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今日は、最近読んだオグ・マンディーノの書籍 『人生は素晴らしいものだ』 をご紹介したいと思います。オグ・マンディーノという名は、成功哲学・人生哲学の草分け的存在として以前から知っていましたが、何故か今まで彼の作品を読む機会に恵まれませんでした。


今回、はじめて読んだ書籍『人生は素晴らしいものだ』 は、彼の初期の作品だといわれていますが、古代ローマ時代を舞台に、新約聖書から飛び出してきたかのような主人公 “ザアカイ” の生き様を中心にストーリーが展開されていきます。不遇な生い立ちや不幸な境遇に負けず、物質的に大成功してからも、他人に与え続ける姿勢を貫いたザアカイの生涯は、私たち読者に感動を与えてくれます。


晩年、ザアカイがベン・ハダドたちに請われて、成功するために必要なルールをまとめました。

それが、成功のための九つの智恵として、町の城壁の白い壁に赤い文字で記されます。


1.日々熱心に仕事に取り組みなさい。

  その働き方があなたの未来を決定する。


2.忍耐によって

  運命を支配できることを学びなさい。


3.航路を明確に海図に書き込みなさい。

  漂流者とならないために。


4.陽光の中を旅する間に

  暗闇に備えなさい。


5.微笑みをもって逆境に立ち向かい

  屈服させなさい。


6.行動なき計画は

  消え去る夢にすぎないことを悟りなさい。


7.心にかかるクモの巣を一掃しなさい。

  それが心をふさぐ前に。


8.荷を軽くしなさい。

  目的地に到着できるように。


9.心にかかることを今、行いなさい。

  それができるうちに。


実践して成し遂げた“ザアカイ”が自らの生き方を通して語る言葉だからこそ、その言葉に力が宿り、説得力があります。本書を読んでいて、とても印象に残った言葉があります。それは、若かりし日のザアカイがヨセフに言った次の言葉です。


「不可能なことなんて何もないよ。それが不可能だと本人が思わない限りね」


「本人があきらめない限り、不可能なことは何もない」・・・作品に込められたマンディーノからのメッセージかもしれませんね。不屈の精神を貫き、逆境を乗り越え、多くの人々に与え続けることをした“ザアカイ”の生き方は、マンディーノ自身が夢見た理想の生き方だったのだと思います。


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私も、成功哲学の類の本には興味があって、今までにも結構読んできましたが、最近感じるのは、いくら素晴らしいメッセージを受け取っても(読んでも)、それを知識として終わらせていては何の意味もないということです。自分が行動し実践することではじめて、知識を智恵に変えていくことが出来るのです。


最後に、本書において奇跡として描写されている 【成功のための第十の智恵】 を引用して、皆さんと分かち合いたいと思います。


10.他の何者かでなく

  自分自身であるために努力しなさい。


あなた自身であること、あなたがなれるものになること、それが幸福な人生の秘訣である。すべての魂は、異なった才能、異なった望み、異なった能力を持っている。あなた自身でありなさい。たとえ全世界を欺くことができたとしても、本当のあなた以外の何者かになろうとしていることは、何者にもならないより何千倍も悪い。


他人を喜ばせるために、自分とは別物の何かに自分自身を引き上げようと、無駄な努力をするのはやめなさい。自分の虚栄心を満たすために偽りの仮面をつけてはならない。自分が達成したことを評価してもらおうと、躍起になってはならない。そうすればするほど、あなたそのものに対する評価が消えてゆく。


野の植物や動物がどんなふうに生きているか、考えてみなさい。綿の木は、決してたったの一個でさえリンゴを実らすことはない。ザクロの木がオレンジを実らすことがあるだろうか?ライオンが空を飛んでみようとするだろうか?


すべての生き物の中で、人間だけが、愚かにも本来のあり方以外のあり方で生きようとむきになる。そして、そのうちのあり方が、自分に調和しないものであることを、自分の人生そのものから宣告されるのだ。この不調和こそ人生における失敗を決定づけるものであり、もっと実りある職業はないかと、それを果てしなく追いかける人々の行き着くところなのだ。それは立ち止まって後ろを振り返ってみない限り、決して見つかるものではない。


あなたが天職を選ぶのではない。天職があなたを選ぶのだ。あなたはあなたにしかない特別の技能に恵まれているはずである。その技能が何であれ、それを用いなさい。そして別の人の帽子をかぶることは忘れなさい。二輪戦車の優秀な御者は、その技能によって黄金と名声を得ることができる。だが、その人にイチジク狩りをさせれば、餓死することになるかもしれない。


誰もあなたに取って代わることはできない。このことを悟り、あなた自身でありなさい。あなたは成功しなければならないという義務はない。ただ、自分自身に対して誠実でなければならないという義務があるだけだ。あなたが最善を尽くしたいと思うことに、全力投入しなさい。そうすれば、魂の奥深くで自分が世界一の成功者であることを知るだろう。


このメッセージを読んで私が感じたこと・・・それは、“神との対話”にも、同じような表現があったような気がしたことです。


『人は、自分以外の何者にもなれない』


そうです・・・自分以外の何者かになろうとするところに、苦しみが生じるのです。

全てのメッセージは、大いなる存在からの普遍かつ不変のメッセージだということに、マンディーノの作品を通して、改めて気付くことができました。

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自分自身を知ること

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久しぶりの更新ですが、忙しさで自分を見失っていた訳ではありません。どちらかといえば、時間的な余裕があったので、読書をしたり、いろいろな人と会ったり、家族とゆっくり遊ぶ時間を持つなど、贅沢な時間を過ごしていました。私のブログテーマがスピリチュアルなので、大好きな家族とともに快適なアウトドアライフを満喫したことを詳しく紹介できないのが残念ですが、この夏のバカンス(今後の予定も含む)を抜粋するとこんな感じです。


☆自然豊かな山間部のキャンプ場で一泊し、近くの森で、息子(小1)にクワガタ採取の楽しさを教えてやったこと・・・ミヤマクワガタの雄雌を番いでゲットしました。

☆息子が初めて泳げたことが嬉しくて、一緒に5時間もプールで過ごしたために背中一面が真っ赤になって、今も痛痒いこと(笑)。

☆姫路セントラルパークのサファリで、車のすぐ傍(1~2メートル程度の距離)で猛獣と言われるライオンや虎と触れ合えた?こと。

☆今週末から、友人ファミリーとまたまた涼を求めて高原キャンプに行こうとしていること・・・先日のキャンプのメニューがおでんだったので、今回はバーベキューをやるぞ~!

☆家族そろって温泉好きなので、白浜へ温泉旅行に行き、帰りは、奈良県十津川村にある有名な谷瀬の吊橋を渡って、息子の度胸を試そうと企んでいること・・・実は私も20代の頃、足がすくんで渡りきるまでにかなりの時間がかかった経験があります(笑)。


このように、遊びの計画が充実してきているのは、私がガイドから出された宿題でもある “ゆとりと遊び” というキーワードを、楽しんで実践できるようになってきた証拠かもしれません。

皆さんはこの夏、どのようなバカンスをお過ごしですか?



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さて、前置きはこれくらいにして、最近、“本当の自分を知ること”の大切さと難しさを感じています。いろいろな書籍を読んで、先人の智恵を学んでいるのですが、その中で出会ったのがソクラテスの言葉でした。「汝自身を知れ」という言葉に殉教した男、ここに死す・・・ソクラテスの墓石の碑文には、そのように書かれてあったと言われていますが、彼は70歳を過ぎてから、いったい何の為に自分はこの世に生を受けたのか?私とは誰か?人生とは何か?と真剣に考えるようになったそうです。


ある日、デルフォイの神殿に書かれてあった 「汝自身を知れ」 という言葉を見つけて、ソクラテスは次のように考えました。毎日この道を通り、見慣れていた筈のこの言葉が、何故、今頃になって新鮮に感じられ、こうも気になるのだろうか?それから彼は何度も何度も、「汝自身を知れ」と心の中で唱えた末に、ある結論に到達しました。「この言葉のように、あまりにも身近にあるものに対して、自分は意識を留めることがなかった。それは、自分が無意識に支配されていたからである」と。この自分の意識の状態を知った時、自分が自分の主人になっていない現実を知ったソクラテスは、無意識を見つめ、自分の心の状態を目覚めた状態にしておくことを強く意識するようになりました。


すると不思議なことに、何か行動を起こそうとする度に囁いていた声(=この声を彼はデーモン神の声と呼んでいた)が聞こえなくなり、ソクラテスは生まれて初めて、自由を感じたのです。自分の意志で行動し、責任を持つことの素晴らしさを実感し天にも昇る心境だったということです。その後、ソクラテスは若者を先導し、自分が自分の主人になるための方法を説いたことが原因で、国家反逆罪に問われ、命を落とすことになりますが、自分という人間が、「汝自身を知れ」という言葉を世界に知らしめるためにこの世に生まれたのだという強い信念のもとに、迷わず殉教の道を選択したのだと思います。


私たちが、ソクラテスと同じ心境に到達するのは難しいでしょうが、彼の説く真理と、彼の心理は理解できるような気がします。デーモンの神の声と呼んだ無意識の声=即ち、自分のなかにあるエゴの声に惑わされないことが、自分自身の本質を知る唯一の方法なのだということを感じました。
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