いくさはイヤでもやってくる

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ヴィンサガ20巻出ましたね。20巻!節目!

で、感想書く前に自分の過去記事を見返そうと思ったら、19巻の感想を書いてなかったことに気づきました。

そればかりかシュトヘル最終巻の感想記事もなくて自分で自分にショックを受けた。

書いたつもりで書けてないことが多いなあ最近。気を付けよう。

 

 

 

『ヴィンランド・サガ』20巻(幸村誠/講談社)

 

この表紙、今までで一番好きかも。

トルフィン……オットコマエになったなあ。

凛々しいのにとても哀しそうな。この表情にドキッとして本屋でしばらく見つめてしまった。

 

本人は変わりたいのに周りが変わらせてくれない。因果応報展開が続きます。

 

ガルムがどう絡んでくるのか非常に気になるところ。

昔のトルフィンに似てますよね彼。

ガルム君は死ぬために戦っているのかな。

それとも殺し合うことでしか生を実感できない系?

 

映し鏡のようなガルム君を変えることが出来ればトルフィンも前に進めそうですが、そんなに主人公に都合のいい世界じゃないし。

むしろトルケルとガルムが笑いながら相打ちして、トルフィンたちが一層ヴァイキング社会との溝を深めて楽土へ逃れていく方が自然な展開に思えてしまうよ。

狼を間引く発言とか、逃げてもいいんだよ発言とかあるからさ……。

 

トルケル相手に乱暴な口調になるトルフィンはちょっと微笑ましかったです。

トルケルもノルド戦士の悪いところを凝縮したような人だけど、突き抜けてるから嫌いになれないんだよなあ。

て言うか今何歳よトルケル。衰えなさすぎィ。

 

 

トルフィンとギョロ目のやりとりが辛い。

「誰も殺したくない」「大事な人を救いたい」「殺さずには救えない」

どれが間違いで正しいとかじゃないのに天秤にかけるしかなくて、いっそ天秤にかけてしまった方が楽なのに、どちらかに傾くこと自体、自分を裏切ることになる。

でも、仲間に泣いて頼まれたらどちらかに傾かずにはいられないよな。

 

トルフィンに「選ばせる」のがギョロ目、ってのが割と容赦ないキャラクター配置だと思うのです。

 

ちょっと妄想入りますけど、

ギョロ目は自分がトルフィンに間違われて救われたのを自覚していて、そんでレイフさんが人生捧げてトルフィンを助けようとしてるのを傍で見てたわけでしょ。

トルフィンが羨ましかったり、自分が本当のトルフィンじゃなくて申し訳ない気持ちになったこともあるのでは。

それでも救ってくれたレイフさんのことを誰より大切に思ってる。

レイフさんに与えられた人生、それ以上のものはない。

だからレイフさんを助ける以外に答えはない。

 

トルフィンもそれがわかってるから、ギョロ目の頼みを断れない。

あー、もどかしいよ。酷いよおかしいよ、誰も悪くない負のスパイラル。

 

もっと言うと、レイフさんのことがあるから余計に、ギョロ目はトルフィンに対して「しっかりしろよ!」って気持ちになるんじゃなかろうか。

ギョロ目はドライで割り切ってて、最初から答えが出ている人。

ウエットでしがらみから抜け出せなくて、答えに悩んでいるトルフィンとは対照的。

 

だからなのか、ギョロ目がトルフィンに発破をかけるシーンがあると感慨深いです。

母上に会いに行く時の「なんならオレが代わりに親孝行してきてやろうか?」とか。

ヘンに気をつかわないギョロ目のドライさが好き。

 

 

シグやんへの友達発言も印象的でした。

この作品の「友達」に込められた意味って重いんだよな。

私の中ではすっかりコミカル担当癒し枠のシグやん。

時代に染まらず、番狂わせになってくれるかな?

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前記事で、アニメ「ザ・リフレクション」の最終回がゲド戦記を彷彿とさせる…てなことを書きました。

作中で描かれる光と闇の関係性が似ているなと。

 

そしたら読みたくなって我慢できなかったので再読しました。

『影との戦い』。

 

 

 

『影との戦い ゲド戦記1』岩波少年文庫
(アーシュラ・K. ル=グウィン作 清水真砂子訳/岩波書店)


アースシーのゴント島に生まれた少年ゲドは、自分に並はずれた力がそなわっているのを知り、真の魔法を学ぶためロークの学院に入る。進歩は早かった。得意になったゲドは、禁じられた魔法で、自らの〈影〉を呼び出してしまう。(カバー裏表紙より)

 

 

もうめっちゃ面白いの。
中学・高校・大学生時代の計3回は読んでるはずだし、まぎれもない古典的名作だし、私がここで感想書くのも今更感があるとは思うのですが、それでも言いたい。
めっちゃ面白いよー!

多島海(アーキペラゴ)から成る異世界アースシーを舞台にした「ゲド戦記」。
ハードカバー版刊行当時は三部作と思われていたものの、かなりの年数を経て第4巻が発表されました。
現在は岩波少年文庫で全6巻のシリーズとして再構成されています。

1『影との戦い』
2『こわれた腕環』
3『さいはての島へ』
4『帰還』
5『ドラゴンフライ アースシーの五つの物語』
6『アースシーの風』

邦題はゲド戦記ですが、ゲドが中心人物として出てくるのは3巻目まで。実質主人公なのは第1巻のみ。
4巻目以降は作者自ら作品世界の在り方を否定し再構築していくので、ゲドの物語と言うよりアースシーに生きる人々の物語になっています。
『こわれた腕輪』と『ドラゴンフライ』が好きだな。

そして私の中で『影との戦い』は格別です。
子どもの頃に読んで、ストーリーにいたく感銘を受けたからなあ。


のちの大賢人にして竜王、魔法使いゲドの知られざる少年期を描いた物語。
ハイタカ、真の名をゲド。
田舎の島でヤギ飼いやってた少年が魔法学院に入学して、竜退治をして、世界を舟で旅して、得体の知れぬ影と戦う。

これだけ書くとドキドキワクワクなスペクタクル冒険ファンタジーって感じだ!
でも、文章が冷静で俯瞰的だからか、とても静かな印象を受けます。
バトルシーンや魔法は決して派手なものではなくて、登場人物の問答や内面描写の方が鮮烈です。

例えばペンダーの竜との戦い。
ここって作中でも特にファンタジー的な(珍しく魔法で戦う)シーンにもかかわらず、竜に打ち勝つ決め手は魔法の一撃ではないのです。
竜の甘い言葉に抗い、誘惑を退けた末に決着がつきます。
改めて読むと象徴的だ。

魔法使いのくせに魔法を使わないのがアースシーの魔法使い。

「この石ころを本当の宝石にするには、これが本来持っている真の名を変えねばならん。だが、それを変えることは、よいか、そなた、たとえこれが宇宙のひとかけにすぎなくとも、宇宙そのものを変えることになるんじゃ。(中略)わしらはまず何事もよく知らねばならん。そして、まこと、それが必要となる時まで待たねばならん。あかりをともすことは、闇を生みだすことにもなるんでな。」
 

小石をダイヤモンドに変えたゲドに対する、手わざの長の台詞。哲学っぽい。

ゲド戦記の魔法観好きなんですよね。
RPG的にバンバン使える魔法も夢があるけど、魔法=万能ではない方が腑に落ちる。
科学が使い方次第で世界を滅ぼすのと同じように、魔法にも制約があり世界の法則の上に成り立っている、そういう描かれ方が好きです。

血気にはやる少年だったゲドは最初それに気づけない。
なまじ優れた力を持っていたために、慢心とプライドと対抗心におぼれて〈影〉を呼び出してしまう。

以来、彼は不安と恐れと自己不信に苛まれて生きる。
過ちを犯して初めて魔法を使わないことの大切さ、世界の均衡について理解し始める。
逃げ、追いかけ、最後にようやく影の何たるかを知る。

ゲドという人間が出来上がっていく過程のなんと愛おしいことか。
クライマックスに向けての精神的な高まりがすさまじくて、そういう意味では何にも増してドキドキワクワクします。

ゲドが影の名を呼ぶシーン!
この後の地の文がすっごい好きで……引用したい……
しかしこの文は、物語を読み進めて自力でたどり着いてこそ意味がある。
とにかく文庫版307ページ8行目から14行目の文章がさ、たまらんな。

本作の醍醐味は魔法で何かをすることではなく、魔法を理解すること、自分と向き合うことなんだと今ではわかります。
影とゲドの対峙。初めて読んだ時は衝撃でした。
もちろん大人になった今でも感動的ですが、主人公ゲドへの共感は自己確立に悩む学生の時期に触れてこそって気がします。
だから児童書なんだろうなこれは。

 

理屈は置いといて、ロークの学院生活とかカラスノエンドウとの友情とか、島から島への船旅とか楽しいよ。
ゲドと行動を共にする小動物のオタクも可愛い。

オジオン師匠が良いんだ。
沈黙をもって語る姿勢も、ゲドを導く言葉も愛情深くてジンときます。
少年時代のゲドは傲慢だけど、ちゃんとオジオンへの愛情に気付くあたり憎めないって言うか。いとしいハヤブサめ。

でもって冒頭に出てくる『エアの創造』が素晴らしく詩的だ。


 ことばは沈黙に
 光は闇に
 生は死の中にこそあるものなれ
 飛翔せるタカの
 虚空にこそ輝ける如くに

 

もうこれだけでカッコよくて痺れる。

本編を最後まで読んだらさらに痺れることは間違いない。
 

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はじめてリブログ機能を使ったんですが、ちゃんと出来てるかな。
前記事に引き続き、アニメ『ザ・リフレクション』感想です。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


最終話「ザ・リフレクション」。

正直言って、すごく好みの最終回でした。
見たいと思ってたシーン全部見れた。

黒幕を前にしての最終局面。
意外にも相通じるアイガイとナインスワンダー、
向かい風に逆らって進むリフレクティッドたち、
「光と闇」に対してエレノアの出した答え、
最後の最後まで揺るがないエクスオンというキャラクター、
どれも熱かった。

女子高生がどう絡んでくるのかと思ったら。
4人だけ日本のアニメから抜け出てきたみたいで(笑)
こういうメタ感嫌いじゃないし、アイガイと歌で通じ合ってるのが微笑ましい。
四人組を身を呈して守ったアイガイは、間違いなく本物のヒーローだよ。
「80年代の曲はないのか」と「あのロボット、おじちゃんなん?」が妙にツボりました。

と言うか最初らへん、能力的に非戦闘員のはずのマイケルが杖で思いっきり敵をハリ倒してて笑っちゃったりとか、やべー女子高生マジ魔法少女wwwとかツッコミながら観てたのに、気づいたら泣きそうになってたんですよ。
逆風の中で、皆がレイスへにじり寄る姿にグッときちゃって。

この時、皆リフレクティッドの力を失ってましたよね。
スーツを脱ぎ捨ててレイスに飛びかかったアイガイも、這ってでも「前に進む」と言ったリサも、互いを支え合って歩くヴィーとマイケルも、〈選ばれた者〉ではない普通の人間に戻っていた。
そこにあるのはただ人間としての意志の力。
私はこういう描写にとても弱いです。

クライマックスなんだから、特殊能力でドンパチ戦うヒーロー大決戦を描こうと思えば描けたはず。でも描かない。
『ザ・リフレクション』がそういうアニメだったことに感動しました。


リサとマイケルがエレノアへの思いを口にするところ、見たかったシーンのひとつです。
嬉しいなあ。旅の途中で得た仲間が、はっきりと声に出してエレノアのしてきたことを肯定してくれるのは。
それはエレノアがずっと求めていたことだと思うので。

もうひとつ見たかったシーン、元の姿に戻ったヴィーが見えないマイケル。
マイケルは本当の意味で全盲になるより殻に覆われたヴィーが見えなくなる方が辛いのか、それとも元の姿のヴィーがそばにいれば暗闇で生きる方がよほど良いと思うのか、どっちだろうなと脳内妄想を繰り広げてた矢先にこの本編ですよ。
結果として「私があなたを守る」「俺もだ」っていうこの2人やっぱりめちゃくちゃ萌えるな。
ヴィーが少ない時間・少ない言葉で、本当に伝えたいことだけを伝えてる(そもそも言葉はいらなさそうな)感じとか。
普段の一人称「私」の男がふとした瞬間に発する「俺」の威力は凄まじいぞ。
 

 

そしてエレノアとレイス。光と闇。

10話でのまさかの兄妹展開に興奮しましたが、レイスが本物のイーサンと言うわけではないんですね。
エレノアが無意識下で心の中に兄を作り出していた。
エレノアの中の闇(イーサン)がリフレクション時の煙を浴びて具現化したのがレイスってことなんでしょうか。

エレノアの光の能力=テレポートで、煙の能力=レイス?
レイスを生み出したのはエレノアで、両者は表裏一体。

スティール・ルーラーがエレノアに「お前は闇を感じさせない」と言ったのは、エレノアの中の闇がレイスに収束されていたからなのかな。
でも、闇を自己から切り離すという行為が実は間違いで、闇を抱えてこそ人は強くなる。
闇を拒絶するのではなく、闇もまた自分自身であると認めた時、エレノアは自分を取り戻すことが出来た。
 

なんてこったー。これはゲド戦記理論。ゲド戦記理論じゃないか。

※ゲド戦記理論とは
 ことばは沈黙に 
 光は闇に
 生は死の中にこそあるものなれ
 飛翔せるタカの 
 虚空にこそ輝ける如くに
 (古代の詩『エアの創造』より)

あ、そうか。この作品はアメコミ版『影との戦い』だったんだと思うとスゲーしっくりきます。
光in闇、闇in光の構図。

「闇に寄り添って、闇を自らのものとしてこれまで生きてきた。だからあなたの闇に染まらなかった、だから強いの」
「自分に縋ることはできない。自分で自分を消し去ることも」
「私は私の闇を抱えて生きると決めた」


エレノアの答えが好きです。
そしてその答えを見つけ出すには、誰かに縋るのではなく自分で考え自分で決めることが必要だ、と一貫して示し続けてきたのがエクスオンというわけで。

「もう充分世界は闇に覆われている」
「闇の中で光を目指す方がまあ、性に合ってる」


基本冷めてて達観した立ち位置にいるエクスオンだけど、エレノアやイアンの中に混在する光と闇を、決して否定はしないんですね。
光と闇の在り方については、エレノアと少し意見が違うようだけど。
二人の会話、軽口めいたやりとりで嬉しくなりました。そうだよこういう会話が聞きたかったんだー。
エレノアとエクスオン、対等に自己を主張し合えるようになったんだなあ。


で、答えを示された上でレイスを見ると、彼もまた「縋る者」だったんだという気がしてきました。
ひたすらダークネスとの同化を望んでいたレイス。

同化は自立とは対極にあるものです。
闇を自分自身だと認めたエレノアにとって、レイスはもはや彼女の闇ですらなくなった。ちょっと切なくも思えます。

スティール・ルーラーがレイスを見限ったのも、彼がうつろな、自立し得ぬ者だと気づいたからでしょうか。
自己確立のために妹を犠牲にしたことへの義憤もあったのでは…と思いたくなりますが。願望入ってますね。
彼女の目が優しい茶色だったのが印象的です。やっぱりエレノアを見ていたのかな。

レイスにトドメをさしたのがアイガイなのも好印象。
アイガイ個人の落とし前もつけられたし。
最後に闇を打ち倒すのが卓越した超人ではなく人間ヒーローだなんて、かっこいいじゃないかアイガイ。
 

 

前記事にも書いたように、私はこの作品を「エレノアの物語」だと思っているので、彼女の問題にきっちりと決着をつけたラストが気に入ってます。
エクスオンがリフレクション以前からの能力者だったのは、何と言うか、作品世界の広がりが感じられて好き。

最後の終わり方は…。
ハリウッドのホラー映画にありそうな、続き作れたら作るね~そのための余地は残しとくね~的な感じなのか、ガチでWAVE TWO制作が決定してるのかどっちだろう。
個人的に小説展開とかしてくれたら嬉しい。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

余談ですがサントラ買いました。
最初は本編とのギャップに戸惑ったEDも、今ではつい口ずさんでしまっている…。
レイス(世界を闇で満たす)へのアンチテーゼとしてのサンライズだと思うと胸熱だな。
最終回自体、美しき夜明けだったしな。
ビューティフォーサンラーイズ!

 

 

 

 

 

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NHKで放送中のアニメ「THE REFLECTION」。
 

観てます。
最終話放送後にまとめて記事書こうと思ってたんですけど、昨夜放送回がいろいろ衝撃的だったので今語りたい。
さらっとネタバレしてるので注意。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



第10話「エレノア」。
 

エレノア! エレノアどうなってしまうんだ!
闇堕ちとか敵の手に落ちたとかのレベルじゃなくて「死んだ」ってなんだよ。
いやきっと復活するんでしょうけど、完全に体乗っ取られてるじゃないですか。

私は3話でエレノアが「(自分には)居場所はないの」と言い放った時に、ああこの作品はリフレクション現象とか敵対勢力の戦いといった地球規模の物語である以上に、「エレノアの物語」なんだと思って、彼女がどこに自分の居場所を見出すのかを楽しみにしていました。
なので、ここへ来てレイスの手を取ってしまったことにドキドキが止まりません。

「自分の存在を認められる場所」を切実に求めていた人が、精神ごと消失してしまう。なかなかにエグい展開ではありませんか。
それも双子の兄の手によって。
死んでいる=存在しないことによってエレノアの存在を脅かしてきた兄の。
生きてさえいたら、一番近くで互いを認め合えたはずの双子の兄の。

ウウッ…酷い…
こういう展開大好き。

ドン底みたいな状況からいかに這い上がるかが物語の醍醐味ってもんですよ。


3話の伏線を回収したレイスの正体。
〈双子の兄〉はエクスオンかレイスどちらかだろうと予想はしていたものの、まさか妹の体を乗っ取るとは思いませんでした。
しかも救い上げるフリをして追い詰める言葉の暴力。

声音はすごく優しいのに、内心はエレノアに寄り添う気なんかちっともないんだろうってのがなあ……

イーサンお前ってやつは。お兄ちゃん失格。
もしかすると、ダークネスの偉大な目的のために役立てるなら幸せだ、という歪んだ愛なのかもしれないが。

逆にエクスオンはエレノアに素っ気ないけど、それは他者依存ではなく自立による存在認証を促しているから。
でも、伝わらないよなあ。
人間、ハッキリと言葉と態度で「あなたはここにいて良いんだ」「あなたが必要なんだ」と言ってほしいんだよね。
安心したいんだよ。

だからエレノアがエクスオンに不信を募らせて、レイスの言葉にのせられたのもわかります。
エクスオンが一言、自分にはエレノアが必要だと言ってやれば結果は違ったかもしれません。
もどかしいなあ。

レイスがエレノアを求めた理由は、単にイーサンに実体がないゆえに、器となる肉体を欲したから?
それともエレノアにはまだ別の(ダークネスの目的遂行に必要な)能力がある?
イーサンが肉体を得たことで使える能力があるとか。

〈行方不明になったアレンの血筋の男の子〉も関わってくるはずだし、そもそもダークネスってなんなのっていう。
残り2話で全部解明されるのでしょうか。

個人的には、リフレクション事件の根本的解決までいかなくても、復活したエレノアがレイスを倒して、自分の居場所を見つけ出すまでを描き切ってくれれば満足です。
誰かに必要とされなくても私は生きる!くらい振り切れてくれても嬉しいし、いい加減エクスオンさんにデレてもらいたい気もします。

彼があんな感じだからか、エレノアに自分を重ねたスティール・ルーラーがエクスオンに怒りをぶつけるところグッときました。
エレノアの心を一番理解できるのが敵であるスティール・ルーラーって、この関係性面白い。

ミスターミスティックが晩餐云々って言った時、えっこの二人が夕飯の支度すんの?ってちょっと笑っちゃいました。

まあフレイミングさんは自前で火を起こせるし、スティール様は包丁も鉄鍋も自由自在なので楽勝だな。
とか言って普通にキッチンで支度してる姿もそれはそれで見てみたい。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


この作品は正直、テンポや間の取り方や作画やらもうちょっと何とかならんのかいなと思う部分もあるのですが、ストーリーに引き込まれて毎週楽しみにしています。
毎回やたらと引きが良い。
本編にEDのイントロをかぶせてくるやつ。あのカッコいいやつ!

あとキャラクター相関がすごくいい。
エレノアとスティール・ルーラーのシンパシー。
エクスオンとの旅で少しずつ強くなっていくエレノアと、二人のすれ違い。そこにつけ込むレイスの思惑。
一番キャッチーなヒーローのアイガイが主人公一行とは別行動してたり。そんでダークヒーロー化したり。
影の中にいるようなリフレクティッドたちの中で、迷いなく自由に進むリサがまぶしい。

マイケルとヴィーがめっちゃ好きです。
撃つなと叫んでヴィーの前に立つマイケルと、マイケルに向けた拳をもう片方の手で抑えるヴィーに猛烈に萌えた。愛だね。
マイケルのカットにちょいちょい右手薬指の指輪が映るのもポイント高いです。


「(リフレクションは)皆に平等に起こったわけではなかった」「私たちは選ばれてしまった」という台詞があるように、力は誰しもに平等に与えられたわけではない。
かつて「自由と平等の国」と言われたアメリカで、不平等が前提になってるのが皮肉だな。
選ばれてしまったからこそ、その先を自らの意思で選ばなくてはならない。
与えられた力で何を成すかは自分次第…という信条が根底にあるように思います。

アメコミの世界観で問われるヒーロー性はやっぱり燃える。
 

 

 

 

 

アルチンボルド展感想

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突然ですが、『はてしない物語』に出てくるアィウオーラおばさまをご存知でしょうか。


本物の花や実がいっぱいついた帽子をかぶり、本物の花や葉で出来た服を着た、「その人自身、どこかりんごを思わせ」る女性。
でも、じつはそれは帽子ではなく、花や実は彼女自身から生えているのです。
彼女が喜ぶと花は満開になり、悲しむと枯れてしまう。
おばさまは赤子に乳を与えるように、自分の体からもいだ果物を食べさせてくれます。

自在に姿を変える家に住み、主人公を慈しんでくれるアィウオーラおばさまが私は大好きなのですが、どこが好きなのかと言えば、第一にキャラクター造形でしょう。

植物と人が一体化した身体、彼女自身が植物であるような描写は何度読んでもうっとりします。
なんかもう理屈ではなくヴィジュアルが感性のツボのド真ん中なんですね。

 


なので初めてアルチンボルドの絵を見た時、一目で好きになりました。

野菜や果物を組み合わせて描かれた人の顔。
人が植物と化したようにも、植物が人の形を成しているようにも思える生き物。
アィウオーラおばさまと同じ、人×植物の造形美を感じます。

 

 

 


と言うわけで行って来ましたアルチンボルド展。
 

会場は国立西洋美術館。東京・上野。
公式ツイッターによると地方巡回がないそうなので、思い切って遠出しました。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

ジュゼッペ・アルチンボルドは、16世紀後半に活躍した宮廷画家です。
彼の描いた肖像画はただの肖像ではなく、人物の顔が様々な〈もの〉を組み合わせた寄せ絵・だまし絵になっているのが特徴です。
〈もの〉は花や野菜だったり動物だったり。

アルチンボルドの作品を本格的に紹介する美術展は日本初なんだとか。
見どころは一堂に集結する「春」「夏」「秋」「冬」の連作『四季』。

絵は好きだけどあんまり詳しくは知らないよ!という状態で見に行ったので、いろいろ目からウロコでした。


まず16世紀の人で宮廷画家だったことに驚きました。
シュールレアリスムな感じの絵だから、なんとなくもっと新しい時代の生まれで、自分のアトリエで自由に創作した人なんだと思ってた。

でも実際に絵を見ると納得。

彼の肖像画には特定のモデルの顔を寄せ絵で描いたものと、『四季』や『四大元素』など概念を擬人化したものの2パターンあって、前者の中にはモデルを風刺したものもあります。
「法律家」なんかこれ、明らかにバカにしてるわ。

魚で出来た口の形とか、完全に笑かしにきてるわ。

こんなふうに肖像画を面白おかしく描いて、王家の人たちを楽しませるのも宮廷画家の仕事だったのでしょう。

アルチンボルドの絵って、自己表現じゃなく人を楽しませるために描かれたものだったのか。
そのへん全然意識してなかったので新鮮な驚き。

「紙の自画像(紙の男)」で、自分の顔を紙で表現してるのも面白い。
これは自虐なのか自尊なのか。

普通の肖像画や動物の素描も描いていたのが意外でした。
獣や魚の習作はとても細かく写実的です。
だから寄せ絵にも立体感や実体感があるんだなあ。


しかしやっぱり、私の中のザ・アルチンボルドは、植物の姿をした人(人の姿をした植物?)。

『四季』、特にキービジュアルになっている「春」。
描き込みは細かいし色はきれいだし、美しいのにユーモラス。ユーモラスなのに美しい。
首まわりの白い花が淡く光っているように見えたのが印象的でした。
これは生で見れて良かった。みんな惹かれるのは同じなのか、この絵の前に一番人が集まっていたように思います。


「夏」の鮮やかなサクランボ、「秋」のたわわに実ったブドウの髪の毛。
植物の持つ、何と言うか豊穣感? 生命力や瑞々しさが、そのまま季節のイメージと重なっていて惚れ惚れします。
うーん、アィウオーラおばさまだ。

「冬」の笑ってるような表情も好きです。和む。
レモンがいいアクセントになってるね。


そして、一番見たかった『庭師/野菜』。
(初めて知ったアルチンボルドの絵がこれなんです)

この満面でベジタブルを主張してくる感じ! たまらんな。
思ってたより小さくてビックリしました。
まるごと野菜のゴロっとした絵面から、なんとなくビッグサイズを想像していたよ。
でもよく考えたら、肖像画かつ静物画なんだからそんなに大きく描く必要もないか?
こじんまりしててかわいい……部屋に飾りたい。

『庭師』を上下逆さにすると『野菜』になるので、どちらも見られるように隣にレプリカが置いてありました。
ひっくり返すと別の絵になるの面白い。アハ体験だ。
この絵に『庭師』と名付けるセンスにしびれる。


アルチンボルドに影響を与えた画家(ダヴィンチとか)の絵や、アルチンボルドから影響を受けた画家の絵も併せて展示されています。非常に勉強になりました。
ヴェンセスラウス・ホラーの「擬人化された風景」、めっちゃ好みだ。
他の人がアルチンボルドに寄せて描いた絵もあったけど、細部の細やかさとか光の具合とか、本人とは全然違うんだよなー。

 

 

あと、入口の前に「アルチンボルドメーカー」があったので記念撮影してきました。

 

モニターの前に立つと、自分の顔がアルチンボルド絵画っぽく表示されます。



やだ……美味しくなさそう(笑)

 

 


グッズもいっぱい買ってしまった。
『四季』のポストカードを入手できたのが嬉しいです。並べて飾ってニヤニヤしよう。


平日に行ったのですごく混んでるわけではありませんでしたが、なかなか絵の正面に立てないくらいの人はいました。
チケット売り場にも列が出来ていたのでオンラインで事前購入がおススメです。
(私は公式ページのリンクから買おうとしましたが、何度やってもエラーになったので結局イーチケで買いました)
9月24日までなので興味のある方は是非。

公式サイトのデザインもイイ感じ。