静岡鉄道駿遠線は海岸線沿いに走ったり田園地帯をのんびり走るなど、どこを撮っても絵になるような景色のなかを走っていました。もし現在でも残っていたら観光鉄道として注目を集めていたでしょう。





また、ここで活躍する車輌も個性的な車輌ばかりで、駿遠線の魅力を更に引き立てています。

最盛期には120輌余りのディーゼル機関車やディーゼルカー、客車貨車が在籍して旧藤相鉄道や中遠鉄道からの引継車や鞆鉄道や草軽電鉄からの移籍車、そして静岡鉄道駿遠線の工場から誕生した自家製車輌が活躍していました。
全ての車輛を説明するには膨大すぎるので袋井市教育委員会作成のパンフレットの写真のなかから幾つか解説します。





🔵気動車



○キハD5


1935年、中遠鉄道が東亜工作所で製造した機械式ガソリン車で中遠時代の番号はキハ3です。製造した東亜工作所は他に鉄道車輌

戦後にいすゞ製トラックのエンジンと変速機を流用しています。
前後に荷台を備えて小規模な貨物輸送にも備えていました。軽便鉄道では仙北鉄道や尾小屋鉄道、井笠鉄道などにあり、1067㎜軌間では北陸鉄道能登線や羽後交通横荘線、加悦鉄道など各地で見られ、加悦鉄道キハ101は現在でも動態保存されています。

キハD5は旧中遠鉄道区間を中心に活躍し、時には藤枝方面まで顔を出すこともありましたが1967年の旧中遠鉄道区間廃止に伴い廃車解体となりました。



寸法(L × W × H)(㎜)
:11,200 × 2,128 × 3,200
重 量:11.4㌧
原動機:
 いすゞDA45(90ps/2600rpm)
制動装置:手動・空気
定 員 :52名(座席26名)
最高速度: 77.7km/h
製造年月:1935年3月
製造  :東亜工作所



○キハD14




静岡鉄道が終戦後から昭和40年代初頭まで、各地から中古電車や客車・気動車を調達する一方で古くなった電車の車体更新を行い体質改善を図りました。

車体更新と言えど車体の鋼体化から車体の延長、更には車体新製を成し遂げて静岡鉄道を引退後は熊本電鉄や日立電鉄、福井鉄道に移籍して福井鉄道300形となったものは2006年までの40年間を現役で活躍し、自家製電車ながらも車輛メーカーのものと遜色無かった事が分かります。



1959年3月に竣工したキハD14は静岡鉄道袋井工場で設計から製作まで行ったもので製作期間は半年間で行われました。
エンジンはDA110、変速機はTX80とあります*が、製造年月から推するとエンジンは新品で変速機は旧型車の流用だったかもしれません。前面は湘南スタイルと称される全面二枚窓で側面はバス窓という出立ちです。

台車は鋳鉄台車のような独特なものですが、秋葉線のモハ7・8で見られた独特のもの。偏心台車だったので静岡市内線の流用品だったかもしれません。

因みに自社製ディーゼルカーの制作費は材料費250万円+工賃50万円の占めて300万円です。
当時の価格なので現在の価格と一概に比べられませんが1964年に製造された空調完備の高速観光バスが1輌800万円とするとかなり格安に仕上がったと思います。



駿遠線ではこのあとキハD20まで6輌の自社工場製ディーゼルカーを製造し、そのうちキハD15・19・20は総括制御出来る岡村製作所製トルクコンバーターを搭載するなど当時最高水準程度の性能を誇るものでした。トルクコンバーター付のキハD15は材料費275万円+工賃80万円と少し高くなったもののキハD16は従来のトラック部品流用のため材料費165万円+工賃80万円となりました。




全体的には似た外観ですが、乗務員扉が付いたり運転台窓下の通風器が拡大するなどの改良が重ねられています。


静岡清水線ではカルダン駆動の高性能電車を登場させ、当時最新鋭の技術を導入した自家製電車を製造した中小私鉄は栃尾電鉄(後の越後交通栃尾線)と静岡鉄道だけでした。


♦キハD14

寸法(L × W × H)
:11,500 × 2,130 × 3,170
重 量:11.0㌧
原動機:
 いすゞDA110(105ps/2600rpm)
制動装置:手動・空気
定 員 :60名(座席34名)
最高速度: 63.8km/h
製造年月:1959年3月
製造  :袋井工場



🔵ディーゼル機関車


○DB607



駿遠線名物の小型ディーゼル機関車です。
国鉄赤穂線建設のため廃止された赤穂鉄道より転入したDB606(旧赤穂鉄道DL102)以外は全て自社の大手工場や袋井工場で製作されたものです。


従来の蒸気機関車が戦中戦後の酷使により老朽化が進行し、保守点検に手間が掛かるうえ故障も増えました。
戦後混乱期ではまだ配給制だった石油や電気より万能燃料だった石炭の高騰も手伝い駿遠線は早くから内燃化を目論んでいたのです。


製造当時の1951~1954年は燃料事情も好転し、蒸気機関車を廃車して足廻り部品を流用し、自社工場でディーゼル機関車製造に踏み切りました。

記念すべき第一号機(DB601)は藤枝市内にあった大手工場で製作されました。当初はL型だったようですが凸型に改装され
ました。製作費は1,159,800円でした。当初は廃車発生品と思われる金剛DA60を搭載していますが後にいすゞDA110~120に換装されています。



その後DB609まで大手・袋井工場で蒸気機関車の足廻りにトラックのエンジンと変速機を搭載して誕生しました。逆転機がなかったため端単式で終点に着くと方向変換をせねばならず蒸気機関車時代の転車台を使用しました。そのため端単式のディーゼル機関車は"イノシシ機関車"と呼ばれていました。



但しDB606は国鉄赤穂線建設のため廃止された赤穂鉄道からの転入車(DL102)で森製作所で製造されたため厳密には自家製ではありませんがその後エンジンの換装など行い性能的には遜色なくなりました。但しこの機関車は双方向に進めるため現場では重宝したといいます。形態的には他の自家製ディーゼル機関車と同じ凸型だったので総称して"蒙古の機関車"と呼ばれました。


◎DB60型の寸法一覧

♦DB601
寸法(L × W × H)
:5,130 × 1,650 × 2,590(㎜)
重 量:7.0㌧
原動機:金剛DA60(110ps/2200rpm)
制動装置:手動・空気
最高速度: 53.8km/h
製造年:1951年10月


♦DB602
寸法(L × W × H)
:5,160 × 1,650 × 2,990(㎜)
重 量:7.0㌧
原動機:金剛DA60(110ps/2200rpm)
制動装置:手動・空気
最高速度: 53.8km/h
製造年:1952年4月


♦DB603
寸法(L × W × H)
:5,155 × ー × ー (㎜)
重 量:7.0㌧
原動機:金剛DA60(110ps/2200rpm)
制動装置:手動・空気
最高速度: 53.8km/h
製造年:1952年4月
(全幅・全高は不詳。1962年5月廃車)

♦DB604
寸法(L × W × H)
:5,320 × 1,784 × 2,840(㎜)
重 量:7.0㌧
原動機:三菱DB5A(130ps/2000rpm)
制動装置:手動・空気
最高速度: 48.9km/h
製造年:1952年6月


♦DB605
寸法(L × W × H)
:5,800 × 1,970 × 2,707(㎜)
重 量:8.0㌧
原動機:金剛DA60(110ps/2200rpm)
制動装置:手動・空気
最高速度: 53.8km/h
製造年:1952年9月


♦DB606
寸法(L × W × H)
:5,620 × 2,100 × 2,950(㎜)
重 量:8.0㌧
原動機:金剛DA60(110ps/2200rpm)
制動装置:手動・空気
最高速度: 58.2km/h
製造年:1951年2月

♦DB607
(後述)


♦DB608
寸法(L × W × H)
:5,248 × 1,800 × 2,890(㎜)
重 量:7.0㌧
原動機:三菱DB5L(130ps/2000rpm)
制動装置:手動・空気
最高速度: 48.9km/h
製造年:1953年7月


♦DB609
寸法(L × W × H)
:5,377 × 1,800 × 2,960(㎜)
重 量:8.0㌧
制動装置:手動・空気
最高速度: 49.3km/h
原動機:民生ND4(125ps/1500rpm)
製造年:1954年8月



貨物輸送のほか客車を1~2輌を牽引して全線に渡り活躍しましたが貨物列車がトラックに移行し旅客列車もディーゼルカーが増えたため、1963年にDB603が廃車となったのを皮切りに路線廃止も重なり1967年の旧中遠鉄道区間廃止とともに廃車となりました。

♦DB607

寸法(L × W × H)
:5,196 × 1,800 × 3,410
重 量:7.0㌧
原動機:
 三菱DB5L(130ps/2000rpm)
制動装置:手動・空気
最高速度: 48.9km/h
製造年月:1953年7月
製造  :袋井工場



*"駿遠線物語 巨大軽便の横顔"より。