What's Entertainment ?

映画や音楽といったサブカルチャーについてのマニアックな文章を書いて行きます。


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今となっては、国民的タレントとなったタモリこと森田一義

35mmの夢、12inchの楽園

芸能界史上もっとも遅い芸人デビューであり、まさにワン・アンド・オンリーな「素人」芸人である。彼の存在に唯一近かったのは、デビュー当時の竹中直人くらいだろう。彼も今では、俳優、映画監督としての評価を確立してしまった。

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R-18 A Go-Go! ~女と男のいる鼓動~

今でこそ、お昼の顔といえるタモリであるが、デビュー当時の異質ぶり、アナーキーさといったらなかった。本当に「密室芸人」とは、上手く言ったものである。カメラマンの浅井慎平が設定したという、真ん中分けに撫で付けた髪にアイパッチ(彼は、小学生の頃の怪我で失明している)、何ともいえない「ねっとり」とした爬虫類的佇まい。
彼の芸風とも相俟って、その様はまさしく「アングラ」であった。

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彼は福岡の出身だが、大学時代は東京に出てきて、早稲田大学第二文学部哲学科に籍を置いていた。サークルはモダンジャズ研究会(通称「ダンモ」)に所属してトランペットを吹いていたのだが、「マイルスのラッパは泣いているが、お前のラッパは笑っている」と言われて、専らマネージャーや司会を担当するようになる。そこでの手腕が評価されて、彼は学費未納で大学を除籍されても、マネージャー業は続けていた。
この時の経歴が、彼の後の人生を大きく左右することになる。

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福岡に戻って、職を転々としていたタモリ。
1972年に渡辺貞夫のツアーメンバーとして参加していた山下洋輔が、博多でのライブ終了後に馬鹿騒ぎしていたホテルで、タモリは友人であるナベサダのマネージャーと飲んでいた。そして、あまりの乱痴気騒ぎに、その部屋を訪れたタモリが、急遽その宴に乱入。メンバーと一緒になって芸を披露した。

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タモリはそのまま部屋を後にしたが、彼の芸にいたく感動した山下らメンバーが「あいつは、間違いなくジャズ・ファンだ」と確信して、博多のジャズ・バーをしらみつぶしに電話した。その結果、彼らはタモリを見つけ出すことに成功する。そして、山下ら新宿ゴールデン街の店「ジャックと豆の木」の常連で結成された「伝説の九州の男・森田を呼ぶ会」のカンパによって、1975年6月にタモリは再び上京することとなる。

R-18 A Go-Go! ~女と男のいる鼓動~

そして、「ジャックと豆の木」で夜毎一週間ぶっ通しで、かの有名な「四ヶ国親善麻雀」等のネタを延々と披露した。その噂を聞きつけて、店を訪れたお客の一人が、ギャグ漫画家・赤塚不二夫であった。タモリを一目見た赤塚が「この男を博多に帰してはいけない」と言って、タモリを自分のマンションに居候させる。そして、自分の出演番組のゲストにタモリを呼んだりしているうちに、深夜番組『チャンネル泥棒!快感ギャグ番組!空飛ぶモンティ・パイソン』(東京12チャンネル)で、芸能界デビュー。森田一義、30歳の時である。

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そして、和田アキ子、せんだみつお、ザ・デストロイヤーといった出演陣で人気だった『金曜10時!うわさのチャンネル!!』(日本テレビ)のレギュラーに抜擢された後、深夜放送『オールナイトニッポン』のパーソナリティで、人気を不動のものにした。

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1982年スタートの『森田一義アワー笑っていいとも!』(フジテレビ)と『タモリ倶楽部』(テレビ朝日)以降の活躍は、あえてここで触れるまでもないだろう。

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タモリの芸は、先例も後塵もない斬新なオリジナリティに満ち溢れていた。彼の「オタク的」な生き様と知識の集積が生み出したのが、一連の「密室芸」であったといっていいだろう。
「四ヶ国親善麻雀」「中洲産業大学教授」「ハナモゲラ語」「イグアナ、ハエ」といった形態模写、寺山修司、野坂昭如、竹村健一、久米明」らの声帯模写、名曲「ソバヤ」等々。

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彼の独創的な新しさは、世間一般が持つ漠然としたイメージを芸として提示したことに他ならない。「えせ外国語」にしても「イグアナ」にしても「寺山修司」にしても、確かにそんな感じだよね…といった暗黙のコンセンサスを現出させるところが、彼の模写が他の物まねと決定的に違う点である。
擬似的抽象性とでも言えばいいだろうか。

R-18 A Go-Go! ~女と男のいる鼓動~

それは、各国語によるサッカー中継や、多国籍ラップ、韓国と北朝鮮の遊園地アナウンスの違い、フランス映画の物のまね、各国別ベッド・インの仕方といった、より抽象度の高い芸にまで昇華していった。
それらのネタを、「芸」として成立させているのが、彼の圧倒的な知識である。デビュー当時のタモリは、良くインテリ芸人扱いされていたものだ。
僕が好きだった彼の芸に、『ばらえてい テレビファソラシド』(NHK総合)でやった「如何に音響効果が偽りであるか」という凄いものがあった。これは、何のことはない日常の食卓風景を、音響効果で一様にドラマティックに演出してしまう…というネタであった。「あっ、箸を落とした」(BGM「ジャーン!!!」)みたいな感じである。

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ただ、タモリにも弱点はあって、彼はどうやら俳優業には向いていないようである。浅井慎平監督の映画初主演作『キッドナップ・ブルース』('82)にしても、テレビ番組『世にも奇妙な物語』(フジテレビ)のナビゲーター役にしても、彼本来の精彩さを欠くものであった。

彼の芸は、レコードにも残されているが、最大の傑作『タモリ3』は、いまだにCD化がされず、お蔵入りのままである。このレコードは、タモリが昭和歌謡を徹底的にパロディにしたもの(例えば「東京ブギウギ」のパロディ「病院ブギウギ」)で、著作権問題から封印されたものである。この作品は、当時すったもんだの末、アルファ・レコードが新星堂限定で初回プレス35,000枚のみ、販売した。この限定発売前に、発売中止に怒ったタモリが、自身の『オールナイトニッポン』で、全曲流したことは、当時のファンには有名なエピソードである。

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今でも彼がコンスタントに芸を披露するのは、『徹子の部屋』の年末ゲストの時くらいである。

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個人的には、タモリと初期の竹中直人の芸をDVD化して欲しい、と切に願っているのだが。
とても話題になった、アドリブによる赤塚不二夫への「白紙の弔辞」(勧進帳のパロディ)にしても、まだまだ彼の凄腕は健在である。


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願わくば、もう少し彼の「密室芸」を観る機会が欲しいな、と思う。

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いずれにせよ、タモリは今後現れることがないであろう「戦後最大の素人芸人」である。


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恐らく、彼には「引退」という概念すら存在しないのだろう。


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鳥居みゆき(1981年3月18日生・秋田県出身)のブレイクは、実に衝撃的だった。

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僕が彼女を知ったのは、カルトについて調べるために『You Tube』で、「カルト」で検索をしたら、やたらと彼女の動画がヒットしたことがきっかけであった。その動画こそ、彼女のブレイクのきっかけとなったGyaO『カンニングの恋愛中毒』での芸人面接出演時の映像であった。


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僕は、危ない系の話を結構チェックしているのだけれど、彼女の芸風の危なさって、本当に狂気と紙一重的な凄みがある。背徳芸、妄想芸とでも表現すればいいだろうか。
美形の顔立ちに170センチの長身、大きく見開いた目にきついアイライン、振り乱した髪、上下白のパジャマに、裸足、手には包帯を巻いた熊のぬいぐるみ(ちなみに名前は「多毛症」といい、彼女はその存在を完全否定している。)、そしてマラカスと「ヒット・エンド・ラーン」の絶叫。


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ネタの不条理さもかなりのものだが、「マサコ」ネタにしても、禁断の「木下さん」ネタにしても、「妄想紙芝居」や「妄想マリオネット」にしても、言葉をきっちりと選んで、韻を踏んだり、言葉同士を関連付けたりして、実はかなり緻密に計算されている。
ショートコントのタイトルをわざと噛んで、別のネタをやる、というアイデアも秀逸だった。
実は彼女の考えるネタは、「カラオケ」にしても、「戦後の合コン」にしても、世代的には彼女の1、2回り上の世代の時事を扱ったものが多い。何せ、尊敬する芸人が昭和のいるこいる師匠である。
「今時、大声を出せるのは安田講堂くらいだ」と言いながらクリスタル・キング(覚えてますか?)の「大都会」を歌ったり、背泳の鈴木大地がソウル五輪で金メダルを取った潜水泳法「バサロ」をネタにしたり…。
一番マニアックだと僕が思ったのは、「一塁、二塁、桜樹ルイ」と言うフレーズである。お前何歳だって感じである。完全にすべって、本人は素で照れていたが。


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彼女のネタで、もっとも秀逸かつ危険度が高いものは、妄想紙芝居の通常ネタでは「白い」画用紙でやっている「赤頭巾ちゃん」の「絵がちゃんとあるバージョン」である。このネタは、彼女のDVD『ハッピーマンデー』にも収録されているのだが、危な過ぎてモザイクが掛かっている。
この「赤」頭巾ちゃん、ネタ元が学生運動・日本赤軍・連合赤軍であり、頭巾を取ると女の子は重信房子なのである。 もちろん、安田講堂の学生と機動隊の衝突も「あさま山荘事件」も「よど号ハイジャック事件」も登場する。ヤバイ。やば過ぎる…。
そういえば、彼女がKKKのような被り物をして、ネタを披露したこともあるが、それは今はなかったことにしているようだ。

しかし、彼女はブレイクした精神病患者キャラの芸風よりも、それ以前の芸風の方が遥かにタブー度が高かった。今の芸風は、ある意味見たまんまな分だけ安全であるとさえ言える。
デビュー(2000年11月)当時にやっていた、天国生まれの地獄育ち「堕天使」に扮してふわふわとしゃべる毒舌話芸も、実名の有名人を出す非道なネタであった。
その後の、「妄想妊婦」「米のよしだ」「テスト勉強」「ひきこもり」「妄想葬儀」「同棲生活」「ダルマ落とし」「コックリさん」等のコントは、尺が長いことと内容が下ネタと禁断ネタのオン・パレードであるため、その一部は動画サイトで閲覧可能であるが、完全版は彼女が出演するライブで観るしかない。
正直言って、「想像妊娠」くらいオチがブラックになると、もう笑うに笑えない。…というより、
このネタを思いつく精神構造がマジで怖い。
ちなみに、彼女は現在までに2回単独ライブをやっている。ライブのコンセプトは共通していて、「鳥居みゆきの葬式(告別式)」である。2回とも、お客は基本的に喪服の着用が求められていた。らしいと言えば、実にらしい自虐ネタである。
最初の単独ライブは2003年1月18日に新宿永谷ホール 新宿Fu-(キャパ150名)で行われた『狂宴封鎖的世界~葬式~』である。1時間くらいのパフォーマンスだったようだ。
次の単独ライブは、ブレイク後の2008年7月28日に新宿明治安田生命ホールで行われた『故 鳥居みゆき 告別式~狂宴封鎖的世界~』というものだった。このホール、キャパ400人位の映画の試写会とかで使用される狭いホールであったが故に、チケットは完全にプラチナ化して、オークションでウン万円の争奪戦だったらしい。
この2つのライブ、僕は観ていないのだが、基本的には葬儀の場を舞台に、新旧取り混ぜたヤバイネタを披露したようである。最後は、鳥居みゆきの入った棺に献花して、出棺したらしい。このライブは、DVD化されているが、ネタがネタだけに当然完全版ではない。


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鳥居みゆきといえば、彼女は2008年4月にした結婚のカミング・アウトでおかしな方向に騒がれて、芸人としての本質が一時的にうやむやになってしまった感がある。それが残念だった。
何せ、タイミング的には「ここぞっ!」という時期だっただけに、事務所もさぞや頭を抱えたことだろう。
ただ、よく考えると彼女の結婚はブレイク前である。『恋愛中毒』出演で、急激にブレイクしてしまい、その時「恋人には逃げられる女」的キャラを付けてしまったことで、既婚者であることが言えないままのテレビ出演が続いてしまったというのが、実際のところだろう。
女性週刊誌が鳥居の結婚の事実を掴んだのが、タイミングが悪いことに彼女のDVD『ハッピーマンデー』の発売直前であった。そのため、週刊誌の記事になる前に自分の口からと、タワー・レコードとHMVでのDVD発売イベントの最後での、唐突な「結婚してました事件」になった訳だ。イベントに同席していた同じ事務所の小島よしおもかなりの衝撃を受けたようである。


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さて、彼女は現在「サンミュージック」に所属しているが、以前は鳥居美由貴(当時の本名)で「S&D STUDIO」に所属していた。彼女は、高校時代に女性ファッション誌の読者モデルをしており、デビュー当時からルックスが良かった。前の事務所は基本的にタレント事務所であったため、彼女の容姿も手伝って、さまざまなオーディションを受けさせられたようだ。


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現に、彼女にはいくつかのテレビCMに出演した実績があり、一番有名な話として、2001年アコムのCMオーディションに最終選考で落とされた、というのがある。オーディションの最終面接で、鳥居は「私、このオーデュションに受からないと、本当に御社のお世話になることになります」という秀逸なコメントを残したそうである。ちなみに、この時マスコット・ガールに選ばれてブレイクしたのが、小野真弓である。「初めての~アコム♪」というアレだ。でも、彼女の変わりに鳥居みゆきがあのCMをやっていたら…いくら考えても、想像不可能である。
ちなみに、鳥居自身も小野真弓のことを自身のコント「妄想結婚式」でネタにしている。


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また、2005年2月に発売され今やプレミア化しているDVD『ギャグラ!鳥居みゆき編』では、ブラックなコントとともに、彼女の水着姿や巫女姿のイメージ映像が収録されている。もちろん、「可愛い&セクシー」キャラでの撮影であるから、普通の表情をした長身のグラビア・モデルとしか見えない。でも、当時もやっていた芸は過激なものだったのだから、ギャグとグラビアのシュールな組み合わせは物凄いギャップである。
そして、前事務所が同年春に「サンミュージック」と業務提携したのを機に、現所属となった。ここでようやく、彼女の芸人としての本当の基盤が整備されたと言ってもいいだろう。


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僕は、彼女の芸がかなり好きである。
あの徹底した吹っ切れ方と、背徳感、不条理性、憑依的なキャラ、言葉遊び、エキセントリックなまでの支離滅裂さ、会話を徹底的にかみ合わせないところ。しかし、彼女の芸風は極めて高度でマニアックな知性に裏打ちされていることは想像に難くない。 そこが何より魅力である。
メディアに露出している時の、自分の作り上げたキャラを徹底して貫徹しているところもプロだ。仕事で持ち歩くバッグの中身も、やたらと紅しょうがパックが入っていたりして、凄い。彼女のデコ携帯の壮絶な気持ち悪さもキテいる。彼女がどうオンとオフの切り替えをしているのかは、本当に謎である。
夫婦生活については、全く想像もつかないが、ナイナイの「めちゃイケ」で自分の結婚式の写真を見せられて、半泣き状態になりながら「これは、ダメだろ~!」と素になっていたから、実は結構普通な人かもしれない。

ただ、本人は頑なに否定しているけれど、良くも悪くもあのルックスあっての過激芸だ…ともいえる。本人としては痛し痒しだろうが。


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ちなみに彼女の実姉・鳥居千春さんもかなりの美人で、かつ振れ切れた天然ボケである。姉の前では、がぜん鳥居みゆきがしっかり者になるから面白い。やはり、計算ずくの芸人なのである。


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現在の鳥居は、既婚騒ぎも一段落して、活動も順調なようである。R-1やM-1へのエントリー、映画やCMへの出演、ライブ、本の出版、セミヌード・グラビアと多様な活動を展開している。


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「アルプス鳥居改め南アルプス鳥居」ネタもシャープでインテリだ。これから、鳥居がどんな方向に進化するのかが期待される。
しかし彼女の場合、進化すればするほど「深化」しそうである。そもそも、彼女の芸風自体は、(ライブとテレビでのネタのチョイスはあっても)基本的には全く軸がぶれていない。筋の通ったポリシーがそこには確実にある。


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ただ、現実問題として、どういう環境で育つとあのルックスであの屈折した思考パターンが生まれるのだろう…。


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謎は深まるばかりである。




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今回は、日本のブラック・ジョークについて書きたい。

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黒い笑いを世界的に見た場合、もっとも有名でかつクオリティ的にも構成的にもずば抜けていたのがイギリスBBCのテレビ番組で1969年から放送された『モンティ・パイソン』(日本では、広川太一郎らによる吹き替え版が『空飛ぶモンティ・パイソン』として東京12チャンネルで放映)だろう。
この番組は、当時のイギリス・サブカルチャーに大きな影響力を持ち、ビートルズのメンバーも大ファンだった。
のちに、メンバーの一人エリック・アイドルがビートルズの歴史を徹底的にパロディー化した架空のバンド・ラトルズの歴史ドキュメンタリーとして『オール・ユー・ニード・イズ・キャッシュ』THE RUTLES in ALL YOU NEED IS CASHを制作した際、レポーター役でジョージ・ハリスンが出演していた。彼らのサントラ盤も、これでもかと言う位に、完璧にビートルズの曲をパロッた大傑作である。ラトルズ・メンバーの一人ニール・イネス(元ボンゾ・ドッグ・バンド)の才能が光る。

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そしてこの『モンティ・パイソン』は、ブルース・ブラザーズやエディ・マーフィーを輩出したことでもお馴染みの、アメリカのコメディ番組『サタデー・ナイト・ライブ』にも多大な影響を与えた。

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では、日本を見た場合、ブラックな笑いにはどんな物があっただろうか。

先ず思い浮かぶのは、ハナ肇とクレイジー・キャッツ、コント55号辺りだろう。
その次となると、現在は世界的映画監督になってしまった北野武(ビートたけし)のツービートと、国民的タレントになった
タモリが挙げられる。

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今でも、You Tube等の動画サイトで彼らのネタを見ることができるが、年寄り、ヤクザ、弱者を徹底的にこき下ろす「毒ガス漫才」と称されたツービートの漫才は、今でも十分に笑える。タモリの登場も衝撃的だった。先ず、白いタキシードにアイパッチという風貌が異様だったし、怪しげな外国語を駆使した「四ヶ国語麻雀」やハナモゲラ語、イグアナやハエの形態模写、寺山修司の物真似、学問から同性愛、宗教までを扱う禁断ネタ(『24時間テレビ・愛は地球を救う』で赤塚不二夫と上半身裸で行ったSMパフォーマンスはいまや伝説化している。これでタモリは『24時間~』に出入り禁止となる。)は、まさに放送業界への挑発であった。
それと同じくらい凄かったのが、当時彼らがパーソナリティを勤めたニッポン放送の伝説的深夜放送『オールナイト・ニッポン』である。
ちなみに、『笑ってる場合ですよ』打ち切り後、『笑っていいとも』をスタートさせる際、当時フジテレビの番組プロデューサーであった横澤彪は「もっともお昼の番組にふさわしくないタレント」ということで、当時密室芸人と呼ばれていたタモリをキャスティングした。

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そして、1976年から1980年に掛けてラジオ大阪、ラジオ関東、東海ラジオ、TBSラジオで放送されたのが、今回紹介する伝説のラジオ番組『スネークマンショー』である。テレビとラジオとでメディアこそ異なるが、スネークマンショーが提示した笑いの斬新さは、モンティ・パイソンに比肩する、と僕は信じて疑わない。

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スネークマンショーは桑原茂一、小林克也、伊武雅刀によるユニットで、小林克也がアメリカの人気DJウルフマン・ジャックの物真似が得意だったことから、そのパロディとして命名された。実際に彼は、番組内やレコードでも、ウルフマン・ジャックの物真似を披露している。
このラジオ番組『スネークマンショー』は、アンチ・モラルなコントと桑原の先鋭的な選曲とが同列に重要視されて制作されたところに最大の特徴がある。

YMOの高橋ユキヒロが彼らのファンだったことから、1980年に小学館の雑誌『写楽』創刊イベント『写楽祭』にて、日本武道館でのコラボが実現した。ところが、はがき抽選による無料招待で行われたこのイベントは、ギャグをメインに考えていた企画側と当時人気が社会現象化していたYMOのライブ目当てに殺到した客との隔たりが大きく、大失敗となる。

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ちなみに、イベント後半でYMOはちゃんとライブ演奏を行ったが、客の態度の悪さからメンバーも怒りを抱えての演奏となり、そのことが却って彼らのパフォーマンスをパンク化させ、彼らのライブの中でも屈指の演奏となった。実に皮肉な話である。現行のCDでその一部が聴けるが、一刻も早い完全版のリリースを願ってやまない。

この『写楽祭』失敗のあおりで、番組は急遽打ち切りとなった。それを惜しんだYMOが、1980年の彼らの10インチ・ミニアルバム
『増殖』で、曲間にスネークマンショーのギャクを挟むという再コラボを実現。このミニ・アルバムがオリコン・チャートで1位を獲得し、スネークマンショーは一気にメジャー化した。

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この結果に気を良くしたアルファ・レコードは、彼らの単独アルバムを次々に制作。1981年に『急いで口で吸え!』『死ぬのは嫌だ、恐い。戦争反対』を発表。これらの作品も番組同様、彼らのブラック・ジョークと桑原の先進的な選曲で構成され、大ヒットとなった。

35mmの夢、12inchの楽園

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1982年には、コンドームのパッケージを模したカセットで『スネークマンショー海賊版』を発表(ご丁寧にも取扱説明書まで付いていた)。いよいよ彼らの黒い笑いに磨きが掛かっていく。
しかし、意見の対立から小林克也が脱退。人気は絶頂期を迎えるも、スネークマンショー自体は自然消滅への道を辿ることとなった。

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今の耳で聞いても、彼らの作り出した毒を含んだ笑いは十分に有効である。3枚のアルバム全てのギャグがお勧めだし、選曲も鋭い。
シンナーでラリる、盗聴、ポール・マッカートニー大麻持込事件ネタ、ストップ・ザ・ニューウェーブ、宇宙船事故、野球中継と性行為実況、ラブホテル、戦場レポート、テレフォン・ショッピング、ジャンキー大山、痰壷小僧、今夜はご馳走様…もう、何でもありの過激さである。こればっかりは、CDを聞いてもらうしかない。

まさに80年代的サブカルチャーの置き土産である。
実は2001年に『ラジオ・スネークマン・ショー』という9枚のCDリリースがアナウンスされたことだある。ラジオ時代のスネークマンショーのワーナーからのソフト化企画である。実際、9月27日に3枚が発売されたのだが、何故かすぐに廃盤回収の憂き目に遭い計画は頓挫してしまった。

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ただ、アルバムはリマスターされて再発されているので、一人でも多くの人にこの異才集団の毒を味わって欲しいものである。

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