2005年10月26日 16時07分55秒

資本論 - 第2章 交換過程

テーマ:社会主義

要点:

基本的には商品のやりとりは自分の商品を譲渡して他人の商品を取得する形で行われる。また、商品はそれが価値として成り立つために使用価値であることを立証しなくてはならない。商品生産に費やされた人間労働が他人にとって有用な物であって初めて、商品は価値として認められるからである。

実際の交換過程においては商品の価値を表現するために貨幣が使われるわけであるが、第1章で触れられた「労働生産物⇒商品」の変化と同様に、ここでは「商品⇒貨幣」の変化が生じる。また、商品の交換が発生する条件の下では、労働生産物の一部が交換のためだけに生産されるようになり、このときから、商品生産物そのものの「使用価値」と、交換のための「価値」とが完全に分離してしまう。(⇒「使用価値」と「(貨幣での)価値」との対立が深まる)


感想:

マルクスはこの章でもことさらに「人間労働の量=商品の価値」ということを強調しています。また、貨幣形態への結晶にもたびたび言及しています。やはりマルクスの視点は面白いです。


あんまり書けませんでしたが、今日はこのへんで。

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2005年10月12日 20時56分37秒

資本論 - 第1章 商品

テーマ:社会主義

最近読むのを中断していましたが、今日、資本論のスタート部分である第1章を読み終えました。


「資本論」はいわずと知れたマルクスの名著ですが、詳しい説明は省きます。興味があればYahooなりで検索してください。ひとまず、社会主義の啓蒙書というよりは、資本主義の批判的研究書である、ということだけは強調したいと思います。


第1章は文庫版で80ページほどの長さに過ぎませんが、内容はきわめて難解であり、3色ボールペンで要点をマークをしなければとても読めません(少なくとも僕のCPUでは) そのため、読むのにはページあたりで小説の5倍ぐらいの時間がかかります。それでも読みたくなる理由は、やはり僕が赤いからではなく、綿密な論理展開による資本主義の分析と社会主義へのアプローチ、というところに集約できるでしょう。


本書の最初の一文はこのようにして始まります:

資本主義的生産様式の支配的である社会の富は、「巨大なる商品集積」として現われ、個々の商品はこの富の成素形態として現われる。したがって、われわれの研究は商品の分析をもって始まる。

ここから、マルクスの資本主義に対する分析が始まっていきます。


前置きが長くなりましたが、これからは章ごとに自分なりの「要点」と「感想」を載せていきたいと思います。実際に書くことでより理解も深まると思うので、これは自分の勉強も兼ねてです。 注:内容が非常に難解であるため、少なからず筆者の誤解が含まれることが予想されます。なるべく正確に書くように努めますが、あらかじめご了承ください。


要点:

ある商品Aを考えるとき、商品Aは、他のすべての商品に対して「商品Aは商品Bの二倍の価値がある」⇔2A=B、さらに10A=Cとなどとおくことが出来る。このとき、商品Aの使用価値などは一切無視され、商品Aは単に他の商品の価値を表現するだけの役割を果たす(等価形態) もし、他の商品の価値を表すための普遍的な「商品」を用意するのであれば、全ての人にとって出来る限り同じ価値を持つものを使わなければならない。実際の社会では、これは「金」や「銀」や「米」であった。つまり、全ての商品の価値を「量Xの金」として表すことが可能となる(貨幣形態

また、商品の価値はその生産物に投下された労働量によって決まるのであるが、生産手段が進歩した際には、資本主義的生産様式のもとでは「労働時間は半減したが、生産量は変わらず、労働と商品の価値が半分になる」といったことにもつながる。(⇒価格と賃金の低下?)

さらに、共同の生産手段と労働者による社会的労働を兼ね備えた状況を考える場合、この協力体での生産物はひとつの社会的生産物であり、労働した量と個人の必要に応じて生産物(=等価分の貨幣)は分配されなければならない。(「生産手段の共有」という社会主義の基礎を示唆している


感想:

とりあえず大枠は理解しました。やはり、資本主義の批判書とあって、各所に批判的な書き方が見られます。また、マルクスはこの章で早くも「生産手段の共有化」の必要性を示唆していますが、おそらくこのことはこの先で頭が痛くなるほど詳しく説明してくれることだろうと思います。また、貨幣は商品の一種である、ということも一言聞いてしまえば「それって当たり前じゃないの?」となりそうですが、より詳しく知ろうとすると、等価形態から貨幣形態への発展までを考えなければなりません。正直言って面倒ですが、そこで得る納得感はその労力と十分につりあうでしょう。

僕なりには、この章は「商品の価値って何?」「なぜ貨幣は必要なの?」といった、商品や貨幣に関する質問に根本から答えてくれる章として位置づけたいところです。次の「第2章 交換過程」はわずか15ページ程度なので、今夜中にも読めると思います。


マルクス, エンゲルス, 向坂 逸郎
資本論 1 (1)
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2005年09月22日 21時55分33秒

読書感想文

テーマ:社会主義

夏休みの課題といえば「読書感想文」は定番中の定番ですが、僕の高校も例外に漏れず、この課題は中高全ての生徒に課されます。僕は半分嫌々ながら、かつ半分張り切って、なんとか期日どおりに仕上げることができました。


で、先日学内選考が終わり、意外な事実が判明しました。「君の感想文を学校代表として出品する10作のうちの1つに選びました」との知らせ。僕は思わず「え。あんなのでよかったんですか?」と聞き返しました。


というのも、母にいつも「あんたは国語力が無い」と言われている僕の文章のセンスの無さに加えて、実はテーマにも少し問題があったのです。今回は僕の専門分野でもある「社会主義」をテーマとしたので、選考委員の先生から「まずテーマが赤いからボツ。」として頭からはねられると思っていました。(補足*1)


ともあれ、学校代表の作品になったということは、少なくともこのブログで公開しても恥ずかしいものではない、ということだろうと思います。ただ、これから始まる全国区の選考に関しては、こんな程度で賞がもらえるとはとても思っていません。ホンマに。


ということで、興味のある人向けに、以下に文章を貼り付けておきます:


題名:社会主義思想から学ぶこと

 社会主義の歴史は長い。その思想と理論は資本主義と連動しながら発展し、十九世紀以降の社会と歴史を大きく揺るがした。政治体制としての社会主義の可能性は別としても、社会主義を扱った文献から学ぶことは驚くほど多い。特に現代のような先の見えない時代であればなおさらだ。
 社会主義といえば、ソ連や北朝鮮などを挙げる人も多いことだろうと思うが、今回、私はこれらの国々について書くつもりは全く無い。これまでに実在した「社会主義国家」という名の国々は、エンゲルスやマルクスの唱えた社会主義とは遠くかけ離れたものであり、全くの偽物に過ぎなかったからである。私が今回書くのは、社会主義国家の歴史でもなければ、社会主義理論そのものでもない。それらの理論を学ぶことによって得られた、私自身の新たな考え方である。
 私が今回読んだ本は、エンゲルス著の「空想より科学へ」だ。この本は、政治経済の教科書でも扱われている「資本論」や「共産党宣言」と並ぶ社会主義の名著であり、一八八三年の発表当時から社会主義理論の入門書として最も多く読まれているものだ。私はこの本以外にも社会主義関係の本を何冊か読んだが、それらを通して身に着いたことは、今の社会に対する強い問題意識であった。
 とにかく今の時代は先が見えない。この本が発表された当時もそうだった。資本家が生産手段の力でもって労働者を搾取し、労働者は常に貧乏な暮らしを強いられていた。毎日の生活が労働で埋め尽くされ、自由や希望といったものはかけらもなかった。
 現代ではそのような単純な構造では済まず、社会全体が複雑化している。しかし、基本的な構造は何も変わっていない。それは、強い者から弱い者への「搾取」に他ならない。事実、近年では企業の利益が増えても労働者の給料は減っていく、といったことが普通になり、政府は税金を増やしながら国民への福祉を削り始めている。企業と政府の両者から搾取を受けているというのが今の国民の実態であり、さらに悪いことには、大多数の国民がそれに気づいていないということだ。
 高度成長期の真っ只中には、国民と企業と政府との利害が一致し、健全で着実な成長が実現された。それが今の豊かな日本を作ったのである。確かに、見た目の豊かさは高度成長期も現代も変わらない。しかし、フリーター・ニート問題や教育レベルの低下を見ても、日本の没落は目に見えている。多くの人々が「日本は世界に冠たる一等国」といまだに思い込んでいるが、そんなことはとんでもなく、もはや日本は二等国に落ち込んでしまっているのが現状である。今は高度成長期からの惰性でなんとかやっているに過ぎない。しかも、人々はニート問題などの各論を口にすることはあっても、日本が二等国に落ち込んだことにはほとんど気づいていない。
 とはいえ、今の時代に「社会主義で豊かさを追求しよう」などというのは時代錯誤もはなはだしいだろう。一般大衆は社会主義と聞いただけで引いてしまうから、それは仕方ないといわざるを得ない。しかし、社会主義文献(特に「共産党宣言」と「空想より科学へ」)そのものは今でも高く評価され、これら二冊は「方法序説」や「人間不平等起源論」などの名著とともに岩波文庫の厳選百冊のリストに入っている。それは、社会主義というものが、これまでの社会の常識を根底からひっくり返し、その後の歴史を大きく揺るがした、画期的な「発明」だったからに他ならない。
 したがって、今の時代において、社会主義文献を読んで学ぶ意味は、社会主義理論そのものではなく、偉大な「発明品」を実際に体験するということにある。大きな希望に溢れていた思想家や活動家たちの息づかいがそこには込められている。彼らの活動の良し悪しは別として、現代の人々にこのような力強さはあるだろうか? 残念ながら、全く無いのである。明日何とか生活できればそれでいい。そんな消極的な考え方では、やがて没落の時が必ずやってくる。
 今の日本は、すでに没落の道を歩み始めてしまった。もう手遅れかもしれない。しかし、社会に対して厳しい目を向け、問題意識を持つことができれば、社会は少しずついい方向へと向かっていくだろう。
 目先の選挙などに注目するのもいいが、一度、「空想より科学へ」か「共産党宣言」を読んで、かつての人々の力強い希望と息づかいを感じてみるといい。その目的のためには、読む対象は社会主義文献でなくてもかまわない。かつての人々の力強い息づかい、それを感じることが、「古い名著」を読む最大の意味なのだから。

(補足*1)

正直な話をすると、悪意の有無に関わらずいまだに人々の間の「反共」意識は根強く、社会主義を取り上げてモノを書くのは結構なリスクがあります。いっぱしの社会主義思想の支持者として、これは常に警戒していることです。ただ、反共主義者のほとんどは、いくつか質問をすれば根っから論理破綻したくだらないことを抜かし始めるので、論理詰めで突っ込みを入れれば大抵は論破できます。とはいえ、論理の通ったホンモノの反共主義者が相手では自信も揺らぎます(笑) まあ、そんな反共主義者はめったに見ません。ほとんどは漠然としたイメージや悪しき一般世論に振り回されているに過ぎません。反共主義者を批判しはじめるとキリがないのでこのへんで。

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2005年06月07日 19時25分36秒

「理想社会」への果てしない旅

テーマ:社会主義

僕の社会主義に対する考えは、もはや「社会主義」という狭い枠を越え、真の「理想社会」の追求へとシフトしてきた気がします。


つい先日のことです。ついに僕は最終的な結論を導き出しました:

「壮大で調和の取れたクラッシック音楽」と「絶対的で誰に対しても公平な数学」という、この二つの要素が合わさった社会こそが、本当の「理想社会」である!


言うまでもなく、数学のもとでは、誰がどう屁理屈をこねても「AはBである」という事実は覆りません。先の結論は、このような数学の本質的な考え方を社会全体に適用しようとするものです。これによって、官僚や与党が社会を握る時代は終わりを告げ、数学的な物の見方に沿った誰に対しても公平な政治が始まるのです。(政治をやるのは人間ではないほうがいいでしょう。誰かまでは考えが及んでいませんが・・・)


そして、数学によって支えられた社会は、クラッシック音楽のような美しさと調和をもって社会全体を創り、人々に活力を与え、明るい未来へと躍進していくことになるのです。


そして、この考え方の特質は、社会的な人間の解放という「社会主義の本質」に加えて、「数学的な絶対性と公平性」「社会全体の協力による最高の生産性」にあります。


このうち、「社会主義の本質」は他の記事 で説明済みです。

また、「数学的な絶対性と公平性」も今しがた説明したばかりです。

最後の、「社会全体の協力による最高の生産性」にはまだ言及していませんが、早い話が、主に生産手段、労働力、交通機関、情報などといった要素を社会の中で共有し、人々が互いに協力することによって、資本主義よりさらに上の生産性を目指すと言うことです。これは、前者の2つに比べればそれほど重要ではありません。(ビジネス系のネタですが、こちらの記事 もやや関連しています)


しかし、大きな問題があります。


実は、この考えは「思想」として存在することは出来ても、実際にそのような社会をつくるは今の人類が実現することは不可能なのです。なぜなら、本来、社会というものは良くも悪くも不純なものであって、「数学」というあまりにも純粋すぎる要素を持ち込むことは困難だからです。


いわば、水と油は混ざらない。ただそれだけの理由です。しかし、今の人類にはそれ一つすら乗り切る力はないのです・・・・・・・・・・・・・・・ しかし、百年後、千年後、いや、一万年後だっていい、我々人類は、きっといつかゴールにたどり着ける。僕はそう信じています。


そんな人類のスタートは、まずは今の資本主義を知るところからです。教材はマルクス「資本論」。僕自身も、単なる「社会主義者」としてではなく、「人類」の一員として、資本論を読み始めることに決めました。


そう、「理想社会に向けての旅」は、まだ始まったばかりなのです。

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2005年05月08日 23時19分16秒

社会主義の本質って?

テーマ:社会主義

皆さんは、「社会主義」と聞いて、どんなイメージを持ちますか?


多くは「ソ連」「北朝鮮」と答えるのではないかと思います。それ以外にも、「失敗した体制」、「古い思想」、「良くない」など、今日の社会主義に対するイメージは芳しくありません。特に、戦前の反共時代をすごしてきた高齢の方々の中には、社会主義という言葉を聞くことすら嫌という人も少なくないと聞きます。ましてや、ソ連が崩壊した今では、社会主義はほとんど相手にされなくなっているのです。(とはいえ、日本でも社会主義が栄えた時期が1970年代ごろにありました。別の記事 で紹介しています。)


しかし、最初の記事 でも書いたように、ソ連は実質的には社会主義国とはとても呼べないもので、社会主義国というよりはむしろ、「社会主義の夢をぶち壊した偽物」だったといえるでしょう。そういう面から見れば、ソ連の崩壊は「悪しき偽物の消滅」であって、「本当の社会主義を作るための希望」として受け止めることも出来るのではないでしょうか。


では、「本当の社会主義」とはどのようなものなのでしょうか。そこで、ちょうどいいページを見つけたので、引用して紹介します。日本共産党のFAQからです。


(2004年に定めた)新しい綱領は、党名とも結びついた壮大な人間社会(=社会主義・共産主義社会)の未来像を示しました。その特質は一口に言えば、人間の自由、人間の解放です。「人間が、社会の主人公として、人間の外にあるどんな外力にも従属することなく、どんな搾取も、どんな抑圧も、どんな差別もなしに、たがいに協力しあいながら、人間社会と私たち人間そのものの躍進を実現してゆく社会。そこで人類の限りなき前進という、未来が開けてゆく社会、これが私たちのめざす未来像」(綱領改定討論の不破哲三議長結語)です。 (日本共産党 - FAQ - 日本共産党が党名変更しないのは? より)


ソ連の崩壊による世論の変化もあって、日本共産党も一般向けには「社会主義」という言葉をほとんど口にしなくなっていますが、それでも基本理論には「科学的社会主義」を定めてきちんと綱領にも盛り込み(党綱領 参照)、近年でも社会主義関係の文献についての講習会も開いています。


「歴史」としてみるならば、社会主義は捨て去られるべき古いイデオロギーなのかもしれません。しかし、人間の「思想」として見た場合はそうではないはずです。社会主義の本質である「ユートピア思想」は、あくまでも誰もが持っている「人類普遍」のものであって、それは人類の「遠いゴール」として目指すべきものに違いありません。ソ連が崩壊した今でも日本共産党が存続し、社会主義をベースとし続ける意味はそこにあるのだと思います。


明日の見えないこんな時代だからこそ、社会主義に対する正しい理解が必要だと感じています。

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