お手伝いさんたちのブログ

中部大学 武田邦彦先生のブログの中で、音声収録のみのものをテキスト化して掲載しています。
テキスト化及び掲載にあたっては先生から許可を頂いています。


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私事ですが、飼い猫の一匹が病に倒れ、自力での食事やトイレができず、家人が不在の時は私がつきっきりのため、このブログの更新を今年度いっぱいで停止とさせて頂きます。


武田先生にはHPからリンクを外して頂けるようにお願いしましたので、既に削除済みです。


このブログはしばらくこのまま残しておきます。


協力して下さった多くの方々にお礼申し上げます。



~これまでに協力してくださった方~

ダニエルさん、haruさん、まあさん、大和魂は死せずさん、Y.Rさん、つよぽんさん、ちゃりだーさん、たくまーさん、まさんちゅさん、SANBOさん


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体罰考(8) スポーツ教育の歪みと体罰



大阪の高校生の自殺については、その背景が非常に難しいので、直感的に結論を出すことは「危険」です。なぜ危険かというと私たちは個別の先生を懲罰するだけではなく、このような悲劇が起こらないように「罰したら終わり」ではなく、「罰することと改善すること」を分けなければならないからです。



それには「すべての事実を慎重に見て、考える」必要があります。これまで体罰考では7回に渡って基礎的な考え方の整理をしてきました。今回は「すべての事実を見る」事とします。個別のものについての評価は音声で入れました。


A) 体罰は昔から見ると減ったけれど、今でも学校で行われている(事実)、

特にスポーツ部などでの体罰が定期的に問題になる(事実)、

できれば教育に体罰がない方が良いという事は一般の人の間では一致している(おそらく事実、以下同じ)、



B) スポーツ部の指導者の中には「体罰は必要だ」あるいは「仕方が無い」と考えている先生も多い、

スポーツ部に通わせている親も「仕方が無い」と思っている場合がある、

スポーツ部で運動をしている子どもは「体罰は良いのか悪いのか良くわからない」という感じである、



C) 高校のスポーツの成績が良いと大学に入りやすい、

社会はスポーツ選手を尊敬し、大切にしている、

オリンピックにでるような一流選手は早熟で頭も良い場合が多く、体罰を要さないことが多い、

一般のスポーツ部の選手でまだ人格の形成が途中で、小さな事であきらめてしまう子どもも多い、



D) 今回の事件のOBの感想「生徒思いのいい先生です。あかんことはあかん、いいことはいいとハッキリ言うタイプ。授業も楽しかったし、周りからも厳しくて良い先生と思われていた」
今回の事件の近所の人の評判(70代女性)「最初見たときは体が大きくて、機動隊員か何かをしているのかと思いました。奥さんと小学生か中学生くらいの息子さん2人との4人暮らしで、お子さんは今時珍しいくらいしつけが行き届いています。道路で人とすれ違うときはサッと道を譲ってくれて、近所の人には深く腰を曲げてあいさつしていましたね」




E) スポーツを指導している先生は「もう一つ頑張れば良い成績を上げられる」という時に「子どもにあきらめさせるか、頑張らせるか」の判断基準と、頑張らせる方法を知らない、

心理学的、教育学的などの学問的支援が不足し、社会からの圧力などに晒される先生が多い。

日本社会は3万人の自殺者がいるが、責任を問われた人はいない。

個人が自由な選択ができる状態での自殺は「任意の自殺」と見なしている、

これ以外にも考慮に入れなければいけない事実や、事実と思われることが多い。過去の清算(事件をおこした教師の懲罰)とこれからの教育は別にしなければならない。

まだ私自身も結論が出ないが、おそらく先生に指導のすべてを考えていただくのでは無く、教育界が心理学、発達心理、教育学、社会学、生物学などの面から、教育方法の研究と提案、説明などが必要だと考えられる。

(平成25年1月20日)




--------ここから音声内容--------




体罰の問題について多くの方が強い関心を持っているという事は、テレビばかりでなくて、私のメールのいろいろな方のご意見でも分かるわけですね。大変に参考になります。体罰(考)もだいぶ進んできまして、今度の大阪の高校生の自殺については非常に背景が複雑ですので、私としては直感的に結論を出すのではなくて、慎重に考えたいということですね。

直感的な結論では非常に危険で。特に罰したら終わりという事をしますとですね。また同じような犠牲者が出ると。その可能性があると私は思っております。





そこで、回りくどくなりましたが、7回にわたって、学校の教育の問題だとか、基礎的な考え方の問題というのをやって参りましたが、今回はより具体的に、今度起こった事件を中心に、事実と思われるものを整理してみたいと思います。




事実が、まずは、あの、理解するとか合意しなければいけませんからね。Aとしては、体罰は昔から見ると減ったけれども、まあ、学校で行われてると思います。まあ、間違いなく行われております。それから、特にスポーツ部などでは、体罰が定期的に問題になるという事もあります。これもおそらく事実です。出来れば教育には体罰が無い方が良い、ということは一般の人でも一致していると思います。





こういった体罰についてはですね、好ましくないけども、行われているだろうな、と。特にスポーツ部はある程度あるだろうな。ということが、日本社会の認識ではないかと思います。





(B)それから、スポーツ部の指導者の中には、体罰が必要だとか、仕方が無いと考えている先生もおります。それから、スポーツ部に通わせている親もですね、仕方が無いと思ってる場合があります。少しの体罰をしてもらっても、子どもの成績、スポーツの成績が良くなった方が良いと心の中で思っている親もおられます。これは私も、お会いした事があります。





それから、スポーツ部で運動している子どもは体罰が良いのかどうかよくわからないと。まあ、先生から叩かれるのは仕方ないと。いう風に思っている子どもが多い様に思います。



えーAとB終わりまして、Cに進みますとですね。



(C)高校のスポーツの成績がいいと大学に入りやすいっていうのは確かであります。それから、社会はスポーツ選手を尊敬したり、大切にしといります。これは非常に重要な事で、良い事だと思いますが、オリンピックで優勝したり、どこかの大会で優勝するとですね、まあ、国民栄誉賞なんかも貰ったりするわけですから、非常に華やかな社会に入る事ができるわけですね。





それから、オリンピックに出るような一流選手っていうのは、割合と早熟な人が多くて、頭もいいんですよ。ですから、体罰を要さなくても、自覚して運動する事があります。しかし、一般のスポーツの選手ではですね、まだ子どもで、人格の形成が途中でですね、非常に詰まらない事で、スポーツを諦めてしまう子どもも多いんですね。まあ、そういう時に先生がどうするか。





口で言うっていうのはですね、子どもが成長していれば口で良いんですけど、子どもが成長していないときに本当に口だけで、その子どもの人生を救えるかっていう難しい問題があります。




だから体罰が良いって言ってるんじゃないですよ、あの、そこのところショートカットしないでいただきたいですが・・・。




今度の事件についての報道の一部をご紹介したいのですが・・・、このクラブのOBはこう言っていますね、「生徒思いの良い先生です。あかんことはあかん。いい事はいいとハッキリ言うタイプ。授業も楽しかったし、周りからも厳しくて良い先生と思われていた。」とこう言っています。




「厳しくて良い先生」っていうのはあり得るんですね、現実にあり得るんです。まあその、自分の思想に反するとか反しないとかは別ですよ。あり得るんですね。




それから、今回の事件の近所の人の評判、これ70歳の女性ですが・・・「最初見たときは身体が大きくて、機動隊員か何かをしているのかと思いました。先生の事ですね。奥さんと小学生か中学生くらいの息子さん2人との4人暮らしで、お子さんは今時珍しいくらいしつけが行き届いています。道路で人とすれ違うときはサッと道を譲ってくれて、近所の人には深く腰を曲げてあいさつしていましたね」と。こういう風に言ってますね。





つまり、今度自殺を招いた先生はですね。多くは、厳しくて良い先生だと生徒は思っていたと。それから、近所の人は家族(関係)も良かったし、礼儀も正しかったと。これはですね、実は深い意味があるんですね。つまりこのごろ、世の中が乱れているとか、行儀が悪いとか、若者の電車の態度がどうにもならないっていうのはどこから来てるかって言うと、一つは体罰がない事なんですよね。





いや、非常に難しいんですよ、体罰をすればみんなの態度がよくなるかっていう問題があるんですけど、実は体罰もなんにもしないで甘やかせて、希望も全部叶えながら褒めて育てると、態度は悪くなるんですよ、これは間違いないんですね。それを批判するかどうかっていう問題もあるんですね。まあ、これは少し難しい問題ですが、この際思い切っていいます。





それからEですね。スポーツを指導している先生は、もう少し頑張らせれば、いい成績挙げられて、いい大学にも行けるんだっていう時にですね、これ、子どもに諦めさせるか、頑張らさせるかという、そのギリギリの所の判断基準が無いんですよ。実は。





それから、体罰をしなくても頑張らせる方法を知らないんですよ。わからないんです。私もわからないんですよね。で、実はこれに対して、心理学、教育学など私はずいぶん勉強しようとしました。私の場合はですね、物理を専門としていますから、こういう時にですね、心理学とか教育学の本にはどういう事が書いてあるかというのを一生懸命探しましたが、ありませんでしたね。





スポーツを指導される先生では、そういう学問的な事を勉強されるっていう機会が少ないと思います。しかし目の前に子どもがいる。どうしたらいいか。そのうえ社会からの圧力にさらされると。いうことですね。





それからこれも誤解無きように聞いて欲しいんですが、日本社会は3万人の自殺者がいるんですが、この自殺について責任を取らされた人はいないんですよ。市長さんだって責任はあるんですよね。会社の社長さんもあるかもしれません。社員が自殺した時は、社長はなんだと、酷い仕事をさせてたんじゃないかとかですね、給料が低すぎたんじゃないか、あるんですね。





これ責任を問われた人いないんです。これはどうしてかっていいますと、個人が自由な選択を出来る時にいるときの自殺はですね、本人の任意の自殺とみなされています。えー高校生だから、任意ではないといえません。その為に保護者が存在します。保護者と高校生が一体となって一人の人格と認めております。





その点ではですね、今回の自殺が、自由な選択が出来ない状態での自殺であったか、それとも自由な選択が出来たのかと。いうことも考えなければいけないと思います。





ここにですね、今日は、一応私が思いつく分類が、ABCDE、その中に3つか4つの細かい事があるということを整理をしましたが、これ以外にずいぶん多くの考えなければならないということがありますね。だから、過去の清算とこれからの教育を良くするということを別に考えなければならないと思っております。





私はですね、まだ結論をだすことを、憚っています。もう少し読者からのお考えも聞き、事態の経緯も見て、そして私も考えて、やらなきゃいけません。





いまのところはですね、担当の先生に指導のすべての方法を考えてもらうという今の方法が、ちょっとまずいんじゃないかと思うんですね。むしろ、教育界でも、社会でも、マスコミでもですね、協力して、先生方に、心理学だとか、発達心理だとか、教育学、社会学、生物学、いろんな面からありますからね、教育方法の研究をして、提案をして、それを説明したり、議論したりするのが前向きじゃないかと思うんですね。





たとえば、あの、今度の事が、本当にいい先生、生徒思いのいい先生で、厳しくても良い先生で、ご家族は円満で、お子さんは非常に礼儀正しい。そして今まで大変に高校のスポーツ指導に実績があって、多くのOBが先生を支持しているとしますね。





そうした場合、この先生は悪だと。もう、生徒の顔が腫れてたじゃないかということだけを取り上げてですね、えーと、先生をバッシングするということは、私たちの気晴らしになってもですね、本当の事実に到達できるかどうかわからないんですね。





もう一つは、私が何回も経験して、また、悩みに悩んで、教会などに何度も通った様にですね。子どもっていうのはですね、本当につまんない事で、将来を諦めちゃうんですね。それがまた子どもなんですけども。それをまあ、お子さんを育てられた親御さんはお分かりでしょうけれども、なんかちょっとしたことで、俺は高校いかないとかですね、そういう事言い出してですね、親御さんが困るっていう経験をされた人も多いんですよね。その時にどうするかっていう事なんですよ。





「あ、そう。あなた高校に行きたくないの?じゃあ、高校止めなさい。」って言った親っていうのはあんまりいないと思うんです。何とか子どもを説得し、あなたそれ言ったらダメよと。将来はあるんだからということを永遠説得しますね。これは、あの普通の場合なんですが。





スポーツの指導っていうのはもう一個難しいんですよね。先生から見てですね、この子はもうちょっと頑張ればインターハイに出れると。どうしてやらないんだろうか?と思うわけですね。もちろん子どもの方はそれなりの理由があるんですよ。あの、発達途上ですから、思春期ですからね。





ま、いろいろ、例えばですよ?友達からこう見られているから、っていうつまんない理由で、自分の才能を犠牲にしてしまうこともあるんですよね。





そして、この際もう一つ深く考えなきゃいけないのは、日本社会に出ている3万人の自殺者。これはなんなのかと。いまですね、高校生の一人の自殺者をものすごく大きく、言ってますけども、自殺をいう事はどういうことなのか。高校生だからっていうことはないんですね。そのために、保護者がおられるわけですね。





で、まあ学校での行為っていうのはですね、必ずしも保護者はわかりませんが、それは今日1日の事とかというのはわかりませんが、まあ、(いじめなどが)半年も続けばですね、充分に保護者も認識できます。





ですから、高校生プラス保護者というのは、一般の人と言っても悪くはないんですよね。そうしますと今度の事件もですね、何故起こったのか?こういう状態ですね、前の日とか、まあ、あの2週間ぐらい前ですね、先生がたぶん、迷われたと思うんですね。あの子をもう一回立ち直らせれば、立派な成績を上げられる子になるんだと。ここで自分がくじけたら、あの子はもうスポーツ選手としてはダメだと。どうしようかって迷ったわけですね。





この迷った時にその先生がどういう態度を取るべきかっていうことですね。私の感じでは説得しても全くダメですね。説得はそのとき役に立ちません。じゃあ、説得に変わるものがあるのか、それとも、その子の将来がダメになっていくのを横で見ているのかっていうことですね。





私がこのブログに書いた様に、悩んで自分の前を通る学生を見ていますとね、ああ、可哀想にとおもうんですよ。もうちょっとだけ考えが変わったら、大学を卒業して、ちゃんとやっていけるのに、このまま私が放っといたら、卒業も出来ないんですよ。その時に私がどうするかっていうことですね。これも、悩みに悩んだ問題だったんですよ。





今度もですね、私は、教育関係者も勇気を持って、こういう例を言って欲しいですね。今ですね、先生の方を守ろうとするとものすごく社会からバッシングを受ける事は私も承知です。しかし、私たちは自らのバッシングを恐れてはいけないわけで、やっぱりこれから学ぶ子ども達がですね、出来るだけ良い教育を受けて、そして自分の素質をのばすためには、この思春期の難しい状態をどう克服するかということを考えなければならないと思います。


(文字起こし by まさんちゅ)

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体罰考(7) 人格とはなにか?



教育の話をするときには、「人格」というものがなにかを避けることはできません。



教育基本法第一条 [教育の目的]

「教育は,人格の完成をめざし,平和的な国家及び社会の形成者として,真理と正義を愛し,個人の価値をたつとび,勤労と責任を重んじ,自主的精神に満ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行わなければならない」



「人格の完成」=「真理と正義を愛し,個人の価値をたつとび,勤労と責任を重んじ,自主的精神に満ちた」とダブって書かれていると解釈できます。



また、人格の基本的な条件として、次のことが上げられる場合もあります。

1)自分と他人の関係が良くわかっていること、

2)暖かい人間関係を持てること、

3)厳しく不運な状況になっても心の平静を失わないこと、

4)真理を理解できる理解力のあること、

5)人生に対する深い洞察力



ところが、人格とか自我というような言葉は、もともとヨーロッパから明治の初めにもたらされたもので、キリスト教の神と密接な関係にあります。だから、日本人にとっては「人格」といってもなにかピンと来ません。



むしろ「自我」があるのでは無く「無我」の方がなじみ深いことや、「人格」というと「動物格はあるの?」と聞きたくなります。日本は東洋文化圏にあり、キリスト教より仏教の影響が強いので、キリスト教社会の自我、愛、正義の代わりに、無我、慈悲、誠・恩という考え方が中心です。



そこで、ヨーロッパの思想をもとにして作られている教育の目的を日本的に書くと次のようになるでしょう。



「教育は,立派な人物になることをめざし,平和な国家とその社会の一員として,真理と礼節や恩を大切にし,他の人と調和し,自ら働き、誠実で,付和雷同しない強い心をもった心身ともに健康な国民の育成を期して行わなければならない」

となるでしょう。



ここで「立派な人物」=「真理と礼節や恩を大切にし,他の人と調和し,自ら働き、誠実で,付和雷同しない強い心をもった人」ということになって、かなりわかりやすくなったと思います。



おおよその問題は把握できたような気がします。現在の教育の混乱の一つに、教育基本法で定められた教育の目的が考えられていないこと、それに加えて教育の目的自体がヨーロッパ流になっていて、日本人がわかりにくいということもあります。



簡単に言えば先生も国民も、もちろん教育委員会や文科省も真剣に教育の目的を考え、それを合意する手続きをしていない、だから人格とは何なのか、正義とは何かがわからずに進んでいる、それで体罰とか教育の仕方を議論しても、なかなか改善されないことがわかりました。


(平成25年1月17日)





--------ここから音声内容--------





人格とは何かと。まあ、これはですね、読者からのご質問もありましたし、また、教育を論じる上ではどうしても避けて通れない問題であります。今度の体罰事件もですね、人格とはなにかという事を抜きにして、議論は出来ないわけであります。



教育法第一条、教育の目的にはですね、たびたびこれを出してるんですが、まあ、これは旧条文ですけれど・・・。

「教育は人格の完成を目指し、平和的な国家、社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値を尊び、勤労と責任を重んじ、自主席精神に満ちた、心身ともに健康な国民の育成を期して行わなければならない。」

と、これを読みますとすぐわかるような気がするんですよね。


人格とは何か、人格の完成とは何か。と、聞かれますとですね。それは後ろの文章にあります。



つまり、「真理と正義を愛し、個人の価値を尊び、勤労と責任を重んじ、自主的精神に満ちた人。」これが人格のある人であると。というふうにだぶって書かれている。つまり人格の完成を目指して、こういうことをやるんだと。最初に人格の完成を目指すっていうのはまあ、目的中の目的ですね。その下は、まあ手段みたいなことが書いてあるというふうに言えるわけですね。





それから、人格という言葉はもともとヨーロッパから来た言葉で、それを日本人が明治に訳したものでありますので、一応ヨーロッパ流の人格っていうのはどういうことかっていうのを示してみますとね。



「自分と他人の関係がよくわかる事。」


「あたたかい人間関係をもてる事。」


「厳しくて不運な状況になっても、心の平静を失わない事。」


まあ、悲惨になったらもう、泣き叫ぶっていうんじゃなくてですね、これも仕方が無いとおもって受け止めるだけの、ちからっていうんですね。

「真理を理解する。理解力を持つ事。」

なにが真理か。それは人生とはどういうものかっていうことへの深い洞察力。こういうものが人格であると、ヨーロッパで言われておりまして、人格をもった人はどういう人なのかという時に、こういう説明が一般的にされます。もちろん人によって少し違いますけどね、だいたいそうであります。





ところがここでわかるように、人格という言葉ですね、これは自我とも、ま、自分ということですね。こういった用語はもともとヨーロッパから明治の初めに日本にもたらされたものでありまして、キリスト教の神様の概念とかなり密接に関係しております。このことが、日本人にとって、人格という事がおぼろげにはわかるんですが、カチッとわからない。(なので、)人に人格とはなんですかときかれても答えにくいということになるわけですね。





日本の人格に対する、(日本ではどう表現しているか)の言葉っていうのはなかなか難しいんですが、少なくとも、自我ということについては無我というのがあるんですね。これはあの、東洋流っていったらいろいろ問題があるんですが、まあそういうことですね。





それから、自然と人間をあまり区別しませんので、人格があるんだったら、動物格っていうのあるの?って感じになるんですね。あの、ヨーロッパではですね、おもに動物は野獣と考えられるわけですね。だから教育を受けないと野獣と同じような、野蛮な状態にあるのを、教育によって人にするんだと。





ところが日本ではですね、人よりか動物の方が偉い。(と思っていたりします。)私なんかはそう思ってるんですね。オオカミなんか見ますとね、実に偉いんですよ。一夫一妻で夫婦は絶対に離婚しませんしね。それから兄弟で不幸な兄弟は、自分の夫婦の家庭にいれてあげますしね。(可哀想な環境にある)子どもの両親が死んだら、その子どもを引き取りますしね。無償ですよもちろん。お金、貯金、ありませんからね。




実に立派でですね、どう見ても、人間よりかオオカミのほうが偉い様に思うんで、いわゆるキリスト教的な文化、ヨーロッパ的な文化の様に野獣と人間というように日本の文化は見てないわけですね。輪廻転生があるくらいで、あなたまえのあれは(前世)「鹿だったの?」「熊だったの?」って聞かれるぐらいですからね。





まあ、ここで一応東洋文化圏と西洋文化圏と区別をしまして、それではちょっとまずいこともあるんですね。その他にアフリカにも文化はありますし、いろいろ文化はあるんですが、わかりやすく一応ここではこう言っております。





そうしますとね、キリスト教的な文化の自我、愛、正義といったですね、非常に基本的なあれ(概念)がありますね。自分。愛が大切だ。キリスト教ね。正義。ジャスティス。とまあこうなるわけですから・・・。





これに対して仏教的と言いますとね、自我に対して無我、愛に対して慈悲、正義の代わりにですね。あの、正義って言うのは一応、神が居れば正義って言うのはあることはあるんですが、一応日本では、誠とか恩とかという考え方が中心ですね。ヨーロッパには恩というものがもともとありません。





で、そうしますとねヨーロッパの思想をもとにして、書かれている教育の目的ですね。ま、うっかり書いちゃったんですね。ていうのは、日本の偉い人はみんなヨーロッパの教育を受けてますから、日本の道徳の教育ってあまり受けてないんでですね。ついついこう言う文章になっちゃうわけですが、これをちょっと試みで日本風に書いてみますとね、こんなことになりますね。





「教育は立派な人物になる事を目指し、平和な国家とその社会の一員として、真理や礼節や恩を大切にし、他の人と調和し、自ら働き、誠実である付和雷同しない、心身ともに健康な国民の育成を期して行わなければならない」

とまあなるわけですね。





つまり、立派な人物というのは、真理と礼節、礼儀や節度を守り恩を大切にする人で、えー十七条憲法じゃないけども、和をもって尊しとし、自ら働き、これ、自ら働きって当然かと思いますけども、ギリシャ文化なんかは働く事は下賎な事だという風に言われてますからね。(戻りまして)誠実であり、そして自主的精神っていうのはちょっとやっぱりヨーロッパ的ですね、日本流で言えばおそらく付和雷同しない強い心をもった人と、まあ、こういう風になると思いますね。





私はけっこうわかりやすくなったかなと、いうふうに思うんですけどね。例えば人格の完成を目指すと言われると、なにやんの?感じなんですけど、立派な人物になることを目指しって言いますとですね。ああ、立派な人物かと。まあ、立派な人物っていうのはいろいろありますけども、だけども、少なくとも立派な人物にしようじゃないかと。





立派な人物は読み書きそろばん出来るでしょうしね。そしていろいろ聞いても知識があるでしょうし。それから恩もあり、稲穂の様に頭も垂れて謙虚で、そして働き者で誠実であると。そして他の人が言ったからってすぐ付和雷同せず、強い心をもった人。とこう言う感じがしますからね。





ま、これはわかりやすいかなと思いますね。だからまあ、教育基本法をですね、もうひとつ考えて、日本人の心理に合わせて書くとですね、先生方もかなり分かりやすくなるんじゃないかと思いますね。





つまり、こういった問題を考えますとね、現在の教育の混乱の一つは、まず教育基本法で定められた教育の目的を誰も議論しないということですね。





この大阪の事件が起こっても、教育って一体何の為にするのかとか、全く質問がないってことですね。





それからもう一つは、ここでわかったのは、教育の目的自体がヨーローッパ流になっていて、日本人がわかりにくいわけです。これ、わかりにくいっていうことは非常に重要で、重要っていうか良くないことで、やっぱりこう教育の様に、(教育の目的を議論する時は)先生も参加する、ご父兄も参加する、そして子どもも参加するっていう、自分たちがこれから何をしようとしてるの?っていうことが日本人が分かりやすくなってなければいけないっていうことですね。





ということはですね、私、人格についてっていう事を書くあいだにいろいろ考えたんですが・・・。簡単に言いますとですね、「先生も国民も、教育委員会も文部省も当然なんですが、真剣に何の為に教育するのかということを考えていなかった」と。





それからそれを合意する手続きですね、これ手続きが必要ですね。人格とはなんなのか?正義とはなんなのか?これをわからずに進んでいた。だから体罰とか、教育の仕方が混乱し、例えばゆとりの教育とはなんなのかとか、わからないと。いうような事になったと。





だから今度のですね、事件についてはですね、私ちょっともう一つ言いたい事がありますので、後に書きますけども、えーと、事件を起こした当の先生のはなしと、教育をどうするのかっていうのを分けなきゃいけないんですけどね、これがなかなか日本人っていうのはこういうところわけないんですね。そういった問題があります。





ここでよくわかったのはですね、我々はやっぱり明治の時に非常にヨーロッパの文明を受け入れて、まあ、とにかくいろんな言葉を福沢諭吉を始めとして作って、そして哲学をやったり、ヨーロッパの文化を導入したのはよかったけれど、150年経ちますからね、やっぱりヨーロッパの文化と、日本の本来の文化っていうのが融合して、文章もやっぱり変えた方がいいんでしょうね。





まあ、この為には大学の上の方の人とか、そういう人がやっぱりヨーロッパの文化に染まってますからね。これをどうするか。東洋の・・・、日本というものを、まあ、これ無理やり強調する必要は無いんですけど、当然の様に強調しないとですね、やっぱりこの問題の様に人格の完成を目指しというのか、立派な人物になるという事を目指すのか。





ここら辺の書き方とか、まあ、みんなのイメージですね。イメージとしてどういうイメージを持つのかということを議論する必要があると私は思いました。


(文字起こし by まさんちゅ)

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