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初雪の朝

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初雪の朝。

前庭のキャンドルたちにも雪帽子が・・・キャンドルの芯が湿ってはいけないと、葉っぱの帽子をかぶせました。

いよいよ雪のシーズンです。

23日の夜、深々と雪が降る中でのホワイトキャンドルライトパーティーになれば素敵ですが・・・

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キャンドル×モザイクアート展開幕しました。

昨夜は深夜までかかって曽根さんのモザイクアートのセッティングをしました。

常に空間や素材感を意識するモザイクアーティスト曽根さんだけあってスポットの光の当たり具合や、キャンドルの明かりの演出効果など細かなディテールにこだわった展示になりました。

私のような食器をデザインする者には無い「空間や光」の大切さを知ることが出来ました。

キャンドルの明かりに浮かぶモザイクアート・・・

今夜のライトアップが楽しみです。

写真をアップしますのでお楽しみに。

昼間のギャラリーは、こちらでご覧ください。

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中津川の虹

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久しぶりの「山行」・・・

と言っても長野県木曽にある「阿寺渓谷」のウオーキングです。

紅葉シーズンもすでに終わり、雨上がりの澄んだ空気の中で美しい渓谷美を楽しんできました。

その帰り、中津川で見事な虹が私たちを見送ってくれました。

何年ぶり?いや10年ぶりくらいかな? 

とても久しぶりで懐かしい思いに駆られました。

子供の頃は名古屋でもよく見ていたように思いますが・・・皆さんは?



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彷徨える陶磁器デザイン

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2010年、21世紀になってもはや10年を経過してしまいました。

21世紀初頭に描いた夢や希望は図らずも暗雲の中に漂っています。
 
私がこよなく愛する「陶磁器」や「デザイン」は、そんな中で行き場を失い彷徨うばかりです。
 
私が陶磁器デザインに関わって35年、辛い経験もありましたが幸いにして挫折することなく現在に至っています。
 
しかし、この間どれだけの同輩、後輩たちが愛する陶磁器から去っていったことでしょうか。

自らの能力の限界を感じて去る者もありました。しかし、多くはその劣悪な環境になじめず去り、また、優れた才能を持ちながらもそれを発揮する場が与えられず去って行きました。
 
「陶磁器デザイン」のその本来の姿は、土と炎による伝統の文化であり、生活に密着した食や暮らしの文化を担うという実に豊かな創作の営みであります。

苦境にあえぐ陶磁器産業がその苦境から脱する道はただ一つです。
 
その素晴らしい創作の営みに魅力を感じて産地を訪れた才能ある若者たちが生き生きと活躍できる「陶磁器デザイン環境」を整備し「創造システム」を構築することです。 

今、生活者たちは、才能ある若者たちが創り出す新鮮で生き生きとした「陶磁器デザイン」を今かいまかと待っているのです。



ある団体から依頼されて今日書き上げた文章です。



     陶磁器は暮らしに愛を咲かせることが出来るか!
           <デザインが贈る愛のメッセージ>

今、自動車メーカーは燃費の良さ、Ecoを売り物にしている。また、大手量販店は安さを売り物に競い合っている。
 
消費者にとってEcoや安さは確かに魅力ではある。
 
しかし、Ecoな車を作る自動車メーカーは、その技術目標の達成に専念するあまり、いつしか手段を目的にしてしまっているのではないだろうか。安さを競う販売者たちは、安さで消費者の目を引くことに専念するあまり、それを目的にしてしまっている。

Ecoは本来、人間が未来永劫に生存してゆくと言う目的のための手段であるはずであり、安さは本来、均質という良質を求めるための手段で無くてはならないはずである。

いずれにしても重要なのは、「新しい価値<愛>の創造」が目的でなくてはいけないと言うことである。言ってみれば「暮らしに愛という花を咲かせる」と言う目的を忘れてはいけないのである。

「暮らしに愛を咲かせる」・・・この役割を担っているのがデザインであり、デザイナーであり、作り手であり、売り手である。

 「愛はデザインである」

1.愛は「五感」
「本物の時代」とか「質感」「自然志向」と叫ばれて久しい。とりわけ陶磁器においてはその傾向をますます強くしている。
 
 私たちの身辺を見ると、個々を繋ぐコミュニケーションの手段は、その多くが視覚と聴覚に頼られている 。
 インターネット、テレビ、携帯電話がその代表格である。これらの手段によって、高度に文明化し複雑化した社会では、人々は、生活の目的や目標がつかめないばかりか、見つける自信をなくしてしまっているのが現実である。

 まさに「不安な時代」である。
 
 こうした中では、取りあえず身の回りの快適さを求めて、心理的な安定さを望み、個人としての存在感を確かめたいと望む人々が多く生まれる。
 
 人々は、身近な「本物」や直に確かめられる「質感」を求める。そして、それが消費のキーワードになっている。
 
 人はもっとも大切な生存の安心、安定、快適、満足を体に一番密着した触覚・味覚・臭覚として「食」に求めている。
 
 そしてその重要な「道具」としての陶磁器に「本物」「質感」を求め、不安な時代の不安な心が「本物」「質感」に注目している。
 
 この質感には、陶磁に限らず、木や石、鉄、紙、布、ガラスなど様々な生活に根ざしてきたモノたちが「本物」として強く求められているのは周知のとおりである。モノの持つ感触や温度、質量が注目されているのが今である。
 
 私のようなデザイナーは当然として、生活に密着したものづくりに関わる者全てが、自分の感覚=五感を磨き直し、生活者に贈る「愛のメッセージ」とは何かを考えることが急務である。
 
 <デザイナー、作り手、売り手の「五感」が愛をはぐくむ>

2.愛は「総合力」
 現代のように社会構造が複雑になってくると、デザインの現場も分業化され、それぞれの仕事が細分化さ れてくる。
 
 しかし、クラフトデザインとしての陶磁器デザインは、そのクラフト性ゆえに細分化を多少免れている。それゆえに、素材、原料から生産システム、流通までトータルなデザイン活動が必要になってくる。
 
 デザイナー一人一人は、ある目的性や機能性を保つという条件の下で色や形と言った点で他人と異なったデザインを生み出す仕事を、トータルな視野に立って常に要求されている。
 
 しかしながら、工業化、情報化の進んだ今日、似かよったバリエーション的作品(商品)が氾濫している。その原因は、おおよそ他のデザインをコピー化することから起こるのである。
 
 今日、陶磁器業界で未だイミテーション問題が発生している現状は、デザインという知的行為を行うべきトータルな視野を持ったプロフェッショナルなデザイナーの育成が進んでいない事の証でもある。
 
 デザインをいまだ「色柄」「形状」などと分離して考えている旧態の業界にあってしかりである。
 
 私は最近ではデザインを扱った、とりわけビジュアル的な雑誌は見ないようにしている。目前に情報やデーターばかり山積みしてしまうと、問題を解こうとする前に答えを見てしまう恐れがあるし、デザイン本来の総合力としてのダイナミズムと言う一番美味しいところを味わえなくなるからだ。
 
 デザインにとって大事なことは、自分が取り組もうとする領域のモノづくりの周辺の歴史や環境、背景などについて教養、知識を広げることだ。
 
 とりわけ陶磁器は、長い歴史と奥深い伝統のある素材、領域であり、「器」となれば「飲食」「料理」「旬」など日常の暮らしに密着したモノである。単に色柄や形では表現しきれるはずのない世界なのだ。使い手の心理まで読み取る、「心理学」の領域まで必要になってくる。
 
 陶磁器が売れないと叫ばれてもう長い年月が過ぎた。文頭に述べた様な「安さ」で消費者を納得させる時代は終わった。
 
 デザイナーも作り手も売り手も、陶磁器という素晴らしい「伝統文化」に携わっていることに誇りを持ち、生活者たちの「食文化」までも担っていることを肝に銘じて、ただちに新しい価値の創造に「総合力」を駆使して取りかかる必要がある。
 
<生活者は私たちからの「愛のメッセージ」を、今か今かと待っている>

3.愛は「共感と理解」
 どのようなモノでも計画、デザインされてしばらくすると、社会の選別を受けることになる。残したいモノなのか、あるいは何となく残ってしまうモノなのか、それをデザインしたり作ったりした者の意志にかかわらず、いつの間にか決定されてしまうのが常である。
 
 私が知る限り、陶磁器の現場では「残したいモノ」をつくるには、デザインやモノづくりに割り当てられる時間や空間そして経費があまりにも少なすぎると思う。
 
 デザインやもの作りに対して気の済むまで議論をし、時間を掛けるといった習慣が無くなってしまったのだ。その結果、消費者を納得させることの出来る=いつまでも消費者の支持を得る、残したいモノが生まれないのが現実である。
 
 「残るデザイン」の重要な条件は、モノを作り上げた人々の息づかいや思考(コンセプト)がより明確に感じ取れるデザインではないだろうか。
 
 デザインはその社会性と共に人々の潜在的な欲求を具現化する役割を持っている。ゆえに、社会全体を深く広く見る洞察力が必要である。
 
 とりわけ陶磁器デザインは、そのデザイナー個人の日常的視線や視野、生活への取り組みの姿勢、生活感覚が重要である。そのような視点でデザインが考えられたら、デザインはもっと身近で、「共感と理解」に満ちた、優しく楽しいものになると思う。
 
 デザインのプロにはプロに納得されるデザインも大切だろうが、ごく普通の生活者を感動させ、楽しませる、真に優しいデザインがあると素晴らしい。
 
 <ごく普通の生活者の「共感と理解」から愛は生まれる>

 
 長年、陶磁器のデザイン、プロデュース、コーディネイト、コンサルティング・・・などの業務をしてきた者として、また、フリーランスというある意味自由な立場で仕事をしてきた者として、デザインを「愛」と言い換えて書いてみた。
 
 フリーランスは「自由業」とも言う。自由で良かったと思うのがここに書いてきた「五感」「総合力」「共感と理解」の三つの「愛」を、だれの制約もなく、まさに自由に身につけるチャンスを、自ら作る時間があったことだ。
 
 もちろんいつも自由であったわけではない。今も含めて「不自由」もずいぶん味わっている。

 「愛」は常に生活者に向けられなければならない。
 
 もちろん「愛」は、自らに対しても、ある時は愛の鞭として・・・
 
 そうすれば、陶磁器は暮らしに愛を咲かせることが出来ると信じている。
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

加藤和彦の死

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昨日の突然の訃報・・・それも自死であった。

私と同じ歳、私の青春時代の「代弁者=同志」と言っても過言でない「加藤和彦」の死は衝撃である。

「帰ってきたヨッパライ」「イムジン河」「悲しくてやりきれない」「あの素晴らしい愛をもう一度」・・・

どのタイトルを聞いても当時の自分を鮮明に思い出す。

まさに「悲しくてやりきれない」だ。

ネットの報道によると、仕事の行き詰まり・・・「うつ」による自死とある。

自死は常にこうした構図で語られるがそんな簡単なものではないと私は思う。

人は仕事の行き詰まりだけで決して死に至るものではない。

様々な負の条件が重なり合って起こるものだと思う。


今、世間では「いじめ」「リストラ」「パワハラ」「多重債務」・・・と、人<子供から老人まで>を負に追い詰める要素は数え切れないほどある。

ここで言う「負に追い詰める」とは「不安」「孤独」に追い詰めることだ。

「負=マイナス」だからといって「プラス」を持ってくればよいと言った単純な発想では決して解決しない。

「マイナス」を出来るだけ少なくする、すなわち「不安感・孤独感」を減らす事が大切であると思う。


加藤和彦は「不安と孤独」に耐えきれず・・・合掌
恒例の「ランチ交流会」の報告です。

今回の参加者は6名。少ない人数だけに「コミュニケーション=交流」は、ばっちり!濃密でした!

毎度の事ながら「ランチ交流会・午後12時~14時」と決めてはいるのですが・・・今回も午後8時までになってしまいました。

これは、コミュニケーションの濃さもありますが主催者(私)がお酒と料理を多めに(かなり・・・)用意する結果でもあります(笑)。

さて今回のお料理は、「鶏手羽先と根菜のスープ」「まぐろのマリネ」「カツオのたたきイタリアン」「油淋鶏・ユーリンチー」「里芋の煮っころがし」「かにときゅうりの酢の物」「冷や奴三昧」の七品。

いつもの様にサンドウィッチは、セブンイレブン。

手前味噌ですが「鶏手羽先と根菜のスープ」は朝6時からことこと煮込んだだけあって旨かった!

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「鶏手羽先と根菜のスープ」

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今回初参加の I さんは、グラフィックデザイナー&「キャンドルアーティスト」

アーティスティックなキャンドルを制作し販売と共にキャンドルライトの演出まで手がけられる方です。


そこで話が盛り上がって、12月にHAギャラリーで「キャンドルナイト」をしよう!と言うことに・・・

こういう盛り上がり、私は大好きです。

乞うご期待!!!
10月も中を過ぎてしまいますます秋色が濃くなってきました。

今日は久しぶりの早朝ウオーキング、約1時間。

しばらくさぼっている間に街路の木々は色づき、季節の変化の早さ、時間の過ぎゆく早さをしみじみと・・・


10月10日からの常滑「一心窯展」の報告もさぼってしまい・・・今日土曜日やっとUPします。

今回の一心窯の土平栄一さんは常滑の若手のホープ。

アメリカの大学留学、水産大学、九州の大学で農学を学んだ後やきものの道に進んだという異色の経歴の持ち主です。

それが幸いしてかは分かりませんが、写真の様に多彩な表現を身に付けておられます。

私は常々、デザイナー、クリエーター、アーティストは、その時々の自身の心のあり方、その時々に対峙する素材やコト、時代背景などに真正面からぶつかり表現してこそ本物の表現者であると思っています。

私は◯◯が専門だからとか、私のスタイルは△△だからとかと称して同じ様な造形表現を繰り返す<自分が獲得した(と思いこんでいる)表現に固執する>クリエーターを決して信じません<偽物です>。

真にクリエイトしたい心は、素材や技法、表現を限定しないものです。


そういう意味で土平さんは発想豊かな自由な表現を持っています。

もちろんまだまだ若いだけあって未熟で未完成な面もありますが・・・これからに期待しています。

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$Heart Art 通信 <ライフスタイリストのつぶやき> $Heart Art 通信 <ライフスタイリストのつぶやき>             このワニは、中に「珍味おつまみ」が入っていて口の中に手を入れて取り出すというとても楽しいアイデアが大受けでした。
様々なコンペティションで受賞・入選を繰り返す土平さんが、こんなユニークな発想も出来るコトが大好きです。
昨日は名古屋伏見の「INAXショールーム」でINAX創業と文化活動「旧帝国ホテルのルーツ、そしてタイルのルーツ」と称したINAXライブミュージアム館長・辻氏の講演会に出かけてきました。

INAXの創業と常滑焼、その歴史、文化活動としてのライブミュージアム、帝国ホテルタイルへの真摯な取り組み・・・

それらが体系的にまた分かりやすくまとめられてとても素晴らしい講演会でした。

さすがINAXの文化活動のTOP、辻館長の真骨頂を拝聴いたしました。

常滑焼の歴史、魅力もたっぷり学ぶことが出来ました。

常滑との関係の長い私にとっては常滑の奥深さの再発見の場でもありました。


今回の講演会はインテリア、建築関係者を対象にしたものでした。

異ジャンル、異業種のとりわけ「空間系」のお話しは、私の頭のスケールを変えてくれます。

またそこで知り合った方々とのコミュニケーションや情報提供もとても役に立っています。


この10月、11月のNAGOYAは、様々なクリエイティブなイベントで盛りだくさんです。

WAKU・WAKUですね!