私の瞑想法 ~その1~

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                                                                        今日は、私がしている瞑想をご紹介したいと思います。先日の大江山旅行の際にも、ご一緒したメンバーに誘導瞑想の形でやらせていただきましたが、評判がよかったのでブログでもシェアすることにしました。既にご存知の方もいらっしゃると思いますが、“光の瞑想”といって、とても安全で且つパワーのある瞑想法でもあります。サイババも、瞑想の対象として光を用いることを奨励しています興味のある方は、是非試してみてください。以下、私がやっている瞑想の手順を掲載しますので参考にしてください。素晴らしい経験が出来ることをお祈りしています。


この瞑想は 【光の瞑想】 と言って、自分の光を感じ、それを宇宙にまで広げ、愛を広げるという行為に他なりません。ですから、この瞬間に自分からエネルギーを発信していくという意図を持ってやってください。まずは、ガヤトリーマントラを唱えます。


OM Bhur bhuvah svaha

オーム ブール ブワッ スワハー

至高の神よ、 地よ、 空よ、 天界よ

Tat savitur varenyam

タッサビトゥー ワレーニャムー

私たちの聖なる母よ、その輝きは私たちの心にある暗闇を滅します

Bhargo devasya dhi mahi

バルゴー デーヴァシャ ディー マヒー

私たちは、その聖なる輝きに瞑想します

Dhi yo yona pracodayat

ディーヨーヨーナッ プラッチョーダヤート

私たちの内なる知性を目覚めさせたまえ

~以上を繰り返し3回唱える~

シャーンティー シャーンティー シャーンティーヒー

平安        平安       平安


では、今から目の前にロウソクの炎を想像してください。想像できないときは、ロウソクの炎を見てください。ロウソクの炎を、あなたのサードアイ、つまり眉間にある第六チャクラから、光の玉となったロウソクの炎をどんどん吸収して、あなたの頭に入れてください。


頭に入った途端、この炎は真っ白い光のボールに変わります。この真っ白い光のボールは、通り道全てを浄化する力を備えています。さて、今まずは、頭全てに光を広げてください。あなたの頭が、本当に美しいものを考えることが出来るように、光に浄化してもらいましょう。


そして次に、その光の玉を、両目のところにもって来ます。あなたが、これから美しいものだけを見ることが出来るように・・・という願いを込めて、両目を白い光で満たしてください。愛に満ちたものを見れるように、白い光で満たしてください。


そして次に、白い光を両耳にもって来ます。これからは、美しい調べを聴けるように、愛で満ちたものを聴けるように、白い光で、両耳を浄化してください。


そして次に、鼻に持ってきます。鼻が、美しい香りを嗅げるように、愛で満ちたエネルギーを嗅ぎ分けられるように、白い光で鼻を浄化してください。


さらに、口元に持っていき、口の中を白い光で満たしてください。これから、あなたの口が発する言葉が全て、愛の力で満ち溢れていきます。愛に基づいた言葉のみを、口から発することの出来るように、口を浄化してください。そしてまた、頭全体を白い光で覆ってください。


さて次に、喉元を通ります。白い光が喉元を通るとき、あなたの喉元は浄化されるでしょう。さらに、右肩から右の手のひらまで、白い光で満たしていってください。どうぞ、愛のために右腕が使われますように・・・という思いを込めて、光を通してください。光は、ゆっくりと通ります。ただ、地球上の時間軸で言うなれば、早く通ります。あっという間に、浄化は行われます。


さらに、手のひらから指の先まで、光は通ります。あなたの右手は、これで合いのために使われるでしょう。次に、手のひらから右肩に移し、さらに左の肩へと移動し、左の手のひら、左の指の先まで、白い光を移動させてください。私たちの左手が、どうか愛のために使われますように。

                                                                           

そして、左の指の先から手のひら、そして肘、肩まで戻してきます。次に、首の下、胸板、全てにおいて光で満たします。痛みも、怖れも、固まりも・・・全てがこの光が浄化します。


次に、あなたのハートチャクラに、この光を持ってきてください。そうです、ちょうど胸と胸の間です。あなたのハートが愛に満ち、愛のハートをあなたが心から開けるように、白い光がここを満たします。さて、ハートチャクラの中には、あなたの信じている、あなたの中で信頼できる、神様のような、天使のような、ガイドのような存在がいますよ。どなたか、よく見てください。あなたのハートチャクラには、どなたかがいらっしゃいます。誰がいるのか、よく見てください。


そして、その方は笑っています。そこに、よく見たら、あなたがいます。あなたが子供のように、その大いなる方の膝の上に、抱かれていますよ。そして、本当に、本当にいい子だね!というように、頭を撫でられています。そして、あなたを抱きしめています。


さて次に、その白いハートチャクラにあった光を、腰までおろしてきます。そして、上半身全てを白い光で満たし、自分の上半身全てが愛のために使われますように・・・という思いで、白い光を満たしてください。


さて次に、あなたの腰元を、全て白い光が包みます。腰元のブロック、腰周りにあるほんの少しの痛み、大きな痛み、全てをこの光が取り除いてくれます。


次に、腰から右の太もも・ふくらはぎ・足の甲・足の指先まで、右足全体を光が包んでいきます。この右足が、愛のために使われますように。そして光を、右足の指先から、腰まで戻します。


次に、左の太もも・ふくらはぎ・足の甲・足の指先まで、白い光が伝わっていきます。左足全てが、白い光で満たされています。どうか、この左足が、愛のために使われますように。


さて今この時点で、あなたの体全てのレベルにおいて、白い光で満たされています。あなたは、完全にクリアになっています。白い光が、体から徐々に広がり、卵のオーラの形まで広がっていきます。あなたの、1メーター外側位まで、卵の殻で包んでください。あなたの体は、白くて眩い光に包まれています。あなたのオーラも、あなたの中心、ハートチャクラから出る光によって、四方八方、全ては白い光で満たされています。あなた自身、全てが白い光で満たされ、とてもリラックスでき、とても気持ちよくなっていきます。


さて次に、目を開けずに、この部屋の状況を想像しましょう。ここは、大江山グリーンロッジ(・・・ご自分のいる場所に置き換えてください)です。まずは、この場所から光を発しましょう。この部屋全てに、自分の白い光を放ってください。つまり、オーラレベルではなく、もっともっと光を、あなたを中心にした光を広げていくのです。部屋の隅々にまで、行き渡るようにあなたの光を拡大させてください。これは、下にも上にも横にも、四方八方に広がります。あなたを中心とした、まるで球体です。あっという間に光は広がります。光により、この部屋は浄化されました。そして、愛のために使われるでしょう。


さて、部屋から少しばかり出て、部屋の外へどんどんどんどん光を広げていってください。自分の意識を伴った光が、愛の光が広がります。光の速度はどんどん増します・・・ここは大江山です。あっという間に大江山全体に広がり、そしてその先、東へも西へも、北へも南へも、全ての方角に広がります。


日本地図を思い浮かべてください。あなたのいる場所は何処ですか?自分の今いる、大江山の場所を点で指してください。そしてそこから、あっという間に白い光が広がりだしています。あっという間に、日本全国を覆っています。


そして次に、地球儀のようなものを思い浮かべてください。そしてそこで、日本の位置を探すのです。そしてそこで、大江山を探すのです。そこから、あっという間に白い光が地球儀全体、つまりこれは本当の地球なのですが、あっという間に広がっているのを想像しましょう。


地球全体は白い光で覆われました。今この現在、大江山のこの地点にいる、あなたからの光が、地球上をぐるっと取り囲んでいます。今、全ての人方は愛の思いで満たされています。


次に、地球を含む宇宙を想像しましょう。地球から、あなたを中心とした白い光が、どんどんどんどん広がります。宇宙の果てまで、どんどんどんどん速度を増して白い光が広がり、宇宙の他の惑星、全ての星星、全ての生命体、全ての空間を満たし始めています。


あっという間に、宇宙の本当に遠いところ、宇宙の果てまで、あなたの光は広がっています。ある時点で、光はストップします。さて、ここでしばらく休憩しましょう。あなたの放つ光が、宇宙の果てまで広がっている・・・それを想像してください。それは、あなたの、そして宇宙の愛で満たされています。ゆっくりと感じてください。


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                                                                            さて、そこからのエネルギーの全てを貰って、あっという間に帰ってきましょう。全ての光は収束に向かいます。あっという間に地球全体に届き、地球からあっという間に日本に戻り、日本からあっという間に大江山に戻り、大江山からあっという間にあなたの所に届きます。そして、あなたのまわりのオーラにまで収束されます。

全ての宇宙のエネルギーを含んだ愛が、あなたの元に届いています。今、その光をハートチャクラに収まるくらい小さくして、ハートチャクラに収めてください。あなたのハートは今、強大な力を得ています。宇宙のエネルギー、宇宙の愛で満たされています。


意識が戻ってきたら、ゆっくりと目を開けてください・・・以上で、終わりです。


光の瞑想・・・如何でしたでしょうか?

私の場合、好きな音楽を流しながら20分くらいかけて、この瞑想をやっています。

この瞑想を試された方は、是非感想を聞かせてくださいね。

また、皆さんがお薦めの瞑想があれば、是非是非教えてくださればとても嬉しいです!

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大江山にて

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11月19~20日にかけて、京都府北部にある大江山へ旅行に行ってきました。今回の企画は、友人のヒーラー“KEIKOさん”が主催するル・クールの日曜日という月例のスピリチュアル勉強会での情報がきっかけでした。参加メンバー“REIKOさん”が、以前に大江山に行った時に、とてもよい気を感じたこと、UFOの写真を撮影したこと、などをシェアしてくれた時、参加していたメンバー4人の意見が一致し、大江山に行くことが即決しました。毎回違うメンバーが参加する会でもあり、参加メンバーが違っていたら今回の旅行は実現しなかった(スケジュールがあわない)ことを考えると、これも偶然ではなく必然だったのだと感じます。


19日早朝に出発し、愛車で3人をピックアップしながら一路大江山を目指しました。途中、大江山の麓にある“元伊勢内宮皇大神社”に参詣しました。小雨の降る生憎の空模様でしたが、歴史を感じさせる立派な杉木立の山道を登っていくと、空気の質が変わっていくのを感じました。特に鳥居を潜って境内に入ると明らかに空気が違って感じられました。外界との見えない結界でもあるかのように空気の密度が濃いのです。荘厳なとても心地よいエネルギーを感じながら、明日の朝、念願の雲海を見ることが出来るように祈念しました。


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元伊勢内宮皇大神社に参詣の後、今宵の宿である大江山グリーンロッジの離れ(私たちの貸切)にチェックインしました。夕食である鍋の準備をした後、明日の雲海見学の場所を下見することにして出発したのですが、山頂へと続く道路が途中で通行止めになっているではありませんか・・・ガ~~~ン!絶句したのも束の間、封鎖されている看板の間から車一台が通れる隙間を発見した私は、そこをすり抜けて通行止めを無視して山頂を目指す覚悟を決めました。そして、一同を見渡すと誰も異論のない様子・・・こうして、4人の命は私の運転に託されたのでした(怖)。


封鎖を突破して走っていると、通行止めの理由がはっきりと理解できました。何と、道路のあちこちで土砂崩れの痕が残っているではありませんか。一応、応急措置として土砂の除去はしてありましたが、数箇所で、道の3分の1程度が崩落して崖下に落ちているのです。崖下に転落しないように、慎重に運転しながら、それでも断念せずに山頂を目指しました。二度にわたる通行止めを突破して、ようやく遠くの山々を見渡せる目的地に到着したのです。天候は生憎の曇り空、天気予報もあまりいい情報を提供してくれませんでしたが、明朝に雲海が見れることを祈りながらその場を後にしました。


ロッジに戻ってからは、テレパシーカード、カエルカード、エネルギーの交流、丹田たたき、瞑想などなど、たくさんのワークをして大いに盛り上がりました。ほんの少し前まで、お互いの事をほとんど知らないもの同士が、スピリチュアルという共通意識の下で集い、一夜を共にし(決して変な意味はありませんが・・・笑)語り合うことの出来る幸せをしみじみと感じながら眠りに就きました。


嬉しくて5時前に目覚めた私でしたが、起床時間にはまだ間があったため布団の中で静かにしていました。その後、皆を起こして、いよいよ念願の雲海見学に出発・・・しかし、外はかすかに小雨の降る生憎の空模様。それでも、『大丈夫、絶対に雲海が見れる』と言い聞かせて、夜明け前の暗い山道を、崖下に落下しないように注意しながら山頂を目指しました。神さまのご加護か、ご来光前に無事到着することが出来ました。


そして、そこから見た光景に 感動・・・ただ感動・・・雲海が出てる~!


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 しばし言葉を忘れて風景に見入りました   左端が私(BON)です・・・初顔出し


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 ご来光の瞬間、そこだけ雲が途切れ陽光が顔を出しました・・・また感動!


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 これもひとえに、昨日祈願した“天照大神”のなせる業かもしれません・・・


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 雲の隙間から下界を照らす幾筋の光・・・神々しい輝きに、またまた感動!

                                                                      ☆それぞれの写真をクリックすると、もう少し大きな画像がご覧いただけます

  是非、この感動を共有してくださいね

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ちょっとグルメな話題!

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今日はブログを始めて以来の新ネタを披露しま~す!

といってもよくある美味しいお店レポートですので、あまり期待されると困りますが(笑)。


車で15分という距離に住んでいながら、なかなか行けなかった念願の店に今日行ってきました。          

メンバーは妻と息子と私の三人・・・かなりの人気店なので事前にバッチリ予約しておきました。                  

店の名は “CIRO(チーロ)” 明石から淡路島に渡るたこフェリー乗り場のすぐ傍にあり、明石海峡大橋を見渡せる素敵なイタリアンのお店です。播州赤穂にある“さくらぐみ”から独立された小谷さん夫妻が開いたお店だそうで、ナポリの窯で焼く、本場のナポリピッツァを食べさせてくれます。

                                                                 

タコェリー 店内

 レインボーに輝く明石海峡大橋を望む    お店の窓からは左の風景がバッチリ

                                                            

私は大学時代、RYURYUという美味しいスパゲティー専門店でアルバイトしていたこともあり、パスタは大好物です。気が向けば、休日に家でパスタを作ることもあります。家族や友人に好評なのは、ナスベーコン、たらこツナ、オイルサーディンコンビーフ・・・極たま~にトマトソースやホワイトソースベースのものも作りますです、ハイ・・・ちょっと自慢気味(笑)!前置きが長くなるのが私の悪い癖ですが、ややピンボケ気味の写真(誰が撮ったん?←出た~神戸弁)を交えながら、今日食べた料理を紹介したいと思います。


★前菜二種盛り

前菜1 前菜2

   タコとイカと貝のマリネ・・・旨い!         この温野菜たちもGOOD!


★ピッツァ (カプリチョーザ)     

ピザ 釜

  生地にもちもち感があって美味しい!          本場ナポリの窯

敢えて言わせて貰うなら、モッツァレラに                                                 

きのこの味はどうかな?という感じ
                                                                         

★アクアパッツァ
             アクアパッツァ
         明石鯛が二匹も出てきて吃驚!これで二千円は安い!
誰が食べるん?というほどの量でしたが、白ワインの味付けがまた絶妙で気がつけば                     

綺麗にペロリ・・・恐ろしき私たち夫婦の胃袋!!!
                                                                       

さて、念願のパスタはゴルゴンゾーラを頼もうかと思いきや・・・ここが思案の為所・・・

息子の『もうお腹一杯で、パスタを食べるとデザートが別腹にならない』という一言で断念。

そして、いよいよ最後のデザートに突入したのであります・・・まだ食うか!


★デザート各種

ジェラート&ソルベ デザート

イチゴシャーベット&バニラジェラート   イタリア風モンブラン(生クリームたっぷり)

下にあるフルーツポンチもなかなか       カプチーノを飲んでフィニッシュ


こうして、念願のチーロでの楽しい時間は過ぎていったのでありました。

美味しいものを食べると、人間誰もが幸せな気分になります。

そして、心が満たされます・・・これもスピリチュアルなのかもしれませんね。

妻と息子はすでに夢の世界です・・・私ももう寝ます。

おやすみなさ~い!

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私の宗教観

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先日、ブログを通じて素晴らしい交流をさせていただいているVOXY様より、私の記事(青文字)に対して以下のメッセージ(赤文字)をいただきました。


現在の私は、仏教をはじめどの宗教にもまったく関心がありません。

宗教を肯定も否定もしませんが、今世の私には必要がないようです。

これからの時代は、一人一人が自分の精神性を高めていくことが、当然のように

起こってくる予感がありますが、それを司るのは最早、宗教ではない筈です。

一人一人の中に、神がいます。

その神の部分とつながることで、本当の自分を思い出すことが出来るようになってきます。

今、私はそのプロセスを歩みながら、少しずつそのことを思い出し始めています。

同じ意識の人が、地球上にどんどん増えていることも感じます。

これからは、『人生は素晴らしいものだ』 ということを自分自身が体現し、

私の経験をシェアすることで、今はそのことを忘れている人にも

思い出してもらえる自分であり続けたいと思っています。


> 宗教のことに触れておられましたので

> BONさんに限ってということではないのですが、最近のスピリチュアル、

> 癒しのブームにわたくしは、一抹の不安を感じているものの一人です。

> 万が一、もしも、聖書の記述が真実ならば、すべての愛、癒しはイエス=キリストという

> おかたを源としていることになります。

> まことのいやしはイエス=キリストから来るということが書かれています。

> そのイエス=キリストの教えを中心に、キリスト教の宗教は存在しています。

> 一つのしっかりした理性や知性をふまえた宗教という枠組みで規定するこなしに、

> スピリチュアル(霊的な部分=神の領域)に人間がかかわることは、第二、第三のオウム

> 麻原教祖のような存在を生む危険をわたくしは感じています。 (マタイ福音書24章11節)

> オウム信者は、まことに不思議なことに

> 人間的には、優秀な科学者であり、また、学歴もIQ的にも高い人々でした。

> そのような方々が何故あのような事件を起こすに至ってしまったか。

> スピリチュアルな面に大変大きな問題があったからです。

> あくまで、聖書の価値観でものを言って大変申し訳ないのですが

> ヒーラーの本質については、

> もし可能ならば、映画【パッション】をみていただきたいのですが、そこに

> メルギブソン監督が、かなり聖書に忠実にいやし主の本質を表現していると思います。

> 宇宙、命、愛という概念について愛するものに命を与えるということ

> 特定の宗教【団体】に属される必要はないと思いますが、ヒーラーを目指されるにあたり、

> ぜひとも、聖書との比較研究省察はお願いしたいと思います。

> 勿論本心は、BONさんのような愛情深く、素敵な方が、わたくしたちの共同体に属してくださり

> 助けてくださることことを希望してはいるですが、信教の自由がありますから・・・。

> いろいろ僭越なことを申し上げましたがお赦しください。


VOXY様らしい、愛と思い遣りに満ちたとてもあたたかいメッセージだったので嬉しかったです。

すぐに返事を書こうと思いましたが、宗教という大きなテーマなだけに自分の想いを言葉で表現することの限界を感じ、しばらく返事をかけずにいました。今でも言葉では上手く表現できるとは思えないのですが、心に問いかけて浮かんできた言葉を綴ってみたいと思います。言いたいことの半分も言えないないかもしれませんが、出来るだけ正直な気持ちを書いてみたいと思います。


VOXY様、ご心配いただき本当にありがとうございます。ご指摘いただいた文面から、仰りたい意図は十分理解しているつもりです。私のメッセージを読み返してみても、誤解を生じる表現があったことと深く反省しております。VOXY様には、以前にもお話したかもしれませんが、私が子供の頃には近所に外人宣教師が住んでいて、彼らが開催してくれていた日曜学校にも通っていました。また、ミッション系の大学だったため、チャペルの時間やキリスト教学の授業も履修していました。建学の精神である“Mastery for Service ”に集約されるキリスト教主義に基づく教育は、現在の私の人間形成にも大きな影響を与えてくれていると確信しております。その他、クリスマスコンサートや結婚式で奏でられる賛美歌も大好きですし、新約聖書も愛読しています。キリスト教の献身的な愛や犠牲的な愛を実践する主人公が登場する、作家/三浦綾子さんの作品も大好きでよく読んだものです。


一方、学生時代は観音様も好きだったので、西国の札所を巡っては心の平安を得ていました。大晦日には、除夜の鐘を聴きながら心に去来する煩悩を洗い流すことも好きでした。煩悩により四苦八苦するのが人間・・・四苦八苦=四×九+八×九=36+72=108・・・煩悩を断つ除夜の鐘が何故百八つなのかという意味を知って凄いと感じたものでした。今では、観光以外で寺参りをする機会はめっきり減ってしまいましたが、代わりに自宅で瞑想という形で自分の内なる存在と繋がり、心に溜まった垢落としをしています。


私の考えを述べさせていただけるならば、宗教の教えそのものを蔑ろにしているわけではありません。私自身の輪廻転生(キリスト教では認められない概念ですよね・・・)の過程でも、様々な宗教に関わり、信者として学んでいた過去世の記憶があります。勿論、今生の学びにおいてもキリスト教からは多くのことを学ばせていただいております。夫々の宗教には素晴らしい教えがたくさんある(カルト教団のような例外もたくさんありますが・・・)と感じながらも、現在までどこにも所属しておりません。しかし、宗教からたくさんのことを学んでいますし、今後も必要な知識を得ることにはかわりないと感じています。


宗教が作ったしっかりした理性や知性をふまえた教義そのものは素晴らしい智恵であり、私たちが実践する生き方のヒントであると思っています。しかしながら、固定された教義に基づいて組織を固めていかなければならない古い形の「宗教」の在り方には、甚だ疑問を覚えてしまうのです。本当に素晴らしい教えであっても、他宗を排撃するような人を産出するようになった瞬間に、組織としての宗教の持つデメリットが表出してしまうのだと思います。組織という枠組みを守るために、他の考えを受け入れないという人間のエゴです。愛の教えを崇拝するキリスト教国であるアメリカと、イスラム教圏の国々との火種が絶えないのも、政治や経済利権だけの問題ではなく、根底に宗教観の違いに端を発した人間のエゴが潜んでいるのではないでしょうか?


かつて、時代時代の節目に救世主と呼ばれた偉大な光の存在が、神の教え(宇宙の真理)を説きました。その偉人達が説いた教えが、ある地域では仏教として、またキリスト教として、ユダヤ教として、イスラム教として、儒教として、日本古来の日本神道として、世界の国々で広がってきたのだと思います。ですから、どの宗教もその時代のその地域で必要とされた教えであったと思います。同じ仏教から派生した宗派であっても、日本に伝来されて以降、時代背景や時の権力者の影響を受けて様々な形に変化したことをみてもそれは明らかです。

                                                                  キリスト教の歴史を観察しても例外ではないでしょう。本来、人々を導く愛の教えを説いたイエス=キリストの教えが、時代や環境の変化、その時代の支配者に利用されてしまうのも世界の宗教の歴史を見れば明らかです。イエスの教えとは関係なく、組織としての宗教を利用したり守ろうとする人間の出現により、本質が歪められてきているように思います。キリスト教において、宗教革命が起こったこともそうでしょう。マルチン・ルターを始めとした原理主義者は、自分達が正しいキリスト教者だとして、カソリックと対立し、蹂躙してきた歴史も然りです。


イエス=愛の代名詞とも思っていますし、イエス=キリストという人物が説いた愛の教えは普遍的なものだと思っています。しかし、イエスだけが愛の源ではありません。イエスは神の愛の実践者であり、宇宙に蔓延する神の愛をこの地球に、私たち人間に説いた偉大な指導者だったのだと思います。イエスの教えを学ぶことで、神の愛を学ぶことは素晴らしいと思いますが、キリスト教こそが全てであるという妄信はよくありません。


可能性という点で言えば、一人一人の心にはイエスと同じように神の愛を感じ、体現するだけの力が備わっているのだと思います。これまた極論ですが、増上慢な心で持って、誰もがすぐに悟れるといっているわけではありません。その可能性が誰にでも平等に与えられているといっているのです。何故ならば、全ての人間の本質は光であり、愛であるからです。そして、全ての人間が神の一部であるということを私は信じています。


今の時代もそうです。教祖と呼ばれた偉人が説いた教え(悟り)は素晴らしいものであり、輝きが消えることはありません。しかし、その教えを崇拝しているだけでは決してだめだと思うのです。彼らだけが神から選ばれた特別な存在ではないのです。確かに歴史に名を残し、何十億という人々に影響を与えた素晴らしい光の存在です。ゆえに彼らの生き様や教えは称えられることはあっても、否定されるものでは断じてありません。読まれている方も、これだけは誤解のないようにお願いします。


しかし私は、誰もがひとりひとりの心の中に、彼らと同じ悟りを経験することを可能にする神性な部分を有した存在だと思っているのです。それを、言葉というもので表現することは非常に難しいですが・・・・・宇宙で唯一の真理(叡智)があったとしても、その叡智を感じて表現した言葉(人)が10あると、10通りの解釈が生まれます。その10通りの解釈を聞いた人が、他の人に伝えると、また違った解釈が生まれます。私はその10の解釈が広がり、教えとなったものが宗教だと思っています。どれも正しいのですが、どれもが真理の一部を伝えているに過ぎず、真理(叡智)を100%伝えられているわけではありません。ですから勿論、その教え夫々の違いであって上下はないのです。


私もよく使いますが、スピリチュアルという言葉の定義はあまりに広すぎて私自身も説明できませんが、今の私の立ち位置を表す言葉として、一番しっくりくる言葉ではあります。私が感じているスピリチュアルは、自分の中にある神聖な部分と一体化することです。私自身が光であり、愛であり、神の一部であるということを信じられること。本当は内なる神とつながることで、悟ることも癒されることが可能であるということ・・・全ての救いや答えが、本当は外でなく自分の中にあるということを思い出すこと。そのために、自分以外の全てが存在してくれているという真実に気付くことなのだと思います。


まとまりのない文面になってしまいましたが、上記のメッセージは、あくまでも私の個人的な見解であり、正邪を問おうという意図は全くありません。宗教という非常にデリケートな問題ですので、読まれた皆様、どうか悪意の解釈や誹謗中傷の対象には絶対にしないでください。それ以外のコメントであれば、私の学びにもなりますので喜んで拝聴させていただきます。

                                                                          

VOXY様へ・・・私が影響を受けた様々な書籍の中で、最も私の疑問に対しての答えをくれたのが、ニール・ドナルド・ウォルシュ著 『神との対話』 でした。VOXY様にも是非読んでいただき、どのような感想を持たれるかを訊いてみたいと思います。最後に、重ね重ね失礼な表現があったかもしれませんが、何卒お赦しください。

                                                                          

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最後に、私が学んでいるライフスクールの師である王由衣さんが、彼女のブログでスピリチュアリズムについて次のように書かれています。その中に、宗教に関する今の私の考えを代弁してくれているフレーズ(ピンク色で表示)があったので、参考までに掲載させていただきます。


スピリチュアリズムは、19世紀半ばにアメリカで生まれ、アメリカ全土やイギリスに広がりました。その運動のピークは20世紀前半とされますが、今でもアメリカ、イギリス、ブラジル他の中南米などにメンバーや活動家(司祭/牧師、霊媒、ヒーラーなど)がいて、世間の目にはあまり見えないところで活動しています。スピリチュアリズムは、人間の魂が死後も生き続けることを信仰・信条の土台とします。そしてそれを証明するための方法論として、霊媒(「チャネラー」)とスピリチュアル・ヒーラーの訓練と養成に力を注いできました。


スピリチュアリズムからは多くの優れた霊媒が輩出していますが、ほとんどは無名で活動しています。比較的有名な人では、アメリカ先住部族のスピリチュアル・ガイド、シルバーバーチをチャネリングしたモーリス・バーバネルや、同じく先住部族のガイド、ホワイトイーグルをチャネリングしたグレース・クックなどがいます。欧米のスピリチュアリズムは、活動の形によって幾つかの派に分かれています。独自の宗教運動というスタンスを保っているところもあれば、キリスト教プロテスタント宗派の中に足場を持って、より一般社会の中で受け入れられやすい形で活動しているところもあります。


これは、転生輪廻を通しての魂の進化を教えるスピリチュアリズムが、キリスト教という、転生輪廻の考えを否定する宗教が主流を占める社会で活動していかなければならなかった歴史と関係しています。

私自身は過去6年、アメリカのオランダ改革派教会スピリチュアリスト派のセミナリー(聖職者課程)で学んできました。あと何年かのうちに司祭(牧師)として叙階を受ける予定です。しかし、スピリチュアリズムを「宗教」として広めようとは考えていません。少なくとも、固定された教義に基づいて組織を固めていかなければならない、古い形の「宗教」の在り方は、その役目を終えつつあると思うからです。スピリチュアリズムは、自らを宗教であると同時に、哲学であり、科学であると定義します。簡単に言えば、宗教とは信じること、哲学とは探求し、深く考えること、そして科学とは、証明を通して客観性を求めることです。スピリチュアリズムの視点と方法論は、今の日本に生きる人たちが直面しているたくさんの問題に解決の手がかりを与え、生きるための指針を示すことができると考えています。人は精神的な視野と価値観なしには、生きることはできない。そしてスピリチュアリズムは、そのためのバランスされたアプローチを示してくれる。これが私の視点です。


最近は日本でも、スピリチュアリズムとの関係をうたっているグループや個人がありますが、本来のスピリチュアリズムについては、シルバーバーチ関連の翻訳以外、あまり知られていないように思います。例えば、スピリチュアリズムに「先祖供養」という考えはありませんし、人を不安に陥れるような形で、目に見えない世界とのコンタクトを仲介することもありません。スピリチュアリズムでは、すべての「霊的存在(スピリット)」とのコンタクトは、私たちが人間としてよりよく生きるための癒しや支え、そして学びと成長のためのきっかけや機会として与えられるものであると考えます。訓練された霊媒やチャネラーが提供するのは、このような機会としての目に見えない世界とのコンタクトです。