ひぼろぎ逍遥

http://ameblo.jp/hiborogi-blog/

太宰府地名研究会 (神社考古学研究班) 古川 清久

はじめに

すでに、綾杉るな女史による「ひもろぎ逍遥」というブログが良く読まれ、神社への関心の高まりにまでも貢献していることは良く承知しています。
同女史は、九州大学の航空工学の助教授であった故真鍋大覚氏による「那の国の星拾遺」他をヒントに神功皇后を追い求めておられます。
これに対抗しようという意図はさらさらないのですが、華麗なひもろぎ逍遥に対して、緋色のボロ着で、神籬=ひもろぎ(ひぼろぎ)を逍遥=彷徨い歩き、神社を探るというほどの意味で、「ひぼろぎ逍遥」を随時書いて行くことにしたものです。
ただし、「ひもろぎ」も「ひぼろぎ」も同一の意味で、「かむりつく」「かぶりつく」、「ねむたい」「ねぶたい」、「つむる」「つぶる」・・・とM音とB音が入れ替わっても全く意味が変わらない言葉が日本語には沢山あるのです。
これは、基本的には呉音と漢音の対抗を意味しており、これ以外にも、N音とD音の入れ替わり現象、濁音の清音化現象も認められます。
詳しくはユーチューブ等で永井正範氏の講演をお聴きください。
また、このブログには太宰府地名研究会の伊藤正子女史外からも投稿が行われますので、実質的には、複数以上のライターによる小論、短論が掲載される場合もあります。
知見豊かな方であることから、私はただの編集員になってしまいそうですが、神社考古学、民俗学、古典文学、考古学、雑学満載の企画です。
あくまでも、緋色のボロ着は古川だけの事ですので、悪しからずご容赦。


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皆さんは、「神無月」は出雲(現)の事とお考えではないでしょうか?勿論、それはそれで正しいのですが、私達、百嶋神社考古学の者にとっての出雲とは九州島内の各地(博多の櫛田神社の大幡主の領域)にあったと考えてきました。そう考えると、神無月の神集まりも玄界灘北岸のどこかで行われていたものが神話にまで高められたとしか考えようがないのです。今回はそのほぼ唯一の候補地に見える唐津市神集(カシワ)島を念頭に置いた忌部の領域を探るトレッキングになります。渡海は天候と時間に任せます。

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2017129日 日曜日玄海、太宰府地名研究会トレッキング「神無月の神集まりを探る」 

2017129日 日曜日午前1000 集合~出発 不明な点は中島まで 090-5289-2994

佐賀県唐津市イオン唐津店屋上駐車場に集合! オープン参加 参加費(資料代)500円程度…

終わったら、呼子でイカを食べて頂いても良いでしょう!寒いですので防寒対策を。御杖代(古川)

現在、右から聴いて左に抜けて行く人々により業績も痕跡も残さず消滅して行くただの親睦会ではなく、また、行政、教育委員会、学芸員に尾を振り、村興し、町興し、世界遺産登録に色目を使い学芸員の話を拝聴し自らを売り込もうとするさもしい行政の芸人に導かれる似非研究会ではなく、研究者による研究会を目指しています。

集合場所 佐賀県唐津市イオン唐津店屋上駐車場

カーナビ検索 唐津市鏡字立神4671 ℡:0955-70-6200 大雨大雪の場合は中止!

※参加費(資料代)500円 各自、弁当、お賽銭、傘、防寒対策 持参の事…

久里双水古墳(佐賀県唐津市双水)伊藤まさこ女史による解説

湊疫神社(佐賀県唐津市湊町950 ℡: 0955-79-0216)疫神社はイン神社と読むべし!

九州王朝最高格式玉垂宮の一社旧瀬高町河内の玉垂宮と同一の肥前鳥居が置かれた湊疫神社が玄海灘側の最重要神社の一社であった事は想像するに難くありません。まず、宗像大社の正面には神湊港があります。恐らく湊は大幡主の領域の港湾を表すものかも知れません。出雲がテーマ・パークだとする事から、玄海灘沿岸に必ず神集まりの場があると考えるのですが、神集島はその候補です。

住吉神社(神集島)必要に応じて渡ります(公営渡船片道9便230円)外に海上タクシーも…。 

この島にも濃厚な神功皇后伝承が残されていますが、当然にも住吉神社には皇后が祀られています。

田島神社(佐賀県唐津市呼子町加部島3965-1 ℡:0955-82-3347


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2017-01

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367 甘木朝倉の田神社からタノカンサーが擬神体である可能性について 

20160707

太宰府地名研究会(神社考古学研究班)古川 清久

 

百嶋神社考古学では鹿児島県に集中する田神様(タノカンサー)を博多の櫛田神社の大幡主と大三島に鎮座する大山祗命との擬神体とします。

一般的には正体が分からない事から、民俗学の影響もあり、田神様(筑後川北岸に多くの田神社がある事もご存じなく)を春の田植の頃に降りてくる山の神などと曖昧な話で分かったような気になり、自己満足し納得されているようです。

 ひぼろぎ逍遥 182タノカンサーの正体とは何か?“甘木公園の田神様(タノカンサー)福岡県朝倉市甘木から”302 甘木に二つ目のタノカンサーを発見した!(共通掲載)外で書いた“鹿児島のタノカンサーは大幡主と大山祗の二神による擬神体”という意味を中々理解できなかったのですが、今回、「福岡県神社誌」によって朝倉郡の無格社を調べると、同郡内に40の無格社 田神社(埴安命…=大幡主)があることが分かり、その外延部にも多くの大山祗神社が存在している事が分って来ると、大幡主と大山祗の二神による擬神体という表現に俄かに現実性が帯びてきたのでした。

ひぼろぎ逍遥(跡宮)271 田神社(タノカンサー)は朝倉郡を中心に50社近く存在した 参照のこと


 

 そして、大山祗命の総本山(実は国譲りに絡み配置換えが行われた…)である大三島の大山祗神社の縁起にも「擬神体」という表現が出てくるのです(以下)。


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日本総鎮守大山祇神社

大山祇神社は、瀬戸内海のなかでも特に景勝の地である芸予海峡の中央に位置して、大小の島々に囲まれた国立公園大三島に、日本最古の原始林社叢の楠群に覆われた境内に鎮座している。御祭神は大山積大神一座で天照大神の兄神に当らせられる。

天孫瓊々杵尊降臨の際、大山積大神、またの名吾田国主事勝国勝長狭命(大山積神の擬神体)は女木花開耶姫尊を瓊々杵尊の后妃とし、国を奉られたわが国建国の大神であらせられるが、同時に和多志大神と称せられ地神・海神兼備の霊神であるので日本民族の総氏神として古来日本総鎮守と御社号を申し上げた。

 大三島に御鎮座されたのは、神武天皇御東征のみぎり、祭神の子孫・小千命が先駆者として伊予二名島(四国)に渡り瀬戸内海の治安を司どっていたとき芸予海峡の要衝である御島(大三島)に鎮祭したことに始まる。

 本社は社号を日本総鎮守・三島大明神・大三島宮と称せられ歴代朝廷の尊崇、国民一般の崇敬篤く奈良時代までに全国津々浦々に御分社が奉斎せられた。延喜式には名神大社に列し、伊予国一の宮に定められ、官制に依り国幣大社に列せられた四国唯一の大社である。現在官制は廃せられたが、地神・海神兼備の大霊神として千古に変わらぬ崇敬を寄せられ、全国に奉斎される大山祇神社・三島神社の総本社として、又数万点に及ぶ宝物類を蔵する国宝の島として四季を通して多数の参拝がある。       境内由緒書

 

神社探訪 狛犬見聞録・注連縄の豆知識 より

 

 確かに百嶋由一郎氏は“鹿児島のタノカンサーは大幡主と大山祗による擬神体である”とされました。

 ただ、それは、南九州での事であって、甘木、朝倉の田神社、田神様の大半は埴安命=大幡主を単独で祭神としており、大山祗神社(山神社)も主神は大山祗であり、両神は分離しているように見えます。

 そこで、甘木、朝倉方面でその痕跡が残っていないかと探して回ったのですが、筑前町楢原(全国にある奈良地名のルーツと言ったのは百嶋先生でしたが…)の老松神社でそれらしき痕跡を発見しました。


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明らかに二神で祀られていますが、もう一体が山神 様(大山祇命)だと思われるのです

 

「福岡県神社誌」によれば、同社は朝倉郡安川村大字下淵字三府御に老松神社があるが、同社は 神功皇后、菅原神、吉祥女 を祭神として、摂社に赤岩神社、末社として稲荷神社、田神社が祀られているとされています。 

 今のところ、これ以上の探査はできませんが、田神、山神=大幡主、大山祗という線上で調査を続行します。


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スポット068 「柴刺」(シバサシ)“忘れられた古代の祭儀”

20161210

太宰府地名研究会 古川 清久(百嶋神代史研究会準備会)


2002年に公刊された「柴刺」馬場紀美史(葦書房) という本があります。


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宇佐神宮の神官であり神社研究者でもあった馬場紀美史氏によるものですが、現在、百嶋研究を進めるメンバーの北関東で二~三名、大分で二名によって読まれています。

当方も「柴刺」以外の本も含め読んでいるのですが、宇佐神宮の本質、全体として神社史の古層を探る上でも重要な一書であり、無視はできないのです。

大正10年生まれとありますので最早ご存命ではないと思いますが(存命なら95才)、十五年前の公刊ですので、この時点(80才)での出版では既にこの著書の重要性を理解できる必要とする方の絶対量も少なく、結果としては遅すぎた出版だったのではないかと思うものです。

その分、洗練され尽くし最高水準の内容として完成度の高い一書となっているのでしょう。

実質的には宇佐神宮の聖典とも言えるもので、個人的には他の著書(数著)と併せ読もうと思っています。

では、「柴刺」とは何でしょうか? 実は中国の少数民族の一つ彝(イ)族の儀礼でもあるのです。


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勿論、祭礼、葬礼などに於いて、色々な枝を刺すという儀礼、神礼の事なのです。

今でも茨城県では一部に残っているとも聴きますし、これに似たものを熊本県の葦北郡でも見たことがあり、列島にはどのような人々が入ってきたかを考える上で、重要な示唆を与えてくれるものとなっています。


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イ族(イぞく、彝族, 拼音: Yízú)は中国の少数民族の一つ。2010年の第6次全国人口普査統計では人口は8,714,393人で、中国政府が公認する56の民族の中で7番目に多い。

彼ら自身は「ノス」と呼ぶ。もとは「夷族」と表記されたが、清朝時代に、自らも漢民族ではない支配階層の満州人が蛮族を意味する呼称を嫌い、同じ音に「彝」の字をあてた。彝は「祭器」転じて「道徳」などを意味する雅字。「ロロ族」という呼称もあり、かつては自称であったが現在は蔑称。「ロロ」とは、イ族自身が先祖崇拝のために持つ小さな竹編み。当て字の「玀猓」では、部首にけものへんを付け加えるなど、多分に蔑視的な要素を含んでいる。

ウィキペディア(20161211 10:15による


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実は同書の最終章においてこの彝族の儀礼を詳細に取り上げておられます。

馬場氏が最も主張されたかった事がこの部分だったのではないかと思うほどの力の入れようです。

実際に現場を踏み、中国の文献にも目を通しての研究であっただけに、福岡市の中心部におられた百嶋由一郎氏お間違いなく読んでおられたはずですし、馬場氏が宇佐神宮福岡出張所長であったことから最低でも実際に面識をお持ちで、もしかしたらお付き合いもされていたものと思います。

遅れ馳せながら、私達も500pの大著に取り組んでおり、百嶋研究との接点を探りたいと思っています。

馬場氏も百嶋先生の草ヶ江神代史研究会に参加されていた可能性があるのではないかとも考えている次第です。

最後になりますが、“倭人とは何か“を考える時、「ワ」人と読むのではなく、「ウィ」もしくは「イ」=「ヰ」であるとすれば、この民族も列島に入って来ていたのではないかと思うのです。

それが「常陸国風土記」に出てくる武甕槌=鹿島大神による“同族だまし討ち”征服を思わせるのです。

その意味で同書の458pも我田引水的ですがご紹介しておきます。

雲南省麗江からの新興亡命者であった阿蘇氏に征服された先住者も広義の九黎族の一つだったはずなのです。だからこそ常陸の国の先住者は、歌や音色に魅かれて油断した所をだまし討ちされたのです。


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366 既に死語となった懐かしい言葉

20160707

太宰府地名研究会(神社考古学研究班)古川 清久


読者の皆さんは、「キャラコ」「ラクダ」「ネル」「メリヤス」「ニッカポッカ」「ジュバン」…といった言葉が分かるでしょうか?

 正直申し上げると、個人的にも良く分からず使っていたようなのですが、改めて気になって確認する事にしました。

概して、衣料関係の名称は流行に乗り流行に泳ぎ流行を創り売上げを伸びばそうとすることから、頻繁に名称が換えられ、例え同じものであっても、別の呼び名にして新商品を装おうとするもののようです。


 キャラコ

 キャラコは綿製品でインドのカリカットと関係があるとの認識は持っていましたが、寅さんのステテコも日本製のキャラコとまでは知りませんでした。


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インドは木綿の原産地といわれ、綿布は古くからインドの主要輸出品であり、ヴァスコ・ダ・ガマに始まるヨーロッパ人来航後も変わらなかった。インド綿布はルネサンス時代にヨーロッパにもたらされたが、その軽さ、手触りの柔らかさ、あたたかさ、染めやすさなどによって爆発的な人気をよび、17世紀以後インドに進出したイギリス東インド会社はこの貿易によって莫大な利潤を得た。カリカット港から輸出された綿布は特に良質で、この積出港の名がなまってキャラコとよばれた。

キャリコ織機

この綿織物を国内で安く大量に作りたいという動機が、イギリスの発明家ジョン・ケイの飛び杼にはじまる技術革新を促し、産業革命の興起を招くこととなる。しかし、このことはインドの手工業者の職を奪い、腕利きの職人が大量に失業したため、ドイツの経済学者であるカール・マルクスによって「職工夫の骨でインドの平原が白くなった」と形容されたほどの惨状を呈した。

日本のキャラコ

日本でも生産されている。日本で「キャラコ」と呼ぶ場合はインドとは逆に薄手で織り目が細かい糊付けした純白の布地を指し、主に足袋やステテコの材料となる。


ラクダ

 ラクダと言えば、直ぐに落語の「ラクダ」が頭に浮かびます。

本題は「駱駝の葬礼(ソウレン)で、上方落語では「らくだの卯之助」、江戸落語では「らくだの馬」がフグの食あたりで死んで葬式が始まるという噺でしたが、衣料のラクダの方は股引との頭があります。

ラクダは毛が柔らかでなため高級な繊維とされていたようで、実際に昔はラクダの毛で股引を作っていたそうです。冬に暖かく、セーターやコートにも使われる高級織物だったのです。



ネル

 ネルと言えば、ドリップ・コーヒーのネルの袋が浮かんできますが、現在は一部のマニアックな喫茶店で本物のコーヒーを作るときに使うネル・ドリップの生地がそれです。

 これも良く分からなかったのですが、フランネルの短縮形がネルだったのです。

 ネルの長襦袢(ジュバン)とかが頭に浮かびますが、今度はジュバンが分からないとの声が聞こえて来そうです。

和服用の下着が襦袢ですが、これも、「ジバン」「ジュバン」とも言い「袖の広い上着」を意味するアラビア語「jubbehが語源とされています。


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フランネル(英: Flannel)は柔らかく軽い毛織物のこと。略してネルともいう。衣類、シーツとナイトウェアに一般的に用いられる。経糸(たていと)と緯糸(よこいと)を交互に織る平織りや2-3本おきに交互に織られる綾織りがある。無地だけでなく、様々な模様が施される。フランネルは当初カーディングが施されたウールまたはウーステッド糸から作られたが、現在ではウールと綿、ウールと合成繊維から作られることもある。イギリスのフランネルは平織りで毛羽が軽く、一方ドイツのそれは綾織りで毛羽が多い。柔軟で弾力性・保温性に優れスーツ、シャツなどに用いられる。

ウィキペディア(20160707 13:00による


 メリヤス

これは死語とまでは言えないかもしれませんが、いずれ消えて行く事でしょう。


莫大小,目利安などの字をあてる。ジャージー,トリコットなどを含めた機械編み布地の総称。名称は江戸時代初期に靴下をさすスペイン語の medias,ポルトガル語の meiasが転訛したもの。

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説


「ニットと同義語。編物のことを昭和30年代頃まで、一般にメリヤスといった。以後、編物の急激な発展により、外衣までも含めた衣料の主要生地となったため、肌着、靴下のイメージの強いメリヤスから順次ニットということばに移行した。メリヤスとはポルトガル語のメイアッシュ(meias)、またはスペイン語のメジアス(medias)からきた言葉といわれているが、いずれも靴下という意味である。現在でも肌着などの生地はメリヤスと言うことばが一般的。」。

新ファッションビジネス基礎用語辞典(株)織部企画 より


 「ニッカポッカ」

これも分かっているようで良く分からない言葉です。鳶職やゴルフの時着る服との認識もあり、外来語という事は分かりますが、調べてみました。


ニッカーボッカーズ(英: Knickerbockers)はズボンの一種で、長さが膝下までですそが括られた短ズボン。野球、ゴルフなどのスポーツウェアとして広まり、現在日本では土木・建設工事の作業服として多く見られる。ニッカ(ー)ボッカー(ズ)、ニッカポッカ、ニッカズボン、ニッカー(ズ)とも呼ばれる。

ニッカーボッカーズの起源は、オランダからアメリカへの移民が着用していたブリーチズと呼ばれる短ズボンである。

ウィキペディア(20160707 13:50による


これは、生地とは関係がないようですね。そう言えばイタリア戦線のジョージ・パットン将軍が着ていたのも、これなのでしょうか?



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