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私は、現実とスピリチュアルのバランスを意識するあまり、生きることの意味を少し勘違いしていました。一生懸命に生きなければ・・・という思いが強くなると、それを遂行するために実はエゴが舵を取りながら生きているということに気がついていませんでした。【一生懸命に生きる=自由に自分の人生を創造する】だけでよかったのです。【一生懸命に生きる≠エゴで生きる】を理解する必要があったのです。


エゴで生きると神の光は届きません。宇宙の大いなる存在の愛を感じることが出来なくなります。心がエゴに乗っ取られた状態で生きていると、世界中で起きている暗く悲しい出来事ばかりに目がいきます。でもそれは、地球上のほんの一部分にしか過ぎず、人間の体で例えるならば、爪の先の垢のようなものです。爪の垢を見て、体全体が汚れているように勘違いするのは愚かなことです。自分の意識をどこにフォーカスするかで私が見る世界が変わります。私はエゴではなく、愛に意識を向けていきたいと思います。


5月に神戸にアンマが来られたとき、私はたくさんの人たちと一緒に、アンマの中に神を見ました。アンマは愛そのものでした。彼女は身をもって教えてくれました。人間は神の子であり、直接神とつながることの出来る偉大な存在であるということを。昨夜、スワミジの奏でる横笛やバジャンの音色に包まれながら、こうした思いが心を去来しました。その瞬間、私の中で現実社会の中で負けないように一生懸命に戦ってくれていたエゴに、愛の光が射し込み溶けていきました。


その後、次のようなチャネリングメッセージが私の頭に響いてきました。


全ての人、全ての物の中に、神を見ることの出来る心を養いなさい。

光と闇は表裏一体・・・自分の心の針が何処を向いているのかを調べるのは簡単。

世界に愛を観ることが出来るか、それとも愛以外の何かを見るか・・・


物事の表面だけを見るのではなく、その奥にある本質を見つめなさい。

あなたは少しばかり、物事の本質以外のつまらぬモノに捕われていた。


心とつながり、心の眼を開きなさい。

神の創ったこの世界を、心眼を開いて観なさい。

神が創造したものだからといって、全てが美しいとは限らない。


神は人に創造する力を与えた。

人が望むもの全てを創り出す力だ。

その力をどう使うかはあなた方の自由だ。


自由には責任が伴うことを知っているね?

今、地球上であなたが見ている全てのモノは

一人一人の意識と創造力が作り出したことだ。


だから、それを善悪で判断するのではなく、一度全てを受け容れることだ。

そして、あなたがどうしたいかを心に問いかけなさい。

その答えが、あなたが求めている答えである。


まだわかっていないようだが、あなたが知りたがっている

“何故、生まれてきたのか”という答えもそこにある。

あなたは、よく私に問いかけているだろう?


あなたが見る全てのモノ、あなたが感じる全てのことを通して

私たちはあなたにたくさんのメッセージを伝えている。

最近はずっと気づかないふりをしていたようだが・・・


今日のこの会で多くの気づきを得たね?

スワミを通して語った言葉の多くは寝ていて聞いていなかったようだが

エネルギーは十分に感じていたようだ。


注釈 : 実はスワミジの講和中、強烈な睡魔に勝てずに30分ほど意識不明でした (汗

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本当に久しぶりのブログの更新ですが、皆さんお元気でしたか?


今日は神戸西山記念会館で開催された【スワミジと癒しのインド音楽の調べ】に行って来ました。スワミジが関西で講和会を開かれるのは1年ぶりのことで、昨年10月14日に芦屋ルナホール以来の会でした。昨年のスワミジの会は、神戸にアンマを招致するための露払い的な要素があったそうです。その甲斐あって今年5月にはスワミジの師であり、抱きしめる聖者として世界的に有名なアンマが来神され、本当に多くの愛を体現してくれました。今回の会も来年またアンマを神戸に招くための企画として大いに期待されるところです。


今日この会に参加して、久しぶりに私自身の魂が大きな光に包まれていることを実感できました。今年に入ってから、私の中でスピリチュアルと現実のバランスを取ることこそが大切だと思って、敢えて現実社会の中で地に足をつけて生きていこうとしてきたような気がします。その結果、時に不自然なほどスピリチュアルを意識しない自分がいることに気がつきました。現実を強く意識する余り、自分の魂と向き合う時間すら蔑ろにしていたのだと思います。その結果、私の傾向性でもある左脳すなわち頭を使って考える生き方が中心になり、昔の自分のパターンに陥っていたように思えます。


私が頭で考えていた“スピリチュアルと現実のバランス”というのは、意識的に心で感じることを封印していただけだったのかもしれません。その結果、今年に入ってから何か満たされない空虚さと、自分の目標が見えないもどかしさを感じていたのだと思います。そんな心の状態でしたので、スワミジが講和で語る言葉が、乾いた大地が水を吸い込むように、スゥーと心に沁みこんできました。


【 人は誰でも至福を求めている 】


至福とは心の平安であり、心の中の神(宇宙)と自分がつながった時にこそ手に入れられる宝物です。その宝物の存在を、私はここ数ヶ月忘れていたようです。現実を強く意識するがあまり、グラウンディングを強くしたいと願うがあまり、本当に大切な心の声に耳を傾ける時間が疎かになっていました。私にとってのスピリチュアルとは、決して現実からの逃避ではなく、よりよい人生を築くための栄養であり、光と愛の供給を受けることに他ならないのだと改めて実感しました。何よりも私たちの実態は成長を続けている霊的な存在であり、霊的存在が肉体という衣をまとってこの地球で魂的な進化のための学習をしているのです。私の魂が光を求めていました。愛を求めていたのです。自分自身を光で、そして愛で満たすことの大切さを再確認できた素敵な時間でした。


まだまだ書きたいことはたくさんありますが、今日はこれで終わりにして明日続きを書きたいと思います。

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