村井秀夫刺殺事件の真相を追って

村井秀夫は何故殺されたのか?徐裕行とは何者なのか?
オウム真理教や在日闇社会の謎を追跡します。
当時のマスコミ・警察・司法の問題点も検証していきます。
(2017年12月、『吉田悠軌…オウム真理教幹部・村井秀夫刺殺事件の真犯人と対峙して』の記事を紹介。)


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2017年12月30日、中田清秀が、脇差で長男に切りつけ、殺人未遂容疑で逮捕される事件が起きた。

事件の概要は以下のとおりである。

 

朝日新聞(2017年12月30日)

自宅で長男(40)を刀で切りつけて殺そうとしたとして、岐阜県警は29日、殺人未遂の疑いでオウム真理教の元幹部で古物商の中田清秀容疑者(70)=同県高山市西之一色町3丁目=を現行犯逮捕し、30日に発表した。「けがさせたことは間違いないが、殺すつもりはなかった」と殺意を否認しているという。

 高山署によると、中田容疑者は29日午後9時50分ごろ、同居する家業手伝いの長男に対し、「殺すぞ」などと言いながら刀(刃渡り約50センチ)で刺したり切りつけたりして殺そうとした疑いがある。長男は左手に切り傷、右太もも2カ所と右腕の計3カ所に刺し傷を負った。刀は中田容疑者の店で売られていたものとみられるという。

 

この事件に反応したのか、あるホームページやまとめサイトが当ブログの記事を転載する現象が起きた。

ネットでは中田清秀に関する情報が乏しい。ウィキペディアでは麻原の記事は過剰なまでに充実しているが、中田の方は未だに生年月日が記載されてない。

 

 

中田は、短期間で出所した後、週刊誌の取材を一度引き受けており、宗教サークルを結成していたという。

 

近年は密かにSNSをはじめており、一部のオウム事件マニア(通称オウマー)の間で話題になっていた。

 

 

中田清秀には二つの顔がある。オウム真理教幹部の姿と、元山口組組長としての姿だ。

オウム、山口組といえば、詳しい人であれば真っ先に村井秀夫刺殺事件を思い浮かべるだろう。

 

実際に、村井秀夫刺殺事件に中田清秀が暗躍していた、とされる噂が、週刊誌やスポーツ紙で話題になったこともある。

 

中日新聞(1995年6月7日朝刊臨時3面)には次のように記述されている。

 

東京地検は三日、村井秀夫氏視察の実行犯、徐裕行容疑者(29)の共犯として山口組系羽根組幹部、上峯憲司被告(47)を起訴した。上峯被告は最後まで殺害の指示を否認したが、決め手となったのは徐被告の供述。それによると、徐被告は、事件の前々日と前日に、上峯被告と都内の飲食店で接触し「殺してやれ」と命令されたという。

警視庁の調べで、徐被告が事実上、羽根組の準構成員だったことも判明した。

 残るナゾは、なぜ暴力団が村井氏を狙ったのか。逮捕された教団幹部の一人は「村井氏が覚せい剤を暴力団に売る計画をしていた」と供述。また徐被告の自宅近くの飲食店では、同教団幹部で元山口組系暴力団幹部、中田清秀容疑者=詐欺未遂容疑で逮捕が頻繁に目撃されている。

 

 

また、週刊ポスト(1995年5月26日)は以下の記事を記載した。

 

韓国クラブ『M』の近くの喫茶店従業員がいう。「3月上旬くらいまでは、うちに来ていました。1人ではなく、男性数人で打ち合わせをしていた。10日に一度くらいのペースでしたが、毎日のように来ていた時期もあります。いつもトンボ型のサングラスをしていたので断定はできませんが、彼が逮捕された時、”うちに来ていた人だと思う”と話していました」

 さらに、前出の捜査関係者はこういう。「中田が、あの辺りによく行っていたのは事実だ。じっさい韓国クラブ『M』にも飲みに行っていたはず」

中田容疑者は村井氏視察事件の10日前、4月13日に逮捕されており、単純に徐容疑者と結びつけて考えることは危険だろう。

 

 

この品川区にある韓国クラブ『M』は、徐裕行らが居候していた、世田谷区上祖師谷3丁目の家の管理人女性が経営している。 

一橋文哉は、この情報を事実であるかのように著書「オウム帝国の正体」で紹介している。

しかし、裁判で取り上げられることはなかった。

 

当ブログでは徐と中田の接点に確証がないため、紹介を控えた。

事件の風化が進む中で、菊地直子の無罪が確定し、直後に中田清秀の殺人未遂が起きたことで再び世間に衝撃が走った。

 

12月29日には「バイキングザゴールデン」の番組内で麻原逮捕劇のドラマが放送された。

相変わらず村井刺殺は10秒ほどしか紹介されなかった。

 

そこで今回は、オウム事件、村井事件に関心を持ってもらうためにあえて掲載することを決めた。

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2016年冬頃からTwitterの更新が止まり、ネットでの活動をほぼ停止していた徐裕行。

 

今年度もほぼ目立った動きがなかったが、

12月12日、二十一世紀書院忘年会に姿を見せていたことが判明した。

場所は横浜中華街。

 

 

蜷川正大や山平重樹、元赤軍派の植垣康博の他、

維新政党・新風元代表の鈴木信行氏が参加している。

 

 

https://ameblo.jp/ishinsya/

 

鈴木氏はブログで痛烈に総連や日本国内の親北朝鮮派,よど号グループや工作員を批判しているが…

 

徐裕行

 

なんで極左テロリストや自称右翼の在日北朝鮮人と一緒にいるんでしょうね

わけがわかりません

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ここに、一本の映画がある。「獅子王たちの夏」

 

脚本は西岡琢也氏。

「太平洋の奇跡 フォックスと呼ばれた男」「はいからさんが通る」等、多数の映画やドラマ作品を手がけている。

そんな彼が、「シナリオ 1985年10月号」で、山口組三代目組長、田岡一雄が襲撃された事件「ベラミ事件」をモデルにした映画の構想を紹介している。主人公のモデルは、羽根悪美であると西岡氏は明言している。

 

 

羽根は、上峯憲司と徐裕行が所属していた羽根組の組長である。

 

準備稿が作られた途端、竹中四代目組長が殺害され山口組内部で抗争が勃発。

「今映画化しない方がいい」。「獅子王たちの夏」は暗礁に乗り上げたかと思われた。

 

しかし、6年後の1991年、映画は無事公開されることとなった。

出演者には哀川翔、的場浩司、香坂みゆき、そのまんま東、寺田農など有名な役者が参加している。

 

 

しかし、その中にある人物の名前が記載されていた。

 

監修:野村秋介

 

 

http://www.jmdb.ne.jp/person/p0362900.htm

 

野村秋介は一時期映画製作に熱心だった時期があった

http://www.asagei.com/excerpt/29584

 

 

羽根組若頭、上峯憲司は一時期「九州雷鳴社」に属していたが

その団体の命名者が野村秋介だったとサンデー毎日が報道している

 

 

 

学生時代から民族派手活動していた人物として鈴木邦男が該当するが

鈴木は野村の門下生である

 

 

続編の裏に徐裕行の影

 

「獅子王たちの夏」は続編が作られている。

タイトルは「獅子王たちの最后」

 

 

脚本は夏井辰徳氏

 

夏井辰徳氏 
1964年生まれ。岩手県出身。映画シナリオライター。主な作品に93年『獅子王たちの最后』(監督:高橋伴明、監修:野村秋介)、2004年サンダンス国際映画祭『九戸郡九戸大字九戸字九戸』日本代表、『BOX 袴田事件 命とは』など。他に音楽、書画などの活動をし、富士山の麓で半自給自足をしながらさまざまなボランティア活動を行っている。ガダルカナル島における残砲弾処理は自費で約10年行っている、とされる。

 

夏井辰徳は辻元清美と面識がある模様

https://blogs.yahoo.co.jp/bonbori098/25392048.html

 

夏井辰徳のブログ

https://blogs.yahoo.co.jp/torotuky/60583752.html

 

 

夏井氏は袴田事件の免罪を訴える映画「BOX 袴田事件 命とは」を製作している

この映画の企画をしたのが後藤組・後藤忠政組長

 

 

後藤組長は野村秋介とは親交が深く、フィリピンで起きた石川重弘氏拘束事件の解放に関わった他、糸山英太郎が主催したパーティに多数の組員らと乱入騒動を引き起こし、1991年の「暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律」の反対運動で共闘している。

後藤組長が得度式を行なった場所は野村の菩提寺である浄発願寺である

 

後藤組はオウム真理教と不動産関連の取引など接点があった模様

 

 

そして東日本大震災時、後藤組長が主催した「G-rise日本」の代表を勤めたのが夏井氏

 

その副代表が村井秀夫刺殺犯・徐 裕 行

 

 

村井秀夫刺殺事件の裏で野村秋介の影がぼんやりと浮かぶ

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