少し前のことになりますが
実生活で、某県某市に引っ越してきました。
ホームタウンからも離れ
お仕事で長くご縁をいただいてきた県からも離れ
新しい場所での暮らしにようやく慣れてきました。
田舎町の駅近のマンションは
ほどよいご近所付き合いがあって、居心地がよいです。
さっきもエントランスですれ違った上品な白髪婦人に話しかけられ
マンションの出入り口近くに作られた小さな蜂の巣について話をしました。
婦人:こわいわね。あなたご存じ?蜂の巣があるのよ。
瑠璃:そうなんですか?
婦人:ほらあそこ。(入口の上を指差す)
瑠璃:ああ、ありますね。でも大丈夫ですよ。
婦人:怖くないかしら。管理さんに言わないと。。。
瑠璃:あれ、あったほうがいいですよ絶対。
婦人:ええ?なぜ?
瑠璃:防犯に役立つと思うんです。蜂がいたら怖いから空き巣が侵入しませんでしょ。
婦人:ええまあうんええ?・・・確かにね。。。
瑠璃:お金もかかりませんし、用心にもいいし。天然SECOMです。
婦人:そういう考え方もあるのね。でも刺されないかしら。
瑠璃:こちらから攻撃しなければ何もしてきませんよ。
婦人:そうなの・・・
瑠璃:玄関先に蜂の巣があるなんて幸運ですって。あの子たちを大事にしなきゃ!
婦人:・・・・。
最後の一押しは「管理にチクってんじゃねえぞ」的な圧力のつもり(笑)
拙者、蜂のフォルムも好きなんです。あれ可愛くないですか?
こないだちょっとした空き時間にこの街を探検してて見つけた雑貨屋さんで
こんなラブリーな缶バッヂを見つけて3秒で買いましたの。
かわいいでしょ??
人間の本質は怒りで出来ている。
これも全部修行なんですよ。
そういうタイミングで来たっていうことが、まさに証だよね。
怒らないこと。
怒りというものの特性を理解すること。
怒りをコントロールすること。
こうしたことを頭では理解してきたつもりだった。
だが、いままさに試されている。
なるほどね。。。
すんごい修行だよね。
ああ、怒ってる私。
そういうときに、
怒りっていうのはこれのことなんだ。
ちゃんとそうやって気がつけるかどうか。
怒りってのは本当にたちが悪いし、おそろしいものです。
まず自分自身を破滅させて、
それから周りを破滅させる。
こんな危険なちからは、
いつでも、どこにでも、ある。
修行なんだよ。
これが、ほかでもない修行なんだ。
俗世間から隔離されて保護された特別な空間じゃなくて
現実のこの場所で、それが実践できるのかっていうこと。
頭で理解しているだけのことを、実践までこぎつけるのかっていうこと。
禅は、理論ではなく、実践にほかならない。
人間の本質は怒りで出来ているのですから。
ね。。。
ホームタウンは町の真ん中を大きな川が流れていて
私の実家もその川のほど近くにあります。
だからなのか、大きめの川を見ていると心が落ち着くんです。
ただね、分水嶺を隔てた向こうの川は、直感的に落ち着かない。
太平洋側に注ぐのが感覚的に染み付いているんでしょうね。不思議なことに。
水が流れているという状況は、ただそれだけで浄化作用があるのかもしれません。
実家の近くの川は、その上流のほうにいくとたまらなく澄んで美しいんです。
のぞきこむと青や緑に揺れている川底。
なんども深呼吸して目を閉じて、カラダにたまっている悪いものを全部吐き出して
澄んだ水をカラダの隅々まで取り込んで。
ゆっくり目を開けると川の近くには新緑が茂り、鳥のさえずり。。。
わたしも、水のように生きられたらいいな。
水蒸気になったり水になったり氷になったり。
環境に適応して姿を変えるけれど決してなくならない。
変化し続けながら、あらゆる命を支えるお水って、ほんとすごいなって思います。