おはようございます。
さんくるです。

あたしちょっとキーってなってる。
だだ漏らしちゃうんで、ホンワカしたい方にはごめんなさい。

同級生の息子、現在中学3年生。
彼は出生時の事故で低酸素脳症になり、生存が危ぶまれるような状況をものともせずに逞しく成長し、今や19歳のお兄ちゃんより背も高い。
ずいぶんと大人らしくなってきたように見える。

私が素人目に見たところでは、低酸素脳症の後遺症として、ふんふん聞いているふりしててもこれっぽっちも聞いてない注意力障害や、手足の操作や言葉と運動が噛み合わないといった協調性運動障害があるようだ。

そんな訳で成績はからっきしなのだが、電卓を使っての計算はできるし、ゲーム機は私なんかより使いこなすし、記憶も興味のあることについてはキチンと保持している。
私は「できないことにはまるで見向きもしない子」という認識でいた。

それでも同級生からすると、未だに自分が保護してあげないと何もできない子という意識であるようなのだ。

確かに小学校から現在に至るまでイジメに遭っているらしい。
その度ごとに彼女は担任に怒鳴りこみ、校長を呼びつけ、教育委員会に電話をする。

シングルマザーである彼女はずっと必死に息子を守ろうとしてきたのは確か。

そのせいなのかどうかわからないが、彼女は私に「何もできない子」だと話す。
彼女の家で話している時もダメな子、できない子、遅れている子と口にするのだ。
当人がいる前で。

私が「何でそういう言い方すんのよ」と鼻白んでも「どうせわかんないからダイジョブダイジョブ」としれっと言い放つ。

日本人は他所の人に対して自分の子どもを誉めたりしないことのほうが多いから、私が帰ってからちゃんとフォローしてるだろうし、私にはわからないその家庭ならではの親子の絆があるんだろう。
彼女の言い方ひとつだけで愛情を否定するつもりは毛頭ない。

それでも低酸素脳症から高次脳機能障害のリハビリをしてきた自分と引き比べると、何もかもわからない訳ではないだろうと思うのだ。
わからないこと、覚束ないことは一般的に成長してきた子より多くあるに違いない。
大人になってからの受傷と違って言葉を憶え始める時期と脳の回復期が噛み合わなかったのが、人に自分の考えていることを伝える機能の遅れにつながっているだけではあるまいか。

勉強ができないのと、何もわからないのはセットにすべきじゃないだろう。

でもこれって私が口出す問題?
黙っているべきものなの?
親子関係がうまくいってるなら余計なお世話なのかな。
 


 

 


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ちょっと頭に血が上ってるのか?
冷静な判断力がなくてわからない。

ごめん。続く。

 

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