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私は、現実とスピリチュアルのバランスを意識するあまり、生きることの意味を少し勘違いしていました。一生懸命に生きなければ・・・という思いが強くなると、それを遂行するために実はエゴが舵を取りながら生きているということに気がついていませんでした。【一生懸命に生きる=自由に自分の人生を創造する】だけでよかったのです。【一生懸命に生きる≠エゴで生きる】を理解する必要があったのです。


エゴで生きると神の光は届きません。宇宙の大いなる存在の愛を感じることが出来なくなります。心がエゴに乗っ取られた状態で生きていると、世界中で起きている暗く悲しい出来事ばかりに目がいきます。でもそれは、地球上のほんの一部分にしか過ぎず、人間の体で例えるならば、爪の先の垢のようなものです。爪の垢を見て、体全体が汚れているように勘違いするのは愚かなことです。自分の意識をどこにフォーカスするかで私が見る世界が変わります。私はエゴではなく、愛に意識を向けていきたいと思います。


5月に神戸にアンマが来られたとき、私はたくさんの人たちと一緒に、アンマの中に神を見ました。アンマは愛そのものでした。彼女は身をもって教えてくれました。人間は神の子であり、直接神とつながることの出来る偉大な存在であるということを。昨夜、スワミジの奏でる横笛やバジャンの音色に包まれながら、こうした思いが心を去来しました。その瞬間、私の中で現実社会の中で負けないように一生懸命に戦ってくれていたエゴに、愛の光が射し込み溶けていきました。


その後、次のようなチャネリングメッセージが私の頭に響いてきました。


全ての人、全ての物の中に、神を見ることの出来る心を養いなさい。

光と闇は表裏一体・・・自分の心の針が何処を向いているのかを調べるのは簡単。

世界に愛を観ることが出来るか、それとも愛以外の何かを見るか・・・


物事の表面だけを見るのではなく、その奥にある本質を見つめなさい。

あなたは少しばかり、物事の本質以外のつまらぬモノに捕われていた。


心とつながり、心の眼を開きなさい。

神の創ったこの世界を、心眼を開いて観なさい。

神が創造したものだからといって、全てが美しいとは限らない。


神は人に創造する力を与えた。

人が望むもの全てを創り出す力だ。

その力をどう使うかはあなた方の自由だ。


自由には責任が伴うことを知っているね?

今、地球上であなたが見ている全てのモノは

一人一人の意識と創造力が作り出したことだ。


だから、それを善悪で判断するのではなく、一度全てを受け容れることだ。

そして、あなたがどうしたいかを心に問いかけなさい。

その答えが、あなたが求めている答えである。


まだわかっていないようだが、あなたが知りたがっている

“何故、生まれてきたのか”という答えもそこにある。

あなたは、よく私に問いかけているだろう?


あなたが見る全てのモノ、あなたが感じる全てのことを通して

私たちはあなたにたくさんのメッセージを伝えている。

最近はずっと気づかないふりをしていたようだが・・・


今日のこの会で多くの気づきを得たね?

スワミを通して語った言葉の多くは寝ていて聞いていなかったようだが

エネルギーは十分に感じていたようだ。


注釈 : 実はスワミジの講和中、強烈な睡魔に勝てずに30分ほど意識不明でした (汗

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本当に久しぶりのブログの更新ですが、皆さんお元気でしたか?


今日は神戸西山記念会館で開催された【スワミジと癒しのインド音楽の調べ】に行って来ました。スワミジが関西で講和会を開かれるのは1年ぶりのことで、昨年10月14日に芦屋ルナホール以来の会でした。昨年のスワミジの会は、神戸にアンマを招致するための露払い的な要素があったそうです。その甲斐あって今年5月にはスワミジの師であり、抱きしめる聖者として世界的に有名なアンマが来神され、本当に多くの愛を体現してくれました。今回の会も来年またアンマを神戸に招くための企画として大いに期待されるところです。


今日この会に参加して、久しぶりに私自身の魂が大きな光に包まれていることを実感できました。今年に入ってから、私の中でスピリチュアルと現実のバランスを取ることこそが大切だと思って、敢えて現実社会の中で地に足をつけて生きていこうとしてきたような気がします。その結果、時に不自然なほどスピリチュアルを意識しない自分がいることに気がつきました。現実を強く意識する余り、自分の魂と向き合う時間すら蔑ろにしていたのだと思います。その結果、私の傾向性でもある左脳すなわち頭を使って考える生き方が中心になり、昔の自分のパターンに陥っていたように思えます。


私が頭で考えていた“スピリチュアルと現実のバランス”というのは、意識的に心で感じることを封印していただけだったのかもしれません。その結果、今年に入ってから何か満たされない空虚さと、自分の目標が見えないもどかしさを感じていたのだと思います。そんな心の状態でしたので、スワミジが講和で語る言葉が、乾いた大地が水を吸い込むように、スゥーと心に沁みこんできました。


【 人は誰でも至福を求めている 】


至福とは心の平安であり、心の中の神(宇宙)と自分がつながった時にこそ手に入れられる宝物です。その宝物の存在を、私はここ数ヶ月忘れていたようです。現実を強く意識するがあまり、グラウンディングを強くしたいと願うがあまり、本当に大切な心の声に耳を傾ける時間が疎かになっていました。私にとってのスピリチュアルとは、決して現実からの逃避ではなく、よりよい人生を築くための栄養であり、光と愛の供給を受けることに他ならないのだと改めて実感しました。何よりも私たちの実態は成長を続けている霊的な存在であり、霊的存在が肉体という衣をまとってこの地球で魂的な進化のための学習をしているのです。私の魂が光を求めていました。愛を求めていたのです。自分自身を光で、そして愛で満たすことの大切さを再確認できた素敵な時間でした。


まだまだ書きたいことはたくさんありますが、今日はこれで終わりにして明日続きを書きたいと思います。

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アメブロで日記を書き始めて昨日でちょうど2年が経ちました。ヒーラーを目指す自分の心の軌跡を、徒然なるままに書き綴ってきましたが、気がつけばあっと言う間に過ぎた2年間でした。“書きたいときに書く”という自分の心の赴くまま気楽にやってきたのがよかったのだと思います。そんな記念すべき昨日の夜、芦屋ルナホールで開催されたとても素敵な会に参加してきました。


“スワミジと癒しのインド音楽の調べ”


数週間前には、その存在すら知らなかったスワミジの講和会に行くなど想像もできませんでしたが、私にとっては全てが必要・必然・ベストであり、完璧なタイミングで表出してきているように思えます。会場に行くと、先日のしあわせの村で知り合った仲間たちが既に大勢集まってきており、素敵な笑顔と温かいハグで再会を喜び合いました。つい半月前には知らなかった多くの人々が、昨日会った時には旧知の間柄として語り合える・・・本当に素晴らしいことです。こちらがハートを開いていると、同じようにハートを開いたたくさんの仲間との素敵な出会いがどんどんやってくることを実感した瞬間でした。


ここで、少し前の私同様、スワミジのことをご存じない方も多いかと思いますので、HP等で紹介されている内容を引用させてもらいながらご紹介しましょう。                                                


スワミジ=スワミ・プールナアムリタナンダジ(ジは敬称)は、インドの大聖者アンマ(マーター・アムリターナンダーマイー)の高弟で、アンマのもとで20数年間修行をつんだ高僧であり、40日間の瞑想に入られた瞑想の達人です。アンマの愛とメッセージを携えて、南インドのアムリタプリ・アシュラム(僧院)から来日されます。昨年の夏のプログラムでは、スワミジの満面の笑顔に癒されて、どのような質問に対する答えにも感動がありました。スワミジからたくさんの学びを頂き、一人ひとりの心に明かりを灯してくださいました。そんなスワミジがまた今年も日本全国を回り、私達と共に過ごしてくださいます。自然と人間との調和、日々のストレスからの開放、そして心の平安のために、様々なプログラムが予定されています。また、スワミ・プールナアムリタナンダジ(ジは敬称)は、竹笛(バーンスリ)の名手です。その美しい音色で、愛と優しさに包まれるでしょう。諸外国において数多くの講演を重ね、今回は神戸(芦屋)の地で行われる貴重な機会です。


講和会の始めには、大聖者アンマを紹介するビデオの上映がありました。日本ではあまりその名を知られていないアンマ(=アマチとも呼ばれています)ですが、インドではサイババと並び称される有名な方です。今年5月にアンマが来日されたときにハグされたSAWAさんは、ずっと涙がとまらなかったそうです。


アンマ(アマチ)は慈善事業をしながら世界中を回って、そこの人々を抱きしめ、「お母さん」(アンマの意味)として、故マザーテレサと共に知られている大聖者です。その慈愛にみちた抱擁は、誰をも素の自分自身の姿にし、本来の愛に気づかせ目覚めさせます。愛は人種や文化の壁を乗り越え人々を優しく包みます。国連で招待講演を行い、2002年スイスでは「ガンジーキング平和賞」を受賞。貧しい人に高度な医療を施す病院建設、ガン患者のホスピス、言語障害をもつ子供の学校など多くの慈善事業を行っています。


その後はスワミジ自らが優しく語りかけてくれる講和会でした。アンマとの出会い、アンマとの対話など、自分の身に起こった様々なエピソードをとてもわかりやすく語ってくださいました。スワミジの素晴らしさもさることながら、通訳してくれていた日本人の柔らかくわかりやすい言葉がハートに響きました。スワミジの講和中、アンマの言葉として語ってくれた中で特に印象に残ったフレーズを書きとめてみました。


①アンマは言います・・・今の瞬間を生きてオープンになること

②アンマは言います・・・生きながらにして人生を素晴らしい人生に変容させることが可能です

③アンマは言います・・・全ての壁を越えて世界中がひとつになるために必要なもの、それは愛です

④アンマは言います・・・どの女性も神聖な母の要素を持っているので、あなたが変われば

彼女達はその母の要素をあなたに出してくれるのよ

⑤アンマは言います・・・心の波長をあわせるチューニングが何よりも大切です

⑥アンマは言います・・・マハトマ(偉大なる魂の尊称)の大きな波長があっても

自分がそこにチャンネルをあわせないと受け取ることは出来ません


スワミジの語った言葉の中で最も印象深く、私がアンマの素晴らしさを感じた言葉は次の内容でした。


大きな愛をもっていたら、言葉にしなくても全てのことがわかります。例えるならば、母親は赤ちゃんが何も言わなくても何を求めているのかがわかるのと同じです。アンマには、何百万人の人々がアンマの所に来ても、全ての感情がわかります。それを可能にする“愛”というものが、神であり宗教なのです。この愛によって私たちは全てのことを乗り越えていけます。そして、楽しむことが出来るのです。

アンマは、私たちに神聖な愛が目覚めることを助けようとしています。私たちの心はとても強い・・・もし純真な心をもっていれば、人生のあらゆることを解決し、乗り越えることが出来ます。


大きな愛に溢れた素晴らしい言葉の連続に、心から感動し感謝した瞬間でした。その後、演奏された竹笛(バーンスリ)の音色も何ともいえない心地よい響きで、癒しの音楽の調べに相応しい素晴らしいものでした。


スワミジの講和にご興味のある方は、以下のURLをご参照ください!

http://www.amma.jp/web/macenter/swamitour/swamitour/2006swamitour/index.html

http://www.amma.jp/web/macenter/swamitour/swamitour/2006swamitour/schedule.html

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若葉が芽吹き、自然界も生命力に溢れる季節になってきましたが、ようやく私の方も気持ちの上でのゆとりが出てきました。ここ数ヶ月は、次のステップに進むために、自分自身と向き合う新たな準備期間だったのかなという気がしています。そんなこんなで、しばらくブログの更新も滞っていましたが、ようやく自分の想いをメッセージとして綴りたいという気持ちがこみ上げてきました。


私にとってこのブログは、自分自身の心の反映だと思っています。上手く表現できませんが、ブログと向き合っているとき・・・それは自分自身の魂と対話しているような感覚なのです。自分の心に去来する様々な思いと対峙したとき、私の魂は私の心を通して語りかけてきます。ですが、心が乱れているとき、私の魂は何も語りかけてはきません。本当はいつも私に語りかけてくれているのに、私自身がキャッチできない状態にあるのだと思います。

                                                                                

心の中に迷いや不安があると、自分自身の魂と一体化することが困難になります。そんな時には、瞑想をしても騒がしい思考(エゴ)の声に邪魔されて心の声が掻き消されてしまいます。ここ数ヶ月間は、現実レベルの仕事に追われ、心を省みる“ゆとり”をなくしていたような気がします。


魂の声を聴くことが出来る時・・・それは、自分の心が澄み切った状態である時です。心を通して、自分の魂の声を聞いている時・・・私は自分自身の本質である魂と一体化しています。魂の目的と自分の人生の目標とが一致している状態でいられるとき、人は幸せを感じるのかもしれません。スピリチュアルの道を進んでいくことをコミットしたときから、私の“ヒーラーへの道”が目の前に広がりはじめました。それは、魂の目的を探す、即ち、私自身が『何のために生まれてきたのか?』 という答えを探す旅でした。

                                                                            

この旅は、自分の本質である魂へと向かう旅であり、宇宙の創造主に出逢う旅でもあります。その途中で出会う様々な人々、自分に起こる現象の全ては、私に対するギフトなのだと感じています。それをどのように受け止め判断するかの選択肢は、全て私に委ねられているのです。


今年に入って間もなく忙しい日々に突入したのですが、ちょうどその頃、私のブログを見てくださっているMOSSさんという方から一通のメールが届きました。届いたメールには、次のように書かれていました。

                                                     

はじめまして、いつもブログを読ませていただいている MOSS という者です。今回、感謝の気持ちをお伝えしたくてメールしました。コメントでは書きにくいことだったのでメールという形をとらせていだたきました。


  ~ 中略(MOSSさん自身のご経歴を書かれていたので守秘義務のため割愛します) ~ 


今回、なぜBONさんに感謝を伝えたいと思ったのか。2005年6月1日の日記の文章で、ある部分が胸に染み込みました。


☆救わなければならない人は、ひとりもいない。

☆導かなければならない人は、ひとりもいない。


やっていることがあたりまえになったり、習慣のようないつもやらなければならないことになると、それをやり始めた自分の意志を薄れさせてしまうものなのだと感じました。「人の背中を押してあげられるようになろう」といつも思っていました。だけど、相手がそれを望んでいたり受け取る姿勢でなければその行為は強要・強制になってしまうのだと気づきました。自分からの見解で「この人はつらい思いやいやな思いをするかもしれないから、それが避けられれば」と思ってしたことは度をすぎてしまったおせっかいになりかねない、辛苦を経験するのもまた必然であり自分が撒いたものを刈り取っているだけなのだ、と。気づくのが遅すぎるのかもしれませんが、BONさんの日記を見てそれに気づけたことに本当に感謝しています。ありがとうございました。


個人個人の問題は完全に個別のものであり、主人公である本人が本当の意味での解決の鍵やコンプリートする術を内に秘めているのだと思います。どんなに周りががんばったとしても、本人が求めていなければ得ることはできない。すべてのことは本当に必然なのだと感じました。


私は見えない人と話したり、植物や石の感情、自然の伝えたいことがわかりますが名前がわかるとかそういう詳細はわかりません。だけど、もし私にわかることがあるのならBONさんにお伝えしたいと思っています。私がみえたものをお伝えします。


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BONさんは、青空のような人だと思います。澄んだ青色、それは空にもみえますし、澄んだ水を例える比喩にもなります。半透明に近いからこそ、いろんなものを吸収しやすいのだと思います。人より吸収して知識を認識に変えるのが速い、だけど不純物も時には吸収してしまう。一度ずつ時間を置いたらいいのではないでしょうか。水に何かを溶け込ませ、それぞれ分別して層になり別れるまで時間を置いたほうがよりBONさんの中でわかりやすいものになり、やりやすくなるのだと思います。


そして、寒色の枠内で比喩されるような感情がBONさんの中に広がりやすいものなのだと思います。だからこそ、慈悲深さにつながるのだとも思います。自分は水であり空であり、多くのものをわけることができる存在なのだと思ってください。


従来のヒーラーと呼ばれる人たちのやり方に属するのではなく、常に自分なりのやり方を作り上げる基盤に目を向けてください。新しい分野を作れるだけのキャパシティが備わっている人だと思います。目の前にある現実的な物事に目をむけてください。スピリチュアルなものではなく、あえて現実的なものです。違うものに思えても、真理にあてはめていけばどれも同じものであり、今よりもうまく流れを作れるようになるはずだと思います。


今年の夏までに、表面的な変化がなくても不安にならないでください。水面下では、もう動いて大きく変わりだしています。意識を有益に活用することを認識として活用してみてください。BONさんの進む道がBONさんにとってより向上につながるよう祈ります。


このメールがご縁で、私とMOSSさんとの交流が始まったのですが、今思えばMOSSさんとの出逢いこそ、私がこの時期に自分自身を見失わないようにと、神が遣わせてくれた天使だったのかもしれません。  

                                                      つづく

謹賀新年

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新年あけましておめでとうございます

いよいよ新しい希望の年がスタートしました。

昨年はいろいろな出来事がありましたが、全てのことには意味がありました。精神世界では、“意味のないことなど起こりはしない”とよく言われます。確かに私もそう思いますが、本当のことをいえば、私自身が意味を与えているのだと感じています。ですから、自分の心が愛に向かっていれば、何かを成すときや判断するときの基準は“愛”であり、愛を表現する方法を選択するでしょう。反対に、自分の心がエゴに振り回されていると、怖れに立脚した表現になるのかもしれません。


人間の心は、神と同じ創造する力(エネルギー)を内包しています。私の好きな言葉に『一念三千』という言葉があります。一念三千について簡単に紹介するならば・・・人間の心の中には、仏の境地へ入る可能性を内在していると同時に、地獄へ落ちる可能性も内在しています。心の持ち方ひとつで三千もの世界が広がっているということを表現しています。法華経の中の教えを、中国の有名な高僧である“天台大師”が体系化した『摩訶止観』という書物の骨子となっている思想です。日本では、鎌倉時代の僧“日蓮聖人”が、「釈尊入滅後、その教えを説き広めた者はあるが、一念三千という教えこそ、釈尊の教えの真髄を伝えたものである」と褒め称えています。百界千如による千の心の働きが、三世間(五陰世間、衆生世間、国土世間)に同じように生じます。

                                                                            

自分の心の持ち方ひとつで、どのような世界へも通じることができるという例えですが、今という時代に生きている私たちにも当てはまる大切な教えであると感じます。大変な時代だからこそ、自分自身を愛することによって、人を愛すること、世界を愛することへと意識を変化させていきたいと思います。そして、常に愛の世界を創造する自分であり続けたいと思います。

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今週の月曜日、ビジョンダイナミックス研究所代表で、ビジョン心理学アドバンストレーナー/栗原英彰氏のセミナーに行ってきました。ビジョン心理学とは、ハワイ在住の心理学者チャック・スペザーノ博士の提唱する実践的な心理学で、学問としての心理学とスピリチュアリティ(霊性・精神性)とを統合させた全く新しい形の心理学です。今回の講演は、“成功するお金の使い方”というテーマでした。受講後の感想としては、セミナーで話される内容は知っているものが多かったものの、知っているのと実践するのとでは天と地ほどの違いがあることに改めて気づかせていただきました。知識はいくら吸収しても知識でしかなく、実践することによってこそ、ビジョンが実現するのだということを再確認できました。


“お金”に対する私の観念は、ここ数年でかなり変わりました。以前の私ならば、『あなたはお金に対してどのような観念を持っていますか?』と質問をされたら、肯定的に見るよりも否定的に見る事のほうが多かったように思います。否定的に見た場合の観念を単語で表現すると、“汚いもの・罪悪感・嫌悪感”といったところでしょうか。反対に肯定的な観念だと、“豊かさの象徴・大切なもの”といった感じになります。


しかし、今の私の観念は違います。お金はただのエネルギーです。エネルギーであるから循環させることが大切だと思います。お金は中立であり、お金そのものには良いも悪いもないのです。そういう考えが出来るようになると、お金に対する見方が大きく変化しました。お金に対する自分のネガティブな観念を癒すことが出来れば、きっと幸せになれます。お金はエネルギーなのだから、どう使うかは自分の人生の目的をしっかりと意識すれば有効に活かせます。スピリチュアル的な観点から見ても、人生は幸せになるためにあるのです。そうであるならば、お金は自分が幸せだと感じられることに使うことが大切なのではないでしょうか。今、私が投資しているのは他ならない自分自身にです。具体的には、年収の10%程度を自分の好きなこと(ヒーリング関係の学び)に充てています。また、昨年の夏から、ナリッシュ・ザ・チルドレンという世界中の飢餓の子供たちを救うプログラムに毎月決まった金額を継続的に寄付しています。

                                                                                       最近、世間ではホワイトバンドが大ブームになりました。例え一過性のものであっても、若者を中心にたくさんの人々の意識が愛へと向かうことはとてもいいことだと思っています。しかし残念なことに、善意の名のもとで多くの人が参加されている“ホワイトバンド”は寄付でも何でもなく、“3秒に1人”で死んでいっている子供たちには全く届けられていないのが現実だというではありませんか。私も詳しくは知りませんでしたが、この情報が本当ならば悲しいことです。全てのことには良いも悪いもないということがわかっていても、心が痛みます。詳しくは、you-heyさんのブログを見て皆さん一人一人が考えてみてください。

http://ameblo.jp/you-hey/


話が脱線してしまいましたが、このセミナーの冒頭に、栗原氏よりとても印象的な次の質問がなされました。『もし、3億円当たったらどうしますか?』

私は明確なイメージが出来ていたので、ノートに細かく書き出しました。その使い道を見ていると、本当に心がワクワクしてくるのを感じました。この書き出したイメージこそが“ビジョン”です。鮮明にイメージ出来たので、必ずや実現できると確信しました。後は、宇宙を信じ、自分を信じ、全てを委ねる勇気があれば大丈夫、きっと現実レベルでも豊かになってくるに違いありません(笑)。


皆さんのお金に対する観念はどうですか?

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ブログで知り合った素晴らしい友である永田大力さんが書かれた、“さよなら、精神世界” という記事にコメントをしていて、ふと思い出させてもらったことがあります。私がスピリチュアルの道を進んでいく上での原点ともいえるのですが、それは 『私は誰か?』 ということです。これまでにも、私のガイドから何度も 『あなたは誰ですか?』 と質問されたことがありましたし、“神との対話”でも同じような問いかけがあり、その度にその言葉が私の心に響いてきました。


私にとって、スピリチュアルの道を歩むということは、本当の自分探しであり、魂の探求だと感じています。私にとってのスピリチュアルとは、Who am Ⅰ? の答え探しの旅・・・即ち、私は誰なのか?何のために生まれてきたのか?そして、この地球上で、何を成したいのか?・・・ただ、それだけです。


本当に欲しいもの(コアの自分と繋がって生きる人生)を手に入れようと思ったら、今両手に握りしめているもの(エゴによって握りしめられている何か)を手放す勇気を持つことが必要なのだと感じています。多分、その握りしめているものは、私の怖れと関係しているのだと思います。それが無くなったら生きていけないという幻想に、しっかりと守られた私のエゴ(=プライド)なのかもしれません。スピリチュアルの道を生きる・・・と言っているが、今の生活はどうするのだ?と囁きながら、私の不安を煽り、怖れに付け込むエゴの声かもしれません。


スピリチュアルの道を歩み始めたばかりの頃、私の導き手であるヒーラー/はるちゃんとのセッションの中で、本当に様々なワークを経験しました。自分の光を感じられるようなワークはとても楽しく、時間の経つのも忘れて取り組みました。しかし、反対に影(シャドウ)を観るワークには、強烈に抵抗している私がいました。自分が嫌だな~と感じているもの全てに、何らかの形で自分自身の投影があるということを認める勇気を持つことができませんでした。自分のエゴを観ること、即ち、自分の内面の闇を深く観ることが、とても怖かったのだと思います。今でも、全てのシャドウを克服できたとは思っていませんが、少なくとも観ることに怖れを伴っていた感情を手放すことが出来ました。


自分の内面と真正面から向き合い出した頃、それがブログの冒頭にも書いている昨年の4月だったと思います。ヒーラーとして、自分の道を進みたいと思い始めた頃・・・でも、現実の生活や家族との関係、仕事との両立や将来における経済面での不安、etc。頭レベルで考えると、到底現実離れしていて、不安と怖れで押しつぶされそうになりましたが、魂レベルではそうは思っていませんでした。心からやりたいという切望感があるから前に進む・・・それを確信したのが、2004年4月18日の朝方に見た、私が誰かにヒーリングをしている夢であり、夢を見た日の夜にあったチャクラ・リーディングでガイドから告げられたメッセージでした。


『 もう時期ですよ。あなたが見た夢は偶然ではありません。あなたはヒーラーです。そして、そのために自分が良いと思ったことは全て、何でも、今すぐ、やってください。時間がないから・・・お金がないから・・・忙しいから・・・疲れているから・・・全部言い訳です。時間もお金も、全ては後からついてきます。それが怖いなら、人を癒すという大それたことは今日から考えないことです。これは、苦しみの旅ではありません。ヒーラーへと歩んでいく旅、とっても楽しいただの冒険の旅です。その過程で、あなたがあなた自身を見つめることで、自分を癒しながら、その過程で人が癒されるのを喜んで見ることになるだけです』 


『時間がないから・・・お金がないから・・・忙しいから・・・疲れているから・・・全部言い訳です』

ガイドは私が抱いていた怖れを、ズバッと指摘しました。私が生まれる前に決めていたミッションを思い出したにも関わらず、怖れから前に進む事を躊躇しているのを見越して、厳しくも愛に満ちたメッセージをくれたようです。このメッセージによって、吹っ切れたような気がします。捜し求めていた宝物を前にして、何が入っているのかわからないという恐怖から、蓋を開けることを躊躇っていた私でしたが、怖れを選択するよりも、魂の奥底から湧き上がってくる切望感に導かれようと決意しました。そして、ヒーラーへの道を進んでゆくことを強くコミットしたのです。


あれから1年5ヶ月が経ちましたが、自分の進むべき道がより明確になってきています。学びのスピードをアップさせようと焦ったことが何度もありましたが、そんなときには決まってガイドから“ゆとり”を持つようにアドバイスされました。今年の4月にガイドから言われたメッセージの中で印象に残っているものがあります。


『 あせってはいけません。ゆっくり行っているようで、実は早いのです。流れに乗るとはそういうことですよ。自分を信じて、ゆっくり行ってくださいね。そして、あなたにとっては、遊ぶことが勇気だと言っておきます。思いっきり遊べないと、あなたの道は開けませんよ。あなたは、ちゃんとしなければ・・・・・・・といった、ちゃんとしなければモードが多すぎですよ。十分に遊ぶ前に常に止めます。知ってますよね。まあ、でも仕方ないよね・・・・と自分で納得させています。それも確かに、あなたの道です。あなたは今まで、とってもちゃんとした順調な道を歩んでますよね。これはヒントです。しないといけないことではありません。遊ばなければ~って思ったら、これは本末転倒です。そうではありません。そうではなくて、自分がいかに自分と戦っているか・・・・・・これを知ってください。

                                                                                    遊んでばかりいると・・・・・・・・・。この・・・・・・・・・にはどんな言葉が続くのですか?遊んでばかりいたら、経済が破綻するぞ! 皆に認められないぞ! 仕事が滅茶苦茶になるぞ! 無視されるぞ! 愛されなくなるぞ! すごい人間には到達できないぞ! 目覚められないぞ! ヒーラーにはなれないぞ!・・・・・・・・何の言葉が続くのでしょう?そろそろ、ここをやる時です。これには勇気が要りますよ。

                                                                                    そして、宇宙全体があなたに遊ぶ時間をくれようとしています。それが、今回起こったこと(学びの速度をスピードアップしようとして、ある人からストップがかかったこと)です。あなたが、もっと時間がなくなると、もっといきなり行ってしまうので・・・・・。ただ、それだけのことだったんです。ゆとりを持つとは、そういうことです。ゆっくり行きましょうね。ゆっくり行くと決めた瞬間から、あなたはものすごいスピードで進化していきますよ 』


自分を信頼することとは、自分の内に存在する神を信頼すること・・・そして、自分を信頼できるようになってくると、人を信頼することが出来るようになります。全ては自分の心が決めているのですね。そして、その私の道を全力でサポートしてくれているガイドの愛を感じました。


この文章を書いていて、アルケミストという本が脳裏を過ぎりました。私のお気に入りの一冊として、以前このブログで紹介していますが、アルケミー(錬金術)とは、大いなる存在(神の意識・宇宙のエネルギー)とつながることであり、それが出来れば、自分にとっての宝物を発見できるということ・・・言い換えれば、自分の運命をしっかりと生きてさえいれば、本当に知る必要のある全てのことを、実は知っているのだとということに気づくのです。自分の中にあるものを、ただ思い出せばいいということに。

私がアルケミストの中で、最も惹きつけられた言葉は、“人が本当に何かを望むとき、全宇宙が協力して、夢を実現するのを助けるのだ”といったアルケミスト(錬金術師)の言葉でした。想いが現実化するという宇宙の真理を言い表した言葉だと思いました。何度も言うようですが、夢の実現を阻むものは“失敗するのではないかという怖れ”です。起きてもいないことに不安を抱き、心が傷つくことを怖れるのは、実際に傷つくことよりも辛いことです。夢を追い続けているとき、心は決して傷つきません。何故なら、探求している一瞬一瞬が“内なる神との出逢い”であることを知っているから。

                                            

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★今日は私たち夫婦の10回目の結婚記念日★

 スピリチュアルの話をしてもよくわからないと言うので、妻にシェアすることは少なくなりました。 

  しかし、ヒーラーになるという私の夢を、嫌な顔ひとつせずに陰ながら応援してくれている・・・

  おそらく、このブログも読んでいないと思いますが、彼女に心からの愛と感謝を贈ります!

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私が尊敬する先輩 KT氏は、分子栄養学を学び、全国各地で健康に関する素晴らしい講演会を開かれているのですが、彼の講演会で話されている内容で、とても印象的なフレーズがあったので紹介したいと思います。


『 人間は酸素によって生かされ、酸素によって殺されていく 』


どういう意味かというと、人はお母さんの子宮から生まれた瞬間から、呼吸によって酸素を取り入れます。食べ物がなくても、数日~数十日間は生きていけますが、酸素がなければ、ものの数分で誰もが死んでしまいます。普段、何気なく吸っている酸素ですが、人間の生命維持活動において、これほど大切なものはないということを改めて実感しました。


ところが、人間にとって最も大切な酸素ではありますが、実は両刃の剣でもあるのです。それは、酸素を取り入れると微量の活性酸素が発生します。最近では、健康に関するテレビ番組などで、様々な病気の原因として活性酸素が取り上げられているので、ほとんどの方が名前くらいはご存知だとは思いますが、活性酸素とは、人間の体を酸化させる悪い酸素のことです。“酸化=錆びる”ことで、別の言葉では“老化”とも呼ばれています。


とても不思議なことなのですが、生きるために必要不可欠な酸素によって、人間は少しずつ殺されていっているのですね。言うなれば、人間は生まれた瞬間から、確実に死に向かって進んでいるといえるでしょうか。生命の神秘だと言えると思いますが、生命というものは、神様の絶妙な計画の上で成り立っているのだと感じました。


自然界に目を転じてみても、同様のことが言えます。例えば、植物を例にあげてみるとこうなります。


『 植物は太陽によって生かされ、太陽によって殺されていく 』


このプロセスも興味深いものがあります。植物は呼吸をしませんから、酸素を吸って発生する活性酸素にやられることはありませんが、植物の生命活動の源は光合成です。太陽の光を受けて、空気中の二酸化炭素と根から吸収した水を使って、自分で養分を作り、酸素をはき出します。この働きのことを光合成といいます。


生命活動である光合成をするために、太陽から光を吸収するのですが、太陽からは紫外線という活性酸素を大量に発生させる有害物質が降り注いできます。人間が植物のように、四六時中太陽からの紫外線に晒されていたらたまったものではないですが、そこは神様もよく考えられています。植物は全身に濃い緑色の葉をまとっています。濃い葉の部分はポリフェノールとも呼ばれる強力な抗酸化物質です。植物はこの葉によって、紫外線の攻撃を防いでいるのです。


それでも、太陽からの強力な紫外線によって発生した活性酸素によって、植物は少しずつ殺されていっているといえるでしょう。まあ、樹齢何千年もの大木があるように、植物は人間に比べてはるかに長生きですが・・・。


このように、全ての物質が時間という流れの中で生死を繰り返していっているという現実に、すごく不思議な生命の営み、神の壮大で偉大な意図を感じます。地球上では、全てが限りある命だからこそ、大きな意味があるのだと思います。肉体に宿っている魂は永遠ですが、この世での仮の姿である肉体(物質)には、限りがあります。


今日は少しばかり哲学的になりましたが、 これからも 『私は誰なのか?』 『何故生まれてきたのか?』 ということを意識しながら、限りある今という瞬間を、自分らしく生きていきていきたいと思います。

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                                                               過日、アップしたマイケル・ジョーダンの言葉 『自分自身に期待しろ』 に対する皆さんからのコメント及び、そのやり取りを通して、私自身とても大きな気づきを得ることが出来ました。

皆さんからの心温まるメッセージによって、たくさんの愛と勇気と元気をもらいました。

ブログを通じて私が出逢い、心の交流をさせていただいている全ての方々に心から感謝します。

本当にありがとうございました。


マイケル・ジョーダンと同じく、NBAで活躍したマジック・ジョンソンが、幼い頃の自分と同じ境遇にある“黒人の少年達”へ向けて贈った言葉を見たとき、心を打たれました。

マジック・ジョンソンの言葉は、2月にもこのブログで、“夢をあきらめないで” というテーマの時に引用しましたが、改めてご紹介したいと思います。



「おまえは無理だよ」と言う人の言うことを聞いてはいけない。

もし自分で何かを成し遂げたかったら、できなかった時に

他人のせいにしないで自分のせいにしなさい。


多くの人が僕にも、「お前は無理だよ」と言った。

彼らは君に成功してほしくないんだ。


なぜなら、彼らは成功できなかったから。

途中であきらめてしまったから。

だから、君にもその夢をあきらめてほしいんだ。


不幸な人は、不幸な人を友達にしたいんだ。

決してあきらめては駄目だ。


自分の回りをエネルギーであふれ

しっかりした考え方を持っている人で固めなさい。

自分のまわりを野心であふれ、プラス思考の人で固めなさい。

近くに誰かあこがれる人がいたら、その人にアドバイスを求めなさい。


君の人生を考えることができるのは君だけだ。

君の夢が何であれ、それに向かっていくんだ。

君は幸せになるために生まれてきたんだから・・・



彼の言葉には、夢を叶えた人ならではの力強さと説得力、そして何よりも優しさがあります。

『夢は見るものではなく、叶えるもの』だと私も思いますが、日本の辞書で調べてみると

『夢=寝て見るもの、幻想、etc・・・』 何とも悲しくなるコメントです。

一方、アメリカでは、アメリカンドリームという言葉があるように、夢は叶えるものとだという認識が当たり前になっている国です。レストランなどで、スポーツ選手や映画俳優が入ってくると、全員が立ち上がって拍手を送るそうです。何故なら、彼らが “有名人だからではなく、自分の夢を叶えた人たち” だからだそうです。とても素晴らしい話だと思いました。


『夢は叶えるもの』 の叶うという文字を見てみると、口にプラスと書きます。夢を叶えた人は

絶対に出来るといった強い信念を持ち、途中であきらめることなく、挑み続けた人たちです。

自分を信じて挑み続ける彼らは、決してマイナスの言葉を発しません。

口からプラスの言葉だけを発し続けた結果、夢が叶ったのではないかと思います。

反対に、口からプラスもマイナスも発するとどうなるかというと、吐くという文字になります。

マイナスという毒を吐いていると、夢が叶わないのかもしれませんね。

私もこれから、口からプラスの言葉だけを語り、自分の夢を叶えようと思います。

成功ではなく、成幸へと向かって!

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『成功者と成幸者』

 

成功者はブランド物が好きで、成幸者は自分がブランドである。

 

成功者は結果だけが大切で、成幸者はプロセスも大切にする。

 

成功者は得ることに興味があり、成幸者は与えることに興味がある。

 

成功者は奪い合い、成幸者は分かち合う。

 

成功者は人を型にはめたがり、成幸者は外したがる。

 

成功者は人生を戦いと考え、成幸者は人生を学びだと考える。

 

成功者は知性が高く、成幸者は感性が高い。

 

成功者はお金がたくさんあると幸せで、成幸者は友達がたくさんいると幸せ。

 

成功者は自分のお陰と思い、成幸者はみんなのお陰と思う。

 

成功者は無理をして成長しようとし、成幸者は無理のない範囲でさらに成長する。

 

成功者は価値観の違いに苛立ち、成幸者は価値観の違いを楽しむ。

 

成功者は人の成功を悔しがり、成幸者は人の成功を喜ぶ。

 

成功者は亡くなった時に輝きが終わり、成幸者は亡くなった後からも輝きを増す。

 

成功者は妻の意見に不機嫌になり、成幸者は妻の意見に真剣に耳を傾ける。

 

成功者は忙しく、成幸者はゆったり。

 

成功者は怖い人が多く、成幸者は笑顔の人が多い。

 

成功者はしゃべる人が多く、成幸者は聴く人が多い。

 

成功者は計画を練り、成幸者は今、ここを楽しむ。

 

成功者の周囲には依存心の強い人が集まり、成幸者の周囲には自立心の強い人が集まる。

 

成功者は人を修正することが教育と考え、成幸者は個性を伸ばすことが教育と考える。

 

成功者は手つかずの自然を見ると開発したがり、成幸者は保護したがる。

 

成功者は一時のもので、成幸者は永遠のものである。

 

成功者は人を使おうとし、成幸者は人に使われようとする。

 

成功者は勝ち負けを大切にし、成幸者は自分の成長度を大切にする。

 

成功者は失敗した人を叱り、成幸者は励ます。

 

皆さん、お久しぶりです。約1ヶ月ぶりの更新になりますが、今日は上村光弼さんの『成功者と成幸者』をご紹介したいと思います。この言葉(詩)は、先日ある知人から教えて貰ったのですが、読んだとき思わず唸ってしまいました。それほど、真理をついた素晴らしい言葉だと感じたのです。

 

成功者とは、「功を成すということに懸命になっている人」 であり、成幸者とは、「幸せに成ることを大切にしている人」です。 勿論、どちらが正しいという類のものではありませんし、生き方は人それぞれでいいのですが、私の心は、“成幸者の生き方”を求めています。

 

しかしながら、社会を見渡してみると、“成功者の考え方”で世の中の大部分が動いているよな気がします。自身を振り返ってみても、会社で働いているときは、成功者の考え方を基準に生きていることの方が多いことを改めて実感しました。

 

成功の定義の一つに、競争社会に勝ち抜き、地位・名声・財産を得ることがあります。特に物質文明が中心であった20世紀型の成功パターンは、この傾向が強かったように思えます。その一方で、競走社会から距離を置き、自分の身の丈に合った「足ることを知る」生活を楽しんでいる人たちがいます。勝ち組と言われる成功者から見ると、欲の無い彼らの生き方は、一見負け組のように見えることがありますが、本当は心が満たされた成幸者だったりするのです。

 

“功を成す”ことよりも、“幸せに成る”ことのほうが、私自身の人生では大切だと思います。何よりも、私がヒーラーへの道を進んでいこうと決めたのも、私の魂が、『成功者ではなく、成幸者になること』を望んだからに他なりません。21世紀は、人々の精神性が大きく育まれ、心の時代になっていくと思います。そのような価値観の社会になれば、「成功」から「成幸」へと変化していくでしょう。

  

競争社会の中で、常に不足があるかのような生き方と、あるがままの現実を受け入れ、感謝の気持ちを持った生き方と・・・皆さんは、成功者と成幸者、どちらになりたいですか?