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2015-07-18 23:28:36

その裏のロジック

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先日、名刺を恐ろしく下に、こちらが相当に腰を折り曲げなければならないほど下の位置に差し出す、若いセールスパーソンと名刺交換をした。おそらく彼は、働くその企業での新入社員研修で、名刺は相手より下に差し出すべきである、と指導され、それを深く考えもせずに、ある種盲目的にそれを実践しているのであろう。

営業先での名刺交換で、自らの名刺を相手より下に差し出すということ。それはアポイントを受け入れてくれた先方への感謝の念と、それに伴う恐縮の意であるはずだ。それを伝える一つの手段として、相手より下へ名刺を差し出すのであろう。しかし、それがあまりに下過ぎては、自らのルールを相手に「押しつける」形となり、むしろ相手に不快感を抱かせてしまう。大切なのは「感謝と恐縮の意」を伝えることであり、「下に名刺を差し出す」ということではないのだ。

おそらく、真に優秀な人間と、学歴だけが良い人間との分かれ目は、ここにあるのであろう。決まりきったルールをルールとして順守するだけではだめだ。さらにはビジネスにおいてもそのルール、ベストプラクティスをそのままに受け入れるだけではだめだ。ルールがルールとして必要とされた、その文脈こそを読み解くべきなのだ。ベストプラクティスとなった、その裏に隠されたマーケットの真なる需要こそを読み解くべきなのだ。

例えばスターバックス。彼らが96年に日本に進出してから、多くの高価格帯のコーヒーチェーンが誕生した。しかし、それらはスターバックスほどうまくはいかなかった。おそらく模倣したチェーンは、スターバックスの成功を「高価格帯コーヒーチェーンの成功」として理解したに違いない。しかし、私はそうは思わない。スターバックスの顧客が買っているのは「高級なコーヒー」ではない。「場所」だ。しっかりと食事をするわけではないので食事メインのお店では追い出されてしまう、しかしファミレスで時間を過ごすのはさみしい。さみしさを感じずに時間をつぶしたい。その需要に応えたのだ。その意味では、実はスターバックスは、高価格帯コーヒーチェーンと競合しているのではなく、むしろ快適性を打ち出している「まんが喫茶」などと競合している、と言えるのかもしれない。

この情報社会において、表面上だけの理解だけではだめなのだ。常識的なことをそのままやっているだけではだめなのだ。その裏にある、隠されたロジックを見出すべきなのだ。ビジネスの現場ではさらにそこから仮説を導き出し、実際に試して、そのフィードバック情報から実行策をアジャストしていくが、この裏のロジックを探し出すということ、ここにこそ、生身の人間がバリューを出せるポイントがあると思う。

しかし残念ながら、このようなことを今までの日本人は少々苦手にしてきたのかもしれない。儒教を文化の背景に抱え、先生の言うこと、親の言うことを疑う事を禁忌とし、ルールを押し付け、その論理を説明せず、論理を問われればどやしつける。そんな「伝統」が日本の教育に、文化に、そして和食調理の世界に、色の濃淡はあれ今でも残っていると感じる時がある。しかし、まさにコペルニクス的転回が求められはするが、その分伸び白も大きく残されているとも言える。少子高齢社会の日本が力強く成長するために、さらにはグローバル経済の中で勝ち抜いて行くために、こんな素養を身につけておきたい。


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2015-01-02 12:11:22

マーケティングのジレンマ

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昨年は「プロ経営者」というキーワードをよく目にした。今の実業界のトレンドを映す言葉なのかもしれない。数億円、数十億円の年収を手にし、華々しく活躍する彼ら。これは「所有と経営の分離」という流れと整合性が取れるということもあり、先行するアメリカでは「プロ経営者市場」なるものがあるという。日本もこのような時代になっていくであろうと言われている。

無論、「プロ経営者」と認められた人間の中でも、結果を出す人もいればそうではない人も出てくるだろう。現に数年前「プロ経営者」として大成功をおさめたかに見え、賞賛されていた方が、現在は全く違う評価を受けているのを目にしたりする。人の評価というものは、後世の歴史に照らし合わせてなされなければならないが、なぜ、類まれな才能を持っているからこそ「プロ経営者」であるのに、結果が伴わない場合があるのであろうか?もちろん商売とは一種の「賭け」だ。その成功確率を上げることはできても、商売の成功に「絶対」はない。だからだ、とも言えるが、私はそれだけではないような気がする。

我々は経営学に多くの学びを得ている。特にマーケティング。3C分析、5フォース、そしてPEST分析、SWOT分析、セグメンテーションにターゲティング、ポジショニング、それら環境分析に4Pでのマーケティングミックス。このマーケティングやマーケティングにまつわる事柄をしっかりと学んだのが「プロ経営者」であるのであろう。しかし、だからこその盲点もあるのかもしれない。

クレイトン・クリステンセンは著書「イノベーションのジレンマ」で、5インチハードディスクが3.5インチディスクに駆逐されたように、先行する優良企業は、商品の質を上げていく、顧客の声を聴いて商品をレベルアップさせていく過程で、それら商品よりもクオリティが下がる低価格であったり小型であったりする新興の企業に敗れていく。この破壊的イノベーションの前で、大企業や優良企業は「あまりに優れているからこそトップの地位を失う」と説いた。このような逆説が、結果に恵まれない「プロ経営者」に当てはまる場合がありはしないか?

なるほど、マーケティングは『良いものを作りさえすれば売れる』という売り手中心的な発想を思いとどまらせ、市場とのコミュニケーションの大切さを我々に認識させてくれた。しかしだからこそ、我々はどうあるべきなのか?何がしたいのか?世界をどう変えていきたいのか?そんな「あるべき論」さらには「浪漫」ともいうべき議論を忘れがちにさせてしまってはいないだろうか?「プロ経営者」があまりに優秀だからこそ、マーケティングに精通しているからこそ、失敗してしまうという矛盾「マーケティングのジレンマ」のようなものがあったとしたら、こんな皮肉な事はない。

ファーストリテイリングの柳井正氏も言うように、「経営とは意志」であるのだと思う。どんな世の中にしたいのか?世の中をどのように変えていきたいのか?これこそが経営の、実業の、根幹であるべきだと思う。そしてこの根管はロジックや経営学では学ぶことはできない。単なる「意思」であり、「想い」であるからだ。しかし、そのような単純なものだからこそ、過去の偉人はその重要性を叫んだのであろう。吉田松陰が孟子から学んだと言われる「狂夫」というものも、最終的には「意思」の狂人性を言ったのであろうし、清巌宗「狂人走不狂人走」もそうだろう。狂うほどの「意思」を持つことこそが重要であるのだ。

「手段」という技を研ぎ澄ますことの重要性はいつの時代も同じである。しかし「目的」の無い「手段」はあり得ないし危険でもある。テクニカルなもの、ロジカルなものを賞賛、礼讃する風が強い昨今。今だからこそ「意思」の重要性に触れておきたいと思う。


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2014-05-05 17:49:21

「国益」という誤謬

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東京オリンピックまであと6年。色々意見はあろうが、日本にとって大きなターニングポイントとしてのシンボリックなイベントとなって欲しいし、その意味で東京での開催を私は喜ばしく思っている。しかし、経済効果を20兆円近い額で見込んでいるというが、本当にそこまでの効果があるかは疑問である。

私が飲食店2店舗を経営していた2002年、サッカーワールドカップが日韓共催で開かれた。このイベントでも、経済効果を約4000億円見込んでいたらしいが、大会期間中、ほとんどの飲食店は大きな打撃を受けたのではないだろうか?我々の店舗もご多分に漏れず、特に日本戦の日の集客の少なさはひどかった。テレビなどを設置すれば良かったのかもしれないが、この時期のためだけにテレビを設置するわけにもいかない。この時、本当に経済効果が4000億円もあるのか?多くの飲食店の集客減少まで織り込んだ数字なのか?そう疑問に思ったものだ。

TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)における交渉がヒートアップしてきている。日本にとっての「国益」は重要5項目(米、麦、牛・豚肉、乳製品、さとうきび)を守ることらしい。しかし、これは本当に「国益」なのだろうか?確かに食糧自給率は高いほうが良いだろう。安全保障の観点からも農畜産業は守られるべきだろう。しかし、その方法論として関税が適切なのだろうか?

経済学的に需要と供給で考えると、関税で海外商品の供給を絞れば、商品価格は高騰、ないし高止まりする。その高止まりしたコストを日本国民全員で負担しているのだが、そのような認識を持って、なおかつ「国益」と称するのだろうか?表現を変えよう。生活必需品に関税をかければ、高止まりしたそれらの価格の分だけ、国民全員の実質所得が減っているのだ。実質的に自分の給料が減らされている、そのような認識でこのTPPを論じている人が日本にどれほどいようか?この意味で、TPP、そして関税は、消費税と同じくらい、非常に重要な議論であるべきなのだ。私は農畜産業保護、食糧自給率の維持のためには関税ではなく、農家、農業生産法人への直接補償であるべきだと思う。そうすれば、市場の歪みもなく、それぞれのコストが明確になり、国民全員で利益を共有できると思うのだが、ここで詳しく述べるのは辞めておこう。いずれにせよ、重要5項目を守ることが、関税を守ることが、日本の「国益」であるとは一概には言い切れないはずだ。

ロシアのウクライナ侵攻が報じられている。戦争は我々の身近にあるのだと再認識させられる。そして、過去の歴史を紐解くまでもなく、人間の歴史に戦争は付き物であり、それへの備えの重要性も教えてくれる。そのウクライナ侵攻、プーチン氏の独断かと思いきや、国内では侵攻自体熱烈に支持されているらしい。ロシア国民いわく、ウクライナをロシアへ編入することは「国益」なのだそうだ。確かに領土が拡大することに関してはそうかもしれない。しかし、果たしてそう簡単に国際社会がそれを許すだろうか?

私はまず、「国益」という表現に対して我々は慎重になるべきだと思う。関税維持が、ウクライナ編入が、「国益」と表現された時点で、思考停止になってしまうそれぞれの国民が多いのではないだろうか。そう簡単に「国益」と断ずることができる事柄など多くない。いやむしろ、「国益」とされた瞬間に誤謬を帯びている、と我々は肝に銘ずべきではないだろうか。

そしもう一つ、ウクライナ侵攻において、多くの日本人は、ロシアのリーダーは愚かであり、さらに、(ある程度情報操作はされているとしても)ロシア国民も愚かである、と考えるのではないだろうか?そう、日本人は他国の大衆の愚かさは指摘することができる。しかし、翻って自らの国を考えた時、果たして他国民を見るような冷静さを持って自らを見ることができているだろうか。いや、むしろ、リーダーと自分、日本の進んでいる道と自分、とは完全に別であって、愚かなのはリーダーのみである、と考えてはいないだろうか。

関東大震災において朝鮮人を虐殺した日本人(しかも一般人が!)、そして太平洋戦争に突き進んだ日本人、私は平和な日本に生まれて、なぜそのような狂気が存在し得たのか、長らく理解できなかった。しかし、私は東日本大震災で見た。日本人全体が狂気に走りかねない空気を。(http://ameblo.jp/hideya-sakai/entry-10832356016.html  )

空気に酔い、空気に従い、そして空気を他者に強制する国民性は、関東大震災時代から何ら変わっていない。日韓関係、日中関係も軽んずるべきではない。私は何らかのナショナリズムを刺激する事件が起きただけで簡単に戦争が勃発しかねない空気を、東アジア地域に、そして日本に感じている。

「国益」という正義感ぶった言葉が躍る時代こそ、我々は慎重にならなければならない。そして一つ一つの日本の決断は、日本人たるあなた自身の、我々自身の決断である。

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