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2006-03-13 23:00:00

【40】我が名にかけて(後)

テーマ:鬼浜魂疾走編


   * 5 * 

 
 「あ、いたいた。ダイゴ、ノブオ。ちょっといい?」
 「押忍。どうかしたか? ハヤト」
 「うん。ちょっと」
 「あれ? 兄貴は?」
 「うん。先に帰った。漫画の新刊がどうのこうの言って」
 「ああっ!!! そうか、今日はその日っスね、ハヤトさん!!!」
 「……いや、それはオレは知らないけどさ」
 
 放課後になって、オレはダイゴとノブオにさっきの応接室での一幕を話した。
 オレが言葉を切るや、ノブオは心配そうにオレに訊く。
 「へえ。そんなことが――感動的な話っス!!! ハヤトさん、それで兄貴って風邪なんっスか?」
 「見た目はそんなことなさそうだったけど? 今日は朝から普通だったし、第一それが昨日の午前中のことだとして、午後も夜も元気だったじゃん?」
 「ああ、そうっスよね。兄貴、なんでもないといいっスけど……」
 
 「確かに聞けばリュウジの取りそうな行動だとは思うがな」
 どダイゴは首を傾げた。
 「ちょっと最後の展開が、な」
 「あ、やっぱりそう思う?」
 「ああ」
 オレとダイゴは顔を見合わせた。
 「え? どっか変でした?」
 「うん。な、ダイゴ」
 「そうだな。ノブオ、仮にリュウジがそれをしたとする」
 「ええ。兄貴だったら放っておけるわけないっスもんね」
 「それは俺も同感だ。見かけたらリュウジなら必ずそうするだろう。だが、訊かれたところでリュウジが名乗ると思うか?」
 「あ――言われてみれば……」
 「そう。オレもまさにそう思ったよ、ダイゴ。なんかちょっと、妙だよね」
 そしてオレたち3人は、しばし沈黙していた。

 「とにかくオレ、おばあさんに伝言頼まれたからリュウジのとこへ行こうと思うんだけど……」
 なんか煮え切らないオレ。
 「そうだな。それはそうしたほうがよかろう。俺も一緒に行こう」
 「ですね。じゃあ兄貴んとこ行きましょう!!! オレ、読み終わってたら次に借りることになってるんっス。新刊の漫画」
 そんなこんなでオレたちは学校を後にした。

 リュウジの家まで行ってみたけれど、まだ帰ってきていないみたいだった。
 「もしかして漫画が売り切れで、何軒か回る羽目になっているのかもしれないっスね」
 「へええ。そんなに人気なんだ。って、情熱的だなあ、リュウジも」
 「オレにはわかるっス~」
 「まあな。それはそれでリュウジらしいとも思うがな」
 さて、どうしたもんかと考えを巡らせるオレたち。思いついたようにダイゴが言う。
 「川原に行ってみるか? 犬の散歩ということは、その姉妹に会えるかもしれんな」
 「ああ、そうか。普通は夕方にするよね、散歩」
 「そうっスね。昨日はたまたま日曜だったから午前中だったかもしれないし」
 「よし、じゃあ決まりだ。一度川原へ行ってみよう。それからまたあらためてリュウジのとこへ来てもいいよね」
 
 昨日は寒い日だったけれど、今日は陽気がよかった。
 三寒四温とかそういう言葉を天気予報で使う時期だもんな。
 寒風が吹かない川原の土手は、寒がりのオレにはとてつもなくやさしかった。
 「あ~、なんかこのままあったかくなったら幸せだな、オレ」
 「今日はあったかいっスもんね~」
 「そうだな。だが俺は冬も悪くないと思う。あの背筋の伸びる感覚がな」
 「あはは。ダイゴらしいね」
 「ハヤトさんもたまにはしゃきっとしたらどうっスか?」
 「……なんだって!!!」
 なんとなくふざけてノブオを追いかけてみる。寒い日だったらそんなことしないけど。

 土手から見下ろす夕方の河川敷はおだやかな雰囲気。
 オレたちが集会する夜とはぜんぜん違った顔をしていた。
 語らうカップルがいたり、小学生がサッカーボールを蹴ってたり。
 
 「犬の散歩してる人って、けっこういるもんっスね」
 「そうだね」
 確かにノブオの言うとおり。犬を連れた人たち同士が声を掛け合う姿も見られる。
 「それで、リュウジが助けたというのは幼い姉妹と小型犬だったか?」
 「うん。たしかそう聞いた」
 「小型犬……あれっスかね?」
 「ん~、どうかな。でもあの女の子は中学生だろ? だって学校のジャージ着てるし」
 「あ、そうか」
 「あっちなんか、それっぽいよね」
 「いや、ハヤト。むしろあちらは、小型犬と言うよりは子犬なのでは」
 「え……あ、なるほど」
 
 そんな具合でしばらく土手から見ていたけれども、残念ながら該当すると思われる組み合わせらしきは見つからなかった。
 「なかなか難しいっスね。今日はお散歩お休みっスかね」
 「どうだろう。今日は家族の別の人が当番だったりするのかもね」
 「小学校は終わるのが早いからな。すでに済んでいるということも考えられる――か」
 とにかく今日のところは、ひとまずリュウジに報告する以外のことはできそうにない、と結論したオレたちは、ぼちぼち町に戻ろうということになった。

 川に沿ってしばらく歩く。
 3人で河川敷に目をやりながら、結局は海岸線の国道近くまで来てしまっていた。
 戻りながらもそれなりに河川敷を眺めてそれらしき姿を探していたオレたちだったけれど、電車の通る鉄橋が見えるところまで来たときにノブオが立ち止まった。
 「あれ――?」
 「ん? なに? ノブオ」
 「ほら、あれ兄貴っスね」
 「本当だな」
 見れば、確かにリュウジ以外にこの町では見かけない赤いリーゼントが寝っ転がっていた。
 いくら陽気がいいとは言っても、まだ冬なのにこんなところで寝てるのもおかしな話だな。

 「おおい、リュウジ――?」
 土手の上から呼びかけてみると、赤いリーゼントはむくりと上体を起こしてこちらを見上げた。
 「うん? ああ、お前らか。どうした? 3人揃って」
 リュウジは学ランの袖で、ごしごしと目のあたりを擦ってる。まさか本当に寝起きなのかな?
 「いや、尋ね人っていうかさ。ちょっと探していた人がいて。な? ダイゴ」
 オレが話を振ってみたら、ダイゴはするどくかまをかけてくれたんだ。
 「押忍。小学生と幼稚園くらいの女の子ふたり連れと、それから小型犬の組み合わせなのだが、リュウジ、見かけたか?」
 
 「わはははは!!! なにをそんな漠然としたこと言ってんだよ、ダイゴは」
 なんて笑い飛ばしながら、リュウジは立ち上がって土手を上がってきた。オレとダイゴはすばやく視線を交わし合った。
 「なんだそれは? ダイゴの友達か?」
 「いや――そういうわけではないのだが」
 やっぱり違うのかもしれないな。おばあさんのお孫さんたちと愛犬を助けたのはリュウジではないのかも。リュウジがダイゴを肘でついて絡むのを見ながら思っていた。
 
 「ところで兄貴、例のブツはどうでした?」
 「ああ、これ――な。涙なしには読めねえぜ……それでも読むか? ノブオ」
 そうか。例の漫画は感動的だったんだ。さっき目許を拭ってたのは、リュウジ、泣いてたんだな……。



   * 6 * 
 
 
 ひとしきりリュウジがノブオに読み終えたばかりの新刊漫画を褒めちぎっているのを聞いていた。よっぽど感動したらしい。
 リュウジの話を聞いただけで瞳を潤ませているノブオも、これまた単純だ。
 やれやれ――なんて、ダイゴと顔を見合わせて、話が終わるのを待っていた。

 「リュウジ。さっきさ、リュウジを尋ねておばあさんが鬼工に来たんだ」
 ようやく口を挟める段階になって、オレは機を逃すまいと早口で言った。
 「うん? ばあちゃん? 誰のだ?」
 「昨日の午前中にリュウジに助けられたっていう幼い姉妹のおばあちゃんだったんだけど」
 「――?」
 なんだそれは、とかリュウジは言いかけたみたいだ。口の形はそんな雰囲気だったから。
 けれどもリュウジはそれを言うより先に、オレたちの背後に現れた奴らに視線を奪われたらしかった。
 「なんだ、お前ら」
 リュウジの荒々しい物言いに振り返ったオレとダイゴの目に入ったのは、たった今まで物語の感動を語っていた漢を現実に引き戻すには充分すぎる奴ら――暗黒一家だった。

 時には町ですれ違うこともある暗黒一家。
 とはいえ、いつもいつも顔を合わせるたびに喧嘩になるというわけではもちろんない。
 大概はどちらかが、または双方が自尊心をかけて対峙すると決めたときの邂逅がそれを引き起こすわけで。
 今日は――確実に暗黒一家側はその気だったのだと思い知らされるような8つの視線がオレたち4人を鋭く刺した。

 「貴様」
 コウヘイは迷わずリュウジのそば近くにいたノブオを見据えている。
 その視線を受けて一瞬怯んだように見えたノブオだったけれども、その小柄な体にコウヘイの向ける注視を真っ向から受けていた。
 「な――なんっスか?」
 「ほう。威勢がいいじゃねえか……」
 そう言ったあとにコウヘイはひとつ咳払いを挟む。それが落ち着いたあとはまったくもっていつもの調子でこう凄んだ。
 「鬼浜の若いの、貴様、昨日うちのを可愛がってくれたようだな?」
 
 ああ、そうだった。
 昨日、ノブオはタカシと一騎討ちに臨んだのだった。
 通りすがりに聞いたというタカシの戯れ言がノブオを逆上させて、結果として喧嘩になって――その勲章はノブオの頬を飾る、リュウジと揃いの位置の絆創膏。
 見やればタカシのほうは、口の左横が紫色に腫れているようだ。
 へえ、これ、きっとノブオがつけたんだな――などとオレは妙な感心にとらわれる。

 「だからどうしたってんだ、コウヘイ? ウチのノブオは立派に、正々堂々と闘ってお前んとこの若いのに勝ったんだろ? 俺はそう聞いてるぜ」
 「そのような青臭い正義感なぞ俺は知らねえな。ただ……」
 また言葉を切って、コウヘイは声の調子を整える。
 「俺はなあ、うちのタカシが可愛いのだ」
 コウヘイの言を受けて、オレたち4人は揃ってタカシを見た。
 トレードマークのピンクのモヒカンに、痩せた体躯。見るからに強くはなさそうなギターの上手な彼は――オレたちの視線に怯むことなくしっかりと大地に足を据えて、前を見ていた。
 へえ――昨日、ノブオもずいぶん成長したって思ったけれど、こいつもなんだかんだいっていい目をするようになったんじゃないのか?

 「それが何だってんだ? コウヘイ!!!」
 リュウジが声を荒らげる。
 受けたコウヘイは、自らの可愛がる後輩の肩に手を回しながらこう言った。
 「こいつはなあ、恥を雪ぐと言っているのだ。貴様等の若いのごときに遅れをとったおのれを許すまじ、とな」
 言ったコウヘイに視線を移したタカシがふたたび前――オレたちのほう――を向く。
 その目にはいつにない強い光が宿っていたのかもしれない。

 「鬼浜の若いの」
 コウヘイはもはや見慣れた獰猛な笑みをノブオに向ける。
 「今日は貴様にやられたりしねえからな、うちのタカシは」
 「――何ぃっ!!!」
 名指しで言われて息巻くノブオ。それを背後から押しとどめるのはリュウジだ。
 「ノブオ、ちょっと下がってろ」
 「あ、兄貴!!! でも……」
 「いいから!!!」
 
 ノブオを押しのけて自ら前に進んだリュウジは、コウヘイらに向けて大音声を放った。
 「コウヘイ!!! もとはと言えばお前んとこの若いのが原因を作ったんだろ? 見ていてそれをよしとしなかったノブオが立って、それで決着がついたんじゃねえか。一度決着したことを蒸し返すのはどうなんだ?」
 リュウジの厳しい声と視線を受けて、さすがにタカシは少々さきほどまでの強い目の色を潜めているように見えた。
 「それに、ノブオの話を聞いて俺が面白かったわけがねえ。お前んとこの若いのが何をしたか、知ってるんだろうな、コウヘイ!!!」
 コウヘイは何も言わなかった。
 リュウジは重ねて言いつのる。
 「ともかく、俺もその件に関しては腹が立ってるんだぜ。ノブオが昨日ちゃんと決着をつけて戻ってきたから俺本人が出なくて済んだんじゃねえか!!! 何だったら俺が自分で出てもいいんだぜ? 蒸し返す気だったら俺に向かって来いや、暗黒の若いの!!!」
 リュウジの張りのある声が河川敷にこだまする。言葉を切ったとたんに鉄橋に電車が通った。

 電車の音が遠ざかったとき、最初に口を開いたのはノブオだった。
 「兄貴。オレ、やりますよ」
 「――ノブオ?」
 「兄貴がおもしろくないことは、オレにだって同じくらいおもしろくないんっス!!! こいつごとき兄貴が手を汚すことありません。何度だってオレが鉄拳を見舞ってやればいいんっスよ!!!」
 「ほう。物わかりがいいようだな、鬼浜の若いの」
 「当たり前だ!!! オレは兄貴のためだったら何度だって闘うんだ!!!」
 勇ましく――そう、いつもよりもひとまわり大きく見えた。ノブオの小柄な体が。
 
 もはやリュウジも止めようとはしなかった。
 再戦する気になっている若いふたり。けしかける暗黒一家総帥。
 むしろ自分が出る気にすらなっていたように見えるリュウジだったけれども――
 「よっしゃ!! ノブオ、任せたぜ。お前の攻撃には俺の気持ちももちろん込められてるんだろ?」
 「当然っスよ、兄貴」
 ゆっくりと首を縦にノブオは振った。
 そして、リュウジはノブオの背中をばちん、と音をたてて叩いた。
 「よし。存分にいってこい、ノブオ」
 「了解っス!!!」

 かくしてオレたちは土手を降りて、鉄橋の下まで移動した。ここで過ごす町民たちから一番目につかないここは、河川敷が戦場になるときの定位置だ。
 西側にオレたち、東側に暗黒一家。これもいつの間にかのお決まりのポジションだった。
 
 言葉もないまま、ノブオとタカシの対峙が始まった。
 3対3の見守る軍勢の中心にいるふたりは、真剣なまなざしを向けあっている。
 「タカシ!! オレは何度だってやるからな!!」
 叫びざま、ノブオは最初の一撃をタカシに見舞った。
 横っ面を張られてタカシはバランスを崩しかけるが倒れるまでには至らない。
 「ケケケケケ!!! 効かないぜ~」
 打たれ強さを武器にして立ち位置を戻すタカシは、不気味なほどに鮮やかな身のこなし。
 
 そしてふたりは、互いの自尊心を賭けて闘いを進める。
 川の向こう岸で犬が吠えるのが聞こえた。



   * 7 *

 
 夕刻を前にした両軍の若手同士の攻防が続いている。
 「喰らえ――!!!」
 「うっ……」
 「効いただろっ!!!」
 「ケケケケケ!!! お返しだ」
 「うお……痛っ――」
 ノブオの繰り出す得意の平手、最初は受ける一方だったタカシの反撃。
 ダイゴやゴンタのような重量級の打撃とは違う、小柄なふたりの勝負ではあったけれどもなかなか雌雄を決するところまではいかない。
 そう――互いに攻撃力は弱いながらも、ふたりともさすがに鍛えられているようで、本当に打たれてもすぐに立ち上がれるんだ。
 
 それぞれに、自分より明らかに攻撃力が上回った相手の拳を受けたりすることもあるわけで。
 そんなことから生まれる強さとでもいうようなものが見て取れるわけで。
 だから近頃、ノブオの出る勝負の行方を見守るリュウジにも余裕があるように思える。
 きつく組んだ腕と広いその肩がこう語っているのが、ノブオには聞こえているんだろうか――ノブオ、俺はお前を信じているんだぜ、と。だから存分に闘ってこいや、と。

 リュウジをもはや崇拝といった域で慕っているノブオには、うん、きっと聞こえているんだろう。
 それはまるで神託のように。

 「オレは、お前を許すわけにはいかない!!! オレのプライドにかけて兄貴の名を騙ったお前をやすやすと許さないからな!!! そう――絶対に」
 ノブオの言葉に嘘はないはず。きっとこれから先のふたりの因縁のどこかにそれが刻まれることになる予感がオレにはしていた。
 そしてそう叫んだノブオの平手はタカシの顔の輪郭を歪ませる勢いで炸裂した。
 タカシはたたらを踏んで、冬枯れの土手に尻をつく。
 
 「ケケケ!! だからどうしたって言うんだ? オレは反骨意識の塊だからな!! 逆らうことと刃向かうことがオレの生き方だ――覚悟!!!」
 言うが早いか、瞬時に口許に浮かべていた笑いを収めたタカシの拳がノブオの腹に埋まったのをオレたちは見る。
 こうした場面で喋ることはあまりないと思っていたタカシの意識――反骨意識と彼は言った――がノブオを圧倒する。
 パンクロックが生き甲斐らしいタカシの意志を思い出す。このへんがコウヘイの生き様とリンクしているのかもしれないと頭の片隅で思いながら、大地を踏んでいたノブオの足が掬われるのを見て思わずあっと声が出るオレ――同時にダイゴも、リュウジもまた。

 「――ちきしょう、絶対許さない……」
 撃たれた腹に手をやりながら身を起こす際のノブオの言葉。熱しやすいタイプのノブオなのに、その声は低く、苦々しく河川敷の空気に乗った。
 痛みだけに言わされているのではない、それは腹の底からの台詞だったのかもしれない。
 
 ノブオはリュウジに、おそらくタカシであってもコウヘイに心酔しているのがわかる光景だった。
 正義をもってするリュウジの名を騙られたのを目の当たりにしたノブオの怒りは、手に取るように伝わってくる。
 対するタカシも、また。反骨の魂はコウヘイにも息づいているのはオレたちには先刻承知。同じくしてタカシもそれを標榜するんだから、タカシの気持ちだってわからなくもない。
 
 ノブオは立ち上がる。おそらく何度でも。
 リュウジが後ろに控えている限り、何度でも。
 そしてノブオは言うんだ。何度だって。
 「兄貴を馬鹿にするなんて100年早いってわかってんのか? オレの尊敬する兄貴は、ほかの誰でもなくって――兄貴ひとりなんだ!!!」
 叫びつつ、見舞うための拳をノブオは作る。
 それを見るや、タカシは素早く自らも構えを立て直して――

 乾いた打撃音がふたつ、オレたちの鼓膜を揺らした。
 音の奏でる波形が耳の奥から消え去ったあとには、ふたつの若い体躯が同じく背中を地面に擦りつけている。

 若手ふたりの再戦は、相打ちとなった結果どちらも即座には身を起こせずにいる。
 リュウジも、ダイゴもオレも息を呑んでノブオが立ち上がるのを祈りながら待っていたけれども、残念ながらそれは叶わなかった。
 とはいえ敵の若手――タカシも同じく立ち上がる気配はなかった。
 
 「リュウジ――」
 オレが言いかけると、リュウジはちいさく頷いてから一歩前へ進んで声を張った。
 「コウヘイ!!!」
 リュウジの声が辺りに響く。呼ばれたコウヘイは眉一つ動かさずにいる。かわりに倒れたままのノブオの体がぴくりと動いたのをオレは目の端で見た。
 「今日のふたりの勝負は引き分けだ。ポイントは半々ってとこか」
 リュウジの進み出た足下にはノブオが横たわっている。リュウジが助け起こそうとするのへ、すかさずダイゴが出て行ってノブオを担いで下がらせる。対面に陣取った暗黒側からもゴンタが同じく出てきてタカシの体をさらってゆく。

 「昨日はウチのノブオが勝ってたんだから、1.5対0.5で本来ならノブオが勝ちだ。だが、俺は半端な計算なんか得意じゃねえからな!!! お前もそうだろ?」
 「ふん。俺は貴様よりは計算が得意かもしれねえがな――だが、昨日は昨日、今日は今日だからなあ」
 哮るリュウジ。低く応えるコウヘイ。
 ふたりの間に流れる空気は、今日のおだやかな陽気とは相容れないほどの冷ややかさがあった。
 「ここは俺が決着をつけるぜ!!! 俺に手前のプライドを重ねてくれたノブオのためにな!!!」
 言うが早いかリュウジは闘争心剥き出しの体勢をコウヘイに見せつけた。
 リュウジの背中しか見えないオレとダイゴだけれども、オレたちにはわかる。リュウジがどんな顔をコウヘイに向けているかが。
 そう、コウヘイの好戦的に歪んだ表情からもそれが匂ってくるんだから。
 「出てきやがれ、コウヘイ!!!」
 「言われるまでもねえな。すっきり決着をつけてやる」
 
 宣言しあうや否や、互いにその気で向き合うリーダーふたり。
 もはや誰も止め立てする者はおらず、見守る面々はそれぞれの筆頭を信じるのみ。
 信じる力。そして信じられている度合い。どちらの軍勢もそれは拮抗しているはず――だからこそ鬼浜爆走愚連隊と暗黒一家は永遠の好敵手なのだから。
 
 「いくぜ!!!」
 「やれるもんならやってみやがれ」
 声と声が交錯する。
 最初の一撃は同時にもたらされた。リュウジの拳がコウヘイを捉え、コウヘイの、今日は素手の攻撃もリュウジに襲いかかる。
 どごん――という軽くはない打撃音が聞こえる。それを聞いて、座してダイゴの足にもたれかかったままのノブオがぴくりと身を竦めたのがわかる。
 
 「効かねえな……」
 「まだまだァ!!!」
 またも同じタイミングで発せられる言葉。どちらも強がりではなくて、言うなれば自尊心そのものから生まれいずる声。
 そしてふたたび、ふたりは拳をつくって振りかぶる。
 構えの速度もまた同時。ここででどちらかが一歩先んじれば有利と不利とを分けたのかもしれない。
 
 それは、互いに二つ目の攻撃を仕掛けようとしたときだった。
 「ダメよ――リュウジお兄ちゃん!!!」
 土手の上から振ってきた甲高いその声に、オレたち8人は思わず一斉に振り返る。
 犬が吠えるのが聞こえた。今度は川向こうからではなくて、すぐ近く――つい今、呼ぶ声がしたのと同じところから、大きくはない犬が吠えるのが。



   * 8 * 


 「待って、そっちのお兄ちゃん。リュウジお兄ちゃんを叩いちゃダメなんだから」
 リュウジとコウヘイの一騎討ちを制した声が次に言ったのはそれだった。
 闘いを制する声に、あっけにとられるオレたち――そして今まさに激闘を繰り広げている当事者たちもまた。
 
 声の主は女の子。ふたつに分けてアップにした長い髪を風に揺らしている。
 女の子はひとりではなくて、もうひとりのもっと幼い女の子と、それから小型犬を連れていた。
 彼女は手にしていた、犬につないだリードの端を幼い子に握らせてから、果敢にも土手から降りてきて――漢同士の闘いの巷に躍り出た。

 「そっちのお兄ちゃん。何があったか知らないけれど、リュウジお兄ちゃんをいじめちゃダメだからね!!! だって、リュウジお兄ちゃんは優しくて、あたしたちを助けてくれた恩人なんだから」
 女の子が言う。土手の上ではそれに同意を示すかのように、犬がワンワンと吠えている。
 
 女の子は勇敢だった。
 リュウジとコウヘイの間に立って、両手を広げて闘いを制したのだから。オレたちの誰にもそんなことはできないわけで。
 とはいえ、何かがちょっと噛み合わない。
 彼女がにらみつけている相手がぽかんと口を開いて、彼女に問う。
 「え――なんだって?」
 「だからね、リュウジお兄ちゃんとけんかをしないでって言ってるの!! 高校生なのに、そんなこともわからないの?」 
 「――は?」

 女の子が諫めているのは赤いリーゼントの漢。
 その名はリュウジ。
 だけれども、女の子はリュウジに言う。『リュウジお兄ちゃんとけんかをしないで』――と。
 幼い姉妹と小型犬。ダイゴとオレは瞬時に悟って視線を交わした。
 そしてオレたちが揃って注目した人物は、思ったとおり少々慌てていて。
 
 「お嬢ちゃん。俺は大丈夫だ。心配はいらねえな」
 女の子が庇ったつもりの背後で彼は言った。
 「リュウジお兄ちゃん?」
 振り返って女の子は心配そうに彼を見上げる。
 「これはなあ、喧嘩なんかじゃねえんだぞ。ただ、そう、挨拶の延長みたいなものだ。漢同士の、な。お嬢ちゃんにはわからねえだろうがな」
 「そう……なの? リュウジお兄ちゃん」
 「ああ。だから、こいつも本気なんかじゃねえ。なあ?」
 そう彼は、女の子を間に置いた向かいの対戦者に問いかける。
 問われたほうは意味もわからずに頷いた――そう、おそらく幼い女の子の手前だったから。

 「だから、お嬢ちゃん、気にしねえでくれ。ほら、早く行かねえと暗くなるだろう? 散歩の続きがあるのだろうし」
 「あ――うん。そうなの、リュウジお兄ちゃん」 
 「では、もう行くがいい。俺のことはもう気にしねえでくれ。第一喧嘩だとしても、俺が負けるわけがねえ」
 「あ、そっか」
 それを聞いて、女の子は納得した顔になる。
 「そうだよね!!! リュウジお兄ちゃんはわざわざけんかして確かめなくたって、誰より強いんだもんね。それで、誰よりも優しいんだもんね」
 女の子は彼に向かってそう言って微笑んだ。そして最後に体の向きを変えて言う。
 「そっちのお兄ちゃんも、リュウジお兄ちゃんのすてきなところを見習うといいわ」
 指をさされたリュウジは、あっけにとられて女の子とコウヘイを見比べていた。
 女の子は正義を讃える顔で諫めるようにリュウジを見ていて、讃えられている当の本人は、非常に決まり悪そうな表情をこっそり作っていたのをオレたちは見逃さなかった。

 「それじゃさよなら、リュウジお兄ちゃん。また困ったら助けてくれるでしょ?」
 「ああ、約束だ」
 手を振って挨拶したあと、土手をよじ登る女の子に彼――コウヘイは手を添えてやっている。
 そしてオレたちは、幼い姉妹と小型犬の後ろ姿が見えなくなるまで黙っていたんだ。

 その後、勇敢な少女によって水を差されたリーダー対決が再開することはなかった。
 ぽかんとした表情で、リュウジはコウヘイにこう問うた。
 「何だ、あれは? コウヘイ――」
 「ふん。俺の知ったことか」
 「けど、お前、あの子と知り合いなんじゃねえのか?」
 「別に」
 「別にって何だ? ってか、何でお前が『リュウジお兄ちゃん』なんだ? おい!!!」
 「――何でもねえって言ってるだろうが!!! 俺はなあ、詮索されることが一番嫌いなのだ。それから正義感というやつにも虫酸が走る」
 「正義感だと? 何だ、それは」
 「何でもねえさ。ただ――いや」

 コウヘイはリュウジに視線を向けて何かを言いかけたけれども、結局は無言のままにリュウジの前から逃れるように土手を登った。登り切ったところでごほごほと咳き込んでいたみたいだ。
 それに倣って暗黒一家の面々も引き上げていき――タカシは最後に心底悔しそうな顔をこちらに見せた――、最終的にオレたち4人だけが河川敷の鉄橋下に取り残された格好で。

 それから、得心のいっていないリュウジに、ダイゴとオレとで推測を交えながら説明してやっていたら辺りは暗くなりはじめていた。
 
 「じゃあ、あれか? コウヘイが昨日の午前中にさっきの女の子たちと、それと犬を助けたんだってことか?」
 「押忍。おそらくはそうであろう。あの女の子の口ぶりと、コウヘイの様子を見るに、な」
 「そういうことになるんだろうな。裏付けかどうかわかんないけど、コウヘイちょっと咳をしてたしね。風邪でもひいたかも」
 「そうっスね。川に入って犬を助けたんっスもんね」
 ううむ、なるほど――とリュウジは腕組みをして頷いている。
 オレが会った、リュウジを尋ねて鬼工にみえたおばあさんの孫ってのがさっきの姉妹だろうということから始まった説明を、リュウジは聞いてくれたんだ。

 「いや、そこまでは納得したとして、だぜ?」
 リュウジは眉をしかめてオレたちに疑問符を投げかける。
 「どうしてコウヘイは自分のことを『リュウジ』と名乗ったんだ?」
 「それは――おそらく、な? ハヤト」
 「そうだね。正義とか、弱い者の味方、とか、誰かを助けるっていうのはコウヘイの得意なことじゃないから、だろうね」
 「……は? 何だと?」
 「つまりは照れくさかったんじゃないの? いいことをして、自分の名前を名乗るのが。それでなんとなく、リュウジの名前を使ったんじゃないかな」
 「――ぜんぜん意味がわからねえぜ」
 
 そうだろうな、とオレは思いながら、リュウジにうっすらと笑い顔をつくって見せた。
 「まあ、いいじゃん。都合のよくないことはオレたちのせい、ってのが暗黒一家の常なんだから」
 「……ハヤト?」
 「ああ、そうかも知れんな。己の意図に染まないことがらは常に敵の仕業と騙る、その延長なのだろう」
 「よくわかんないっスけどね。ただ、コウヘイは自分らしくないって思ったのかもしれませんね。そういうことは自分より、兄貴がしそうなことだ、って」
 「うん。そんな気がする」
 ノブオの言に同意して、オレはリュウジを見た。
 リュウジはいまだ腕組みを解かずに、コウヘイの立ち去ったほうを眺めている。

 「とにかく、奴は俺の名を騙ったってことだよな……?」
 「そういうことになるな」
 ダイゴが応える。
 「じゃあ、俺はそのことに対して怒ってもいいんだよな?」
 「兄貴……?」
 「当たり前だろうが!!! コウヘイの奴、次に会ったらただじゃおかねえぜ!!! 人の名前でいい格好をするなんて、あいつどうかしてるぜ。俺の名にかけて――俺の名は俺だけのもんだって思い知らせてやるぜ」
 猛々しくリュウジは吼えた。
 それに呼応するかのように、向こう岸から犬が吠えるのが聞こえてきた。

 納得していないリュウジを囲んでの帰り道。
 こういう時のリュウジはダイゴがなだめるのが常だ。
 リュウジが同じところに居合わせたとしてもコウヘイと同じように行動しただろう、と。それは誰でも想像できるから、と。悪いことに名前が使われたよりはいいだろう、と。
 あの手この手でリュウジをなだめすかすのは――ダイゴ以外には無理なのかも。

 で、そんなふたりの後について、オレとノブオは歩いている。
 「ハヤトさん」
 「ん? なに? ノブオ」
 「結局、あいつら同じようなことしてるんっスね」
 「え? どういう意味?」
 「コウヘイもタカシも、やってること一緒っスよね。意味は違っても」
 「ああ――そうか。そうだよね。ふたりとも『リュウジ』って名乗ったのか」
 「それにしても奴ら、腹立つっス。オレだったら絶対、どんな時だって畏れ多くて兄貴の名前なんて名乗れませんもんね」
 「あはははは。そうかそうか」
 「だからね、オレにだってチャンスがあれば、兄貴のかたきをとってみたいなあって思うっス」
 前を歩くリュウジの背中に視線を寄せて、ノブオはそんなふうに呟いている。
 ある意味、似たもの同士の主従ってことは、ウチも敵方も一緒かもしれないな。
 
 「オレ、もっと鍛えるっスよ、ハヤトさん。それで兄貴の役に立つんなら」
 「お。逞しいね、ノブオ」
 「そうっス。オレはね、鬼浜爆走愚連隊の名にかけて、兄貴の脇を守れる男になりたいんっス」
 ノブオは強くそう言った。
 「うん。がんばろう、ノブオ」
 
 リュウジの名にかけて、鬼浜爆走愚連隊の名にかけて――か。
 名前の持つ不思議な力ってのは確かにあるよな。
 目に見えない、言葉の響きが織りなす呪文のような効果。
 オレの名前もどういうふうにしてか効力があるんだろうか、なんてぼんやり考えてたら、うっかり取り残されていた。
 ノブオの奴、珍しく『兄貴』の前にリュウジの名前つけてを叫びながら、前を行くふたりを追って駆けだしていった。
 
 
   * 我が名にかけて  完 *



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