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ブログで知り合った素晴らしい友である永田大力さんが書かれた、“さよなら、精神世界” という記事にコメントをしていて、ふと思い出させてもらったことがあります。私がスピリチュアルの道を進んでいく上での原点ともいえるのですが、それは 『私は誰か?』 ということです。これまでにも、私のガイドから何度も 『あなたは誰ですか?』 と質問されたことがありましたし、“神との対話”でも同じような問いかけがあり、その度にその言葉が私の心に響いてきました。


私にとって、スピリチュアルの道を歩むということは、本当の自分探しであり、魂の探求だと感じています。私にとってのスピリチュアルとは、Who am Ⅰ? の答え探しの旅・・・即ち、私は誰なのか?何のために生まれてきたのか?そして、この地球上で、何を成したいのか?・・・ただ、それだけです。


本当に欲しいもの(コアの自分と繋がって生きる人生)を手に入れようと思ったら、今両手に握りしめているもの(エゴによって握りしめられている何か)を手放す勇気を持つことが必要なのだと感じています。多分、その握りしめているものは、私の怖れと関係しているのだと思います。それが無くなったら生きていけないという幻想に、しっかりと守られた私のエゴ(=プライド)なのかもしれません。スピリチュアルの道を生きる・・・と言っているが、今の生活はどうするのだ?と囁きながら、私の不安を煽り、怖れに付け込むエゴの声かもしれません。


スピリチュアルの道を歩み始めたばかりの頃、私の導き手であるヒーラー/はるちゃんとのセッションの中で、本当に様々なワークを経験しました。自分の光を感じられるようなワークはとても楽しく、時間の経つのも忘れて取り組みました。しかし、反対に影(シャドウ)を観るワークには、強烈に抵抗している私がいました。自分が嫌だな~と感じているもの全てに、何らかの形で自分自身の投影があるということを認める勇気を持つことができませんでした。自分のエゴを観ること、即ち、自分の内面の闇を深く観ることが、とても怖かったのだと思います。今でも、全てのシャドウを克服できたとは思っていませんが、少なくとも観ることに怖れを伴っていた感情を手放すことが出来ました。


自分の内面と真正面から向き合い出した頃、それがブログの冒頭にも書いている昨年の4月だったと思います。ヒーラーとして、自分の道を進みたいと思い始めた頃・・・でも、現実の生活や家族との関係、仕事との両立や将来における経済面での不安、etc。頭レベルで考えると、到底現実離れしていて、不安と怖れで押しつぶされそうになりましたが、魂レベルではそうは思っていませんでした。心からやりたいという切望感があるから前に進む・・・それを確信したのが、2004年4月18日の朝方に見た、私が誰かにヒーリングをしている夢であり、夢を見た日の夜にあったチャクラ・リーディングでガイドから告げられたメッセージでした。


『 もう時期ですよ。あなたが見た夢は偶然ではありません。あなたはヒーラーです。そして、そのために自分が良いと思ったことは全て、何でも、今すぐ、やってください。時間がないから・・・お金がないから・・・忙しいから・・・疲れているから・・・全部言い訳です。時間もお金も、全ては後からついてきます。それが怖いなら、人を癒すという大それたことは今日から考えないことです。これは、苦しみの旅ではありません。ヒーラーへと歩んでいく旅、とっても楽しいただの冒険の旅です。その過程で、あなたがあなた自身を見つめることで、自分を癒しながら、その過程で人が癒されるのを喜んで見ることになるだけです』 


『時間がないから・・・お金がないから・・・忙しいから・・・疲れているから・・・全部言い訳です』

ガイドは私が抱いていた怖れを、ズバッと指摘しました。私が生まれる前に決めていたミッションを思い出したにも関わらず、怖れから前に進む事を躊躇しているのを見越して、厳しくも愛に満ちたメッセージをくれたようです。このメッセージによって、吹っ切れたような気がします。捜し求めていた宝物を前にして、何が入っているのかわからないという恐怖から、蓋を開けることを躊躇っていた私でしたが、怖れを選択するよりも、魂の奥底から湧き上がってくる切望感に導かれようと決意しました。そして、ヒーラーへの道を進んでゆくことを強くコミットしたのです。


あれから1年5ヶ月が経ちましたが、自分の進むべき道がより明確になってきています。学びのスピードをアップさせようと焦ったことが何度もありましたが、そんなときには決まってガイドから“ゆとり”を持つようにアドバイスされました。今年の4月にガイドから言われたメッセージの中で印象に残っているものがあります。


『 あせってはいけません。ゆっくり行っているようで、実は早いのです。流れに乗るとはそういうことですよ。自分を信じて、ゆっくり行ってくださいね。そして、あなたにとっては、遊ぶことが勇気だと言っておきます。思いっきり遊べないと、あなたの道は開けませんよ。あなたは、ちゃんとしなければ・・・・・・・といった、ちゃんとしなければモードが多すぎですよ。十分に遊ぶ前に常に止めます。知ってますよね。まあ、でも仕方ないよね・・・・と自分で納得させています。それも確かに、あなたの道です。あなたは今まで、とってもちゃんとした順調な道を歩んでますよね。これはヒントです。しないといけないことではありません。遊ばなければ~って思ったら、これは本末転倒です。そうではありません。そうではなくて、自分がいかに自分と戦っているか・・・・・・これを知ってください。

                                                                                    遊んでばかりいると・・・・・・・・・。この・・・・・・・・・にはどんな言葉が続くのですか?遊んでばかりいたら、経済が破綻するぞ! 皆に認められないぞ! 仕事が滅茶苦茶になるぞ! 無視されるぞ! 愛されなくなるぞ! すごい人間には到達できないぞ! 目覚められないぞ! ヒーラーにはなれないぞ!・・・・・・・・何の言葉が続くのでしょう?そろそろ、ここをやる時です。これには勇気が要りますよ。

                                                                                    そして、宇宙全体があなたに遊ぶ時間をくれようとしています。それが、今回起こったこと(学びの速度をスピードアップしようとして、ある人からストップがかかったこと)です。あなたが、もっと時間がなくなると、もっといきなり行ってしまうので・・・・・。ただ、それだけのことだったんです。ゆとりを持つとは、そういうことです。ゆっくり行きましょうね。ゆっくり行くと決めた瞬間から、あなたはものすごいスピードで進化していきますよ 』


自分を信頼することとは、自分の内に存在する神を信頼すること・・・そして、自分を信頼できるようになってくると、人を信頼することが出来るようになります。全ては自分の心が決めているのですね。そして、その私の道を全力でサポートしてくれているガイドの愛を感じました。


この文章を書いていて、アルケミストという本が脳裏を過ぎりました。私のお気に入りの一冊として、以前このブログで紹介していますが、アルケミー(錬金術)とは、大いなる存在(神の意識・宇宙のエネルギー)とつながることであり、それが出来れば、自分にとっての宝物を発見できるということ・・・言い換えれば、自分の運命をしっかりと生きてさえいれば、本当に知る必要のある全てのことを、実は知っているのだとということに気づくのです。自分の中にあるものを、ただ思い出せばいいということに。

私がアルケミストの中で、最も惹きつけられた言葉は、“人が本当に何かを望むとき、全宇宙が協力して、夢を実現するのを助けるのだ”といったアルケミスト(錬金術師)の言葉でした。想いが現実化するという宇宙の真理を言い表した言葉だと思いました。何度も言うようですが、夢の実現を阻むものは“失敗するのではないかという怖れ”です。起きてもいないことに不安を抱き、心が傷つくことを怖れるのは、実際に傷つくことよりも辛いことです。夢を追い続けているとき、心は決して傷つきません。何故なら、探求している一瞬一瞬が“内なる神との出逢い”であることを知っているから。

                                            

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★今日は私たち夫婦の10回目の結婚記念日★

 スピリチュアルの話をしてもよくわからないと言うので、妻にシェアすることは少なくなりました。 

  しかし、ヒーラーになるという私の夢を、嫌な顔ひとつせずに陰ながら応援してくれている・・・

  おそらく、このブログも読んでいないと思いますが、彼女に心からの愛と感謝を贈ります!

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しばらく間があいてしまいましたが、2日目に受講したバイオシンセシスのワークショップの体験談を書きたいと思います。バイオシンセシスについて私の説明ではわかりにくいと思うので、JBI日本バランシング協会のHPの説明を引用させていただきます。


バイオシンセシスは生命を統合させる目的で『ライヒの思想の発展』の著者として名高い英国の教育者デイビッド・ボアデラによりボディーサイコセラピーの一手法として開発されたものです。それは、精神医学と心理学の中に「からだ」という考えを導入したウイルヘルム・ライヒによる自律神経療法(ベジェト・セラピー)と胎生学のアプローチに基づいています。バイオシンセシスでは、基本的な心身再統合手法である、呼吸の解放と感情のセンタリング、筋肉の再調整と姿勢のグラウンディング、アイ・コンタクトと声のコミュニケーションによるフェイシングによって、心身両面における治癒的統合のワークを行っていきます。その結果、私たちが本来もっている有機体としての統一性と生命エネルギーの自由な流れを取り戻し、心身ともに生き生きと感じられるようになるのです。

自分を見つめたとき、「自分には価値がない」「自信が持てない」「自分を変えたい」「人と会うのが怖い」「人と話をするのがイヤ」「誰も私を助けてくれない」「いつも一人ぼっち」「苦手なタイプの人がいる」などといった気持ちを感じる時、幼い頃の些細な出来事が原因(トラウマ)の場合があります。知らず知らずのうちに過去の出来事に囚われ、いま現在を過去というフィルターを通して見ているのです。しかし、自らの体の奥底に閉じこめてしまった心の傷を感じることで、その心の傷は癒されていきます。体のシグナル(緊張、痛み、不快感)に意識を向けたり、時には夢や日常の出来事を扱いながら、ゆっくりと自分の心に触れていくのがいいようです。


実際に私が受けたボディサイコセラピーであるバイオシンセシスの体験談をご紹介します。まず、二人でペアになり、いろいろなワークをやりました。例えば、向かい合って立ち、お互いが相手の目をじっと見つめながら、一方が『いいじゃないか』と言いながら押してくるのを、『嫌だ!』と声を出して押し返すといったものでした。1日目のディープ・ブレスで、無意識の感情が出やすくなっていたことと自分自身の準備が出来ていたこともあってか、私自身は何の抵抗もなくスムーズに取り組むことが出来ました。相手の目を見て『No』と拒絶することも、反対に拒絶する相手の懐に飛び込んでいくといったことも平気でした。チャクラで例えるならば、感情感覚のチャクである2チャクラと、自己表現(喉)のチャクラである5チャクラの働き(回転)が活発になっているような気がしました。


しかしながら、「嫌だ!」と声を出しながら相手を拒絶するワークにおいて、一般的には「NO」が言えない人が多いらしいです。頭では理解しているので、「嫌だ!」「あっちに行って!」と声を出しながらペアを組んだ相手のことを押しのけようとするのですが、どうしても力が入らない・・・大きな声が出ない・・・ということが起きます。それは、頭レベル(顕在意識)は命令を出すものの、無意識レベル(潜在意識)では、「そんなことをしたら人間関係が悪くなるぞ」「嫌われてしまうぞ」と感じてしまっているのです。それにより、自分にとって嫌な相手であっても、その介入を許してしまっているのです。こうしたワークを経験したことで、いかに日々の生活において、無意識で自分の心とは裏腹な言動を取っているのかということに気付かされました。このような生活をしていると、体も心もたまったものではありませんね。自分の心に正直に、あるがままに生きるということが、いかに難しいかということを改めて感じました。


2日目のワークで最も印象に残ったものが、午後からやった“死と再生のプロセス”の体験でした。人(魂)は誰でも、死と再生のプログラムを繰り返しています。勿論、魂が宿る私たち肉体も、実は毎日死と再生を繰り返しています。死と再生のプログラムは、誕生から死という寿命だけではなく、実は、日常再三起こっているのです。自分の中にあるコアの部分は、死ぬことをも恐れず受け入れ、生まれ変わろうとしています。ここでいう死とは、肉体の死を表すのではなく、「これまでの自分でなくなること」であり、生まれ変わるとは、「新しい自分に変わること」と解釈できます。


ワークは、グラウンディングから始まります。グラウンディングとは、しっかりと地に足がついた状態で、地球(大地)からのエネルギーと繋がっていることが出来ているかどうかです。目を瞑って、ただ立っているだけなのですが、いかにそれが難しいかがわかります。ペアになった人に矯正してもらうことで、真っ直ぐに立っていると思っていた自分の姿勢が、実は歪んでいたことを自覚できます。本当は、立っているために必要な筋肉だけに力が入っていることが理想的なのですが、実際には、関係のない筋肉にまで力が入っていることがわかります。こうした不要の力のことを、“筋防衛”というのだそうです。全身の筋肉を緊張させることで、意識的に不愉快な感情(エネルギー)が流れないようにしているらしいです。 肩の力をぬくということの大切さを感じました。


無駄な緊張が抜けてくると、いよいよ死へと向かっていきます。講師の誘導により、ゆっくりと体を前に傾けていくのです。時間にして5分後にばったりと倒れるように指示されましたが、それまでは時間をかけて少しずつ少しずつ引力に従って前にそして下のほうに体を傾けていくのです。そして、ばったりと倒れると同時に死を迎えます。大地と平行になってしばらくすると、地球のエネルギーに自分が溶け込んでいくような錯覚を感じました。意識が覚醒したような(ただ眠っていただけかもしれませんが)状態でした。子宮の中にいた時を再体験したという方もいますが、私はただ安らいだ感覚でした。どれくらい経ったでしょうか。講師の声が聞こえてきます。ゆっくりと、少しずつ起き上がっていってください・・・・・・。声に反応して体が少しずつ動き出します。全身の神経に意識が宿り、力が漲ってくるのを感じます。これこそが、子宮から誕生した瞬間の気持ちなのかなと思いました。そこには不安はありませんでした。苦しさもありませんでした。この経験を通して、私自身しっかりとした目的を持って生まれてきているのだということを感じました。


私が受講したディープ・ブレス・バランシングとバイオシンセシスというセッションについての詳しい説明が、JBI日本バランシング協会のHPのホームページに書かれてあるので、興味のある方は以下をご参照ください。


★ディープ・ブレス・バランシング

 http://www.j-b-i.org/dbreath.html

★バイオシンセシス

 http://www.j-b-i.org/biotoha.html

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先日、大阪で開催されたディープ・ブレス・バランシング及びバイオシンセシスのワークショップに参加してきました。今年の春頃、ライフスクール主宰の王由衣さんから、自分の感情と向き合うための心理療法あるいはバイオシンセシスのような心身統合系の療法のセッションを継続的に受け始めることを勧められたのがきっかけで、JBI日本バランシング協会代表 小原仁氏による2日間のセッションを受けてきました。受講に当たっての私なりのテーマとしては、①落ち着いた形で自分自身の感情と向き合えるようになること、②自己の内面にあるエネルギーを開かれた感情とバランスさせること、に取り組むことを目的としました。


初日に受講した、ディープ・ブレス・バランシングを簡単に紹介してみましょう。ブレスワーク(呼吸法)には、様々な考え方や様々な技法がありますが、今回はトランスパーソナル心理学の創始者の一人でもあるスタニスラフ・グロフのホロトロピック・ブレス・ワークを基本としています。「ホロトロピック」とは、「全体性へ向かう」という意味があります。深くて速い呼吸を続けていると、呼吸の作用によって、『変性意識』と呼ばれる独特の意識状態になり、日常無意識に感じないように抑圧していた感情や記憶や身体の動きなどに出会えたりします。人によっては、子宮内体験や出産前後の傷つき体験、更には個を越えたレベル(トランスパーソナル)の意識体験をされることもあるそうで、それによって、より深いレベルの癒しが可能となります。


まずは二人でペアを組みます。呼吸をする人をブリーザーと呼び、介護(お世話)する人をシッターと呼びます。シッターの役割で大切なのは、ただブリーザーと一緒にいてブリーザーが望むことをしてあげることです。例えば、お水が飲みたかったら飲ませてあげたり、ティッシュを取ってあげたり、他のブリーザーとぶつからないようにカバーしてあげたりと、赤ちゃんをケアーするようにただそばについていてあげます。


ブレス初体験の私は、先にシッター役になりました。講師の話では早い人で5分、遅い人でも10分程度で変性意識状態になるとのことでしたが、内心ではそんな早くに変性意識になるのか?という疑問もありました。しかし、ブリーザーの女性があっという間に変性意識になり、同時に隣の男性(実はこの二人はご夫婦でした)が変性意識になって叫び始めた時には、おっと~という感じでした。一般の人が見ると一種異様な光景ですが、場に溶け込み冷静に観察するクールな私がそこにはいました。叫び声をあげたり、身悶えて転げまわるブリーザーを見て、彼らの中で小さい頃から抑圧されてきた感情が表面に出ているんだと思うと、怖いというよりも何か抱きしめてあげたくなるような愛おしさを覚える場面もありました。2時間以上に及ぶセッションを通して、まさに、自分で自分を癒すというヒーリングプロセスを体験しているのを目の当たりにしている気がしました。


昼休憩(このとき、昼食を摂ったことを後で悔やむのですが・・・)の後、いよいよ私がブリーザーを経験しました。リラックスできる静かな曲が流れる中、講師の誘導で静かな呼吸から入っていきました。呼吸に関しては、日頃から腹式呼吸が出来るようになっていたので、深くリラックスした呼吸はさほど難しくありませんでした。少しずつ早い呼吸になるにつれて、思考の囁きが大きくなってくるのを感じました。雑念を振り払うべく、今を強烈に意識して、講師の声と音楽に全意識を集中させていきました。誘導にそって、深くて早い呼吸を繰り返すうち、喉の奥から沸きあがるようなうめき声が聞こえてきました。何だ何だ?と考える思考を無視しつつ、今この瞬間に意識を集中し続けていると、冷静に自分の状況を観察するもう一人の自分(私の本質)の存在を感じられるようになってきました。


そのとき、『自分の感情とひとつになりなさい』という声が聞こえたような気がします。喉の奥から漏れる声がだんだんと大きくなるにつれ、感情と一体化している自分と、冷静にそれを観察しているもう一人の自分がいました。おおおぉぉぉ~~~、おおおぉぉぉ~~~、胸の奥から迸る言葉にならない叫び声が次々と出てきます。そのときに感じた感情は、とにかく怒りの感情でした。


どうして・・・・・・・?どうして・・・・・・・!何故・・・・・・・?何故・・・・・・・!予期していた怒りの感情が、予想通りに顔を出しました。私から愛する女性を奪った社会の不条理に対する怒り・・・その理不尽と闘おうと決意しながら最後まで全うできなかった自分に対する怒り・・・一番傷ついているにも関わらず最後まで毅然として、逆に私を気遣ってくれた彼女への感謝・・・それに応えられなかった自分の弱さに対する悔しさ・・・。自分が傷つくことよりも、人を傷つけることの方が何倍も胸が痛いのだということを、過去の感情を再体験することによって思い出させてくれました。


その後、更に変性意識が深くなるにつれ、声だけではなく両手の拳が天に向かって突き上げるように伸びていきました。同時に両足にも力が入り宙を蹴るように何度も何度も動きました。それは、全身に溜まっていた怒りのエネルギーが手足の先から放出されるようなイメージでした。その間も、相変わらず冷静に見守っているもう一人の自分の存在を感じていたのです。“我慢しないで、ありのままの感情を感じていいんだよ。辛かったのによく頑張ったね。もう、自分を責めなくてもいいんだよ” そんなメッセージを感じた瞬間、叫び声をあげていた喉と胸が詰まり、急に声が出なくなりました。吐き気がして、先ほど食べたものを吐いてしまいました。まるで、詰まっていた怒りの感情全てを吐き出すかのように・・・。


その後の記憶はあまりありませんが、暖かい光に包まれているかのような、とても心地よい夢を見ているような状態でした。自分の内面に深く入っているためなのか、ただ静かで五感からの情報が遮断されたような状態でした。どれくらい経ったでしょうか。徐々に意識が現実に引き戻され、いつもの自分に戻ってきました。最後に全員でお互いの体験をシェアしあって、一日目のセッションは無事終了しました。


二日目に受けたバイオシンセシスのワークショップの内容は次回アップさせますね!
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私が尊敬する先輩 KT氏は、分子栄養学を学び、全国各地で健康に関する素晴らしい講演会を開かれているのですが、彼の講演会で話されている内容で、とても印象的なフレーズがあったので紹介したいと思います。


『 人間は酸素によって生かされ、酸素によって殺されていく 』


どういう意味かというと、人はお母さんの子宮から生まれた瞬間から、呼吸によって酸素を取り入れます。食べ物がなくても、数日~数十日間は生きていけますが、酸素がなければ、ものの数分で誰もが死んでしまいます。普段、何気なく吸っている酸素ですが、人間の生命維持活動において、これほど大切なものはないということを改めて実感しました。


ところが、人間にとって最も大切な酸素ではありますが、実は両刃の剣でもあるのです。それは、酸素を取り入れると微量の活性酸素が発生します。最近では、健康に関するテレビ番組などで、様々な病気の原因として活性酸素が取り上げられているので、ほとんどの方が名前くらいはご存知だとは思いますが、活性酸素とは、人間の体を酸化させる悪い酸素のことです。“酸化=錆びる”ことで、別の言葉では“老化”とも呼ばれています。


とても不思議なことなのですが、生きるために必要不可欠な酸素によって、人間は少しずつ殺されていっているのですね。言うなれば、人間は生まれた瞬間から、確実に死に向かって進んでいるといえるでしょうか。生命の神秘だと言えると思いますが、生命というものは、神様の絶妙な計画の上で成り立っているのだと感じました。


自然界に目を転じてみても、同様のことが言えます。例えば、植物を例にあげてみるとこうなります。


『 植物は太陽によって生かされ、太陽によって殺されていく 』


このプロセスも興味深いものがあります。植物は呼吸をしませんから、酸素を吸って発生する活性酸素にやられることはありませんが、植物の生命活動の源は光合成です。太陽の光を受けて、空気中の二酸化炭素と根から吸収した水を使って、自分で養分を作り、酸素をはき出します。この働きのことを光合成といいます。


生命活動である光合成をするために、太陽から光を吸収するのですが、太陽からは紫外線という活性酸素を大量に発生させる有害物質が降り注いできます。人間が植物のように、四六時中太陽からの紫外線に晒されていたらたまったものではないですが、そこは神様もよく考えられています。植物は全身に濃い緑色の葉をまとっています。濃い葉の部分はポリフェノールとも呼ばれる強力な抗酸化物質です。植物はこの葉によって、紫外線の攻撃を防いでいるのです。


それでも、太陽からの強力な紫外線によって発生した活性酸素によって、植物は少しずつ殺されていっているといえるでしょう。まあ、樹齢何千年もの大木があるように、植物は人間に比べてはるかに長生きですが・・・。


このように、全ての物質が時間という流れの中で生死を繰り返していっているという現実に、すごく不思議な生命の営み、神の壮大で偉大な意図を感じます。地球上では、全てが限りある命だからこそ、大きな意味があるのだと思います。肉体に宿っている魂は永遠ですが、この世での仮の姿である肉体(物質)には、限りがあります。


今日は少しばかり哲学的になりましたが、 これからも 『私は誰なのか?』 『何故生まれてきたのか?』 ということを意識しながら、限りある今という瞬間を、自分らしく生きていきていきたいと思います。