高知県須崎市にて戦跡発見

2015年10月30日 テーマ:『高知戦争遺跡』

速報です!
H27.10.30 正午過ぎ
高知県須崎市の山中にて発掘調査員T氏
戦争遺跡、監視哨を発見!

堆積物が多く掃除を施しての撮影

詳細は後日アップ予定です。

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第4回戦争遺跡保存四国シンポジウム・FW(八幡浜第一防空壕 その2)

2015年10月28日 テーマ:『愛媛戦争遺跡』

第4回戦争遺跡保存四国シンポジウム・フィールドワーク2日目

愛媛県戦争遺跡(八幡浜第一防空壕 その2)



この防空壕の出入り口は東西に2箇所にて、平面図ではU字型。

内部には、広間があり、電灯、水道、洗面所、トイレまでも完備されています。






『桜花』  四国高知発 戦争遺跡調査・研究

このタイルの字

『壕空防一第濱幡八』当時のものだと思われます…

すごい迫力があります。


第二防空壕の計画もあったかもしれません。



『桜花』  四国高知発 戦争遺跡調査・研究

今回は、フィールドワークというこで、内部に入ることができました。


西入口から入ると直ぐに、左方直角に曲がります。

爆風避けと、入口開口部の強度化が図られています。




『桜花』  四国高知発 戦争遺跡調査・研究

奥行き10メートル、幅4メートル、高さ2メートルの空間

室内壁や通路も全て漆喰製です。


資料によると、この防空壕は四国最初の本格的なもので、総工事費は、当時の金額で5,000円にて、民間の寄付により完成したとあります。


内部は想像以上に広く、また、きれいな状態で、とても昭和16年製とは思えない保存状態です。管理が大変行き届いている、よい印象を受けました。



『桜花』  四国高知発 戦争遺跡調査・研究  

壁から水分が滲みだす感じが、また何とも言えません。


 

室内正面の一段上がった場所に壁孔あり。




『桜花』  四国高知発 戦争遺跡調査・研究  

アジア・太平洋戦争中の昭和18~19年は、近くの病院の医薬品を保管し、米軍機の機銃掃射時には、市民の退避所として使用されたこともあり、終戦後は民間の倉庫になった経緯もあるそうです。



『桜花』  四国高知発 戦争遺跡調査・研究  

東口への通路、途中で一段上がっています。

その上がる手前の左側に洗面所がありました。





『桜花』  四国高知発 戦争遺跡調査・研究  

洗面所の横壁孔は…


 

洗面所は本格的なもので、水栓も完備されていた跡があります。



 

通路の先は左に約100度で曲ります。その曲りより幅が若干狭くなります。



『桜花』  四国高知発 戦争遺跡調査・研究

東入口手前より、先程来た道を振り返った写真






『桜花』  四国高知発 戦争遺跡調査・研究  
東入口の直ぐ近くにトイレも完備されています。

当時のものでしょうか…



『桜花』  四国高知発 戦争遺跡調査・研究

当時の物と思われる、配線器具と照明機器の基礎部分




『桜花』  四国高知発 戦争遺跡調査・研究

室内には複数の通気口あり



『桜花』  四国高知発 戦争遺跡調査・研究



『桜花』  四国高知発 戦争遺跡調査・研究

通気の対策は、本当によく考えられています。


『桜花』  四国高知発 戦争遺跡調査・研究

東出入り口








『桜花』  四国高知発 戦争遺跡調査・研究  

民間の防空壕では間違いなく四国最大級だと思います。

地域、地元の有志の方々に大切にされ、小中学生の社会授業にも活用されている戦争遺跡でした。



第4回戦争遺跡保存四国シンポジウム

フィールドワーク2日目の記事おわり



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第4回戦争遺跡保存四国シンポジウム・FW(八幡浜第一防空壕 その1)

2015年10月26日 テーマ:『愛媛戦争遺跡』

第4回戦争遺跡保存四国シンポジウム・フィールドワーク2日目

愛媛県戦争遺跡(八幡浜第一防空壕 その1)


『桜花』  四国高知発 戦争遺跡調査・研究







感謝状の日付は昭和16年2月27日とあります。

日中戦争時代に造られた…


資料によると、昭和15年(1940年)5月に起工、昭和16年2月完成とあります。



『桜花』  四国高知発 戦争遺跡調査・研究

貸切バスを降りて、早速周囲を見回しましたが、近くに防空壕がある様な雰囲気を感じませんでした。


『桜花』  四国高知発 戦争遺跡調査・研究

この昭和の感じ…絵になります。






『桜花』  四国高知発 戦争遺跡調査・研究

親切で素晴らしい案内板ありました。



歩き数分で到着しました。

なんと!住宅基礎部分の地下にあるとは…!





『桜花』  四国高知発 戦争遺跡調査・研究

入口は普段は施錠されているようです。

当時は、どの様な扉だったんでしょう。




『桜花』  四国高知発 戦争遺跡調査・研究

こちらは出口側の壁




次回は壕内へ入ります。


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宮城県戦争遺跡 其の八 『松島海軍航空隊コンクリート製 2号壕』

2015年10月22日 テーマ:『宮城戦争遺跡』

宮城県戦争遺跡 其の八 『松島海軍航空隊コンクリート製 2号壕』



宮城県東松島市に残る戦争遺跡

旧松島海軍航空隊(現:航空自衛隊松島基地)敷地に、コンクリート製の壕が残っています。


※松島海軍航空隊コンクリート製 2号壕


この壕は旧松島海軍航空隊基地副滑走路先端より約100メートルの場所に位置しています。

使用用途は不明ですが、当時の航空写真から、松島基地滑走路周辺の誘導路より、この防空型の壕に通じる湾曲した道路がしっかりと写っています。


湾曲した道路は戦後3年(1948年)で、ほぼ田んぼに戻され消失、現在は全くその痕跡が残っていません。



旧松島海軍航空隊(現:航空自衛隊松島基地)敷地に残る、戦争遺跡のコンクリート製壕


東壁には、当時の土と思われるものが残っています。

戦中は偽装と防護のため土が被せられていたと思います。







反対側の西壁には土は残っていません。





開口部以外、本体部分の外観は、高知海軍航空隊司令部壕と類似しています。






地肌の保存状態は良い方だと思います。








南側の写真です。

南壁と北壁は、ストンと落ちる形式の垂直壁でした

屋根部には盛りコンがあります。




開口部両サイドに控壁をもっています。

海軍航空隊基地で見られる壕の型式です。





こちらの開口部は、比較的新しいブロック積みが施された状態でした。






当時は木製か金属の開き扉があったと考えます。





内部の壁面の仕上げは、型枠打ちっぱなしですが丁寧です。




換気口に、木材柱

内部は、間仕切りなど一切なく大部屋形式で、想像より広く感じました。





当時は何が入っていたのでしょう…





2014年11月撮影

この戦跡から南西方面を見ると、航空自衛隊松島基地の滑走路が見えます。東日本大震災前は、この壕の西側(写真右の土地)に多くの住宅があったようです。訪ねた時には津波などの被災により、完全に姿を消し、更地になっていました。


津波が押し寄せ、恐ろしく大変な状況になった場所にある戦争遺跡です。




今回、確認した松島海軍航空隊の戦争遺跡は2つとなりました。

戦争と震災をも乗り越えた大変貴重な戦争遺跡です。今後はどうなっていくのでしょう…




実は、この地点より海に近い場所に、もう一つコンクリート製の戦争遺跡があるとの情報で、現地に向かいましたが、大型のダンプトラックが行き来する災害復興用の道路脇にあり、立ち入ることができませんでした。




現在どうなっているの不明ですが、この先なんらかの形で確認できたらと思います。


尚、前回の消えたコンクリート壕と、1号壕及び今回の2号壕の戦争遺跡のアップは、ネット上初公開となると思います。


最後に…

宮城県の震災復興、皆様の絶え間ない努力の地を多く見させていただき、また、地元の研究家様のお力添えにて、無事にこの地の戦争遺跡を訪ねることができました。本当に、ありがとうございました。



宮城県戦争遺跡記事…おわり



松島海軍航空隊2号壕=この名称は東方が管理上付けたもので、正式なものではございません。





宮城県戦争遺跡 其の七 『松島海軍航空隊コンクリート製 1号壕』

2015年10月18日 テーマ:『宮城戦争遺跡』

宮城県戦争遺跡 其の七


※『松島海軍航空隊1号壕』


宮城県東松島市に残る戦争遺跡


今回は、仙台市中心地より東北方向、直線約35㎞に位置する

旧松島海軍航空隊(現:航空自衛隊松島基地)の敷地に、現存するコンクリート製の壕…戦争遺跡をアップします。


この壕は旧松島海軍航空隊基地副滑走路先端より約200メートルの場所に位置しています。


使用用途は最上部に監視設備を備えた弾薬庫、倉庫?と不明ですが、立地と形状から防空施設であることは間違いありません。当時の航空写真から、松島基地滑走路周辺の誘導路より、この壕に通じる湾曲した道路がしっかりと写っています。


現在は残念ながら、その湾曲した道路は戦後3年(1948年)で、ほぼ田んぼに戻されており、全く痕跡が残っていません。


戦後の平和な時代に、空襲を回避するための、湾曲蛇行する道路の必要性がなくなり、消え去るのは仕方ないことだと思います。


写真提供:地元研究家O氏

1990年代の様子


屋根部に土が残り、大きな樹木も生えています。




2011年夏頃






2014年11月撮影


2006年11月には、すでにこの様な緑色に塗装が施されていました。


2014年11月、この戦跡から南方面を見ると、視線を遮るものがありません。遠くに地平線が見えますが、実は直線約1.5キロメートル先の直ぐそこに海岸があります。

この場所にも津波が押し寄せ、恐ろしく大変な状況になったそうです。





2011年3月12日撮影(東日本大地震翌日)

滑走の北側(写真上部)がこの地です。





入口開口部は、最近新たに改装された様子でした。




開口部横の平行四辺形の壁や、上部アーチ部は以前からあった様ですが、表面の地肌は綺麗にされていました。




左右対称で、反対側にも開口部がありました。




大変特徴的な外観です。




現在その構造物には、ガラス窓(東、西面)2枚と、換気口(北、南面)2箇所が備わり、電線も引かれ、地肌も下地処理が成されて新たな塗装が施されています。

下部の丸い部分は、恐らく高圧洗浄され、その後グリーンに塗装されています。






以前は、その上部構造物には、ガラス窓は無く、地肌は時代経過通りの型枠跡が見て取れる洗い出し仕上げ状のコンクリートそのものです。

そして、本体には土が被されていた跡が残り、木も生えていました。


形からして、この壕構築工法は土饅頭でしょう…





地元の専門家によると、この鐘は、戦中から付いていたそうです。



松島海軍航空隊基地滑走路周囲には、当然高い山などは存在しないので、となると、やはり見張り施設の可能性が強くなりますが、鐘を利用する形式のものを、今まで見たことがありませんので、大変貴重なものだと思います。



この鐘は、火の見ヤグラなどで見られる外殻を槌などで叩いて音を出す方式ですので、最上部まで登って利用するのでしょう。

高さがありますので、紐などを垂らして窓から引っ張り内側を叩いても、あまり音は鳴らないと思います。


鐘のことはさておいても、この様な構造に類似した施設の戦争遺跡は、日本側の鳥取県境港市、旧美保海軍航空隊(現:航空自衛隊美保基地)内に残る施設でしか見た記憶がありません。


旧美保海軍航空隊戦争遺跡

自衛隊基地内にある施設のため、大変きれいに管理された壕です。





地震災害を乗り越え改装も施されて、とても大切にされているのが、よくわかります。

どういう形であっても残されているのは素晴らしいことだと思います。

付近には、もう一つ、同類のコンクリート壕があります。

次回アップする予定です。付近には、もう一つ、同類のコンクリート壕があります。



尚、前回の消えたコンクリート壕と今回の1号壕、次回の2号壕戦争遺跡のアップは、ネット上初公開となると思います。





松島海軍航空隊1号壕=この名称は東方が管理上付けたもので、正式なものではございません。









宮城県戦争遺跡 其の六 『消えたコンクリート製壕:松島海軍航空隊』

2015年10月14日 テーマ:『宮城戦争遺跡』

宮城県戦争遺跡 其の六

『松島海軍航空隊:消えたコンクリート製壕


仙台市中心地より東北方向、直線約35㎞に位置する

旧松島海軍航空隊(現:航空自衛隊松島基地)の直ぐそばにあった…

最近消え去った戦争遺跡をアップします。


尚、今回の戦跡はネット初公開と思われます。



その戦争遺跡は、現:航空自衛隊松島基地(旧松島海軍航空隊基地)が見える場所に最近まで存在していました。



カマボコ状で、縦長のコンクリート製壕。

屋根の約半分に土が残り、樹木も見えます。

基地から、この壕に伸びる道路は今も健在です。


当時の用途は不明ですが、その横幅から航空機の利用は不可能ですので、防空壕、弾薬などを格納した可能性があります。




荒々しい地肌です。



戦時中は屋根部に、たくさんの土が被せられていた様です。





2014年11月、この地を訪ねると立派な畑になっていました。

地主の方にも、お話しを聴かせていただきました。


ここにあった壕は、東日本大震時で被災し、2ヶ月後の2011年5月までは、その存在を確認していますが、その翌年(2012年)には消失しています。



貴重な戦争遺跡が失われたのは、ほんの最近の出来事です。

周囲を見回しましたが、残念ながら、残骸のコンクリート片を発見できませんでした。



地震影響で大変貴重な戦争遺跡が姿を消しましたが…この地は、紛れもなく生きるか死ぬかの大変なことになっていた場所でもあります…



次回は現存する、松島海軍航空隊の戦争遺跡をアップする予定です。







宮城県戦争遺跡 其の五 『松島航空基地位置図(諸施設)、掩体空撮写真』

2015年10月12日 テーマ:『宮城戦争遺跡』

宮城県戦争遺跡 其の五


松島航空基地位置図(諸施設)、掩体空撮写真』



松島航空基地位置図(諸施設)



松島海軍航空隊:引渡目録

松島航空基地位置図(諸施設)




1947.4.14撮影



A:一空廠松島補給工場

  (矢本町西方約500米)

B:松島航空基地隊濱須賀彈庫

  (有蓋掩体、松島基地隊正門ヨリ南方約200米通路ヨリ東方ニ入ル

C~G:松島飛行場掩体

  (松島飛行場西北端誘導路)

H:松島航空基地隊第一格納庫

  (矢本町松島飛行場)

I:松島航空基地隊第三格納庫

  (矢本町松島飛行場)

J:松島航空隊発動機調整備場

  (松島飛行場格納庫裏)

K:松島航空基地隊飛行場内魚雷調整場

  (松島飛行場格納庫裏)

L:松島航空基地隊車庫

  (旧松島航空基地隊正門横)

M:松島航空基地隊防空送信所

  (須江村)

N:松島航空基地隊小野電信室

  松島航空基地隊小野隧道

  (仙石線陸前小野驛ヨリ東方約300米縣道ヨリ北ニ入ル約200米隧道内)

O:松島基地鹿妻隧道(4番、5番、6番隧道、竹藪)

  (仙石線陸前小野驛ヨリ東方500米縣道ヨリ北ニ入リ約200米)

P:松島航空基地隊小野隧道及附近

  (仙石線陸前小野驛ヨリ東方500米隧道ヨリ北ニ入リ200米)

Q:松島航空基地隊小野彈庫(第一、第二、第三彈庫)

  (陸前小野町ノ東北約300米鳴瀬川堤防ヨリ南ニ入ル



図による情報では、航空機用掩体はC~Gの5基の様ですが、無蓋型らしき掩体は記入されずに、コンクリート製のものだけを取り上げていると思われます。




② 松島基地、航空機用掩体の画像』


1947.1.14撮影



1947.1.14撮影

南側誘導路、掩体のアップ



田の中にある誘導路と航空機用有蓋掩体と無蓋掩体




1952年(昭和27年)10月31日撮影

誘導路の一部が無くなりました。

有蓋掩体が4基確認できます。

左上の2基と右下の1基は、大分県宇佐市の、宇佐海軍航空隊の城井1号掩体の様に前部をZ6工法、尾部をZ5工法で仕上げていると推測します。

残りの1基は他と形状が異なっています。





1956.5.28撮影




1989.10.1撮影

新滑走路により、旧松島海軍航空隊基地南側誘導路と掩体は、既に完全に姿を消しています。



2014年11月撮影

旧管制塔(左)、新管制塔(右)

一方、北側の誘導路跡は現在田んぼにて、こちらも痕跡を見つけることが出来ませんでした。




新管制塔、右となりの『への字型土塁』

ちなみに、この土塁は戦後のものですが、1961年(昭和36年)には出来ていました。


東日本大地震津波被害にて、この周囲には構造物が何もない状態です。その中で、航空自衛隊松島基地新管制塔と巨大な土塁だけが目立ち、それがとても印象に残りました。













戦争遺跡 高知県香南市 旧陸軍地下壕 その1

2015年10月09日 テーマ:『高知戦跡』 地下壕施設など

戦争遺跡 高知県香南市 旧陸軍地下壕 その1


先日は、高知県香南市の戦跡調査に行きました。


今回は、太平洋戦争末期の本土決戦用陣地

旧日本陸軍、第百五十五師団歩兵四四九連隊(護土)第二大隊が任務に就いた地を調べます。



この地は、大型の塹壕や潰れた地下壕などがあり、多くの自然木や竹が生え、全く管理されていない到底真っ直ぐに歩けない様な場所…




その様な所に、地下に通じるボストンバッグほどの狭い穴を発見…





中に入ると真っ暗…数メートル先は、もう闇…

カメラのフラッシュは奥まで届きません。



昔、装備がまだないころは、カメラの一瞬の光をたよりに壕に入ってたことを思い出いました(悲)。


仕事仲間の発掘調査員Tさん、早速何かを発掘しました。





次に土中に木を発見!一つ見つければ、約90~100cm間隔で、ガンガン掘っていきます。


真っ暗な中での作業中に「明日仕事かぇ?」なんて普通の会話あり!


壕中、ひとりぼっちの調査発掘時の空気とは大違いです。




これは…枕木?

トロッコレール用の枕木かもしれません。

地中5~10cnの所に埋まっています。上土は柔らかく自然堆積した感じです。発見者の彼は、足音の違いでこの木を発見しました。凄い!




太平洋戦争中の地下壕土中にて、70年以上前の丸太を発見!さすがに表面は腐りにて、やせてしまっていますが、大きいところで直径約15㎝、長さは2mほどありそうです。


今まで、たくさんの壕を見てきましたが、土中の枕木は初めてです。

壕内部の崩落を防ぐ目的で使用された柱や梁、板などが残る壕は、希にありますが、土中の丸太は…


天井の崩落は殆どないので、長年の堆積物で埋まったと思われます。




しかし、不思議です。

カスガイや、裸になった電線なども出土したので、恐らく上物構造物の柱などあったと思われますが、それらの木材は見当たりません。

よく、戦後、地元の方達が、壕中より取り出し、再利用される話しはありますが、この枕木は出されていません。


もしくは上物の全てが腐ったのでしょうか?壕中の湿度は、それほど強くないので、その可能性は低いと思いますが…とにかく、残っていることが不思議です…





側壁に、柱用の目立った等ピッチの窪みは、無い様です。




側孔が左右に数本ありました。



このカッチリと壁や天井が■型で残っているのは、貴重です。


掘ればまだ何か出てきそうな感じです。



近くのトーチカにも寄りました。



こちらの地下壕は、今日もたっぷりの水を蓄えていました。


ここ香南市の戦争遺跡に関する取り組みは素晴らしく、グングン加速しています。


激熱香南市Mさん!

自分たちは間違いなく、その動きに触発されています!














香南市の基層を探る:講演講師

2015年10月04日 テーマ:平和・戦争学習

先日は講演講師をさせていただきました。




香南市文化財講座:香南市の基層を探るⅣ

戦後70年を考える。戦争の記憶と戦争遺跡。


H27年10月3日、高知県香南市

のいちふれあいセンター、サンホールで以下の内容で開催されました。


○はじめに

「戦争を伝える・香南市戦争遺産」


○対談:戦争を語る~戦争の記憶を継承する~

『震洋隊爆発事故と戦後70年続く慰霊祭』

~第128震洋隊 夜須手結山 昭和20年8月16日~


『9人の子どもの命を奪った機雷爆発事故』

~赤岡海岸 昭和21年6月17日~


○講演

『戦争遺跡は歴史の証人』

~戦後70年 あしもとから戦争を考える~


『戦争の実相をどう伝えるか』

~敗戦70年の新聞報道~



外観もお洒落で、大変立派な「のいちふれあいセンター」です。







 

リハーサル中

とてもきれいなホールです。








『戦争遺跡は歴史の証人』で、お話をさせていただきました。




終戦1年後の事故に直面した方々との対談も行われました。





 
来場者は、子どもを含めて約150人とのことでした。

香南市の戦争遺跡に対する取り組みの紹介もあり




経過も解りやすく説明され、実際に今回の様に次世代に次ぐための活動がされています。




 

ホール前では、戦時中などの航空機プラモデル多数の展示。





大変わかりやすい航空機用掩体の模型もあり。

掩体模型は初めてお目にかかりました。




 

通称『あかとんぼ』や、零戦の実物パーツの展示。




 

高知海軍航空隊壕から最近多数発掘された個人装備の遺物展示や写真の展示もあり。







 

最近の香南市は、どの分野においても熱いと思います。


とても羨ましいです!

高知市…ショック!南国市…シラー



実際戦争被害を体験された方との対談話はグッと重みが違います。

また、「戦争の実相をどう伝えるか」では新聞報道のあり方について、大変勉強になりました。ありがとうございました。




T発掘調査員、今回も協力ありがとうございました。



2015年夏 ヨット大会出場

2015年09月21日 テーマ:サーフィン・ヨット・スノボ   

2015年9月20日

高知県香南市夜須町手結で開催されました

ヨット大会に出場致しました。


大会の正式名称

第6回ハンザクラス

『HANDinHAND高知大会』



『大会案内ポスター』





多くの参加者とスタッフさんが集まりました。

今年も、香南市長からの激励挨拶もあり、とても嬉しかったです。




快晴!風もいい感じ。




子ども達も多く、遊んでいました。




予選第2レース、スタート直後の艇が並んだ美しい風景。



混戦状態で、ブイをターン!



かっこいい!後ろから見る感じが好きです。





さぁー予選第3レース、待ちに待った自分たちの出番です!

バディーIMAOの背中がシブイ!




あっという間に、ゴール!

IMAOの3本指は3着を表現しています。
決勝進出確定の嬉しい瞬間!





1位が狙えることになりました!盛り上がってます!

素人だから、何もかもが楽しくてたまりません。


決勝、第6レースでは、フライングだけはダメだと注意し、完璧なスタートを切りましたが、上手く風を捕れずに順位ダウン(泣)!




『大会様式』

○予選:第1~第3レース

(各レース9艇出場中、上位3位までが1~9位レース出場可)


○決勝:第4~第6レース
(第4レース:19~27位、第5レース:18~10位、第6レース:1~9位)



『経過』

○予選レース
最高のBuddy操舵手『IMAO』のナイスハンドリングで

見事に、3位通過!


○決勝レース

セイル係り『jj』の失敗×で

7位通過でした。優しいIMAOがなぐさめてくれました。

今年も、ごめんね!




『結果』

7位(27艇中)となりました。

ちなみに昨年は6位(9艇中)




レースが終了して、ゆっくりと美味しい昼食をいただき、表彰、閉会式となりました。
2人とも、海が大好き!早くも、来年も!と、やる気満々です!




こちらは、大会前の練習風景!「すごい!」







練習合間にシーカヤックで、のんびり~



今年も、ゴールすることが目標であったことを、無時に達成できました。嬉しくてたまりません。また、ひとつ楽しい思い出となりました。


大会スタッフの皆様、各選手の皆様方、本当に有難うございました。



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