この度(2014年9月16日)、入籍をさせて頂きました。相手は、現在宮崎在住の一般女性(37歳)であります。

 彼女のプロフィールを簡単に紹介させて頂きます。

 1977年長崎県(彼女の母の実家)生まれ、その後、彼女の父(宮崎県串間市出身)の転勤により富山県富山市に移住。

 同市内の小中学校を卒業、富山中部高校からお茶の水女子大学進学。同大学卒業後一般企業に就職。若い頃には、アルバイトでモデルの仕事をやっていたらしい。


 約10年前、彼女の父親が故郷である宮崎にUターンする際に彼女も宮崎に帰省し両親と同居。

 2008年~2009年にかけて、宮崎県庁や宮崎市役所等に非常勤(22条職員)として勤務。その後、医療関係事務等を経て現在家事手伝い。

 趣味/特技・・・・料理・着付け・お茶・お花等。


 出逢いの切っ掛けは、2011年4月、東京都知事選(落選)後に宮崎で友人が開いてくれた私の激励会に彼女が出席していたことです。

 私がちょっと落ち込み、いや結構打ちひしがれていた頃に、陰で支え、励まし、元気付けてくれたのが彼女でした。

 それから間もなく交際に発展しました。昨年(2013年6月)、私の母が背骨の圧迫骨折をし、入院することになりました。母は当時、要介護3の状態でかつ高齢なこともあり、病気は中々治癒・完治しませんでした。その間、彼女は実に献身的かつ甲斐甲斐しく、母を看病・介護してくれました。その姿に、感謝・感動・胸を打たれ、「この人と一緒にいれたらな~」と思いました。

 私も50代後半となり、今後の人生(老後の人生)等を真剣に考える時期になり、将来不安(独居や介護、孤独死等)は、社会問題だけでなく、身近な問題として考えざるを得なくなりました。そういう要因もあり、結果的に結婚を決意しました。


 プロポーズの言葉は、彼女が母の介護をしてくれているとき、耳元で「将来、僕の介護もしてくれないか?」と頼んでみたら、「はい、喜んで」と返事が返って来ました。

 私は、結婚つまりプロポーズの言葉として「介護してくれないか」と言ったつもりだったのですが、介護職員初任者研修資格を有する彼女は、「ただ単に介護をして欲しい」と思っていたらしいです(笑)

 その後の言葉は「僕が死ぬとき、最後に目を閉じるとき、君の顔を最後の映像にしたい」。

 

 彼女は有名人の誰に似ているか? 「林家ペーパーさんの林家パー子さん」の若いころに似ていると私は勝手に思っています。が、彼女は納得していないようです(笑)


 私自身、人生三回目の結婚であります。年齢も57歳で、これが最後の結婚となるでしょう。いや、そうしなければなりません(笑)

 後、どれくらいの人生を生きられるか分かりませんが、残りの人生を新たな伴侶(パートナー)とゆっくり静かに生きて行けたらと思っております。お互いを尊重し合い、適切・適当な距離を保ち、話し合いやコミュニケーションを欠かさず、今後の艱難辛苦、喜怒哀楽、様々な出来事等に向き合い、それら全てを共有して行けたらと思っております。

 今後とも、皆様方の温かい叱咤激励、ご理解・ご指導・ご鞭撻等をより一層お願い申し上げる次第であります。

              

                          東国原英夫   拝