塗装変更が行われ、スロ51も青に薄緑色の帯に変更される。
昭和41年頃から優等車両を対象に冷房改造が行われる事になったが、既に客車列車自体が減少傾向であったことから冷房改造対象から漏れ、定期列車から外れて団体臨時用となった。
また、スロ52を合わせると31両と約半数がデッキを増設のうえ室内をロングシートとし、通勤型客車オハ41へ格下げ改造された。
また、荷物車のマニ36とマニ37に改造されたものも少数存在する。
また、前後して8両が緩急設備を付けてスロフ51になっている。

残ったものは細々と団体臨時用で生き延びて、昭和44年のモノクラス制度移行後グリーン車となったものの、経年もあって戦列を離れ、昭和47年に消滅。
急行列車の顔役だったスロ51は地味な最期を迎えたのだった。

なお、通勤形に改造されたものは昭和60年まで生き残り、長寿を全うしたようだ。


2.我が家のスロ51
我が家のスロ51はレイルロード社製のキットを組み立てたものである。
細かい事は組み立て記事を見ていただくとして、製品はスロ51の持つ独特の雰囲気をよく再現している。
例によって表記類は昭和34年6月以前としているが、塗料の入手容易性を鑑みて塗装は本来より明るいぶどう色2号である。

番号は早くから地方へ移ったスロ51らしく、マロネロ38と合わせた門ハイの32番である。
実車は昭和32年10月に長崎から移ったもので、時期的に早岐に配置された際には既に近代化改造されていた可能性もある。
導入目的は急行全般であるので、今回はあまり番号にはこだわっていない。九州所属の表記だが、色々な列車に使う事になろう。


3.スロ51つれづれ
スロ51もマロネ29と同じく存在感の薄い客車である。
インターネットで検索してもヒットする件数は少なく、実車の画像ともなると本当に少ない。
無論、模型でもプラ製の完成品などない。
やはり夜行急行の標準的な顔であった事と、優れた後輩(スロ54やオロ61)の影に隠れてしまった事、冷房改造対象から漏れて早々と消えた事が要因だろう。
また、マロネ29と違い一度も特急に使用されていないのもより立場を苦しいものにしている。

しかしながら、小窓がゆったり並ぶ姿は大陸の客車を思わせ、なんとも味わい深いスタイルになっている様に思う。

これは戦前の転換クロスシートの二等車であるオロ35や戦後まもなく登場したオロ41にも言える事である。
もっとも、スロ51はデッキも片側でゆったりしており、オロ35やオロ41より優雅な雰囲気だ。
近代化改造によりアルミサッシ化して、一部は10系のようなサッシ付きドアになっているが、これはまた何とも言えない味わいがある。

同様の近代化改造を受けたスロ60はオロ61のようないでたちとなったが、スロ51は小窓のおかげで全く別の味わいで、シル・ヘッダに挟まれた小窓のクラシカルな雰囲気とアルミサッシによる近代的な雰囲気が新旧混在の趣を一層強く引き立てている様に思う。


さて、上でも書いたとおり、スロ51は特急列車には使用されなかった代わりに普通列車で使用されている。
仮にも元特別二等車であるから、普通列車用としては豪華な車両だったに違いない。
電車で言えば急行用グリーン車を格下げ改造したサロ112やサロ110-400といったところだろう。

スロ51としては四国に行かなかったが、通勤化改造したオハ41は四国にも配置され、スロ51が消滅したのより遥かに後の昭和60年まで残っていたと言うのも、面白いエピソードである。


とまあ、このとおりスロ51は地味な役割に徹した客車だった。

しかしながら、全国に渡って闊歩し、夜汽車の華として重要な役割を担ったのは間違いない。
スロ51は夜汽車を語る上で欠かせないアイテムなのだ。

写真1枚目:狭い窓が並ぶスロ51の公式側。
転換クロスシートを持つ戦前製のオロ35や戦後製のオロ41にも通じるデザインだ。
窓のないスペースは荷物保管室である。
片側デッキなのはさすがに戦後製と言ったところか。

写真2枚目:非公式側に給仕室があるのはスロ60やスロ50と同じレイアウト。給仕室は定員を稼ぐため狭いものとなっているが、この映像からもその様子が見て取れる。
台車は乗り心地の良いウイングバネ式のTR40Bだ。

写真3枚目:同じく700mmの窓が並ぶマロネロ38の二等室とスロ51。
定員重視と言えども、さすがにスロ51は特別二等車だけあって並二等車よりはシートピッチが広いのが判る。

2009-11-12 21:55:48

夜汽車の機関車達(その4)

テーマ:夜汽車シリーズ
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今回は碓氷峠の名優としてEF63と共に名を馳せたEF62について書いてみる。

1.EF62の概要
EF62は碓氷峠の粘着運転化に伴い、山岳路線向けの本務機として開発された客貨両用の直流電気機関車である。

群馬県の長野県の県境にある碓氷峠は交通の難所であった。
鉄道においても国鉄最急勾配の66.7パーミルが存在する険しい峠道で、アプト式と呼ばれるレールに歯車を噛み合わせる方法で対応していた。
しかしながら、アプト区間は早くから電化していたものの(日本初の電化であり、電化方式は直流600V)、当時の技術レベルにより機関車は非力で、末期のED42型を4重連にしても合計で2040kwにすぎず、そのため連結両数が限られていたことと、戦後になり設備の老朽化が目立ち、輸送上の隘路となっていた。
そこで技術の進展に合わせて粘着運転とし、特殊な機関車を連結することで勾配を克服することになった。
これに対応するため昭和37に碓氷峠専用の特殊な機関車EF63と、EF63と協調して峠を超える機関車としてEF62が誕生した。
電動機はEF60の後期型から使用されているMT52系とし、総出力は2550kw。駆動方式は伝統的な釣り掛け駆動。ギア比は牽引力重視の4.44とした。
これは貨物向けのEF60と同じであり、旅客列車を引く機関車としては定格速度は低いものだが、峠の勾配に対応するためとEF63と同一とすることで協調性を持たせるためである。
碓氷峠に対応するためEF63との協調設備や特殊なブレーキを積む必要があるが、一方で碓氷峠以外の区間でも使うために軸重を制限する必要があるため、車体には軽量化の工夫がなされている。
重連運転を行うため車体正面には貫通扉が付き、発電ブレーキに耐えるための大型抵抗器を擁することから車体側面には大きなルーバーが設けられた。
台車はEF60以降の新型電機には珍しい3軸ボギー台車で、これも2軸ボギー台車を3つ取付けるより軽量化できるためのものである。
屋根にも軽量化のための工夫がされており、全面的にFRPを使用。強度の要るパンタ部分は金属の梁を渡してその上にパンタを載せている。
また、客車列車を引く際には暖房設備が必要になるが、蒸気暖房用のボイラと水は重量がかさむため、電動発電機を搭載して、直流用電気機関車としては初めて東北地区の客車で使っている電気暖房を使える様にした。このため、碓氷峠を通過する客車は電気暖房を装備している。
なお、電気暖房を装備する客貨両用機は貨物専用に電気暖房を持たない車両が存在する事が多いが、EF62は全機が電気暖房装置付きとなっている。
塗装は当初当時標準のぶどう色だったが、昭和41年以降は新型電機標準となる青にクリームの警戒帯となった。

こうして誕生したEF62はEF63と共に成功をおさめ、昭和44年まで改良を加えながら製造され、総勢54機となった。

なお、アプト式から粘着式とすることで、従来横川~軽井沢間は40分かかっていたのが、複線化の効果もあって軽井沢方向で17分、横川方向で24分と大幅に短縮された他、連結できる客車も積車状態で400tまでとなり、これまでと倍以上の輸送力となった。

さて、登場後は増加する輸送需要に合わせて数を増やしながら活躍したが、既に動力分散化は始まったおり、荷物輸送のため数本あった客車の普通列車と夜行列車以外はほぼ貨物列車に使用されている。

動力分散化の進展で旅客列車としての仕事は減ったものの、貨物列車用には幅広く活躍し、直江津から新潟まで足を延ばすものもいた。
しかしながら、いくら輸送力が増えたとはいえ、特殊な条件下で連結できる両数は限られており(通常電車8両、客車は10両程度。EF63と協調運転できる電車に限り12両)、首都圏から日本海方向への貨物輸送は余裕がある上越線へシフトし、長野への貨物輸送も中央線経由にとって代られた。
また、貨物列車自体の輸送量も減ったため、昭和58年頃には碓氷峠経由の貨物は廃止となり、EF62は余剰となった。
丁度その頃東海道本線で荷物列車を担当していたEF58が老朽化で故障が目立つ様になり、客車用の暖房設備を持つ余剰になっていたEF62に白羽の矢が立った。
そこで昭和59年にEF62のうち約半数の26両が信越線を離れ、下関に転属してEF58の代わりに東海道・山陽本線で荷物列車を引く事になった。

しかしながら、前回のEF58の稿で書いたとおり、EF58は高速向けの機関車であり、それに合わせて100km/h近くで連続走行するダイヤが組まれていたが、EF62は山岳用に特殊な仕様とした機関車で、牽引力重視のセッティングでありため定格速度は39km/hにすぎなかった。
設計速度こそ最高100km/hだったが、不向きな高速連続走行で故障が頻発し、暖房設備を持たないEF65や戦列を離れたはずのEF58の救援を仰ぐ始末だった。
もっとも、この頃には宅急便の隆盛で既に国鉄の荷物輸送も衰退しており、元からショートリリーフを見越していた感がある。
案の定僅か2年後の昭和61年11月に荷物輸送は廃止となり、不向きな高速運用を強いられた山男達はそのまま永遠に安眠することになったのだった。

さて、残ったEF62は主にイベント列車や臨時列車で最後の活躍をすることになった。
上越新幹線が開通した昭和57年以来信越線経由になっていた夜行急行の「能登」も担当し、曲がりなりにも定期運用を持っていたが、「妙高」が169系、「能登」が489系電車にとって代られるといよいよ肩身の狭い身分になっていった。
そして平成5年にはついに長野新幹線開通により碓氷峠は廃線となり、存在意義をなくしたEF62は盟友のEF63を廃車回送した後にひっそりと後を追い、在来線の碓氷峠と共に過去の世界に去って行ったのだった。

2.我が家のEF62
我が家のEF62はTOMIX製の古い製品で、オークションで入手したものである。
形態は後期型で、番号は45号機を選択した。
古い製品故に駆動方式がクラシカルなウォームギアで、走行音は近年の機関車より大きいが、動力は安定していてよく走る。
導入目的は碓氷峠を超えた夜行急行の「越前」と「妙高」を牽引するためだが、正直に言えばそのゴツいスタイルに惚れたというのが正しい。
なお、45号機は篠ノ井に配属され、下関へ行くこと無く信越線で一生を終えている。
我が家ではとりあえず今は「越前」「妙高」を引いているが、そのうち14系の「能登」や東海道の荷物列車も引かせてみたいと思っている。

3.EF62つれづれ
自分にとってEF62の印象深い姿は東海道の荷物列車だ。
厳ついスタイルの機関車が高速でマニ44やスニ40などの青や銀の荷物車を引いてカッ飛んで行く姿は豪快で、マニ44の特徴的なくぐり戸と共に強烈な印象として残っている。
その頃は知識が電車に偏っていたので、不向きな運用で身を削っているとは知らず、無邪気にカッコイイと思うだけだった。

その後EF63と3重連を組む写真を見たが、やはりそちらの方がカッコイイと思ったのは言うまでもない。

さて、EF62はそれほど夜汽車は多くは担当していないが、信越線の夜行列車を細く長く担当していた。
中でも特徴的なのが「妙高」と「越前」だろう。
碓氷峠を超えるため、「妙高」は8両、「越前」は10両とコンパクトな編成ながら、グリーン車(越前)やA寝台、荷物車(越前)、郵便車(妙高)をつないだ夜行急行の風味十分な編成だった。
編成重量を減らすため座席車には10系座席車がメインで使われていたが、経年劣化で隙間風が目立つようになると座席がオハ47になった。
緩急車は当然の如くオハフ45がメインだったが、「妙高」では末期には先輩格で乗り心地がやや落ちるオハ35やオハフ33も登板したようだ。
急行「妙高」は深夜の運転で短距離であることもあり、あまり写真が残っていないのだが、「越前」は辛うじて日が上る時間に上野へ到着するため写真がある。
いかにも夜行急行らしい凸凹編成の先頭に立つEF62はどこか誇らしげに見え、なかなかそそられる情景だ。
「新型」電機ながら厳ついスタイルがまた意外と旧型客車に良く似合っている。
高崎線内は高速運転だと思われるが、高崎から先は碓氷峠を含めてEF62が得意とする勾配とカーブの連結する区間であり、自ずと速度が制限されるので、優等列車といえどさほど問題にはならなかったにだろう。


ところで、EF62のもう一つのステージである東海道の荷物列車は、EF62が牽引する頃には客車らしい姿をしたものは数両連結されるバラ積み用のマニ50と郵便車のスユ14、スユ15位のもので、あとは貨車のワキ8000やパレット積み専用のスニ40、マニ44が大半を占めていて貨物列車のような風情だったが、ダイヤは夜行急行のそれであり、ある意味夜汽車の仲間とも言える。
実際一部の列車は昔の夜行急行列車のダイヤをなぞっているそうだ。

なんともロマンのある話だ。

元々荷物列車が急行列車に連結されていた荷物車を出自としている事を考えればむべなるかなといったところだろうか。

そう考えると、EF62も華の東海道で夜行急行を引いた事になる…というのはやはり無理があるか(笑)

やはり彼等には華の東海道を舞うスターと言うよりは過酷な勾配に挑む山男という表現がいちばんの称号なのかもしれない。

次回はEF80を紹介する予定です。

写真1枚目:EF62の顔
窓上の一直線の庇と貫通扉付きの表情が厳めしい雰囲気。

写真2枚目:サイドビュー。大容量の抵抗器を冷却するため大きなルーバーが並び、ゴツい雰囲気を倍増している。
ルーバー上の小さな明り取り窓もこの機関車独特のものである。

写真3枚目:EF63との協調運転のためスカートに沢山のジャンパ栓受がモールドされている。
この機関車が特殊な使命を帯びて誕生したことを物語っている。
旧型電機ばりに3軸台車が二つあるのもEF62ならではの特徴だ。

2009-11-11 16:49:40

マロネ38を組み立てる

テーマ:夜汽車シリーズ
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*この記事は2009年2月頃にmixiに書いたものです*
年末に娘を連れて久喜にあるキングスホビーに遠路はるばる行ってきた。

ここは「夜汽車の客車」に使用されるような客車をメインに扱う金属キットメーカーの店であり、野望を達成するためにはこのメーカーの客車を導入するのが必須であるからである。

金属キットというのはどうしてもディテールが大味になりやすいのだが、このメーカーのものはかなり細密に作られていて、プラ製品と引けをとらない。

さて、実は今回は様子見のつもりだったのだが、衝動的に買ってしまったのが同社製のマロネ38のキットである。

こちらもそのうち「夜汽車の客車たち」で紹介する予定だが、かいつまんで言えば、スハ32系に属する戦前製の2等寝台車である。
ツーリスト式というロングシート状の寝台の他に、特別室として4人用区分室を二つもつのが特徴だ。
そのため、かなり特徴的な窓配置をもつ客車となっている。

金属キットには区分室部分の仕切りも入っており、他も色々凝った作りになっていて、なかなか手強い。
別売部品で内装用にツーリスト式寝台と区分室用寝台・喫煙室用に転換クロスシートを利用することになっているが、区分室用寝台は売切れ、喫煙室座席は利用できる事を知らずに買わなかったので、ツーリスト式寝台のみ購入。
喫煙室用の転換クロスシートはその後鶴見の模型屋でゲットしたが、買えなかった区分室寝台はプラシートで自作してみることにした。

組み立てる上で一番の問題は、やはり金属キットであるので、ハンダ付けが必要になることだろうか。
瞬間接着剤でも組み立て可能との事だが、強度に不安がある。

しかしながら、我が家には反抗期を迎えた幼児がいるので、ハンダを使ったり、毒性のあるフラックスを使ったりするのはまだ怖い。
とりあえず接着剤でやってみるか、ハンダにするか悩んだ末に接着剤で組んでみることにした。何事も経験である。

それにしても、やはり手強い!

初っ端から雨樋の貼付けという難作業が待ち受けていた。
で、見事に失敗である。
雨樋は見事にカーブを描いている。屈辱だ(笑)

遠くからみれば誤魔化せる程度だが、瞬間接着剤の硬化速度と接着力をなめていた。
反対側の側面はエポキシ系接着剤を使うことで何とかなった。
これも貴重な経験だ。
とりあえず、事情が許せば雨樋だけはハンダ付けにした方が良さそうだ。

あとは思った以上にサクサク進む。
プラキットよりやる事が段違いに多いが面白い。
プラキットでは側板と妻板で四角に組めば車体部分は呆気なく出来上がりだが、キングスホビー製のキットは雨樋貼付けの後内張りと外張りの貼り合わせ、デッキ部分の組み立て、ドアの工作のあとようやく妻板を貼り合わせて、プラキットでいうところの車体が完成する。

外装が終わったら次は内装だ。
やはり肝になるのは区分室寝台だ。
寝台部分は厚さ1.2mmのプラ板を切出し、壁は0.5mmのプラ板を使用。
背ズリとして0.3mmのプラ板を貼ると案外それっぽく見えるものだ。

開放室部分のツーリスト式寝台は旧仕様製品に合うように作られていて現行製品に付けるためにはリブを削りとるという加工が必要になるのだが、これが案外難渋した。
零細メーカーだけにやすやすとモデルチェンジできないのは判るが、やはり対応して欲しいものだ。

最初に書いたとおり、マロネ38は区分室寝台と開放寝台の合造なので仕切りが多い。
開放寝台側デッキ寄りの客室仕切り、車体中央の仕切り、区分室仕切りとある。
これらに寝台や喫煙室座席をつけるとなかなか賑やかだ。
やはり面白い。

床下はプラ製で、GREENMAX製と似たような印象。ただし、床板自体は一般的な2軸ボギー車と共用であるため、3軸用に一部リブを削る必要がある。
もっとも、こちらはたいして面倒でもなかった。
パーツ自体の取付けはGREENMAX製より接着剤用の塗りしろが広くとってあり、しっかり組み立てができた。

床板の次は屋根だ。
プラ製の屋根パーツに通風器の取付け場所に穴を空けて通風器を差込む。
これはプラキットでも電車のキットでは珍しくない作業だ。
屋根の裏側にスケールが彫ってあって位置決めしやすく、GREENMAX製より親切だ。

屋根の車端部分には戦前製客車特有のステップを取付ける。これは細かいエッチングパーツになっていて、やや神経を使うところだ。
差込み用の穴が既に開いてるのでその点は楽である。

このステップはプラキットや完成品だとモールドになっていることが多いが、実感的なのは無論こちらである。

ここまできたらいよいよ塗装だ。

車体と内装部品をサンポールに漬けて歯ブラシで洗う。
エッチング液と酸化幕でくすんだような色だった真鍮パーツが新しい10円玉のようなきれいな色になった。

その後はメタルプライマーで塗装の下地をつくるのだが、このメタルプライマーがクリアでどれだけ塗れているのかわかりにくい。
特に夜間にベランダでの作業のため殊更判りにくく、初めてということもありここでも見事に失敗。塗り過ぎである。
悪いことに厚くなりすぎた部分が車体を流れている途中で固まってしまい、目立つ段差ができてしまった。
しかたがないのでぼってりした部分は一旦アルコールで拭いて剥し、塗り直し。
あとはサーフェイサーを吹いて修正することにした。

サーフェイサーを吹いて段差をペーパーがけし、勾配を緩くして目立たないようにするわけだ。
プラキットで塗装失敗した時の経験がここで約に立っている。
やはり何事も経験だ。

反対側は先の失敗を教訓になんとか光源を確保しつつ少しずつ塗り、成功の範疇に収まった。

室内仕切りも一部塗りすぎなっているところがあったが、車体に入ってしまえば見えない部分だったので目をつぶる事にした。
肝心の区分室仕切りは良い塩梅で塗ることができたので良しとする。

内装は全体をライトグレーで塗装する。
これはプラのパーツと真鍮パーツの色合いを統一するためだ。

ライトグレーが乾いたら、次はスロネ30に使ったウッドブラウンで塗装する。
なかなか良い感じだ。
次はいよいよ車体である。
まずはサーフェイサーを吹いてみる。
予想通りクッキリと段差がでてしまっている。
とりあえず600番・1000番・2000番のサンドペーパーで段差を削る。
削ったところでもう一度サーフェイサーを吹いてまた削る。
これを目立たなくなるまで繰り返すわけだ。
段々集中力が切れて来たので気分転換を兼ねて屋根と床下の塗装を行った。
こちらは特に失敗もないので楽なものだ。
床下は黒でシュシュッと塗ればおしまい。
屋根はステップが真鍮製なので軽くメタルプライマーを吹いた後にダークグレーを塗る。
いずれも納得いく範囲で塗ることができた。

床板を塗ったので台車を履かせる事にした。
台車は2軸台車であればGREENMAX製やKATO製を使えるのでピンではめ込みだけだが、マロネ38は3軸台車であるのでキングスホビー製を使わざるを得なかった。これがやや面倒な構造になっていて、真鍮製のスペーサーを噛ませて台車のボスを作る。
パイプとワッシャーを床板の穴に入れて台車をネジ止め。
どうも首振りのスムーズさが今一歩。これは調整が必要かも。


台車の取付けが終わったら再び車体の作業に戻る。
よくみなければ目立たなくなったところで、いよいよ青帯のライトブルーを塗る。
ちなみに自分は青帯の色としてGREENMAXカラーの伊豆急ハワイアンブルーを使用している。実物は青1号という色だそうで、やや緑がかった明るい青である様だ。

ここからはいつものプラキットと一緒だ。
ライトブルーを2度塗りし、マスキングを行う。

なお、ここまで一気に書いたが、実際は何日かに作業を分けて行っている。
なにせ、作業時間は娘が寝てからの深夜のみだし、それに加えて食器や調理道具を洗うのも夜は自分の担当だ。
まぁ、そんな訳で実は作業時間はまとまって取れないのである。

本音を言えば塗装は昼間にやりたいところなのだが、平日は仕事があるし休日は娘の相手だ。

まぁ、可愛い娘と嫁のためならそこは我慢だ(笑)

という訳で土曜夜着工で青塗装が終わったのは水曜日深夜である。
これでもなかなかのペースではないだろうか。

そしていよいよぶどう色2号の塗装だ。

こちらも要領は今までと一緒。
1mm幅のマスキングテープをウインドシルに添って貼付け、しっかりと抑えて塗料が回り込まないようにする。

マスキングが終わったらいよいよ塗りすぎてボテボテにならぬよう慎重に塗装する。
デッキ部分は凹凸が多いので念入りに塗装。
無論2度塗りである。
塗装は成功。
あとは十分に乾かしていよいよ仕上げだ。

まずはゴム系接着剤を利用して窓を貼る。

とりあえず客室部分全体に貼付ける。
その後でお楽しみの曇り窓の表現だ。
マロネ38はトイレと洗面所がやや変則的に付いており、開放寝台側のデッキ隣にトイレ・洗面所が一か所ずつ。車体中央に洗面所が一ヵ所。区分室側デッキ隣りにトイレが一ヵ所となっている。
そのため、曇り窓が目立つ車両となっているのだ。
トイレに関しては半透明のセロテープに白い紙を挟み、窓に貼付けてみた。
なかなか良い感じである。
洗面所は半透明セロテープを4枚重ねてみた。

さて、実はこの他にもう1ヵ所スリガラスがある。区分室側デッキの隣に給仕室があるが、スペースの都合上縦長になった。
このうちデッキ寄りが荷物棚になっていて、荷物棚部分が曇り窓になっているのである。
さらにネット上にアップされてる貴重な実物写真をみると、スリガラス越しに荷物車の窓のような保護棒が見える。
そこで、半透明セロテープにマニ60用の余った窓セルを挟み込んでみることにした。
結果は2枚目の写真で御覧のとおり。狙いどおりの表現となった。
後は屋根と床下をくっつけて、インレタでナンバーを入れれば目出度く完成だ。

写真はとりあえずナンバーと寝台表記まで入れたところ。
昭和34年6月~の仕様とすればこれで完成だ。
実は雨樋やプライマー失敗を鑑みて、この車はこのまま昭和34年以降仕様として、もう1両昭和34年以前風で作ってしまおうかと思ったりしているが、出来上がってみると思った以上に気にならないものだ。
塗装自体には比較的成功したからだと思う。
目的としている編成は主に昭和34年までであるので、やはり2等表記と形式上の所属表記を入れて昭和34年以前風にしようと思う。

と、いうわけで、とりあえずマロネ38は完成をみた。

続きは、夜汽車の客車たちで(笑)

写真1枚目:組み立て中。特徴的な窓配置がよくわかる。

写真2枚目:完成まであと一歩。手前側が゛2等特別室゛の区分室寝台になっている。

写真3枚目:反対から見たところ。手前の窓ごしに区分室仕切りが見えるのが特徴的。

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