ひぼろぎ逍遥

http://ameblo.jp/hiborogi-blog/

久留米地名研究会 (神社考古学研究班) 古川 清久

はじめに

すでに、綾杉るな女史による「ひもろぎ逍遥」というブログが良く読まれ、神社への関心の高まりにまでも貢献していることは良く承知しています。
同女史は、九州大学の航空工学の助教授であった故真鍋大覚氏による「那の国の星」他をヒントに神功皇后を追い求めておられます。
これに対抗しようという意図はさらさらないのですが、華麗なひもろぎ逍遥に対して、緋色のボロ着で、神籬=ひもろぎ(ひぼろぎ)を逍遥=彷徨い歩き、神社を探るというほどの意味で、「ひぼろぎ逍遥」を随時書いて行くことにしたものです。
ただし、「ひもろぎ」も「ひぼろぎ」も同一の意味で、「かむりつく」「かぶりつく」、「ねむたい」「ねぶたい」、「つむる」「つぶる」・・・とM音とB音が入れ替わっても全く意味が変わらない言葉が日本語には沢山あるのです。
これは、基本的には呉音と漢音の対抗を意味しており、これ以外にも、N音とD音の入れ替わり現象、濁音の清音化現象も認められます。
詳しくは久留米地名研究会のHPで永井正範氏の講演をお聴きください。
ただ、緋色のボロ着は古川だけの事ですので、悪しからずご容赦。
5月からは久留米大学公開講座(九州王朝論)が始まります。詳細については久留米大学の公開講座の案内をご覧ください。

 
yotei2016-08

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blog「ひぼろぎ逍遥」、「ひぼろぎ逍遥」(跡宮)の読者の皆さんへ!




52回 菊池(川流域)地名研究会

2016911日(日)13:3016:30

会場:熊本県菊池市七城町甲佐町721

テーマ 「大宮神社と猿田彦大神」(資料代 500円)

“本来、大宮神社は景行天皇を祀ってはいなかった!”


講演者 古川 清久(久留米地名研究会編集員)



2016

NEW !
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320 春本番!安芸太田から邑南町の神社探訪 ③ “安芸太田町梶原の大歳神社    

20160419

久留米地名研究会(編集員) 古川 清久


320-1

 

大歳神社 カーナビ検索 広島県山県郡安芸太田町中筒賀

 

 前述したように、今のところ広島県(準備中)までは「神社誌」を用意していませんので正確な祭神については分かりません。

 筒賀神社とはされているものの、大歳神社である以上大歳神が祀られていることは分かりますが、他の神が祀られている事は、まず、間違いないでしょう。

 それは、神殿最上部などに打たれた神紋から推定できるのですが、それは、大歳神=草部吉見神が三つ盛り二重亀甲唐花紋を使用するとは考えられないからです。

 今回はテスト・ケースとして祭神が全く明示されていない状態からどれだけの推定が可能かと言う非常に乱暴な祭神探索の作業を行って見たいと思います。


320-2

 

一般的に”亀甲紋は出雲大社がルーツ”などといった気楽な説がまかり通っていますが、とんでもない酷い間違いで、この神紋を使っていたのは博多の櫛田神社の主祭神である大幡主なのです。

 大山祇命の子である大国主命が大幡主の娘である瀛氏の市杵島姫(宗像三女神の瀛ツ島姫)をお妃とした(つまり瀛氏である大幡主への入婿)事を持って、その大幡主の配下となった事から大山祇命の子であるにも関わらず大国命と、という大幡の尊称が付されているのです。この点、百嶋由一郎氏は明確で、”その結果、大幡主の神紋である三つ盛り亀甲五七桐の亀甲紋が使用されている”と言われていました。

また、ネット上には、

 

祭神は「天真鶴命」と言われ、ここ旧筒賀村は「つるがの里」が転訛したもので在るといわれている。

 

HP巨樹、巨木巡礼 による

が、拾えます。

 もし、これが本当であれば、この神社とのその背後に在る集落の性格が多少は見えて来るようです。

 「つるがの里」と「天真鶴命」

 筒賀=つるがの里とくれば、福井県敦賀の気比神宮の本来の祭神である、藤原により第10代とされた崇神天皇を奉祭する氏族が見えて来るのです。



320-3

 

大雑把ですが、「天真鶴命」とは黄枠のツヌガノアラシトもしくはその子となる壱岐真根子か八坂入彦辺りになりそうですが、祭神の手掛かりとなった神紋に表現された大幡主系の中心人物は、忌部瀛(イン)氏を体現した大歳神のお妃となる宗像三女神のお一人となる市杵島姫=瀛ツ島姫になりそうです。

これで、ひぼろぎ逍遥 318 春本番!安芸太田から邑南町の神社探訪 ① “ここにも忌部瀛(イン)氏がいた!”忌部瀛(イン)氏との連結ができ、消えたミッシングリングの復元ができたことになりそうです。

この点に関しては、ひぼろぎ逍遥のバックナンバー287289を参照して下さい。


320-5

また、この一帯には以前から九州王朝の一部であり、九州王朝滅亡後も最終的にその一族を支える事になる橘一族や紀氏を感じていました。

いつも参考にさせて頂いている紀氏の探索サイトのHP「紀氏の荘園・姓(国別 )」を見ると、案の定、山県郡にも紀氏が展開していました。

 

山県郡   

鎌倉時代の終わり頃(1331頃)大田川の上流、戸河内町に来栖という土豪がいてこの土居を中心に勢力を張った。郷内に各地に一族、庶家を分封して所領の確保をはかる、太田郷。

栗栖氏の先祖は京都の「栗栖野」(現在の山科区栗栖野)に住んでいたという説がある(栗栖氏の先祖は石清水八幡宮第32代神主の田中宗清の子となっている)「発坂城」は栗栖氏の総領家が代々本拠にしたといわれる。

この地方は古くから厳島神社の社領であり、栗栖氏は厳島神社の神主家である藤原氏の支配下の神領衆の一人とも言われている。

     ・1336 大内氏(石見国守護)が太田地方に攻め入った時、栗栖氏は抵抗はしたが、結局は大内氏の支配下に入る

     ・1394 大内義弘は大田郷「実祭寺」の寺領を安堵する

     ・1541 藤原氏系の厳島神主家が大内氏に滅ぼされることを契機に衰退

     ・1554 栗栖氏は毛利氏の侵攻を受けて没落したとみられる。

         その過程で実際寺も兵火にかかって焼け落ち、その後再建されたが、現在では無住となっている。

     ・1375-9-10 紀氏 栗栖帰源禅門 

               ・無為山「実際寺」(東福寺末葉)の開基

               ・雪舟(花押)画家の雪舟とは別人

         ・先祖:京都石清水八幡宮第32代田中宗清の子

               ・京都の「栗栖野」現在の山科区栗栖野に住む

 

「実際寺」臨済宗東福寺派臨済宗妙心寺派

      ・山号:無為山

      ・創建:1361 2代目来栖帰源 神領衆

      ・開基:僧侶 雪舟嘉猷(東福寺の住職を経験した高僧)

      ・1375-9-10 栗栖氏一族の喜多太郎(帰源)が出家して 菩提寺として創建

      ・自らの名主職を有する土地を実際寺領に寄進し実際寺はその名主職を有する僧侶に宛行っ  

       たもので、かれらは現地にはおらず、現地の百姓が村落の代表者として管理と年貢の収納に当たった。

      1375-9-15 雪舟嘉猷 実際寺で入寂

      ・檀那:栗栖氏

          1541 栗栖氏は藤原系厳島神主家が大内内に滅ぼされたことを契機に衰退した。

          1554 毛利氏の侵攻を受け没落

      ・住所:山形郡安芸太田町大字土居


320-6

      実際寺の門        

   

    「発坂城」=「岩田城」跡地

       ・栗栖氏の堅城

       ・住所:山形郡安芸大田(戸河内)土居

 

 -荘園ー

    ①0000「太田庄」

       ・郡名:山県郡加計町

       ・領主:不詳

       ・史料村郷名:不詳

       ・明治村字:戸河内・上筒賀・中筒賀・下筒賀・上殿河内

             下殿河内・加計・津浪・坪野・穴・長笹・戸谷

        出典:不詳

 

敬愛するHP「紀氏の荘園・姓(国別 )」より


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スポット043 富士山頂のUFO写真を公開します 

20160708

久留米地名研究会(神社考古学研究班)古川 清久



これは629日の夜10時頃にある女性(ヒーラー?霊能者?)から送られてきた画像です。

 撮影したのは別の女性(こちらもヒーラー?霊能者?)で、熊本から東京に出張する途中に富士山上空を飛んでいる途中に携帯電話で撮影した画像との事です。

 

sp43-1


熊本発 羽田行 のJAL12時過ぎとの事でしたから、JAL628便で間違いないようです。

 前の席で左側の窓際に座っていたそうですから、最良の場所で撮影できたようです。

 当然、操縦席からも見えていたはずですが、UFOを見たと騒げば登場勤務から地上勤務に回されることから、当然ながら全員が口を噤み自主規制してしまうはずです。

 左の写真が先で、右の写真が後だそうです。4機のUFOと言っていましたが、確かに4つの光が映っています。


sp43-2


当然、富士山上空のようですね


航空路線図を見ると確かに富士山の南側を通るようですね。

それにしても僅かなシャッター・チャンスを逃さず鮮明な画像を撮ることができるのはさすがです。

カメラの正確な撮影時刻などはいつでも分かるのですが、そこまでの必要もないでしょう。


sp43-3


このような写真はテレビや本などでは良く見ますが、実際の撮影データが手に入るとは思いませんでした。


まさか、USAのようにメンイン・ブラックの黒づくめのブルース・ブラザースのような恰好をした国家権力の手先がくるとは思いませんが、個人的には昼間に有明海の上空を飛ぶ小さな光を二度ほど見たことがあるだけで、確実に見たと言う実感は未だに持っていません。

 ただ、奇妙な小さな光(ほとんど動かない)を見たことがあるだけです。
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319 春本番!安芸太田から邑南町の神社探訪 ② “安芸太田町坂原の大歳神社 

20160419

久留米地名研究会(編集員) 古川 清久


安芸太田といわず、概して広島県北部には大歳神社が多いのですが、高速を降りて二番目に足を運んだのが安芸太田町坂原の大歳神社でした。


319-1

319-2


まず、祭神が何かですが、大歳ノ神、大歳神として皆さん納得されている様です。

 ただ、参拝殿の屋根の神紋を見ると三つ盛亀甲唐花が打たれており、これが祭神と無関係でなければ外の神も祀られているはずです。


319-3


今のところ広島県までは「神社誌」を用意していませんので正確な祭神については確認できませんが、

一例として、大竹市の大歳神社が大歳神を主神とし副祭神に神大市姫、金山彦神、猿田彦神としていることから想像して頂きたいと思います。

 組合せは異なる可能性があるかも知れませんが、神大市姫(スサノウのお妃の罔象女神ミヅハノメ)、金山彦神(カグツチ)、猿田彦神(山幸彦=ニギハヤヒ)が絡んでいるはずです。

 この大歳神は私達百嶋神社考古学の者にはその正体が分かります。

 このことについてはこれまでにも多くの事を書いてきましたが(ひぼろぎ逍遥 033 阿蘇高森の「草壁吉見」神社とは何か? 支 那20数本)

簡略化した説明をすれば、阿蘇高森の草部吉見神社の主祭神(彦八井=ヒコハエミミ)であり、大歳神を含め、春日大神、武甕槌神、鹿島大神、海幸彦、支那ツ彦、天児屋根、天忍穂耳…と多くの名を持つ阿蘇系(雲南省麗江から海南島を経由して阿蘇に進出したビルマタイ系民族で列島民族のかなりの割合を占める阿蘇系重要氏族=多氏、宇治氏、阿蘇氏、品(科)氏…)。

 ここでは大歳神を奉祭する氏族(これは山幸系と融合し物部氏の中枢部分を形成する)がいた事を伝えているのです。


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  この集落(坂原)の背後には銅山という地名があり、神社の解説版に合祀を避けた経緯が書かれていますが、現在の合祀された大歳神社のある場所が梶原(鍛冶 屋が梶に置き換えられたものか)であることからこの一帯が製鉄、冶金に絡む氏族=物部氏と無関係とは言えない様に思うのです。

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