――報告――


 先週、週刊文春裁判の一審判決が確定した。約1年10ヶ月に及ぶ裁判だった。長かった。本当に疲れた。

 2012年9月12日発行(9月20日号)された「週刊文春」を相手取って、その記事内容に対する名誉棄損訴訟を起こした。週刊文春側=被告、こちら側=原告である。


 地裁の一審判決は、被告が原告に対して220万円の損害賠償を支払うよう命じた。被告(文春側)が控訴しないということで、一審判決が確定した。要するに原告(僕側)の勝訴である。

 勝訴であるが、何か腑に落ちないことが多かった裁判であった。達成感や感動は一切無い。勿論、司法判断であるから、真摯かつ重たく受け止め、それに粛々と従うことは言うまでも無い。

 また、もう終わったことだし、勝訴したのだから、余りしつこくごちゃごちゃ言いたくはないが、何か、納得のいかない、後味の悪さだけが残った裁判だった。


 その理由について、簡単に説明すると、① 訴訟内容(記事全体の中の争点)は大きく分けて9項目あったのだが、その中の7項目は名誉棄損を認められたが、残りの2項目は認められなかった。その理由がどうも釈然としない。法規的世界と我々通常の一般社会の感覚とはズレがあるように感じた。② 文春側へ求めた謝罪広告等は認められなかった。その理由というのが、平たく言うと、東国原氏は著名でそれなりに発信力もあるので、文春が新聞等に謝罪広告を出さなくても、東国原氏自身でそういうこと(事実の説明や名誉回復等)は出来るであろうというもの。何それ?(笑)

 

 まぁ、いずれにしろ、妄想紛いの出鱈目或いは単なる噂や誹謗中傷等の類の話を何の根拠・証拠・裏付けもなく、面白・興味半分或いは販促・私利のために、まるで事実のように記事にする。これまで、30数年に渡る芸能・政治行政生活の中で、幾度となく、そいう記事を書かれて来た。これまでは、泣き寝入り・我慢・笑い飛ばして来たが、今回は、そういう記事に対してどうしても許せなかった。

 結果から言うと、今回、泣き寝入りせず、司法の場で正々堂々と戦って良かったと思う。しかし、今回の記事で一体誰が得したのだろう? 長く辛く面倒な裁判。かなりのコストやエネルギーがいる。記事で傷つけられ、裁判で更に疲弊・消耗する。裁判って一体何なんだ? この判決で僕の名誉は果たしてどれくらい回復したのだろう?


 2012年10月、衆議院解散が近づき、衆議院選に出るのではないかと噂されていた自分を潰すための記事。証拠取りや裏付け調査もいい加減に、内容の無い、事実と異なる刺激的なタイトルや内容だけを先行掲載させて雑誌を売る手口。辟易である。大体、今回の記事で空想紛いの話を持ち込んだ人間は見当がついている(2007年当時、僕の後援会組織の中にいた。その後、素行不良等で数か月で解雇されている)。その人間が出廷し、証人として証言台に立つかと思ったが、結局、証言台には立たなかった。理由は簡単。記事に書かれた事実(彼が週刊誌にリークした内容)が無いからだ。

 ある意味、文春の記者も被害者と言える。

 師匠も先般の週刊文春の記事には相当立腹されていた。

 いい加減な記事によって、潰され・傷つけられて来た人や組織がこれまでどれくらいあるのだろう?

 それらを単に「有名税だから」とか「そういう人生を選んだのだから」とかで片付けられるのだろうか?