ひぼろぎ逍遥

http://ameblo.jp/hiborogi-blog/

太宰府地名研究会 (神社考古学研究班) 古川 清久

はじめに

すでに、綾杉るな女史による「ひもろぎ逍遥」というブログが良く読まれ、神社への関心の高まりにまでも貢献していることは良く承知しています。
同女史は、九州大学の航空工学の助教授であった故真鍋大覚氏による「那の国の星拾遺」他をヒントに神功皇后を追い求めておられます。
これに対抗しようという意図はさらさらないのですが、華麗なひもろぎ逍遥に対して、緋色のボロ着で、神籬=ひもろぎ(ひぼろぎ)を逍遥=彷徨い歩き、神社を探るというほどの意味で、「ひぼろぎ逍遥」を随時書いて行くことにしたものです。
ただし、「ひもろぎ」も「ひぼろぎ」も同一の意味で、「かむりつく」「かぶりつく」、「ねむたい」「ねぶたい」、「つむる」「つぶる」・・・とM音とB音が入れ替わっても全く意味が変わらない言葉が日本語には沢山あるのです。
これは、基本的には呉音と漢音の対抗を意味しており、これ以外にも、N音とD音の入れ替わり現象、濁音の清音化現象も認められます。
詳しくはユーチューブ等で永井正範氏の講演をお聴きください。
また、このブログには太宰府地名研究会の伊藤正子女史外からも投稿が行われますので、実質的には、複数以上のライターによる小論、短論が掲載される場合もあります。
知見豊かな方であることから、私はただの編集員になってしまいそうですが、神社考古学、民俗学、古典文学、考古学、雑学満載の企画です。
あくまでも、緋色のボロ着は古川だけの事ですので、悪しからずご容赦。

12月18日トレッキング案内(画像クリックで拡大表示されます)

12/18


2016-12

top

oku




テーマ:

スポット061 念願叶った常陸国への神社調査 2016/11/211/20      

20161121

太宰府地名研究会 古川 清久(百嶋神代史研究会準備会)


この十年ほど地名研究会のスケジュールに追われる毎日でした。

残りの人生を考えると長距離での神社調査に出る事ができずに非常に困っていたのですが、ようやく雑事から解放され東日本への神社調査ができるようになりました。

本来ならば1031日の昼ぐらいから出発する予定だったのですが、「人工林が果たす環境への問題」を強く意識する数名の集まりの都合から二日ほど出発を延期した後、ようやく112日昼から出発する事になりました(本来ならば、たっぷり3週間かけて高速を使わずに移動するつもりだったのです)。

まず、高速道路を利用しても東日本(中でも北関東)に進出するには最低でも二~三日を要します。

今回は東日本に踏み入った新潟(実際には上越市)から長野を経由し、群馬、栃木、茨城に入った事からさらに一日を加える事になりましたが、先方の都合もありやむなく半分は高速道路を利用せざるを得なくなりました。

この栃木、茨城(一部福島)さらには山梨(甲州、甲府、山梨、笛吹…、富士周辺)の神社調査リポート(勿論、途中の京都、福井、滋賀、兵庫でも初見の神社を数多く見ています)については、いずれ半年後に公開することになると思いますが、今回も、栃木県那須塩原市の那須神社に小さな摂社として高良神社が、同じく山梨県山梨市の大井俣窪八幡神社に非常に大きな高良神社や若宮神社が残されている事、山梨県河口湖村の御室浅間神社の神殿裏の境内摂社としてほとんど出くわすことのないウマシアシカビヒコチ(天御中主の配偶者)が祀られている事…など多くの興味深い話をお伝えできることになるでしょう。

いずれにせよ全行程3,700キロ18泊(内7泊は車中泊)19日の大調査旅行になりましたが、新潟県上越市から茨城県の常陸大宮市に移動し、さらには常陸大宮を拠点に78日、山梨県の甲州市を拠点に23日、山中湖村を拠点に12日の行程で80社(ほぼ全て初見)余りを見て回り、非常に良いフィールド・ワークが出来たと思っています。


sp61-1

調査が終了し快晴の日の山中湖湖畔から眺める富士山


まずは、移動です。112日 大分県日田市天瀬町(発)山口県小郡ICから中国自動車道

113日 中国自動車道を兵庫県加西市龍野社ICで降り一般道へ。富山県砺波町付近で車中泊。以下、富山県北陸道朝日IC まで一般道で移動。親不知を抜けるために糸魚川ICまで北陸道を利用。

114日 上信越道 新潟県上越市中郷ICから関越道、北関東道、東北道利用から栃木県宇都宮上三川ICで一般道に降り、茨城県常陸大宮市まで一般道で移動。片道1,500キロを独行走破。

帰路は栃木県宇都宮上三川ICから山梨県甲州市勝沼ICまで全て高速道路利用、以後山梨県内。以降、九州をめざし、山中湖町から再び山梨県甲州市勝沼に戻り、長野県諏訪市まで一般道で移動、諏訪ICから中央道、北陸道で滋賀県米原市米原ICで降り、鳥取県まで一般道。その後、山陰の帰路の大半は高速料金2000円程度の利用で九州に無事に戻る事ができたのでした。

実質3週間近い調査旅行が無事に終わり、明日から16時間33番を舞いきる宮崎県椎葉村の栂尾神楽に行くのですが、ブログを本格的に書き始めるのはその後の事になるでしょう。

記憶が不鮮明になる上に、イメージも強く成ったり弱くなったりしますので、一気に書くとなると大変な作業になりそうです。

ともあれ、常陸の神社研究仲間からは“来年には青森に行こう”との話も出ており、勝沼の某寺院の住職も12月には九州に来られるそうであり、茨木、山梨に全国調査への足掛かりを得たことだけは間違いないようです。

いずれにせよ一生の中でも非常に濃厚な三週間が終わったのでした。

さて、戻ってくると栂尾神楽(宮崎県椎葉村1122233316時間神楽)の予定でしたが、未明、福島のいわき市などを中心とするM7.3/またもや地下10キロと発表された地震によって、参加予定の方達が急遽軒並みキャンセルとなり、結果、極少数での参加となりました。

まず、頭をよぎったのは“ヒラリーの反撃”“アメリカの内戦の一環”“ドル防衛”と言ったフレーズでしたが、それは良いとして、今回は某民放の女性アナウンサーが「縦揺れ横揺れ」の「縦揺れ」の前触れについてわざとらしくも口走っていたことから、震源が地下10キロは怪しいものの(後に30キロと修正された…こちらが擬装かも)、本物の地震の体裁(可能性)も一応はあるようです。

急いで地震波のデータを探しているところです。もし、地下30キロが本当となると、今回に関しては本物の地震で良いのかも知れません。

急いで茨城の仲間に照会し情報を収集していますが、気になるのは福島第二の2000本を超える使用済み核燃料プールです。

直ぐに冷却水の注入が止まったとの情報が流れましたが、心配なのはプール自体が大規模に破損し水が抜け容易に修復できない(従って水が溜められない)場合の危険性の問題です。

まあ、町興し、地域振興宜しく、地震の巣のような場所にこれほど大量の原発を導入した馬鹿議員と薄汚い官僚どものせいなのですが、こんな国は直ぐに捨てて逃げれば良いだけなのかも知れません。

一番重要な地震波の波形です。百嶋神社考古学研究会(仮称)の北関東在住メンバーや熊本のメンバーを通じて探してもらっていますが、今回は波形が全く公表されていないらしいという情報だけが飛び交っているのです。

してみると、地下10キロを30キロと直ちに訂正した事と併せ疑問は深まるばかりです。

重要なのは初期微動継続時間です。これが実質的にあったのか無かったのかです。

遠方の地震に関しては実感できないため何とも言えませんが、今年の熊本に関しては地元であるため、初期の前揺れなど全くなかった事を実感しており、全てが前触れなく直接揺れているため疑いを強めています。

それを、「それは直下だから無いのは当たり前だ」などと、直下に近い所に住んでいる某下級神職が強調していましたが、こちらは直線距離でも4050キロ離れた場所で何度も体感しているのであって、半端な知識で好い加減な事を叫んでいるのがどちらかは本人でも分かりそうなものです(勿論、当時の国学院程度では無理かもしれませんが)。

最低でも震源から50キロは離れた所にお住まいだった方は、緊急地震速報が出て何秒後に揺れが来たかを思い出して頂きたいと思います。

それこそが科学的思考というものなのです。恐らく速報の警報音が鳴った時には既に揺れていた事を実感しておられるのではないでしょうか。

それを、「それは直下だから無いのは当たり前だ」と予め決めて用意していたかのように直ぐに出されたネット情報(これ自体が非常に奇妙です)だけで自信を付けて吹聴する輩がいたことも驚きでした。

今回も知りたいのは事実です。むしろ、今回の福島が本物の地震である事の方が遥かに危険なのかも知れないのです。

参考のためにP波とS波のおさらいをしておきましょう。

回覧板だけを信じ込んで陰謀論で片づけるだけの気楽なお馬鹿さん達は相手にしていないのでどうでも良い事ですが、既に地震を巡る疑惑に関してはネット上に山ほどの情報が飛び交っています。

いずれ、列島でもトランプ現象のような事が起き、一般のマスコミが大恥をかく時が来るかもしれません。

覚醒する事無く日本が亡び乗っ取られる事も良いのかも知れません。どちらでも良い事です。

このように、国民も国土も国文化も国富も大切にしないような占領国家は滅びて内戦が始まった方が良いのです。

真面な職にも就けず、結婚も望めず奴隷のような毎日を送る若者は内乱、内戦、戦争でもあった方がチャンスが巡って来ると考えるのは自然な成り行きでしょう。


初期微動


1908サンフランシスコ大地震 の際にドイツの地震計で観測された地震波の波形。一番左の赤線から一番左の緑線までの間が初期微動。

初期微動(しょきびどう、preliminary tremors)とは、地震 における最初の小規模な地震動 のこと。地震波 P によって引き起こされる揺れのことである。また、初期微動はP波が到達してからS波が到達するまでの間継続し、その後の地震動は主要動 という。


sp61-2


地震動は地震波により引き起こされ、地震波はP S 表面波 から構成されている。P波・S波・表面波の速度はそれぞれ異なっており、P波は57km/秒、S波は34km/秒である。そのため、観測地点から見ると、地震波はまずP波から到達し、ついでS波・表面波の順となる。地震動もそれぞれの地震波によって引き起こされるため、まずP波による揺れ、次いでS波による揺れが起きる。

P波は疎密波 であり、その揺れはS波によるものより小さい。そのため、この揺れを初期微動と呼称する。P波は地震波(地震動)の周期が短いため、初期微動はカタカタという小刻みの揺れであり、人間の体感ではそれほど大きな揺れではない。また、建物などを大きく揺らす周期とも一致していないため、初期微動の段階では建物が壊れるようなことは少ない。

初期微動継続時間

初期微動継続時間duration of preliminary tremors)は、P波とS波の速度差に由来する。そのため、震源 が遠いほど初期微動継続時間は長くなる。逆に震源地直近においては、ほとんど初期微動継続時間はなくなる。初期微動継続時間の秒数に8をかけると、ほぼ震源距離(km になる(たとえば初期微動継続時間が20秒のとき、震源距離はおよそ160km)。このため、1つの地震計波形からその観測点と震源の距離を概算したり、少数の地震計波形から震源の位置を決定する際にも、初期微動継続時間は有用である。

防災の面からは、この初期微動の時間は、有効なものとされている。初期微動は、S波による地震動より相対的に小さいものであるために、この微動の時間においては避難も容易であり、地震警報システム エレベーター P波センサ付き地震時管制運転のイニシャルタイムとしても使われる。

ウィキペディア(Wikipedia)(20160425 17:20による


これとて、初期微動継続時間がゼロなら全く意味が無い訳で、別の結論を共有すべきなのです。

AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

352 真庭、湯原から蒜山高原へ中国山地の奥深く ⑭ 岡山県真庭市蒜山西茅部1501の茅部神社

20160509

                   太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

 

352-1

真庭~湯原から北に向かえば蒜山(ヒルゼン)です。

恥ずべきことですが、蒜山に入る直前まで同地は鳥取県だと思い込んでいました。

岡山県真庭市の湯原温泉から中国山地の屋根を越える山陰の一角との認識を不自然とは全く感じなかったのでした。

弁解の様に聞こえますが、そう思い込んだのには多少の理由があります。

それは、大山、氷山、蒜山と言った山を「セン」と呼ぶエリアが伯耆から但馬に掛けて広がっていたからでした。

多少とも仏教に精通された関心をお寄せの向きには、須弥山を「シュミセン」と呼ぶことはどなたもご

存知のはずで、この現象が仏教系というよりも天台密教系の修験と関係がありそうだと思われるはずです。

この山を「セン」と読み、呼ぶ具体例に関しては既に詳細な先行研究があるのでご紹介しましょう。

このサイトには在職中の五年前には気付いていましたのが、始めてこの面白い現象をご紹介できてうれしく思います。


352-2

2005.01.06 山をセンと読む山

山という字をセンと読む代表は、鳥取の大山です。有名だけに、このような山は、日本中どこにでもあると思われるでしょうが、70そこそこです。下に、その一部を記します。


あさなべわしがせん 朝鍋鷲ヶ山 鳥取・岡山 あられがせん 霰ヶ山 岡山
いいもりせん 飯盛山 鳥取 いおうせん 医王山 鳥取
うまつきせん 馬着山 島根 うまみせん 馬見山 島根
おうぎがせん 扇山 岡山 おうぎのせん 扇ノ山 鳥取
おおがせん 大鹿山 島根 おぐりがせん 小栗ガ山 鳥取・岡山
かさつえせん 笠杖山 岡山 かつたがせん 勝田ヶ山 鳥取
かながやせん 金ヶ谷山 鳥取・岡山 かみだいせん 上大仙 鳥取
からすがせん 烏ケ山 鳥取・岡山 きのえがせん 甲ヶ山 鳥取
ぎぼしゅせん 擬宝珠山 鳥取 きょうらぎせん 京羅木山 島根
きんぷせん 金峯山 島根 くまがせん 熊ヶ山 島根
こうせん 高山 岡山 こうりょうせん 孝霊山 鳥取
こんごうせん 金剛山 新潟 ささがせん 笹ケ山 岡山
しもだいせん 下大山 鳥取 しょうのかみせん 庄ノ上山 岡山・兵庫
しらすせん 白髪山 岡山 すがのせん 須賀ノ山 兵庫・鳥取
すずりがせん 硯ケ山 岡山 せんじょうせん 船上山 鳥取
ぞうせん 象山 鳥取 だいがせん 大ケ山 岡山
だいしゃくせん 大釈山 岡山 だいせん 大山 島根・鳥取
だいみせん ダイミ山 岡山 たかおせん 高尾山 島根
たこうせん 田幸山 兵庫 たまらずせん 不溜山 岡山
だんとくせん 檀特山 新潟 ちくろせん 竹呂山 兵庫
つぐろせん 津黒山 鳥取・岡山 つるぎがせん 剣ケ山 鳥取・岡山
つるぎのせん 剣ノ山 徳島 つるぎのせん 剣ノ山 愛媛
てらおせん 寺尾山 島根 てんがせん 天が山 岡山
とうせん 東山 島根 どうどうせん 道々山 岡山
てんがせん 天が山 岡山 ななかせん 七霞山 和歌山
にんにくせん 忍辱山 奈良 のだがせん 野田ケ山 鳥取
はっとうじせん 八塔寺山 岡山 はっとせん 八十山 鳥取
はなちがせん 花知山 岡山 はんこうせん 半甲山 岡山
ひがしせん 東山 鳥取 ひのきがせん 檜ケ山 島根・岡山
ひょうのせん 氷ノ山 兵庫・鳥取 ぶどうざわせん 葡萄沢山 福島
ほしせん 星山 岡山 ぼだいせん 菩提山 奈良
ほのみせん 穂見山 鳥取 みせん 弥山 奈良
みせん 弥山 鳥取 みせん 弥山 島根
みせん 弥山 広島 みせん 弥山 山口
みねじみせん 峯寺弥山 島根 みみすえせん 耳スエ山 岡山
やはずがせん 矢筈ケ山 鳥取 よこおせん 横尾山 島根
わかすぎせん 若杉山 鳥取


「山」は「やま」「サン」「ザン」「セン」と読みます。「サン」は漢音。「セン」は呉音です。どう違うのか判りませんが、少なくとも、山という字を「セン」と読んでいる人達か、山を「セン」と読みたい人達が、そのように名づけたと思われます。

可能性の強いのは、「弥山」が五ヶ所あります。これは、仏教の方の「須弥山」から来ていると思われます。仏教における聖地です。聖地から、「須」を外して、聖地として大切にしていたのかも知れません。
「山」の前にある文字の殆どが、訓よみで、所謂、なぜ重箱読みになっているのかが判りません。前の名前が、すべて仏教と関係があれば、仏教を信じている集団といえます。次のページに分布図を載せました。(この部分は、別のホームページに記載したものです)特徴は、センと呼ぶ山が、佐渡島と隠岐島にも見られます。この一族は、両方の島に上陸したようです。
次に、殆ど島根県と鳥取県です。後は、大まかに言って、日本海側です。朝鮮・中国から来たと考えていいかと思います。順序からいいますと、先ず、隠岐島に上陸、その後、島根県と鳥取県に住んだようですが、廣島・岡山・兵庫まで進出したようです。奈良にもあるのをどのように説明するかです。いつごろ、やってきたとか、なんと言う民族かは、是だけでは断定できませんが、大山の周りに、ある民族が住んでいたことは、確かです。ここを中心に広がっていったと云えるでしょう。ヒルゼンの周りには、気になる地名がいっぱいです。犬・蛇がつく地名。神がつく地名。田の字がつく地名。その地名一つを調べたからと言って、すべてが判るわけではありませんが、全部を線で結びますと、いろいろのことが浮びあがってきます。順次、取り上げてみます。


 十分お分かりになったでしょう。

 さて、蒜山です。「蒜」とはユリ科のニンニクなどの植物ですが、ヒルがビバリーヒルズの「Hill」な

ら蒜山は丘、岡山となり、隣の岡山県の延長となって面白いのだけれどなどとくだらない妄想をしていると、長大トンネルを抜けてあっという間に蒜山高原に入っていました。

 この蒜山どうしても見たいと思ったのは茅部(カヤベ)神社でした。

 HP「楽しい人生」氏もヒルゼンの周りには、気になる地名がいっぱいです」と書かれているのですが、

その一端を茅部神社が説明してくれるかも知れません。

 簡単に言えば、「茅部」とは「伽耶部」の意味だとの思いが走っていました。


352-3

社殿は落ち着いた造りでかなりの大社の風を感じます。

352-4

祭神 天照大神 御年神 他21


352-5 まず、祭神は、天照、御年となっています。

しかし、境内摂社を見ると、足名鎚命、手名鎚

命とあり、荒神神社がスサノウとなっているのは許容したしても組合せがおかしいのです。


352-6  これは、本来、スサノウ、そのお妃のクシナダヒメの両親とされるアシナヅチ、テナヅチを祀っていた神社を、ア
マノコヤネこと阿蘇の草部吉見=海幸彦が乗っ取り、天照大御神をお飾りとして、海幸の子である御年神以下21神を合祀した表現は悪いのですが乗っ取り神社と見えてしまいます。

 ただ、神殿屋根には、五七桐が打たれており、本来は九州王朝系の神社だったのではないかと言う疑問も残ります。なぜならば、五七桐は高良玉垂命=開化天皇の神紋ですから。


352-7

百嶋由一郎最終神代系譜(一部)


アマノコヤネ=草部吉見

御年神=ハイキノカミ=孝安天皇(実は熊本県玉名市の疋野神社の主神)=景行天皇の父親

父は海幸彦、母は豊受大神=支那ツ姫…だから、祭神に倉稲魂命が置かれているのです。

 最後に茅部(伽耶部)の問題です。スサノウは新羅の王子様です。

そして、伽耶は最終的には新羅に呑み込まれます。従って、茅部神社にスサノウが祀られていた可能性が高いのです。簡単に言えば祭神入替なのです。

 しかし、この神社の鳥居の立派さには驚きました。

江戸時代に石工の頭領が日本最大の鳥居を造ったものですが、花崗岩の15メートル近い鳥居がこれほどの山中に造られたのです。


352-8

AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

351 真庭、湯原から蒜山高原へ中国山地の奥深く ⑬ 島根県大田市五十猛町大浦の新羅神社

20160509

                    太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


タイトルには“中国山地の奥深く”とありますが、今回は島根県太田市の海岸部の神社の話です。

以前から見たいと思っていたのですが、何度も通過しながらなかなか機会がなく、ようやく立ち寄ることができました。

勿論、蒜山高原(岡山県真庭市)や鳥取県でも数社からも採題させて頂くつもりですが、考えが纏まった順に書いていることから話が前後することはお許し頂きたいと思います。

 島根県に大田市がありますが、これもまた大田田根子命、意富多々泥古命の「大田」であることは言うまでもないでしょう。

 さらに言えば、太田市五十猛町も五十猛命=ニギハヤヒ=山幸彦を投影した地名であろうことも疑い得ないのです。

 さて、自ら新羅神社と幟を揚げた神社はそれほど多くはないことからとの一点だけで取り上げる事にしました。


351-1


祭神 須佐之男命 配祀神 大屋津姫 抓津姫命


由緒

 半島から帰国した須佐之男命はここに留まり祀られた。さらに神別れ坂で別れた大屋津姫命、抓津姫命が後にあわせ祀られた。『谷川健一著作集Ⅰ』の「海を照らす神しき光」の中で、「毎年陰暦十月になると二匹の竜蛇が上がる。階蛇は韓国からやってきた神の使いであると信じられている。」との報告が地元から奉行所にあったと記載されている。

このように、古代から半島とのつながりの深い土地であり、 この神社を訪れた作家の金達寿氏は『日本の中の朝鮮文化 講談社文庫』の中で我が意を得たような表現をしているのが印象的であった。半島は廊下であり、大陸経由の文物の大半はしばらく留まり、通過してきたのは間違いのないところであろう。 しかしそれらは朝鮮文化といえるのだろうか。半島で発展しまた発明されたものがあれば、それは朝鮮文化であるが、伝達の役割だけなら、さらに源流にまでさかのぼって表現する必要があろう。

 大田市の西ブロックの協議会の発行になる『ふるさと読本』の中に、「石見風土記」によれば、五十猛神社と韓神新羅神社とは共に延長三年(925)に創建されたとある。社殿が造られた意味であろう。かっては神籬磐境のかたちで祭っていたものと思われる。また、『神なる王/巫女/神話』(高橋統一著)によれば、島根県宗教連盟発行の『宗教法人名簿』によると、当社の創立は享保二十年(1735)と言う。これは大浦神社から韓神新羅神社と改称した時期の意味と思われる。

敬愛するHP「神奈備」による


351-2

同社縁起


この神社の祭神は武進雄尊(天照大神の弟君)とあるのは、勿論、スサノウ=タケハヤスサノウですね。

その後、五十猛命と大屋津姫命、抓津姫命が祀られています。


351-3


由緒書には日本でこの神社だけが「韓神」と称し続けている…とありますが、筑豊の香春町の韓国息長大神大目命(=豊受大神)は言うまでもなく、私が参拝した神社としては、他にも姫路市四郷町明田字下道居706 の新羅神社を含め、京都、青森まで数例あることは申し上げておきます。

 社殿は港の直ぐそばにあります。国道からも直ぐ入れますので一度参拝されてはいかがでしょうか?

 なお、百嶋神社考古学ではスサノウは天照の弟ではありませんので確認しておきましょう。


351-4


百嶋由一郎最終神代系譜(部分)


最低でも、スサノウ、五十猛ともに新羅系の方であった事は見当が付きますね…

 神代に於いて、と言っても高々3世紀ですが、新羅から九州東岸に入る時は中国山地を山越えする必要があったはずです。

 対馬海流を直接横断することは難しく、どうしても島根県(石見…)、鳥取県(伯耆…)、兵庫県(但馬)辺りにならざるを得ないのです。

 勿論、一旦釜山から西航し、百済の領域から反転流を利用し山東半島の先端から五島列島に向け南下し九州北岸に入ることは可能だったはずです。

351-5  勿論、政情が安定しており百済の領域を中継地として経由できればの話ですが。

 ただ、ここがスサノウ、山幸彦だけの神社であるかと言うとそうではありません。

 この背後の支配者が見えるのです。

それは社殿の神紋が亀甲紋章であることから、博多の櫛田神社の大幡主が想定できるのです。

スサノウのお妃である(であった)アカルヒメは大幡主の娘なのです。

そして、このアカルヒメこそイワナガヒメであり、福岡県糸島市の細石神社の御祭神でもあるのです。

 亀甲紋章のルーツを大国主と説明される方がおられますが、それは誤りで、石見、出雲は大幡主の支配領域であり、その傘下で大国主命は活動されていたから大国主も亀甲紋章を使っていたのです。

 だからこそ、天御中主、大幡主、大国主と「主」と言う尊称が使われているのです。


351-6 大国主の神紋と櫛田神社の三つ盛り二重亀甲五七桐紋   

スサノウも五十猛も大幡主の


AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

AD

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス

      ランキング

      • 総合
      • 新登場
      • 急上昇
      • トレンド

      ブログをはじめる

      たくさんの芸能人・有名人が
      書いているAmebaブログを
      無料で簡単にはじめることができます。

      公式トップブロガーへ応募

      多くの方にご紹介したいブログを
      執筆する方を「公式トップブロガー」
      として認定しております。

      芸能人・有名人ブログを開設

      Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
      ご希望される著名人の方/事務所様を
      随時募集しております。