今朝、トイレで読んでいた中日新聞に「戦艦大和」に関する記事がありました。
士官には「大和ホテル」とさえ呼ばれた豪華な乗り心地の戦艦でも、一般の水兵にとっては地獄のような環境だったと。軍隊ですから階級による身分差別は仕方ないとも思うと同時に、差別の少ない時代に生まれたことに感謝しました。

でも、現代でも構造的な差別が存在はしています。
露わになってきているのが、原発。

東電やメーカーの人間と現場の末端作業員の関係をみると、まるで戦艦上の士官と兵のようです。

に、フリーライターがフクシマ原発に現場作業員として潜り込み、その模様を伝えるレポートが連載されていました。
今週がその.最終回。



最後にライター氏が書いているとこが.気になりました。

『原発が都市部から離れた地方に建設されるのは、もしもの時の被害を最小限にとどめることが目的だけではない。地縁・血縁でがっちりと結ばれた村社会なら、情報を隠ぺいするのが容易である。建設場所は村八分が効力を発揮する田舎が最適なのだ』

そして、この一文から思い出したのが、
大野病院事件

「大野事件」については、コチラ のサイトが詳しいです。
つい最近、無実の罪を着せられた加藤医師を招いたシンポジュームが開かれました。
その内容を上のサイトでは記事として、伝えているわけです。
もっとも関心を抱いた部分がこれです。
文中の澤氏とは、日本産科婦人科学会副幹事長の澤倫太郎氏です。

■「大野事件は誰も関わりたくない『東電案件』」
 加藤氏が退出してからは、これまで公の場で語られることの少なかった東電と大野病院事件との関係について踏み込んだディスカッションが展開された。
 
澤氏は自身が特別弁護人を引き受けるようになった経緯について、地元の弁護士に相談したところ「案件が悪過ぎる」と言われた述べた。「要は、
今にして考えると向こうは原子力村なんです。弁護士さんが手を出したがらないのが当たり前、という感じなんですよね。

当初から大野病院事件は東電案件だという事を、記者クラブ以外の報道に携わる人々はみな知っていました。小さい声で囁くんです。東電は当時ブイブイ
言ってましたから。東電だったら警察は動かざるを得ないだろう、東電だったらマスコミは書かざるを得ないだろう

福島原発から大野病院は3キロです。大野病院自身、東電の原発関係者の人たちが非常に深くかかわっている病院ではあります。この事件から検察が
どんなにひどいかが分かりました。だから検察を言えるようになりました。東京電力は下手を打ちました。だから東電のことも言えるようになりました。

この二つのタブーが消えたから、我々は壇上からこの話を言えるようになったし、この二つの地獄の釜の蓋が開いたから、色々なものが見えるように
なってきて、いまだからああなるほどと

被害者の旦那さんも東電の社員です。当時の病院局は県立病院だから、トップは知事です。この知事は後々反原発でわけの分からない収賄で逮捕されるん
です。それで加藤君や病院の事務がいくら言っても家族の人は会わないんですね。会わせなかったのかもしれないし。それで行ったら『土下座をしろ』
と言ったんです。加藤君はお墓の前で土下座したんです。あの辺の人たちは、東電の社長も行ったら『土下座をしろ』と言われたから、そういう文化
なのかもしれない。すごいところに来ているなと僕は思ったんですけど」。また慶應大学医学部の医局は他の東電関連の病院にも医師を派遣していたが、
加藤医師逮捕直後の大野病院への派遣要請は断っていたと明かし、「当時彼を助けようと考える人は誰もいなかった」とした

残念ながら、この部分は、
一度ロハス・メディカル のWeb上にアップされてその後、削除されてしまいました。

恐ろしいです。
東電OL事件同様に闇を感じます。

どんな社会システムにおいても、そこで暮らすのが人であるいじょうは差別、不当な仕打ちはなくならないと思います。
しかし、この原発というものは、事故の際にまき散らされる放射能のことを置いておいても、存在それ自体が間違えだと感じます。