私の母は、小柄でとても優しい雰囲気を持つ人だった。

 

子どもの頃からかわいいと評判で、

写真館に写真が飾られたと何度も聞かされた。

 

 

「なんで私はお父さん似なのよ~!」などと母に憎まれ口をきいたものだが、

「あら~、お父さんに似たから、背が高くなってよかったじゃない~」と笑っていた。

 

父は背が高く大柄。

母は背が低く小柄。

 

昔、チッチとサリーという漫画があったけど、

背の高さで言えば、そんなイメージのカップルだった。

 

 

今でも時々思い出すことがある。

 

 

季節は夏。白樺の林だったから、長野あたりだったんだと思う。

家族で旅行へ行ったときのこと。

 

白樺の林を散歩した。

 

 

両親が二人並んで歩いている。

その後ろで、3人のきょうだいはふざけ合いながら歩いていた。

 

誰の発案か忘れたが、

隠れようという話が出た。

 

「3人ともいなくなったら、お父さんとお母さんきっと心配するよ!」

3人はキャッキャ言いながら木の陰に隠れた。

(実際には隠れたつもり)

 

そして、両親の様子をのぞき見る。

 

 

 

その時、私は見たのだ。

 

 

 

 

あのシーンは今でも忘れられない。

それは映画のワンシーンを見るように、スローモーションの記憶だ。

 

 

特別なことがあったわけではない。

 

 

二人はこもれ日の中、

眩しそうな表情で白樺の散歩道を仲良く歩いていた。

 

 

 

 

ただ、それだけだ。

手もつないでいなかったと思う。

 

 

でも、私は二人の姿にはっと息をのんだのだ。

普段のお父さんとお母さんの顔ではなかった。

 

 

チッチとサリーのように、見えた。

 

 

断っておくが、私の父は、サリーに似ているわけではない。

むしろ、昭和の人気ホームドラマ「寺内貫太郎一家」の貫太郎にそっくりだ。

 

ロマンのかけらもない愚直な昭和の男なのである。

 

 

それでも、母は輝いていた。

 

女性として神々しかった。

 

多分、風景や描写の記憶は、

後から脚色されているだろう。

 

 

でも、確かにあの時、

二人は同じ方向を向いていた。

 

子どもですら入れない、二人の世界を見ていたのだ。

それが眩しく、大人の世界に、嫉妬すら感じた。

 

 

後で母は、いつものように、

「あら~、隠れてたの~?知らなかったわ」と大げさに驚いてくれた。

(どこまでも母はお見通しだ)

 

 

 

 

あれから、数十年時がたった。

 

 

母はもういない。

 

父は一人だ。

 

そんな父に、娘が何を言っても、何をやっても、

「お母さんがいてくれたら」すべてが解決するのだろうと思う。

 

 

パートナーの存在はそれだけ大きい。

失ってからでは遅いのだ。

 

 

あなたの横に、当たり前にいてくれるパートナーは誰だろう。

 

 

 

 

 

パートナーとは、同じ方向へ二人で並んで歩く人。

 

夫婦でできるだけ長く人生を楽しみたい

パートナーにもっと魅力的になって欲しい

 

 

 

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