●広島電鉄在来車の一例●
広島電鉄350型352号車
広島電鉄852→広島電鉄352
千田車庫
2006年5月26日
正面方向幕や正面左右窓のヒサシなど1900型と共通仕様が見受けられる。搭載された冷房装置も三菱電機製CU77A(21,000kcal/h×1)を搭載しもと京都市電1900型の仕様が現在の市内線車輌の基本形態となっている事が分かる。
●広島電鉄時代●
広島電鉄入りに際しては主に正面部・方向幕周りが改造されました。方向幕の大型・電動化と京都時代に付いていた「ワンマンカー」行灯の撤去、運転台の窓下に青色のワンマン表示板が設けられ、ヒサシの取付、中央窓のHゴム化が行われました。当時の広島電鉄の路面電車は正面腰部に黄色菱形の警戒塗装が行われていましたが1900型については行われずに1980年代は主に広告車両としても使われていました。側面部はベージュ一色だったドアを塗り分けに変更されて前後戸改造時に埋められていた中扉脇の広い吹き寄せに車掌用小窓の取付けられました。1908号以外は旧後扉部の締切窓を開閉できる様に改造されて現在でも京都市交通局の局章をあえて各車両ドア付近に残しています。
1912号車に残る京都市章と
分かりやすい車輌諸元
江波車庫
2005年5月26日
前面・側面の系統板受け下部の広告を取り付ける部分に『かも川』『あらし山』『祇園』『嵯峨野』など京都にちなんだ愛称を取り付けました。
また、車体の全面的な補修も行われ、屋根上部は、集電装置をビューゲルからZパンタに交換し台車や電動機などの走行装置は京都時代のままで使われました。
中扉について広島電鉄入りした直後は各車で違いがあり、木製タテ棧2本、木製タテ棧なし、軽金属製がありましたが2000年代に前扉・中扉ともアルミ製に交換しました。
広島電鉄1900型は路面電車としてはかなり早い段階で冷房改造が行われ1980年に運行を開始し、1901・1913号車は富士電機製(25,000kcal/h×1)を搭載しました。バス用クーラーのコンプレッサーを直流600Vモーターで駆動する構造でした。クーラーユニットが屋根上には置かず非冷房車との識別が外見上困難でした。しかし構造が特殊であることと冷房能力に問題があり、後日CU77形に換装されました。ただし、他のCU77形を搭載する車両は冷房補機を床下に配置しますが、1901・1913号車に関しては逆に冷房補機を屋根上に置く形に変更されました。
翌年の1981年に冷房化改造された1902 〜 1904号車は三菱電機製のCU127(10,500kcal/h×2)を搭載しました。 1982年に残りの全車が三菱電機製CU77A(21,000kcal/h×1)に冷房改造されました。広島電鉄では1900型の冷房化改造がその後の広島電鉄の冷房機器選定のテストケースとなり、その後三菱電機製CU77A(21,000kcal/h×1)のMDA方式による冷房改造は標準的な物になっています。
広島電鉄1900型1906号車
千田車庫
2005年5月26日
広島電鉄1906号(もと京都市電1920号)は京都市電全廃日の最終便(京都駅前発烏丸車庫前行き)に使用された。
2000年代には、落雷事故を受けて避雷針が更新され、砂撒き装置が車掌台の場所に設置されました。
京都の地名の愛称板は2001年頃から一時掲出を止め、系統番号のプレートとその愛称板を掲出する台だけが残された時期がありましたが2006年3月に愛称板を新調し復活し、現在も使用されています(広島電鉄での撮影は2005年のため名称台座のみ左窓下に付いている)。
冷房化改造された現在の1912号車
もと京都市電1928
江波車庫
2005年5月26日
今年で製造から既に60年が経ち広電時代のほうが京都時代よりもはるかに長くなってますが出口の構造が広く収容力も充分で乗務員の評判が良い事から現在でも全車が健在です。
●京都市電900型
◆型式 900型
◆登録年 1955年・1957年
◆寸法 長12,880× 幅2,430 × 高3,810(㎜)
◆車輌重量 16.0㌧(901 〜 915)
17.0㌧(916 〜 935)
◆主電動機 SS60
◆電動機出力 60HP×2(45.0kW×2)
◆ 台車 FS-65A 弾性台車(901〜915)
FS-65 台車 (916〜935)
◆定員 86名(着席42名)
●広島電鉄1900型
◆登録年 1957年
◆寸法 長12,880× 幅2,440 × 高3,815(㎜)
◆車輌重量 18.5〜18.6㌧(現在)
と
大阪市電2635だった広島電鉄910
江波車庫
2005年5月26日