祈り

2004年も残すところ、あと2日で終わろうとしています。13日には、京都市東山区の清水寺で、今年の世相を表す漢字に「災」が決まりました。財団法人日本漢字能力検定協会によると、【災を選んだ理由には、台風、地震、豪雨、猛暑など、記録的な天災に相次いで見舞われたことをはじめ、イラクでの人質殺害や子供の殺人事件、美浜原発の蒸気噴出事故、自動車のリコール隠しなど、目を覆うような人災が多発したことが挙げられています。そんな中、次々と人災を起こす人間の身勝手さに対して、神や自然が怒ったように感じたという意見や、天災に対して人間がいかに無力であるかを痛感したという意見も多く、「災い転じて福となす」の諺のように、来年は福の多い年になって欲しいと祈るばかりだという意見が多数、寄せられました。】とのコメントでした。

世界的に見渡すと、たくさんの“災”が起こりましたが、ここ数年は異常なことが多すぎて、異常な状態が普通になっているような気がします。論評にあったように、人々はもう祈るしかないという心境なのかもしれません。そこで、今日は“祈りの持つ本当の意味”を探っていきたいと思います。

先日のクリスマスの夜にあったオープンレクチャーのテーマが、『光の流れ、闇の中で祈る』でした。“祈り”についてのレクチャーでしたが、そこで学んだ“冬至”の持つ本来の精神的意味合いは、とても興味深いものでした。冬至は、太陽の南中高度が最も低く、夜が最も長くなる日で、日本では柚子湯に入り、小豆粥や南瓜を食べると風邪をひかないと言われています。闇が一番長い時間ということは、光が一番短い時間でもあることから、冬至を境に、光が再び生まれ変わる時期という意味もあるそうです。闇に覆われる時期は、本当の意味での魂の内省の時期でもあります。

『光の流れ、闇の中で祈る』というテーマである“祈り”の本当の意味は、神・宇宙の法則と自分一人で向い合って学び直すための方法論でもあります。“祈り”とは、自分より高い「力」に対して魂を開き、その助け(恵み)に自己を委ねることです。人間は宗教なしでも生きていけますが、精神性なしでは生きていけません。精神性を維持するために必要なサプリメントのようなものが“祈り”なのです。

小鳥と対話している絵などで有名な アッシジの聖フランシスコ(1181~1228)は、 世界中の人びとに愛され、親しまれている聖人です。 次に紹介する詩は「平和の祈り」とされる彼の祈りの一部で、 現在も平和思想の原点として尊重されています。「平和の祈り」は彼が自ら書き記したものではありませんが、 彼は生涯、身をもってこの祈りを実践したということです。

神よ、わたしをあなたの平和の使いにして下さい

私が、憎しみのあるところに、愛を
争いのあるところに、許しを
分裂のあるところに、調和を
疑いのあるところに、信頼を
誤りのあるところに、真実を
絶望のあるところに、希望を
悲しみのあるところに、よろこびを
暗闇のあるところに、光を
もたらすことができますように、助け、導いてください

神よ、私に、慰められることよりも、慰めることを
理解されることよりも、理解することを
愛されることよりも、愛することを求めさせてください

与えることによって、人は与えられ
許すことによって、人は許され
死ぬことによって、人は永遠の生命を生きていることを悟れるからです


いつもこんな気持ちで過ごせたら、どんなに素晴らしいでしょう
地上に住む全ての人々が、自分らしい最高の光を放てますように
そして、幸福な気持ちを、いつも感じていられますように
2005年が、素晴らしい年になりますように!

心からの祈りをこめて・・・heavenward(BON)
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25・26日に東京であったライトワーカーズ・トレーニングに参加してきました。8月に続き2回目の受講でしたが、たくさんの学びと気づきのあった2日間でした。受講するのが本当に楽しく、やりたい道をワクワクしながら真っ直ぐに進んでいる自分を改めて感じました。また、ライトワーカーとして道を進んでいく多くの仲間の存在は、本当に頼もしく有り難いものです。

今回の受講中、私を見守ってくれるガイドの存在をより身近に感じることができました。直接的に声が聞こえたりすることはありませんが、様々な形で私にメッセージを送ってくれているガイドの大きな愛を感じると同時に、私の内なるハイヤーセルフの存在も、より身近に感じることができました。

そして、さらに私の目標が明確になってきました。相変わらず何を得意とするヒーラーになりたいかは漠然としていますが、みずがめ座時代へとシフトしていく世界の中で、新しい時代を切り開いていける勇気と智恵を持った存在になっていけるよう努力して行きたいと思います。

私が受講していた正に同じ時間に、スマトラ島で大地震が発生し、大津波により多くの命が一瞬にして奪われました。ルミナリエで阪神大震災を思い出し、鎮魂の念を送った1週間あとに、このような悲しい出来事が起こるのも皮肉なものです。このように、各地で起こる地球規模での天災や、アメリカを中心とする一部の愚かな人々のエゴにより、各地で繰り返される戦争や紛争により、罪の無い人々や子供達がたくさん死んでいます。

神から“創造する”という本当に素晴らしい能力を与えられた私たち人間だからこそ、その自由意志の使い方を誤った方向に導いては断じてなりません。神の本質は愛であり光です。そして、神と同じ創造する能力を与えられた人間の本質も、愛であり光なのです。自由意志を与えられた私達だからこそ、自分が何を選択するのかに責任を持って生きていくことが大切です。

宇宙は原因と結果の法則の元に動いています。仏教的に言い換えるならば、因果応報というのかもしれませんが、今、現実に起こっている様々な事件や問題、天災地変をありのまま受け止め、その中で一人一人が何をすべきかを選択する時期が本当に来ているのです。

うお座時代が終焉を迎えた今、うお座時代の特徴でもある組織的な価値観が変わろうとしています。従来は、宗教や政治といった組織体系が枠組みを提供していましたが、古い形での組織宗教が終焉を迎え、人々は宗教という名のもとでの仲介者を頼ることなく、自分自身の中にある内なる光・神聖な部分を自分で見つけ出し、確立していく時期に来ているのです。

一人一人が、目覚めたるライトワーカー(光を運ぶ担い手)として。
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今週から始まった光の祭典「神戸ルミナリエ」に行ってきました。毎年、妻子と一緒に見学するのを楽しみにしていますが、いつも幻想的な光の芸術に圧倒され、降り注ぐ光のシャワーに酔いしれます。ルミナリエの語源はイタリア語のIlluminazione Per Feste(祝祭のためのイルミネーション)。ルミナリエ作品は、バロック時代(16世紀後半)に盛んに創られた祭礼、装飾芸術のひとつとして誕生した光の魅力を駆使した建築物が起源とされています。

「神戸ルミナリエ」は、阪神・淡路大震災犠牲者の鎮魂の意を込めると共に、都市の復興・再生への夢と希望を託し、大震災の起こった1995年12月に初めて開催され、震災の爪あとが残る神戸の街と市民に大きな感動と勇気、希望を与えました。あの震災の日から、もうすぐ10年が過ぎ去ろうとしています。神戸で震災を経験した私にとって、ルミナリエの美しさを、新しい家族(震災の年の秋に結婚しました)と一緒に見られる幸せは格別です。ルミナリエが終わると、今年も無事に過ごせたなと感謝の気持ちが込み上げてきます。

ルミナリエ会場で光を見ていたときに突然、私のスピリチュアルガイドから出された宿題を思い出しました。その内容とは、『あなたが、この地球上を眺めてみて、どこに心を動かされますか? どこに心が痛みますか? 何に魅かれますか? 何が怒りを感じさせますか? 何があなたの悲しみを呼び起こしますか? どんな事象、どんな現象、どんな事件、どんな出来事、どの国のどんなことですか?』 というものでした。

光の祭典を見ながら、私の心の中に響いてきたメッセージを、そのままの言葉で書き綴ります。具体的な事象が浮かんだのではなく、単語の形で伝わってきました。

私が魅かれるもの : 『平和、祈り、愛、癒し、謙虚、光、悟り、霊性、神、宇宙』

私が怒り・悲しみを感じるもの : 『戦争、テロ、政治、虐待、飢餓、権力、エゴ、傲慢、理不尽、悪想念』

世界を見渡すと、数々の天災に加え、人災である戦争や事件により、人々が憎しみあい、犠牲者が後を絶たない世の中です。そんな時代だからこそ、どんなことをこの地球上でクリエイトしたいのかを考えていきたいと思います。これは、何故、私が生まれてきたのかという答えです。そしてそれは、私の使命・心からの切望感と関わりがあります。今日、ルミナリエで感じたメッセージを、これからひとつひとつ、しっかりと見つめていこうと思います。
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ここ1ヶ月余り、自分をどれだけ信頼できるかが試されていました。というのも、ある出来事がきっかけで、自己嫌悪に陥っていたからです。以前の私ならば、自分の取った行動に対する後悔と情けなさとで自分自身を責め、気持ちを切り替えられなかったことでしょう。要するに、自分の取った行動(現象)ではなく、その行動を取った自分という存在そのものを否定していたと思います。

しかし、よく考えてみると、自分という存在そのものが否定されたわけではないのです。自分の取った行動を通して、自分はダメな人間だと判断している私がいるだけで、私の魂そのものは何も変わっていないことに気づきました。

それでも、ネガティブな感情は、頭でいくら抑えようとしても次から次へと湧き出てきます。なぜなら、私の心が不安で一杯だからです。エゴは不安や恐れをエネルギー源として活動をしている(本当は、無意識に私がさせている)思考であるということを実感しました。

その期間中は、ダンワールドや自宅で瞑想していても、雑念だらけの思考に邪魔されて集中できませんでした。私自身は“今に生きる”と決意しているのに、私の思考は過去と未来を行ったり来たりの連続でした。何とかその状況を打破しようと懸命にもがきました。眠れぬ夜を何日も経験し、肉体的に疲れてしまった私は、心配事を手放すことに決め、開き直りました。

全ての現実をありのままに受け容れると、抵抗する自分の思考(エゴ)が薄れていき、今この瞬間の自分に意識が戻って来たのです。頭で理解するのではなく、身をもって味わった苦悩があったからこそ、パワー・オブ・ナウを体感できたのかもしりません。前々回のホームページで偉そうな事を書いておきながら、実は心の弱さと戦っていた私でした(笑)。

この経験を通して、次の教訓を得ました。
“物事を悪く考えるとブルーな気持ちになり、前向きに考えると幸せな気持ちになります”
“過去の悪い出来事を思い出せば嫌な気持ちになり、よい出来事を思い出せば楽しい気持ちになります”
“将来に対して悪い結末をイメージすれば不安な気持ちになり、夢の実現をイメージすれば幸せな気持ちになります”
感情(気持ち)は、思考(考えていること)に大きく左右されます。人は無意識だと、過去の習慣や自分の傾向性に従って考えます。不幸になる考え方の傾向性を持つ人は、それだけ不幸な気持ちになりやすいのです。幸せになる考え方をする習慣をつくることができれば、それだけ幸せな気持ちで過ごせるようになるのです。

今の私は、とても穏やかで安らいだ気分でいます。そうした状態で、ネットサーフィンをしていたところ、興味深いホームページに出会いました。生きがいシリーズの著者で、私も大好きな飯田史彦氏を検索していたところ、究極の救い『飯田史彦氏の世界』というサイトがありました。そのサイト内の「ちゃいちゃん天使のページ」を読んで、とても感動しましたので、ここに紹介したいと思います。

ちゃいちゃんパパからの、「人の良い所をどんどん見つけること」「一生懸命生きること」を実践して短いながらも充実した人生を送った、ひとりの少女がいたことを忘れないで下さいというメッセージと、この言葉を一人でも多くの人に伝えたいという切望感を、私のホームページを読んでくださる皆様と共有できれば幸いです。

最後に、同サイト内に掲載されていた「しのきちたろう」さん の詩が、とても心に響いたので紹介させてもらいます。

魂はすべてを知っています。
在るがままのあなたの姿は、あなたが思っているより
遥かに美しく清らかです。

自分を信じられない時
自分を見失いそうな時こそ
魂の声に耳を傾けてください。

あなたは今、何を信じていますか?
あなたは今、何を見つめていますか?

苦しみの中にこそ叶えられるものがあるのです。
悲しみの中にこそ超えられる力があると信じて下さい。

愛は永遠です。
愛は私です。
愛はすべてです。

あなたの中にこそ
その愛が存在し、
決して消えるものでも幻でもありません。

あなたは今、何を感じていますか?
あなたは今、何を抱きしめていますか?

答えはそう
すべてあなたの中にあるのです。


ちゃいちゃん天使のページ↓
http://www.parkcity.ne.jp/~chaichan/chai.htm

人のよいところをどんどん見つけよう


愛と光の使者

テーマ:
12月に入り、街は一面クリスマスムードに染まってきました。1年最後のこの月は、気忙しいけれども明るくて楽しげで、私は結構好きです。それにしても、日本は不思議な国です。西洋のクリスマスと日本の文化とがうまく融合して独自のスタイルを形成しています。といっても、キリストの誕生を祝う敬虔な祈り(こころ)ではなく、小売や飲食店の商戦道具(物質)として、華やかで楽しげなデコレーションが先行しているような気もしますが。

本来、クリスマスの主役であるイエス・キリストといえば、愛の代名詞のような方で、メシア(救世主)として神の愛を地球規模で広められた偉大な魂でもあります。にも関わらず、愛の教えを説かれたキリスト教圏の国が、何故たくさんの犠牲者を伴う悲惨で醜い戦争を、性懲りもなく繰り返すのか・・・

人間は、神から自由意志を与えられました。地球上で、神と同じ“創造する”という力を与えられた唯一の生命体です。どのような選択をするのかも、各個人の自由意志に委ねられています。それ故、これからの時代は、一人一人の意識がとても重要になってきているのです。

今、地球上で起こっている全ての出来事は偶然ではありません。一人一人の想念が結集した姿であり、本人が意識しているかどうかは別にして、必ず何らかの形で加担していることに、最近気付きました。なぜならば、全てはつながっているからです。この考えを受け容れられるまでに、私の中では、かなりの抵抗がありました。自分の中にある見たくないシャドウ(影の部分)を、しっかりと見つめなければならなかったからです。

そして今、私は“愛と光の使者”になることを決意し、行動を開始しています。これからも、自分の魂の道(何のために生まれてきたかという本当の道)を歩む過程で、たくさんの学びと気付きと神の愛に遭遇していくのだろうと感じています。全ては、自分の内なる声に導かれるままに・・・。

私が、こうした考えに至った要因はたくさんありますが、その中でもとても影響を受けたひとつに、最近読んだジェームス・トワイマン氏の著書『愛と光の使者 オズの子供たち』に書かれた次のフレーズがあります。

『あなたがいま、この瞬間に、自分は愛の使者であると知ったとしたら、あなたはどのように行動するでしょうか?では、はじめてください』
もし、それが本当だとしたら、あなたは今、何をしますか?あなたは、あなたが会う人々に対し、どのように対応しますか?あなたは彼らになんと言いますか?あなたは人生をどう生きますか?


皆さんも、是非この質問を自分自身に尋ねてみてください。この質問こそ、いま、問われるべき価値のある唯一の質問ではないかと思います。この質問が、こころに響いた方は、この質問が全てのスタートだと気付かれたのです。あなたも“愛と光の使者”ですよ。世界中に、この真実に気付いたたくさんの人たちがいます。私達が愛になると、私達が出会う人ひとりひとりが、私達を映す鏡になってくれます。その中に、愛を見たり、愛を感じるのをサポートしてくれるのです。さあ、共に愛に向かって進みましょう!