ひぼろぎ逍遥

http://ameblo.jp/hiborogi-blog/

久留米地名研究会 (神社考古学研究班) 古川 清久

はじめに

すでに、綾杉るな女史による「ひもろぎ逍遥」というブログが良く読まれ、神社への関心の高まりにまでも貢献していることは良く承知しています。
同女史は、九州大学の航空工学の助教授であった故真鍋大覚氏による「那の国の星」他をヒントに神功皇后を追い求めておられます。
これに対抗しようという意図はさらさらないのですが、華麗なひもろぎ逍遥に対して、緋色のボロ着で、神籬=ひもろぎ(ひぼろぎ)を逍遥=彷徨い歩き、神社を探るというほどの意味で、「ひぼろぎ逍遥」を随時書いて行くことにしたものです。
ただし、「ひもろぎ」も「ひぼろぎ」も同一の意味で、「かむりつく」「かぶりつく」、「ねむたい」「ねぶたい」、「つむる」「つぶる」・・・とM音とB音が入れ替わっても全く意味が変わらない言葉が日本語には沢山あるのです。
これは、基本的には呉音と漢音の対抗を意味しており、これ以外にも、N音とD音の入れ替わり現象、濁音の清音化現象も認められます。
詳しくは久留米地名研究会のHPで永井正範氏の講演をお聴きください。
ただ、緋色のボロ着は古川だけの事ですので、悪しからずご容赦。
5月からは久留米大学公開講座(九州王朝論)が始まります。詳細については久留米大学の公開講座の案内をご覧ください。


※9月4日のスケジュールは台風のためなくなりました。
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blog「ひぼろぎ逍遥」、「ひぼろぎ逍遥」(跡宮)の読者の皆さんへ!




52回 菊池(川流域)地名研究会

2016911日(日)13:3016:30

会場:熊本県菊池市七城町甲佐町721

テーマ 「大宮神社と猿田彦大神」(資料代 500円)

“本来、大宮神社は景行天皇を祀ってはいなかった!”


講演者 古川 清久(久留米地名研究会編集員)



2016

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330 春本番!安芸太田から邑南町の神社探訪 ⑬ “島根県邑智郡邑南町日和の桜井神社”

20160430

久留米地名研究会(編集員) 古川 清久


またまた、話が前後しますが、先に、ひぼろぎ逍遥 327 春本番!安芸太田から邑南町の神社探訪 ⑩“島根県邑智郡邑南町の賀茂神社” 328 ⑪“島根県邑智郡邑南町の諏訪神社”で山上楽園としての邑南町を取り上げました。

しかし、さらにその奥に桃源郷とも言うべき日和の郷があります。

以前、北西方向の江津市桜江から進入を試みて、道路崩壊のため遮られ断念したことがあるのですが、今回は邑南町の中心の南から入り前回見る事の出来なかった新世界を確認できる事になったものです。

江 津方面から入るのは困難な場所ですが、邑南からは、近年、大橋梁と巨大トンネルを造る事を目的 としたとしか考えられない長延長の邑南広域農道が造られた事から(と言ってもこの桃源郷に住む方々にとっては有難い限りでしょうが…)、いとも容易く入る ことが出来るようになったのです。


330-1


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さて、桃源郷との思いだけで踏み入った桜井神社でした。

福岡県の糸島半島に桜井地名があり(勿論奈良にもありますが…)桜井神社があることは承知していました。ただ、その程度の知識しか手元になかったことから途方に暮れてしまいました。

 如何なる神様が鎮座されているのか皆目見当が付かないのです。

神額には「桜井太詔刀命神社」とありますが、以前、江津市桜江町周辺の神社を見たときにも、川戸70に 太詔刀命神社があることを知っている程度です。

社殿を境内にも判断材料になるようなものは一切なく、ネット上にも、同神社に関してはまとまった情報もないのです。

手元に「島根県神社誌」(近々にも購入予定)もないことから確認できたことだけで満足することにしましたが、研修所に戻り、再度、ネット検索を繰り返していると、真言密教系のサイトに“妙見社は現在は「桜井太詔刀命神社(村社日和正青山)」(『日和郷土誌』p133)”といった記事を見出だしました。


ちなみに、島根県石見国邑智郡日和村桜井太詔刀命神社の伝記に「近江天皇仁平四年初卯日(1153年)但馬国妙見山より妙見大菩薩勧請」とされています。これはいかに但馬妙見信仰が古くから広まっていたかという事実の一端を示しています。

HP「星に願いをかけるお寺」高野山真言宗 但馬妙見 日光院より


これで、ようやく大方の見当が付きました。

少なくとも、12世紀以降は妙見神社だった事が分かるのですが、明治維新以降の廃仏毀釈(神仏分離令)によって、その山岳修験の要素さえもひた隠しにせざるを得なくなり、現在のような顔の見えない神社として生き残ってきた様に見えるのです。

現在、糸島市の桜井神社はイザナミ、イザナギの子とする神直日神以下を祀っています。

ただし、妙見神社以前にも別の神様が祀られていた可能性も考えておく必要があるでしょう。

そこまで考えれば、この日和の開拓の歴史がどこまで遡る事ができるかどうかがあり、容易には見通すことができません。

ただ、妙見神社だった事は同地の地名とぴったり対応しているのです。



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そもそも妙見神社とは天地開闢神である「天御中主命」(久留米水天宮)を祀るものですが、妙見信仰として北斗七星をシンボルともしています。

まず、現地を見て頂ければ分かりますが、桜井神社は正確に北の鳶ノ子山の真南に置かれています。

さらに、集落の中心地でもある日和郵便局も南の鳥子山の正確な真北に置かれているのです。グーグル・アースで確認して下さい。

このように、鳶子、鳥子はこの系統の白族の住み着いたエリアには良く見かける地名、山名であり、逆に言えば、この地名を見掛けたら妙見信仰=北斗信仰を持つ氏族が住み着いている事が分かるのです。

この桜井神社に注目し、前回、千丈渓を通って日和に入ろうと考えた理由もその点にあったのです。


なお、神紋は井桁に桜となっており、まさに桜井です。


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(参考)

桜井神社

神直日神(かむなおひのかみ)・大直日神(おおなおひのかみ)・八十枉津日神(やそまがつひのかみ)

古事記・日本書紀によりますと、伊弉諾命(いざなぎのみこと)が黄泉(よみ)の国にいる伊弉冉命(いざなみのみこと)に会いに行き、その際に黄泉の国で穢れを受けたため、その穢れを祓うために禊(みそぎ)を行いました。

その時に最初にお生まれになったのが八十枉津日神(やそまがつひのかみ)であり、災厄を司る神様であります。そして次にお生まれになった神様が神直日神・大直日神で、災厄を祓い清める神様であります。

当社の主祭神には災厄を司る神様と祓い清めを司る神様をお祀り致しております。

島岡大明神

当社をご創建されました福岡藩二代目藩主黒田忠之公のご神霊。

八所産土大神(やところうぶすなおおかみ)

久保宮・西宮神社・熊野宮・伊牟田八幡宮・谷熊野神社・木浦神社・梅宮・末松神社の桜井各地に祀られていた神々で明治に入り合祀致しております。

櫻井神社

819-1304 福岡県糸島市志摩桜井4227


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百嶋由一郎最終神代系譜(部分)


百嶋神社考古学では鳶子は大幡主、鳥子は豊玉彦(ヤタガラス)と考えられているようですので、天御中主の一族であることがきちんと意識されている事が分かるのです。

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329 春本番!安芸太田から邑南町の神社探訪 ⑫ “島根県邑智郡川本町の弓ケ嶺八幡宮”

20160430

久留米地名研究会(編集員) 古川 清久

話が前後しますが、邑南町に入る前に、江の川河畔の小都市である川本町で車中泊しています。

 この江の川流域の民俗についてはそれだけで心が躍る思いがするため、いずれ再度時間を掛けて見せて頂こうと考えています


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 周辺には見たい集落、見たい神社が無造作に転がっています。

 私達神社考古学の者にとっては、どんな海外旅行地や観光地よりも心揺さぶられる魅力的な地域なのです。



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山塊と川に挟まれた江の川河畔の行政都市川本町


 この街中の一角に弓ケ嶺八幡宮があります。


弓ケ嶺八幡宮 カーナビ検索 島根県邑智郡川本647-1


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瀬戸内海側の広島県、岡山県には数多くの多くの八幡宮が認められるのですが、日本海側の島根県、鳥取県になるとその割合は低下し、存ったとしても、基層には大国主命や大山祇神が祀られていた事が直ぐに分かるような神社が多くなります。

ただ、こんな島根県の山奥の町にまで宇佐神宮の神威が及んでいたとは思いませんでしたが、それはこの川本町が鎌倉期まで遡る行政都市の歴史があったからではないかと考えています(未確認)。

そう考えて、川本町のHPを見ると、直ぐに以下の一文が飛び込んできました。


有 形文化財(史跡) 丸山城は、三原と田窪にまたがる標高482メートルの頂上にありました。中世に安濃・邇摩両郡と邑智・那賀郡の一部、鹿足・美濃を含む8村を統治した小笠 原氏の最後の山城で、石見地方の中世の山城として特異な築城構想をもった貴重な山城跡となっています。現地は、本丸(主郭)の石垣をはじめ、西の丸(二の 郭)の礎石建物跡が多数確認できます。西の丸からは竈(かまど)跡が確認され、日常生活の陶器類も見つかったことから文献資料と併せ城主が西の丸に居住し ていたこともわかっています。


しかし、その八幡神の底流には古層の神が見て取れます。


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読み難いと思いますが、まず、鎌倉期の八幡神の侵入によって押し出された神十柱の内の幾らかが見て取れます。

 大己貴命、天児屋根命(実は阿蘇の草部吉見)、素戔嗚尊、金山彦命、金山姫命(恐らく埴安姫)…といったところです。

 十世紀に持ち込まれたとされる熊野神社も伊弉冊命=イザナミ(実は熊野那智大社の主神=熊野夫須美大神)とニギハヤヒとされています。

 熊野神社にニギハヤヒ(実体は山幸彦)がはっきりと取り込まれている例は初めて見ましたが、非常に興味深いものです。

 稲荷神社は当然にも豊受大神(実は熊野神社に取り込まれたニギハヤヒのご主人かつお妃)であり、物部系の神々の足跡が辿れます。

 疑問に思われる方は、まず、同社の摂社である熊野神社に、何故、イザナギ、イザナミの片方(イザナミ)しか祀られていないのか?といった辺りから考えて見て頂きたいと思います。

 境内摂社熊野神社


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328 春本番!安芸太田から邑南町の神社探訪 ⑪ “島根県邑智郡邑南町の諏訪神社”

20160430


久留米地名研究会(編集員) 古川 清久


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一般的に諏訪神社は国譲りに反対した大国主命の二男とされ諏訪大社の諏訪大神=建御名方命を祀るものとして知られていますが、まず、百嶋由一郎神社考古学では大国主命の子とはしません。

当の出雲神話の舞台さえも現出雲とはしないことから、出雲に近い地にあるからと言って、直接、出雲大社に近いことと関連付けて考えているわけでもないのです。

この事を前提として諏訪神社の解析に入りますが、その話は後段に譲るとして、まずは、社殿をご覧いただきましょう。

忌部の中心地と考えられる邑南の山上楽園の中心にあるのが諏訪神社です。

 してみると、この諏訪神社の主祭神である建御名方命とは、系統は異なるとしても忌部=瀛氏と提携していた人だったことが想像できます。

 大国主命は、勿論、大山祇神と瀛氏の埴安姫との間に生まれた忌部=瀛氏の系統の人ですが、建御名方命については百嶋由一郎最終神代系譜でお考え頂きたいと思います。


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同社参拝殿神殿


 ご覧のとおり、建御名方命は大国主命の子でもなければ、瀛氏と言うよりもスサノウケイの人なのです。

 それを理解した上で、以下の境内摂社の配神を考えて下さい。


恵比須神社、柿本人麻呂神社、稲倉玉神、大宮姫命、猿田彦神、豊受大神、御守御前(八坂入姫)、加茂神社、天児屋根神?大己貴神


島根県の山間部の神社については要約イメージが湧いてきましたが探査は端緒に就いたばかりで、今後じっくり見させていただこうと考えています。



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