2012年02月01日(水) 17時24分00秒
私は所得を倍にしたい
テーマ:ブログ
現在公開中の映画、『ALWAYS'64 三丁目の夕陽』は大変感慨深い作品だった。
終戦20年。
高度経済成長期にあった日本は将来に夢を見る。
テレビはモノクロからカラーへ。
自動販売機の登場。
そしてビートルズの来日にアイビーファッションの流行と、日本は世界へ目を向け始める。
古き良き昭和の要素がふんだんに詰め込まれていた。
そしてもう一つ、映画公開の波に乗り、古き良き昭和の要素が詰め込まれた本が登場した。

『昭和ALWAYS大百科』
KKベストセラーズより発売されたこの本には、戦後から昭和49年までの「流行」「言葉」「出来事」がギッシリと凝縮されているではないか。
「ALWAYSファンです!」
と叫んだ僕に舞い降りた素晴らしく楽しい仕事だった。
そんな僕が担当させていただいたのは、冒頭の第一章。
昭和32年(1957)から昭和37年(1962)と、まさに『ALWAYS』の前二作が舞台の年代だった。
少年マガジン、サンデーの創刊
ミッチーブーム
カラーテレビ放送開始
長嶋茂雄巨人軍入団
巨人・大鵬・卵焼き
坂本九の上を向いて歩こう
地球は青かった
などなど。
さあ、みなさんも本書を手にとって昭和に思いを馳せましょう。
*****
という話もありつつ。
今回こそ、戦後もっとも優れた総理大臣について書く。
これについては意見が相当割れるだろうが、あくまで僕の私的見解ということで進める。
おそらく大部分の人が挙げる名前は、
吉田茂(憲法の整備、終戦直後の日本を盛り立てる)
池田勇人(所得倍増計画)
佐藤栄作(沖縄返還、万博を成功させる)
田中角栄(日中国交正常化)
小泉純一郎(構造改革、郵政民営化)
といった5人ではないだろうか。
やはり一番人気は、叩き上げで首相になった田中角栄だと思われる。
総裁選では「あなたとは違うんです」の名言を残した福田康夫の父、福田赳夫を決選投票で破る。
この際、他の立候補者(三木、大平)と連合を組んで福田赳夫を潰すという念入りぶり。
首相になったあとは、いきなり難題とされていた日中国交正常化を成功させた。
上野動物園でパンダが見られるのは、田中角栄のおかげだ。
名言も多く、「政治は数、数は力、力は金」と堂々公言。
金権政治を見せつけるも派閥が大きく、実績があるので、誰も何も言えない。
本来なら全国の高速道路網を強化し、過疎、過密、公害問題などを一気に解決しようとする「日本列島改造計画」に着手するはずだった。
ここでロッキード事件(ロッキード社の贈収賄事件)が明るみに出なければ、だが。
陰謀説も囁かれるロッキード事件だが、とにかくこれのおかげで、田中角栄の評価が下がったのは事実である。
では、上記に挙げた5名のうち、田中角栄を除いて誰が一番優れているのか。
みんな強いリーダーシップを発揮した首相だが、やはり戦後復興期の日本の基盤を築き上げたという点で、僕は吉田茂と池田勇人の一騎打ちとしたい。
ここで忘れてはいけないのが、日本最大のデモと言われる60年安保闘争の勃発だ。
ご存知の方も多いと思うが、安保闘争について簡単に触れておこう。
まず1951年、敗戦国の日本と勝戦国のアメリカの間に、日米安全保障条約が結ばれる。
ようするにこれは、「日本の独立後もアメリカ軍は、日本、中国、朝鮮半島の安全のため、日本に駐留を続ける」というものだ。
条約に調印したのが吉田茂。
吉田茂は日本の防衛をアメリカに任せて、自国は経済復興に専念するという考えだった。
しかしこの条約には「アメリカは安全のために日本に駐留する」とは書かれていても、はっきり「アメリカが日本を守る」とは明言されていない。
そのため、不平等条約と指摘されていた。
そこで次の首相である岸信介が、日米安全保障条約の改訂に乗り出す。
改定案はもちろんそれを明言化させるもので、「日米の共通の敵が現れた場合、日本はアメリカ軍に全面協力しますよ。その代わり、アメリカ軍は常に日本を守ってくださいね」という形にもっていったのだ。
これが国民から「新しい日米安全保障条約は、日本をアメリカの戦争に巻き込むもの」と非難され、安保闘争という名の大規模なデモ・・・というよりテロに発展した。
時期も悪く、この頃は在日アメリカ軍が日本人主婦を射殺する事件などもあって、反米思想が高まっていたのだ。
ちなみに安保闘争に参加した国民の数は30万人以上と言われ、共産党や全学連が中心となって国会議事堂を包囲し、火炎瓶や鉄パイプでの暴動が起きた。
機動隊との衝突によって、圧死した女学生もいた。
これは日米安全保障条約を改訂した岸信介の責任とも取れるが、もともとは吉田茂が、アメリカにいいように使われる条約に調印したからだとも言われている。
というわけで吉田茂は戦後の日本を立て直したという功績は大きいが、同時に非難が多いのも確かなのだ。
では、池田勇人とは何をした人なのか。
安保闘争を引き起こした岸信介の次に首相になった人で、所得倍増計画を達成させた人だ。
所得倍増計画とは何か。
なにやらステキな響きがする計画だが、文字通り国民の月給を2倍にするというもの。
あなたの給料が毎月20万だとすれば、それを40万にしてみせますよ、というわけだ(もちろん現在価格)。
もうおわかりだと思うが、庶民の生活に密接してくるという点で、僕はこの池田勇人こそ、戦後もっとも優れた首相として推したい。
なにしろ、所得倍増計画だ。
これまで多くの首相がさまざまな政策を打ち立ててきたが、国民にとってこれほど素晴らしい政策があっただろうか。
当時のGNPは13兆ほどだったのだが、池田勇人はそれをたった10年で倍の26兆にすると公言。
確かに終戦直後は朝鮮特需などから、神武景気(神武天皇以来の好景気、つまり日本有史以来の好景気という意味)が訪れていたが、それも収束に向かっている時代だ。
多くの経済学者は「そんなの無理ぽ」と嘲笑していたが、池田勇人は強引に計画を推し進める。
「需要ではなく供給こそが経済成長の起爆剤」という言葉を信じた池田勇人は、思い切って減税と金利の引き下げを実行。
さらに貿易を自由化させて、企業に海外競争をさせつつ投資を促した。
ようするに「需要は考えなくてもいいから、とにかく、どんどん投資して商品を作って売りまくれ」と言ったわけだ。
こんなことをすれば需要が追いつかず、各企業は膨大な在庫を抱えて倒産するかと思いきや、日本の産業力と創造力はすばらしかった。
各企業の競争意識が活発になり、次々と創意工夫がなされたアイデア商品が生まれていく。
テレビ、冷蔵庫、洗濯機といった三種の神器にも、さまざまな工夫が施されていった。
するとそれに比例して、需要も加速する。
池田勇人の思い切った政策が功を成し始めたのだ。
しかし、楽観できない状況もあった。
やはり無茶な投資で倒産する企業も続出し、やがては不況に陥ってしまったのだ。
そこで池田勇人は、さらなる荒技に出る。
終戦直後の日本は、経済を安定させるためにドッジラインという政策を引いており、国債の発行を禁じていたのだが、ドッジライン以来10年ぶりに国債の発行を再開した。
ようするに池田勇人は、「だって所得倍増計画だぜ? 多少の借金ぐらい目を潰れよ」と言ったのだ。
例えるなら、「宣伝費がないから広告を打たない」というわけではなく、「宣伝費を借金してでも広告を打てば収入が増える」としたのだ。
この作戦が功を成す。
池田勇人は当初、所得倍増計画を10年間で達成させると公言していたのだが、なんとわずか7年で国民全体の月給を倍にしてしまった。
これはすごい。すごすぎる。
確かにこのとき、禁じていた国債を発行したから後に日本は借金大国になった、とも言われるが、その対処は後の首相がやるべきこと。
池田勇人は確かにGNPを倍にするという自分の仕事を完遂し、後世にバトンを繋いだ。
これがなければ、日本は未だにGNPが低く、アジアの三流国だったかもしれないのだ。
小泉純一郎以来、これほどリーダーシップに長けた首相は出ていない気がする。
色々な政策を打ち立てるのは大いに結構だが、「絶対に大丈夫」という確固たる信念がないから、少し突かれると途端に弱腰になるのだ。
今後、日本にこのようなリーダーが出てくれるのだろうか。
と考える前に、野田さんには是非とも毅然とした態度で周囲の重圧を押しのけて、日本を改善してもらいたい。
現在ヤングジャンプで連載中の『ヒトヒトリフタリ』(高橋ツトム)の主人公、春日首相のように。
春日首相は国会で、答弁の揚げ足取りをしてきた議員に向かってこう言う。
「こんなに山積みの問題があるのに、私の言葉を失言だと攻めるばかりの議論なんて、もう国民は飽き飽きしてるよ。このバカ議員が!」
マンガの総理のほうがカッコいいじゃないか。
終戦20年。
高度経済成長期にあった日本は将来に夢を見る。
テレビはモノクロからカラーへ。
自動販売機の登場。
そしてビートルズの来日にアイビーファッションの流行と、日本は世界へ目を向け始める。
古き良き昭和の要素がふんだんに詰め込まれていた。
そしてもう一つ、映画公開の波に乗り、古き良き昭和の要素が詰め込まれた本が登場した。

『昭和ALWAYS大百科』
KKベストセラーズより発売されたこの本には、戦後から昭和49年までの「流行」「言葉」「出来事」がギッシリと凝縮されているではないか。
「ALWAYSファンです!」
と叫んだ僕に舞い降りた素晴らしく楽しい仕事だった。
そんな僕が担当させていただいたのは、冒頭の第一章。
昭和32年(1957)から昭和37年(1962)と、まさに『ALWAYS』の前二作が舞台の年代だった。
少年マガジン、サンデーの創刊
ミッチーブーム
カラーテレビ放送開始
長嶋茂雄巨人軍入団
巨人・大鵬・卵焼き
坂本九の上を向いて歩こう
地球は青かった
などなど。
さあ、みなさんも本書を手にとって昭和に思いを馳せましょう。
*****
という話もありつつ。
今回こそ、戦後もっとも優れた総理大臣について書く。
これについては意見が相当割れるだろうが、あくまで僕の私的見解ということで進める。
おそらく大部分の人が挙げる名前は、
吉田茂(憲法の整備、終戦直後の日本を盛り立てる)
池田勇人(所得倍増計画)
佐藤栄作(沖縄返還、万博を成功させる)
田中角栄(日中国交正常化)
小泉純一郎(構造改革、郵政民営化)
といった5人ではないだろうか。
やはり一番人気は、叩き上げで首相になった田中角栄だと思われる。
総裁選では「あなたとは違うんです」の名言を残した福田康夫の父、福田赳夫を決選投票で破る。
この際、他の立候補者(三木、大平)と連合を組んで福田赳夫を潰すという念入りぶり。
首相になったあとは、いきなり難題とされていた日中国交正常化を成功させた。
上野動物園でパンダが見られるのは、田中角栄のおかげだ。
名言も多く、「政治は数、数は力、力は金」と堂々公言。
金権政治を見せつけるも派閥が大きく、実績があるので、誰も何も言えない。
本来なら全国の高速道路網を強化し、過疎、過密、公害問題などを一気に解決しようとする「日本列島改造計画」に着手するはずだった。
ここでロッキード事件(ロッキード社の贈収賄事件)が明るみに出なければ、だが。
陰謀説も囁かれるロッキード事件だが、とにかくこれのおかげで、田中角栄の評価が下がったのは事実である。
では、上記に挙げた5名のうち、田中角栄を除いて誰が一番優れているのか。
みんな強いリーダーシップを発揮した首相だが、やはり戦後復興期の日本の基盤を築き上げたという点で、僕は吉田茂と池田勇人の一騎打ちとしたい。
ここで忘れてはいけないのが、日本最大のデモと言われる60年安保闘争の勃発だ。
ご存知の方も多いと思うが、安保闘争について簡単に触れておこう。
まず1951年、敗戦国の日本と勝戦国のアメリカの間に、日米安全保障条約が結ばれる。
ようするにこれは、「日本の独立後もアメリカ軍は、日本、中国、朝鮮半島の安全のため、日本に駐留を続ける」というものだ。
条約に調印したのが吉田茂。
吉田茂は日本の防衛をアメリカに任せて、自国は経済復興に専念するという考えだった。
しかしこの条約には「アメリカは安全のために日本に駐留する」とは書かれていても、はっきり「アメリカが日本を守る」とは明言されていない。
そのため、不平等条約と指摘されていた。
そこで次の首相である岸信介が、日米安全保障条約の改訂に乗り出す。
改定案はもちろんそれを明言化させるもので、「日米の共通の敵が現れた場合、日本はアメリカ軍に全面協力しますよ。その代わり、アメリカ軍は常に日本を守ってくださいね」という形にもっていったのだ。
これが国民から「新しい日米安全保障条約は、日本をアメリカの戦争に巻き込むもの」と非難され、安保闘争という名の大規模なデモ・・・というよりテロに発展した。
時期も悪く、この頃は在日アメリカ軍が日本人主婦を射殺する事件などもあって、反米思想が高まっていたのだ。
ちなみに安保闘争に参加した国民の数は30万人以上と言われ、共産党や全学連が中心となって国会議事堂を包囲し、火炎瓶や鉄パイプでの暴動が起きた。
機動隊との衝突によって、圧死した女学生もいた。
これは日米安全保障条約を改訂した岸信介の責任とも取れるが、もともとは吉田茂が、アメリカにいいように使われる条約に調印したからだとも言われている。
というわけで吉田茂は戦後の日本を立て直したという功績は大きいが、同時に非難が多いのも確かなのだ。
では、池田勇人とは何をした人なのか。
安保闘争を引き起こした岸信介の次に首相になった人で、所得倍増計画を達成させた人だ。
所得倍増計画とは何か。
なにやらステキな響きがする計画だが、文字通り国民の月給を2倍にするというもの。
あなたの給料が毎月20万だとすれば、それを40万にしてみせますよ、というわけだ(もちろん現在価格)。
もうおわかりだと思うが、庶民の生活に密接してくるという点で、僕はこの池田勇人こそ、戦後もっとも優れた首相として推したい。
なにしろ、所得倍増計画だ。
これまで多くの首相がさまざまな政策を打ち立ててきたが、国民にとってこれほど素晴らしい政策があっただろうか。
当時のGNPは13兆ほどだったのだが、池田勇人はそれをたった10年で倍の26兆にすると公言。
確かに終戦直後は朝鮮特需などから、神武景気(神武天皇以来の好景気、つまり日本有史以来の好景気という意味)が訪れていたが、それも収束に向かっている時代だ。
多くの経済学者は「そんなの無理ぽ」と嘲笑していたが、池田勇人は強引に計画を推し進める。
「需要ではなく供給こそが経済成長の起爆剤」という言葉を信じた池田勇人は、思い切って減税と金利の引き下げを実行。
さらに貿易を自由化させて、企業に海外競争をさせつつ投資を促した。
ようするに「需要は考えなくてもいいから、とにかく、どんどん投資して商品を作って売りまくれ」と言ったわけだ。
こんなことをすれば需要が追いつかず、各企業は膨大な在庫を抱えて倒産するかと思いきや、日本の産業力と創造力はすばらしかった。
各企業の競争意識が活発になり、次々と創意工夫がなされたアイデア商品が生まれていく。
テレビ、冷蔵庫、洗濯機といった三種の神器にも、さまざまな工夫が施されていった。
するとそれに比例して、需要も加速する。
池田勇人の思い切った政策が功を成し始めたのだ。
しかし、楽観できない状況もあった。
やはり無茶な投資で倒産する企業も続出し、やがては不況に陥ってしまったのだ。
そこで池田勇人は、さらなる荒技に出る。
終戦直後の日本は、経済を安定させるためにドッジラインという政策を引いており、国債の発行を禁じていたのだが、ドッジライン以来10年ぶりに国債の発行を再開した。
ようするに池田勇人は、「だって所得倍増計画だぜ? 多少の借金ぐらい目を潰れよ」と言ったのだ。
例えるなら、「宣伝費がないから広告を打たない」というわけではなく、「宣伝費を借金してでも広告を打てば収入が増える」としたのだ。
この作戦が功を成す。
池田勇人は当初、所得倍増計画を10年間で達成させると公言していたのだが、なんとわずか7年で国民全体の月給を倍にしてしまった。
これはすごい。すごすぎる。
確かにこのとき、禁じていた国債を発行したから後に日本は借金大国になった、とも言われるが、その対処は後の首相がやるべきこと。
池田勇人は確かにGNPを倍にするという自分の仕事を完遂し、後世にバトンを繋いだ。
これがなければ、日本は未だにGNPが低く、アジアの三流国だったかもしれないのだ。
小泉純一郎以来、これほどリーダーシップに長けた首相は出ていない気がする。
色々な政策を打ち立てるのは大いに結構だが、「絶対に大丈夫」という確固たる信念がないから、少し突かれると途端に弱腰になるのだ。
今後、日本にこのようなリーダーが出てくれるのだろうか。
と考える前に、野田さんには是非とも毅然とした態度で周囲の重圧を押しのけて、日本を改善してもらいたい。
現在ヤングジャンプで連載中の『ヒトヒトリフタリ』(高橋ツトム)の主人公、春日首相のように。
春日首相は国会で、答弁の揚げ足取りをしてきた議員に向かってこう言う。
「こんなに山積みの問題があるのに、私の言葉を失言だと攻めるばかりの議論なんて、もう国民は飽き飽きしてるよ。このバカ議員が!」
マンガの総理のほうがカッコいいじゃないか。





